トラック4-21【輸送艦<信濃>・夢で見ていた別れ】
《二四〇〇:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
主艦橋に、短い報告が連なって響いた。
『第二波、通過を確認』
司令部からの通信——ペイロ観測官の声は、淡々としているが、その裏に張り詰めた疲労を感じるものだった。
『了解した。各担当、続けてくれ』
ベネット司令官の問いかけに、次々と応答が重なる。
『観測班より。第三波到達まで、三〇分以上を見込んでいます。ただし、監視網の外にある微小飛翔体の存在は否定できません。脱出行動中は、最大限の注意を』
『管理班より。総員退去の安全限界は、作戦時刻二四二五まで。それを過ぎた場合、脱出より艦内残留の方が安全となる可能性があります。民間人を最優先、次に客員乗組員の順に避難を遂行してください』
『司令部からは以上だ。各艦、艦長の判断に従い、総員退去を開始せよ』
「こちら信濃、了解」
ピアース通信士の返答と同時に、艦橋の空気が次の段階へと切り替わる。父は短く息を吸った。
「副長。脱出ポッドだけでは数が足りない。船外作業員二名と連携して、三番艇の準備を進めてくれ。最悪、完全に間に合わなくても——あの中にいる方が、艦内よりは生存率が高い」
「了解……ですが」
サティ副長の声が、いつもより低い。
「それよりも、最優先で対処すべき事項があります」
「何だ?客員——」
「違います」
はっきりと遮られ父は言葉を切った。
「民間人です。艦長のご子息、晶くん。最優先での退去対象です。脱出ポッドでの避難を、強く進言します」
(僕のことだ)
一瞬、父の表情が揺れた。
「……あれは、確かに幼いが、私の家族だ。私が——」
「いけません」
サティ副長は首を横に振る。ただ、その冷静さは全く揺るぎない。
「奥様は確かに客員乗組員のお立場ですが、晶くんは乗組員ではありません。ご家族であるかどうかは、退去順位に関係しません。避難させてください」
父は、ほんの一瞬、目を閉じた。
「……分かった」
(お父さん……)
そう答えた声は、艦長ではなく、父親のものだった。
「幸、すまないが医務室へ急行してくれ。あそこにも脱出用ポッドがある。操作方法はエイリング医師長が把握している」
「分かったわ」
母はすぐに頷いたが、ふと視線を横にやる。
「ヘレナ——いや、スターリング教授も、脱出してもらった方がいいんじゃないかしら?」
サティ副長も頷く。
「私も賛成です。妊娠中である以上、優先退去対象と考えます。出産前ですがお腹の赤ちゃんは民間人です」
「承知した」
父は即座に判断した。
「大丈夫だとは思うが、被爆量や急加速を考えると、脱出ポッドは少し心配もあるな」
「だったら、医療用ポッドを使いましょう」
母の声は落ち着いていた。
「そっちの方が安全よ。……ただし、最後の一基になるけれど」
「ありがとう。残しておいても仕方がない。お言葉に甘えよう」
父は小さく頭を下げた。
「スターリング教授も、医務室へ」
スターリング教授は、即答しなかった。何かを言いかけ、唇を結び直す。理性と衝動の間で、彼女の視線が揺れる。
(ん?どうしたんだろう?)
だが、結局、言葉を発することはなく、不承不承の態で頷き、母と一緒に医務室へ向かうことになった。
***
《二四〇五:輸送艦〈信濃〉医務室》
医務室の自動扉が閉じると同時に、外の喧騒が嘘のように遠ざかった。規則正しく鳴る音、遠心力のある床。ここだけは、まだ“医療の場”としての秩序を保っている。
「待ってたわ」
エイリング医師長が駆け寄る。
「晶くんには子供用の宇宙服を着せて、もう向こうに見えるポッドに乗ってもらってる。後は、私が操作するだけよ」
通路越しに小さくポッドが見える。
「……ありがとう、医師長」
母は、ようやくそう口にした。
「それにしても……」
彼女は、医務室の壁に残る細かな歪みと、天井を走る仮設ケーブルに目をやる。
「通路は、ずいぶん危険になってるわね。艦橋にいた時は、気づかなかったけど」
「ええ」
医師長は静かに頷いた。
「でも、ここから先はすぐよ。お別れを済ませたら、内線で呼んでちょうだい」
「……分かったわ」
母はそう答え、ポッドへと向かった。
***
ポッドへ到着した母は、タラップを登り、開いたままの乗降口を覗き込んだ。
「晶、聞いて。脱出艇はもう全部ダメ。操舵士もいないの」
「ママは……?」
(あっ……)
映像の中の少年は、確かに僕だった。夢の中で何度も見た断片——だが、これは夢ではない。保存された記録だ。
映像の中の僕は、泣いてはいなかった。だが、その小さな肩は激しく震え、必死に涙をこらえているのがわかる。
(泣くな。……泣くなよ、自分。そんな顔をしたら、お母さんが行けなくなるだろ)
そう言い聞かせるように思う。けれど、映像を観ている“今の僕”の胸にも、熱いものが込み上げてきた。
「大丈夫よ。このポッドなら、晶が何もしなくても第二ステーションまで送り届けてくれるわ」
そのとき、母の端末に立体映像が浮かび上がる。父——星野艦長だった。
『幸か?晶は——』
「もうポッドに乗ってる。すぐにでも発艦できるわ」
「パパ! パパも来るんでしょ? 絶対に、来るよね!?」
父は、一瞬の澱みもなく応えた。
『ああ。第二ステーションで会おう。約束だ』
その声は、記録越しにもはっきりと力強く響いた。艦長として、何より父として、僕にだけは心配をかけまいとしていることが、映像から痛いほど伝わってくる。
『幸、晶を送り出したら……また連絡をくれ』
「分かったわ。いったん切るわね」
通信が途切れる。母は僕のシートベルトを締め直しながら、目を合わせて言った。
「晶、大丈夫。怖くないわ。パパもママも、絶対に帰るから。いい?」
「……ほんとに? 絶対だよ?」
「ええ。晶が待っているんだもの。絶対に、帰るわ」
重苦しい機械音とともに、ハッチがゆっくりと閉じていく。母が内線で合図を送ると、十一年前の僕を乗せたポッドは母の姿を闇の向こうへ押しやり、静かに脱出口へと滑り出した。
***
医務室の端末が、短い確認音を鳴らした。
「——晶くんのポッド、無事に射出されたわ。軌道も安定してる」
医師長は、モニターから目を離してそう告げた。
「……ありがとう、医師長」
母は、深く息を吐いてから頭を下げる。医師長は小さく微笑んだ。
「次は……ヘレナね」
その名を呼ばれ、スターリング教授は一瞬、言葉を失った。視線を落とし、考え込むように唇を噛む。
「そういえば……艦橋でも、何か言いたそうだったわね」
母が、柔らかく促す。
「ここは私たちだけよ。なんでも言ってちょうだい」
「ええ。ここにいる看護師たちも含めて——私たちは仲間よ。隠し事はなし」
医師長の言葉に、ヘレナは小さく頷いた。そして、覚悟を決めたように顔を上げる。
「……私、残るべきじゃないかしら?」
「えっ……!」
思わず声を上げたのは医師長だった。
「あなたは科学者である前に、母親なのよ。しかも妊娠中で——」
だが、その言葉を、母が静かに制した。
「続けて、ヘレナ」
ヘレナは母を見つめ、少しだけ微笑む。その瞳には決意と迷いが同居しているかのようだった。
「確かに……私のお腹の中には赤ちゃんがいる。二人も。何にも代えがたい、私の宝物よ。それは間違いないわ」
彼女は、慈しむように腹部へ手を添えた。
「でも……それとは全然違うんだけど……でも、信濃も——ようやく“生まれた”のよ」
一瞬、言葉を探すように視線を泳がせてから、続けた。
「私の子供みたいなものじゃない?……おかしな言い方かもしれないけど」
誰も否定しなかった。その場にいた全員が、信濃がただの演算機を超えた“何か”に変質したことを肌で感じていたからかも知れない。
「あの子はこれから、たくさんの命を救う。もし私がそばで支えてあげられたら……あの子は、どんな困難だって乗り越えられる。そんな気がしてならないの」
医師長は、苦しげに首を振った。
「確かに信濃は今までの人工知能とは全く違う。医者である私にもはっきりわかるわ。でも……それでも、あの子のために、自分の命や、お腹の赤ちゃんを危険に晒すなんて……私は、賛成できない」
沈黙が落ちる。その中で、母がゆっくりと口を開いた。
「……私は、医師長とは少し違うかもしれない」
医師長が意外そうな表情で振り向く。
「私も……信濃のことを、一人の『娘』として大切に思っているからなのかも」
母はヘレナの目をまっすぐ見据えた。
「でも、それなら安心して」
小さく、しかし確かな声で続ける。
「私は、あなたの相棒でしょ?」
ヘレナの目が、わずかに揺れた。
「あなたが去った後も……私が、ギリギリまで信濃を支えるから」
その言葉は、約束だった。ヘレナは、しばらく何も言わなかった。医務室の空調音だけが、やけに大きく聞こえる。
やがて彼女は、ゆっくりと息を吸い、吐いた。
「……分かったわ」
その声は小さく、けれど震えてはいなかった。
「今回は……退くわ。母親としてね。……もう一人の、最強の母親に免じて」
そう言って、申し訳なさそうに微笑む。その表情は、どこか置いていかれる子供のようでもあった。
「でも、幸……約束して」
ヘレナは、まっすぐに幸を見た。
「あの子を——信濃を、できるだけ一人きりにしないであげてね」
母は短く頷いた。
「ええ、もちろん。約束よ。何があっても」
それだけで十分だったのか、ヘレナは目を伏せ、小さく「ありがとう」と呟いた。エイリング医師長は、二人の間に流れる空気を壊さぬよう、そっと端末に手を伸ばす。
「……準備を始めましょう。時間がないわ」
誰も異を唱えなかった。こうして、いくつもの「守りたいもの」を胸に抱えたまま、それぞれの選択が、静かに動き出した。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公=晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。
◯キャシー・ピアース(29)(女性)(168cm)(オーストラリア):首席通信士。明るく明瞭な発声で、ブリッジに活気を与える。
●司令部
◯ポール・ベネット(44)(男性)(180cm)(アメリカ):ガニメデ司令官。情熱的な現場主義者。仕事以外でははフランク、仕事では即決即断が信条。
◯エミリー・シルバ(40)(女性)(158cm)(チリ):首席管理官。小柄ながら、衛星系全体の物資と人員を差配する実力者。“カサンドラ”対策では各基地の避難計画を一手に担っている。
◯セシリア・ペイロ(32)(女性)(162cm)(スペイン):首席観測官。感情を排し、事実のみを淡々と述べるが、その裏で観測データの精度に命を懸けている。
●医務室
◯ミッシェル・エイリング(26)(女性)(160cm)(シンガポール):医師長。極めて冷静沈着。この若さで医師長に抜擢されるほどの“天才”。
◯星野幸(37)(女性)(157cm):主人公=晶の母。医学博士。冷凍睡眠実用化研究の第一人者。客員医師として乗艦中
◯ヘレナ・スターリング(25)(女性)(165cm)(イギリス):数学教授。エイドリアン・スターリングの妻。双子の女の子を妊娠中。
◯星野晶(3)(98cm):主人公。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。ガニメデ第二ステーションの間に防壁を敷設したが、第一波にてが輸送艦そのものは大きなダメージが受けた。質量の半分以上が“ストレンジレット類似の物質”であることが判明している。
◯ストレンジレット:アップ、ダウン、ストレンジ各クォークからなる物質。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。星野博士とスターリング教授によって、AIが新たな段階に入った。




