トラック4-02【輸送艦<信濃>・作戦会議】
沈黙を破るように、マークが低く呟いた。
「……なんだ、これは」
彼はわずかに震える指で、ホログラムに浮かぶ数値をなぞる。そこに並ぶ成分比は、どれも見慣れた金属名のはずだった——ただ一つを除いて。
「星野艦長、冗談じゃない。半分以上が“解析不能”だ」
マークは視線をスクリーンから離さないまま、早口で続ける。
「詳しいことはまだ言えないが……少なくとも、ただの隕石じゃない。それだけは断言できる」
艦橋の空気が一段、重くなる。
「ヴィレール技師。重量子干渉計は?」
沈黙を切り裂くように、エイドが指示する。
「使用可能です!」
即答だった。エイドは小さくうなずき、自ら制御卓に手を伸ばす。
「素晴らしい!……では、“中身”を見せてもらおう……」
数秒後、ホログラムが切り替わる。破砕後のカサンドラの分布図。その上に、重力子密度の測定結果が重ねられていく。
エイドは表示を睨み、低く息を吐いた。
「……やはりだ。飛翔体の分布と、重量子の密度が全く一致していない」
指先で一点を示す。
「“解析不能物質”は、見かけよりずっと小さい。だが——」
言葉を切り、艦長を振り返る。
「存在感だけは、異常に大きい」
父は小さく頷いた。その表情に、迷いはない。その時、通信が割り込む。
『こちら副艦橋、サティ。状況はこちらでも確認しています。司令部と即時に情報共有し、作戦を再検討すべきです』
「同意する」
父は即答した。
「サティ副長、すまないが、急ぎこちらに来てくれ」
『了解。五分で上がります。ヘッドリー航宙士、指揮を引き継いで』
『了解』
父は視線を前に戻す。
「ピアース。司令部と接続し、干渉データを共有。それと——」
一拍置き、はっきりと告げた。
「作戦の見直しを具申する」
「了解」
主画面が分割され、司令部、各ステーション、各基地そして各艦橋が映し出された。
中央に現れた司令官が敬礼すると、それに応じて各画面の責任者たちが一斉に姿勢を正す。信濃の艦橋でも、父は即座に敬礼を返した。
「こちら信濃艦長、星野です」
低く落ち着いた声が艦橋に響く。
『星野艦長』
ベネットが口を開いた。
『そちらの機関長から、“信濃を傷つけられた”という報告は受けている。だが……どうやら、我々が最も警戒していた反リチウムではなさそうだな』
「はい」
父は即答した。
「反物質であれば、少なくとも解析は可能ですし、核融合弾により対消滅が確認されたはずです」
一瞬、スクリーン越しにざわめきが走る。
『スターリング博士、ヘイル博士』
ベネット司令官が視線を巡らせる。
『お二人の見解を伺いたい』
映像の一角で、マークが顎に手を当て、ゆっくりと首を振った。
「ブラックホール由来物質……あるいは中性子星起源の超高密度物質。その線も考えたが……どうにも、しっくり来ない」
マークは一拍置き、慎重に言葉を選んだ。
「“カサンドラ”の挙動が、理論と合致しない。“解析不能”という評価自体は正しい。しかし、ブラックホール起源なら、核融合弾の爆発に潮汐力が加わり、もっと細かく引き裂かれているはずだ。
また、中性子星由来の縮退物質であれば、外殻が剥がれた瞬間に内圧を抑えきれず、爆発的な膨張を起こす」
マークは忌々しそうにホログラムへ指を伸ばし、砕かれたはずの“カサンドラ”の残骸をなぞった。
「……だが、これは違う。まるで強固な“表面張力”でも持っているかのように、この状態で安定している。我々の標準模型を、嘲笑うかのようにね」
その言葉に、艦橋の誰もが沈黙した。
「ベネット司令。ガニメデの見解は?」
父の問いかけに、ベネットは即答せず、ゆっくりと視線を上げた。
『ガニメデ。どう思う?』
数秒の沈黙。やがて、ガニメデ系最高次演算ユニットの冷徹な声が艦橋に響いた。
『——対象の組成、および安定性の原因は、依然として不明です。ただし、特筆すべき警告が一点あります』
その一言だけで、艦橋の空気が一段、冷え込む。
『当該物質の性質を考慮し、結論を述べます——輸送艦「信濃型」が有する防壁をもってしても、第二ステーションを完全に防衛できる確率は、一八%と推定されます』
『……たったの一八%』
『人類最強の盾が、紙切れ同然だとでも言うのか』
わずかに余裕を残していた各艦の艦長たちの表情が、一斉に硬直する。
「星野艦長、少しいいかな?」
エイドが、控えめに手を挙げた。その仕草には、学者らしい遠慮と、しかし引き下がらない覚悟も垣間見える。
「どうぞ」
父が視線だけで促す。
「物理学者の端くれとして言わせてもらえば——これが何なのかは、我々が必ず突き止めます」
一拍置き、マークは頷き、エイドは続ける。
「ですが、今この瞬間に優先すべきは別です。第二ステーションを守ること。それ以上でも以下でもないはず」
「それは理解しています。しかし——だからこそ、正体を知る必要があるのでは?」
艦長としての責任か、父の声は少しだけ硬い。エイドは首を横に振った。
「いや。策はあります」
その一言に、艦橋の空気が変わった。
『聞かせてくれ』
通信越しに、ベネット司令官の声が重なる。
「実験のために私が持ち込んだ装置があります——重力子防御場です」
ホログラムに簡易的な概念図が浮かぶ。五隻の輸送艦を結ぶ、歪んだ網のような構造。
「これを各艦の間に展開します」
「未知の物質相手でも、有効なのですか?」
父の問いは、慎重だった。
「これは相殺もしない。破壊もしない。受け止めることすらしない」
スターリングは、はっきりと言い切った。
「——弾くだけです。相手に質量がある限り、理屈の上では通用するはずです」
一瞬の沈黙。
『ガニメデ』
ベネット司令官が呼びかける。
『重力子防御場を構築した場合、第二ステーションを守りきれる可能性は?』
数秒の演算時間。その沈黙が、異様に長く感じられた。
『——演算完了』
ガニメデ系最高演算ユニットの声が、冷静に響く。
『成功確率は……六二%です』
主艦橋に、息を呑む音が広がった。絶望的ではないが、とても楽観的にはなれない数字。だが、それは——
(他に選択肢がない、という数字だ)
短い沈黙ののち、司令部側のスクリーンでベネットが深く息をついた。
「……分かった。この作戦を第一案として進めよう」
その言葉に、艦橋の空気がわずかに緩む——が、次の瞬間、それを押し止める声が上がった。
「いえ、司令官。結論は、もう少し待ってください」
エイドだった。いつもの穏やかな口調だが、そこには明確な緊張が滲んでいる。
『どういう意味ですか?』とベネット司令官が問い返す。
エイドは一瞬、言葉を選ぶように視線を落とし、続けた。
「重力子防御場は理論上は構築可能です。しかし——重力波と電磁気力の干渉の問題が残ります。最終段階の位相調整は、どうしても人の手で行う必要があるのです。これは、我々の研究室でも同じです」
その説明にサティ副長の声が割り込む。
「問題ありません、博士。輸送艦隊の船外作業員は、そうした高難度の調整にも対応できます」
力強い断言だった。だが、エイドは首を横に振る。
「ええ、技量については疑っていません。問題は——作業そのものではない」
その言葉に、父が眉をひそめる。
「……では、何が問題なのですか?」
エイドはゆっくりと顔を上げ、艦橋の全員を見渡した。
「重力子の位相を固定するため、作業の最終盤では——一時的に、各輸送艦の防壁を無効化する必要があります」
一瞬、時が止まったようだった。
「……その間は?」と、誰ともなく声が漏れる。
父が、確認するように問いを継ぐ。
「作業者を守るものは……」
「宇宙服のみです」
エイドの静かな答えが、決定打となった。艦橋の空気が、はっきりと重く沈む。それは「不可能」ではない。だが、「安全」とはほど遠い——そんな選択肢だった。
誰も、すぐには次の言葉を発せなかった。重力子防御場——それは希望であり、同時に代償を伴う賭けでもあった。
沈黙を破ったのは、艦橋ではなく、船外作業室からの通信だった。
『……こちら信濃、船外作業室。首席船外作業員のオニールだ。艦長、少し時間をもらっていいか』
低く、しかしよく通る声だった。
「オニール船外作業員……聞いていたのか?」
『ああ。全部な。だから——俺たちの意見も、言わせてもらう権利はあるだろ?』
父は一瞬、目を伏せ、それからはっきりとうなずいた。
「もちろんだ」
『放っておけば成功率一八%。俺たちが出れば、六二%——そうだな?』
誰かが息を呑む音が、回線越しにも伝わってきた。
『艦長。あんたのことは、心から尊敬してる。だからこそ、言ってほしい台詞は一つしかない』
短い沈黙。
『——“まかせた”。それだけだ』
艦橋がざわめいた。
「無茶だ……」
「数字の上では合理的だが……」
「だが、現実は——」
父はゆっくりと口を開いた。
「オニール。君の口癖は——“宇宙で死ぬのは、準備不足な奴だけだ”じゃなかったのか」
通信の向こうで、かすかな笑い声が漏れた。
『ああ。その通りだ』
オニールの声は、揺るがなかった。
『俺はいつだって準備万端だ。だから——死ぬはずがない』
『……補足します』
別の声が割り込む。
『次席船外作業員のウッドマンです。艦長、オニール隊長だけだと心配でしょうが——私がついています』
『おい、余計なこと言うな』
『いえ。暴走役には、ブレーキ役が必要ですから』
艦橋のあちこちで、かすかな笑いが起きた。さらに、姉妹艦からも次々と通信が入る。
『こちらサクラメント、船外作業室。信濃だけに“美味しいところ”を持っていかせるつもりはない』
『こちらトレントだ。俺たちも出るぞ』
サティ副長が即座に割り込む。
「待ってください!ミリ級の飛翔体は捕捉されていませんが、秒速三〇〇キロ——宇宙服の設計限度の十倍を超えています!」
『ああ、知ってる』
トレントの船外作業員の声は、驚くほど軽かった。
『秒速三〇〇キロ?ちょうどいいじゃないか。当たったら——痛がる暇もない』
「……っ」
エイドが、堪えきれずに声を張り上げる。
「冷静になってくれ!君たちは理解しているのか?その速度の質量体は、人間の一部を瞬時にプラズマ化——」
『——それが、どうした』
オニールの声が、博士の言葉を遮った。
『博士。俺たちはな、この信濃を守るためにここにいる。ガニメデで待ってる家族を守るために、宇宙に出たんだ』
かすかな呼吸音だけ聞こえる。
『宇宙で死ぬ可能性があることなんて——この仕事を選んだ時から、分かってる』
声は静かだった。だが、重かった。
『だから、死に方の物理法則を、今さら講義してもらう必要はない』
『艦長』
ウッドマンの声が続く。
『私たちが待っているのは——“まかせた”その一言です』
艦橋は、完全に静まり返っていた。
誰もが分かっていた。これは英雄譚ではない。命を秤にかける、冷酷で残酷な選択——それだけに、通信越しにも伝わる緊張と覚悟が、一層、空気を重くする。
主画面に映るベネット司令官は、しばらく視線を伏せたまま動かなかった。その肩が、わずかに上下する。
やがて——ゆっくりと顔を上げた。その目は赤く、しかし真っ直ぐ前を見つめている。
『……よく分かった』
低く、かすれた声だった。
『諸君らの覚悟も、危険も、すべて理解した』
『本来なら、私が止めるべき作戦だ。だが……』
一瞬、言葉が途切れる。
『……この場にいる誰一人として、代わりにはなれない』
司令官は深く息を吸って、目線を上げた。
『輸送艦各艦に告ぐ』
声が、震えを抑えながら響く。
『重力子防御場敷設作戦を承認する。船外作業班は直ちに準備に入れ』
そして、小さく付け加えた。
『——必ず、生きて帰ってこい』
司令官は敬礼の姿勢を取った。それは上に立つものの担当官としてではなく、一人の人間としての敬意のように見えた。
少しの間をおいて、通信は切れ、艦橋には再び静寂が訪れる。だがその沈黙は、恐怖ではない。覚悟が共有された音だった。父は、主画面から目を逸らさず、小さく呟いた。
「まかせた」
その言葉とともに、木星系の運命を賭けた二十四時間が、静かに動き出した。
◎登場人物(映像の中)
●主艦橋
◯星野渉(39)(177cm):主人公 晶の父。艦長。
◯マティアス・ヴィレール(40)(男性)(176cm)(フランス):首席技師。経験豊富。
◯キャシー・ピアース(29)(女性)(168cm)(オーストラリア):首席通信士。明るく明瞭な発声で艦橋に活気を与える。
◯エイドリアン・スターリング(30)(男性)(183cm)(イギリス):物理学博士。重力子研究の第一人者。客員技師として乗艦中。
◯マーカス・ヘイル(28)(男性)(185cm)(アメリカ):物理学博士。真空エネルギー研究の第一人者。客員技師として乗艦中。
◯信濃:輸送艦の名前と同じだが、呼びかけるときは艦搭載AIのこと。
●副艦橋
◯グレース・サティ(42)(女性)(170cm)(フランス):副長。頼れる艦長の右腕。
◯ニコル・ヘッドリー(39)(男性)(178cm)(アイルランド):次席航宙士。安定感があり、副長や首席航宙士からの信頼も厚い。
●船外作業室
◯ライオネル・オニール(36)(男性)(183cm)(アメリカ):首席船外作業員。元空軍パイロットで、どんな危機でもジョークを忘れない不敵さを持つが、作業の安全確認に関しては異常なほど厳格。「宇宙で死ぬのは準備不足な奴だけだ」が口癖。
◯エディ・ウッドマン(28)(男性)(182cm)(イギリス):次席船外作業員。物理学の学位を持つ。直感派のオニールに対し、常に計算とマニュアルを重視する。少し神経質だが、実はオニールの直感を誰よりも信頼している。
●ガニメデ第一ステーション内司令部
◯ポール・ベネット(44)(男性)(アメリカ):ガニメデ衛星系の司令官
◯ガニメデ:衛星の名前と同じだが、呼びかけるときは司令部にあるAIのこと。同“カリスト”と並び、木星系で最高の演算能力を誇る。
◎用語
◯カサンドラ:木星系へ異常接近中の謎の飛翔体群。全長十mを超える飛翔体(デカメートル級)が四体あったが破砕された。このままだと、ガニメデ第二ステーションを直撃する。
◎艦船
◯信濃:最新鋭の輸送艦。艦を守る防壁は“人類最強の盾”と呼ばれる。乗組員の練度も高い。
◯サクラメント:信濃型輸送艦の二番艦。
◯トレント:信濃型輸送艦の三番艦。
◯ジェームズ:信濃型輸送艦の四番艦。
◯ヴェーザー:信濃型輸送艦の六番艦。




