夕焼けの約束
西暦二一九二年一月一四日
「——あれ?もしかして、星野くんじゃない?」
右手を振りながら近づいてきたのは、ポニーテイルに髪を束ねた大学生くらいの女性だった。薄紫色のトップスにストールを巻き、どこか落ち着いた雰囲気をまとっている。
記憶が一気につながる。
(あ……)
アストリス・アカデミー受験の下見で知り合った、あの人だ。
「望月さん……お久しぶりです。こんなところで会うなんて、驚きました」
「でしょ?私もびっくり。まさか遊園地で再会するとは思わなかったな」
凛さんはそう笑いながら、ふと視線を下げた。僕の右手を、両手でぎゅっと掴んでいる冬華に気づいたのだ。
冬華は少し警戒するように、凛さんを見上げている。
「……?」
その空気を察したのか、凛さんは軽く肩をすくめて、冗談めかした口調で言った。
「安心して。そういう関係じゃないから」
「……え?」
冬華が一瞬だけ目を瞬かせる。
「私、年下は守備範囲外なの。完全に“大人枠”専門だから」
「……そ、そうなんですか」
冬華はまだ疑わしそうな顔をしながらも、少しだけ力を緩めた。その様子に、凛さんはくすっと笑う。
「それより——」
凛さんは、今度ははっきりと冬華の目を見て話しかけた。
「星野くんと一緒にいるってことは……妹さん?幼なじみ?それとも、デート中?」
「……で、デート、ですから!」
冬華が少しだけ胸を張って答える。その言い方に、僕の方がどぎまぎしてしまう。
「あ、そっか」
凛さんは納得したように頷き、柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、邪魔しちゃ悪いね。私は望月凛。試験の下見で、星野くんと知り合ったの」
「朝比奈冬華です……よろしくお願いします」
二人は軽く会釈を交わすと、空気は一気に和らいだ。
(……助かった)
内心でそう思いながら、僕はほっと息をついた。
「ところで、望月さんは……お一人なんですか?」
僕がそう尋ねると、凛さんは少し肩をすくめて笑った。
「あはは、一人遊園地も実は嫌いじゃないけどね。今日は友達三人と卒業祝いなの。一日中遊んで、このあと友達の家に泊まる予定」
「そうなんですね」
そう答えたところで、凛さんの連絡端末が小さく振動した。
「っと、呼び出しだ。そろそろ行かないと」
凛さんは端末を確認すると、ふっと視線を冬華に向ける。
「ねえ、冬華ちゃん。よかったら連絡先、交換しない?」
「えっ……う、うん!」
冬華は少し驚いた様子だったが、すぐにうなずく。二人は腕時計を軽く重ね合わせ、短い電子音とともに登録が完了した。少し離れた場所には、凛さんを待っているらしい同年代の女性たちの姿が見える。
「じゃあ、またね」
「さようなら」
「またー!」
三人で手を振り合い、凛さんは友人たちの方へと小走りに戻っていった。
その背中を見送ってから、再び僕と冬華の二人きりになる。
「……それにしてもさ」
「なに?」
「連絡先を交換したの、僕じゃなくて冬華だったよね。ちょっと不思議じゃない?」
そう言うと、冬華は少し考えるように視線を落としてから、くすっと笑った。
「たぶん……私に気を使ってくれたんだと思う。最初、私ちょっと不機嫌だったし」
「まぁね。冬華、最初ちょっと喧嘩腰だったもん。正直、僕も怖かったよ?」
「もう!“喧嘩腰”は言い過ぎ!」
冬華はそう言って頬をふくらませる。
「コホン。とにかくね、望月さんに用があるときは——この私に申し出るがよい」
わざとらしく胸を張って、腕を組む。
「なんでマネージャー目線なの……」
「いいでしょ?」
「はいはい、分かりました」
そう答えると、冬華は満足そうに「うむ」と頷き笑った。
***
観覧車のゴンドラがゆっくりと上昇を続けている。季節外れの暖かい日ではあったけど、窓の外はいかにも寒そうだ。ただ、空は澄み切っていて、遥か遠くまで見渡せる。
「グラデーション!綺麗だねぇ」
太陽はまだ地平線には沈んでいないけれど、西の空はすでに深いオレンジから薄い藤色へ滑らかに色が変わっている。足元では遊園地のイルミネーションが、一つ、また一つと点灯していて、夕日に彩りを添えていた。
「すごいね、あんなに小さく見える」
冬華が指差した方向を見つめると僕達の街の小さな街明かりが見える。僕は一つ決意して、右手をギュッと握りしめる。
「あのさぁ、冬華」
「なに?」
「さっき、望月さんが『デート』って言ったよね?」
「うん」
冬華の頬が少し赤くなる。
「もし合格したら、頻繁には会えなくなるかもしれないけど……それでも、またデートしてくれる?」
「ん? 当たり前だよ。どうしたの、急に?」
冬華はきょとんとした顔で僕を見る。頬は少し赤いままだ。
「えっと……中学生だし、まだ早いって言われるかもしれないけどさ」
「うん?」
「ちゃんと、はっきりさせておきたいなって思って」
言葉を探しながら、僕は視線を足元に落とす。
「冬華のこと、好きだよ。だから……その……」
「……」
一瞬の沈黙。ゴンドラがきぃ、と小さく軋む音だけが聞こえる。
「彼氏、とか……彼女、とか……そういうので、いいのかなって」
言い終えた瞬間、心臓が一気に跳ねた。
冬華は数秒、僕の顔をじっと見つめてから——ぷっと吹き出した。
「なにそれ、晶君らしすぎ」
「えっ……?」
「最初から、そうだと思ってたよ?」
そう言って、冬華は少し照れたように笑う。
「私も、晶君の彼女でいたい」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……ありがとう」
「こちらこそ」
そう言って、冬華は僕の右手に、そっと自分の左手を重ねた。指先が触れ合っただけなのに、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……よろしくお願いします」
思わず、そう答えていた。ゴンドラは、いつの間にか頂上に差しかかっていた。
「でもね」
冬華が、少しだけいたずらっぽく笑う。
「アカデミー行っても、忘れちゃダメだからね?」
「忘れるわけないよ」
「よし」
満足そうに頷く冬華。ゴンドラは頂点を過ぎ、ゆっくりと下降を始めた。
(この時間が、ずっと続けばいいのに)
そんなことを思ったのは、きっと僕だけじゃないはずだ。
◎登場人物
◯星野晶(14)(165cm):主人公。中学3年生。十一年前の事故で両親を亡くしている。
◯朝比奈冬華(13)(155cm):中学1年生、晶の幼馴染。
◯望月凛(20)(165cm):大学2年生。晶とはアカデミー入試の下見で出会った。




