トラック4-18【輸送艦<信濃>・優先順位】
《二三二五:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
画面が切り替わり、主艦橋の光景が映し出される。張りつめた静寂の中、父は肘掛けに手を置いたまま、ゆっくりと通信回線を操作している。
「こちら星野。ヴィレールか?」
『こちらヴィレールです。自己修復機能の件でしょうか』
「いや、それはもう確認した。問題なく復元している。ただ……」
父は言葉を探すように、正面のスクリーンへ一瞬だけ視線を走らせた。
「AIの様子が、少し妙なんだ……いや、妙じゃないのかもしれんが。女の子の映像が表示されてな。艦隊全体の管理権限が必要だと言い出している」
(お父さんも要領を得ていないみたい。さすがに動揺しているのかな?)
説明がうまくいっていない自覚があるのか、言葉も少しぎこちない。
「ともかく、スターリング教授と星野博士も含め、全員、主艦橋に集まってもらえないか?」
『了解しました』
***
ほどなくして、技術室にいた五人が主艦橋に揃った。父は、言葉の代わりにスクリーンを指し示す。
「……この通りだ」
主画面には、少女のホログラムが浮かび上がっていた。小さな腕を組み、どこか不機嫌そうに口を尖らせている。
母が話しかける。
「信濃、どうしたの?」
少女は即座に顔を上げた。
『私はステーションを守りたいのに、防壁までしか制御できません。他の艦も使わせてください』
その言葉に、主艦橋の空気が一瞬だけ止まる。母は、振り返って父を見る。
「……だ、そうだけど。ダメなのかしら?」
「いや、ダメというわけじゃない。ただ……」
父は言い淀み、少しの沈黙が流れる——それを破ったのは、副長だった。
「艦長。司令部に掛け合いましょう」
サティ副長の声は、いつになく静かだが、こころなしか確信に満ちている。
「今の信濃は、明らかに“変わっています”。時間もありません……私は、それが最善だと思います」
父は一瞬だけ目を閉じ、深く頷いた。
「ピアース。司令部に打診を」
「了解。内容は?」
「信濃は二つの防壁の自己修復機能を回復した。侵食も止まっている。今後の対応について、意見具申を許可されたし、と」
***
司令部からの応答は、予想以上に早かった。
『こちら司令部、ベネットだ』
ベネット司令官の声は、すでに状況を把握している者のそれだった。
『先程から侵食が止まり、信濃の周囲で自己修復が再開していることは、こちらでも確認している。こちらから連絡しようと思っていたところだ』
父は、余計な前置きを省いた。
「では、手短に」
そして、まっすぐ前を見据える。
「我々に——信濃に、艦隊全体の管理権限を委譲していただけませんか?」
主艦橋の誰もが息を詰めた。この申請が一般的なものでないことは、首席乗組員たちの険しい表情を見ても明らかだ。ただ、少女のホログラムだけが、期待の入り混じった眼差しで、司令部の回線を見つめている。
わずかな沈黙の後、司令部回線の向こうから、低く抑えた声が返ってきた。
『……信濃、だと?』
司令官の声だ。
『厳密には、“星野艦長に”ではないのかね?』
父は、迷いなく首を振った。
「いいえ。信濃です。もっと厳密に言えば“我々の艦のAIに”です」
司令部側で、誰かが息を呑む気配がした。直後、ベネット司令官は部下たちに意見を求めた。
『シルバ管理官、プロイス技師。君たちの意見は?』
数秒の間があった。
『シルバです。私は反対です』
はっきりとした声だった。感情ではなく、職責に基づく反対。
『理由は三つあります。第一に艦隊管理権限は緊急時統制の中枢です。単艦のAIに委譲した前例は存在しません。
第二に、信濃のAIは直前に大規模な改変を行っています。現在の挙動は安定しているように見えますが、本当に正常に動作しているかどうか、証拠と評価時間が決定的に不足しています』
少し息を吸って、続ける。
『第三に——“判断不能な結果が出た場合”、誰が責任を負うのでしょうか?AIには取れる責任がありません』
主艦橋のピリピリとした緊張感が伝わってくる。司令部からも信濃からも反論はない。たぶん、彼女の言うことは正論なのだろう。
続けて司令部から別の女性が応答する。
『プロイスです。私はシルバ管理官と異なる立場です』
声は落ち着いていたが、わずかに熱を帯びている。
『まず、シルバ管理官の言う通り“単艦のAIに権限委譲した前例”は確かにありません。ですが——現状そのものが前例のない状況です。前例にこだわる必要はないと考えます』
彼女は言葉を切り、明確に続けた。
『続けて、第二の“ソフトウェア大規模改変による信頼性”ですが、そもそも第一波で確認された“解析不能物質”に対し、我々の持つアルゴリズムは全くの無力でした。今、それに対する唯一の対抗手段。それが信濃のAIです。しかも、学習と修復を同時に行っています。これ以上の信頼性は私には考えつきません』
ベネット司令官は黙って聞いている。
『第三に“責任問題”ですが、結果についての責任は司令部が取ればいいでしょう。むしろ、我々はそのために存在するのですから』
プロイスの声が、祈るような響きを帯びた。
『補足になりますが——今の信濃は、私には単なる艦船搭載型の人工知能とは、とても思えません』
プロイスの声が、わずかに低くなる。
『状況を理解し、目的を定義し、手段を選択しようとしている。私には言語化が難しいのですが……これではまるで……そう、まるで……「今まで待ち望んできた存在」そのもののように、思えてしまうのです』
沈黙。司令部の誰もが、その言葉の重さを噛み締めていた。
信濃では少女の3Dホログラムが、ただ黙って立っている。その視線は、司令部ではなく——ステーションの方向を向いていた。
司令官が、ゆっくりと息を吐く。
『……二人の意見は分かった。だが、一点、訂正がある』
決して大きくは無いが、張り詰めた声が行き渡る。
『これは、誰かが責任を取れる範囲を明らかに超えている』
司令部の空気が張り詰める。
『仮に失敗した場合、我々の取れる責任とは何だ?任を辞することか?』
その言葉に、司令部の空気が変わった。
『我々が検討すべきは、“新しいAIが信頼するに足りうるか”ではない。我々が取れる手段が“どれだけあるか”——いや、“残されているのか”、だ』
回線の向こうで、少女のホログラムが、ほんのわずかに身を乗り出した。
その答えを、待つように司令部回線に、重い沈黙が落ちた。誰もが、ベネット司令官の判断を待っている。
彼はゆっくりと椅子に背を預け、天井を一瞬だけ仰いだ。
それは、思考のための沈黙だった。
『……信濃』
呼ばれた名に、主艦橋の空気が揺れる。
『はい』
少女の声は、驚くほど静かだった。
『聞かせてほしい』
ベネット司令官は、回線越しに問いかける。
『君が艦隊の管理権限を得たら——救えるのか?』
一瞬の間。だが、それは迷いではなかった。
『各艦の末端制御まで、私に委ねていただけるのであれば』
少女の声は、もはや合成音声とは思えないほど、凛として響いた。
しかし、彼女はそこで言葉を切らなかった。ホログラムの瞳が淡く青い光を帯び、司令官をまっすぐに見据える。
『——ですが、ベネット司令官。実行に先立ち、定義を確認させてください』
少女は、ほんの少しだけ首を傾げた。幼い子どもが純粋な疑問を口にするような仕草。それゆえに、背筋が冷えるほどの違和感があった。
『私が救う対象は、ステーションのみでよろしいのですか?……それとも、この艦隊も含まれますか?』
司令部回線が、凍りついた。ベネット司令官が、思わず目を見開く。
『……どういう意味だ』
少女は、諭すように、淡々と応じる。
『つまり——ステーション防衛を最優先とし、艦隊そのものを失ってもよいのか。それとも、艦隊の生存も同時に望むのか』
モニターを見つめる無邪気で愛らしい少女の姿とは裏腹に、彼女の発言はとても冷徹なものだった。
『私に指示してください。それに従います』
シルバ管理官が口にした“責任”という言葉が、今になって、最も重い形で司令部へと跳ね返ってきたように感じられた。
沈黙が流れる。
信濃の艦橋にいる父も、母も、そして——十一年後、この映像を観ている僕さえ、少女の姿をした『信濃』が突きつけた、あまりにも残酷で、あまりにも俯瞰的な問いの前に、ただ息を呑むことしかできなかった。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯星野幸(37)(女性)(157cm):冷凍睡眠実用化研究の第一人者。客員医師として信濃に乗艦中。主人公 晶の母。星野艦長の妻。
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。
◯マティアス・ヴィレール(40)(男性)(176cm)(フランス):首席技師。経験豊富で、作業着が似合うがどこか洗練された印象。
◯キャシー・ピアース(29)(女性)(168cm)(オーストラリア):首席通信士。明るく明瞭な発声で、ブリッジに活気を与える。
●司令部
◯ポール・ベネット(44)(男性)(180cm)(アメリカ):ガニメデ司令官。情熱的な現場主義者。仕事以外でははフランク、仕事では即決即断が信条だが……
◯エミリー・シルバ(40)(女性)(158cm)(チリ):首席管理官。小柄ながら、衛星系全体の物資と人員を差配する実力者。“カサンドラ”対策では各基地の避難計画を一手に担っている。
◯エミリア・プロイス(36)(女性)(170cm)(ドイツ):首席技術官。完璧主義の職人。非常に厳格。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。ガニメデ第二ステーションの間に防壁を敷設したが、第一波にてが輸送艦そのものは大きなダメージが受けた。質量の半分以上が“既知の元素ではない”ことが判明している。
◯ストレンジレット:アップ、ダウン、ストレンジ各クォークからなる物質。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。星野博士とスターリング教授によって、AIが新たな段階に入った。




