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AERIAL GEAR  作者: 雪野耳子
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譲れないモノ

 順番待ちの列の前で、凛はそっと一歩前に出た。

 緊張でほんのり頬が赤くなり、肩にかけていたリュックのベルトをぎゅっと握り直す。

 指先がじんわり汗ばんでいる。

 フロアを満たす派手な電子音やBGM、隣のゲームで鳴るコインの落ちる音が、ひときわ大きく感じられた。

「だから、順番を守ってください」

 小さな声だけれど、いつもよりしっかりとした響き。

 けれど自分の声がざわめきにかき消されていないか、不安で少しだけ足先をもじもじさせる。

 兵頭先輩が、戸惑いの色をにじませて凛の肩にそっと手を置いた。

 彼の指先が、微かに震えている。

 凛はその感触に気づき、胸の奥で息を詰める。

「藤代君、もう、いいよ」

「よくないです」

 凛は顔を上げた。

 レンズ越しの瞳に、照明の光が反射してキラリと光る。

 その顔は幼さの残る中に、固い決意が見え隠れしている。

「兵頭先輩、一時間も待ったんですよ」

 言いながら、リュックのベルトをさらに強く握る。

 隣の牧田先輩は、下唇を少し噛んで、視線をそらした。

「でも、あっちはゴールドだし……僕らはノービスなわけで」

 俯いたまま、声が消え入りそうに漏れる。肩が小さく揺れている。

 背後ではゲーム筐体のピコピコ音が響き、別の台のプレイヤーが歓声をあげている。

 そのたびに凛の心臓も跳ねた。

「ここはゲームセンターです。ランクなんて関係ないです。順番は順番です」

 自分でも驚くほどはっきりとした声。

 けれど、心の奥では何度も繰り返し自分を叱咤していた。

 大丈夫、間違っていない――そう胸の奥で言い聞かせる。

「おい、お前、センパイが良いって言ってんだろ」

 列の向こうの男が、やや苛立った口調で割り込んでくる。

 その目つきに凛はびくっと肩をすくめてしまうが、なんとか睨み返した。

 手汗でリュックのベルトが少し滑る。

「ダメです」

 ぎゅっと両肩を寄せる。

 兵頭先輩と牧田先輩も息をのんで見つめている。

 フロアの奥から、クレーンゲームの景品が落ちた音や、小さな拍手が響いた。

 ほんの一瞬、間が空く。

 凛はそっと兵頭の方を振り返る。

 自分の震えが伝わってしまわないか、心の中でそっと不安をかき消す。

「こういうことは絶対に許してはダメなんです」

 言葉を噛みしめるように、息をひとつ吸い込む。

 表情はきゅっと引き締まり、眉がほんの少しだけ吊り上がる。

「ゲームセンターは誰もがゲームができる場所です。

 上手いからとかランクが上だからって順番を抜かしていいわけがないんです」

 息を吐き、足元でスニーカーのつま先をトンと小さく動かす。

「でも、本当に僕らはいいから」

 牧田先輩が、情けなさそうに目を伏せた。

 その肩がすくみ、まぶたがかすかに震えている。

「ダメです。僕らがそれを許してしまったら僕ら以外の人も譲らないといけなくなるかもしれないじゃないですか」

 語尾がわずかに震えたが、言い切ったあとは真っ直ぐ前を見る。

 自分でも驚くほど、今だけは退かない自分がいる。

「いや、でも」

「でもじゃないです、牧田先輩」

 凛は一瞬だけ目を伏せて、そしてまた顔を上げる。

 場の空気が少しピリついてきて、遠くの台から甲高い叫び声と歓声が聞こえてくる。

 周囲の音に混じって、心臓の音まで耳に届く気がした。

「チッ」

 苛立った男が舌打ちし、急に観戦場に向かって声を張り上げる。

「おいっ、お前ら!」

 店内の空気がまたざわついた。

 観覧エリアから「なぁ、アレって」「この間、地区大会で三位だった」などと声が交錯する。

 人の流れがちらちらこちらを伺い始め、騒がしさが一段階大きくなる。

「うそっ、ネロ君じゃん」

「やだっ、ミックもいるっ」

 そのざわめきに男が誇らしげな笑みを浮かべる。

 腕を組み、少しだけ胸を張った。

「俺たちのプレイが見たいよな!」

 ミックと呼ばれた男が腕を振り上げて、観衆を煽った。

 観覧席から割れんばかりの歓声が上がる。

「うおおおおおっっ!!」

「きゃあああ!!」

 一気に場の熱気が高まり、電子音すらかき消されそうだ。

「ほら、俺たちのプレイが見たいってよ」

 ミックが顎をしゃくって見せる。

 兵頭たちは圧倒されて一歩後ずさり、肩を寄せ合った。顔が引きつっている。

「ふ、藤代君。ここはやはり……」

「彼らに譲って、また今度来ましょう」

 兵頭の声は細く、小さく揺れていた。

 凛は手の中のスマホを見つめる。

 液晶には予約のチケットが映っていて、指先の汗で少し滑る。

 胸の奥がぎゅっと縮む。

(これを譲ったら、今日はもう無理だ――)

 先輩たちの表情はもう怯えきっていた。

 さっきまでの期待が消え、諦めの色が漂う。

(このままじゃ、もう楽しくない……また、あの時みたいに……)

 小さく首を振り、古い記憶の痛みを追い払う。

 息が詰まりそうだったが、それでも口を引き結ぶ。

 小さく深呼吸する。

「……わか、うわっ」

 言いかけた瞬間、突然背中に何かがぶつかってきた。

 視界がふっと揺れて、小柄な体ごと、誰かに包み込まれる感覚。

 思わず息が漏れる。

 背中越しにふわりと甘いシャンプーの匂いと、どこか明るい声が響いた。

「にっ、西成兄弟っ!?」

 牧田の驚きの声が凛の耳に響いた。

 凛は肩越しに慌てて振り向くと、陸がにっこにっこで凛の背中に腕を回していた。

 その目は茶目っ気と頼もしさが同居し、ほんのりイタズラ好きな笑み。

「よっ、面白そうなことしてんじゃん」

 体を離しながら、陸は凛の横にぴたりと並ぶ。

 海は、少し距離を置いて微笑み、どこか優しげな視線を送る。

「君はいつも誰かに絡まれてるね」

 海はゆっくりと歩み寄り、肩をすくめて苦笑する。

 その仕草は落ち着いているのに、眼差しはどこか温かい。

「いや、たまたまで」

 凛は、戸惑いから顔が熱くなる。

 手のひらは汗ばみ、言い訳しつつも心臓が跳ねる。

「俺はメガネが絡まれてるとこしか知んねぇけど」

 陸がからかうように言うと、凛は眉を下げて困ったように唇をかむ。

「リク、メガネは失礼だよ。藤代凛君だよ」

 海が軽く嗜めると、陸は「え、何でお前知ってんの?」と不思議そうに首を傾げる。

「そりゃあ、同じクラスだし」

「えっ?」

「……えっ?」

 ふたりの素っ頓狂なやり取りに、空気がふっと緩む。

 海は軽くため息をついて「似た者同士かい」と呆れた顔。

 凛も思わず口元がほころぶ。

 周りの騒音が少し遠く感じる、不思議な間だった。

 だが、すぐに現実へ引き戻される。

「おいっ、何雑談かましてんだよ。プレイしないならさっさと帰れよ!」

 男の怒鳴り声が、また場の空気を張りつめさせる。

 凛は肩を竦め、でも陸はまったく気にせず胸を張ったまま応じる。

「うるせぇ、俺がメガネと話してんだろ」

「リク」

 海が小さくため息をついて制止する。

「チッ」

 陸が舌打ちする。

 すぐに凛を見てニッと笑い、顎で男たちを指し示す。

「おい、メガネ」

「藤代凛君だよ、リク」

「おい、リンっ」

「なっ、何」

 急に呼び捨てされて目を見開く凛。

 ほんのり頬が赤くなり、困惑を隠せない。

「こんな奴ら構ってねぇで、俺たちと遊ばね?」

 唐突な誘いに、凛は一瞬きょとんとしたまま固まる。

「え?」

 返事を迷って、ほんの少し間が空く。

 周囲のざわめきやBGMが遠くに感じられる。

「たかがゲームじゃん。ゲームなんていつでもできんだろ?だから、カラオケでも行って――」

 その言葉が耳に入った瞬間、凛はわずかに俯いた。

 心の中に、過去の悔しさやもどかしさがじわりと広がる。

 けれど、次の瞬間――小さく首を横に振る。

 その瞳が静かに、でも確かに前を向いた。

「……じゃ、ないです」

 抑えきれない想いが、唇から漏れ出す。ほんの少し震えている声。

 でも、その奥には、決して譲れない熱があった。

 凛は拳を握りしめる。呼吸が少し浅くなるのを感じながらも、視線を逸らさずに立ち向かう。

「たかがゲーム、じゃないですっ!」

 その言葉が思わず強く響いた。

 頬が熱くなり、心臓の鼓動が自分の声に重なる。

 気がつけば、周囲のざわめきが少しだけ遠ざかっていた。

 観ていた人たちが、一瞬静かになり、みんなが凛に注目する。

「エイリアルギアは僕にとって大事なゲームなんですっ!それを蔑ろにするような言葉は――許せません!」

 もう一度、胸の奥から絞り出すように叫ぶ。拳は震えたまま、肩もわずかに震えている。

 けれど、凛の視線は真っ直ぐ、譲らない。

 その瞬間――陸が、鼻で笑った。

「ゲームに、何熱くなってんだよ」

 軽く肩をすくめ、どこか呆れたように。

 けれど、声の奥に微かな興味も混じる。

 その台詞に、凛は小さく肩で息を吐きながら、唇を固く結んだ。

 静かに、でも確かな決意が目に灯る。

「誰でも、どんな人でも楽しめる――最高のスポーツです」

 今度は落ち着いた声で、胸を張って言い切る。

 背中を押されるように、兵頭たちも顔を上げ、周囲の空気が、ほんの少し変わっていく。

「はぁ~~」

 陸が大げさに息をつく。

 その目は、どこか面白がる色と、少しだけ認めるような輝きが交じる。

「お前、頑固だわ」

「すみません」

 凛がうつむき、でも目だけはしっかりと前を向いている。

「でもこればかりは譲れないんです」

 強い声。空気が張り詰める中、陸が一歩近づく。

「でも、そういうのはキライじゃねぇよ」

 短く、でも少しだけ優しい言い方だった。

「カイ」

「はいはい、わかってるよ」

 海が肩をすくめ、にこやかに応じる。凛の目の奥に、ほんのり安心が差し込んだ。

「おい、お前ら!」

「なんだ?」

「俺たちと勝負しようぜ」

「へ?」

 唐突な誘いに凛が目を瞬かせる。間が空いて、すぐに兵頭たちが小さく頷く。

「いや、僕は先輩たちと……」

 と戸惑うが、先輩たちが微笑んで「いや、僕らはいいよ」と背中を押してくれる。

「だとよ、リン」

「でも……」

「センパイたちが良いって言ってんだからいいだろ」

 陸が顎をしゃくる。凛は一呼吸、胸の奥で自分に言い聞かせる。

「……わかった」

 静かに、でもきっぱりと答えた。

 その瞬間、どこかで誰かがメダルを落とす音と、遠くの子供の笑い声が聞こえた。

「アイツらぶちのめすぞ」

「うん」

 凛は静かに、でも小さく拳を握る。ささやかな決意を胸に、いつの間にか背筋が伸びていた。

「まあ、やれるだけやってみるよ、私は」

 海が穏やかに微笑み、陸はにっと笑った。

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