トラック4-16【輸送艦<信濃>・“敵”の正体】
《二三〇〇:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
「そういうことか……!」
エイド博士の声は、低く、しかし確信を帯びていた。
「どういうことですか?」
「どういうことだ?」
父が身を乗り出す。と、同時に、マーク博士の声も重なった。二人の視線が、エイド博士に集中する。
「反物質でもない。縮退星由来でもない。ブラックホールでもない」
エイド博士は、モニターに映る“侵食された装甲”を指し示した。
「だが、他の物質を侵食し、同化している。質量は大きい。にもかかわらず、我々の観測では成分が“見えない”」
一拍置く。
「——異常な高密度」
艦橋の空気が張り詰める。
「……これは、つまり」
エイド博士は、言葉を選ぶように、ゆっくりと告げた。
「ストレンジレットだ」
その単語が落ちた瞬間、誰もが息を止めた。
「……なるほど」
マーク博士が、腕を組んだまま唸る。
「部分的には、納得できる。だが——」
即座に、首を振った。
「ストレンジレットなら、こんな“侵食”で済むはずがない。我々どころか、木星ごと……いや、太陽系ごと、ストレンジレットの塊になって終わりだ。今の俺たちが、まだ“人間”の形を保っていられるはずがない!」
「それに」
ヴィレール技師も続く。
「ストレンジレットは存在自体が未確認です。仮に存在するとしても、中性子星の中心部や、中性子星同士の衝突といった、極端な条件下でしか生成されないとされています」
一気に言葉を吐き出し、一旦、呼吸を整える。
「正直に言えば、現在の科学レベルで扱えるとは思えません」
「その通りだ」
エイド博士は、否定しなかった。
「だからこそ——“いわゆるストレンジレット”ではない」
博士は、ゆっくりと視線を巡らせる。
「だが、もし……チャームクォークを核に含んだ“準安定状態”だったらどうだ?」
「……不純物を含んだクォーク塊?」
「そうだ」
エイド博士の声が、わずかに熱を帯びる。
「重すぎる不純物のせいで、連鎖反応の速度が極端に抑制されている。いわば、致死性の毒を薄めたような状態だ。だが、その本質は変わらない。触れた物質の原子構造を、いずれ根こそぎ書き換える。そんな物質だとしたら?」
誰も、すぐには口を開けなかった。
「もちろん、私も見たことも聞いたこともない。そんな物質が存在するかどうかも分からない」
エイド博士は苦笑する。
「だが、“存在する”と仮定するなら……今、我々の目の前にある、これじゃないか?」
「……あるな」
マーク博士が、低く呟いた。
「いや……これは、むしろ」
言葉を探すように、天井を仰ぐ。
「消去法だな」
「そうですね」
ヴィレール首席技師も、ゆっくりとうなずいた。
「私も、そんな物質を想像したことすらありませんでした。ですが……“それが存在する”と仮定すれば」
モニターに映る“治らない傷”を見る。
「すべて説明がつきそうです」
艦橋に、重い沈黙が落ちた。
それは恐怖ではなく、理解が追いついたときに訪れる、冷たい静けさだった。人類が知らなかった物質。人類の最強の盾を、内側から壊す存在。
父は、静かに息を吸い、問いを投げかけた。
「……対処法は、ありそうか?」
それが、この戦いの次の問いだったが、三人の技術者が短く、しかし激しく言葉を交わす。
「おそらく——人類が初めて遭遇する物質だ」
エイド博士が、淡々と告げる。
「即座に思いつく対処は、第三世代クォークによる中和だが……」
「それでは燃費が悪すぎる」
マーク博士が、すぐに首を振った。
「連鎖反応は“量子的位相の揃い”に依存してる。なら、正面から殴るより、量子ノイズで足元を崩した方がいい」
「ノイズを使うなら」
ヴィレール技師が、考え込むように続ける。
「連鎖を止めるのではなく、連鎖にかかる“時間”を限りなく引き延ばす方法はどうでしょう。事実上、無限に近づける。これなら“燃費”も悪くありません」
「いや、それだと」
マーク博士は即座に指摘した。
「侵食された部分の修復をどうする?“治らないまま”残るぞ」
一瞬の沈黙。
父は、三人を順に見渡した。
「——ヴィレール」
声は低く、しかし迷いがなかった。
「時間がない。案をまとめろ。三〇分以内に実装できる案を採用してくれ」
「了解しました」
ヴィレール技師は即答する。
「技術室を使います。信濃と防壁群のAIに、強制学習が必要です。管理者権限を」
「承知した」
父はうなずき、視線を副長へ向ける。
「副長、防壁制御の管理権限について司令部へ申請を」
「了解しました」
そのやり取りに割り込むように、エイド博士が言った。
「それから、医務室のヘレナを技術室へ。力を借りたい。できれば——星野博士も」
「それは名案だ」
ヘイル博士が、楽しそうに笑う。
「AIにとっては、最強の助っ人二人だな」
「いや……」
父は一瞬、言葉を選んだ。
「スターリング教授と違って、幸は医者で冷凍睡眠が専門だ。お役に立てるかどうかは……」
その瞬間、二人の博士が顔を見合わせ、同時に笑った。
「星野博士は」
エイド博士が言う。
「電脳空間に認知機能を実装した、最初の人間ですよ?」
「まったく」
マーク博士が肩をすくめる。
「理解のない夫だな。反省してくれ」
「……後でしておきます」
父は苦笑し、すぐに表情を引き締めた。
「ヴィレール、二人を技術室へ。ピアース、医務室に連絡。スターリング教授と——星野博士に、技術室への移動を依頼してくれ」
「了解」
「了解しました」
返事が重なり、艦橋が再び動き出す。
未知の物質。
治らない傷。
迫り来る第二波。
それらすべてが、艦隊と防壁、そして彼らが守る第二ステーションを屠るために牙を剥いている。絶望するには、あまりにも十分な状況だった。
だが、この艦には——いや、きっと司令部全体において——絶望に身を委ねる者は、一人として存在しない。たとえこの災厄が“神が定めし法則のバグ”であったとしても、それは変わらない。
彼らは、考えることをやめない。抽象化し、数値化し、定義し、解析し、対策を導き出す。どれほど理不尽で、どれほど理解を拒む存在であっても。
それは、ホモ・サピエンスが持ちうる唯一の、そして最強の反撃——“思考”という名の祈りだった。
こちらが手にするカードは、間違いなく人類最強の知能。それをもってしても、相手はその英知の射程の、遥か外側に潜んでいるのかもしれない。それでも、足掻く。一パーセントにも満たない生存確率を無理やりこじ開ける。
“それしかない”ことが、僕にも痛いほど伝わった。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。
◯マティアス・ヴィレール(40)(男性)(176cm)(フランス):首席技師。経験豊富で、作業着が似合うがどこか洗練された印象。
◯キャシー・ピアース(29)(女性)(168cm)(オーストラリア):首席通信士。明るく明瞭な発声で、ブリッジに活気を与える。
◯エイドリアン・スターリング(30)(男性)(イギリス):物理博士。重力子研究の第一人者。客員技師として乗艦中。ステーションを守るために、実験用に持ち込んでいた重量子防壁を提供した。通称“エイド”。
◯マーカス・ヘイル(28)(男性)(185cm)(アメリカ):物理博士。真空エネルギー研究の第一人者。客員技師として乗艦中。通称“マーク”。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。ガニメデ第二ステーションの間に敷設された防壁を第一波が襲撃中。質量の半分以上が“既知の元素ではない”ことが判明している。
◯ストレンジレット:アップ、ダウン、ストレンジからなる物質。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。




