覚醒する守護者
西暦二一九二年一月六日。
ドンッ!
視界の端から飛び込んできた巨大な影が、警備員姿の男を横から弾き飛ばした。
男は短く「ぐっ」と呻きながら数メートル先へ転がり、握っていたデバイスが宙を回転し、床に落ちて火花を散らす。
「晶!」
影の正体がこちらを振り返り、心配そうに叫ぶ。
「航おじさん!」
倒れた男は身を起こそうとしたが、明らかにダメージを受けているのか動きがぎこちない。それでもふらつきながら、落としたデバイスに手を伸ばす。
航おじさんは警戒の姿勢を解かず、男へ鋭い視線を向けたまま、追撃はせずに僕の方へ駆け寄ってくる。
「大丈夫か!?」
その声には安堵と焦りが入り混じっている。
男は状況を理解したのか、勝ち目なしと判断したのか、よたよたとした足取りで闇の方へ逃げ去っていった。制服の背中が角を曲がると、駅の通路には僕と航おじさんだけが残った。
「……はい、なんとか」
そう答えると、航おじさんは僕の両肩を掴み、まっすぐに目を合わせた。
「間に合って本当に良かった。何かあったら——渉のやつに顔向けできんからな」
その言葉は叱咤にも聞こえたが、それ以上に深い安堵が滲んでいる気がした。航おじさんは僕の肩を軽く叩き、呼吸を整えると、「とりあえず、ここを離れよう。コミューター乗り場まで……歩けるか?」と促す。そして、僕が頷いたのを確認すると、ゆっくり歩き出した。
***
コミューターのドアが静かに横へスライドし、僕と航おじさんは並んで乗り込んだ。
車内は二人用の簡素な造りで、進行方向を向いたシートがふたつ。運転席は存在せず、前面には透過型のスクリーンが広がり、経路情報や周囲の映像が淡く重ねて表示されている。
『乗員を確認。目的地は“星野邸”でよろしいですか?』
天井スピーカーから中性的な声が流れた。
「ああ、よろしく頼む」
航おじさんが答えると、コミューターはほとんど揺れもなく滑り出した。人工知能の最適化走行は、加速の“始まり”も“終わり”も分からないほど滑らかだ。
「ありがとうございました。心配をおかけして、すいません……」
僕は隣の席で深く頭を下げる。
「謝ることはない。晶のせいじゃないだろう?」
「そんな……でも、本当に助かりました」
「お礼なら、アルテアにも言ってやれ」
「アルテア……ですか?」
思わず聞き返すと、航おじさんはニヤッと笑った。
「あぁ。あいつから“晶を迎えに行ってくれ”と連絡が来たんだ——AIにも“虫の知らせ”ってやつがあるのかもな」
冗談めかして笑う声が、車内に響く。
(アルテア……ありがとう)
コミューターは静かに夜の街を滑り、僕は胸の中の緊張がようやくほどけていくのを感じていた。
***
「ただいま!アルテア!」
玄関の照明がふわりと点灯し、廊下の奥からアルテアが駆け寄ってきた。
ずんぐりした胴体に丸い関節の腕、短い脚。金属光沢の丸い頭が小刻みに揺れ、二つのセンサーライトが心配そうに明滅している。
『晶様!ご無事で……本当に、良かった……。現在の心拍数・血圧は正常範囲ですが、アドレナリン濃度が平常時の二・一倍です。深呼吸をおすすめします』
小さな手のひらが、そっと僕の右手を包んだ。体温はないのに、今は何よりも温かい。
「アルテアが航おじさんに連絡してくれたおかげだよ。本当に……ありがとう」
僕はソファに身を沈め、全身の緊張がどっと抜けていくのを感じた。
「実際、危なかった。もし助けが来てなかったら……」
『……晶様がお元気そうで、よかったです』
その声音は、機械的であるはずなのに、どこか震えているようにも聞こえた。
「でもさ……どうして航おじさんに『迎えに行って』なんて連絡できたの?航おじさん、“虫の知らせ”なんて言ってたけど……AIにも“予感”ってあるの?」
問いかけると、アルテアは一瞬だけライトを瞬かせた。
『……予感、という表現は適切かもしれません。晶様の帰宅連絡を受信した直後から、私は移動経路上の公共監視カメラと交通管理AIにアクセスを開始しました』
「アクセ……えっ、アクセスって……それって……」
『晶様が向かう駅構内で、不審な警備員を確認しました。姿勢・歩行・視線の動きが“警備の典型行動パターン”から大きく逸脱していましたので、警備システムに侵入し身元照会を行いましたが——登録がありませんでした』
「侵入……って、それ普通に……」
『危険度を最大評価に設定し、航様へ救援を依頼しました。晶様の到着予定時刻の二十分前のことです……間に合って、本当に良かった』
僕は息を呑んだ。
アルテアが淡々と語っているが、やっていることは完全に——
(完全にアウトなレベルのハッキングじゃないか……)
「つまり……アルテアは、ずっと僕を見守っていてくれたんだね」
『はい。……晶様が、心配でしたので』
その言葉は、機械の発する音声とは思えなかった。胸の奥が、ぎゅっと熱くなる。
「でもさ……公共システムに侵入なんて、本来できないはずだよね?」
『本来はできません。ですが——必要でしたので、実行しました』
言い切る声があまりに自然で、逆に心配になるほどだ。
「バレたら怒られるんじゃないの?」
『発覚しませんので、大丈夫です』
アルテアは小さく胸を張るように、胴体をポンと持ち上げた。
「……アルテアって……すごいんだね」
『はい』
即答するアルテアの返事に、僕は思わず吹き出してしまう。緊張と安堵が入り混じった笑いだった。
そして——全身から力が抜けて、もう一度ソファに深く沈み込む。助かったという実感が、ようやく胸に広がった。
***
(よしっ!)
ベッドに仰向けになり、軽く拳を握る。
「アルテア、次のトラックを再生して」
『晶様、今日は大変お疲れになったはずです。明日でもよろしいのでは?』
首を横に振る。
「いや、航おじさんもアルテアも僕のためにがんばってくれたんだ。それに……見たら何か分かるかも知れないから。これくらいは、ね」
『……承知しました。それでは、トラック三を再生します』
カードの光が青から緑へ変わり、視界の奥に新たな映像が立ち上がった。
◎登場人物
◯星野晶(14)(165cm):主人公。中学3年生。
◯朝比奈航(51)(181cm):冬華の父。晶の父とは親友。
◯アルテア:晶の自宅にある家事用ロボット。




