トラック4-09【輸送艦<信濃>・第四の結線】
《二〇二五:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
主艦橋に、控えめな呼び出し音が鳴った。
『こちら船外作業二班班長ベアトリス・ロドリゲス。艦長!隊長が現在作業中につき、私からの意見具申、よろしいでしょうか』
「かまわない。話してくれ」
父は短く答え、主画面から視線を外さずに通信を受けた。
『“信濃が三結線で撤収”という司令部判断は理解しています。ただ……最後の一結線、カサンドラ襲来の“間隙”を縫って再開できる可能性は、本当にゼロとお考えでしょうか』
艦橋の空気が、わずかに張り詰める。
「理論上の可能性は否定しない。ただし、そのためには再び防壁を切る必要がある。時間的にも、リスク的にも、ゼロではないが、その可能性は低いと考えている」
淡々と答えながら、父の声からは納得しきれていないことが感じられる。
『……承知しました。しかし、せめて準備だけでもさせていただくことは難しいでしょうか?現在休憩中の二班で、いつでも再開できる態勢を整えておきたいのです』
「君たちは、三十分ほど前まで船外に出ていたはずだ。自覚の有無に関わらず疲労はあるだろう」
『正直に言います。この件が気になって、休めません。……二班全員が同じ考えです』
一瞬の沈黙が流れ、父が言葉を探している間に別の回線が割り込んできた。
『聞いてましたよ、艦長』
「オニールか」
『ええ、俺からもお願いします。二班はあくまで準備だけ。無理はさせません。他艦の撤収タイミングに合わせて引き上げれば、命令違反にはならない』
少し間を置き、続ける。
『正直に言えば……仮に最善を尽くしても最後の一本を終わらせるのは無理です。でも、“やれるところまでやる”って選択肢は、あってもいいんじゃないでしょうか?』
父の視線の先は副長だ。
「サティ副長、君の意見は?」
副長は一瞬だけ考え、静かに頷いた。
「合理的です。司令部判断は尊重しますが、これは本艦の裁量範囲です。準備作業を禁止する理由は見つかりません」
父は小さく息を吐き、決断した。
「……分かった」
通信に向き直る。
「ロドリゲス班長。準備を許可する。無理はするな。撤収命令が出たら、即座に従え。責任はこちらで取る」
一拍置いて、明るい声が返ってきた。
『やった!ありがとうございます、艦長!……愛してます!』
主艦橋の中の張り詰めていた空気が少しだけ解けたように見えた。父は小さく苦笑し、小さな声でつぶやいた。
「まかせた」
***
《二一〇〇》
(あっ!時間が変わった)
主艦橋の作戦時刻がちょうど二十一時間を示した瞬間、観測用スクリーンが赤く点滅する。
(通信回線?)
『こちら司令部観測官ペイロ。センチメートル級“カサンドラ”の襲来予測、二一一五から変更なし。各艦は現状を報告し、調整作業完了次第、撤収せよ。繰り返す——』
淡々とした報告の裏に、取り返しのつかない時間制限がはっきりと刻まれている。主艦橋の通信士が即座に応答する。
「こちら信濃、通信士ピアース。三結線の調整完了、現在撤収中。……我が艦の判断により最終結線の調整を継続していたが、これより作業を中断。直ちに撤収フェーズへ移行する」
『こちら司令部、信濃担当サリバン。了解しました……追加情報です。ミリ級の先行群が確認されています。宇宙服の簡易防壁を信じて、落ち着いて。しかし、最大限の注意を払ってください』
「了解」
(ミリ級……すごく細かいやつだ)
通信士の声に、わずかな焦燥が混じり始める。父さんは、船外作業モニターに視線を走らせたまま、口を開く。
「オニール、今の通信は聞いていたな」
『ああ、聞いてた』
即答だった。
『ベアトリス。二班は撤収を急げ。ミリ級との衝突で火花が散るだろうが、慌てるな。宇宙服を信じろ。速度より確実性だ。落ち着いてやれ』
『了解』
(ベアトリスさんの声、落ち着いてる)
『二班全員、命綱の巻取り確認。手順を守ること。焦った奴から置いていくわよ』
その声に、わずかな笑いが混じる。そんな中、司令部から、さらに通信が入る。
『こちら司令部管理官シルバ。トレントおよびヴェーザーに作業遅延が発生しています。遅延の二艦について定刻で撤収可能な範囲ギリギリまでは作業延長を許可します。他の艦は気にせず撤収作業を継続してください。全艦、二一一五までに撤収完了を死守願います。例外はありません。繰り返します——』
艦橋の空気が、さらに重く沈む。父は唇を一度だけ噛み締め、低く言った。
「……時間がないな」
その時だった。僅かな静寂を破るように再び通信回線が割り込む。
『こちら船外作業二班カザルス、ベアトリス班長の命綱にトラブル発生。艦側ロックに微細な“カサンドラ”が噛み込んで解除できない』
僅かに送れて別の回線が割り込む。
『こちら加藤。ダメだ……細かい塵で埋まって……完全にスタックしています』
父の指が椅子の縁を掴むのが分かる。映像には外壁に張り付く作業灯と身動きの取れない一つの影が映し出されている。
『あんたたち、先に行きなさい』
班長の声は意外なほど落ち着いて聞こえる。
『一人でなんとかする。今は時間がない』
『班長、それはできません』
『班長を置いてはいけません』
『絶対に連れていきます』
部下たちの三つの声が重なる。
『焦らないで。私なら大丈夫。一人でなんとかできる』
小さく呼吸を吐いて、張り詰めた声で続ける。
『ついでに最後の結線も片付けてしまうわ。これは班長命令よ』
『無理です』
『命令違反でも何でも絶対につれていきます』
『最後の結線なら、四人でやった方が速い』
再び重なった三つ声を、別の声が上書きする。
『こちらウッドマン。いつも言ってるだろ?感情に流されるな』
『副隊長!』
ベアトリスを宥めるように落ち着いた声が聞こえる。
『こういう時こそ冷静にいけ。第二命綱はどうなってる?』
『生きてるわ』
『よし、じゃあ近くの奴に第二を固定して曳航できないか?』
画面には一つの影を助けようとする三つの影が映っている。
『こちらデミレル、ダメです。班長側のフックもいかれちまってます。リリースレバーがびくともしません』
『両方ダメとは……確率無視だな』
冷静だった副隊長の声が、初めて微かに震えたように思えた。
『分かった。今からそちらへ向かう』
『いけません。二重遭難の愚を犯すことになります』
ベアトリス班長が即座に遮る。
『安心しろ。なんとかする。副隊長を信じろ』
その瞬間、低い声が割り込んだ。
『——エディ、待て』
『『隊長!』』
ベアトリス班長とエディが同時に発した声は歓声に近い響きを帯びているようだった。
『そっちへは俺が向かう。お前なら本当になんとかしちまうかも知れんが、ここは確実にやろう。艦長!』
隊長の呼びかけに、父が一瞬の間もなく応じる。
「聞いていた。必ず助ける。何でも言ってくれ」
『助かる』
何の迷いも感じられない。
(頭の中では救出計画が完成しているのかも知れない)
それほどに、隊長の声は自信に満ちていた。
『高出力レーザーがあったはずだ。命綱が切断できるやつ。あいつを用意してくれ』
「分かった。すぐに用意させる」
父は即座に担当部署へ指示を回す。
『俺よりエディの方がハッチに近い。持ってきてくれ。現場には俺が向かう』
『了解』
隊長の指示はどこまでも迅速で迷いがない。
『二班はそのまま待機……気が紛れるなら、四番目の調整でもやってて構わん。あくまでも、俺が行くまでの“暇つぶし”だ』
『『『『了解』』』』
四つの声が揃った。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。輸送艦“信濃”の艦長。
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。両親を幼い頃に、また夫も十五年前に、それぞれ宇宙艦船の事故で失っていて、皆を生存させることに使命感を燃やす。
◯キャシー・ピアース(29)(女性)(168cm)(オーストラリア):首席通信士。明るく明瞭な発声で、ブリッジに活気を与える。
●船外作業班
◯ライオネル・オニール(36)(男性)(183cm)(アメリカ):首席船外作業員。元空軍パイロット。どんな危機でもジョークを忘れない不敵さを持つが、作業の安全確認に関しては異常なほど厳格。「宇宙で死ぬのは準備不足な奴だけだ」が口癖。
◯エディ・ウッドマン(28)(男性)(182cm)(イギリス):次席船外作業員。物理学の学位を持つ。直感派のオニールに対し、常に計算とマニュアルを重視する。少し神経質だが、オニールの「勘」の正しさを誰よりも信頼している。
◯ベアトリス・ロドリゲス(31)(女性)(182cm)(ブラジル):船外作業2班の班長。長い黒髪を編み込んでヘルメットに押し込んでいる。過酷な宇宙環境でも動じない強靭な精神力を持つ。実は乙女。
◯レオン・カザルス(24)(男性)(175cm)(スペイン):船外作業員(2班所属)。お調子者のムードメーカー。手先が器用で、力仕事より細かい手作業を得意とする。『技術のレオン』
◯加藤賢治(27)(男性)(181cm):船外作業員(2班所属)。真面目な常識人。レオンの無茶をたしなめる役回りだが、結局は乗せられて一緒に盛り上がる。『知識のケンジ』
◯オルハン・デミレル(26)(男性)(188cm)(トルコ):船外作業員(2班所属)。寡黙なロマンチスト。大柄で無口だが、心優しき巨人。作業中の合間に星々を眺めるのが好き。『力のオルハン』
●司令部
◯セシリア・ペイロ(32)(女性)(162cm)(スペイン):首席観測官。感情を排し、事実のみを淡々と述べるが、その裏で観測データの精度に命を懸けている。
◯エミリー・シルバ(40)(女性)(158cm)(チリ):首席管理官。木星系全体の物資と人員を差配する実力者。“カサンドラ”対策では各基地の避難計画を一手に担っている。
◯アビゲイル・サリバン(28)(女性)(162cm)(アイルランド):信濃担当通信士。担当艦である「信濃」の全乗組員の顔と名前、その家族構成までを暗記している。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。このままだと、ガニメデ第二ステーションを直撃する。メートル級は全て捕捉されていたが、それを下回るデシメートル級、センチメートル級が時間を追って補足されつつある。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。
◯サクラメント:信濃型輸送艦の二番艦。
◯トレント:信濃型輸送艦の三番艦。
◯ジェームズ:信濃型輸送艦の四番艦。
◯ヴェーザー:信濃型輸送艦の六番艦。




