トラック4-13【輸送艦<信濃>・二つ目の壁】
《二一五四:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
『こちら司令部首席管理官シルバ。各艦、機関を始動の上、通常防壁を展開せよ』
信濃の通信士が即座に応答する。
「こちら信濃、了解」
父は、わずかに背筋を正した。
「機関長。主機関、出力四〇パーセント」
「復唱。主機関出力四〇パーセント……問題なし」
航おじさんの低く、確かな声が返る。
「ヴィレール。通常防壁、展開率八〇」
「復唱。通常防壁八〇パーセント……問題ありません」
艦橋に張りつめていた空気が鋭さを増す。
「了解」
ピアースが報告を重ねる。
「こちら信濃。通常防壁の展開、完了しました」
『こちら司令部サリバン。全艦の防壁展開完了まで待機せよ』
「了解」
そして、司令部の声が再び響いた。
『全艦の通常防壁展開および接続を確認。問題なし。これよりフェーズ三を開始する。重力子防壁展開まで、一〇秒』
誰も言葉を発さない。主画面に映るのは、ガニメデ上空に浮かぶ五隻の艦と、それらを結ぶ八本の青い光。
『……五、四』
八本の線が、わずかに明滅する。
『三』
それは、数多の選択と犠牲の果てに引かれた線だった。
『二』
父は、ただ正面を見据えている。
『——重力子防壁、展開』
次の瞬間、青だった線が、深い緑へと変わった。艦と艦、命と命をつなぐ色。
『こちら司令部、スターリング博士。展開は正常に完了しています。検証お願いします』
主艦橋のエイド博士はモニターに表示された数字を確認する。
「こちらスターリング。モニタリング完了……問題なし」
短い報告だが、その一言が意味するものは、計り知れなかった。重力子防壁は完成したのだ。しかし、艦橋に笑顔はない。理由は僕にも分かった。“守るべきものを守る”、その準備が整った、まだ、それだけだからだ。
***
艦内にチャイムが鳴り、主艦橋の乗組員は一斉に手を止める。
『“信濃”の全乗組員へ告ぐ。艦長の星野だ。作業の手は止めず、そのまま聞いて欲しい』
父の声が艦内に響く。
『諸君らの奮闘により、重力子防壁の構築は完了した。この絶望的な宙域において、職務を全うした一人ひとりの献身に、艦長として、心からの敬意と感謝を表する。
作戦は、既にフェーズ三へ移行している。これより、名簿に従い、退去を開始する』
父は少し呼吸を整え、言葉を続ける。
『ただし、よく聞いてほしい。こちろんこの退去は、今生の別れではない。残る我々が作戦を完遂し、“カサンドラ”の脅威が去ったその先で、再び顔を合わせるまでの、一時離脱に過ぎない。
作戦終了後、諸君らと笑顔で乾杯を交わすこと。それが、私と、ここに残る精鋭たちに課せられた——本作戦最後の任務だ』
父は少しだけ視線を落とし、また見上げる。
『退去の指揮は、朝比奈首席機関士が執る。各員、彼の指示に従い、迅速に行動せよ……では、また後ほど。信濃で会おう。以上』
放送が切れた後も、主艦橋の乗組員はお互いに視線を送り、静かに頷き合っていた。口を真一文字に結んだその横顔には、死の恐怖ではなく、任務を完遂せんとする固い決意が刻まれていた。
***
再びチャイムが鳴る。
『各員、朝比奈だ。艦長の命令は聞いての通りだ。
これより三〇分間以内に各部署の代表者が責任をもって退去を完了すること。脱出艇は一番と二番を使用する。準備が終わった者から、順次、乗り込んでくれ。
それまでに全ての引き継ぎを済ませるように。引き継ぎは、操舵班と航宙班は艦橋で、それ以外はそれぞれの作業室で行うこと』
それを聞いた首席操舵班と首席航宙班は準備を開始する。
『まあ、多少残ってても、俺達、退去組がやり残した仕事は、艦長以下、残留組が引き受けてくれる。だから——安心してこの艦を降りよう』
少し声が柔らかくなる。
『それから……この“信濃”が沈むんじゃないかって心配な者がいれば、各自、信じてる神様にでも祈ってくれ』
フン、と鼻で笑うような音が混じる。
『ただし、俺が信じているのは、残る仲間たちの技術と、そして、ここまでこの艦を守り抜いてきた、全員の誇り、それだけだ。
また……行方の分からない仲間については、残留組、退去組の両方で引き続き調査を続ける。また、負傷者については、最新鋭の医療用ポッドを手配しているので安心して欲しい』
急に声のトーンが落ちる。
『最後に……乾杯の酒は俺の奢りだ。とっておきのを用意しておくから、期待しててくれ。以上だ』
航おじさんの放送が終わる。最後の言葉で乗組員たちの表情が明るくなる。そして、それぞれの持ち場へと、静かに散っていった。
***
放送が終わっても、航おじさんは慌ただしい。今度は別の通信を行う。
「こちら朝比奈だ。そちら、どうなっている?」
少し間を置くと、モニターには若い女性が表示される。
『ゴールドバーグです。これから機関室で最終確認を行い、その後、主艦橋へ向かいます』
「……その件だが、少し待ってくれ」
航おじさんは一度言葉を切る。そして、端末を操作すると、モニターには別の若い女性が追加表示された。
「コーシー、今、いいか?」
『こちらコーシー、大丈夫です』
「ゴールドバーグ次席が、機関室に向かう前に医務室へ立ち寄るため、到着は十分ほど遅れる。その間の事前準備を頼みたい」
一瞬の沈黙のあと、明るい声が弾んだ。
『了解です——お父さん!』
割り込むように、別の声が飛び込んでくる。
『ちょっと待ってください!それは明らかに公私混同です。今は退去を優先すべきです』
ゴールドバーグの声は真剣だった。だが航おじさんは、わずかに口角を上げる。
「公私混同は俺の大好物だ、問題ない」
そう言って、わざとらしく咳払いすると、もう一度コーシーに話を振る。
「コーシー機関技師、君はどう思うかね?」
『私も大好物です。問題ありません。お父さんなら、そうくるんじゃないかと思って、実は準備に入ってます』
その返答に、航おじさんは短く息を吐いた。
「そういうわけだ」
航おじさんはモニターに映るゴールドバーグに目線を送る。
「時間は少ない、行って来い。さっさとしないと、善意の助言から上司命令に切り替えることになるぞ」
つかの間の沈黙の後、少しだけ声の調子が崩れる。
『……分かりました。ありがとうございます。お父さん』
「こら」
航おじさんは、すぐさま遮った。
「どさくさに紛れて、おまえまで父親扱いするな」
だが、その声には叱責よりも、照れと——ほんのわずかな安堵が滲んでいたように思えた。通信が切れたあと、主艦橋には、ほんの一瞬だけ、穏やかな空気が漂った。
ただ、映像の中の彼らは、まだ誰も知らない。『信濃で会おう』という約束も、『全員揃っての乾杯』という希望も叶わなかったことを。その全てが永遠に果たされぬまま潰えることを。そして、これが、あまりにも理不尽な“今生の別れ”となってしまうことを。
記録の中の誰もが、未来の再会を疑わず、希望をその目に宿している。その眩しさが、今の僕には何よりも痛かった。
これから訪れる残酷な結末を知っているのは、傍観者である僕一人だけだ。無邪気なほどに明日を信じる彼らの背中を、僕は逃げ場のない現実の濁流に打ちひしがれながら、ただ見つめていることしかできなかった。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯朝比奈航(39)(男性)(181cm):首席機関士。艦長の渉とは親友で右腕。若手の機関技師たちからは「お父さん」と呼ばれている。
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長のもう一人の右腕。
◯キャシー・ピアース(29)(女性)(168cm)(オーストラリア):首席通信士。明るく明瞭な発声で、ブリッジに活気を与える。
◯マティアス・ヴィレール(40)(男性)(176cm)(フランス):首席技師。経験豊富で作業着が似合うがどこか洗練された印象を受ける。
◯エイドリアン・スターリング(30)(男性)(183cm)(イギリス):物理学博士。重力子研究の第一人者。客員技師として乗艦中。
●副艦橋
◯ローラ・ゴールドバーグ(32)(女性)(170cm)(イスラエル):次席機関士。粘り強さが信条。ウッドマン次席船外作業員とは恋人同士で婚約中。
●機関室
◯アニー・コーシー(24)(女性)(155cm)(フランス):機関技師。小柄だが気が強く、先輩や上官に対しても論理的な矛盾があれば容赦なく突っ込む。
●司令部
◯エミリー・シルバ(40)(女性)(158cm)(チリ):首席管理官。木星系全体の物資と人員を差配する実力者。“カサンドラ”対策では各基地の避難計画を一手に担っている。
◯アビゲイル・サリバン(28)(女性)(162cm)(アイルランド):信濃担当通信士。冷静で正確な通信技術を持っている。担当艦である「信濃」の全乗組員の顔と名前、その家族構成までを暗記している。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。このままだと、ガニメデ第二ステーションを直撃する。質量の半分以上が“既知の元素ではない”ことが判明している。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。




