3.
最終話。
高校を卒業し、予定通り凪に引導を渡したルカは、さっそく、本命の彼氏候補である “彼氏にしたい男子ナンバーワン” のアイドル、五十嵐聖愛のもとに向かった。
向かった先は、彼が主演を務めた映画の完成披露の会場だ。
今日は、終了したあとにファンとの交流を兼ねたサイン会が企画されている。
ルカは、ビルをふた巻きして、さらに隣のビルにまで伸びた行列の、先頭に割り込んだ。
すると当然のように
「ねえ、ちゃんと整列して!」
「横入りは犯罪でしょう、ズルいわぁ」
「誰か警察を呼んで!」
きんきん響く女たちの声が係員の注目を集める前に、ルカはキラーワードを発した。
「じゃあ、お先にどうぞ!」
いきり立っていた女子たちが「え」という声と共に、ぴたりと動きを止めた。
ルカは、目をシロクロさせる女性に向かって、
「ですから、お先にどうぞ、さあ」
と、行動を促した。
変調が周辺の人々に伝染した。
何があっても整列しなくてはならない、という倫理観と、先を譲られた、というあり得ない事態が葛藤して精神が混乱をきたしたのだ。
女子たちの眼球は小刻みに左右に揺れ、額には、みるみる汗が浮かびあがってきた。手は震え、立ったまま足踏みを始める女性もいる。
そのうち、女子たちは「あ、いえ」「この列はその」、などとモゴモゴ言いながら少しずつ退いて行った。その状況を眺めていた後ろの人たちにも混乱は伝染し、やがて、全体が冷静さを取り戻したときには、ルカが先頭に立っていることを不思議に思う人はひとりもいなくなっていた。
そう、施術によって埋め込まれた整列本能は、横入りを許さない一方、先を譲られると混乱してパニックを起こすのだ。
最初に、この現象を発見したのは、家のお使いでキャベツの特売に並んだ日のことだ。
列の後端がわからず、間違って列に横入りしてしまったルカは、並んでいた主婦に罵声を浴びせられた。それがあまりにも怖くて、思わず「お先にどうぞ」と言ったのだが、言われた主婦は、その場で泣き出した。
『お先にどうぞ』はキラーワードになる。
そのことを知って以来、ルカは列に並ばなくなった。
ルリーGのファッションアイテムもネット申し込みだと十年待ちだが、リアル店舗に並んでキラーワードを使えば簡単に買える。
人気パン屋さんの新作デニッシュも、デンマークから進出してきたスモーブロー1号店のオープンサンドも、誰よりも早く食べられた。
目の前に張られていたロープが外された。
いよいよだ。
目の前には、ディスプレイでしか見たことのない五十嵐聖愛君が微笑んでいる。この人は今、間違いなく、宇宙一美しい。
「ありがとう並んでくれて。嬉しいです、ボクのために」
握手の手を差し出したあこがれの彼を前にして、ルカは、
「いえ、聖愛君に逢うためだったらわたし……」
思わず感極まってしまった。
大きな瞳から涙をこぼすルカを、五十嵐聖愛は肩を抱いて労わり、自分のハンカチを出して涙を押さえてくれた。
そのあと映画の話を少しして、パンフレットにサインをもらって別れた。
別れの握手のとき、こっそり連絡先のメモを手渡してきたけれど、このくらいで付き合えるなんて、そんな図々しいことは考えていない。
でも、これからは、五十嵐聖愛のイベントは何だって先頭に並ぶ! 同じ女性が何度も先頭に並んでいたら……、何かが起こっても不思議ではない。
軍資金なら大丈夫だ。
ブランドバッグもゲームも、ゴローズのシルバーアクセも、とにかく人気のあるものを「お先にどうぞ」作戦でじゃんじゃん手に入れてオークションにかければ、お金はいくらでも作れる。
何かヤバいことになったとしても、本気で立ち向かえば、世のなか闘争本能のない人ばかりだし、いざとなったら護身空手もある。
この先、どう生きていこう。
誰かが欲しがっているものなら何でも、横取りできるのだ。
理想的な最強彼氏を手に入れたら、あとは何を横取りしよう。
自分と同じように、施術をすり抜けた人は他にもいるだろうか。
……たぶん、いる。そして、何人かはこのキラーワードに気付いているはずだ。
その人と出会ったらきっと、戦いになる。
勝敗は、出会う前にどれだけ力をつけるかだ。『お先にどうぞ』を使って。
ルカは、少しずつ焦点を結び始めた自分の未来像に目を眇めた。
世界征服。
壮大だが、絵空事なんかでは、きっと、ない。
《了》




