カラオケの学割とお姉さん
高校二年の初夏。墨田 剣汰は新学期早々に友達に嫌われ、休み時間に会話をするような友達がいなかった。もう学校生活から消えてしまいたいと思い、溜息をつきながら登下校するのが剣汰の日課と化していた。
「ねぇ、学生のキミ。これ受け取って」
下校途中のカラオケ屋の前。おっとりとした声の女性が、横から剣汰の右肩を叩いて声をかけた。彼女は、毛先がゆるく巻かれた黒髪で、長さは胸の辺のまであった。ぱっちりした茶色い目が印象的な二十歳くらいの見た目だった。
「いや、いいです」
剣汰は、突然何かを渡されそうになって、急いでその場から立ち去ろうとした。
「キャー、えっ冷たっ」
と、彼女は叫んで突然自分の頭に手を当てしゃがみ込んだ。
一瞬何が起きたのか分からなくて剣汰は、辺りを見渡した。彼女の頭上に白い何かがついていて、空を見上げると電柱に鳩が止まっていた。
「もう、糞なんてやだ」
ちょっぴり機嫌が悪い声の彼女。剣汰は、下から睨まれた。
「落ちたチラシ拾ってくれる?」
「あっ、はい」
剣汰は、彼女が落としたチラシを拾った。チラシには、『カラオケ屋、学割始めました』というの宣伝文句が書かれていた。彼女が剣汰に渡したかったものは、どうやらこのチラシだったようだ。剣汰は、相変わらずビビりな自分に嫌気が差していた。
「あーあー、一分一秒違う行動をしていたら……」
「そうですね」
「まぁ、しょうがない。キミに頼みたいことがあるんだけど」
「店番をするだなんて、凄くムリムリ」
と剣汰は、両手を振りながら断ったのだった。
「キミはできるよ。やるしかないよ」
と彼女はおおらかに、でも威圧的に言って剣汰の肩を両手で叩いた。そして、半ば強制的に『カラオケ屋』と白い字で書かれた茶色いエプロンを、剣汰は渡されるのだった。
「店長が午後五時からしか来ないから、それまででいいから店番をして。今の所利用客は、フリータイム利用の一部屋だけ。お客が来たら電話して」
と彼女は言い、なされるがままラインの交換をした。彼女の名前は、白井 夢だということだけは、ラインの表示から剣汰にも分かった。
「じゃあ、お願いします」
夢は、生成りの鞄を肩にかけて手動のドアをぐっと力を入れて押し、カラオケ屋をあとにした。その後剣汰は、お客さんが来ないことを願ってカウンターでスマホを触りながらやり過ごしていた。
奥のカラオケ部屋から、風神と雷神みたいな強面の二人組の男が出てきた。どうやら唯一のフリータイム利用客が帰るようだ。カウンターに居た剣汰は、その人達の強面な顔を見るととっさにしゃがんでカウンターの下に隠れてしまった。
強面の二人は、カウンターの前まで来た。
「あれ、店員いないな」
「ベル鳴らせば」
チリン チリン 鳴らしても店員は来なかった。そりゃそうだ、唯一の店番の剣汰が息をひそめてやり過ごしているんだから。
「店員がいない方が悪いな。このまま、帰ろうぜ」
「だな」
剣汰は、強面二人組が帰ると息をふーと吐いた。しかし、自分がしてしまったことの重大さに顔が青ざめた。お金も貰っていないし、もうどうしようもないように思えた。
「どうしよう」
剣汰は、店長が来るのを待たずにカラオケ屋を逃げ出て行った。
夢は、風呂場から出るとドライヤーで髪を乾かし、急いでアパートを出た。剣汰には、店番ぐらいできるよというようなニュアンスの声をかけたが、夢自体も少々不安だった。梅雨の時期も終わり、日は傾き始めているがまだ明るかったのが、走ってバイト先のカラオケ屋に向かう夢にとって救いだった。
「はぁはぁお待たせ、店番ありがとう」
夢は、息を切らしながらカラオケ屋のドアを開いた。そこに、剣汰の姿は無く代わりに少し機嫌の悪そうなおじさん店長の広井 浩二がいた。
「あれ?夢さん、さぼってどうしたの?」
「いや、あのその。いろいろありまして通りすがりの男子高校生に店番してもらっちゃいましたけど、彼はもう帰ったんですかね?」
「俺が来た時には、カラオケ屋はもぬけの殻だったよ……。困るよ、わずかだけどレジの売上げ金とかもあるわけだし。誰も店員がいないのは、さすがにね。せめて留守にするなら鍵かけて貰わないとetc……」
と、くどくどと回りくどい説教を夢は店長から浴びるのだった。
「こんな無責任なアルバイトの人は、初めてだよ。またこんなことがあったら、バイト辞めて貰うからね」
「いや、店長違うんです。私に落ち度はありましたが、その言いようは気に入りません」
「ほう、でも証人もいないじゃないか?」
悔しい夢は、剣汰のライン電話をかけたが、剣汰は出るはずも無かった。
次の日剣汰は、帰りの道をどうしようか困っていた。あのカラオケ屋の前の道を通るのが一番の自宅への近道なのだが、なんせ昨日店番をすっぽかした。しかし、もともとビビりで挑戦することが苦手な剣汰は、他の道を通る勇気も無かった。
「うん、急いで通り過ぎれば問題ないよな」
剣汰は、自分に何度も言い聞かせいつも通りの道で帰ることにしたのだった。カラオケ屋付近、警戒しながら剣汰が早歩きで歩いていた。その時、同じ学校の制服を着た日傘を差した女子生徒とすれ違った。
「墨田 剣汰、確保~」
急にそんな声と共にその女子生徒に抱きつかれる、いや抱きつくというよりは体をがっしりと全体的に捕まれた。女子生徒に扮していたのは、カラオケ屋のアルバイト大学生、白井 夢だったのだ。剣汰には、衝撃的過ぎてそのまま気を失った。
「あれ、剣汰君?剣汰君?大丈夫?」
夢は、とりあえずカラオケ屋の中まで気を失った剣汰を抱えて連行した。
「ううん」
剣汰が目を覚ますと、そこには着替えた夢と店長らしきおじさんがいた。
「あっ、彼です。彼が、昨日の私の証人です。ねっ剣汰君、昨日起きたこと話してくれるよね?」
「いや、あのその……」
「本当のこと言わないと地獄行きだよ。あっ、舌切り雀って話知ってる?知らなくても題名で分かるよね」
夢は、受付にあったはさみを何回もシャキシャキさせながら、剣汰の舌に向けていた。
「いっ、言います……」
こうして、さすがの剣汰も昨日の出来事をあらいざらい話すのだった。
「すみませんでした」
剣汰は、久しぶりに頭を下げ精一杯謝った。
「ありがとう、証言してくれて」
夢は、剣汰の下げた頭をポンポンて叩いて撫でた。
「店長、というわけです。でも私も、すみませんでした」
そして、夢も店長に頭を下げるのだった。
「まぁ、いいよ。俺も言いすぎだったね」
そして、カラオケ屋の彼らのいる受付付近は、朗らかなムードが溢れるのだった。
「そうだこれも何かのご縁だ。少年よ、一時間カラオケしていきな。タダでいいから。二日間迷惑かけたお詫びだよ。二〇一号室使っていいから」
一時間という時間制限は、もったいないから問答無用で歌わなくちゃと剣汰を焦らせた。がっしかし、剣汰はその場に立ち尽くしていた。なぜなら、剣汰はカラオケをしたことがなかったからだ。
プルルル プルル 部屋の電話が鳴り、剣汰は思わず受話器をとった。
「剣汰君、もしかしてカラオケ初めて?あはは、説明しにうかがいまーす」
暫くすると、夢はグラスに入ったアイスティーを二杯両手に持って部屋にやってきた。
「そうかそうか、初めてなんて初初しいねぇ。可愛いわ。あっ、これアイスティーサービスしとくね」
夢は、剣汰の目の前のテーブルにグラスを置いて、もう一杯は自分の前に置いた。
「なんで、分かったんですか。僕が初めてだって」
剣汰は、カラオケ経験がない自分を恥ずかしんでいるのを隠すように夢に質問した。
「えー、だってそこに一応監視用のカメラついてるでしょ。それで部屋の様子見てたら、剣汰君、歌うどころかこのデンモクも触らないんだもん。これは、やり方を知らないとしか思えないでしょ」
夢は、モニターの前にあったデンモクのタッチパネルを自分の膝の上に置いて操作し始めた。
「ちなみに剣汰君、好きな曲は何?」
「え……きらきら星かな……」
「何?えっ、急にボケた?」
「童謡ぐらいしか知らなくて」
「そっか、音楽に興味薄いんだね。今時珍しいね。じゃあ、きらきら星を歌ってもいいけど、その前に私が大好きな曲で歌い方のお手本見せるよ。あはは」
夢は、慣れた手つきでデンモクを操作するとモニターに『虹』というタイトルが現れて、やがて歌詞と映像が流れ始めた。息をすっと吸って夢は歌い始めた。
剣汰は、その曲のことを正直知らなくて、夢が正しく歌ってるのかすら分かんなかった。だけど、さっきまでの夢の声とは違って、輝くような心地の良い声と明るい曲に剣汰の心まで動かされていた。あっという間に一曲終わってしまった。
歌い終わると、夢は気持ちよさそうに背伸びをするのだった。
「『虹』、いい曲でしょ。私が愛してやまないAqua Timezっていうバンドの歌なんだけどね」
「お姉さん、めっちゃよかったです」
「あはは、ありがとう。お姉さんじゃなくて夢ちゃんって呼んでいいよ。その茶色のネクタイとズボンの制服からして、剣汰君は春ヶ丘高校の学生でしょ」
「はいまぁ。ゆっ、夢ちゃんは?」
「星栄大学の文学部の三年生だよ」
プルルルル プルル 夢は部屋の受話器を取った。
「夢さんが楽しんでどうすんの?利用料金、夢さんの分は貰っちゃうよもう」
「あっ、店長そんなこと言わないでください。お手本ですお手本」
「はいはい、まあいいけどお客さん混んでくる時間だからちょっと戻ってこい」
「了解でーす」
店長との電話越しの会話が終わると、夢は「じゃ、楽しんで」と言ってドアをそっと閉めて部屋から出ていった。
「夢ちゃん……『虹』……」なんて剣汰は、呟いて少し夢のさっきの歌唱姿を思い出していた。
(はっせっかくだから何か、歌わなきゃ)我に返った剣汰は、童謡の『キラキラ星』をデンモクで入れた。
歌い終わった剣汰は、歌うって恥ずかしいという気持ちもあったのだが、声を出すのって楽しいと感じるのだった。
プルルルル プル 剣汰は受話器を取った。
「剣汰君、終了の時間だよー。部屋から出たら受付寄ってね」
夢の陽気な声に少しドキドキする剣汰だった。
「はい、割引券とついでにお菓子あげる」
剣汰が受付へ行くと、店長がカントリーマアムを渡してきた。(夢ちゃんから受け取りたかったな)なんて思う剣汰がいた。
「ありがとうございます」
お礼を言って頭を軽く下げると剣汰は、カラオケ店を出た。
家に帰った剣汰は、スマホで「アクアタイムズ」と検索した。どうやら平成の時代に流行ったバンドらしかった。だから今の三十代の世代に人気があるらしいのだ。(ってことは、夢ちゃんって……もしかして三十歳越えてる?いやいや見た目二十歳だし流石に……でもどうしてAqua Timezのこと知ってるんだろう?)剣汰の中で、夢に関するの情報がぐるぐる回っていた。
またカラオケしたいし、夢ちゃんにも会えたらな。剣汰は、そんな気の緩んだことを考えながら授業を聞いていた。
お昼休み、購買のパンを買いに行く途中、校庭の隅の階段から同じメロディを反復練習するギターの音が剣汰の耳に聴こえてきた。弾いているのは、金髪でツーブロックの髪型の青年だった。その青年は、剣汰と同じクラスの金川 勇人だった。
「なんかのバンドの曲かな」
夢のことで頭がいっぱいだった剣汰は、階段の一番上で立ち止まりつい独り言を呟いた。
「おまえ、ミセス知らねーの?」
金川は、海老ぞりかってぐらい背中を沿った態勢で剣汰を見上げた。信じられない物を見たように目を見開いて大きな声だった。
「ミセスって、何?」
「ミセスはMrs.GREEN APPLEだよ。今超人気があるバンドだぜ」
剣汰は、なんとなく金川と張り合いたくなった。
「じゃあ、金川くんは、Aqua Timezってバンド知ってる?」
「えっ、なっ知らねぇ」
「あっ勇ちゃん、こんなところでギターの練習か。うん、偉い偉い」
栗色の巻き髪にレモン色のリボンでハーフツインテールの髪型をした女子が金川に手を振りながら近づいてきた。
「おう、ミミ頑張ってるぜ。俺は、将来ミセスを越えるバンドマンになるんだから当たり前だろ。俺は、最強だぜ」
「だよね。ミミも負けないくらい最強だよ。あはっ」
ミミは、金川とハイタッチしたあと剣汰をじろりと見るのだった。
「勇ちゃん、珍しく男子とつるんでるの」
「なっ、俺は男だぞ。男子とつるむのは当たり前だ。なぁ、剣汰」
剣汰は、金川が自分の下の名前を知っていることに驚いた。
「うっ、うん」
「あっ、ミミは俺の彼女で幼馴染なんだ。この呼び名と見た目で、中身はたくましい」
「ちょっ、余計なこと言わないでよ」
「だってそうだろ。ミミって、なんでも自分でやっちゃうとこあるじゃん」
「まぁ、頼りたくないじゃん」
「たまには、俺を頼れよな」
「勇ちゃん……」
なんてミミと金川は、いちゃいちゃしだした。剣汰は、「じゃあ」っと呟くだけ呟いてその場所を去った。
剣汰は、「ちくしょ~うらやまし~」なんて人気のない購買へ繋がる通路で思わず空に向かって叫んだ。そして、カラオケで思いっきり歌ってやろうと思い直し、今日学校が終わったらあのカラオケ屋に絶対行くと心に誓っていた。
剣汰がカラオケ屋のドアを開いて、受付へ向かうと夢がいた。
「剣汰君、もしかしてカラオケにハマってきたんだね。やぁ~私、嬉し~い」
「意外と面白くって」
「うん。分かる。で、何時間のご利用ですか?機械は、DAMとJOYSOUNDどっちがいい?」
「一時間でえっと機械はどっちでもいいです」
「じゃ、私オススメのDAMにしときな。ドリンクバーかワンドリンクオーダー制かどっちがいい?」
「ドリンクバーにしときます」
「はいじゃあ、部屋は二〇二号室になります」
剣汰は、夢から部屋番号の書かれた伝票を受け取り二階の部屋に向かった。
昨日YouTubeで『虹』を聴いておいた剣汰は、とりあえずそれを入れようとリモコンを触っている時、物音が聴こえドアが開いた。そして、学生服を着た金川が部屋に入ってきた。
「よっ、水臭いじゃないか。今日カラオケいくなら誘ってくれよな。店員さんには、二時間の利用に変更で話つけといたからな」
剣汰が驚いていると、金川はデンモクを奪い取って何やら曲を検索し始めた。
モニターに『ライラック』というタイトルが表示された。どうやらミセスの曲らしい。剣汰は、冒頭のギターのメロディーラインを聞いて、お昼休みに金川がギターで反復練習していた部分だと気づくのだった。
金川は、マイクを持ってノリノリで体を動かし歌い始めた。
「いいか、俺のこと少し音痴だなーとか思ってるだろ剣汰。歌はな、ハートが大事なんだよ。楽しんでるか剣汰~、ヘイッ俺も楽しいぜ~」
と間奏部分で金川はマイク越しに言い剣汰の肩に手を回した。普通に考えたら、突然の馴れ馴れしさに、剣汰はうざさを感じる所だろう。しかし、金川の人柄は、いいやつオーラが漂っていた。いつのまにか剣汰も一緒にはしゃぎだしていた。
「次、剣汰の歌う番な」
金川は、めっちゃお茶目な笑顔を見せながら剣汰にデンモクを渡した。剣汰はは、当初の予定どうり無謀にもまだ歌ったことのない『虹』の曲をデンモクで入れるのだった。
剣汰が歌い終わった。
「剣汰、お前……俺と同類かっ、ははこれは音痴同盟が組めそうだな」
「ははっ、なんだそれ。僕は、今日初めてこの曲を歌ったんだ。多分何回か歌えば、金川君より上手くなるよ」
「言ったなぁ~いざ勝負~」
その後は、金川がミセスとやらの歌を歌いまくって二時間はあっという間に終わった。だけどその間に剣汰は、一つやらかしたことがあった。
それは剣汰が一階に降りてドリンクをおかわりしようとドリンクバーの機械の前に立った時のことだった。ファンタのグレープのボタンを押すとジュースがコップに出てきたのは良かった。だけど、やがてコップから溢れだした。剣汰は、突然の出来事にあわてた。どんどん出てくるグレープジュース。
「剣汰君、えっどうっ」
夢は剣汰が起こしたトラブルにたまたま通りがかって気づくのだった。床にグレープジュースがどんどん広がっていっていた。夢は、ファンタグレープのボタンを慌てて何度か押して流れ出るジュースを止めた。
「はぁ~。びっくりした。剣汰君、制服とか大丈夫?」
「何とか大丈夫です」
それだけ確認すると、夢はモップをカウンターの奥から持ってきて床のグレープジュースを拭き取るのだった。
「とんだトラブルだったね。あはは。後は私に任せて、折角のお友達とのカラオケでしょ。ここはいいからカラオケ楽しんでらっしゃい」
「えっ、でも」
「いいから、ここは私のお客さんへの愛のみせどころ」
夢は、モップ片手にたくましく仁王立ちでウインクした。
「二人とも学割使ってお会計一人五百円になりまーす」
受付に行くと、夢の元気な声が店内に響き渡った。
「剣汰君、楽しそうなお友達だね。お友達も、また来てね」
夢が手を振って店の外まで、剣汰と金川を見送った。
「剣汰、顔にやけすぎ。お前、あのお姉さんのこと好きだろ?」
「えっ」
金川がふざけて言った。剣汰は自分の胸に手をあてて心音を確かめた。
「そう、なのかな」
「剣汰、まさか恋初めてなのか」
「いや、うん……」
剣汰は、曖昧な返事をした。なぜなら、過去にも女の子を好きになったことはあった。だけど、夢に抱いてる感情は、それよりもっと違うもののような予感がしていたからだ。
その日以降、剣汰は金川と教室でも話すようになった。剣汰と金川は、毎週金曜日の学校帰りあのカラオケ屋で二時間歌い尽くすのだった。
それに加えて、剣汰は火曜日も一人でカラオケ屋に行くほど、カラオケにハマっていた。
「剣汰、そんなに夢ちゃんのこと好きなら、あのカラオケ屋でバイトすればいいじゃね?」
「うん、そうかそうだよな」
「バイト経験も積めて、好きな人の近くにいれるのは幸せだと思うぜ」
そして、剣汰はカラオケ屋の店長に履歴書を出し、見事採用された。
バイトを通じて夢とも随分仲良くなったとある木曜日、丁度シフト終わりに夢が剣汰に声をかけた。
「剣汰君、マック行かない?」
突然の夢からの誘いに剣汰は、心臓がおかしくなりそうだった。
「僕は、行けますけど」
なんて、思わず剣汰は頷いた。
「白井さん、男子高校生をからかっちゃだめだよ」
と、店長からからかわれつつ、剣汰と夢はカラオケ屋を後にした。
「私ね、剣汰君が『虹』を毎回歌ってるなって知ってるよ。私にとっても大切な曲だから、剣汰君が気に入ってくれて嬉しいし、剣汰君と出会えて良かった」
カラオケ屋から道路沿いを歩いてマクドナルドまで行く十分間、剣汰は幸せの絶頂期にいた。
「夢ちゃんは、なんで『虹』が好きなの?そりゃあいい曲だけど」
「翔君に教えてもらったの。バンドのこともなにもかも。あっ……翔君って言うのは、カラオケ屋のバイトの元先輩で私の彼氏なんだ。翔君は、ひと回りぐらい年上なんだけどね。今は、専業で小説家やってる」
「へぇ」
剣汰は、夢に彼氏がいるという事実にショックを受けた剣汰の脳裏にはAqua Timezの『千の夜をこえて』という曲が流れていた。
「大学に入学したての頃の私は、大学生活に馴染めなくて辛かったんだ。髪型だって一つに結んでるだけの地味な女の子だったの。でも、カラオケ屋でバイト始めて、覇気の無い私に翔君が『虹』って曲を勧めてくれたの。私は、その日家でその歌を聴いて感動しちゃった。『虹』の歌詞って。私は、とても素敵な言葉だなって思ってる。私も人生のイベントに恐れるんじゃなくて、起きたどんなことも明るい未来を描いて行けたらなって。Aqua Timezの音楽は、見える世界を明るく愛で照らしてくれるんだ」
夢は、とても幸せそうに微笑んだ。
剣汰は無言になり、二人の会話に間が出来た。
「夢ちゃん、僕。夢ちゃんの事が好きなんだ」
「……ありがとう、嬉しい。でも、剣汰君の気持ちには答えられないよ」
剣汰と夢は、結局マクドナルドに行かずその場で別れた。
剣汰は、金川にラインをしコンビニの前で待ち合わせをした。
「よおっ、なんかあったか?」
「金川君。夢ちゃん彼氏がいるんだって。しかもけっこう年上の」
「えっ、マジか」
「そして、勢いで告白して振られた」
金川は、剣汰の話をうんうんと聞いていた。溢れる感情を抱えていた剣汰は、その場に泣き崩れた。嗚咽と共に、声にならないうめき声みたいな泣き声がでていた。
「がんばったんだよな、剣汰。大丈夫だ、大丈夫だいっぱい泣け」
こうして、剣汰の夢への恋は終わりを告げた。