トラック2【ガニメデ中央医療区・総合診療科】
「アルテア、この前の続きを再生して」
『了解しました。トラック2、再生します』
視界がふっと切り替わる。最初に映ったのはガニメデ第二ステーションの中央通路——前回の続き……のはずだった。
しかし映像はすぐに別の場所へと移動する。
(あれ?どこだ、ここ?)
白く整った壁。ホログラム案内盤。行き交う白衣。柔らかい電子音。
(——あっ!病院だ。)
嗅覚デバイスなんて付いていないのに、条件反射で消毒液の匂いを思い出してしまう。
視界の端に、小さな文字が表示される。
〈プライバシー保護基準:遺族閲覧許可レベル2〉
(……やっぱり、編集されてる?)
航おじさんの言葉が頭をよぎる。
『どこで誰に編集されたかは、俺にも分からん』
自動扉が静かに開く。
「番号十二番の方、どうぞー」
その声に、ドクンと胸を打つ音が聞こえる。
診察室に映る白衣。名札には——
〈星野 幸〉
(——母さんだ)
前回のトラックでは聞けなかった声。何度も夢に出た声。覚えていたつもりでも、記憶から薄れていた声。
「お待たせしました。ヘレナ・スターリングさんですね。食欲不振とのことですが?」
椅子に座った女性。淡いブロンド。静かな瞳。遠巻きの映像でも、知性と品のある空気が伝わる。
(ヘレナ……やっぱり、スターリング博士の奥さんだ)
「えぇ、体もだるくて。ただの疲れなので休めば治ると思うんですけど、夫が『診てもらえ』と言うので……夫の友人がこちらを勧めてくれたので来てみました」
「そうでしたか。検査結果ですが——」
母が端末を操作すると、ホログラムパネルにデータが表示される。
“胎児モニタリング:安定”
“神経発達傾向:早期活性反応”
“遺伝子照合:一卵性候補”
項目の意味はよく分からない。でも——ただの検査じゃない雰囲気だけは伝わる。
「血液データも代謝値も問題ありません。ただし——これは、休んでも治りませんよ?」
「えっ?」
驚くヘレナに母は穏やかな笑う。
「妊娠です。おめでとうございます」
ヘレナは目を瞬かせ、両手で口元を押さえた。
「……ほんとう……?」
「はい。六週目です。とても順調です。スターリング博士にも、後で直接伝えてあげてくださいね?」
「博士?……あっ、気付いてらっしゃったんですね」
「はい。種明かしをすると、さっきおっしゃった『夫の友人』というのは、私の夫のことなんですよ、スターリング教授」
二人とも嬉しそうに笑い合う。
「それと——もう一つ、もっと驚くことがありますよ」
「もっと……ですか?」
「お子さんは双子です。女の子の一卵性双生児です」
(スターリング博士の娘って双子の女の子だったのか……)
物理学者と数学者、ともに“天才”と呼ばれた両親から生まれた双子の娘、どんな子なのは少しだけ興味が湧く。
「……まぁ!早くエイドに伝えないと!」
「ぜひ、そうなさってください。良かったら、あちらのメッセージルームをお使いください。ログにも残りませんので」
ヘレナは深く息を吸い、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。……生まれてくる子のためにも、ちゃんと伝えたいんです」
ヘレナは一言、お礼を言うとお母さんが勧めるまま部屋に移動する。
***
しばらくすると、入れ替わるように入ってくる小さな子ども——
「ママぁ」
母が振り返る。
「どうしたの晶、赤ちゃんみたいに」
駆け寄る僕を、にこやかに僕を抱きしめる。
——そこに、幼い僕が映っていた。
(…………あ)
記憶の底で、扉がひとつ開く。
(間違いない、確かに、僕はこの場にいた)
まだ幼かった頃の記憶が次々に蘇ってくる気がした。
「ありがとうございました。あら?」
連絡が終わりヘレナは僕を見つけ目を細めると、僕はお母さんの後ろに隠れる。
「息子さんですか?」
「そうなんです。ほら、晶、ご挨拶なさい」
「……ほしの…あきら……三さいです」
彼女は微笑むと、自分の腹部を指差した。
(覚えてる!そうだ、そしてスターリング教授はこう言ったんだ)
(『ここに赤ちゃんがいるの。いつか会うことがあったら、仲良くしてやってね』)
僕の心の中の台詞とヘレナの言葉がハーモニーを奏でる。そう、僕は確かにそこにいた。
そう言って微笑むヘレナの声は揺れていた。喜びだけじゃない。責任か、不安か。映像の外側に別の感情が滲んでいる。
映像の中の幼い僕は訳も分からず頷いて——映像は一度、ふっとノイズを走らせた。
***
次の場面。同じ診察室。だが今度は——僕の姿は映っていなかった。
(……編集?じゃない。たぶん、この瞬間、俺は部屋の外に出されてた)
母はモニターを指し、声量を落として話している。
「正直に申し上げると……今回の数値は、医療統計の枠を超えています」
ヘレナは息を止めた。
「……悪いものなんですか?」
「いいえ、逆です。ただ——医学的にも興味深い」
母の声は、患者に寄り添う医師ではなく、未知の現象に触れた研究者の声だった。
「神経回路の形成速度が、現行モデルの上限を超えている。発声前段階の言語野反応、聴覚場の統合……まるで——」
一瞬、母は言いかけて言葉を飲み込む。映像データの圧縮ノイズがその沈黙を際立たせた。
「——この子たち、きっと特別な子になりますよ」
その言葉は祝福の形をしているのに、どこか警告に近かった。ヘレナは短く息を吐き、そして静かに頷いた。
***
映像が暗転し、表示が浮かぶ。
《トラック2:再生完了》
部屋が急に静かになる。自分の呼吸だけ響く。
(双子の女の子……か……)
彼女たちが今どこで何をしているのか、邂逅する機会があるのか、今は分からない。ただ、静かに息を吸い込んだとき——心の奥で、小さな歯車がひとつ動き出す音がした気がした。
◎登場人物(映像の中)
◯星野晶(3):主人公。
◯星野幸(37):晶の母。冷凍睡眠実用化研究の第一人者だが、木星系で研究が空いているときは、総合診療科の医者として勤務している。
◯ヘレナ・スターリング(Helena Sterling)(イギリス)(25):著名な数学教授。
◎登場人物(現在)
◯星野晶(14):主人公。中学3年生。
◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。わし座のα星「アルタイル」から。




