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トラック4-07【輸送艦<信濃>・中央食堂にて】

〇九(まるきゅう)二八(ふたはち):輸送艦〈信濃〉中央食堂》


 映像は、明るい空間を映し出していた。

 整然と並ぶ白いテーブル。柔らかな照明。ロボットが静かに行き交い、笑い声と食器の触れ合う音が、穏やかに重なっている。


(……ここも、初めて見るな。さすがに食堂も重力あるんだな)


 テロップには〈中央食堂〉と表示されていた。船の中に広がる地上さながらの見慣れた景色。そのあまりの“普通さ”に、妙な安堵感と得体の知れない違和感が奇妙に混ざり合う。

 その片隅では、ローストビーフを山のように盛ったトレイを囲み、三人の男が顔を寄せ合っている。


「……マジかよ。隊長から聞いたけどさ、副隊長、本当にやったらしいぞ」


(あっ……普通の制服じゃない)


 映像越しでも分かる。彼らが着ているのは、船外作業員の制服だった。厚手で実用的な上着が、凛々(りり)しくも感じられる。


「ああ、本当だって。第四ドックの陰で、ローラ次席機関士に指輪を渡したらしい」


 男は肩をすくめ、肉を頬張る。


「こんな木星系のど真ん中でだぜ?ロマンチックすぎて胸焼けしそうだ」

「いや、俺は正直うらやましいけどな」


 三人目が、フォークを宙で振った。


「次席機関士だろ?あの可愛いと噂の“機関技師三人娘”の上司。なんか色っぽいしさ。俺たち船外作業員なんて、いつも外壁とにらめっこで色気も何もありゃしない」


 少し声を潜め、にやりと笑う。


「……なあ。お前らなら、その三人なら誰が好みだ?」

「そう言うお前は?」

「俺は断然カタリーナだな」


 一人目が即答する。


「あのぶっきらぼうな感じ……あれで優しくされたら、たまらん」

「変態かよ」


 二人目が鼻で笑った。


「俺は断然アニーだね。毎朝、あの子が淹れたコーヒー飲めたらなぁ」


(……男子が集まると、中学生と変わらないんだな)


 思わず、そう感じてしまう。木星系全体が“カサンドラ”の脅威にさらされているというのに、彼らは今、好きな異性の話で盛り上がっている。


 ——そのときだった。


 背後から、鋭い咳払いが一つ。三人は弾かれたように背筋を伸ばす。長い黒髪で理知的な顔立ちの女性が、トレイを手に立っていた。


「……聞こえたわよ」


 少し低くて、よく通る声だ。


「お気に入りの機関士を品定めする時間があるなら、命綱(テザー)の点検でもしたらどう?それに——」


 彼女は口角を少しだけ上げる。


「アニーに聞かれたら、スパナが飛んでくるわよ」

「げっ……ロドリゲス班長!」


 三人は揃って声を上げた。


「い、いや、これはその……士気(モチベーション)を高めるためのコミュニケーションってやつでして……」

士気(モチベーション)ねぇ」


 班長は巨大な肉の塊をフォークで突き刺し、豪快に口へ運んだ。噛みしめる姿は猛獣のようだが、その瞳には、どこか(たの)しげな光が宿っている。


「副隊長が指輪を渡したって?結構なことじゃない」


 言葉を切り、少しだけ真顔になる。


「あの子はいい子よ……待たせるのは可哀想だけど、きっと帰る場所を守ってくれる」


 食べる手を止めて、言葉を続ける。


「だからこそ、隊長の言葉を借りれば“準備不足”があっちゃいけないわ」


 三人を、順に見渡す。


「まずは生きて帰ること。待たせる女を不幸にしないためにもね」


 彼女は腕を組み、ふと自分の身なりを見下ろした。


「……ま、そういう話を聞くと」


 ほんの一瞬、照れたように言う。


「私も少しはお化粧したり、可愛い服を選んだり……女の子らしい努力をすべきかしらって、思っちゃうわね」

「……女の子?」


 三人の誰かがボソッと(こぼ)した小声が彼女の耳に入った瞬間。


「何か言った?」


 鋭い視線。


「い、いえっ!」


 三人は反射的に叫んだ。


「「「お綺麗です、班長!!」」」


 ロドリゲスは、苦笑して肩をすくめた。


「次の出番は一六(ひとろく)〇〇(まるまる)からよ。それまでしっかり休みなさい。それから——」


 そして、少しだけ声を落とす。


「副隊長への婚約祝いは——彼を無傷でローラに返すこと。それだけ覚えておきなさい」


「「「了解!」」」


 三人の声が揃った。


***


一〇(ひとまる)三〇(さんまる)


 映像は、中央食堂の片隅で一人きり、黙々と食事を摂っている男性へと切り替わった。映像は定点観測のように同じテーブルを映している。


(……見たことがある。(サブ)艦橋(ブリッジ)にいた人だ)


 姿勢は真っ直ぐだが、どこか所在なさげで、視線は皿の上に落ちたままだ。その前に、トレイを持った男女が立ち止まる。


(エイド博士と……奥さんだ)


「あなた、確か(サブ)艦橋(ブリッジ)の……」


 エイドが首を傾げる。


「スターリング博士!——はい、ロブ・ハンソンです」


 名前を告げたハンソンは、慌てて口の中のものを飲み込み、背筋を伸ばした。


「そうだ、ハンソン技師!隣、いいかな?」

「は、はい!もちろんです。スターリング博士、教授も……ご一緒できて光栄です」


 教授——ヘレナは、ふっと肩の力を抜くように微笑んだ。


「そんなに緊張しないで。今はただのお腹を空かせた客員技師と看護師見習いよ」


 その言葉に、ハンソンの表情がわずかに和らぐ。


「……博士の論文は、学生の頃から何度も読み返していました。正直、あなたの方がずっと年上だと思っていて……」

「よく言われるよ」


 エイドは苦笑した。


「……だから、フェーズ三で自分が(ふね)を降りると決まった時……若いお二人が残ると聞いて……正直、悔しかったんです。先に降りてしまうことが……」


 二人は一瞬、顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、穏やかに頷く。


「役目に上下はないと思うよ、ハンソン技師」


 エイドが静かに言う。


「僕は艦船の専門家じゃないから、正確なことは分からない——でも、“残る”ことと“降りる”こと、そのどちらにも責任はある」

「ええ」


 ヘレナが続けた。


「それぞれが自分の持ち場を全うできる。それが“信濃”の強さだって聞いているわ。私たちはここで、そして、あなたは、あなたの場所で」


 エイドは少しだけ声を落とし、付け加えた。


「これは失礼な言い方かも知れないが、実は驚いているんだ。ヴィレール技師を筆頭に、最先端の研究機関(アカデミア)でも充分に通用する人材の宝庫だ。

 だから、研究室に戻ったら、同僚たちに自慢するつもりだ。『“信濃”の技師たちは、肩書きだけの学者を震え上がらせるような逸材ばかりだった』ってね」


 ハンソンは言葉を失い、視線を伏せた。皿の縁に落ちた水滴が、指先に滲む。


「……ありがとうございます」


 少し間を置いて、彼は思い出したように顔を上げた。


「あ……それから、おめでとうございます。お子さんが生まれると聞きました……お名前は、もう?」


 ヘレナはそっと腹部に手を当てる。その仕草は艦の喧騒から切り離されたように落ち着いていた。


「最初はね。男の子だったら“ニールス”か“エヴァリスト”って話していたの」

「ああ……アーベルとガロアですね。十九世紀、数学で世界を変えた……」

「ええ。でも、女の子だから」


 教授は少し考えるように微笑んだ。


「彼らの意志を継ぎながら……この子自身の名前を、ちゃんと与えたいと思っているの」


 その言葉に、ハンソンはゆっくりと頷いた。


(二人の天才数学者……そっか、ニアとエヴァの名前は彼らから付けたんだ)


 映像には三人の間に流れる穏やかな沈黙が映し出されていた。


***


一一(ひとひと)五六(ごろく)


 画面がゆっくりと切り替わる。片隅のテーブル。そこに座っていたのは——


「ママ!このお肉、おっきい!」


 幼い声。瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


(……お父さん。お母さん)


 そこにいたのは、父と母と——小さな僕だった。

 幼い僕は、椅子の上で身を乗り出し、皿いっぱいの料理を誇らしげに指さしている。母は微笑み、父は少し照れたように笑っていた。


(……泣くな。ここで泣いたら、アルテアが映像を止めるかもしれない)


 そう思って、必死に(まばた)きを我慢する。


 特別な光景じゃない。英雄でも、伝説でもない。太陽系のどこにでもありそうな——ただの家族の食卓。


「これ、鳥さんの旗だ!」


 幼い僕が、皿の上の小さな旗を掲げる。日本式のお子様ランチを模したオムライス。その上に、手描きの鳥が描かれた小さな紙の旗が立っていた。


「ああ、それはね」


 父が身を乗り出して、優しく言う。


「食堂の人が、晶のために描いてくれたんだ。晶のマークだな」

「ぼくの?」

「そうだ。これは(わし)だよ。“わし座”は昔の言葉で——アクィラって言うんだ」

「あきら?」

「はは。そうだ、同じだな」


 幼い僕は、目を丸くして笑った。


「おもしろいねぇ」


 母が、少しだけ呆れたように、でも優しい声で言う。


「あなた。話ばかりしてないで、自分でもちゃんと食べてください。艦内放送で話してる時にお腹が鳴ったら笑われますよ」

「分かってるさ」


 父はそう言いながら、皿を指で寄せる。


「……(さち)。これ、好きだろう?リンゴのコンポートだ」

「え?」

「生の果物は次の補給が来るまで、しばらくお預けなんだ」


 父がウインクすると母は一瞬だけ言葉を失い、でも、すぐに微笑んだ。


「……ありがとう」


 幼い僕が、フォークを持ち上げる。


「ぼくが、あーんしてあげる!」

「ふふ……じゃあ、お願いしようか」


 母が身を屈め、口を開く。父はその様子を、少し眩しそうに見つめていた。


(……なんだ)


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


(甘えた記憶がないんじゃない)

(忘れてただけだ)


 ちゃんと、ここにある。

 ちゃんと、笑っている。

 ちゃんと——家族だった。


 僕は唇を噛みしめ、もう一度だけ、(まばた)きを我慢した。


(……ごめん。今は、まだ泣けない)


 映像の中で、幼い僕は無邪気に笑い、父と母は、その笑顔を守るように、静かに寄り添っていた。


***


一三(ひとさん)三五(さんご)


 一人の女性が、紅茶のカップを両手で包み込むようにして座っている。背筋はまっすぐだが、その表情はどこか張りつめている。


(……あ、この人は分かる。副長だ)


 食堂を行き交う配膳ロボットの影が、テーブルの上を静かに横切る。そこへ、トレイを抱えた年配の女性が歩み寄ってきた。


「副長さん。紅茶だけじゃ口が(さみ)しいだろ?焼きたての特製シフォンがあるんだ。少し、どうだい?」


 副長は一瞬だけ視線を上げ、わずかに驚いたように目を瞬かせる。


「……ありがとうございます、主計長。いただきます」


 差し出された皿を受け取り、丁寧に礼をする。


「あんたねぇ、そんな顔して座ってたら、若い子たちが萎縮するよ。せっかくの美人が、もったいないじゃないか」


 冗談めかした声に、副長は小さく息を吐いた。


「ガニメデでいい男でも捕まえて、デートの一つくらいしてもいいんじゃないのかい。オシャレでもしてさ。亡くなった旦那さんだって、怒りゃしないさ」


 副長は紅茶を一口含み、静かにカップを置いた。


「……私には、この艦がすべてです」


 淡々とした声だった。


「家庭を持つ夢も、若い頃はありました。でも十五年前に夫を亡くして……そのとき、一緒に捨てました」


 言い切るようでいて、どこか柔らかい。彼女はふっと微笑み、テーブルの向こうを見つめた。


「この艦の乗組員たちは……みんな、私の家族みたいなものです。本当に、そう思えるんです」


 主計長は何も言わず、ただ聞いている。


「私は両親も夫も宇宙艦船の事故で失いました。誰より宇宙での事故を憎んで……いえ恐れている。だからこそ、平等に、冷静に、“みんなが生きるための判断”ができる……不思議でしょう?誰とも血が繋がっていないからこそ、迷わないなんて」

「……少し、寂しい話だね」


 副長は首を横に振った。


「寂しくはありません。ただ……時々、考えるんです」


 ほんの一瞬、言葉を選ぶ間があった。


「もし私が、スターリング夫妻や艦長一家のように“家族の愛”を知っていたら……私は、今と同じ判断ができただろうかって」


 羨望も嫉妬もないように思えた。あるのは、ただ問いだった。


「私は施設で育ったので、彼らと同じ“幸せ”を理解できないまま一生を終えるのかも知れない。でも、それでいい。理解できないからこそ、冷静に違った目線で艦長に助言できる。それは私にしかできないんじゃないか……むしろ、それが私の役目なんじゃないか……今は素直にそう思うんです」


 主計長は、しばらく黙っていた。そして、少しだけ優しい声で言った。


「副長さんがそう言うなら、それでいい。何一つ、間違っちゃいないさ」


 それから、少しだけ間を置いて付け足す。


「でもね……“家族の愛”を知るのは今からでも遅くない、と、私は思うよ」


 主計長が不器用にウインクすると、副長は苦笑し、シフォンケーキを口に運ぶ。


「……甘いですね」


 そう言いながら、紅茶を飲み干す。


「でも……悪くない」


 立ち上がり、カップを戻す。


「行きましょう。せっかくの、この甘い時間を……賞味期限切れにするわけにはいきませんから」


 主計長は満足そうに頷き、並んで食堂を後にした。


***


一六(ひとろく)一六(ひとろく)


 食堂の照明が、ふっと赤に染まった。

 それまで流れていた穏やかなBGMも無慈悲に断ち切られ、代わりに神経を逆撫でする警告音が鳴り響く。


『——総員へ告ぐ。こちら(サブ)艦橋(ブリッジ)、エドワーズ』


 食器を置く音が止まり、笑い声が消える。


『司令部より緊急通信。転送する』


 声が変わる。


『こちら司令部観測班セシリア。未知のデシメートル級飛翔体を新たに確認。到着予定時刻、二二(ふたふた)五三(ごさん)。各艦、船外作業員は対応を急げ。繰り返す——』


 ざわめきは起きなかった。


 代わりに、静かで、統制の取れた動きが広がっていく。ロボットが無言でトレイを回収し、バイキングの料理は次々と下げられていく。

 さっきまであった温度が、急速に奪われていく。


 食堂は、もう“日常”ではなかった。


◎登場人物(映像の中)

●中央食堂

◯ベアトリス・ロドリゲス(31)(女性)(182cm)(ブラジル):船外作業2班の班長。長い黒髪を編み込んでヘルメットに押し込んでいる。過酷な宇宙環境でも動じない強靭な精神力を持つ。実は乙女。

◯レオン・カザルス(24)(男性)(175cm)(スペイン):船外作業員(2班所属)。お調子者のムードメーカー。手先が器用で、力仕事より細かい手作業を得意とする。『技術のレオン』

加藤(かとう)賢治(けんじ)(27)(男性)(181cm):船外作業員(2班所属)。真面目な常識人。レオンの無茶をたしなめる役回りだが、結局は乗せられて一緒に盛り上がる。『知識のケンジ』

◯オルハン・デミレル(26)(男性)(188cm)(トルコ):船外作業員(2班所属)。寡黙なロマンチスト。大柄で無口だが、心優しき巨人。作業中の合間に星々を眺めるのが好き。『力のオルハン』


◯エイドリアン・スターリング(30)(男性)(183cm)(イギリス):物理博士。重力子研究の第一人者。客員技師として乗艦中。

◯ヘレナ・スターリング(25)(女性)(165cm)(イギリス):数学教授。エイドリアンの妻。双子の女の子を身ごもっている。信濃では医務室にて医師や看護師のお手伝いをしている。

◯ロブ・ハンソン(32)(男性)(185cm)(スウェーデン):(サブ)艦橋(ブリッジ)に勤務する次席技師。ヴィレール首席技師を強力に補佐するタフで大柄な技術屋。先端論文も欠かさずチェックする勉強家。


星野(ほしの)(わたる)(39)(男性)(177cm):主人公 (あきら)の父。輸送艦“信濃”の艦長。

星野(ほしの)(さち)(38)(女性)(157cm):主人公 (あきら)の母。医学博士。冷凍睡眠実用化研究の第一人者。信濃では客員医師として乗艦中。

星野(ほしの)(あきら)(3)(98cm):主人公。


◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。両親を幼い頃に、また夫も十五年前に、それぞれ宇宙艦船の事故で失っていて、皆を生存させることに使命感を燃やす。

◯エレナ・マルチネス(58)(女性)(160cm)(メキシコ):首席主計官。艦内最年長。信濃の肝っ玉母さん。最近、初孫ができた。復路で地球に帰ったら“信濃”を降りることが決まっている。


◎用語

◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。このままだと、ガニメデ第二ステーションを直撃する。


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