トラック4-22【輸送艦<信濃>・覚悟の残留】
《二四〇八:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
艦橋の照明が緊急色のまま微かに揺れている。
「副長」
父の声は、いつもより低く、そして静かだった。
「船外作業員による異物撤去を許可する。指揮を頼む」
サティ副長は一瞬だけ目を閉じ、すぐに背筋を伸ばした。
「高出力レーザーの使用許可を要請します」
「許可する。その他——」
父は一旦、言葉を切り、はっきりと断言した。
「脱出についての、全艦長権限を副長に委ねる。以後、確認は不要だ」
「ありがとうございます、艦長。それでは船外作業室へ向かい指示を出します」
「頼む」
短い返答。その声には、迷いはなかった。父はゆっくりと視線を移し、二人の客員技術者を見た。
「スターリング博士、ヘイル博士……ここまでです」
二人は何も言わず、続きを待つ。
「お二人には、ポッドによる先行脱出をしていただくことになります」
沈黙を破ったのは、エイド博士だった。
「ありがとう、艦長」
だが、その声には納得の色がない。
「ただし——第三波を防ぎ切るには、重力子防壁が鍵になる。理論構築者である私が残った方が、生存率は僅かでも上がるのではないか?」
父は即答した。
「いいえ。客員乗組員の退去は、民間人に次ぐ優先順位です。すでに司令部で決定されています」
「……」
エイド博士は食い下がる。
「星野博士はAI保守のために最後まで残るつもりだろう?ステーションを守るために……それなら、私も同じじゃないか?」
艦橋の空気が、張りつめた。そのときだった。
「エイドの言うことは理解できる。が、納得はできんな」
低く、ぶっきらぼうな声だった。一歩前に出たのは、マーク博士だった。普段と変わらぬ無精な立ち姿だが、その目だけは、はっきりと覚悟の色を帯びている。
「渉、いや星野艦長」
マーク博士は言い直す。
「提案だ。防壁の“お守り”に技術者が必要だって点は、俺も同意見だ」
そう前置きしてから、マーク博士は肩越しにエイド博士を見た。
「だがな——それが、必ずしもエイドである必要はないだろ?」
「おい、マーク……何を言って——」
エイド博士が声を荒らげかけた瞬間、マーク博士はそれを遮るように言葉を重ねた。
「降りろ、エイド」
あまりにもはっきりとした断言だった。
「お前がここで死んだら、天才数学者の片腕としてのおまえ、父親としてのおまえ、物理学者としてのおまえ、全部まとめて失う」
マーク博士は呼吸を整え、語りかける。
「それに、防壁はもう“動いてる”。ここから先は理論の出番じゃない。調整と、泥仕事だ……どちらかと言えば、な」
親指で自分の胸を指す。
「その程度なら、俺で事足りる」
艦橋が静まり返る。父は慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「……しかし、マーク博士。物理学者を失うという点では、あなたも同じです」
それを聞いて、マーク博士はわずかに口角を上げた。
「違うな」
即答だった。
「俺の理論は“完成品”じゃない。三大発明なんて持て囃されちゃいるが、形になるまで優に、あと十年はかかるだろう。それまでは数式と理論のにらめっこだ。俺に取って代わるやつだって、出てくるだろうさ」
彼は一転して、熱を帯びた目でエイド博士を見た。
「だが、エイドのは違う。重力子防壁を見て分かっただろ?あれは、まだこれから何十年、いや何百年も人類を支える代物だ。月や火星の基地で一Gが実現できたら?遠心力に頼らない宇宙船が造れたら?人体が耐えられない加速度を無効化できたら?
SFで夢見た世界が実現するまで、あとちょっとだ」
視線をエイド博士に戻す。
「今、お前が消えたら——人類がそれを取り戻すのに、どれだけかかるか分かったもんじゃない」
そのとき、ヴィレール技師が、一歩前に出た。
「艦長、ヘイル博士。私では不足でしょうか?」
静かだが、強い声だった。
「私は正規乗組員です。責任も覚悟もあるつもりです」
マーク博士は一瞬だけヴィレール技師を見つめ、それから首を横に振った。
「悪いが、マット。お前は残るべき場所が違う」
「……どういうことですか?」
「ここは航……いや、機関長がロブに投げかけた言葉を借りるとしよう。“お前の持ち場はここじゃない”」
マーク博士は艦橋をぐるりと見回した。
「最悪、艦は沈むかもしれない。だが、信濃が消えた後でも現場を知ってる人間は一人でも多く必要なはずだ」
無精髭の生えた顎をさすりながら、困惑する若き技師を値踏みするように見つめる。
「その役目は、少なくとも俺じゃない」
言い切った。
「“留守番”は、俺が適任だ……それに、勘違いされちゃ困るが、残ると決めただけだ。死ぬつもりは毛頭ないからな」
父が深く息を吐いた。
「……分かりました」
それは命令ではなく、承認だった。
「ヘイル博士の残留を認めます」
「マーク……渉……」
エイド博士は悔しそうに唇を噛みしめた後、すべてを察したように、諦めたような、それでいて深い感謝の混じった笑みを浮かべた。
「スターリング博士、今なら医務室からの退去がスムーズです。医師長に連絡しておきますので、そちらへ」
「分かった、艦長。……恩に着るよ、マーク」
***
艦橋では警告表示だけが淡く浮かび上がる中、父は通信卓に視線を落とした。
「ゴールドバーグ。機関出力はどうなっている?」
わずかなノイズを挟んで、機関室から返答が届く。
『原因は特定しました』
ゴールドバーグ機関士の声は、いつもと変わらない。だが、その裏に張りつめた緊張があることを、艦長は聞き逃さなかった。
『これよりバイパスの強制接続作業に入ります。ただし……補修システムの損傷が激しいため、人の手による直接作業になります』
「そうか」
父は短く息を吐いた。
「知っての通り、まもなく総員退去の命令を出す。もし作業に余剰人員が出るなら、退去させたいが……現場としてどう思う」
ゴールドバーグ機関士は即答しなかった。機関室の騒音の向こうで、何かを確認する気配がある。
『こちらでも検討しました』
やがて、はっきりとした声が返ってきた。
『現状、機関員はすでに全員退去しています。残っているのは、機関技師が三名と、私——合わせて四名だけです』
少し間を置いて、続ける。
『確認ですが、船外作業員はお借りできませんよね?』
父は一瞬、唇を噛みしめた。
「……すまない。今は、一秒でも早く脱出艇を使用可能とすることが最優先だ」
その言葉は艦長としての模範解答ではあっただろうが、その声はとても悔しそうでもあった。
『了解しました』
ローラの声には、落胆の響きは微塵もなかった。
『でしたら、全員残ります。機関部には専用の防護シェルターがあります。もし退去時刻に間に合わなければ、そこでやり過ごすことも検討します』
その言い方は、「覚悟」という言葉を口にするのを拒むほどに、淡々としていた。それが彼女なりの、職人としての誇りなのかも知れない。
「……分かった」
父は背もたれに深く身を預け、続ける。
「機関部にも脱出ポッドがあったはずだ。作業終了が退去に間に合えば、そちらを使うことも検討してくれ」
『了解しました』
通信はそれで終わった。艦橋に残ったのは、機関室の熱と振動を想像するしかない静寂だった。父は、しばらく通信卓を見つめたまま動かなかった。
——また一つ、人が“残る”決断をした。
それは命令の結果ではなく、一人ひとりの、あまりにも重い選択だった。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。
◯マティアス・ヴィレール(40)(男性)(176cm)(フランス):首席技師。経験豊富で、作業着が似合うがどこか洗練された印象。
◯エイドリアン・スターリング(30)(男性)(イギリス):物理博士。ヘレナの夫。重力子研究の第一人者。客員技師として乗艦中。ステーションを守るために、実験用に持ち込んでいた重量子防壁を提供した。通称“エイド”。
◯マーカス・ヘイル(28)(男性)(185cm)(アメリカ):物理博士。真空エネルギー研究の第一人者。客員技師として乗艦中。通称“マーク”。
●機関室
◯ローラ・ゴールドバーグ(32)(女性)(170cm)(イスラエル):次席機関士。粘り強さが信条。退去の指揮を執った朝比奈首席機関士に代わり、機関長代理として機関部をまとめる。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。ガニメデ第二ステーションの間に防壁を敷設したが、第一波にてが輸送艦そのものは大きなダメージが受けた。質量の半分以上が“ストレンジレット類似の物質”であることが判明している。
◯ストレンジレット:アップ、ダウン、ストレンジ各クォークからなる物質。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。星野博士とスターリング教授によって、AIが新たな段階に入った。




