トラック4-06【輸送艦<信濃>・支える者たち】
《〇六三一:輸送艦〈信濃〉主艦橋》
航おじさんが艦橋に戻ると、女性の席の前で足を止めた。
(さっき、会議室で話してた事務官の人だ)
女性事務官はその気配に気づき、即座に立ち上がって敬礼する。
「ホーキング事務官、今、連絡を終えて帰った。これで、全員に伝達は行き渡ったな?」
事務官は一瞬だけ端末に視線を落とし、静かに首を振った。
「いえ。主計室が、まだです」
「そうか……」
航は短く息を吐いた。
(主計室——確か、物資や生活を管理する部署だったような気がするけど)
「あそこは首席が部屋付きだからな……医務室は?」
「そちらは、すでに艦長経由で連絡済みです」
「承知した」
航おじさんは頷いたものの、言葉が出てこない。
「……それにしても、主計室か」
思わず漏れた独り言に、ホーキングもわずかに視線を逸らす。
「私が……行くべきでしょうか?」
問いかけというより、覚悟を試すような声だった。航おじさんは彼女を見て、すぐに首を振る。
「いや……」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。やがて航おじさんは、決意したように背筋を伸ばした。
「二人で行こう」
事務官は一拍置いてから、静かに敬礼した。
「了解です」
二人は並んで艦橋を後にする。きっと、向かう先が“特別な意味を持つ場所”なのだろう。それが痛いほどに伝わってきた。
***
《〇六四二:輸送艦〈信濃〉主計室》
主計室の床に、わずかな振動が伝わっているのが分かる。その感覚は医務室で感じたものと同じだ。
(……あ、ここも重力があるんだ)
壁一面に並ぶ補給管理パネルと、倉庫の在庫を示すホログラム。その中央で、背筋を伸ばして立っている女性がいた。
白髪混じりの短髪。年齢を感じさせる皺はあるが、その眼差しは鋭く、揺るぎがない。
「忙しいところ、失礼します」
事務官が一歩前に出て、静かに頭を下げた。
「退去に関する名簿をお持ちしました。ご確認を」
主計長は、噂には聞いていたとばかりに口元を歪める。
「分かった……さあ、見せてごらん」
事務官が操作すると、空中に名簿が展開される。
「こちらが、私が策定した退去名簿です。主計室からは、ウェーバー次席主計官に艦橋へ上がってもらい、他の主計官には退艦をお願いすることにしました」
一瞬、室内の空気が止まった。
「なるほどね。ずいぶん、はっきりした判断だ」
その声には怒りよりも、深い疲労が滲んでいた。
航おじさんが、慎重に言葉を選ぶ。
「……納得がいかない、という顔ですね」
「当たり前だろう?」
主計長は、低く笑った。
「あんたら機関室が艦の心臓なら、私ら主計室はこの艦の胃袋だ。戦うなら、最後まで温かい飯を出す。それが私の仕事ってもんさ」
そう言って、隣に立つ若い男に視線を向ける。
「セブ。あんたからも、何か言いな」
セブ次席主計官は、一瞬だけ視線を落とした。自分の名前が、名簿の“残る側”にあることを、もう一度噛み締めるように。
そして、顔を上げた。
「……ホーキング事務官の判断は、合理的です」
主計長の眉が、ぴくりと動く。
「今の信濃に必要なのは、情熱じゃない。冷静さです」
「……あんた」
主計長の声が、少しだけ震えた。
「母親代わりの私に向かって、そんな言い方をするのかい」
次席主計官は、首を横に振った。
「誤解があります」
彼は、静かに続ける。
「信濃に残って行う仕事は、エレナさんにもできます。AIもあります。帳簿も、配給計算も、管理も」
少し間をおいて、名簿を指で撫でる。
「でも——これから先、ステーションや基地で、何百人もの避難民を宥め、食べさせ、眠らせる。恐怖と不安の中で、皆に声をかけ続ける」
彼は、再び主計長の瞳を見つめる。
「それは、僕にはできません……あなたにしか……できない」
沈黙が落ちる。事務官が、優しく言葉を添えた。
「エレナ主計長。信濃に残る物資の大半は、安全な場所へ再配置する必要があります。それもまた、主計官としての——いえ、人としての大切な仕事です」
航おじさんは、苦笑しながら肩をすくめた。
「それに……初孫に会うってのも、立派な任務だ。うちの艦長は、公私混同を厭わない男でしてね」
次席主計官の肩に軽く手を置く。
「信濃に残った、この生意気な若造は、俺とホーキングで責任持ってしごいてやるさ」
主計長は、深く、長く息を吐いた。
「……まったく」
そして、ふっと笑った。
「負けたよ。完敗だ」
立ち上がり、次席主計官の肩を強く叩く。
「セバスチャン・ウェーバー。あんたがそこまで言うなら……私はもう、教えることはないね」
「まだまだありますよ」
次席主計官は、わずかに笑った。
「地球への帰り道で、たっぷり教えてください」
「そうかい」
主計長は鼻で笑う。
「でもね、計算を間違えて誰かを飢えさせたら——あの世からでも戻ってきて、あんたを引っぱたいてやるから覚悟するんだよ」
「肝に銘じます」
主計長は振り返り、事務官を見た。
「エミーさん。艦長とつないでくれるかい。話がある」
通信がつながる。
『星野です。どうされましたか?』
「艦長さん」
主計長の声は、どこまでも穏やかだった。
「来賓用の食材、まだ残ってるだろう?」
『……はい。使う予定はありません』
「なら、使わせてもらうよ」
エレナは少しだけ声のトーンを上げる。
「なに、これから戦場に行くんだ。戦士には、腹いっぱい、うまいものを食わせる……それが主計室の心意気ってもんさ。あんただって、そう思うだろ?」
通信の向こうで、父が言葉を失った気配がした。
「主計室が腕によりをかけてバイキングを作る。二時間後だ。ローテーションの合間に、必ず全員で食べに来な」
『……分かりました』
その直後、艦内放送が流れる。
『こちら艦長。作戦時刻〇九〇〇より、中央食堂にて主計室特製バイキングを開催する。ローテーションの合間に、必ず一度は食べに行くこと——これは、艦長命令だ』
主計室に、静かな笑いが広がった。
誰も泣いてはいなかった。だが、その空気は、間違いなく——別れの匂いを帯びている——そんな気がした。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(男性)(177cm):主人公 晶の父。艦長。
◯朝比奈航(39)(男性)(181cm):首席機関士。渉とは学生時代からの親友であり、もう一人の右腕。お互いに渉、航と呼び合う仲。
◯エミー・ホーキング(31)(女性)(162cm)(イギリス):首席事務官。知的で非常に高い事務処理能力を誇る。
●主計室
◯エレナ・マルチネス(58)(女性)(160cm)(メキシコ):首席主計官。艦内最年長。信濃の肝っ玉母さん。最近、初孫ができた。地球に帰ったら船を降りることになっている。次席主計官のセバスチャンを実の息子のように可愛がっている。
◯セバスチャン・ウェーバー(28)(男性)(185cm)(ドイツ):次席主計官。常に冷静な実務派。感情に流されることを嫌う。エレナ主計長の情熱を尊敬しつつも、自分は逆に冷静さで彼女を支えたいと考えている。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。このままだと、ガニメデ第二ステーションを直撃する。




