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アルテアの記憶  作者: 上井みるき
旅立ちの記憶
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トラック4-04【輸送艦<信濃>・科学者たち】

〇三(まるさん)二五(ふたご):輸送艦〈信濃〉 艦長室》


「……私からは以上だ」


 父の言葉に、室内の空気が静かに張りつめる。副長と(こう)おじさんが同時に一歩引き、揃って敬礼した。


(こう)……すまない」


 その呼びかけに、(こう)おじさんは一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに小さく頷いた。


「分かってる。あとは任せてくれ」

「ありがとう。退艦する乗員の名簿作成を急いでくれ」

「分かった」


 短い応答の中に、長年の信頼が詰まっているように感じた。


「副長。ついでで申し訳ないが、入れ替わりでスターリング博士とヘイル博士を艦長室へ」

「了解しました」


 副長は即座に応じ、迷いなく(きびす)を返した。その背中を、父は一瞬だけ目で追い、少しだけ頭を下げた。


***


〇三(まるさん)四〇(よんまる):輸送艦〈信濃〉 艦長室》


 ほどなく、二人の男が艦長室に入ってくる。


(あっ、あのお父さんと(こう)おじさんの友達の博士たちだ)


「ここが……艦長室か」


 マークが感慨深げに(つぶや)く。


「話というのは?」


 エイドは、いつもの落ち着いた調子で問いかけた。


「単刀直入に申し上げます」


 父は背筋を正し、二人をまっすぐに見据える。


「お二人は客員技師として信濃に乗船されていますが、正規(レギュラー)乗組員(クルー)ではありません。敷設完了後は、退去をお願いしたい」


 一瞬、沈黙が落ちる。


「星野艦長……いや、(しょう)


 エイドが静かに口を開いた。


「“カサンドラ”の正体は、まだ分かっていない。重力子防壁について最も理解している人間は、私たちだ」

「それは承知しているつもりです。ですが——」


 父は一度言葉を切り、深く息を吸った。


「二人は、来世紀の物理学に不可欠な人類の頭脳です。万が一にも、ここで失うわけにはいきません」


 マークが肩をすくめる。


「随分とこそばゆい言い方だな」


 そう言ってから、少しだけ声を和らげた。


「科学は多くの命を奪ってきた歴史もある。だが同時に救ってきた命も山ほどある……ここでステーションを見捨てて、何が科学者だ……っと俺は思う」

「それに」


 エイドも続ける。


「私たちは別に死ぬつもりで残るわけじゃない。生きて帰る前提で、やるべきことをやるってだけだ」


 父は、二人の顔を見比べてから、視線を落とした。


「……では、せめて」


 低く、しかし確かな声で続ける。


「エイド、あなたの奥さんだけでも退艦させませんか?お腹には、双子の子どももいます」


 一瞬、エイドの表情が揺れた。


「それは、私も考えた」


 だが、すぐに首を振る。


「夫の私が言うのも何だが……彼女は優秀だ。ここに残ってもらった方がいい。それに、妻も自分だけ船を降りることを、きっと良しとはしないだろう。あいつはそういう責任感の塊みたいな人間だ」


 父は目を閉じ、数秒考え込んだ後、決断する。


「分かりました……ただし、状況次第では脱出ポッドを使ってでも必ず退避させます。これは艦長命令です」


 スターリングとヘイルは一瞬視線を交わし、やがて同時に頷いた。


「……了解だ、艦長」

「そこまで言われたら、飲まないわけにはいかないな」


 父は小さく息を吐き、二人と握手を交わす。


「ありがとう——必ず、揃って生きて帰りましょう」


 その言葉は、まるで祈りのようだった。


***


〇四(まるよん)〇二(まるふた):輸送艦〈信濃〉 医務室》


 医務室の照明は少し暗く、ホログラムの光が白く浮かび上がり、文字が並んでいる。映像で感じる違和感——不思議な安定感——


(……あれ?)


 ふわりとした違和感の正体に、遅れて気づく。


(あっ!ここ、ちゃんと重力があるんだ)


 艦内でも区画によっては無重量なのに、医務室だけは地面に引き寄せられる感覚がはっきりしている。

 ——怪我人や妊婦を想定して、常時遠心力をかけているんだろう。


(そっか……病院なんだもんな)


 そんなことを考えながら、もう一度ホログラムに視線を戻す。


(ん?なんて書いてあるんだろう?あぁ、人の名前みたいだ)


「艦長から連絡がありました。スターリング教授は退去名簿に載せない方針だが……再確認をして欲しい、と」


 視線を上げ、モニター越しではなく、真正面からヘレナを見据える。


「あなたのお腹には双子の赤ん坊がいます。医師として言わせてもらえば、この艦が無傷だったとしても、作戦中に受ける衝撃そのものが身体には毒です。数学者なら、生存確率が最も高い選択肢を選べるはずでしょう?」


(あっ!お母さん)


 隣に立っていた母も、静かに頷いた。


「私もエイリング医師長の意見に賛成です。退去は逃亡じゃない。私たちが守ろうとする“未来”を、あなたが守ろうとしている命に、ちゃんと届けてもらう。そのための選択」


 ヘレナはしばらく黙っていた。やがて、そっと腹部に手を当てる。


「……ありがとうございます」


 柔らかな声だったが、そこに迷いはなかった。


「でも、私は残ります」


 二人の医師が息を呑むのを感じながら、ヘレナは続けた。


「この子たちが、いつか大きくなって……夜を怖がることがあったら、聞かせてあげたいんです」


 視線を落とし、指先でお腹を撫でる。


「“信濃”という勇敢な船が、どれほど誇り高く困難に立ち向かったか。お父さんが、どんな覚悟でステーションを救ったのか」


 わずかに微笑み、しかし瞳は真剣だった。


「……この子たちのための子守唄の代わりに。私は、この艦の鼓動を、今は一番近くで聴いていたいんです」


 少しだけ言葉を探し、最後にこう結んだ。


「計算じゃなくて……ただの我儘ですね、きっと。でも——それでも、私がここに残ることを、どうか許してくださいませんか?」


 医務室には、機器の低い駆動音だけが残った。


 しばし、医務室には静かな沈黙が流れた。機器の低い駆動音と、どこか遠くで艦が(きし)むような振動だけが聞こえる。


「……困った数学者さんね、本当に」


 医師長は、そう言って肩をすくめながらも、その表情はもう厳しくはなかった。


「ここまで言われたら、“絶対に降りなさい”とは言えないわ。責任感の塊みたいな人を、無理に引きずり出すのは逆効果だもの」


 母が、ふっと微笑む。


「ですね」


 医師長は小さく首を振り、半ば冗談めかした口調で続けた。


「分かったわ。残留を許可する。ただし条件があります。

 ——数学者としての空き時間は看護師見習いとして医務室を手伝うこと!」


「え?」


 ヘレナが思わず目を丸くすると、医師長は人差し指を立てる。


「もちろん、妊婦さんとして無茶はさせない。でも、じっとして不安を溜め込むのも体に毒だし、ここなら私たちの目も届くわ」


 母が、ヘレナの手をそっと包み込む。


「それに……ここには、あなたと同じように“残る”と決めた人たちがいる。独りじゃない」


 ヘレナは腹部に手を当て、ゆっくりと頷いた。


「……ありがとうございます。ご迷惑をおかけします」

「今さらよ」


 医師長は軽く笑い、端末を操作して記録を更新する。


「じゃあ決まり。数学者ヘレナ・スターリング、臨時医務室付き——特別待遇で残留っと。無事に終わったら、ちゃんとお茶も淹れてもらうから覚悟しておいて」


 医務室はひとときではあるが、温かな笑顔に包まれた。


◎登場人物(映像の中)

●船外作業室/艦長室

星野(ほしの)(わたる)(39)(男性)(177cm):主人公 (あきら)の父。艦長。

◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。

朝比奈(あさひな)(わたる)(39)(男性)(181cm):首席機関士。渉とは学生時代からの親友であり、もう一人の右腕。お互いに(しょう)(こう)と呼び合う仲。


◯エイドリアン・スターリング(30)(男性)(183cm)(イギリス):物理学博士。重力子研究の第一人者。客員技師として乗艦中。

◯マーカス・ヘイル(28)(男性)(185cm)(アメリカ):物理学博士。真空エネルギー研究の第一人者。客員技師として乗艦中。


●医務室

◯ミッシェル・エイリング(26)(女性)(160cm)(シンガポール):医師長。極めて冷静沈着。この若さで医師長に抜擢されるほどの“天才”。

星野(ほしの)(さち)(37)(女性)(157cm):冷凍睡眠実用化研究の第一人者。客員医師として乗艦中。

◯ヘレナ・スターリング(25)(女性)(165cm)(イギリス):数学教授。エイドリアン・スターリングの妻。双子の女の子を妊娠中。


◎用語

◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。このままだと、ガニメデ第二ステーションを直撃する。


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