第二章 居眠り姫の放課後
突如背後から気配を感じ、あたしは頭をちょっとずらした。すると、何かが通り過ぎ、頬に微風が当たり、何かは枕にしていた右腕に当たった。
「……知美、あたし、物凄く眠いんだけど」
「知っているけど、花の十代をそんな無駄遣いしちゃダメよ」
軽やかなアルトで答えたのは、親友の天道知美《てんどうともみ》。艶やかな鋼色の長髪を掻き上げ、あたしの横の席に腰を下ろした。容姿端麗な彼女が着ると何処にでもありそうな青色のセーラー服も映画か何かの衣装の様に見えるから不思議だ。
今日も完璧に決まっている知美は、いつもの調子で口を開いた。
「一実《かずみ》、今日は何の日?」
「始業式」
「そうね。で、貴女は何をしているの?」
「寝てた」
「どうして寝ていたの?」
「眠いからだよ?」
「私との約束も忘れて?」
約束……そう言われて寝ぼけ眼だったあたしの脳は一瞬で覚醒した。
「ご、ごめん、知美! 今の今まで綺麗さっぱり忘れてた!」
昨日の夜、知美から『明日始業式が終わったら遊びましょう』という連絡をもらったのをすっかり忘れていた。
「……まあ、待たせてしまった私にも非はあるか」
ため息交じりに知美は言った。
何の事か、と思ったが思い出した。生徒会長である知美は役員に呼ばれ、その対処に当たっていたのだ。で、あたしはそれを教室で待っていて、その間に寝てしまったのだ。うん、思い出してきた。
「そ、そうだよ、知美。あたしばっかり――」
「調子に乗らないの」
知美がデコピンして来た。軽い打撃音に反して結構痛い。
「酷い……」
「これで許してあげる。ほら、行くわよ。私達で最後なんだから」
その言葉は正しく、三年A組にはあたし達しかいなかった。当然だ。花の十代を無駄に過ごそうと思う奴なんて多分あたしくらいだ。
「また年寄り考えしているわね?」
「してないよ」
「遠い目をしていたわよ?」
「そう?」
「ええ。……正直そんな一実は見ていて辛いわ」
「……ごめん」
「そう思うならそんな顔しないで。一実は生きているのだから」
そう言って、知美は教室を出て行く。あたしもその後を追った。
知美がそう言うのは、あたしの両親が他界しているからだ。
突然だった。本当に突然な不慮の事故。
今から四年前、あたしの両親を乗せた飛行機は不運な事故で墜落して帰らぬ人となった。他の人は助かったけど、あたしの両親は運悪く海に投げ出されてしまったらしく、捜索は行われたが、終ぞ見つかる事は無かった。
結果、離れて暮らしていたあたしは天涯孤独の身となった。
両親は、逝ってしまったのだ。
あたしに何の恩返しもさせてくれないまま。
「……ごめんね、無理言って」
知美が謝った。悪いのは弱いあたしであり、彼女ではないのに。
だから、あたしは今日も今日とて元気なあたしを演じる。
「――知美って進路どうするの?」
「……そうね、まだ決めかねているわ」
その言葉にあたしは少なからず驚いた。歩きながら尋ねる。
「どういう事? 家を継ぐんじゃないの?」
知美は、世界的にも有名な富豪・天道グループの一人娘だ。
天道グループと言えば、誰もが知っている説明不用の名家だ。飲食業、運送業、不動産、マルチメディア――様々な企業に多大なる影響力を持ち、さらには政界にまでその力は働く。現日本の四割は天道に支えられていると言っても過言ではない。つまり知美は生粋のお嬢様。同じ女の子として憧れるよ。
で、そんなだから、あたしは家を継ぐものだとばかり思っていたけど、どうやら凡人と選ばれた人間では思考回路が違うらしく、実情は違うみたいだ。
「……一実、今物凄く失礼な事を考えなかった?」
「ううん。ただまあレールに乗らないんだなー、と思っただけ」
「やっぱり……。いつも言っているでしょう? 偉いのはお父様であって、私じゃない。私は単に運が良かっただけよ。幸運にも天道家の長女として生まれた。ただそれだけよって」
お高く留まっていないのが、知美の美点の一つだ。天道家の教育が良質なのか、知美自身の性格か。少なくともあたしの知る限りで知美の事を悪く言う人はいない。逆に変に媚を売ろうとする人もいない。その上成績優秀で容姿端麗。一年生の頃から生徒会会長を逆指名で任されたにも関わらず、その役割を完璧にこなし、その支持率は百パーセントを保ったままであり、さらには自分が抜けた後でも問題無いように役員に指導している完璧超人。
「そうだったね。でもさ、どういう事?」
「お父様は私に家を継がせようとは思っていないのよ」
「あっ、OK。大体分かった」
知美のお父さんであり、天下御免の天道グループ総帥の天道全知は、とても理解ある親であり、支配者だ。ナポレオンの名言である『我輩の辞書に不可能という文字は無い』があるけど、天道全知はそれを体現している。
そんな超人なら、自分は自分、相手は相手、と思っていても不思議じゃなく、子に自分の後を継がせるという一方的な事をしない人だ、という事なのだろう。
でも、間違っていたら嫌だから一応確認しよう。
「つまり、お前の人生だからお前の好きな様に生きろって事?」
「そういう事よ」
「そっか。じゃあ、どうするの?」
「そういう一実はどうなの?」
「聞いているのはあたしだよ?」
「じゃあ一実が答えてくれたら答えてあげる、鍵を返してからだけど」
気が付けば職員室の前だった。
「「失礼します」」
挨拶してあたし達は職員室に入り、鍵を返却に向かう。
「お、居眠り姫がやっと目覚めたか」
と、その途中で担任の佐東栄一《さとうえいいち》先生が話しかけてきた。あたしは足を止め、知美は鍵を返すために先生の横を通り過ぎる。微笑を湛えた一礼も忘れない。流石我らが生徒会長。生徒の鏡だね。
「おはよ、サトセン」
「何がおはよう、だ。もう昼だぞ」
サトセンは壁にある時計を指差した。本当にお昼だった。
「というか、帰宅部のお前が何故にまだ学校にいるんだ?」
「私を待っていてくれたのです」
鍵を返却し終えた知美が言った。
「天道を? あー、そういや、生徒会の集まりがあると言っていたな」
「そうそう。あたしだってそれが無かったらちゃんと帰ってるよ」
「どうだか。お前自分が何で『居眠り姫』何て言われてるか考えた事あるか?」
「あたしが可愛いからだね」
「まあ黙っていたらな。って、そっちじゃねぇよ」
「寝に学校に来ている様な物だからでしょ?」
「何だ分かっているのか」
「まあね」
「それにしても、どうしてお前はそんなに寝るんだ? 夜行性なのか?」
「一実はちゃんと寝てますよ」
答えたのは知美だ。何でそこで知美が答える?
「何で天道が?」
サトセンも気になったのか、聞いてくれた。
「何でって、見ているからですよ。二十四時間体勢で」
「二十四時間体勢……? ……どうやって?」
「どうやってって、仕掛けている隠しカメラでですよ?」
「……は?」
サトセンが間の抜けた反応をした。
「ちょ、ちょっと待って! 知美、それってどういう事!?」
「あ」
「『あ』じゃない! ど、どどど、どういう事よ、知美!?」
狼狽するあたしを余所に、知美はいつもの調子で答えてくれた。
「えーっとね、一実ってほら、隠し事する癖があるじゃない? 防人夫妻もお母様が気付き、お父様が調べ上げるまで貴女が生まれた事すら天道家に隠し通していたくらいだし。気持ちは分からなく無いけど全く水臭いわよね。そういう時こそ頼るのが友情という物でしょう? それなのに、ああそれなのに、防人家の面々は親子揃って秘密主義。おまけに話してくれと頼んでも話してくれないじゃない。そうなるともうプライバシーとか無視して調べたり、監視じゃなくて見守ったりするしか無いじゃない? だからよ」
その瞬間、職員室には『ポカーン』という擬音が似合うくらい微妙な雰囲気が降りた。まあ当然だよね。平然としかも基本的に絶やしていない微笑みで言い切って見せたわけだからそれはもう呆然するのは無理も無いと思う。
出会って、四年。知って、十二年。親友の意外過ぎる一面を垣間見た。
「何が『だからよ』なの!? おかしい事に気付いて!」
「安心して。自覚してやっているから」
「尚悪いよ! というか、犯罪だからね、それ!?」
「平気よ。この件は黒だけど白だから」
「天道家全面協力!? 重い! 愛が重いよ、天道家!」
「そう? このくらい普通じゃない?」
「いいや、重いね! そうは思いませんか、サトセン!」
「そこで俺に振るんじゃねぇー!」
サトセンが叫んだ。当然だ。でも旅は道連れ、世は情けって言うじゃん。
「防人、お前、俺に何か恨みでもあんのか!?」
「無いですよ! 無いですけど、可愛い生徒のために巻き込まれてください!」
「自分で可愛いとか言うんじゃねぇー!」
「で、どうなのですか? 佐東先生」
ピシャリとした知美の声にあたしもサトセンも一瞬で黙り込んだ。この妙な迫力は何だろう。これも次期当主様の成せる芸当なのか。
あたしは目でサトセンに訴えた。上手くやってね、と。
サトセンも目で答えてくれた。どうなっても知らんぞ、って。
「あー、その、何だ」
歯切れ悪くサトセンは口を開いた。
「世間一般からすると確かに重いな。常識的に考えて心配なのは分かるが隠しカメラでの監視は流石にやり過ぎだと思う」
「そう、ですか……」
しゅんとする知美。
うわぁ、罪悪感――なんて事を考えていたら、サトセンは話を続けた。
「でもまあ、俺個人の意見を言わせてもらえるなら、行き過ぎやり過ぎは確かに良くないが例えそれが友愛だったとしてもそれだけ愛されていたら愛される側としては安心出来ると思うぜ。要はやり方と程度の問題だ。防人だって問題に挙げているのはやり方であって、天道の思いを否定したわけじゃない。そうだろ?」
「いやまあ……うん。気持ちは嬉しいです」
うん、気持ちは嬉しい。そんな事までされているとは思わなかったけど、冷静に考えてみたら知美は過剰と言えるくらいあたしを大切にしてくれる。あたしが精神的に参っていた時も全力で励ましてくれたし、自殺も制止してくれもした。
それにあたしも行動こそしていないものの、知美があたしを大切にしてくれる様に、あたしも知美の事を大切にしたいと思っている。
と、サトセンがあたし達の頭に手を置き、ニッコリと笑った。
「まあそういうわけだ。仲良くやれよ、お前ら」
そう言って、サトセンは自分の席へと戻って行った。
「――行こう、知美」
「――行くわよ、一実」
二人同時に言って、あたし達は互いを見合い、同時に吹き出した。
そしてあたし達は職員室を後にする。
「「失礼しました」」
それからちょっとして、あたしは言った。
「――で、何の話していたっけ?」
「進路の話よ」
そういやそうだった。
しかし、どう答えたものか……自分で振っておいてあれだが、実はぼんやりとなら考えているがそうしようとは諸般の事情でまだ思っていない。
「もしかして考えていないとか?」
図星スレスレだ。相変わらず鋭いね。
「いやそういうわけじゃないよ。それなりに考えているよ」
「そう。どんな風に考えているの?」
「ん? 漠然としているけど、それでも良い?」
「ええ。私もそうだし」
「そっか。えーっとね、知美の手伝いがしたいなーって」
天道家にはお世話になりっ放しだ。あたしの親とは親友同士だったから、ただそれだけの理由で、親類がいなかったあたしを養子として迎えてくれたし、葬儀とか遺産とかそういう面倒な事も全て引き受けてくれた。知美も知美の両親も恩に着せる気は無く、お前が自力で幸せだと思える事を成し遂げる様にしてくれればそれで構わない、と言ってくれているが、それでもこっちは恩返しがしたい。
そうなると、あたしが出来る事は知美の手伝いだ。全知さんには照美さん――知美のお母さんという相棒がいる。あの二人は夫婦で相棒。全知さんで言えるところの照美さんにあたしはなりたいな、と思っている。
と、知美の反応が無い事に気付いた。
何でかなー、なんて思って盗み見たら知美は呆然と立ち尽くしていた。
「知美?」
「わきゃあ!」
声をかけたらとんでもない悲鳴が返って来た。
「な、何? どうかした?」
「それはこっちの台詞だよ。どうかしたの?」
「な、何でも無い。何でも無いわ!」
全力の否定。逆に怪しいよ知美。まあでも自己申告を信じるとしよう。
「そう? それなら別に良いけど」
あたしが黙ると、あたし達の間には沈黙が訪れた。
静かな廊下にあたし達二人分の足音が妙に大きく響く。
窓の外からは運動部の声が聞こえてきた。学校が始まったばかりだと言うのに精力的だ。ああいう生活を送りたいとは特別思っていないけど、それでもこういう声を聞くとちょっと憧れる。
「――一実」
下駄箱に着いた時、知美が控えめに口を開いた。
「何?」
「その……さっきのは?」
「さっきの? ああ、うん。本気だよ。知美はもちろん、天道家には昔からお世話になりっ放しだからね。これからは何某かの形で恩返しして行きたいなー、なんて分不相応な事を考えていたりするわけです」
「本当に本当?」
「うん」
「そう……」
そう言って知美は黙った。
一体どうしたのやら。さっきから様子が何処かおかしい。
まあ詮索は敢えてしない事にしよう。
「ところで、これからどうする?」
「えっ?」
「えっ、じゃないよ。遊ぼうって言ったじゃん」
「えっ……、あ、そう……だったわね、うん」
「起きた?」
「起きているわよ。一実じゃないんだから」
それは何よりで。
「そっか。で、どうする?」
「一実はどうしたい?」
「あたしは知美と一緒なら何でも良いよ」
途端、ボッと知美の顔は真っ赤になった。
「ど、どうしたの、知美。顔真っ赤だよ?」
「な、何でも無いわ! そ、それじゃあ、私の家に行きましょう! 新しいお茶が入ったの。それを一実に飲ませたくてね」
「お茶会かー、良いね。じゃあ一旦別れる?」
「一実がそうしたいならそれで良いけど?」
「あたしはどっちでも良いよ。天道家にも服はあるしね」
あたしは両親の死後、天道家に養子として迎えられたけど、あたしの我が侭で別々に暮らしている。凡人だったあたしにお嬢様の生活は厳しかったからだ。
「そう。なら、このまま私の家に行くわ」
そう言って、知美は携帯を取り出し、家へと連絡した。
「私よ。ええ、今終わったの。だから迎えに来て。ああ、それから昼食を一人分追加して頂戴。……え? 会食の予定は無かったでしょうって? 急に出来たのよ。――一実よ、一実。――なっ、ば、バカな事言っている暇があるなら職務を全うしなさい。――うん、それじゃあ待っているわね」
一体どうしたのやら。急にお嬢様モードになったと思えば、素の知美に戻るし、何か急に怒り出すし。今日の知美は何か色々いつもと違う。
「すぐに来る――」
知美がこっちを向いた際、あたしは自分の額を知美の額にくっ付けた。熱でもあるのかな、と思ったけど平熱だった。じゃあ何だろう?
「か、かかか、一実!? いきなり何するの!?」
あたしは知美から離れた。すると、知美はどうしてか茹で上がったタコか甲殻類の様に真っ赤になっていた。本当に一体どうしたのやら。
「変だよ、知美。今日は止め」
「わ、私は平気よ!」
「――なら良いけど」
被り気味で言われた。
「でも、無理だったらちゃんと言ってね? 遊ぶのはいつでも出来るし、あたしは知美が無理しているところなんて見たくないからさ」
「……それは私も同じなのだけど?」
「あたしは無理して無いから平気だよ」
「じゃあどうして隠し事するのよ」
「ちゃんと話しているじゃん」
「解決し終わった後じゃない」
「知美に相談するまでも無いからだよ」
「私はそんなに頼りにならない?」
「そうじゃないよ。そういうレベルじゃないってだけ」
「そういうレベルじゃなくても相談して欲しいのよ」
「それは贅沢だよ」
「それでも良いじゃない」
「そこまでは望めないよ。失うのが怖いからね」
あたしは不幸に見舞われた中でも幸せな部類に入る。生活に不自由せず、日々を謳歌する事が出来ている。それはそれだけでも十分幸せな事。不幸に見舞われたからか本当に強くそう思う。
だから、失うのが怖い。多くを望んで破滅したくない。ただそれだけ。
「一実……」
と、何偉そうな事を言っているんだか。
「あはは、何か――わっ」
誤魔化そうと思ったら、知美が急に抱きついて来た。
「と、知美?」
「……全く、親子揃って不器用なんだから……」
不器用、か。確かにそうなのかもしれない。
「……でもね、一実。これだけはちゃんと覚えておいて。私達は友達であり、そして家族。友達のため、家族のために何かをしてあげたいと思うのは当然よね? 私はそれをしたいだけ。これだけはちゃんと覚えておいて。お願い」
あたしを抱く、知美の力がちょっと強くなった。
その温もりか感じつつ、
「……分かった。魂に刻んどく」
そう返し、あたしは知美を抱き返した。
と、そんな時だった。
「あらあらまあまあ。白昼堂々とラブ空間を展開して。見ているこっちが恥ずかしいですね。さてはて、声をかけるべきか、このまま見守るべきか悩みます」
その声に知美は我に返った様に機敏に反応し、声の主を見た。
「つ、鶴来《つるぎ》! い、いいい、何時からそこに!?」
「知美があたしに抱きついた辺りからだよ」
知美は一つの事に集中すると周りが見えなくなる時が偶にある。それがさっきも出てしまったのだろう。あたしは車が来て、知美の世話をしているメイドの近衛鶴来《このえつるぎ》さんが出て来た事に気付いていたけど、近衛さんは口パクで『私に気にせずお嬢様とラブってください』なんて言って来た。あたしとしては凄く気まずかったけど、だからと言ってやりっ放しにするのも複雑だったので、近衛さんの前で知美への対応を続ける事にしたのだ。
「か、一実! 分かっていたなら教えなさいよ!」
「お嬢様。空気を読んでくださったご親友に対してその態度は何ですか?」
うわーお、自分で勧めておきながらあたしのせいにしたよこのメイド。
「鶴来は黙っていなさい! 一実、どういう事なの!?」
さてどうしたものか。近衛さんのせいにしてしまうのが一番楽だし、実際問題それが真実だけど、近衛さんは知美を思ってやった事だし、あたしもこうなる事が分かりつつも近衛さんの意向に乗っかった。
よし、悪いのはあたしだ。どうにか切り抜けるとしよう。
「知美の厚意を無駄にしたくなかったからね」
「こ、好意!? つ、鶴来――」
「お嬢様。字が違います。一実さんが言ったのは思いやりの方の『厚意』であって、親愛感を表現する際の『好意』ではありませんよ」
そうなのか。あたしは全く気付かなかったよ。ニュアンスだけで同じ発音なのに違う意味だと識別するとは。恐るべし天道家のメイド。
それにしても厚意ではなく好意か。あたしとしてはどっちも同じ気がする。
「近衛さん、あたし、知美の事好きですよ?」
「それは存じております。ですが、それはご友人としてでしょう?」
「うーん、どうだろ。あたし、恋愛に興味が無いから分かんないです」
「左様でございますか。良かったですね、お嬢様」
「何が良かったんですか?」
「それはも」
「鶴来、早く行くわよ。昼食がこれ以上遅くなるのは避けたいわ」
「――かしこまりました、お嬢様」
何かを言いかけた近衛さんだったけど、知美に促され、あたし達に車に乗り込む様に手招きした。知美が乗り、あたしがそれに続き、近衛さんが扉を閉め、近衛さんは運転席へと乗り込む。
「お二方、シートベルトはお締めになりましたか?」
「もちろんよ」
「大丈夫でーす」
「そうですか。それでは発車致します」
そして、あたし達は天道家の屋敷へと向かった。