トラック4-11【輸送艦<信濃>・数字の向こう側】
《二一二六:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
——誰も、次の言葉を発しなかった。
計器の冷却ファンが回る低い唸り、通信系の待機音、船体をかすめる微小な衝撃による鈍い低音……
いろいろな音が聞こえてくるのに主画面には何も映っていない。いや、正確には“何か”映ってはいる。映るべきものが映っていないのだ。
父は微動だにしない。背筋を伸ばしたまま、両手を肘置きに添え、画面を見つめ続けている。
「……艦長」
副長の声が主艦橋に落ちる。赤くなった目は伏せられ、声はかすかに震えていた。
「指示を……」
父は短く息を吐いた。
「……すまん」
その一言は、誰に向けられたものだったのか。副長か、部下たちか、それとも——。
「ヴィレール。艦周辺の捜索を開始。計測器は最優先で使って構わない」
「了解」
即答だった。ヴィレール技師は感情を表に出さず、ただ作業に戻る。
「ピアース。司令部へ、撤退の現状と被害状況を報告」
「了解……オニール首席は、どのように?」
「……MIAで頼む」
「了解」
ピアース通信士の指は、わずかに震えていたが、声に乱れは無かった。
「ベッカー、ウッドマンとロドリゲスの状況は?」
『現在、医局へ搬入中です。ただ……副隊長の方は看護師から“艦の設備では対応が難しいかもしれない”って聞いてます』
父は目を閉じなかった。ただ、顎を引く。
「分かった。こちらから医務室に問い合わせる」
一瞬の沈黙の後、声が揺れた。
『……隊長は……隊長は、見つかりますか?』
ベッカーの願い。それは願いより祈りに近いように思えた。
「現在、捜索中だ」
『艦長!どうか……っ、どうか隊長を……』
それ以上、言葉は続かなかった。通信は、嗚咽に変わり、やがて途切れた。主艦橋に再び重い沈黙が落ちた。父は一度だけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。
「エイリング医師長。ベッカーから報告を受けている。ウッドマンの容体は?」
『止血は完了して、いまは安定しているわ。ただし——』
医師長は深く息を吸って続ける。
『この艦の設備でも不可能ではない。でも、医師として言うなら、第二ステーションへ搬送した方が確実よ』
「分かった。ただ、脱出艇では負担が大きい。脱出ポッドでは付き添いができない……」
父の言葉を継ぐように、医師長が続ける。
『ええ。だから——星野先生の案が最適だと思うの。代わるわね』
一瞬の切り替え音。
『こちら星野です』
母の声は、驚くほど落ち着いていた。
『医療用の冷凍睡眠ポッドが使えるわ。実用段階のものを積み込んでいるの。これなら自動看護で搬送できるし、症状の悪化も防げる』
説明は短く、要点だけだった。
「……分かった。それで行こう」
即断だった。
『中央診療区に知り合いがいるわ。私から受け入れの連絡を入れておきましょうか?』
「助かる。頼めるか?」
『大丈夫。じゃあ、医師長に戻します』
再び通信が切り替わる。
『ロドリゲス作業員は全治二週間。命に別状はないわ』
「安心した。艦橋からは以上だ」
通信を切り、艦長は背筋を伸ばした
「朝比奈機関長は退去の準備を進めてくれ」
「了解」
歯切れのよい返答が返り、艦は再び動き出す。副長が父を見つめ、そして言葉を発する。
「艦長……申し訳ありません。私の判断ミスでした。私が四本目の結線を具申しなければ、オニールは——」
声が、最後まで持たなかった。父は、ゆっくりと首を振った。
「いや……まだ結論を出すには早すぎる」
その声は低く、しかし揺れていなかった。
「それに、最終判断を下したのは、私だ」
そして、少し間を置いて、続ける。
「——全ての結線が完成したことで助かる命もあるかも知れない。だから、我々の判断が間違っていたとは思えない。あと……命を天秤に乗せるようなことはしたくないし、しなくていい」
副長は何も言えず、ただ唇を噛みしめて頷いた。
画面には、依然として静かな宇宙が映っている。だが、その静寂の裏で、信濃は次の局面へと進み始めていた。
「艦長。司令部より、全艦宛ての通知が入っています。艦内放送で流してよろしいですか?」
ピアース通信士の声は、努めて平静を装っていた。
「了解。それでかまわない」
父は短く答え、背もたれに身を預けることなく正面を見据えた。
「了解。艦内放送、接続します」
一瞬のノイズの後、司令部からの声が艦内に流れ出す。
『こちら司令部シルバ。被害状況を報告する』
その声は、淡々としていた。感情を挟む余地を、最初から排除しているかのようだった。
『信濃——MIA一名、重傷一名、軽傷一名。
サクラメント——被害なし。
トレント——軽傷二名。
ジェームズ——重傷一名、軽傷一名。
ヴェーザー——軽傷三名。以上。繰り返す——』
数字だけが、艦内を通過していく。そこに、名前は無い。
誰かが唇を噛みしめ、誰かが目を伏せ、誰かが拳を握りしめる。だが、誰一人として声を上げる者はいなかった。
続けて、別の声が割り込む。
『こちら司令部プロイス。これより結線調整の最終確認を行う』
少しだけ、張りのある声だ。
『問題がなければ、二一五五をもってフェーズ三へ入る。重力子防壁および通常防壁を有効化した後は、最小限の人員のみ残し順次退艦せよ』
プロイスは続ける。
『各艦、作業を急げ。繰り返す——』
放送が終わり、主艦橋には再び静寂が戻った。父は、ゆっくりと息を吐く。
数字の向こう側にあるものを、誰よりも理解しながら——それでも、艦を、作戦を、そして未来を前に進める——きっと父は、そんなことを考えていたんじゃないかと僕には思えた。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。両親を幼い頃に、また夫も十五年前に、それぞれ宇宙艦船の事故で失っていて、皆を生存させることに使命感を燃やす。
◯キャシー・ピアース(29)(女性)(168cm)(オーストラリア):首席通信士。明るく明瞭な発声で、ブリッジに活気を与える。
◯マティアス・ヴィレール(40)(男性)(176cm)(フランス):首席技師。経験豊富で作業着が似合うがどこか洗練された印象を受ける。
●船外作業班
◯ライオネル・オニール(36)(男性)(183cm)(アメリカ):首席船外作業員。元空軍パイロット。どんな危機でもジョークを忘れない不敵さを持つが、作業の安全確認に関しては異常なほど厳格。「宇宙で死ぬのは準備不足な奴だけだ」が口癖。船外作業中に行方不明になった。
◯エディ・ウッドマン(28)(男性)(182cm)(イギリス):次席船外作業員。物理学の学位を持つ。直感派のオニールに対し、常に計算とマニュアルを重視する。少し神経質だが、オニールの「勘」の正しさを誰よりも信頼している。船外作業中に左足を喪失する重傷を負った。
◯ベアトリス・ロドリゲス(31)(女性)(182cm)(ブラジル):船外作業2班の班長。長い黒髪を編み込んでヘルメットに押し込んでいる。過酷な宇宙環境でも動じない強靭な精神力を持つ。実は乙女。船外作業中に負傷した。
◯ヤコブ・ベッカー(38)(男性)(185cm)(ドイツ):船外作業1班の班長。元建築エンジニア。機器の扱いが上手い。無口だが責任感は人一倍強く、オニール隊長の教えを忠実に守る。
●司令部
◯エミリー・シルバ(40)(女性)(158cm)(チリ):首席管理官。木星系全体の物資と人員を差配する実力者。“カサンドラ”対策では各基地の避難計画を一手に担っている。
◯エミリア・プロイス(36)(女性)(170cm)(ドイツ):首席技術官。非常に厳格。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。このままだと、ガニメデ第二ステーションを直撃する。質量の半分以上が“既知の元素ではない”ことが判明している。
◯MIA:Missing In Actionの略。作戦行動中行方不明のこと。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。
◯サクラメント:信濃型輸送艦の二番艦。
◯トレント:信濃型輸送艦の三番艦。
◯ジェームズ:信濃型輸送艦の四番艦。
◯ヴェーザー:信濃型輸送艦の六番艦。




