春めく休日
西暦二一九二年一月一四日
「アルテア、行ってきます!今日はお昼は外で食べるから」
『承知しました。行ってらっしゃいませ』
玄関で手を振り、僕は駆け足で家を出た。三学期に入って最初の土曜日。天気予報では、今日は三月下旬並みの暖かさになるらしい。
目的地は、朝比奈家だ。
『受験の打ち上げに行こう!わたしがプロデュースするから!』
冬華のその一言に、半ば押し切られる形で決まった予定だった。
考えてみれば、僕と冬華はいつも互いの部屋を行き来するか、一緒に登下校するか、せいぜい近所のおじいちゃんの家に寄るくらいで——二人きりで外に出かけることは、思ったほど多くない。
(……中学生だし、当たり前なんだけど)
インターホンを鳴らすと、今日は翔の姿はなく、玄関から現れたのは冬華ひとりだった。
「晶君!」
聞き慣れた明るい声。
挨拶を返そうとした、その瞬間——思考が、ふっと止まる。
ふんわりとしたパステルグリーンのざっくりしたケーブルニット、下に重ねた白いフリルのインナー、薄いベージュのチェック柄プリーツスカート。冬物の厚手ではなく、春先を思わせる軽やかな装いだ。
「……どうかな?」
少しだけ照れたように首をかしげる冬華。唇には、ほんのり色づいたリップ。背伸びしている感じがして、なぜか目のやり場に困る。
「えっと……うん。よく似合ってると思う」
「えへへ……」
そう笑った冬華は、さっきまで漂っていた“大人っぽさ”が嘘みたいに消えて、いつもの冬華そのものだった。
少し肩の力が抜ける。
そんな冬華と他愛のない雑談を交わしていると、家の前にコミューターが静かに滑り込んできた。低い駆動音とともに、ドアが自動で開く。
「えっ……コミューター?」
思わず声が出る。
通学や入試ならともかく、ただの外出だ。中学生なんだから、てっきり公共交通機関を使うものだと思っていた。
「いやいや、コミューターでお出かけなんて、身分不相応だよ……」
「お母さんがね。『安全第一』って。せっかくだから、お言葉に甘えましょ」
「なんだか、お金持ちのお坊ちゃんになったみたいで落ち着かないんだけど……」
「あはは。細かいこと気にしないの」
冬華はそう言って、くるりと背中を向けると、僕の腕を軽く引いた。
「ほら、乗った乗った」
笑いながら背中を押され、半ば流されるようにコミューターへ乗り込む。自動で閉まるドアの音が、いつもより少しだけ大きく聞こえた。
***
コミューターで移動すること三十分——
「到着!」
「この遊園地かぁ……久しぶりだな」
「でしょ?」
入場ゲートで腕時計をかざすと、一日フリーパスが認識され、ゲートが静かに開く。
「じゃあ、最初は観覧車にでも乗る?」
「チッチッチッ、全然分かってないなぁ……」
冬華はわざとらしく人差し指を左右に振る。
「観覧車は最後と相場が決まっているのだよ、晶君」
「そうなの?」
「そう!」
間を置かず、ぱっと表情を変えて続ける。
「そんなわけで、まずは植物園に行かない?」
「完全に冬華の趣味だよね」
「だめ?」
「もちろん、いいよ。行こう!」
「やったね!」
僕の右手を引っ張って、冬華が軽やかに走り出す。
「ここよ、ここ!冬に来たかったんだぁ」
温室の中は、外の季節を忘れさせるほど色とりどりの緑に満ちていた。大好きな植物に囲まれて、心から嬉しそうな冬華を見ていると、不思議と僕まで楽しくなってくる。
「これ、ほら。シクラメン!きれいだねぇ」
冬華は草花に詳しく、その解説はまるで専属ガイドのようだ。
「へぇ……これがシクラメンなんだ、確かに綺麗な色してるね」
「でしょ?次は、こっちこっち!」
結局、途中で喫茶店に立ち寄って休憩を挟みながらも、午前中はまるまる植物園で過ごすことになった。
***
「そろそろお昼にしない?十二時半だよ?」
「もう、そんな時間なんだ!今日は暖かいから、こっちのお店にしよう!」
冬華はホログラムに表示された地図を軽く操作しながら、オープンビュッフェの方向へ歩き出す。
「疲れたねー」
「朝から全力投球だったね。午後、大丈夫?」
「もちろん大丈夫!午後は別腹だから」
「別腹の使い方、間違ってない?」
二人で笑い合っていると、配膳用のロボットが静かに近づいてきた。
『ご注文をお伺いします』
***
昼食をたっぷり楽しんだあと、アフタードリンクを前に、自然と午後の作戦会議が始まる。
「午後からどうする?アトラクションをゆっくり回ろうか?」
「うん!そうしよ!」
(アトラクションとは言ったものの……)
頭の中で候補を並べてみる。
観覧車は最後って言ってたし、コーヒーカップは食後は遠慮したい。お化け屋敷は、たしか冬華は苦手だったはずだ。
そんなことを考えながら、ビュッフェから外を見渡していると——視界の端に、大きな文字が飛び込んできた。
《巨大迷宮》
(巨大迷宮か……それ、いいかも)
そう思った、まさにその瞬間。
「ねぇ、巨大迷宮に挑戦しない?」
「……僕も、今それ考えてた!」
顔を見合わせて、思わず笑ってしまう。
冬華はすぐにホログラムを展開し、詳細情報を確認する。
「このアトラクション、最新らしいよ。それに、クリアタイムとポイントで景品も貰えるんだって!」
「じゃあ……」
「目指せ優勝!」
「おー!」
二人で右手を上げ、軽く拳を合わせる。午後の予定は、これで決まりだった。
気合十分のまま入場ゲートへ向かう。係員ロボットからARグラスを受け取り、腕時計をゲート横のリーダーに翳すと、低い電子音とともにゲートが開いた。
一歩、迷宮の中へ踏み入れた瞬間、視界が切り替わる。
注意事項、リタイア方法、スコア算出条件——そして、待ち構えていたかのように、最初のクエスト表示。
(なになに……“神託に従い、タロットを集めよ”、か)
「うわぁ……ちょっと緊張してきた!」
冬華は両頬をぱん、と軽く叩いて気合を入れる。その直後、視界いっぱいに荘厳な文字列が浮かび上がった。
『我は万象を孕みし母なる者。
世界は常に対を成し、巡り続ける。
昼と夜、動と静、満ちる月と欠ける月——
四つの力はそれぞれ対の姿を取り、均衡を求めて彷徨う。
汝ら、その四つを手に集め、我が前に捧げよ。
さすれば、最後の扉は開かれん』
「……タロットは詳しくないけどさ、要するに“四種類の二”を集めろってことかな?」
「うん、たぶんね」
冬華は少し考えてから、頷いた。
「“万象を孕みし母”は、女帝だと思う。小アルカナ四スートの“二”を集めて、最後に女帝へ捧げる、って流れじゃないかな」
「冬華、詳しいじゃん」
「まぁね。行こっ!」
迷宮の構造も、カードの配置も、まだ何一つ分からない。おそらく、それ自体が試練なのだろう。ノリノリの冬華は僕の右手を引き、迷宮の奥へと進んでいく。
***
「お姉ちゃん!これ、教えて!」
不意に声をかけられ、足を止める。振り返ると、小学生くらいの女の子が四人、地図を片手に立っていた。
「いいわよ。神託はどんなの?」
女の子がARを操作すると、簡略化された神託文が表示される。
『迷宮の深淵に挑む者たちよ。
始まりに立ち返り、三つの試練を越えよ。
一つは欲に溺れぬ強さ。
一つは迷いを断ち、前へ進む戦い。
一つは過不足なき均衡。
終わりは、終わりにて待つ』
「三つの試練……最初は“力”だよね?」
「うん。でも、二番目も“力”っぽくない?」
「あ、それは違うよ」
冬華がすぐに口を挟む。
「二番目は“戦車”。進む、突破する、って意味だから」
「なるほどー!」
「私たち、戦車はもう見つけてるよ。ほら」
冬華は自分たちの地図を開き、位置情報を共有する。
「ありがとう、お姉ちゃん!じゃあ、私たちの“二”の場所も教えるね!」
地図の上に次々とマーカーが追加されていく。
「……ちょっと待って。二の位置、全部プロットされてるじゃん!」
驚く僕をよそに、女の子たちは満足そうに手を振って去っていった。
再び、冬華に右手を引かれる。
「ほら、行こ!迷宮の“深淵”は、こっちだよ」
その横顔は、さっきよりずっと楽しそうで——僕もつられて、自然と笑顔になっていた。
***
「あとは……出口だけなんだけど……」
冬華は不安そうに、服の裾をきゅっと掴む。AR表示を見て、僕も理解した。どうやら最後は、完全に自力での脱出らしい。
「大丈夫。道、覚えてるから。今まで頼りっぱなしだったし、最後くらい任せて」
今度は僕が冬華の左手を取る。来た道を思い出しながら、曲がり角を一つ、また一つ。気がつけば、もう二時間近く経っていた。
そして——ゴールテープを切るように、最終ゲートを通過する。
『汝ら、見事であった』
カラーン、カラーンと大きなベルが鳴り響き、出口の外にいた人たちの視線が一斉に集まる。少し気恥ずかしいが、スタッフが駆け寄り、写真撮影と記念品の授与が行われた。
冬華は満面の笑みで、僕も自然と笑っていた。
「やったー!いい思い出になったね!」
「うん。正直、驚いたよ。冬華のおかげだね」
そう言って、軽く頭を撫でると、冬華は喉を鳴らした猫みたいに僕にすり寄って「えへへ」と笑った。
そのときだった。
「——あれ?もしかして、星野くんじゃない?」
背後から、聞き覚えのある声がかかった。
◎登場人物
◯星野晶(14)(165cm):主人公。中学3年生。十一年前の事故で両親を亡くしている。
◯朝比奈冬華(13)(155cm):中学1年生、晶の幼馴染。
◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。




