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AERIAL GEAR  作者: 雪野耳子
2/6

出会いはいつも突然だ

 春の午後。

 下校時刻が近づきつつある学年廊下には、男子たちの取りとめのない声や笑い声が反響している。

 窓の外にはやわらかな陽射しが差し込み、ガラス越しに桜の花びらがふわりと舞っていた。

 その廊下を、二人の男子がゆっくりと歩いていく。

 一人は金髪を無造作にピンで留め、制服のネクタイをゆるく結んでいる。

 もう一人は黒髪を少し長めに伸ばし、項のあたりで細いゴムでまとめていた。

 どちらも背が高く、どこか余裕のある歩き方で肩を並べている。

 近くの教室から出てきた女子たちが、二人の姿に気づいてささやき始める。

「見て、西成兄弟だよ!」

「ピンで前髪止めてるのが陸くん、後ろで髪結んでるのが海くんでしょ?」

「本当に絵になるよね、並んでると……」

 そんなキャッキャとした声も、当の二人にはまるで興味がないようだった。

「部活、どうする?」

 黒髪を束ねた弟――海が、窓の方へ目をやりながらぼそりと呟く。

「どうするって、どれもこれも飽きた~」

 金髪の兄――陸が、肩をすくめて大きくため息をつく。

 横顔にはどこかつまらなそうな色が浮かび、窓枠を指でとんとんと叩いている。

「飽きたって言う前に決めないと」

 海は片手をポケットに入れ、もう片方でうしろ髪をくるくるといじる。

 真面目な声音だが、面倒くさそうな雰囲気も隠しきれていない。

「はぁぁ~、マジでめんどくせぇ」

 陸は天井を仰ぐ。

 廊下の向こうでは、男子グループが壁際でスマホをいじりながら騒いでいるが、二人はちらりと視線を流すだけで、すぐ会話に戻る。

「でも、どこか入んないと、中学の時みたいになるよ」

 海が、ふと真剣な声色になる。

「……中学のときみたい、って?」

 陸が小さく鼻で笑う。

「部活、入っては飽きてやめて、また他の入って――」

「で、すぐ助っ人に呼ばれてさ。大会の前とか、どこからでも声かけられて」

 海が少し苦笑する。

「しかもさ、元いた部活からも“戻ってきてくれ”って何度も呼ばれて、正直うるさかった」

 陸がため息混じりに付け加える。

「誰の部員でもないのに、勝手に期待だけされて、ほんと面倒だったよな」

 二人分の影が、春の日差しの中でゆっくりと長く伸びていく。

 周囲のにぎやかな空気とは対照的に、どこか浮世離れした静けさが二人を包んでいた。

 そんなとき、廊下の向こうでちょっとした人だかりができているのが目に入る。

 数人のがっしりとした体格の男子たちが集まり、周囲もざわつき始めていた。

「どうした?」

「何だ、アレ?」

 足を止めて様子をうかがうと、他の生徒たちも興味津々にそちらをちらちら見ている。

 誰かが何やら大声をあげ、空気がぴりついた。

「なんか揉めてるみたいだね」

 海が小声でつぶやく。

「あは、面白そう。行ってみようぜ」

 陸は悪戯っぽく笑って、興味ありげに首を伸ばす。

「行ってみようって……野次馬かい」

 海は呆れたように言いながらも、どこか楽しそうな顔をしている。

「別にいいじゃん、野次馬で。暇だし。お前は適当に部活見学してろよ」

 陸が茶化すように言い、にやりと笑って視線を海に向けた。

「じゃあな、カイ」

 そう言って、ひらりと手を振りながら人だかりの方へ歩いて行く。

「おい、誰も行かないとは言ってないだろリク」

 海も慌てて陸のあとを追いかける。

 二人の影が、春の廊下を並んで伸びていった。

 廊下に差し込む淡い陽射しが、教室前の床にまだら模様を描いている。

 その先――ふと目を向ければ、廊下の一角には騒がしい声と人だかり。

 教室の扉のそばでは、制服をラフに着崩した男子たちが数人、輪になって固まっていた。

 その中心には、どこか頼りなげな雰囲気の三人組が肩を寄せ合うように立っている。

 一人はふわふわとした黒髪に、少し大きめの眼鏡がずり落ちそうになっている。

 緊張した面持ちで、肩をぎゅっと縮め、手は制服の袖口をしっかりと握りしめて離さない。

 視線は落ち着きなく足元と周囲の顔を行き来し、どこか怯えた子猫のようだ。

 隣には、ひょろりと背だけは高いものの、目元に色濃く怯えを滲ませた男子。

 喉がつかえて言葉にならないのか、唇だけがかすかに動き、身体は今にも後ずさりしそうに細く縮こまっている。

 もう一人は、整った制服にそばかすが浮かぶ顔つきで、どこか真面目そうな空気をまとっている。

 必死に冷静を装ってはいるものの、眉間に深くしわを寄せ、ぎこちなく両手をやや広げて前に出していた。

 周囲の威圧感を少しでも和らげようとするようだが、震える指先がその本心を隠せていない。

「だから、無理だって言ってるんです――」

 黒髪の眼鏡の少年が、絞り出すような細い声で口を開く。

 声はすぐに人垣に飲まれてしまいそうなほど弱々しい。

「別にたかが同好会だろう」

 囲んでいる男子の一人が、鼻で笑いながら肩を揺らす。

 その言葉に続いて、他の男子たちも口々に嘲るような声を重ねていく。

「同好会だって、学校に認められてます」

 そばかすの少年が、かすれた声で何とか押し返そうとする。

 だが返事は冷たかった。

「うっぜぇなっ、同好会のくせに部室貰ってるんじゃねぇよ」

「同好会とかそういうのは関係ないじゃないですか」

 ひょろりとした男子が勇気を振り絞るように言うが、その声は空気に溶けて消えていきそうだった。

「そ、それに、ちゃんと学校には許可は貰ってます」

 背の高い彼が、小さくもはっきりと訴える。

「それにここは部室ではないです。学校に言って借りているだけで――」

「嘘ついて借りてるんだろうが」

 短く鋭い声が遮る。場の空気が一段と重くなった。

「嘘なんてついてません。ちゃんとお話しして許可を貰っているんです」

 そばかすの少年が食い下がるも、囲む男子たちの威圧は強まるばかり。

「学校の備品、使ってゲームしてんのは分かってんだぞ」

「違います。パソコンは許可をもらって、自分のを持ち込んでるんです」

 黒髪の眼鏡の少年が、潤んだ瞳で必死に否定する。

「それに、ゲームでも遊んでいるわけじゃ――」

「ゲームで遊んでんのはかわんねぇだろ」

 悪意を含んだ笑い声が、その場の空気にじわじわと広がる。

 教室の前は、ただでさえ放課後の賑やかなざわめきであふれているのに、この一角だけは異質な熱気に包まれていた。

「なにビビってんだよ」

「同好会の分際で調子乗んな」

 やんちゃな男子たちの大きな声が廊下に響きわたり、まるでこの一角だけ空気が濃くなったような圧が漂っていた。

「さっさとどけよ」

「偉そうにしてんじゃねぇよ」と罵声が飛び交い、力でねじ伏せようというあからさまな威圧が、じわじわと三人の肩をすくませていく。

 ひょろりとした先輩は、肩をすぼめて視線を下げ、そばかすの男子も唇を噛み、時折ちらりと男たちの顔色をうかがうばかりだ。

 二人とも、もはや「今日はもう無理だ」と悟り始めていた。

「……もう、今日は……」

 先輩の一人が、か細い声で呟きながら眼鏡の少年の制服の裾をそっと引っぱる。

「いいから……今日は……」

 その指先には、諦めと、どうしようもない怖さがにじんでいた。

 けれど、猫っ毛の黒髪と眼鏡の少年だけは、怯えながらも一歩も下がらない。

 肩が震えているのに、制服の袖をぎゅっと握った手が離れない。

「ダメです」

 しっかりとした声ではない。

 けれど確かな意志を込めて、男たちの前に小さな体を進める。

 睨み上げるような強い視線を向けながら、はっきりと言葉を重ねた。

「ここは僕たちの借りてる場所です。……ここは、譲れません」

 一瞬、男たちが面食らったように顔を見合わせ、すぐに苛立ちに色を変える。

「ちっ……ごちゃごちゃ言いやがって」

 囲んでいたうちのひとりが、露骨に苛立ちをあらわにして一歩前に出た。

「あー、もういい!」

 怒りの勢いのまま、腕を振り上げる。その瞬間、廊下の空気がぴりりと張りつめる。

「ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさと貸せって言ってんだよ!!」

 振り下ろされかけたその腕を――

「は~い、ストップ」

「なっ」

 どこか飄々とした、けれど場の空気を断ち切るような声が響いた。

 横から伸びてきた手が、勢いよく振り上げられた腕をしっかりと受け止める。

 金髪をピンでとめた男子が、にやりと余裕の笑みを浮かべながら、輪の中に割って入った。

 その表情は、これまでの騒がしささえもどこか楽しんでいるような、まったく怯みのないものだった。

「誰って……お前は」

 男のひとりが、少しだけ警戒した声色で陸を見やる。振り上げた腕を押さえられたまま、不満げに睨みつけている。

「……西成」

 その名を口にした瞬間、輪の空気が微かに変わる。

「あれぇ~?俺のこと知ってんの?」

 陸は、わざとらしく目を丸くして首を傾げてみせた。どこかおどけたような、楽しんでいるような顔だ。

「有名人じゃん」

 背後から、黒髪を結んだ海がクスッと小さく笑いながら呟く。ほんの一瞬、男たちの間にざわりとした動揺が走った。

「まっ、いいや。こんなとこで通行の邪魔しないでくれる?セ・ン・パ・イ」

 陸はふわりと笑いながら、指先で廊下を示す。軽い口調なのに、言葉の芯はしっかりしている。

「邪魔なんかしてねぇだろ」

 男の一人が不満そうに反論する。

「十分してますよ。ほら、みんな避けて遠回りしてる」

 海が視線をやる先には、廊下の端っこを気にしながら早足で通り過ぎる生徒たちの姿があった。誰も関わりたくなさそうに距離を取っている。

「クソッ、いくぞ」

 男たちの一人が舌打ちし、乱暴に踵を返す。

「ああ、でもいいのかよ」

「いんだよ」

「一年だろ」

「お前しらねぇのか?」

 そのまま歩き出しながら、後ろにいる仲間にさりげなく視線を送る。声を潜めると、周囲にいた悪そうな連中も急に態度を変えた。

「アイツらには関わらない方がいい」

「なんで?」

「アイツらは西成だよ」

「西成?……って、アノ西成かよ、双子の」

「たしか、御堂たちが生意気だからってシメにいって、ボコられたってヤツか」

「ああ、だからアイツらには関わんねぇ方がいいんだよ」

 去っていく男たちの背中を、通りがかりの生徒たちが少しほっとした顔で見送る。

 さっきまで張り詰めていた空気が、男たちの足音が遠ざかるにつれ、ゆっくりとほどけていく。

 取り残された廊下には、徐々にざわめきが戻り始めた。

 誰かがほっと息をつき、遠巻きに様子をうかがっていた生徒たちも、また元の話題へと戻っていく。

 そんな中、ふいに小さな靴音が前へ進み、眼鏡の少年が二人の前に立った。制服の袖をぎゅっと握ったまま、おずおずと顔を上げる。

「あの、ありがとうございました」

 声はまだ少し震えているけれど、はっきりとした響きがあった。

「礼を言われることなんてしてねぇよ」

 陸はそっぽを向いてつっけんどんに返す。

「でも……」

 それでも、少年は言いかける。

「ごめんね、ウチの兄は照れ屋なんだ」

 茶化すように、海がすぐ横から割って入る。揶揄い混じりの柔らかな笑み。

「なっ! 誰が照れ屋だっ!」

 思わず海を睨みつける陸。表情にはほんのり赤みが差していた。

 二人のやり取りに戸惑いながらも、少年は勢いよく頭を下げる。

「でもっ! 本当に助かりました」

 その言葉に、陸は一瞬だけちらりと少年を見やる。けれどすぐに舌打ちして、くるりと背を向ける。

「チッ……行くぞ、カイ」

「はいはい、今行くよ、リク」

 海はにこやかなまま、陸のあとを追い、春の光が射す廊下へと二人の影が並んで伸びていく。

 騒がしさが引き潮のように遠ざかり、残された三人のあいだに、静かな息が流れる。

 さっきまで尖っていた廊下の空気も、ゆっくりと日常のざわめきに溶けていく。

 どこかで誰かが呼ぶ声。窓の外から聞こえる遠い鳥の鳴き声。

 けれど、教室前のこの一角だけは、名残惜しげな緊張と安堵がまだ身体の奥に居座っていた。

「助かりましたね、藤代君」

 ひょろりとした先輩が、眼鏡の奥の目元に、ようやく柔らかい笑みを戻している。

「はい、びっくりしました」

 その言葉とともに、さっきまで固まっていた肩がふっと緩む。

 気がつけば、手のひらがじんわり汗ばんでいた。

 制服の裾でそっとぬぐう仕草に、ささやかな緊張の余韻が滲む。

「入部初日で申し訳ない」

 先輩は小さく肩をすぼめて、気まずそうに目線を落とす。

「いえ、先輩たちが悪いわけじゃないです」

 慌てて首を振る。たしかに怖かった。

 でも、怖かったのは自分だけじゃない。それだけで心が少し軽くなった。

「ありがとう」

 そばかすの先輩が、ほっとしたように微笑む。

 普段は少し堅そうな表情が、今だけやわらかくほぐれて見える。

「それにしても、まさかあの西成兄弟が助けてくれるとは」

 ひょろりとした先輩がぽつりと呟く。

「西成兄弟?」

 首を傾げて聞き返すと、ふたりの先輩がほぼ同時に目を丸くした。

「知らないんですか?同じ一年ですよ」

 そばかすの先輩が、驚き半分あきれ半分で言う。

「ごめんなさい。僕そういうのちょっと疎くって」

 思わず苦笑して、目を伏せる。

 教室ではいつも窓際の席で、スマホで動画ばかり見て過ごしている。

 誰が有名かなんて、いつも自分には遠い世界のことだった。

「なんというか、藤代君らしいというか」

 呆れたような、それでもどこか優しい笑みが返ってくる。

「あの二人は今年入った一年生で一番の有名人です」

 そばかすの先輩が言う。

「成績は常にトップ。どんなスポーツでも出れば優勝、上位の常連なんですよ」

「そんなに凄い二人だったんだ」

 先ほどの堂々とした背中や、余裕のある笑い方が、頭の中で鮮明に蘇る。

 自分とはまるで正反対――自信があって、何でもできて、周りの空気すら変えてしまう。

 そんなふたりに比べて、何も持っていない自分を強く意識してしまう。

 比べることさえ、どこか申し訳なく思えて、小さく首を振った。

 勉強は並、運動も並以下。

 これと言って容姿がいいわけでもない。

 ただ、ゲームが好きなだけ。

 でも、そのゲームだって――いつも友達には「お前のせいで負けた」と言われてきた。

 その言葉が、じわりと胸の奥に沈んで、静かな痛みを残す。

 ――ここでは、もうそんなふうに思われたくない。

 今度こそ、自分のままでいたい。

 胸の奥で、そんな小さな決意がそっと芽吹く。

「……藤代君?」

 先輩の呼びかけで、はっとして顔を上げる。

「あっ、はい」

 自分でも驚くほど間の抜けた声になってしまい、頬が少し熱くなる。

「藤代君、あんなことがありましたが、気を取り直して、練習をしましょう」

 ひょろりとした先輩が、明るく前を向いて言う。その横で、そばかすの先輩が、どこか希望を込めて笑った。

「君が入部してくれてやっと、チームが組めるんです!ガンバリますよ!」

「はい!」

 まだ少し震えが残る声だったけど、それでも胸を張って応えた。

 窓の外、春の光が校舎を包む。

 胸の奥にあった重たさが、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。

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