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第五章 一難去ってまた一難

 天道の屋敷に到着した時、あたしは誤魔化す事を諦めた。

「……今まであたしの我が侭に付き合ってくれてありがとうございます」

 あたしはまずお礼を言った。

 予想はしていた。どっちも相手のためを思って知らない演技をしている、と。

 だから驚きは無く、感謝の言葉が出て来た。

 そうしてから、あたしは全員に尋ねた。

「で――どんな状況?」

 今は今で優先しなければいけない事がある。

「見た目に反して心は元気そうで何よりだ」

 全知さんがあたしを見ながら言った。確かにあたしの見た目は酷い。服がかろうじて服の形を保っている感じだ。外を歩ける格好じゃない。

「ああ、それと礼は不要だ。こっちは勝手に首を突っ込んだだけだし、こっちが好きでやっている事だからな。俺達は――」

「私達は一実が笑ってくれるならそれで良いわ」

 そこで知美が全知さんの言葉を遮って言った。

 先に言われてしまった全知さんは知美の方を向いた。

「……娘よ、ここは俺が格好付けるところだぞ?」

「あれだけ格好付けたのですから、ここは無様な娘に譲ってください」

 そう言われて、全知さんはため息。それから知美をお姫様抱っこして、

「話は中に入ってからにするぞ」

 平然と全知さんは言い、知美をお姫様抱っこした。

「は、恥ずかしいです、お父様。下ろしてください」

「怪我人は黙って運ばれてろ。沙耶と鶴来、片付けは任せた」

「「かしこまりました、旦那様」」

 全知さんが動いた事で皆動き出した。二人はそのまま屋敷へと向かい、照美さんは全知さんの腕の中で暴れる知美を微笑んで見ながら一緒になって屋敷へと向かって行き、近衛姉妹は玄関前に転がっている襲撃者達を介抱するためか散っていき、誰かをお姫様抱っこしている灰尽くしの男の人は全知さん達の後をゆっくりとした歩調で追った。あたしもその後を慌てて追った。

 ロビーに到着すると、皆が待っていた。あたしが到着したのを確認し、全知さんは広間ではなく、医務室の方へと向かって歩き出した。

「一実、大丈夫? 何処も怪我していない?」

 知美が全知さん越しにあたしを見て、聞いて来た。

 怪我は軽傷が幾つかあるだけだ。本当は重傷と呼べる程度だが、それも破邪たる所以なのか、防人の人間は自然治癒力が高く、重傷と呼べる怪我だったとしても特に処置をする事無く治ってしまう。仁美さんもそれは同じで、疲労でぶっ倒れてしまったけど、傷の方は照美さんの手を煩わせる必要は無い程度だ。

「人の心配している場合? 知美の方が重傷じゃん」

 血を失っているからか、知美の顔色は蒼白だ。それに止血して間もないからか、知美の足から一滴、また一滴と血が垂れ、ロビーに朱の斑点を作っている。

「私は平気。見た目が派手なだけで大した」

「嘘付け」

 全知さんはそう言って患部をちょんと触った。

「ひゃう! お、おおお、お父様!? 死なしますよ!?」

「手負いの娘に負けるほどお前の親父は耄碌していないから安心しろ」

「どの辺に安心しろと!?」

「決まっている。全てだ」

「知美、あんまり騒ぐとぶっ倒れますよ」

 照美さんが嗜めたところで、あたし達は医務室に到着した。

 医務室、と言っても部屋そのものは屋敷の一部だ。ただ本来なら家具がおいてある場所に医療器具や医療機器が所狭しと並んでいて、患者を寝かせるベッドが五個ほど置かれている。

「あなた、知美をそのベッドに。セノーラフさん、その子はあっちのベッドへ。一実ちゃん、仁美さんはそっちのベッドへ寝かせてあげて」

 あたし達は指示された通りに動いた。あたしは左から二番目のベッドに仁美さんを寝かせ、知美は真ん中のベッドに寝かされ、灰尽くしの男の人がお姫様抱っこしていた白尽くしの誰かさんは左から四番目のベッドに寝かされる。

「知美、麻酔無しでやるけど大丈夫よね?」

「大丈夫よ。もう慣れたもの」

 慣れた、か……。それはつまり、慣れてしまうほどこういう事をやっている何よりの証拠だ。それは多分今日みたいな事だろう。それが分かってしまうだけに知美の言葉は、あたしの心に深く突き刺さる。

「一実、暗い顔しないで。さっきも言ったでしょ? 私達は好きで首を突っ込んでいると。つまりは自業自得よ。だから、ね?」

「でも……」

「でも、は認めないわ。誤魔化す気が無いなら受け入れなさい」

 厳しい言葉だった。と同時に優し過ぎる言葉だった。

「……知美は強いね」

「当然よ。そう在りたいと思って行動しているからね」

「格好付けるね」

「ええ。もう知らない振りをしなくて良くなったから気分が良いのよ」

「耳が痛いね」

「貴女が望んだ事よ。享受して見せなさい」

 ごもっともだ。あたしが望まなきゃこんな事にならなかったんだから。

「了解。全力で善処するよ」

「善処、ね……。まあそれで勘弁してあげる。時にお父様、そちらの方は?」

 知美はあたしから視線を外し、全知さんに話を振った。

 あたしも気になっていた。その得体が知れない全知さんの知人に。

 肩ほどまである髪、鋭利な双眸、着古されたロングコートとその中にあるシャツとパンツ、しっかりとした造りのブーツ――それら全てをその人は灰色で統一していた。年は二十代後半くらいだろう。友人知人が多い全知さんの交友関係の中では若い方に入るが、身にまとっている雰囲気は長年生きて来た者から発せられる近寄り難さだ。

 それに何よりこの人からは霊的な何かを感じる。多分この人はあたしや防人仁美と同じく、人であり、人の世に住みながら、人が知らない事を知り、それの何らかの事情に身を置いている人だ。パパがそういう人だったから、別に全知さんの知り合いにそういう知り合いがいてもそういう意味で驚きは無いが、誰も彼も人の世に忍んでいるから同類に出会う機会なんて滅多に無いので、単純に知的好奇心が疼き、単純に興味が湧いている。

「ん? ああ、色々あって紹介が遅れたな。こいつはセノーラフ。お前や一実も慣れっこだろうが、俺の数いる友人知人の一人だ」

 全知さんはまずあたし達にそう紹介し、セノーラフさんの方を見て、

「で、セノーラフ、今治療を受けているのが俺の愛娘の知美で、向こうにいる妙にゴスロリが似合う奴は防人一実だ」

 そうあたし達を紹介してくれた。

「セノーラフだ。よろしく」

「天道知美です。こんな状態で申し訳ありませんが、どうぞよろしく」

「防人一実です」

「これで良し、と。それじゃ、情報交換を始めるか」

 全知さんはそう言って、あたしを見た。

「で、一実。防人家の問題は片付いたのか?」

 ズバリそう言って来た。

「お父様、もしや全て把握済みで傍観していたので?」

 知美が怒気を孕んだ声で言った。

「そう言うな。俺は望まれれば動くし、望まれなくても動くが、自分でどうにかすると言う奴にまで節介するほど無遠慮じゃねぇからな」

「それはつまり、防人一斉が介入を拒否した、と?」

「まあそういう事だ。あんな奴でもあのバカの親だから色々やろうとしたが『若造に力を借りなければいけないほど落ちぶれていない』と言われてな。そういうわけだ、色々大変だっただろうが、色々と許してくれ」

 うわー、この人殴りたい。これが大人の余裕と言うやつなのだろうか。

 でもまあ、思うだけにしておこう。もう終わってしまった事だ。

「さて、大人の狡さを知ってもらったところで先に進もうか」

 早く言え、と言わんばかりに全知さんはあたしを睨んで来る。

 素直に答えるべきなのだけど、それだと何か癪だ。

「――ご想像にお任せします」

「そう来るか。じゃあそうするとして――お前は防人仁美の過去を知り、防人一斉に対する誤認に気付き、防人一斉の行動は防人仁美を愛しているが故の行動だと知り、これ以上防人仁美に胸糞悪い思いをさせず、それでいて防人一斉を誤解させたままでは終わらせない様に動き、見事完遂した。――大体こんな感じか?」

 あたしは絶句して反応を返せなかった。

 あたしはまさにその通りに思い、考え、動き、自分の目的を達成させた。

 それをまるで見て来た様にこの人はズバリ言い当てた。

 これが超人。これが不可能を可能にする男の本領。

「……このチートキャラ」

「最高の褒め言葉だな。もっともまだ事後処理が必要だが、そこから先は俺の領分だな。というわけで、事後処理は任せろ。上手くやってやる」

「あら、手は出さないのでは無かったのですか?」

 照美さんが聞いた。という事は照美さんも把握していたのか。大人って酷い。

「防人一斉への義理は果たした。俺もこれ以上胸糞悪い展開はごめんだ」

「そうですか」

「そうだ。で、次はあのガキだな」

 照美さんに簡潔に言い、全知さんはセノーラフさんが腰かけているベッドに横たわる誰かを見た。セノーラフさんが避けて、あたしにもようやく見えた。

 それは白い、白い、白い――何処までも白い女の子。髪も肌も服も全部白。素顔は仮面をしていて分からない。

「一実、防人一斉が殺されている事は知っているな?」

 それは防人仁美と決着を付けたなら、という意味だろう。あたしは肯定する。

「はい。あたしの知らないところで色々やってくれたみたいですね」

「一期や真実からお前の事は任されているからな。となると、これまでの情報と合わせてお前のクローンが実在し、暗躍している事も至っているな?」

 ここまで言われれば、白い少女が誰なのかはもう言った様な物だ。

「その子がそうなんですか?」

「ああ。……こいつ等の事だけは隠したかったんだがな」

 言いつつ、全知さんは白い少女から仮面を取った。その奥にあったのは、鏡を覗いている様な錯覚に捉われるほどあたしの顔だった。

「お父様、その子が?」

 知美が聞いて、全知さんが答える。

「ああ。防人仁美に見てもらえれば一発だろうが、状況証拠がこのガキが自意識か、誰かに指示を受けたのかは分からんが、防人一斉と真っ向から戦って勝てる奴なんて一握りの実力者じゃないと不可能な芸当だからな」

「その子にそれが可能だと?」

「可能だろうな。現場で発見された髪の毛は白髪だった事とその髪の毛がどういうわけか一実の遺伝情報とピッタリ一致しやがったのが何よりの証拠だ」

 なるほど。それで天道家は防人一斉殺人事件を隠蔽したのか。

「でだ、知美。こいつから何か聞き出したか?」

「出来ました」

 そこで知美の治療が完了した。

「お母様、ありがとうございます」

「治療なら任せなさい。死なない限りは救ってあげますから」

 何とも頼もしい限りで。そんなだから『黄泉戻り』なんて言われるのだろう。

 知美は照美さんとのやり取りを終えてから質問に答えた。

「その子は、アイン、と自らを呼んでいました」

「アイン、か……ドイツ語か? 造物主はドイツ人か? で、他にあるか?」

 アインはドイツ語の『一』の読み方だからね。後は何かあったかな?

「文字列は分からないが、カバラにも登場するな」

 いきなり神話学とは。それがサラッと出てくる辺り、セノーラフさんはそっち方面に関する知識も豊富なのだろう。あたしも人の事言えた義理じゃないけど。

 でも、間違っていると嫌だから一応聞いてみる事にしよう。

「カバラと言うと、ユダヤ教の伝統に基づく創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想の事ですか?」

「そうだが、良く知っているな? 神話に興味があるのか?」

「あ、いえ。覚えただけで特別興味があるわけじゃないです」

「……日本の何処にいればカバラを覚える機会があるのだ?」

 セノーラフさんは呆れながら聞いて来た。まあもっともだけどね。

「あたし、物語を読むのが好きで時折題材とされているじゃないですか? で、どういう意味だろうと思って周りに聞いてみたんですけど、誰も知らなかったから自力で調べて覚えたんです。こう見えて無駄に知識は豊富ですよ」

「なるほど。それで順応性も高いのか」

 セノーラフさんの納得は、褒められた様な、呆れられてしまった様な判断し辛い肯定だ。でもまあ、重要なのはそこじゃない。

「カバラでアインとなると、アイン、アイン・ソフ、アイン・ソフ・オウルのアインですか。1と0……どっちでも考えられますね」

 そう言ったのは知美だ。セノーラフさんが眉根を寄せ、全知さんを見た。

「お前、娘にどういう教育しているのだ?」

「覚えておいて損は無いだろ?」

「おかげ色んな事を覚えさせられました」

「おい、娘がウンザリしているぞ」

「良いんです。役には立ちましたから」

「見ろ、セノーラフ。これが親子愛だ」

「単なるフォローで愛を語るな。親子愛という言葉に失礼だ」

「お前、その言葉が俺に対して――」

 パン!

 痺れを切らしたのか、照美さんが一度拍手をした。

「あなた、その辺にして話を進めてください」

 指摘されて気付いたのか、全知さんは一つ咳払いをした。

「とりあえずアインという名称の語源はさておき、知美、続けてくれ」

「分かりました。――アインの目的は一実を『パパ』なる人物の下へ連れて帰る事だそうです。で、『パパ』なる人物はそのためにアインを生んだそうです。――私が聞き出せたのはこれくらいです」

「意外と喋ったな。しかし、釣れて帰るとはどういう思考回路だ?」

「アイン達の中では悪い人に攫われ、良い様に使われている事になっています」

「はい?」

 あまりにも寝耳に水な話だったので素っ頓狂な反応をしてしまった。

 知美がため息をついた。

「そういう事になっているのよ。どうしてそうなのかは分からないけど」

「ふぅん。何でだろう?」

「それはね、パパがそう言っていたからだよ」

 それは唐突だった。

 その瞬間、全員が動いた。あたし、知美、全知さん、セノーラフさんが一斉に銃を抜き、銃口を白い少女――アインへと向ける。

「うわー、本当にそっくりなんだね、えへへ」

 しかし、銃を向けられた当人はあっけらかんとしている。

「その、貴女が――」

「アインだよ、お姉様。お姉様にはそう呼んで欲しいな」

「――アインのパパは何でそう言っているの?」

「詳しい事は何も。でも『知らない方が良い』と言っているから別に興味無い。アイン達はお姉様と暮らせればそれで良いからね」

 それは確実に利用されている。まあ製造目的がそれだから別に良いのか。

 全知さんが二人の会話を終わらせる様に少し大きめの声で言った。

「で、お前がパパと呼んでいる奴は何処の誰だ?」

「それは内緒。パパにも敵が多いからね。ところで、お姉様、私と一緒に帰ろうよ。それで一緒に暮らそう。その方がお姉様は絶対に幸せだから」

 突然話を振られた。

 それにしても、一体全体どういう事なのだろう。

 アインから知美が得た情報とあたしが置かれている状況は見事に合致している。アインの言い分を信じるわけじゃないし、あたしにもそんな覚えは全く無いが、色々な事を抜きにすれば、あたしは確かに誰かに利用されていると言っても良いかもしれない状況に置かれている。襲撃者に連日の様に狙われる日々――それがアインの言うところの『悪い人が利用している』と言われればそうなのかな、と思わなくも無い。まああくまでも思わなくも無い、というだけだけど。

「あのさ、アインが言うところの『悪い人』って誰なの?」

「質問しているのはこっちだよ?」

「答えてくれたら教えてくれる?」

「うん。他ならぬお姉様のお願いなら教えてあげる」

「そっか。じゃあ答えるね。返事はノーだよ」

 すると、アインは一瞬、ほんの一瞬だけこの世の終わりでも見た様な絶望的な表情をした。でも、それはすぐさま無くなり、それまで浮かべていた微笑に戻る。

「聞かせて。どうして嫌なの?」

「質問には答えたよ。次はアインの番」

 そう促したら、アインは首を横に振った。

「アインは多くを知らないよ。知っている事と言えばお姉様がアインのお姉様な事、お姉様が悪い人に攫われて良い様に使われている事、後さっきも言ったけどお姉様はアイン達と一緒に暮らした方が幸せだって事。それだけだよ」

「そう……」

 結局知れないままか。まあ分からないという事が分かっただけでも上々か。

「でさ、さっきから『達』って言っているけど、アインは一人じゃないの?」

「ああ。一人じゃない。彼女達は各所至るところで確認されている」

 そう言ったのはセノーラフさんだった。この人本当に何者?

 邪魔された事に怒ったのか、アインはセノーラフさんを睨み付けた。

「今私がお姉様と話しているの。割り込んで来ないで。ちなみにセノーラフが言った事は本当だよ、お姉様。アインは一人で皆、皆で一人。アインは皆でお姉様の妹だよ。それだけがアインの、アイン達の真実」

「? 二人は知り合いなの?」

 あたしが聞くと、

「知り合いたくも無かったけどね」

 まずアインが答え、

「知り合いたくは無かったがな」

 セノーラフさんが答えてくれた。

「真似しないでくれる?」

「真似したつもりは無い」

「……まあ良いや。で、お姉様、アインは答えたからお姉様の番だよ」

 何と言う切り替えの早さ。基本的にはあたしと同じなのか。

「他人から与えられる幸せにあたしは興味が無いからだよ」

「それは違う。お姉様は悪い人にそう思うようにされているだけだよ」

「だとしても、あたしは今のままでも十分幸せだよ。アインが自分と一緒に来た方が幸せと思っている様にね。だから、あたしはアインと行かないよ」

「……そっか」

 そう呟いた時、アインの姿が視界から消えた。音も無く、それどころかそんな兆候すら無かったのに。

 でも、それがどうしたと言うのだ。

 あたしは銃をそちらへ向け、引き金を引いた。

 銃声は二発。一発はあたし、もう一発はセノーラフさんだ。放たれた弾丸は銃口の先、誰もいない窓へと向かい、

「あぐっ……」

 窓の前に現れたアインの胴を穿った。しかし、銃弾を受けたアインは倒れず、

「……また来ます。お姉様、私はお姉様を諦めません」

 そんな捨て台詞を残し、割られた窓から逃走を図った。

 そして、静寂。

 一分ほど待ってから、あたしは警戒と緊張を解いた。

「大した腕だ。それに良く分かったな?」

 デザートイーグルを胸ポケットに仕舞いながらノーラフさんが聞いて来た。

「自分がやりそうな事くらい見当が付きます」

「なるほど。大した順応性だ」

 彼がそう言った時、医務室の扉が荒々しく開け放たれ、

「「皆様、大丈夫ですか!?」」

 転がる様に近衛姉妹が入って来た。

「俺達は大丈夫だ。それより外の片付けは終わったのか?」

「あ、はい。それと旦那様、奥様、そろそろ戻って来て欲しい、と連絡が」

 沙耶さんの言葉を聞いて、全知さんは物凄く面倒臭そうな顔をした。

「もうかよ。ったく……」

「仕方ないですよ、あなた」

「……だな。知美、後を頼む」

「分かりました。こちらはお任せ下さい」

 そんなやり取りを交わし、二人は沙耶さん先導の下、医務室を後にした。

 二人が出て行ってすぐ、知美がセノーラフさんを見て言った。

「流石ですね、凄腕のエージェントさん」

 なるほど、エージェントを生業としているのか。通りで強いわけだ。

「全知から聞いたのか?」

「ええ。そんな貴方にお願いがあります」

「彼女の護衛か?」

 セノーラフさんがあたしを一瞥して聞いた。

「俺は――」

「ちょ、ちょっと待って!」

 あたしはそこでようやく突っ込んだ。

「ちょっと待って、知美! 何勝手に話進めてんの!」

「貴女の了解を取る必要は無いわ。私が勝手に彼に依頼するだけだもの。お父様の突発的な行動にはウンザリしていたけど今回ばかりは感謝ね」

「そういうわけじゃないよ! セノーラフさんは完全に部外者じゃん!」

「そうね。私も無関係だと思ったし、巻き込む気も無かった。初めはね」

「今は違うと言うのか?」

 セノーラフさんが聞き、知美は首肯した。

「ええ、違うわ。セノーラフさん、貴方、お父様から紹介される前から一実の事を知っていた――違いますか?」

「そういう根拠は?」

「この人、貴方を見ても『オリジナル』と一言も口にしていないからよ。アイン――裏社会では『白き少女達』と呼ばれている少女達を知っているのなら、そう言わないのはおかしい。少なくとも『白き少女達』から一実に行き着いた人物はこれまで一人の例外も無く一実を『オリジナル』と呼んだ。違う?」

「知美、それも知っていたんだね?」

「私が一実の事で知らない事なんてほとんど無いわ。それで?」

「……うん。確かに皆そうだよ」

「そうよね。でも、この人は違う。それは一実が『オリジナル』である事を知っていなければ取れない行為。――違いますか、セノーラフさん」

「抜け目の無さは両親譲りか」

 それは肯定の証だった。

「如何にも。俺は確かに全知に紹介される前からカズミ=サキモリの事を知っていた。さらに言えば、別段貴女から頼まれなくても、カズミ=サキモリの事を頼む、という依頼を俺は引き受けている」

「では、私に会いに来る、というのは?」

「嘘ではない。全知には前々から言われていたからな。今後も突っ撥ねるつもりだったが、依頼のために使えると思い、失礼ながら利用させてもらった次第だ」

「依頼のため? そもそも依頼主は誰です?」

「依頼主は何処かのメルヘンチックでロマンチストだ。そいつは俺に『偶然を装え』という要望を出した。俺に依頼したのはそんなめでたい奴だ。――ともあれ、そういうわけで、依頼の件なら了解だ。相応の報酬は求めるがな」

「分かりました。その代わり、一実を全てから守り切ってください」

「了解した。泥舟に乗ったつもりで任せろ」

 何だか良く分からない内に話が進んでしまった。というか、ちょっと待て。

「あの、泥舟じゃまずい気がするんですけど」

「そうは言うがな、護衛対象――」

「一実で良いです。というか、あたしの意向は無視ですか?」

「当然だろう。俺は貴女を守る事になったが、貴女の依頼ならまだしも、俺が元々受けている依頼も、彼女から受けた依頼も一方的な物だ。天道ファミリーの言葉を借りるが、誰も彼も勝手にやっている事。まああれだな。甘受しておけ」

「そうよ、一実。私も何処の誰かは今後調べるけど、双方とも貴女の身を案じているのは一緒。保険があると便利なのと同じ理由よ」

「確かに保険はあると便利だけどさ、だからって――」

「俺の事は気にするな。乗りかかった船だ。運が無かったと諦めるさ」

「だったら、最初から乗らなければ良いじゃないですか。嫌々守られるのはそっちだってはた迷惑でしょうし、こっちだって良い迷惑です」

「だったら、こう言えば良いか? 俺は俺で関わる理由があったからだ。だから乗ったし、『白き少女達』だけならまだしも実しやかに囁かれている『オリジナル』が絡む時点で面倒事になるのは目に見えていたから気遣いは不要だ」

 関わる理由? 何だろう凄く気になる。

「『白き少女達』が仕事の邪魔だからですか?」

 知美も気になったのか、質問を投じた。

「まあそんなところだ」

 そうなのか。……ん? あれ? 何でちょっとがっかりしているんだろう。

「話がまとまったところで、カズミ、貴女に一つ提案がある。――と、その前に貴女の質問に答えなければならないな。先ほど泥舟じゃまずいとは言ったが、世の中何が起こるか分からないだろう? 流石にそんな偶発的な物からも守れる自信は無い。それ故にそう言ったわけだ」

 セノーラフさんはまとまるや、すぐに話題を変えた。関わる理由に関してはあまり突っ込まれたく無いのだろうか。詮索しないが吉か。

 それにしても大した自信である。それはつまり、逆に言えばそういう偶発的な事象から以外なら守りきれる、という自信があるのだろう。そうでなければ、こんな事は言えないはずだ。流石凄腕のエージェントさん。

「頼もしい限りですね」

「早計だな。俺は貴女の戦闘能力も計算に入れているぞ?」

「護衛対象に戦わせる気?」

 知美が鋭く言った。平然としているけどあれは絶対に怒っている。

 すると、セノーラフさんは肩を竦めた。

「貴女もそうだし、俺に初めに依頼を頼んだ奴も俺はあくまでも保険だ、と言っていた。なら、その戦闘能力を頼るのは至極当然の流れだろう?」

「それは……そうだけど……」

 自分で言った事だけに知美は言い返せないみたいだった。

「とまあ、こんな事を言われているが、カズミはどうだ? 守られたいなら守るが戦いたいのなら共に戦ってくれるとこっちは助かる」

「あたし、守られっ放しは趣味じゃありません」

「決まりだな。で、後回しにした提案だ。いい加減服を着替えないか? 服が無いのならそのままでも仕方ないが、着替えがあるなら着替えた方が良い。今宵はまだ終わりそうにないし、何より女性が何時までもそんな格好はダメだ」

 そう指摘され、あたしが結構悲惨な姿なのを思い出した。黒のゴスロリは今やかろうじて服の形を保っている程度。話をするために後回しにしていたけど、よくよく考えたら人前でこの格好はかなり恥ずかしい。

「それじゃあ着替えてくるとします。セノーラフさん、あたしがいない間、知美達の事をお願いしますね」

「逆よ、一実。セノーラフさん、一実の事をお願いします」

 知美ならそう言うと思ったが、ここは退けない。アイン達は『また来る』と言った。それはつまりここへ来るという事だ。動けるあたしは良いが、足を負傷して満足に動けない知美を残すのは不安で仕方ない。

「一人で大丈夫か?」

「ちょっと、依頼を忘れたの?」

「まさか」

 セノーラフさんはおどけた調子で言い、その後すぐ真剣な表情をした。

「しかし、貴女の要望は『カズミ=サキモリを全てから守り切る事』。それはつまり『カズミ=サキモリの世界を守る』という事と同義だ。守るとはそういう事だ。自己犠牲なんて真似は一見格好良いが、あんな物残す物にこれ以上無い自責を背負わせる事になる。一応聞くが、貴女はカズミにその様な物を背負わせたいのか? それなら望みなら俺はカズミに付いていくが」

「そんなはず無いでしょう?」

「なら、決まりだな。……で、カズミ。確認するが、一人で本当に大丈夫か?」

 セノーラフさんはあたしを真っ直ぐ見据えて尋ねて来た。

「大丈夫です。これでもそれなりに場数は踏んでいますよ?」

「そうか。なら、早く済ませてくると良い」

 やり取りを終え、あたしは医務室を後にしようとした。

「鶴来、一実に同行して」

「はい。お嬢様」

「鶴来さん、あたしは平気なんで知美の側にいてあげてください」

「分かりました、一実さん」

 多分あたしがそう言うと分かっていたのだろう。鶴来さんは知美に指示されても知美の側からあたしの方へと来る気配は無かった。

 そんな鶴来さんを知美はジト目で睨む。

「貴女、どっちの味方よ」

「私達の最優先事項はお嬢様ですので一実さんの厚意に甘えました」

 それを聞いて知美はため息を一つつき、

「分かったわ。その代わりさっさと戻って来なさい」

 やっとあたしが出て行くのを認めてくれた。

 あたしは手を振りながら医務室を後にする。

 医務室から出て、あたしは少し離れた後、助走してこの屋敷に用意されているあたしの部屋へと急いだ。あたしの我が侭で別々に暮らさせてもらっているが、何時でも迎えられる様にこの屋敷にもあたしの部屋がある。

「……ごめん、知美」

 小さく呟き、あたしは着替えを開始する。

 ボロボロのゴスロリを脱ぎ、下着とシャツとパンツとコートを取り出し、それに着替える。色は全部黒。変装というにはお粗末だが、贅沢を言っている場合ではない。夜に紛れられるだけで良しとする。

 着替えを終え、置き手紙でも残そうか――そんな思いが一瞬過ぎったが、やめておいた。今生の別れとするつもりはないし、死亡フラグは避けるべきだろう。

 準備を整え、あたしは窓から外へ出た。少しの無重力を感じ、着地。すぐさま走り出そうと思ったが、その心配は要らなかった。

「お姉様なら『こうしてくれる』と思っていました」

 待ち人――逃げたはずのアインが木陰から姿を現した。

 あたしが彼女の行動を予測出来た様に、彼女にもそれが出来るのだろう。だからこそ、この子は『また来ます』と言い、逃げる振りをして屋敷に身を潜み、あたしが来る事を待っていた。あんな風に言えば、他者を慮る事しか能の無いあたしが自分の下へ来てくれると分かっていたから。

 アインがあたしに右手を差し伸べて来た。

「さあ、行きましょう、お姉様。パパが会えるのを心待ちにしています」

 その手をあたしは握り返す。

 そして、あたし達は隠れる様に屋敷を後にした。

 アインは、あたしを『パパ』なる人物に会わせるため。

 あたしは、こんな胸糞悪い下らない事を終わらせるために。


「行かせて良かったのですか?」

 一実が出て行ってから五分ほど経過した頃、防人仁美の声が不意にした。

「……狸寝入りで盗み聞きとは悪い趣味をお持ちですね」

 私は目一杯の文句を返す。

 分かっている。一実がこれから何をしようとしているのかなんて。

 一実は何時だってそうして来た。自分が傷つく事なんて一切気にせず、いつもいつも献身的と呼べる姿勢で私を含めた周りのために行動して来た。

 そんな彼女だからこそ、アインはあんな事を言った。

 あれは、ある種の呪いだ。

 ――『また来ます。お姉様、私はお姉様を諦めません』。

 ああ言えば、一実は絶対にこの胸糞悪い下らない事を終わらせるために動く。

 諸刃の剣ではある。アインが行っている事は一実が最も嫌悪している行為だ。何か秘策があるのかも、一実を篭絡する手段があるのかもしれないが、それにしたって分は一実にあるだろう。私の想定する範囲以上の事が起きなければ。

 あれからもう優に十分。もう戻って来ても良い時間帯だ。

 それなのに、一実も鶴来も戻って来る気配が無い。

 それが意味するところは、一つしかない。

「やはり即興は厳しいな。まあ騙し切れるとは初めから思っていなかったが」

 もう一人の狸が平然と言った。私はもう一人の狸を睨み付ける。

「よくも謀ろうとしてくれたわね?」

「許せとは言わないが、依頼のためだ」

「依頼のため? じゃあ、一実に何かあったらどう責任を取るの?」

「その心配は要らない。よほどの事が無ければ彼女は帰って来る」

 それは分かっている。分かっているけど――、

「その『よほど』があったらどうする気?」

 そう、私はそれが怖いからセノーラフさんに一実の護衛を依頼したのだ。

「滅多に起こらないから『よほど』と言う。それに俺の経験上、ああいう見ていて楽しいバカは死ぬ時は死ぬが、基本的にしぶとく生き長らえる物だ」

「どんな経験よ、それ」

「そう言えるだけの経験だ。でも、本当に良く行かせたな?」

 そこで、防人仁美にも同じ質問をされている事を思い出した。

 別に言う義理は無いが、一実を知ってもらうために話す事にしよう。

「大した理由じゃないわ。単に一実がそれを望んでいる。一実は私や周りが無関係で有り続ける事を望んでいる。親友がそう望んでいるのであれば、親友としてはそれに答えるのが至極当然の事でしょう?」

「それが分かっているのに余計な世話を焼いたのか?」

「ええ、焼いたわ。……ううん、焼かずにはいられなかったのよ。だって、一実はただ与えられただけよ? それなのに持った責任から逃げず、だからと言って無闇やたらに使う事もせず、理不尽な運命からの逃避も内的要因だったなら逃げなかった。そればかりか他人を思いやれる余裕なんて無いのに、その力故に周りを思いやるの。……こんな事を平然とされて、周りが何の恩義も感じず、その恩義を甘受すると思う? 少なくとも、私は、私達天道家はそうだったわ」

 一実は、防人一実という少女は、そういう少女なのだ。

 だから、誰も彼も一実を悪く言わない。それが周りを思っての事だから。無関係で有り続ける事が大切に思われている自分達に対して防人一実という少女が望んでいる唯一の事だから。それだけを防人一実はただただ望んでいるから。

 だからこそ、周りは『無関係な自分』を演じる。防人一実にはそう望まれているが、欠片の良心でも持っているならただただ出来るからやっている、やらされていると傍目からには思えてしまう――その姿を見ているのが辛いから。

 防人一実は、自分のために皆を守っている。

 皆は、一実のために無関係と偽りながら一実を影ながら守っている。

 この場所は、一実の周りは、そういう関係性で成り立っている。

「そういう理屈か。これで疑問が一つ氷解した」

「疑問と言うと?」

「街中で銃撃戦が起きているのに誰も彼も騒がないのはどういう事だ、という普通ならば当然起こり得るはずの騒動がこの場所では起こっていないからな」

「そんな事無いですよ。これでも時間はかかった方です」

 鶴来の言葉は正しい。確かにこうなるまでには時間がかかった。

「では、天道家が?」

「違うわ。そんな無粋な真似はしないわよ」

 防人仁美の疑問に私は即答した。確かにそうした方が早い。私達の力があれば一実は余計な気を回す心配は無かった。それで心をすり減らす事は無かった。

 でも、それはダメだ。そんな事をすれば聡い一実は違和感に気付いてしまう。

「時間が出来たらネットで『飛鳥市 都市伝説 少女』の三つのキーワードで検索してみれば、一実が如何に良くやっているか分かるわ」

「大した配慮だが、どっちも道化だな。……なるほど。アインが言っていた『悪い人達に利用されている』というのもあながち間違いではないな」

「そうですね。人は恐怖を隣人に置く事が出来ませんから」

 やはり気付いたか。この状況が純粋な思いやりだけで構成されていない事を。

 言い方は悪いが、一般人から見た一実は理性的な怪物だ。大小関わらず、それが荒事で何であれ、一実がやろうと思って成功しなかった事は一度も無い。

 なら、それが自分達に働いてしまったら?

 そういう思いもこの状況を作り出す要素であるのは明確で明白な事実だ。

 味方だと心強いが、敵に回すと恐ろしい。

 だから、誰も彼も飼い慣らすために振る舞っている。

 神に触れなければ、祟りなど起こり様が無いのと同じ理屈だ。

 そういう意味では、セノーラフさんの言う通り、私達は『悪い人』であり、一実を守るだの何だの言っておきながら、その実体の良い理由で利用しているだけかもしれない。傘の如く、避雷針の如く、防波堤の如く、相手にならない面倒事を一手に引き受けさせているだけかもしれない。

「そうね。でも、それだけじゃないわよ」

 認めよう。そういう考えがある事も。

 だけど、それだけじゃない。

 誰も彼も一人で傷ついてくれる女の子を放っておけるほど冷血じゃない。

 他の事にも二面性がある様に、この事にも二面性があるのだ。

「ところで、貴方こそ良かったの? 頼まれているのでしょう?」

 私は話題を変え、セノーラフさんに話を尋ねた。

 すると彼は、苦笑とも微笑とも取れる笑みを浮かべた。

「心配はしているが、多分大丈夫だろう。試練という物はどんな形であれ、前に進もうとする者の前にしか訪れない。それにさっきも言ったがああいう見ていて気持ちが良いバカは割としぶとく生き残ると相場が決まっている」

「私の親友をバカ呼ばわりしないで。それをして良いのは私だけよ」

「事実は事実だ。……しかしまあ、貴女は独占欲が強いな。先ほどのゼンチへの態度と言い、今と言い何が貴女をそこまでさせるのやら」

「あー、それは私も思っていました」

 両サイドから責められる私。

 私はしれっと答える。

「当然じゃない。私はそれほど一実を愛しているのだから」

 自分でもおかしいとは思う。同性が同性を好きになるのはおかしいと思う。

 だけれども、私にとって防人一実という少女はそういう存在なのだ。

 初めは単に気になっていただけだ。自分と同じだったから。立場や形は違うけど、一実と私は同じだ。親によって色々持たされた状態で生まれた幸運な子。そんな子がいると知った時は単に会いたいと思ったし、話したいと思った。

 でも、それは叶わない。一実がそれを望まなかったから。

 否、一実は望めず、求めなかった。一実が持っていた物は一実の両手には、その小さな身にはあまる代物だった。一実は恐らく子供心に理解していたのだろう。自分が持つ者の強大さを。だから何も望まず、何も求めない。それで誰かを傷つけたくないから。それで誰かに悲しい顔をさせたくなかったから。

 その次は憧れた。彼女の強さに私は一目惚れした。私にはそれほどまでに衝撃的だった。そんな余裕なんて無いはずなのに、そんな遠慮なんてしなくても良いはずなのに、それでも彼女は何一つ望まず、求めず、それでいて自分が持った物からも目を反らす事無く向き合い、謂れ無き責任を背負っていた。その危うい強さに私は強く憧れ、だからこそ彼女みたいな人間になろうと思った。

 気が付けば、それは愛情に変わっていた。望んで良いはずなのに、求めても良いはずなのに、持たされた荷物で両手は塞がり、それ故に差し出す手もなく、差し伸べる手も無い。そんなの酷過ぎる。そんなの悲し過ぎる。何で一実が、どうして一実ばっかりと思わなかった日は一度も無い。

 だから、私は決めたのだ。こっちから近づき、勝手に荷物を持ってあげようと。

 これは既に私の中の決定事項で、この先何が起ころうとも変える気は無い。

「……ええ、そうよ。私は一実が好き。大好きよ。私にとっての最優先事項は一実なの。一実が側にいてくれるなら、私は何も要らない。正直に言えば、一実にはずっと側にいて欲しいわ。運命? 責任? 知らないわよそんなの。勝手に与えておいて何様のつもり? 一実は道具じゃないのよ? 操り人形じゃないのよ? 神、或いは運命と呼べるそれは、一実を才能という鎖で縛り、奴隷同然に扱っているのよ? そんなのって有り? そんなの許せるはずないじゃない」

「大した独占欲だ」

「でも、それなら尚更どうして?」

 そう言われるとは思った。まあ理解され様とは思っていないから別に良い。

「言ったでしょう? 私にとっての最優先事項は防人一実だと。私は一実のためなら何でもしてあげる所存よ。一実が一緒に堕ちて欲しいと望むなら何処までも堕ちてあげるし、逆に何かを成し遂げたいと相談して来てくれたのなら、そのために全身全霊を賭して協力する。そういう嬉しい誘いは未だに無いけど、それでも一実は私に『防人一実が望み、思う天道知美でいて欲しい』という事を望んでいる。なら、それを望まれた私がここで一実を追わず、一実を信じ、一実の無事を願い、一実が『日常』と定義しているこっち側で待つのが当然でしょう?」

「……なるほど。見上げた覚悟だ」

「こういう場合、呆れて物が言えない、と言うべきでは無いでしょうか?」

「呆れてくれて大いに結構よ。これは私達の問題だもの」

 妙に語ってしまった。話題を変える事にしよう。

「ところで、貴女、これからどうするつもり?」

 私は防人仁美に話題を振った。

「とりあえず、死ねなくなりました」

 いきなり物騒な物言いだ。

「どういう事?」

「一実は天邪鬼だ、という話です」

「それは知っているわ。それが一実なりの優しさだもの」

 防人仁美と一緒に帰って来た時点でそれは分かっている。あの天邪鬼はこれまで通り、例によって例の如くその持たされた力を以って、何だかんだ言いながら防人仁美を救い、改心させたのだろう。他の襲撃者達にもそうして来た様に。

「そうですね。……少し長くなりますよ?」

「別に良いわ。一実が帰って来るまでの暇潰しに聞いただけだし」

「貴女は酷い人ですね」

「安心して。自覚はあるから」

「ふふふ。そうですか。それは安心しました」

 防人仁美は楽しげに笑い、セノーラフさんを見た。

「そちらの方への説明はした方がよろしいですか?」

「いや不要だ」

 セノーラフさんが即答する。

「よろしいので?」

「ああ。話の雰囲気から既に終わっている事が理解出来る。気にならないと言えば嘘になるが、終わった事を根掘り葉掘り聞くなどという無粋な真似をする趣味は持ち合わせていないからな」

「そうですか。では、こちらはこちらで始めます」

「そうしてくれ。俺はBGM代わりにでもしている」

 そんなやり取りを終え、防人仁美は私を見た。

「では、始めます。もっともそこまで長い話ではありません。結論から言えば、私は一実にこっ酷く叱られ、自分の愚かさに気付かされました。あの子の勇敢なる思の前に私は完敗したのです」

 流石私の一実だ。ちゃんと勝ってくれていたらしい。

「となると、防人家に対する恨みは?」

「恨みはまだ残っています。私の誤解であり、仕方が無かった事だったとしてもあの人が私にした数々の事は、今はまだ許せそうにありません」

「今は、という事は今後許していこうと思っているのね?」

「ええ。そうしようと努力します」

 良い心がけだ。その方が健康的だし、建設的で良いだろう。

「そう。……その様子だとかなりこっ酷く言われた様ね?」

 あの子はそこら辺容赦が無い。私もちょっとした事で説教された事があるけど、いやはや、普段温厚な人というのはそのギャップからか怒ると本当に恐い。あの恐さはお母様と同レベルだ。触らぬ神に祟り無しとはまさにあの事だ。

「はい。それはもう酷い物でした」

 防人仁美は『ズーン』という擬音が似合う陰鬱な表情をした。

 詮索は敢えてしないで置こう。別段虎子を得たいわけではない。

「で、死ねなくなった、というのは?」

「完敗した私は罪を死で償おうとしました」

「止められたでしょ?」

「はい。おかげで――」

 防人仁美さんは立てかけてあった長刀を抜いた。抜き放たれた長刀は半分ほど見えたところで半円形な傷を残し、そこから先がなくなっていた。

「――私の相棒はこの通りです」

「残りは?」

「一実によって欠片と化しました。惚れ惚れする射撃でした」

「ふぅん。それで?」

「『そんな安易な事させないよ。そんな事をして浮かばれると思ってんの? そんなわけ無いじゃん。償いたいなら生き恥晒して、天寿を全うしなきゃダメ。それが今の貴女が出来る防人一斉への唯一の恩返しだよ』と説教されました。それに約束しましたから。負けたら一実の都合で生きる、と」

 流石一実だ。惚れ惚れするヒーローさ加減だ。

 私がそんな事を思ったまさにその時だった。

 不意にセノーラフさんが口を開き、

「――ブレイブハーツか。なるほど、的確だ」

 そんな事を言ったのだ。

 私は反射的に聞いた。

「どうして、貴方がその言葉を知っているの?」

 それは限られた人物しか知らない言葉だ。幾ら一実の事を一実に出会う前から知っていたとは言え、そこまで知っているはずがない。その情報は天道家によって厳重に管理されている情報だ。お父様も喋るはずがない。幾らお父様が誰も彼も家族と思っているとしても、言って良い事と悪い事の分別は付いている。それなのにどうしてこの人はその言葉を知っているのだろう。

「カズミをそう呼ぶ奴がいる、と依頼主から聞いた」

「……ひょっとして、貴方はダアト=セラフィーの仲介でここへ?」

「ほう。流石は時期天道家当主。あいつの事を知っているのか」

「誰です?」

 防人仁美は知らない様だった。無理も無い。あの最高峰の仲介人にして依頼成功率九割八分を誇る何でも屋『ホープメイカー』の店主を知っている人なんてこの世界に数えるほどしかいないだろうから。

「何でも屋を営んでいる店主よ」

「人助けが趣味みたいな奴だ」

「変わった人ですね。と、話の腰を折ってすみません」

「別に良いわ。大した事じゃないし」

「いや、大した事あるだろう」

 誤魔化そうと思ったが、凄腕のエージェントは誤魔化し切れなかった。

「貴女の反応を見るに、貴女は俺がその言葉を知っている事に驚いた。しかも普通は何かの名称と受け取るだろうに、貴女は『言葉』と受け取ったからな」

 セノーラフさんは、私を射抜く様な視線が私を見つめて来る。

「『ブレイブハーツ』……和訳は『勇敢な心』と言ったところでしょうか? 一実にはピッタリの名称ですね。それでどういう事なのですか?」

 防人仁美にもせがまれた。

 仕方ない。自爆だが一実に関わってくれるなら話しておくのも悪くない。

「その言葉は、提供者の身内から渡されたメモに書かれていた言葉なのよ」

「提供者の身内から? どういう事だ?」

 ダアトに一実の事を相談した誰かは一実が世間一般で言うところの『真っ当な生活』を送れていたわけじゃない事を知らないのか。それともプライバシーに関わる事だから敢えて伏せたのか。ともあれ、後回しだ。でも、釘は刺しておこう。

「他言無用を約束してくれますか?」

「他人の秘密を言い触らす機会など早々無いと思うが?」

「分かりました。では、お話します」

 それを肯定の意思と受け取り、私はセノーラフさんに一実の秘密を話した。

「一実は生まれつき心臓に原因不明の欠陥を抱えていました」

「原因不明の欠陥……なるほど。提供者とは臓器提供者か」

 セノーラフさんは合点した様に言い、

「時に、その欠陥とやらはどういう風に欠陥と判別したんだ?」

 その部分を言及して来た。当然の疑問だ。病気ではなく欠陥なのだから。

「一実の心臓は調べた範囲では『異常無し』という診断でした。しかし、それにも関わらず一実の心臓は何の前触れも無く心停止する事があったのです。原因は終ぞ分からず、根本的な解決方法にて解決しました」

「そういう事か。……それにしても天道ファミリーはカズミに甘いな」

「そうですね。本来、提供する側とされる側の接触は許されていないのに」

「そんなの言われなくても分かっているわ。でも、ないがしろにするわけでもなく、向こうが望んだのはメッセージを渡す事だけだったから特例として一度だけ黙認したの。もちろんちゃんと検閲は行ったけどね」

「それであの質問に繋がるわけか。……ところで、その人物は?」

「外野住人《そとのすみひと》という名の日本人男性よ」

「日本人――あの子は幸運でしたね」

 防人仁美が遠い目をして呟いた。

 私もその意見には同感だ。本当に幸運だった。両手を広げて喜べんで良い事ではないが、その人の身内のおかげで一実は生き長らえる事が出来たのだから。

「――縁も酣というわけか。空気が読めるのか読めないのか」

 唐突にセノーラフさんが会話を締め括った。

 その理由は問うまでもなく、誰かと質す必要も無い。

「有言実行、というわけか」

「それもありますが、私を殺しに来た、という理由もあります。一実に酷い事をしたこの私が許せないのでしょう。父もそれが理由で殺されましたから」

「単純な理由だけど動機には十分ね。愛で人を殺せるからね」

「憎しみは人を救わないがな。それはそれとして貴女も気をつけろよ?」

「そこでどうして私に振るのよ?」

「あの独占欲を披露して置いて良く言えますね」

「お嬢様は平気で監禁したいだの、首輪をつけたいだの言いますからね」

 誰も彼も言いたい放題だ。まあ否定出来ないけど。

 私は防人仁美に一応聞いた。

「死ぬ気はある?」

「ありません。一実と約束しちゃいましたから」

 そう言い、防人仁美は欠けた長刀を抜いた。

 私もベッドから降り、自分の得物を手に取る。

「加勢は結構だが、その様で戦えるのか?」

 私は足を、防人仁美は一実と戦った際の傷が癒え切っていない。セノーラフさんが質問してくるのは当然だ。でも、戦えないというわけではない。

「守られっ放しは嫌いなのよ」

「生き恥を晒せと言われましたので」

「そうか。では聞く。彼女達はどうする?」

 切り替えが早い人だ。

「出来る限り殺さないで。彼女達に罪は無いわ」

「無茶な要望だな」

「無茶な要望ですね」

 しかし、二人は不敵に微笑み、その後にこう続けた。

「だがまあ、頼まれたからな。期待に沿うとしよう」

「これを最初の一歩とさせて頂きます」

 そう言ってくれると思っていた。

「では、始めるか。カズミが帰って来るまでに終わらせる必要があるからな」

 それを読んだわけではないだろうけど――、

 セノーラフさんの言葉を皮切りに、私達の戦いの火蓋が切って落とされた。

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