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すきま時間の短編【整列】  作者: 伊藤宏


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1/3

1.

この短編は3話で完結します。

 206×年。

 温暖化が進んで食料事情が悪くなったからだろうか。比較的温厚な国民が多いことで知られる日本でも、さすがに治安が悪化してきた。


 政府系シンクタンク “社会秩序研究所” が分析したところによると、日本人が、倫理の名のもとに、ずっと心の深層に抑え込んできた『われ先に』という感情が息を吹き返しているらしい。

 他の国ではとっくに顕在化していることだが、日本では、国民性ともいえる、集団行動や横並びを重んじる傾向が、それを封印していた。それが、食料難からくる不安で崩壊した。

 これが『われ先に』問題だ。


 当初は食料の奪い合いや略奪、それに端を発した喧嘩が主だったが、今では食料だけでなく、電気製品などの生活用品や、各種ライブのチケット、移動のための交通手段まで『われ先に』と奪い合うようになっている。その様相はもはや、文明国とは思えなくなっていた。


 あるとき事件が起こった。

 人気サイトのランキンジャパンで “妻にしたい女性ナンバーワン” が発表されたときのことだ。

 選ばれた女性タレントのマンションに多数の男が殺到し、機動隊が出動する騒ぎに発展した。このとき二十一名が死亡し、負傷者は、実に七十四名に達した。ちなみにこれは、機動隊の犠牲者を含めない数だ。


 この事件によって対策を迫られた政府は、ひとつの法律を作った。

 『整列の本能化と、その実現のための取り組みに伴う特例に関する法律』、略して『整列本能化法』である。

 字面から内容を読み取ることは難しいが、具体的にいうとこうだ。

 欲しいものがあったら、競争するのではなく並んで順番を待つことが絶対的に正しい、と考え行動する倫理観を、幼児の段階で、医療的処置によって本能化する。それも全国民の義務として。


 それまでの日本は、『われ先に』問題について “順位をつけない教育” でずっと誤魔化してきた。見て見ぬふりをしてきた、と言われても言い訳はできない。

 だが他の国では数年前から、競争本能を押さえるための医療的処置が行われていて、施術を法制化する国は増えつつあった。要するに、日本も世界の流れに乗った、ということだ。識者は「よく法律なしで今まで治安がもった」とコメントした。


 ちなみに、本能化に用いるΩ脳波アルゴリズム理論を用いた治療の本質は、十九世紀に始まった催眠術である。なので社会性を獲得したあとだと強い意志で拒絶することができる。幼児のうちに処置する理由はそこにあった。


 この処置を受けたにもかかわらず、競争相手と戦ったり「われ先に」と列を乱したりする人間は、年齢や地位に関わらず、社会的に抹殺されることになった。そんな人間は、何らかの方法で処置を逃れた無法者か、或いはコントロールできないほどの強い物欲を持っている、と考えられるからだ。



 世のなかは平穏になった。

 人は先を争うことなく、大人しく列を作り、どんなに待ったとしても誰も不平を言わなくなった。


    ■◇■


 「ママ、行ってくるねー」

 高校生活もあと僅かとなった三月、駒崎ルカが向かったのは護身空手の道場である。


 「帰りが遅くなるようだったら連絡ちょうだいね」


 「はあーい」

 ルカは片手を上げて返事をすると、自転車を漕ぎ出した。道場に行く前に、(なぎ)のマンションだ。単独行動はできるだけ避けなければいけない。いろんな意味で。

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