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第四章 達人遊戯

「よお、セノーラフ! 本当に久しぶりだな!」

「セノーラフさん、こっちですよー」

 日本に到着し、案内された場所で、見慣れた顔が俺を出迎えてくれた。

 灰色のスーツを着た野性味溢れた男と白衣を身に纏った物静かな女医――世界中にその名を轟かせる天道グループを統べる天道全知《てんどうぜんち》とその妻である照美《てるみ》だ。

「……お前ら、良く抜け出せたな? 忙殺されていると聞いているが?」

 天道全知は言うまでも無いが、その妻である照美は世界的に有名な女医の一人であり、若くして病院の院長を務めている。それ故二人は時間の大半を職務に費やしており、基本的に余暇という物は無いに等しいはずである。

「それは事実だが、まあ一日中、一年中働いているわけじゃねぇって」

「その代わり、休みたい時に休ませてもらえるようにしています。まあもっとも私の場合は急患が出た場合はすぐに戻る事を約束していますけどね」

「そうか。俺とは大違いだな」

「お前は今までが働きっ放しだから良いんだよ。まあ立ち話も何だ。とりあえず乗ってくれ。積もる話は屋敷に着いてからだ」

 そう言って全知は停止しているヘリへと乗り込んだ。照美もその後に続く。流石は天道家。ヘリをタクシー代わりに使うとは恐れ入る。全くどういう金銭感覚しているのやら。凡人な俺には到底理解出来そうに無い。

 俺も後を追って乗り込むと、全知がヘッドセットを放って来た。二人は既に準備完了何時でも離陸して大丈夫、という状態だ。俺も早く着けるとしよう。

「出してくれ」

 全知の合図により、俺達を乗せたヘリは離陸し、天道の屋敷へと漆黒の空を飛んだ。空の旅が思った矢先にこれだ。金持ちのやる事は凄まじい。

「ところで、親子水入らずなのではないのか?」

 ふと気になったので聞いてみた。全知が子煩悩である事は知っているし、家族の時間を重んじている事も知っているが、それでもままならない事は多いはずだ。理由にされるのは別に構わないが、俺としては少々気が引ける。

「そうだが、こういう事でも無いと最近は難しくてな」

「と言うと?」

「それがな、彼是俺達の娘も十八歳。昔は周りも無理を聞いてくれたが、手が離れた今となっちゃ周りもこういう事でも無ければ俺も照美も持ち場を離れさせてくれねぇんだ。だからまあ、お前には感謝している」

「なら、俺は邪魔だろう?」

「気にするな。こっちは理由にさせてもらっているからな」

「やはりそうか。お前はお前で大変だな」

「そうだが、まあ好きでやっている事だからな」

「なるほど」

「セノーラフさんはあれからどうです? 元気でやっていましたか?」

 照美に話題を振られた。

「見ての通りだ。お前らとは違い、自由気ままな物さ」

「それは何よりです。……話は変わりますが、セノーラフさんは『白き少女達』という仮面をつけた少女達をご存知ですか?」

 奇遇にもタイムリーだ。

「やめろ、照美」

 俺が口を開こうとした時、高圧的な全知の言葉が全員の耳に聞こえる。

「でも……」

「でも、は無しだ。……悪いな、セノーラフ。休暇なのに仕事を思い出させて」

「いや、構わない。で、どういう事情だ?」

「何でもねぇ。気にするな」

「聞くだけだ。気になって休暇も楽しめん」

「すみません……」

 照美が申し訳無さそうに謝って来た。

「気にしないでくれ。あくまでも聞くだけだからな。それで――と、その前に質問に答えなければな。そう呼ばれている少女達の事なら知っている」

「……やはり知っているか。結構有名なのか?」

 やれやれ、と言った調子で全知が言った。

「裏社会でその名を知らない者はいないだろうさ」

「それほどまでですか……」

「面倒な事に優秀だからな。で、どうしてそんな事を?」

「小耳に挟み、ちょっと気になったのです。それともう一つ。確証が取れなかったので半信半疑なのですが、その少女達は全く同じ顔をしているそうですが、実際のところはどうなのですか?」

 流石は天道家。裏社会の情報まで掌握しているか。

「そういう話は聞き、また飛び交っているが、誰も裏付けを取った者はいない。いるとすればそれはそんなふざけた事を行っている首謀者だろうな」

 すっ呆けてみたが、さてどう来る?

「そうですか。教えてくれてありがとうございます」

 引いたか。俺の言葉を信じたのか、それともこれ以上の情報は得られない、と踏んだのか。恐らく後者だろうな。照美は全知が認めた女性だ。その慧眼さは全知の妻に相応しいと聞く。全く末恐ろしい夫婦である。

「俺も聞いて良いか?」

「構いません。何でしょうか?」

「あくまで仮定の話だが、同じ顔という事はその少女達は明らかに倫理を無視した方法にて人為的に作られた存在だと思われる。で、そういう事を考える輩がいたとして、ある特定の子供を量産するというのは技術的に可能なのか?」

「そうですね……」

 照美は顎に手を当て、しばらく黙考した。

 やがて、その口は開かれる。

「それ相応の資金は必要となりますが、それがあれば可能です」

 やはり可能なのか。医学を専攻していない俺は知識として知っているから半信半疑だったが、今や世界的な名医である照美が言うならば、あの少女達は冗談抜きでそういうバカな考えをした奴が作り出した、作られた命なのだろう。

「なるほど。ところで、その話は何処で聞いたのだ?」

「ある患者を治療した際に聞き、それでそのような不憫な少女達がいる事を知りました。もっとも知れたのはそこまでであり、行動を起こしたくとも現段階の状況では手も足も出せない状態なので停滞しています」

 流石世界的な名医。恐らく彼女達をやり合った誰かが照美によって救われ、そこまでの怪我を負った理由を質された際に話したのだろう。そうして、二人は知ったのだろう。倫理を無視して作られ、それだけならまだしもただただ戦うという目的のために作られた生命がある事を。

「話は変わるが、お前、俺の娘に会った後はどうする?」

 酣と踏んでか、全知が話題を変えた。

 切り替えが早く、照美が呆れた様な、困った様な顔をする。

「あなた、またですか?」

「またとは何だ。親が娘の自慢をして何が悪い」

「もう何時までも子供なんだから……ごめんなさいね、セノーラフさん。この人の我が侭に付き合ってもらって」

「構わないさ。それより、また、というのは?」

「この人、この通りでしょう? だから何かある度に知美――私達の娘の事をお披露目するんです。付き合わされる身にもなれ、と知美にも言われているのに」

「呆れた父親だな」

「ほっとけ。お前も家庭を持てば分かる。結構良いもんだぜ?」

「お前達を見ているとそれもまんざらじゃないとは思うが……俺は止めておく。俺と結ばれて喜ぶ異性なんぞ何処にもいないだろうからな」

「お前が守りきれば良いだけの話だ。少なくとも俺はそうしているぜ?」

「……悪いな。その自信が俺には無いよ」

「相変わらず慎重な奴だな」

「臆病で弱虫なだけだ」

「全く、強いのか弱いのか分からない台詞を吐きやがる」

「阿呆。弱虫だ、と言っただろうが」

「阿呆はお前だ。本当に弱虫な奴はそういう事言わないんだぜ?」

「全くもう、どっちも減らない口ですね」

 照美の呟きで、俺達はどちらからともなく黙った。

 俺達を乗せたヘリは、尚も天道の屋敷へと向かっていく。


「そういえば、今日はお父様とお母様が帰って来るのよ」

 夕食を食べ終えた後、知美が何となしにそんな事を言った。

「へー、珍しいね。何かあったの?」

「いつものアレよ」

「あー、うん。大体分かった」

 あたしの両親も負けていなかったけど、全知さんの子煩悩っぷりも凄い。何せ、大衆面前で『俺は妻と娘が大好きだ』などと声高に宣言したほどだ。その他にも色々な逸話がある。表向きは『未来ある子供のため』なんて言っているけど、知美のために本家があるここ飛鳥市をそれはもう好き放題弄くった。新しい学校は建てるし、健やかなる暮らしのためにと病院まで立ち上げ、さらにはテーマパークまで作る始末。田舎だった栃木県も今は昔の話。全知さんが色々やった今となってはもう都市と言っても過言じゃないくらい開発が施されているからね。

 で、そんな子煩悩おじちゃんは、自慢の娘である知美を事ある事に披露するのだ。それに巻き込まれる知美としてははた迷惑極まり無く、一応文句は言ってみたそうだが、『親が子を愛して何が悪い』と即座に切り返され、以来行動の改善を諦めたそうだ。

 でもまあ、あたしは良いお父さんだと思っている。幼児虐待や親殺し、子殺しという悲しい事件が頻繁に起こっている昨今、これだけ愛し愛されている親子というのは中々いないだろうし、それだけで凄く良い事だろう。

「そっか。じゃああたしはお暇するね」

「何でそうなるのよ」

「家族水入らずを邪魔しちゃ悪いし」

「その家族が何を言っているの、と言っているのよ」

「義理だけどね」

「義理でも家族は家族よ。良いからいなさい」

「ううん、帰る。それにあたしはお邪魔だろうし」

「何でそうなるのよ」

「だって、いつものアレでしょ? なら、あたしは別にいてもいなくても何かが変わるわけじゃないじゃん? それにまあ、あたしはつまんないし」

「適当に挨拶したら私だって引くわよ」

「いやいや、お客さん相手にそれはまずいでしょ。何処の誰か知らないけどさ」

「お父様の客人だから平気よ。要らない気を回さないの」

 うーん、今日の知美は強引だ。まあいつも強引だけど。

 さて、どうしたものか。

 あたしにとって、夜は特別な時間だったりする。

 理由は分からないが、あたしは人間、異形問わず色んな奴から命を狙われている。異形の方はあたしが破邪を生業として来た防人の人間だから分かるが、人間の方は知らない。国籍も所属もバラバラ。情報収集が出来ないわけではないが、騒ぎを大きくしないためか、あたしのバックに天道家がいる事を知っているのかは知らないけど、人間の方の襲撃者達はあたしに用があり、他は眼中に無い様なので放って置いている。降りかかる火の粉を払うだけで手一杯なのもあるけど、一番の理由は下らないからだ。やったらやり返してなんて不毛過ぎる。向こうには戦う理由があるみたいだけど、こっちにはなく、向こうの流儀にこっちが従う義理も無い。だから攻勢に出る気は無い。

 いや、無かった、と言うべきか。

 あたしだけならまだ良い。あたしはあたしの事なら耐えられる。

 でも、あたしはあたし以外の事には耐えられない。

 それを侵した人がいる。その人は殺意を明言し、堂々と犯行を予告した。

 ――『新月の晩は気を付ける事です』

 あたしの叔母であり、パパの妹である防人仁美。

 その実、あたしは知美が来客に対応していた時の話を盗み聞きしていた。

 そこであたしは二つの事実を知った。

 一つは、知美があたしの秘密を知りながらも黙っていてくれた事。

 二つは、防人一斉が他界している事。

 前者は隠し通せない事は始めから分かっていたから良い。あたしも知美も大した偽善使いだった、というだけの話だ。それはこれからもきっと変わらない。

 少なからず驚いたのは、二つ目だ。しかも自害。

 それを聞いた時、あたしは有り得ない、と思った。八代目当主であり、パパのパパであるあの人はもう還暦近い年齢だったが、腕は非常に立つし、何より物事に対して厳しい人だ。その人が責任放棄の自害なんてまず有り得ない、と思った。

 それに、それを聞いた時、あたしの中に流れる防人の血が囁いた。

 ――防人仁美は、邪な存在である、と。

 疑問と直感を頼りに、あたしはその真偽を確かめるべく、盗聴器を仕掛けて鶴来さんが待つ部屋へと戻り、鶴来さんにノートパソコンを用意してもらい、知美と防人仁美の話を作業用BGMに調査を開始した。

 あたしには、加減すれば人に自慢出来る特技が幾つかある。

 それは防人の血がもたらす霊能力、パパ直伝の護身術、ママ直伝の情報処理技能の三つだ。この内、二つ目と三つ目は一般家庭で子が親から何かを習うノリで教えてもらった。幼き日のあたしは入院生活を強いられ、学校も満足に通えなかったので時間が有り余り、退屈を持て余していた。そんなあたしのためにパパとママは暇潰しのために本やら漫画やらを買ってくれもしたが、それと同じ理由で自分達が有する技能を教えてくれたのだ。

 調べた結果、あたしは知るには遅過ぎた事実を知る事となった。

 まず防人仁美の過去。ついで防人一斉が殺された事。それらを知った時、あたしの中にあったある疑問が解消され、同時にほんの少し自責の念に駆られた。

 結果、あたしは知るには遅過ぎた事のツケを支払わされる事になった。

 あたしが動いたところで、この結果は変わらなかったかもしれない。

 だけど、変わったかもしれない、という可能性があるのだ。

 誰もが不器用で、それ故に当事者は気付けず、一歩離れ、少し視点を変えて考えてみれば誰もが行き着ける悲し過ぎるすれ違い。

 それを、あたしは食い止める事が出来たかもしれなかった。例え、精神的に参っていたから、という理由があったとしてもその可能性がある事は動かない。

 そのツケを支払うために、あたしは動かないといけない。

 ――これ以上、防人仁美に下らない事をさせないために。

「そういうわけじゃないよ。本当に退屈なだけだってば」

「だったら、私の部屋で待っていれば済む話でしょう?」

「いやー、それは無理。何と言うかあたしが嫌。こう気持ち的にさ。それに」

 あたしは窓から夜空を見た。

「今日は星が良く見えるから。夜の散歩と洒落込みたいのです」

 これで多分あたしの意図は知美に伝わったはずだ。

 知美を盗み見れば、合点が行った様な表情をし、

「――じゃあ、指切りしなさい」

 そう言って、知美は右手を指切りするために肩の高さまで挙げた。

「良いよ。どんな約束事?」

「必ずちゃんと帰って来る事。どんな事があっても何が起きても」

 全く、空気が読める友人を持ってあたしは本当に幸せ者だよ。

 あたしは知美の小指に自分の右手の小指を絡めた。

「「ゆーびきりげんまーん、うそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった!!」」

 指切りを交わし、あたしは屋敷の外へと向かった。

「一実さん、これでよろしかったでしょうか?」

 外へ出ると、鶴来さんが頼んでいた者をあたしの家から持ってきてくれた。

 それは、一振りの刀と二挺のベレッタM92FS。いずれもパパが愛用していた代物だ。

「ありがとうございます、鶴来さん」

「いえいえ。このくらい朝飯前です」

 あたしは鶴来さんからそれらを受け取り、銃を腰に回したホルスターへ仕舞い、鞘に納まったままの刀を右手で受け取る。

「一実さん、気をつけて行ってらっしゃいませ」

「了解です。それじゃあちょっと行ってきます」

 そう言い、あたしは助走してから一気に駆け出し、屋敷を離れた。

 それに伴い、付いてくる気配が一つ。

「やっぱりね」

 小さく呟き、あたしは人気の無い場所を目指した。


「……行かせてしまってよろしかったのですか?」

「仕方ないでしょ? 一実がそう決めたのだから」

 鶴来はどうしたのだろうか、そう沙耶に聞こうとした矢先だった。

「近衛鶴来、只今戻りましたー」

 何処へ行っていたのか――問うまでも無い。一実に色々な事を頼まれ、それを行っていたのだろう。

 でもまあ、それはそれとして、少し鬱憤を晴らしておくとしよう。

「鶴来、貴女向こう三ヵ月減俸するからそのつもりで」

「そ、そんな殺生な! 何故ですか、お嬢様!?」

「自分の胸に手を当ててみなさい。後殺生って。眠る場所に三食の食事、果ては着る物までこちらで揃えるのに殺生も何も無いでしょう」

「むー、キレが悪いです、お嬢様。そんなに心配ならもういっそ一実さんに首輪でもつけるなり、監禁でもするなり、奴隷にするなりしてずっと側にいる様にしたら良いじゃないですか。そのくらい心配しているんでしょう?」

「鶴来、流石にそれはやり過ぎですよ。せめて首輪付近で止めておきなさい」

「首輪もしないわよ。似合うとは思うけど」

「お嬢様、本音が漏れています」

「まあお嬢様の意見には賛成ですけどねー」

「鶴来、二ヵ月に短縮してあげる」

「やったー! お嬢様、愛しています!」

「そ、ありがとう。それで、鶴来。外はどんな感じだった?」

 お父様や一実には及ばないものの、私も武芸者の端くれであり、相手の気配を感知したり、探したりするくらいの事は出来る。それは近衛姉妹も同じだ。

 それ故に分かっている。殺気立った物がその辺に潜んでいる事を。

「一実さんを追ったのは一人です。恐らく防人仁美だと思われます。あの人、あれで殺気を隠しているつもりなんですかね? バレバレですよ?」

「仕方ないわ。防人仁美はああなるべくしてなってしまったのだから」

 そう、仕方ない。あの人の過去を知るとそういう気持ちも芽生えてくる。

「不用品、ですからね」

 沙耶がポツリと言った。

 防人仁美は、一実のお父さんである防人一期とは違い、破邪としての才能も高くなく、それ故に物心付く前に遠縁の家に預けられた。それで終わりなら良かったのだが、一期さんの駆け落ち騒動により、白羽の矢が立った事で防人仁美の人生は実家によって完膚無きまでに破壊し尽くされた。一方的な都合で実の親からの愛情を受けずに育ち、一方的な都合で呼び戻され、それまでの生活に終止符を打ち、挙句低い才能を向上させるために肉体改造まで行われ、防人の当主となるための教育を強制的に受けさせられていたのだ。その際行われた事は筆舌に尽くし難い、大義のためとは言えそこまでしなくてはいけないのか、と思える痛烈極まりない内容だった。あまりの鬼畜さに目を通した時は吐き気を催したほどだ。

 それは一面の事実であり、絶対に覆らない。

「そうね。だからまあ、実の娘に殺されても致し方無いのよね」

 防人仁美が帰った後、『防人一斉が自害した』という証言の裏を取るべく、着替える際にちょっと調べてみた。

 そして出て来たのが、防人一斉は殺された、という事実だ。

 犯人は見つかっていないそうだが、遺体となって発見された防人一斉の体はバラバラであり、犯行動機が怨恨なのは間違いない、と見られ捜査が行われた。

 第一発見者は防人仁美。警察へ報告したのも彼女だ。

 ちょろまかした捜査資料の一つに現場の写真があったのだが、その猟奇さと言ったら惨殺空間だ。一体何がどうなればこうなるのか、というほど防人家の本家は地獄絵図だった。あれを見ると大抵のスプラッタが可愛く見えてくる。

 しかし、警察は防人仁美を『白』と見なした。

 動機はあるし、防人仁美も防人一斉への殺意を認めている。

 だけれども、警察は別の人物を『黒』と見なした。

「それにしても、あの女も酷いわね。まさか一実を犯人に仕立て上げるとはね」

 捜査線上に上がった防人仁美より疑わしき人物――それが一実だ。

 だが、一実には完全なアリバイがある。犯行が行われたのは葬儀の場から防人一斉と防人仁美が退場してから二時間後。その時一実は私達天道家と一緒にいた。

「ですが、お嬢様。一実さんが疑わしいのも事実です」

 鶴来の言葉は正しい。一実にも動機があり、実際防人仁美の証言に従って一実にではなく我が天道家に警察から連絡があった。応対したのはお父様。警察にも知り合いが多いお父様だが、寝耳に水な話であり、何より一実には動機はあるが私達の目があった、という完璧なアリバイがある。

 では、防人仁美が――という事になるのかと言うと、そうでもない。捜査資料によれば、防人仁美が父の悲鳴を聞いて駆けつけた際に防人一斉は変わり果てた姿で自室にていたそうだ。

 警察もバカじゃない。警察は防人仁美もきっちり疑い、しっかり調べている。だが動機はあるが、証拠は挙がらず、防人仁美は『白』となった。一実に関しては言うまでも無く『白』。でも、一実の場合は物理的に不可能でも証拠はどういうわけか一実がやった事を証明しているのだ。

 現場には髪の毛が残っていた。それが一実の遺伝情報と完全に一致したのだ。

 この事件は天道家と防人家の双方が利害の一致の下、表沙汰にならない様に勤めた。天道家としては潔癖な一実を犯人にしないため、防人家は防人仁美が『仇は自分で取りたい』という願いから。元より証拠不十分であり、警察は防人仁美も一実も終ぞ詰み切れず、かくて事件は奇妙な証拠を残したまま、闇に紛れた。

「そうね。防人仁美が怪しいと言えれば良いのだけど、そうも行かないしね」

 警察には分からないが、天道家も防人仁美も『防人仁美が犯人ではない』という証拠も何も要らない確証がある。それは防人仁美では実力的に防人一斉には遠く及ばないからだ。そこには絶対的な差があり、それは不意打ちや搦め手を用いても埋まらない差。それにも関わらず、現場には争った形跡があり、それは防人一斉の抵抗の意思を無言で物語っている。だから、相手は防人一斉に抵抗させるほどの腕を持つ誰か、という事になる。それも一実と全く同じ遺伝情報を持った誰かが。それを表沙汰にしないために、天道家は、お父様は奮闘し、警察側も身を引いた。表向きには証拠不十分であるため、本当の理由はその奇妙さ加減故に。

 ともあれ、防人仁美はそれを利用し、一度は一実を犯人に仕立てた。そうすれば、自分は『父を失った娘』という体裁が整い、防人家に協力的な人物は防人仁美を旗本とする事を認め、一実に恨みを向ける。

 防人仁美はそういうシナリオを描き、実行に移した。

「――まあもっと酷いのは、分かろうと、知ろうとしなかった事だけどね」

「そうでございますね。誰も彼も不器用でした」

「だから、こんな結果になっちゃったわけですけどね」

 この事象は、その実誰も彼も不器用だっただけなのだ。

 そう私が考えられたのは、一実の態度だ。

 防人仁美がそうである様に、一実も防人一斉の事を恨んでいる。でも、一実は考えを改めた。あの時の殺意は本物だったのに。だとすれば、そう考えを改めるだけの何かを一実は見たか、聞いたかしたのだ。

 それを踏まえると、防人一斉は当主であると同時に親だった事に行き着ける。

 確かに聞こえは悪い。でも、当事者は気付かなくても仕方ないが、傍目から見れば防人一斉の行動には彼なりの愛情故の行動だった事は容易に至れる。

 ポイントは、何処を中心に添えるか。

 そして、その中心に添えるのは、防人仁美が無能だった事。

 そこを中心に添えれば、ガラリと全容が変わってくる。

「とんだ悲劇よね、娘を愛して行った事が娘を苦しめていたなんて」

 防人仁美は無能だった。しかしそれでも防人の人間である。そして役割上無能な防人など、無能な破邪が辿る末路はその道に精通していなくとも分かる。

 それを防人一斉は全力で阻止するために動いた。血の風が我が子になびかない様に、凶刃が我が子の肌を撫でない様に。

 そう考えれば遠縁に預けられた事も、非人道的な扱いを受けた事も、一実を執拗に求めた事にも全て辻褄が合う。

 遠縁に預けられたのは、使命から逃れさせるため。

 非人道的な事が行われたのは、防人一期という隠れ蓑を失ったため。

 執拗に一実を求めたのは、新たな隠れ蓑として利用するため。

 だからこそ、一実の恨みは晴れない。一実は私よりも早い段階で自分が絶対に愛されない事を分かっていた。恐らく葬儀の場だ。あれ以来一実は防人一斉と顔を合わせていない。タイミング的に見て、何かを疑問に思うには、考えを改めるきっかけがあるとすれば、あの時、防人一斉が葬儀の場に現れた時だけだ。

 我が子の事しか思わなかった防人一斉。

 自分の事しか考えられなかった防人仁美。

 親を思うが故に行動しなかった防人一実。

 誰かが悪いわけではなく、誰もが悪かった。

 それ故に起こってしまった悲劇。

「でも、それでも一実は動いた。……本当にお人好しなんだから」

 呆れて物も言えない、とはきっとこの事だ。

 一実の中にある防人一斉への恨みは本物だ。両親への罵倒に飽き足らず、我が子を大切に思うがために孫としてではなく道具として扱おうと思われている。我が子を思う故にあそこまでした防人一斉ならそのくらい平気でやりそうである。

 それでも、一実は下らない事が大嫌いな性分だ。それを回避するためなら、防人仁美もああ言っていた様に一実は自分を律し、終わらせるために行動する。

 本当にお人好しだ。まあだからこそ守りたいわけで、好きになったわけだが。

「――鶴来、報告を続けて」

 私は鶴来に先を催促した。今は防人家の事ばかり感けていられる場合ではない。

「周囲に展開している数は約三十。いずれも相当な腕前ですが、攻勢に移る気配は今のところありません。そこから考えるに、私達を一実さんに合流させないために配置した人材なのだと思われます」

「意外に慎重ね。こちらは合流する気なんて微塵も無いのに」

「そうですね。ですがお嬢様、少々一つ幸運な事があります」

「幸運な事?」

「お嬢様、周囲の気配を探ってください。そうすれば分かります」

 沙耶の進言に従い、私は周囲の気配を探って見た。

 そして、二人が言わんとしている事が分かった。

「この気配――まさか」

「そう。そのまさかでございます」

「ね? 幸運な事でしょう」

「そうね。これは確かに幸運ね」

 数は合計三十一。その中には確かに一つだけ妙な気配がある。

 この一つだけ他と桁外れだ。気配で分かる。その一がこの集団のボスだ。何と言うかとても静か。いや無機質と言うべきか。とにかく色が無い。無色透明。一応感じ取る事は可能なのだが、周囲と限り無く同化しているために判断が難しい。この程度なら野鳥や野良犬、野良猫という可能性もある。

 でも、それは野生動物ではない。

「こんなにも一実に似ているなら、他も一実とそっくりでしょうからね」

 その一つは、どういうわけか一実とほぼそっくりだったのだ。

「まあ色々と疑問は残りますけどね」

 鶴来の呟きはもっともだ。常識的に考えるなら、気配がほぼ同じなどという事は絶対に有り得ない。同じ人間などこの世には絶対に存在しないのだから。

 でも、私達は常識と非常識を内包した人物を知っている。

 ならば、こういう非常識な事も起こり得るはずだ。

 何故なら、この世界には現実に防人一実という少女が実在しているのだから。

「――何はともあれ、折角のお客人。招いた覚えは絶無だけど、赴いた以上出向かなくては天道の名に汚れが付くわね」

 私は席を立ち、屋敷の外へと向かう。近衛姉妹が私の後を付いてくる。

 漆黒のベールが落ちる玄関前は夜の静けさが訪れている。

 姿無き敵へ向けて、私は言った。

「先に宣言します。私は今非常に不愉快で、不機嫌で虫の居所が悪く、折角来て頂いた皆々様には誠に申し訳ありませんが、丁重なるおもてなしをとてもではありませんが行えそうにありません。よって、猶予を与えます。大人しく引くならばこの一件に加担した事は目を瞑りましょう。また私の名に懸けて、貴方方の未来も約束しましょう。ですが、その逆を選ぶのであれば――」

 私達は構える。近衛姉妹は数本のナイフ、私は二挺のベレッタM92FSを。

「その選択を後悔しない様、全身全霊を持って向かってきなさい」

 そう言った瞬間、敵が動いた。

 では、こちらも相応の態度を取る事にしよう。

「沙耶、鶴来、四分の三殺しまで許すわ」

「命を粗末にする人達ですね」

「私達三人はただのメイド二人とお嬢様一人じゃないのにね」


 運動公園に到着したところで、あたしは足を止め、こう声をかけた。

「――三年振りだね、防人仁美」

 振り返った先には、仄かな星明りに照らされて絶妙な光陰を宿しているその姿は儚げな大和撫子――防人仁美の姿があった。非常に浮世離れしている。左手に携えている身の丈ほどありそうな長刀がそれにより拍車をかけている。

「そうですね。そしてこれを今生の別れとしましょう」

 防人仁美は、極自然な動きで長刀を抜き、鞘を捨てる。

「それほどまでに防人が憎い?」

 この人は憎悪という邪に憑かれている。

 この人はとうの昔に精神崩壊を引き起こしている。

 それを繋ぎ止めているのは、防人家への憎悪だ。

 自分を生んだ防人家を憎み、

『不用品』として捨てられた事で実父を憎み、

 パパの消息によって人生を奪われた事でさらに憎み、

 使命のためと体を弄繰り回された事でより憎み、

 あたしの登場によりまた『不用品』とされてもっと憎んだ。

 憎んで、憎んで、憎んで――辿り着いた先は殺人鬼。

 何たる皮肉。人を守る刃たる防人が、人を殺す鬼になってしまうとは。

「ええ、憎いですよ」

 とても冷たい、背筋が凍る声だった。

「否定しないんだね」

「天道の屋敷で貴女に盗み聞きされた時点で否定する理由がありませんから」

「そうさせる気満々だった癖に」

 防人仁美は殺気を隠していなかった。屋敷に到着した時、屋敷の中から尋常じゃない殺気をまとった誰かの気配を感じ、それが知美を傷つけやしないかとあたしは不安に駆られた。それが防人仁美の物だと分かったのは足を運んだ後だ。

「ええ。そうすれば、貴女は一人で行動するはずですから」

 防人仁美の真の目的は、あたしを殺す事だ。

 だからこそ、知美を狙った。

 そうすれば、それを阻止するためにあたしは絶対に動くからだ。

 防人仁美がそう行動したのは、多分パパを見ていたからだろう。パパもあたしと同じで他人の事には耐えられない人で、他人のためなら動く人だったから。

「結果はご覧の通り。本当に何処までも兄さんに似ていますね」

「褒め言葉として受け取っておくよ。それはそれとして、よく防人一斉を殺せたね? 貴女の手には余るはずだけど」

「それはまともに相対した場合でしょう? 如何に達人とは言え、搦め手を用いれば攻略は容易い。梃子でも動かないはずの貴女が動いた様に」

「確かにそうだね。でも、それは嘘。犯人は別にいる」

 そう、有り得ない。だってあの人は腐っていても達人だ。また毒物なども有り得ない。防人の人間は幼少から毒物を少量混入する事で免疫を作り、あらゆる毒物、薬物を混入され様が行動出来る様に秘密裏に調教されている。あたしもそうだった。変な味がするな、と思ったらそれは毒物であり、疑問に思ってパパに聞いたらそんな事を話してくれた。あの時は驚いたものだ。

 とにかく、直球は無理、変化球も無理、防人一斉を攻略するには魔球でも用いる必要性がある。それだけがどれだけ調べても分からなかった。

「冥土の土産に教えてくれない? 誰が防人一斉を殺したの?」

「――ふふふ、なるほど、そういう理屈でしたか」

 防人仁美は合点し、それでいて歪んだ笑みを作ってそんな事を言った。

「一体全体何の話?」

「貴女は篭の中の鳥だ、という話です」

「だから、何の話?」

「結論を言いましょう。父上を殺したのは貴女です。正確には貴女にそっくりな誰か。容姿、実力、そして遺伝情報――あらゆる事が貴女を同じであり、しかし貴女ではない誰か。その人が父上を殺してくれたのです」

「そう。またなんだね」

 それを聞いても、あたしは別段驚かなかった。

 何故なら、それこそ襲撃者達があたしを狙う理由だからだ。

 ――『お前のせいで』

 あたしの命を狙う襲撃者達は、誰も彼も身に覚えの無い恨み言を吐く。あたしの知らない場所であたしが罪を犯し、誰かを苦しめ、困らせ、悲しませている。

 そして、誰もが口を揃えて言った。

 ――『お前がオリジナルか?』

 オリジナル、身に覚えの無い恨みを買う事、襲撃者達の襲撃理由――それらを統括すると、にわかに信じられない事だが、あたしのクローンがいるのだろう。

 そう考えれば、辻褄は合う。あたしのクローンだからあたしは『オリジナル』と呼ばれ、あたしのクローンはあたしがいなかったら生まれないからあたしも等しく恨まれる。身に覚えは無いが、恨まれる理由には十分だ。何処のバカがそんな事をしているのかは知らないけど、そのバカがあたしにそういう事への利用価値を見い出してしまったのだから。

「驚かないのですね」

「これでも驚いているけどね。そいつは?」

「さあ。向こうには向こうの事情があり、私も私の事で手一杯でした。それ以前に私とっては誰が殺したかなど些細な問題。それが偶々貴女に良く似た真っ白な少女で、だからこそ利用出来ると思っただけですから」

「……なるほど。貴女はあたしを犯人だと主張し、それを天道家があたしの耳に入れさせる事無く、表沙汰になる事もさせずに処理したんだね。……だから『篭の中の鳥』か。うん、的を射ているね」

「そうです。そして雑談はここまでとしましょう」

 防人仁美の気配が変わる。

 それでも、あたしは話を止めなかった。

「ううん。そっちには無くてもあたしにはある」

 もう手遅れだ。何もかもが終わってしまっている。

 だとしても、それでもあたしは防人仁美に伝えなければいけない事がある。

「悲嘆に暮れるのはそこまでだよ、防人仁美。貴女にはあたしの身勝手で我が侭な都合で生きてもらう。これ以上胸糞悪いのは真っ平御免だからね」

「……いきなり何を言っているのです?」

 嘲りの声だったが、気にしない。さあ、あたし、ここからが本番だ。

「防人仁美――貴女は何も分かっていないの。あたしはそれを教えに来たの。文句は言ってくれて良いよ。責め苦も受けるよ。でも、貴女は知らなきゃいけない。どうしても知って欲しいの」

 これがあたしの自己満足な事は百も承知。

 それに語る事は防人仁美を苦しませるだけだ。

 それでも、あたしは知って欲しい。

 そうしなきゃ、あの人は誤解されたままだから。

「――貴女が本当は愛されていた事を」

「戯言を」

 防人仁美は一言でそれを否定した。でも、反論の糸口はある。

「そうだね。でも聞くよ。そう思うなら、どうして攻勢に転じないの?」

 あんな事を言ったというのに、防人仁美はその場で立ち止まったままだ。

 それが意識的なのか、無意識的なのか分からない。

 でも、止まったということはまだ大丈夫だ。

 もうどうしようもないが、どうにかならないわけじゃない。

「――そもそも、おかしいと思った事は無かったの?」

「何がです?」

「色々だよ。貴女の身に起きた色々な事。遠縁に預けられた事、体を弄繰り回された事、また不用とされた理由――貴女が防人を邪と見なし、それ故に破邪として、その役割に則り、行動力へと変換されているそれら全てを」

 そこに疑問を持っていたなら、こんな事は多分起こらなかった。

 でも、無理な話だ。憎悪の霧がその先にある愛情を包み隠していたから。

「……何もおかしい事は無いでしょう? 私には才能が無く、だからこそ捨てられ、だからこそ体を弄繰り回され、だからこそ貴女という存在が現れた事により私はまた不用品へと戻った。……これの何処がおかしいのです?」

「確かにおかしなところは何も無いよ。ただ視点が違っただけ」

「視点……?」

「そう、視点。貴女はどういう家に生まれたの? 破邪を生業としているという非常識な家だよ? そんなところでは自分達の常識もまた世間一般には非常識と言える事でも常識なの。そんな場所に貴女は生まれた。常識人――つまりは破邪としては『不用品』と言える無能な、でも一般的な一人の女の子として。そう考えれば、見えて来ない? 貴女への数々の非道は愛情故だった事が」

「何……ですって……」

 狼狽した声だった。当然だ。都合の良い解釈と言われても仕方ない。

 だけれども、彼女には知っておいて欲しい。

 だって、これが真実だから。

「あの人が……私を愛していた……? 何を言っているのです? 貴女、私の事を調べたのでしょう? だったら知っているはずですよね? 私がどういう体験をしてきたか。それを知っていて尚、よくもそんな事が言えますね?」

「言えるよ。言わないと伝わらないからね」

 そう、言わないといけなかった。皆が皆。そうすれば、こんな胸糞悪い展開なんて現実にならなかった。誰かがそうしていれば防人仁美は誤解したままだし、防人一斉は誤解されたままだ。もう手遅れだけど、それでもまだ改善の余地はあるからね。ただでさえ胸糞悪いのにこれ以上胸糞悪くして堪るか。

「そんなの……嘘ですよ……。大体、どうやったらそうなるのですか?」

「防人一斉は大義に愚直なほど忠実だった。親子の情や私心を挟まず、押し殺す厳しさを持っていた。それは貴女が一番良く分かるはず」

「……そうよ。あの人は、父上は酷い人でした。私を娘なんて思わず、道具として扱い、ただただ防人家のためにある事を強要したのですよ? あれが、あれらが愛情故の行動だった? そんな世迷言をどう信じろと言うのです!」

 分からないか。まあ無理も無い。積もり積もった恨みでどうにか自分を保っている人にこんな戯言信じられる道理は世界中探したって無い。

 それでも、そう考えなければ辻褄が合わない事がある。

「あの人の瞳は悲しみと自責に満ちていたよ」

 あの葬儀の場、あの時の去り際、あたしを見たその瞳を見た。

 パパと同じ瞳の色を湛えていた、あの人の事を。

 パパは時折とても悲しい瞳を湛える時があった。あたしの視線に気が付くとすぐに微笑みに変わったが、あまりにも印象的だったので脳裏に焼き付いている。

 そんな瞳を出来る人が、悪い人であるはずがない。少なくとも、我が子に対してそれを何とも思わないような冷たい人間では絶対に無いはずだ。

 それを踏まえて、それはあたしにとっては絶望だったけど、防人仁美にとっては希望であり、防人一斉はそれだけを望んでいた事に行き着いた。

「あんな瞳を出来る人が、家の事しか思っていないなんて事は絶対に有り得ない。そういう前提で考えれば、さっきも一連の行動にはあの人なりの愛情――」

「嘘です!」

 全力の否定。でも、無理をしているのが丸分かりだった。こんな憎悪に憑かれている状態でも父の犯行現場を見てあたしを犯人に仕立て上げる事を考え、それが叶わなくなってもあたしを冷静に殺す事を考えられるなら、考えられるだけの冷静さを持っているから多分自分の勘違いに気付いたのだろう。だけど、それを認めるわけには行かない。認めれば、憎悪は罪悪感へと変換されてしまうから。

「嘘です、嘘嘘嘘嘘嘘! そんなの嘘です! 出鱈目です! それならどうして、何故あの人は私を捨てたのですか!? 何故私を呼び戻し、私の体を弄くり回したのですか!? 何故私はまた捨てられなければならなかったのですか!?」

「防人の家業は安寧無き修羅の道。あの人も人の親だったなら、愛娘を血の風と凶刃から避け、見返りも何も無いただただ他者のためで有り続ける事を強要されるそんな道から遠ざけようと思うのは当然だよ。肉体を改造したのは防人一期という隠れ蓑を失われたからだよ。そうしなければ、貴女は防人の宿命に殺されてしまうからね。貴女をまた捨てたのはあたしという新たな隠れ蓑が見つかったから。そうすれば貴女を元の生活へ戻す事が出来たから」

「……そん……な……」

 動揺の声と共に防人仁美は膝を折り、四つん這いになった。長刀が音を立てて地面に落ちる。静かな夜だからその音は不気味なほどに響き渡った。

「そんなの……そんな……事って……」

「確かにそうだね。本当にそう思うよ」

 でも、とあたしは区切り、結論をもう一度口にした。

「そうすれば、貴女を守る事が出来る。何を失っても、自分がどうなろうとも」

 それが防人一斉の最優先事項。

 それが一人の親が愛する我が子を守るために行った最善。

「……父上、父上ぇ……」

 静かな夜の大気を勘違いに気付き、自分を悔やむ防人仁美の嗚咽が振わせる。

 良かった。どうにかなった。どうにかなってくれた。

 父の死を、自分の罪故に泣けるのなら、もう防人仁美は平気だろう。

「で――これからどうするの?」

 後は――防人仁美が前に進む手伝いをすれば丸く収まる。

「……過ちを気付かせてくれた事には感謝します……」

 防人仁美はゆっくりと立ち上がり、あたしを鋭い眼光で見据えてくる。

 そこに憎悪は無く、しかしあたしの行為に対する憤慨はあった。

「……でも、私は貴女の事が許せそうにありません」

 分かっている。あたしがした事はあたしがもっと早い段階で動けていたのならこんな結果にならない事を証明してしまっている。あたしにはあたしで都合があったわけだが、それでもあたしは動かなきゃいけなかった。そうしていれば、ひょっとしたら防人一斉の死を回避出来たかもしれないし、防人仁美に生き恥を晒す様な真似をさせなくて済んだかもしれないから。

「それ故に、私は貴女に改めて決闘を申し込みます。受けてくれますか?」

 剣先を向け、防人仁美は凛然とした声で言った。

「もちろん。貴女にはあたしの都合で生きてもらうけど、だからってあたしが死ぬのはごめんだからね。こういう事をするために武装して来たんだよ」

「用意周到ですね。――私が勝ったら殺されてください」

「じゃあ、あたしが勝ったら生き恥晒して生きてもらうからそのつもりで」

 あたしは刀を抜き、防人仁美は長刀を構えた。

 歴史は勝者によって綴られる。あたし達もその流儀に則るとしよう。

「防人家九代目当主・防人仁美」

 防人仁美が名乗った。

 あたしは少し考えてこう名乗る事にした。

「天正学園高校三年A組所属・防人一実」

 一陣の夜風が吹いた。

 それが止んだ時、あたし達は奇しくも同時に口を開いた。

「推して参ります」

「あたしの生き様を見せてあげるよ」

 動くのも同時だった。


「弱いですね」

「出直して着てください」

「食後の運動にもならないわね」

 私達の周りには死屍累々――様々な格好をした男女が倒れている。それなりのレベルなのだろうが相手が悪かった。こっちは強過ぎて公式の記録が残せない猛者揃い。事実力で言えば、私達も私達で常人の領域を超えてしまっている。

「……何時まで高みの見物をしているつもり?」

 その言葉に反応したのか、茂みの一角が揺れ、ついで何かが飛び出して来た。

 私達の前に現れたのは、白い、白い、何処までも白い少女。夜風になびく長髪、仮面越しにこちらを見てくる双眸、かろうじて露出している肌、特注品だと思われる二挺の自動拳銃、華奢な痩身を隠す法衣――それら全てを白で統一している。

「貴女は何者なの?」

 無言。

「どうしてここにいるの?」

 これにも無言。

 まあ当然だろう。

 なら、カードを切る事にしよう。

「唐突だけど、防人一実という人物を知っているかしら?」

「お姉様を知っているの?」

 お、会話が成立した。

「一実様の若い頃を同じ声ですね」

「お姉ちゃん、一実さんは今も若いよ?」

 それにしても『お姉様』。一体どういう関係があるのだろうか。沙耶が言ったとおり、確かに白い女の子の声は数年前の一実の声と同じだ。もっとも抑揚が無く、何の感情も篭っていない無機質な声だから丸きり同じじゃないというわけではない。ともあれ、一実と何らかの関係があるのは明白だ。

「ねえ、どうなの?」

「知っている事は知っているわ」

「そっか。何処にいるか知らない? こういう顔をしているんだけど」

 そう言って、白い女の子は仮面を外した。

「あら」

「おー」

「…………」

 出て来た顔に私達は三者三様に驚いた。

 当然だ。仮面の奥にあったのは、私達が良く知る少女と細部が違うだけで基本的には全く同じ顔だったのだから。

「ねえ、知らない?」

 そう言って、白い女の子は仮面を装備し直した。

「それを聞いてどうするの?」

「質問するの」

「どんな質問?」

「意味の無い質問だよ。どの道、アイン達がする事は変わらないし」

「達? 貴女は一人でしょう?」

「そうだね。でも、アインは『達』だよ。アイン達は皆で一つだからね」

「そう……。それで? その後はどうするの?」

「パパの下へ一緒に帰るの。家族は一緒に暮らすべきでしょ?」

「そうね。……でも、それならどうして、一緒に暮らしていないの?」

「お姉様は悪い人に攫われて良い様に使われているって、パパは言っていた。そしてそんなお姉様を助けるためにアイン達を生んだって」

「そう。教えてくれてありがとう」

「どういたしまして。次はこっちの番。お姉様は何処にいるの?」

「さあ、私は知っているとは言ったけど、何処にいるかは知らないのよ」

「それは嘘だよ」

 キッパリとした断言だった。こんなところまで一実にそっくりか。

「お姉ちゃんはお姉様の事を知っている。だって、他の人とは明らかに反応が違ったもん。ねえ、意地悪しないで教えてよ。どうして教えてくれないの?」

「教える理由が無いからよ」

「私はお姉ちゃんの質問に答えたよ?」

「私は答えるなんて一言も言っていないわ」

「どうしても教えてくれないの?」

「ええ、どうしても教えてあげない」

「そっか」

 流暢な動きだった。あまりにも自然な流れで、白い女の子は私へと白塗りの自動拳銃の銃口を向け、何ら躊躇う事なく引き金を引いた。

「じゃあ体に聞くね」

 それ故に、あの子がそんな事をしたのは銃弾が私の左足の脛を寸分狂わない正確無比な射撃技能で打ち抜いた後だった。

「あぐっ……!」

「「お嬢――」」

「どっちも動かないで」

 一瞬の隙を突き、白い女の子は両手に握る銃を沙耶と鶴来に突きつけていた。

 何と言う動きだろう……。正確無比な射撃、一瞬で五メートルの間合いを詰める体術、そしてそれらを極自然的な動きで行う事――それは間違いなく達人芸であり、同時に一実を連想させる動きだった。

「で、お姉ちゃん? もう一度言うね。お姉様は何処にいるの? 別に答えてくれなくても良いけど、もしもそうなら――えっ!?」

 その時、白い女の子――アインは唐突に驚き、

「お姉様!!」

 感極まった声で明後日の方向を向いて叫んだ。

 何事か――そう思って理由が分かった。一実の気配が一気に膨れ上がったのだ。

「お姉様! お姉様だ! 嘘、これ本当? 夢じゃない? 夢じゃないよね? やった! アインが一番乗り! 他のアインに自慢しよっと!」

 アインは状況の変化に騒ぐが、それにも関わらず沙耶と鶴来へは銃口を向けたままであり、私達に動く隙すら与えてくれない。

「ああ、そうか。お姉ちゃん達はお姉様に黙っている様に頼まれていたんだね! それならアインと一緒だ。アインもあの人に頼まれていたからね。そっか、そっかー。何だ、それならそうと早く言ってくれれば良かったのに」

 自分勝手な解釈をしてアインは銃を引いた。

 その瞬間、私達は三人同時に動いた。私は銃口を向け、近衛姉妹はナイフで三者三様にアインを狙った。

 が、次の瞬間、私達の得物は白い女の子の射撃により打ち落とされていた。

「危ないなー。命は粗末にするもんじゃないよ?」

 アインの調子はあくまでも軽い。

 それは多分絶対的な余裕から来る物だろう。実際問題、私達は手も足も出ない。状況は一変し、この場の支配者は今や彼女の物だ。

「死にたくなかったら動かないでね。次は当てるから」

 死刑宣告を行い、白い女の子は私達に背を向けた。

 どうする? どうする? どうする!?

 アインを行かせてはダメだ。私の本能がそう囁いている。

 それにアインは言っていた。お姉様を、一実を連れて帰ると。自分達はそのために作られた存在だと。それを行うために『パパ』なる人物に作られたと。

 となれば、アインの目的は一実の拉致だ。それを断じて許すわけにはいかない。

「「お嬢様、ご命令を」」

 そんな時、二人の声が私の耳をついた。

「ダメよ」

 それはダメだ。私達ではあの子に勝てない事は証明されている。犬死だ。無駄死だ。一実のためとは言え、そんな事を二人にさせるわけには行かない。

 だけど、どうすれば良い。どうすれば、アインを止められる?

 そう思った矢先の事だ。あの子は唐突にその場から離れた。

 どうして――そう考えた時、ヘリのローター音が聞こえ、ついでアインがいた場所に何かが降り注いだ。無数に降り注いだそれは後退する彼女を追い、彼女の行動を阻害する。

 状況の変化の後、私達の目の前に二つの影が降り立ち、

「……なあ、ここまで格好付ける必要はあったのか?」

「あん? 娘の前だぞ? 良い格好するのは親として当然だろうが」

 場違いなほど軽い調子でそんな会話を始めた。

「お、お父様……」

 一人はお父様だった。もう一人は知らない人だ。灰色尽くしの男の人。

「おう、今――って、お前、その怪我どうし――そうか、あのガキか。って、偉くタイムリーだな。さっきの今か。噂をすれば何とやらというのはこれだな。それはそれとして、セノーラフ、あいつ殺して良いよな?」

「それは待て。状況も分からない殺しはしない主義だ」

「分からない? 一目瞭然だろう? あのガキは俺達の愛娘に傷を負わせた。それだけ分かれば、俺としては十分だ」

 言い切るや、お父様はオートマグの引き金を引いた。が、ほぼ同時に灰色尽くしの男の人がデザートイーグルの引き金を引く。アインを寸分狂わず狙ったお父様のオートマグから放たれた弾丸は、その弾を寸分狂わず狙った灰色尽くしの男の人が持つデザートイーグルから放たれた弾丸によって弾かれ、明後日の方向に飛んでいく。

 それが終わるや、お父様は抜いた別のオートマグを灰色尽くしの男の人へ向け、灰色尽くしの男の人も新たに抜いたデザートイーグルをお父様へと向ける。

「腕は鈍っていないみたいだな」

「これでも現役だ。そしてそういうお前もな」

「奇遇だな。俺も現役だよ」

「そうかい。さて――」

「……どうして……」

 お父様と灰色尽くしの男の人がアインに視線を向けた時、アインはそう呟いた。

 程無くして、それは爆発する。

「どうして? ねえどうして邪魔するの? アイン達はお姉様に会いたいだけなのに。ただそれだけなのに。ねえ何で? お姉様が、ずっと探していたお姉様がこんなに、こんなに近くにいるのに。どうして、どうして、どうして」

 そこだけ聞けば、それは姉を求める妹のそれだった。

 事情は分からないし、素性も分からない。が、少なくともアインが一実に対して抱いている感情は確かだ。何が彼女にあそこまでさせるのかは分からないが。

「いきなりどうした? お姉様?」

「俺に聞くな。この大きな気配とふざけた気配のどちらかなのは見て取れるが」

「いや待て。この気配は……一実か。なるほど、そういう事か」

「心当たりがあるのか?」

「どうして邪魔するのって聞いているの!!」

 会話を断ち切ったのは、アインの咆哮と射撃。怒り狂っている様に見えるが、その射撃は正確無比で二挺の白い自動拳銃から放たれたそれは真っ直ぐ私達に飛来してくる。が、それらが私達を貫く事は無かった。私達に当たるより早く、お父様と灰色尽くしの男の人がアインを越える正確無比な早撃ちで全ての弾丸を打ち落としたからだ。

「ガキの癇癪は始末が悪いな」

「とりあえず黙らせるか。あれでは話も聞けない」

 短いやり取りを終えた瞬間、灰尽くしの男の人はアインに接近した。アインは我に返って反応したが、彼の動きはそれを凌駕し、懐に入り込むや、腹部への一撃を浴びせてアインを沈黙させた。

「どう……し……て……」

 最後にもそう呟き、アインは気絶した。

「向こうも終わったか」

 お父様の呟きで、私も気付いた。増幅した一実の気配が今はもう一切感じられない。相変わらず惚れ惚れするほどの気配遮断である。

「照美、出て来て良いぞ。知美が怪我してんだ。早く手当てしてやってくれ」

 お父様がお母様を呼んだ。そちらを見れば、屋敷の隅からひょっこりと顔を出したお母様が慌てて私の方へと駆け寄ってくる。

「弾は貫通しているみたいですね。沙耶、鶴来、手術の用意を。あなた、そっちの子は平気なのですか?」

 私の治療を行い、二人に指示を出し、さらにはお父様への状況確認とアインの様態確認をお母様は的確かつ丁寧に行っていく。

「そいつは?」

 お父様は近づいてくる灰尽くしの男の人に聞き、

「気絶させただけだしばらくすれば目が覚めるだろう」

 彼は何でも無い事の様に答えた。

 その光景を前に、私は次元の違いを見せつけられた様な気がした。

「……やっぱりこうなっていたか……」

 と、それは不意打ちの様にやって来た。

 声の主は一実だ。その背には防人仁美を背負っている。一実があんな事をしているという事は、防人に関する問題は決着が付いたのだろう。

 でも、一難去って一難。この状況は、一実にとっては最悪だろう。隠していた事が露呈し、さらには迷惑までかかっていた事まで明白な物となった。一実が最も避けたかった、頑張って現実にならない様にしていた事態が現実になったのだ。

「……ままならないもんだね、色々とさ」

 そんな状況を前に、一実はため息交じりでそう言った。

 その言葉には、諦めしか篭っていなかった。

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