静かなる侵入
『晶様、午前九時になりました。朝食は和食になりますが、いかがなさいますか?」
日曜日なので慌てることもないが、今日は十時に約束がある。台所に漂うお味噌の香り。お腹がグーとなる。
「追加で卵焼きも頼めるかな?」
『かしこまりました』
僕は日曜日恒例の和朝食に舌鼓を打つ。
「じゃあ、正午には帰るから。それから、念のために監視モードを上げといて」
『承知いたしました。あっ!晶様、オカブを連れて行かれませんか?』
「えっ?いいけど……すぐそこだよ?」
『いえ、“何かあってから”では遅いです。ディープコネクトを使いましょう」
僕は(大げさだなぁ)と思いつつ、案の定、五分とかからず家に着く。インターホンを鳴らすと、すぐに扉が開いた。
「あら、晶君。いらっしゃい。まぁ、ドローンちゃんも、ようこそ」
早苗おばあさんが、穏やかな笑みで迎えてくれる。
「こんにちは。今日これ、おばあちゃんに。ちょっと早いけど誕生日プレゼント」
晶が差し出した封筒を受け取ったおばあさんは、目をぱちぱちさせてから柔らかく笑う。
「あらまあ……こんな気を遣わなくていいのに。ありがとうねぇ」
袋の中を覗いた瞬間、声が漏れた。
「……“お手伝い券”?」
「うん、十回分。掃除でも草取りでも、できる範囲ってことで」
「ふふ……これは嬉しいわ。最近、腰がねえ……さあ、あの子も待ってるから、どうぞ上がっていって」
「お邪魔します」
靴を揃えて家に入ると、階段の踊り場で冬華がひょこっと顔を出す。
「……聞こえてたからね」
冬華だった。顔がほんのり赤い。
「な、なんでそんなこと思いつくのよ……。いいなぁ……私も欲しい……」
最後の一言だけ、小声だった。
「え?」
「べ、別に!ほら、上がってってば!」
冬華は逃げるように階段を駆け上がっていく。
***
冬華の部屋。パステル調で可愛い空間……のはずが、
(『月刊農業』……大根を掲げるおじいさん……さすが冬華)
床に転がった雑誌が台無しにしている。
冬華がココアを二つ持ってきて、向かいに座った。
「で、今日はどうしたの?“話がある”なんて言われたらちょっとドキッとするじゃん」
(……なんで照れてるんだ)
僕は背筋を伸ばして切り出す。
「えっと……進路のことなんだけど」
冬華の目がふっと丸くなる。
「アストリア・アカデミーに進もうと思う」
「……そっか!」
一瞬の笑顔。でも、瞳の奥はどこか寂しそうでもある。
「なんか、晶君はきっとそっち行くんだろうなって思ってた」
「冬華は?」
「私はまだ、一年生だし。ただ、ちょっと心配。ご両親のこともあるし」
冬華は両手でカップを持ち上げながら、こちらを覗き込む。
「それに最近、疲れてない?勉強しすぎじゃない?」
そっと手を伸ばし、額に触れようとした。
「だ、大丈夫だよ」
僕はその手を軽く受け止め、冗談めかして手の甲にキスするふりをした。
「なっ……!」
冬華は真っ赤になって手を引き、横のクッションを投げつけてきた。
「心配してるのに、もうっ!」
柔らかいクッションが胸に当たり、僕は照れ隠しに笑った。
***
正午前、冬華からの昼食の誘いを断り、すぐに到着——のはずが
『晶サマ、識別コード不一致機体一件。照合失敗』
(……またか。連れてきてよかった。けど……)
オカブの報告に、胸の奥がほんの少し冷える。小さな棘が刺さったような感覚。抜けないまま、じわりと残る。
***
「アルテア、異常は?」
『外出中の監視ログに異常はありません。ただし——』
「ん?」
『個人情報管理局から、本日分ライフログの提出依頼が届いています。提出してもよろしいですか?』
「……ああ、いいよ」
三回目。単なる統計調査の一環──そう思い込もうとする。だが、喉の奥に何かがひっかかる。
(……本当にそれだけか?疑ったらきりがないけど、でも……)
僕はため息を一つ吐き、軽く肩を回した。
「それにさ、オカブ。識別不一致って言ってたよ。アルテアには分からなかったんだ?」
『何のことでしょうか?』
「いや、さっき——識別できないドローンに遭遇したからさ」
『ああ。それですか。それは“異常ではありません”。識別できていますので』
「……え?」
『識別不能、という“表示になるよう上書きされていた”だけのようですので』
「……は?」
その瞬間、部屋の空気がほんのわずかに変わった。暖房は同じ気温のはずなのに、背筋にひやりとしたものが走る。
(……やっぱりアルテアは、ただのAIじゃない。)
その実力に圧倒される一方、血の気が引く。識別を偽装する技術。監視ではなく、隠れるための技術。
(そんなものを持ってるのは——ただの調査や監視の範囲じゃない。じゃあ……誰が?)
疑問は答えを持たず、代わりに不穏な予感だけが残った。
***
そんな時、追い打ちをかけるように腕時計が震えた。
《【政府協力】アカデミー志望者向けアンケート調査》
ホログラムに文字が浮かぶ。
(……は?)
僕がアカデミー志望を決めたのは、つい先日。今日、冬華にも初めて話したばかりだ。
(えっと、知っているのは、担任、進路指導の先生、航おじさん……それだけのはず……だよな?)
胸の奥で冷たいものがゆっくり落ちていく。
知らない誰かに先回りされる感覚。
(……どういうことだ?)
問いは声にならず、空気に沈んだ。
◎登場人物
◯星野晶(14)(165cm):主人公。中学3年生。わし座のラテン語「アクイラ」から父が名付けてくれた。
◯朝比奈冬華(13)(155cm):中学1年生、晶とは幼馴染
◯朝比奈早苗(72):冬華の祖母(母方)
◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。ずんぐりしているが器用で聡明。わし座のα星「アルタイル」から。
◯オカブ:晶の通学補助用ドローン。グレーで無骨。わし座のζ星から。




