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第6話 ボーイ・ミーツ・T-REX・ガール

今回は上野の不忍池ダンジョンで起きた幽霊階層と呼ばれる気付いたら入ってしまってる謎階層のお話です!

お盆に差し掛かった頃。夕方、木造アパートのユウサクの四畳半。


ミヤシゲが病院から退院した葵を膝に乗せてテレビを見ていた。


テレビでは昔からよくあるタクシー運転手が遭遇した怪談がやっている。

ある夜、客の女を乗せたタクシーが目的地に着くと女が消えていたというやつだ。


大幅に脚色されたテレビの再現映像を、ミヤシゲと葵は真剣な顔で見ている。


「葵…怖いか…?」


「こ、こわくないよ!」


2人とも意地を張ってテレビにかじりついている。


『運転手が振り返ると…そこには…』


怪談のクライマックス、運転手が恐怖の顔を浮かべた瞬間。部屋のドアがノックされ、シンタローが顔を出す。


「こーんにーちわ~!」


「ミヤちゃんありがとう!葵、ただいま!」


葵の母、美咲も一緒のようだ。

各々忙しいシンタローと美咲は、時間を合わせて以前葵が入院した時にシンタローが言いかけた、高額医療費制度や自治体の補助金についてシンタローが書類をまとめて美咲に教えていたのだ。


「シンタローちゃんのばか~…!」


「ご!ごめんねぇ~…。」


泣き出して美咲に抱きつきに行く葵。

何事かよく分からないままオロオロ謝るシンタロー。テレビを見て事態を把握した美咲が葵を撫でながら口を開く。


「こんなの観て…葵も夜寝れなくなっちゃうよ。」


「す、すまねぇ美咲。葵が好きなあのアンパン野郎観てたらなんか始まっちまってよ…。」


シンタローと美咲の登場に焦ったミヤシゲは驚いた体勢のまま謝った。


「そういうことかあ…驚かせちゃったんだねえ、ごめんね葵ちゃん。」


シンタローが自分の鞄からミヤシゲの言うアンパン野郎のシールを取り出し葵の機嫌を取る。目を輝かせて機嫌が治った葵はシンタローのお腹に抱き付いた。


「オメェ…ホント準備良いなシンタロー。」


「葵ちゃん退院したからねえ。葵ちゃん、何か欲しいのある?」


「アンパン!」


満面の笑顔でシンタローを見上げ、声を上げる葵。


「シンタローちゃん、もうたくさん貰ったから…!」


シンタローに遠慮の声をかける美咲を他所に、ミヤシゲは退院祝いとアンパン野郎について思いを巡らせた。


***


しばらくしてユウサクが面接からアパートに帰ってくると、自室の扉にシールのついた板が下がっているのを発見する。


「アンパン、食パン、カレーパン野郎だ…。」


すると隣の部屋から美咲が出てきてユウサクに声をかけた。


「ユウサクくん、おかえりなさい!後でご飯持っていくからね。あとそれ葵が貼りたいって聞かなくて…邪魔だったら取っちゃってね。」


「美咲さんただいま、いつもありがとう。あとアンパン野郎邪魔じゃないよ。」


ユウサクが笑顔でそう言ってスーツ姿で部屋に入ると、ミヤシゲが部屋の入口横のコンロでお湯を沸かし、シンタローが何かの資料の横でPCを打っていた。


ミヤシゲの右頬の鱗にはアンパン野郎のシールが貼られている。


「オウ、帰ったかユウサク。」


「ユウサクおかえり~。」


「ただいま。なんかいつにも増して賑やかだな。」


ユウサクがスーツや鞄を片付けてネクタイを外し、シャツにスラックス姿で畳に座る。


するとミヤシゲが自慢気に近付いてきて、不敵に笑い自分の右頬を親指で指して言う。


「ユウサク。俺にはアンパン野郎がついている、葵がつけてくれたぜ。」


「ああ、さっき美咲さんから聞いたよ。」


ミヤシゲが満足げにコンロに戻っていった。


ちゃぶ台の向こうからシンタローが柔和な笑顔で話しかけてくる。


「ユウサク、面接どうだった?」


「…やっぱ俺より若い奴の方がウケ良いよな、段々自信なくなってきたよ…。」


「そっかそっか~!ところでユウサク、モンスター調査クエスト、報酬良いよお。」


そう言ってPCをユウサクに向けるシンタロー。画面には小さい羽の生えた白っぽい蛇の写真、と霧の中にうっすら洋館が見える写真が映っている。


興味深いのはダンジョンの階層は数字が振られているはずなのだが、そこには『幽霊』の2文字が振ってある。


「なんだこりゃ?幽霊階層?」


「そうなんだよ~!最近自分達が指定した階層に行かずに、この謎の階層に着いちゃう冒険者がちらほらいるらしくてねぇ。


怖くなって慌てて戻って来る人達が殆どだったんだけど、行方が分からなくなった人もいるみたい。


幽霊階層に入って、調査を始めた冒険者の人もいてね?この写真がその時撮影された物なんだって。



クエスト内容は、この蛇みたいなモンスターの調査と幽霊階層その物についての調査の2本立て!」


「神出鬼没のエリアって事か…。どうやって行くのかも気になるけど、この洋館どっかで…。」


すると、ミヤシゲが緑茶を淹れてきて2人に渡し、PCを覗き込む。


「こりゃあ…ミラーヴァイパーだな。移動階層にいる奴等だ。大体20層毎にこういう場所が安定しねぇフワフワした階層が一つはあるんだがよ、このミラーヴァイパーってモンスターがそこそこ厄介でな。


結構格上の相手でも過去のトラウマを掘り返して見せてくるんだと、俺の子分のうち若い連中がコイツに会ってボーッとしちまってな。


ミラーヴァイパーを叩き潰して起こしたは良いが、しばらくのたうち回ってやがったっけ。


大方移動階層に巻き込まれた連中が言ってるのは、ミラーヴァイパー共に幻見せられたんだろ、幽霊階層とは言ったもんだ。」


シンタローが器用にPCの反対側から今ミヤシゲが言った説明を書き込んでいく。


「だからか、思い出した。この洋館バイオハザードに出てくるやつだ。」


ユウサクが緑茶を啜りながら、超人気のゲームタイトルを口にした。

ミヤシゲが耳慣れない言葉に疑問を呈する。



「バイ…なんだそりゃ?」


「バイオハザードってホラーゲームのタイトルだよねぇ?なんで写真に写ってるんだろう…撮影した人が怖かったのがバイオハザードだったから?」


ホラーと言う言葉を聞いて合点が行ったミヤシゲが、ミラーヴァイパーについての説明を続ける。


「ミラーヴァイパー共は先ず頭ん中を覗いて気の引きやすい絵を見せてくる、それに気を取られた連中の心に入り込んで過去のトラウマで魂を疲れさせて、削れた生命力を食うんだと。


まぁ死ぬ程のもんじゃなかったみてぇだが…。


妙なところもあんだよな…こんなデケェ建物、ミラーヴァイパー数匹が見せる幻影の規模にしちゃでか過ぎる。何かあんのかも知れねぇ。」


3人でシンタローのPCを囲い、訝しげに呟いたミヤシゲ。


聞けば聞く程厄介そうではあるが、報酬の高さも頷ける。ユウサクは少し前の葵にまつわる有志クエストの損失に頭が行く、自分達が好きでやった事なので誰が悪いとか言う話ではないが、要するにお金が足りない。


「じゃあ20階層までの間で階層移動を繰り返せばいずれこの幽霊階層に鉢合わせるって事だな。」


調査するにしても先ず現場に行けなければ話にならない、ユウサクは今までの説明から幽霊階層への到達方法を口にした。


「安全を考えて15層までを行き来しつつ、幽霊階層を探して調査今回はダンジョンモンスター『ミラーヴァイパー』の調査までがクエストだから、気をつけて行こう。」


ユウサクの提案を補佐するように、シンタローが方針を定める。


作戦会議が終わったタイミングで、美咲が夕飯を持ってきた。

クエストに行くと伝えていたせいか美咲が気合いを入れて豚汁と冷しゃぶサラダ丼を作ってくれた。


ミヤシゲがビール缶を置き、葵がミヤシゲのあぐらの上に座る。


「「「「「いただきます!」」」」」


美咲も含めた5人が手を合わせ、ところせましと団らんが始まった。


***


翌朝、市役所でクエストを受注し3人は幽霊階層が撮影された不忍池ダンジョンに向かった。


普段は冒険者と観光客で賑わう場所だが、幽霊階層の噂が広まり、今日はひっそりとしている。


ユウサクは胴田貫を握り、シンタローは記録用のタブレットに魔石仕様の強化水鉄砲を準備。ミヤシゲは鱗を鳴らし、後衛を固める。

各々調査用の小型の記録カメラを胸に着け、不忍池ダンジョンの入口に立つ。


入口には霧が漂い、まるで古びたお化け屋敷の門のような不気味な雰囲気を放っている。


「お化け屋敷の入口みたいだねえ。」


シンタローが気の抜けた声で言うと、ユウサクも内心同じことを考えていた。ミヤシゲは鋭い目で周囲を睨み、右頬のアンパン野郎のシールを無意識に触る。



「ビビってんじゃねえぞ、シンタロー。行くぜ。」


シンタローが頷き、ミヤシゲに微笑む。


事前のデータが少ない今回のクエストは本来、シンタローが受注するタイプの物ではなかった。


だが最近、特務隊のダンジョン封鎖や誤射の情報もありクエストがただでさえ少くなった事に加え、安全マージンが確保しやすいクエストの倍率が跳ね上がり、反比例して報酬が破格的に安くなっているのだ。

ユウサクとミヤシゲが生活出来る額ではない。


シンタローは以前、臨時パーティを組み知り合った生活困窮者のタツオとメッセで情報交換した際、『まぁ、どうにか、ぼちぼち生きてます。』と返事があった事を思い出していた。



3人は装備を整え、ポータルへと足を踏み入れる。クエストの目的は明確だ。


幽霊階層に到達し、ミラーヴァイパーの調査を行い、可能ならその行動パターンを記録。クエストのもう一つの目的である幽霊階層その物についての調査はミヤシゲの知識で十分だろう。


報酬は高額だが、ミラーヴァイパーの幻影攻撃は未知数で、3人とも内心では緊張していた。


ポータルを通った瞬間、3人は予想外の幸運——あるいは不運——に恵まれる。最初の階層移動で、目の前に霧に包まれた洋館が現れた。


「マジか…一発で当たり引いたのか?」


ユウサクが呟くと、シンタローがタブレットを取り出し、素早く状況を記録し始めた。


「ラッキー…なのかな?ミヤシゲさん、ミラーヴァイパーってすぐ出てくる?」


腕を組んでいるミヤシゲは短くため息をついて答える。


「わかんねぇが…。連中はな、まずは頭ん中覗いて気を引かせる嫌な幻を見せる。油断すんなよ、ユウサク、シンタロー。」


3人は洋館の門をくぐる。内部は薄暗く、埃っぽい空気が漂い、バイオハザードのゲームを彷彿とさせる装飾が不気味に広がっていた。


「ふぁ。本当にお化け屋敷みたい。」


シンタローが軽く言うが、映像をリアルタイムで記録していくタブレットを注視する目は鋭い。青白い霧が漂う通路へ踏み込む。壁には奇妙な影が揺れ、遠くで蛇のシューという鳴き声が響く。


「これ、ミラーヴァイパーか…?」


ユウサクが身構えると、霧の中から白い蛇が数匹出てくる。ミラーヴァイパーだ。眼を光らせ幻影を投影してユウサクたちを惑わす。


ユウサクの前に葵が倒れる幻影が浮かび、動揺する。


「葵ちゃん…!? なんで…!」


「ユウサク、幻だ! 目を覚まして!」


シンタローが氷結水鉄砲を放つ、眼を光らせたミラーヴァイパーが凍り付き砕け散る。

すると倒れた葵の幻影が揺らぎ、跡形もなく消え去った。


「…何てモン見せやがる…!」


冷や汗をかくユウサク。


霧の向こうから次々と湧き出てくる大量の白い蛇の群れが河の様に3人を包囲する、今度はまとめて眼を光らせた。


洋館が揺らぎ、消えていく。


「やっぱ変だ!コイツらはこんなにまとまって動かねぇ!構えろ、何か来るぞ!!」


ミヤシゲの叫び声と同時に、ユウサクとシンタローの意識が分断される。大量のミラーヴァイパーの幻影攻撃が始まったのだ。


***


ユウサクが気が付くと見慣れたオフィスが広がっていた、ここはユウサクが勤めていたブラック企業のオフィスだ。シンタローもミヤシゲも見当たらない。


隣にはスマホゲームをしている香川があの日と同じ様に嫌味に振る舞う。


「…お前まだその資料終わってねえのか?」


ブラック企業を離れ、あの木造アパートの四畳半で住人達とふれあい、仲間達とダンジョンに挑み精神衛生を取り戻したユウサク。


あっさりこのオフィスに未練がない、香川の事ももう恨んでない。と心のままオフィスを出ようとする。


「あ、アレ?ちょ、ちょっとどこ行くんですか?お仕事…申し訳ないんだけど明日までどうにか…!ねっ…!?僕ご飯買ってきますから!!」


香川がすがり付きながら声を掛けてくる。


ダンジョンモンスターに人間の社会構造で歪み切った人間の嫌味さが再現出来なかったのだろうか、ある意味非常に常識的な対応だ。


だが目の前に居る香川の態度でユウサクは完全に幻影から逃れた。


「あの屑にそんな良識あるわきゃねぇだろ!」


腰の胴田貫も使わず香川を殴り飛ばす。自分の拳を見つめ目を丸くして下らない事を思い付いた顔で笑うユウサク。


「ちょ、ちょっと君ぃ!アレは確かに私が悪かった!謝るから、この通り!ねっ!?」


ミラーヴァイパーはまだ人間を理解出来ないらしい。

寝てる時見ていた夢を夢だと気付いて、好き勝手しようとして起きてしまうタイプのユウサクは、この状況を思い切り楽しんでやる事にしたようだ。


膝をついていた幻影の香川の襟を掴み、自分のデスクに座らせる。


「おし!じゃあやってみようか!」


幻影の為か穴だらけの指示書を幻影の香川に渡すユウサク、穴だらけとは言え正直自分が現実でこなしてきた仕事とそう変わらない。


「え!?ええと…!?これじゃ分かりませんよぉ~…。」


その言葉に満足げに微笑むユウサク。


「だよなぁ!?何もわかんねぇよなぁ!?オラ!!やってみろ!!納期過ぎてんだよ!!」


幻影香川の肩を掴み自分がやられた様に揺さぶる。


幻影香川が泣きそうな顔を浮かべる、間違いなくミラーヴァイパーなのだろう、ユウサクもユウサクで香川に恨みは無いと心から思っていたが、全くそんな事はない。


「お前なぁ…泣こうが喚こうがどっか痛かろうが体調悪かろうが!!お前が!明日まで!!終わらせんだよ!!」


自分の中に芽生えた攻撃的な気分に嫌気がさしながらも、幻影である事を良い事に幻影香川に過去の恨みをぶつけるユウサク。


「ぁ…ぁあ~!ごめんなさあい!!」


と、幻影ではあるが香川が頭を下げた事でどこかスッキリしてしまったユウサク。短く息を吐いて呟く。


「分かれば良いんだよ…。」


瞬間、視界の端に動くモノを感じた。弾かれた様に振り返るユウサク。


「…何だ…あれ…?」


散々見慣れたオフィスの窓の外。向かいのビルの外壁に、赤黒い鱗を持つ巨大な蛇の一部が去っていくのが見えた。


呼応する様にオフィスが歪み、幻影から覚めたユウサク。


「オイ!ユウサク!!起きろ!」


ミラーヴァイパーの群れから自分達を守っていたミヤシゲに声を掛けられたユウサク、呆けて立ち尽くしていたらしい。


だが、やたらスッキリした顔になっていたユウサクを別の意味で心配したミヤシゲに声をかけられた。


「オウ!目覚めたか!!…ユウサク…?お前、何を見せられたんだ?つーかどうやって戻った?」


「…健康的な生活に感謝だな。」


勝ち誇って言うユウサクに怪訝な顔をするミヤシゲだったが、ユウサクの横ではシンタローが幻影にとらわれたまま寝ている。


ミヤシゲが気を使ったのだろう、ミヤシゲがいつも腰に下げている手拭いが枕代わりにされていた。


ユウサクは目の前のミラーヴァイパーの群れに胴田貫を抜き放ち、ミヤシゲと自分達を囲む蛇の群れからシンタローを守る陣形を取る。


シンタローが目覚める気配はまだない。


***



ある少女の物語


タマオは東京の有名な良家の生まれで幼い頃から数々の英才教育を叩き込まれた。

小学校も中学年に上がる頃には美貌を発露し出し、多くの人に興味を持たれた。


意思を持つ事を実質禁じられていたタマオは、自由を知らないまま中学生になる。


受験をして入学する様な中学校だったが、この頃既にタマオは壊れ出していて、ギリギリの入学だった。


タマオを心配していた壮年の家政婦さんのすすめで、年頃の娘らしい遊びを模索するようになったタマオだったが、SNSで援助交際の目的を隠した中年男性に会いに行ってしまう。


流石にそこまで世間知らずでもなかったタマオは、お嬢様らしく毅然とした態度で立ち去ろうとするも、タマオの美貌が気に入った中年男性はしつこく足止めをする。


そこに現れたのは野良犬の様な少年だった。


綺麗な女の子を助けようとか、悪党をやっつけようとか言う感情ではない。ただ気持ち悪い中年男性の存在にキレて殴り、警察を呼ばれるも堂々と、逃げようともしない。


その奔放さを見たタマオは気が付くと少年の手を握り、繁華街を走って逃げた。


それからタマオは少年への興味が強くなり、ぶっきらぼうな返事しか帰ってこない少年へ連絡を繰り返す。


返事こそ短く礼節など欠片もない物だったが、少年はただそこにあるだけの様にタマオを拒絶しなかった。


無事成績も戻り、首席を取り続けるタマオは、同学年であった少年と共に中学3年生になった、その時事件が起きる。


タマオの父親が政略にタマオの結婚を利用しようと婚約者を決めてしまったのだ。

相手は悪評から逃げれるだけの力を持った政治官僚の孫、権力に抱かれて育ったのだろう。


敬語で話しこそするが、肥満な体型に世間知らずで野卑た思考が顔に出ている。タマオの美貌を気に入り話を進めようとしていた。


凄まじい量の連絡がタマオのスマホを鳴らす、官僚の孫と違って少年の返事はぶっきらぼうながらも程よい距離感があり、相手の考えを尊重し合える心地の良いものであった。


だが、タマオの在り方を否定し、会話に過去の経験を全く感じない、まるで全ての人間の存在を否定するだけの様な婚約者の話にタマオは疲れていく。


少年から返事が来た。忙しかったのだろうか、やっと時間が空いたのだろう。


「俺、高校に行く。」


短くも、自分の描く将来の形を共有してくれる少年のメッセに安堵するタマオ。


今なお送られてくる官僚の孫への返事を横に流して忘れ、少年にメッセを送るタマオ。

少年はすぐにタマオ自身が気付いていないタマオの疲弊に気付く。


「大丈夫か?お前」


そこに少年が居る事、何より自分が、自分の意思が在る事を実感し、タマオの目から涙が溢れる。

少年と出会う前ならあのまま何も思わず流されて、父親の理想の人形のままで居られただろう。だが他人が居る事を知ってしまった、自分が居る事を知ってしまった。


「たすけて」


タマオがはじめて心から発した産声である。少年からの返事が止む、相変わらず官僚の孫からはこちらの意思を認めない、一方的な連絡が着ている。


何もかも嫌になりベッドで膝を抱えていると窓から音がする、タマオは気だるげに窓の外を見る。野良犬のような少年が、敷地の砂じゃりを抱え一粒づつ窓に投げていた。


いつだったか、確かに家の場所を教えた事はあったが敷地内である。

慌ててタマオはスマホを叩く。捕まってしまうから敷地の外に出て待っててと書こうとしたのだ。


「バカ」


窓の外の少年は、自分のスマホを見るなりふてくされた顔でこちらを見る。

タマオはあわてて身振り手振りで敷地の外に出て待っててと伝える、お嬢様が身に付けた品性など欠片もない。


少年は齟齬なくタマオの意図を汲み取り頷くと、敷地を出て行った。タマオは家の中の誰にも見つからない様に外を目指す。


お嬢様には初めての経験だった。


するとあっさり壮年の家政婦さんに見つかってしまう、直後に父親の声。

状況を察した家政婦さんが父を誤魔化し、タマオに笑顔を向け外へ案内してくれた。


「帰りも合図をくれればどこなりともお開けしますよ、お転婆なタマオ様。」


そう耳打ちをされ、柔和な笑顔を家政婦さんに向けるタマオ。手を振る家政婦さんは、今まで作り物のようだったタマオの表情に人格が宿っていることに驚いて、成長を喜んだ。


近くの川にかかる橋で少年と合流したタマオは、ぶっきらぼうながら素直に心配してくれる少年に婚約者について相談する、自分でも気付かない間に涙を流していたタマオ。


「嫌なんじゃねぇか。」


少年の言葉に、自分が拒絶の気持ちを持っている事を自覚したタマオであった。


「私、嫌だって思ってる…。」


それが当たり前のように怪訝な顔で、今度は直接少年が聞いてくる。


「大丈夫か?お前、バカなんじゃねぇの?」


余計な一言付きで。少年がはじめて踏み込んできた。


「な、なんだよぅ~。私は私だもん。」


頬を膨らませ不貞腐れたタマオ。


「分かってんじゃねぇか。」


短く笑顔で返す少年を、タマオは目を丸くして見つめる。


『目の前の少年がそうであるように、父も、官僚の孫もみんな自分なんだ。…だったら、私は?』


父の強いた道を恨むのは自分で決めないからだ。私が父のせいで終わらない為に…どうすれば良い?父に歯向かう?違う。


自分で決めるんだ。私と父の考えが違うのは当たり前だから、戦う必要がある──。


「ありがと。」


自分は何もしていない、と不思議そうな顔をする少年。タマオの中では自分の人生を自分の物にする為の戦略が既に組み上げられていた。


そうして2人は橋の上で他愛の無い会話を楽しみ、各々の家に帰っていった。


タマオの少年への連絡は減り、そして無くなった。



しばらくして─、少年は高校に上がり、入学式の後教室で説明を受け、早速帰宅しようとしていた。


すると校門近くに人だかりができている。

興味の無い少年は避けて通ろうとするも、クラスでボソボソと自己紹介した程度の自分の名前を大声で呼ばれる。


「ユウサク~!お~い!!ねぇ!ユウサク!!」


間延びした声が聞こえ、辺りを見回す。

先程の人だかりの中心から見知った顔が出てきた。


野良犬のような少年のユウサクと、あからさまなお嬢様のタマオ。


釣り合わない二人が親しげに会話するのを、人だかりの生徒達は意外そうに見ている。


「タマオ…!?なんでここにいんだよ?」


ユウサクも意外そうにタマオを見る。

ユウサクが必死で頑張って進学したこの高校は、決して頭の悪い高校ではないが、タマオの様なお嬢様が来るような学校でもない。


だと言うのに、タマオはユウサクの学校の制服を着ているのだ。


「ふふふ。戦ったんだよ~?運命と!」


カッコつけて言うタマオ。

なんだかよく分からないが、タマオがこんな顔をしてここに居るいるなら、婚約者の問題等色々解決したのだろう、とユウサクは思った。


「あ!ねぇねぇユウサク~。みんなが私のあだ名考えてくれてるんだけど、ユウサクがつけてよ!!」


ユウサクの評判の無さなのか、先程の人だかりは消えて気が付けば周りには人がおらず、ユウサクとタマオの二人だけになっていた。


「……、」


「なんでも良いよ~?」


「じゃあ、タマオだから、シンタロー。」


友達にあだ名などつけた事もないユウサクは、心配そうにタマオを見る。唇に指を当て考え込むタマオ。


「それひょっとして中村玉緒さんだから、勝新太郎さん…?」


「おお…分かるのか、お前。」


「お前じゃないよ~!わたs…僕はシンタローだ!」


初めてあだ名をつけられたシンタローは嬉しそうに柔和な笑顔を浮かべた。


すると、足元にあった影が動き出す。

あまりにも大きい影が自分達から避けていったのでシンタローは慌てて空を見上げた。


そこには既に何も居なかったが、校舎も、少年ユウサクも歪み、消えていった。




シンタローが目を覚ます。


「うわっ…やば、寝てた!?ごめん、2人とも!」


ユウサクが安心した顔を浮かべ、シンタローに声をかける。


「起きたか!シンタロー!!」


「なんっつーか!…オメェラ2人揃って寝覚め良さそうな面しやがって!マジで何を見せられたんだ!?」


ユウサクとミヤシゲは寝ていたシンタローを中心に防御陣形を取っていたが、自分達を囲むミラーヴァイパー達には物理攻撃手段がないのだろうか、シンタローが目覚めるまで攻撃らしい攻撃を受けなかったのである。


シンタローは慌ててタブレットを開き、自分達の胸部に着けていたカメラの映像が取れているか確認する。


「クエストクリア!調査目的は果たせた、脱出するよ!」


調査目的を果たしたことで撤退を決める。


「っしゃ!んじゃ帰り道開けねぇとなあ!」


ユウサクとシンタローが気を失い、進まない状況に辟易していたミヤシゲ。


ポータル方面にいるミラーヴァイパーの群れに顔を向けると、嬉しそうに口に魔力を纏わせ、歯をガチン!!と鳴らし着火した。


するとミヤシゲの口から高温の魔力炎が吹き出す、直撃したミラーヴァイパーは灰になり、慌てて避けた個体も余波で羽を焼かれ落ちる。すかさず走り出す3人。


「お前!こんな事出来んなら早く言えよ!?」


「ハッ!俺の子分共もやってたろうが!」


ユウサクとミヤシゲがいつもの悶着を始めると、後方で異音がする。


「2人とも!!ちょっと待って!」


シンタローの声にユウサクとミヤシゲが振り返る。

すると3人の進行方向の先に、上から大量のミラーヴァイパーが降り注いで来たのだ。


見た目に気味悪がったユウサクが少し引く。


「…これは…。」


「統率されてやがる動きだ!親玉が来るぞ!!」


シンタローがミヤシゲの発言に注目して思考を巡らす。


先程の洋館はミラーヴァイパー数匹が見せる幻にしては大き過ぎな物だったらしい。


集団で魔力操作をして洋館の幻を組んでいた?…物理攻撃手段を持たないのに、真っ直ぐこちらへ姿を現したミラーヴァイパーにそんな知力があるとは思えない。


この階層に他の種類のモンスターが居たなら、先程の自分の様にゆっくりミラーヴァイパーの催眠を受けている暇など無かっただろう。



つまりミヤシゲの言う親玉とは、異常個体だ。



シンタローの考えがまとまると、先程まで洋館のあった場所にいるミラーヴァイパー達を押し分け、赤黒い鱗を持ち額に光を宿した巨大なミラーヴァイパー頭部…横幅だけで3mはあろうか、大樹がどこまでも伸びるように大蛇が現れる。


「おいおい!マジか!!」


「相手の出方が分からない!即応体勢取って!」


慌てるユウサクと指示を出すシンタロー、ミヤシゲは獰猛な笑顔を浮かべると左掌で右拳を受け止め、ズドン!と音を鳴らす。


「丁度良いぜ!暴れ足りなかったところだ!!」



***



霧に包まれた幽霊階層の中心で、ユウサク、シンタロー、ミヤシゲの三人は、赤黒い鱗が不気味に輝く巨大なミラーヴァイパー「ニーズホッグ」と対峙していた。北欧神話登場する蛇の名前である。


戦闘中、「でかい蛇」「あのでかいの」「でかいミラーヴァイパー」等個体を指定しにくい名称だった為シンタローがとりあえず名付けたのだ。


ニーズホッグの頭部だけで横幅3メートル、その体は大樹のようにどこまでも伸び、霧を切り裂くようにうねる。


周辺では無数のミラーヴァイパーが群れをなし、統率された動きで三人を包囲。


蛇たちの目は一斉に光り、幻影支配の魔力が空気を歪ませる。


「アイツ…さっきの幻の中にいた奴…!サイズあのまんまなのかよ!?」


ユウサクが胴田貫を握り直し、構える。霧の中から響く蛇のシューという鳴き声が、頭に直接響くような不快感を煽る。


「コイツらはあのニーズホッグに統率されてやがる!気ぃ抜くんじゃねえぞ!」


ミヤシゲが獰猛な笑みを浮かべ、鱗を鳴らしながら拳を構える。右頬のアンパン野郎のシールは先程の魔力炎の高温で焦げかけているが、彼の闘志は燃え上がっていた。


シンタローはタブレットを脇に下げ、強化水鉄砲を両手で構える。メインスロットには氷結の魔石と水の魔石がセットされており、青白い光が銃口で揺れる。


「まずは群れを散らすよ!ユウサク、ミヤシゲさん、フォローお願い!」


シンタローが引き金を引くと、氷結弾が霧を切り裂き、ミラーヴァイパーの群れに直撃。数匹が凍りつき、砕け散るが、すぐに新たな個体が水流のように殺到する。


ニーズホッグの赤黒い鱗が一瞬輝き、群れの動きがさらに統率される。蛇たちの目が光り、三人に幻影攻撃が襲いかかる。




ユウサクの視界が揺らぎ、木造アパートの四畳半の自室に立っていた。目の前には葵が倒れ、泣き叫ぶ美咲の姿。


「ユウサクくん…なんで…葵を…!」


美咲の声が胸を抉る。


だが…その横で香川がさめざめしく泣いているのだ。


「なんっつーか!騙す気あんのか!?」


畳に土足。香川の横面を足蹴にすると幻影が晴れた。ユウサクはすぐに相棒に声をかける。


「シンタロー!」


シンタローの前には、かつてのタマオの姿が現れている。婚約者の官僚の孫がタマオを嘲笑い、父が冷たく見下す。


「お前は人形だ、自由なんてない。」


ニーズホッグの生む幻影の向こうに立つユウサクを見て、シンタローは柔和な笑みを浮かべる。そしてタマオに声をかけた。


「大丈夫。その痛みも私が居る証だから、私が私で居る限り…それはきっと嬉しいことなんだよ。」


そう言うと氷結弾を連射し、幻影を打ち砕く。

一瞬動きを止めた2人はすぐに戦闘に復帰する。


拳を振るい、ミラーヴァイパーの群れに飲まれながらも鱗で弾き返しているミヤシゲ。

エンシェントドラゴンであるミヤシゲにはニーズホッグの幻影すら効かない様だ。


ミヤシゲが口に魔力を集め、歯を打ち鳴らし引火。灼熱の魔力炎を吐き出す。

炎がミラーヴァイパーの群れを焼き払い、霧を一掃。だが、前衛で群れを切っていたユウサクが炎の余波に巻き込まれる。


「うぉあ!!あっちぃ!!何すんだ!!」


魔力炎を吐いてる間は前方が確認できないのだ。

ユウサクが慌てて飛び退き、胴田貫を振り回しながら叫ぶ。服の裾が焦げ、髪がチリチリになっている。慌てたシンタローが叫んでミヤシゲの腕を引く。


「ミヤシゲさん!ちょっとストップ!ストップ!!」


「っと!すまねえ!範囲攻撃なのは良いんだが、扱いが難しいんだぜコレ…。」


ユウサクを巻き込みそうになったミヤシゲがバツの悪そうな顔で頭を掻く。ユウサクは過去の戦闘でミヤシゲがこの魔力炎を控えていた理由に納得がいった。


「…ったく、こりゃあ使いどころ選ぶよな!」


ミラーヴァイパーの群れは相変わらず水流の様にわきだし、ニーズホッグの周囲を回遊している。正直キリがない。


ニーズホッグが咆哮を上げ、魔力を放出する。


放出された魔力はすぐに光刃を形成し、三人に向かって飛来してきた。


ミヤシゲが前に出て鱗で刃を受け止め、衝撃に耐える。


その時、ミヤシゲが何かに気付いた。


「こいつの魔力…!?額のありゃあ…まさか結界石か!?…なんっでそうなったのかはわかんねぇが…!シンタロー!!」


「オッケー!目標はニーズホッグの額の結界石らしき石の破壊!


この攻撃を凌ぎ次第、僕が奥の手でミラーヴァイパー達を誘導後、ミヤシゲさんのさっきの火でミラーヴァイパー達をまとめて焼却!更に!僕が氷結弾でニーズホッグの足止めをする!


動きが止まったところでミヤシゲさんはユウサクをニーズホッグ頭部に投げて!


ユウサク、お願いねぇ!」


「な…投げ…!?」


「っシャア!支度すんぞユウサク!!おおおおらああああああッッ!!!」


ミヤシゲの筋肉が盛り上がりニーズホッグの光刃に亀裂が入る、更にダメ押しでミヤシゲが拳を叩き付けるとニーズホッグの光刃が砕け散った。


ユウサクはシンタローの作戦を把握こそしたものの、自身を投げると言う内容に戸惑っていた。ミヤシゲがユウサクを抱える。


「マジかあああ!!」


シンタローは抱える強化水鉄砲のスロットに水の魔石を3つ装填、ニーズホッグを守るように宙を回遊する複数のミラーヴァイパーの群れに向け、叫ぶ。


「行くよ!!」


シンタローが引き金を引くと 銃口から放たれた高圧水流が、ミラーヴァイパーの群れの進路を制御、いくつかの群れがまとまり真っ直ぐこちらへ向かって飛んできた。


「良いぜぇ!シンタロー!!」


ミヤシゲは口に魔力を纏わせ、先程と同じ様に歯を打ち鳴らし引火。突っ込んできたミラーヴァイパーの群れをまとめて焼き払う。


「あっつ!うわっちぃ!!」


やはり魔力炎の余波を受け熱がるユウサク、だがその瞳は真っ直ぐニーズホッグの額にある結界石に向けられている。投げられる覚悟は決まったようだ。


ミヤシゲの魔力炎が止むとニーズホッグ頭部への道が開いている。

すかさずシンタローが通常モードに戻した強化水鉄砲で氷結弾を連射、全弾をニーズホッグの見えている部分全てに命中させ一瞬、動きをとめる。シンタローが合図を出す。


「今だ!!ユウサク!!!」


「「行けぇえええ!!」」


ユウサクとミヤシゲの声が重なる。


ミヤシゲの右掌をカタパルトにしたユウサクが、ミヤシゲの怪力と自身の魔力同化で強化された脚力で矢の様にニーズホッグの額に飛んでいった。


身動きの取れないニーズホッグの蛇の目はユウサクを捉え、強烈な幻影支配が襲う。目の前にバイオハザードの洋館、タマオと出会った日の中年男、ブラック企業のオフィス、タマオの父、香川の嘲笑、葵の倒れる姿が次々と現れる。


「ネタ切れだぜ!!!蛇野郎!!!!」


刹那、ユウサクの胴田貫がニーズホッグの額に振り抜かれた 。


結界石が砕け、ニーズホッグが苦悶の咆哮を上げる。群れの統率が乱れ、ミラーヴァイパーたちが混乱に陥った。


しかし、倒れていくニーズホッグの双眸はまだ諦めずに幻影を産み出そうとしている。

宙を落ちていくユウサクが叫ぶ。


「ミヤシゲェエエ!!!」


「オウ!!!終わらせてやらあ!!!!」


ミヤシゲが崩れ落ちるニーズホッグの頭部に腕を肩からグルグル回しながら駆け込んで来ていた。


「アーーンッッ!!!!…パァーーンチッッ!!!!」


アンパン野郎の掛け声と共に、凄まじいアッパーを叩き込む!


──ドゴォオーーーンッ!!!──。


轟音を立て、拳がめり込んだ場所から噴出した魔力の爆発がニーズホッグの全身を連鎖し、巨大な蛇は赤黒い鱗が霧と共に消滅、光の粒子となって崩れ落ち、幽霊階層の霧が晴れていく。


すると、遥か上方からユウサクの雄叫びが聞こえてきた。


「ぅおおおお!!」


「ユウサク!蹴って!蹴って!」


シンタローが想定していた落下距離ではなく、ニーズホッグの爆発にあおられて大幅に高くなったユウサクの落下距離に焦り、水の魔石2個の強化水鉄砲を数発ユウサクに向け放つシンタロー。


放水銃程の威力がある水流を空中で器用に蹴り、減速をするユウサク。

だがそれでもまだ速い、シンタローは思わず水鉄砲を手離し両手を広げユウサクを受け止めようとした。気の触れた様なシンタローの行動にユウサクが叫ぶ。


「バッ…!!退いてろおお!!!」


ニーズホッグの噴出した魔力を浴び、魔力同化で更に強化されたユウサクは着地の瞬間、むしろシンタローが地面に衝突しないように抱き抱えながら転げて着地した。


砂埃が立つ中、シンタローを確認するユウサク。


「シンタロー!?大丈夫か?」


「ふぁ。…慌てちゃったあ、ごめんねぇ~。」


ユウサクに抱えられ、いつもののんびりした口調で謝るシンタロー。

2人は立ち上がり、ユウサクがシンタローに目立った傷がないのを確認すると安心したのか大きなため息をつく。


「全く…頭が良いんだか悪いんだか、付き合い長いのによくわかんねぇ奴だよ、お前は。」


膝に手を付いたユウサクに、満足そうな顔でシンタローは振り返る。


「ふふ、僕は僕だよ~。ユウサク。」


そう言って、シンタローはいつもの柔和な笑顔を浮かべた。


「オイオイオイ!!大丈夫かお前らァ!?」


無傷ではあるが、ニーズホッグの起こした爆発で埃だらけになったミヤシゲが、2人の衝突を見て慌てて走ってきた。

ユウサクがミヤシゲに親指を立てて答える。


「あ~!ミヤシゲさん…その…ほっぺのアンパン…が…。」


ミヤシゲを見たシンタローが言い辛そうに自分の頬を指差す。

ミヤシゲの右頬に先程まで辛うじて残っていたアンパン野郎のシールは、完全に擦れて原型を留めていない。


真顔になり目を丸くしたミヤシゲは、震える手で自分の右頬に触れる。


剥がれかけていたシールは触れた指に移動し、ミヤシゲに別れを告げる。

焦げ、ちぎれ、擦れたアンパン野郎の笑顔だった顔には、もう残された力はないだろう。


ミヤシゲは膝から崩れ落ち、アンパン野郎に感謝した。


「…アンパン野郎…ありがとうな…。助かったぜ…葵…。」


何と言葉をかけて良いのか分からなくなったユウサクが、シンタローの袖を引いて耳打ちをする。


「シンタロー、替えのシール持ってなかったか?新しい顔よって。」


「んんん…そう言うことじゃないかなあ~…。」


ダンジョンに出現したミラーヴァイパーの異常個体、ニーズホッグとの激闘はシンタローの苦笑いで幕を閉じた。


***


統制が乱れ散っていったミラーヴァイパー達。


ダンジョンの隅には『アンパン野郎』と、ミヤシゲの爪で掘られた墓石が立っている。


「ニーズホッグのデコに埋め込まれてた光る石な、ありゃ間違いなく結界石の欠片だ。


普通の状況じゃねぇ、誰かがやらなきゃ絶対に起きねぇ事だ。オメェ等疲れてるかも知れねぇがこの移動階層の結界石見に行くぞ。十中八九壊されてる。」


そう言うミヤシゲの進言に、ユウサクとシンタローは頷いた。3人は結界石の探索を開始する。


何度かミラーヴァイパーに遭遇したが先程の様な大袈裟な幻影ではなく、電車を逃した程度の幻影しか見せてこない。大した脅威でもないので素通りして結界石を探す。

片付いた違和感にシンタローが呟いた。


「さっきのはやっぱり異常事態だったんだねぇ…。」


先行していたミヤシゲが足を止め、広間の奥を睨む。そこには巨大な結界石がそびえ立っていた。


「やっぱりな、結界石だ。壊されてやがる。ニーズホッグの額に埋まってた欠片…間違いなくコイツの破片だぜ。」


呆れた様に呟くミヤシゲ、ユウサクとシンタローがミヤシゲの視線の先を追い、表面に深い亀裂が走り、魔力の光が不規則に点滅している結界石を確認する。


「これは…誰かがわざと結界石をぶっ壊した上、ニーズホッグをでっち上げたってことか? 」


「ふぁ。結界石の欠片をミラーヴァイパーに埋め込むなんて、冒険者の考える事じゃないよねぇ…。でもなんでそんな危険なこと…?」


シンタローが唇に指を当て、考え込む。


3人は結界石に近づく。

石の周囲には削り跡や焦げ痕が残り、人為的な破壊の証拠が明らかだ。


ミヤシゲは地面の足跡を睨み、唸る。


「…オイ、ここの足跡他のと違う靴履いてんぜ。数の多い奴等の他に一人…いや、二人か? 誰かがここにいたのか。しかも、慌てて逃げ出したみてぇだな。」


ユウサクは以前特務隊員に発砲されたことを思い出し、嫌な予感を募らせる。


「数の多い、同じ靴を履いてダンジョンにいる奴等…そんなの特務隊しかいないだろ。


でも、慌てて逃げ出したってまさか、ここでニーズホッグが生まれて…あの幻覚攻撃にビビって逃げて…そいつは特務隊からはぐれたのか?」


「そりゃわかんねぇが…、お守りされながら出口も安定しねぇこの移動階層に来た人間が、当てずっぽうで逃げたところでオチは見えてるぜ。」


逃げた足跡の先、薄暗いダンジョンを眺め神妙な顔になるミヤシゲ。


シンタローが足跡を撮影し、ここで見た物を記録していく。ふと、シンタローの視線が結界石の影に落ちた。


そこには、喉を掻き切った特務隊員の遺体が血だまりに横たわっている。目は虚ろに開き、顔には恐怖と絶望が凍りついていた。息を飲むシンタロー。


「2人とも~…特務隊員…。自分で喉を…。ニーズホッグの精神攻撃、こんなに強力だったんだ…。」


ユウサクが遺体に気付いて近づき、顔をしかめた。隊員の周りには結界石を破壊するための特殊な工具が落ちており、血に濡れた徽章が地面に転がっている。


「自分で喉を掻き切ったのか、よっぽどの幻影を見せられたんだな。けどこいつ一人でこんなデカい石を壊すのは無理だろ。誰か一緒にいたはずだ。」


言いながらユウサクは、自身の受けたニーズホッグの幻覚がかなりヌルい物だったのかもしれない、と思った。


そこまで能天気に生きてきたつもりはないが、目の前の遺体を見る限り、人によっては致死の可能性を持った凶悪な能力なのは確かである。


「ハッ、仲間を見捨てて逃げた奴がいるってことだ。特務隊の作戦じゃねぇな。もっと上の、でかいヤツが絡んでるぜ。」


シンタローが苦虫を噛み潰したような顔に、ハンカチを口に当てながら遺体の装備を慎重に調べる。


特殊工具の刃が結界石の削り跡と一致することを確認した。さらに、シンタローが隊員のポケットから防水ノートを見つける。


乾いた血が張り付いているが、「外部協力者」「魔力兵器」「制御不能」の断片的な文字が読み取れる。


「これ『外部協力者』って書いてある、確定だねぇ。誰か他の組織か個人がこの計画に絡んでたんだ。


でも、『魔力兵器』、『制御不能』って。ニーズホッグが暴走したから、ここの特務隊員は見捨てられて、協力者は逃げたってことかな…。」


「『兵器』だの『制御不能』だのって、ほとんどもうバイオハザードじゃねぇか。けどまぁ、どこに逃げたところでこれじゃなぁ…。」


シンタローの推論を聞いたユウサクが、半ば笑い飛ばしながら先程ミヤシゲが見ていたその協力者が逃げたであろう薄暗い通路を見る。


ミヤシゲが結界石の周囲を見回し、視線で地面に残る足跡を追う。足跡は広間の奥、ポータルの方向へと続いている。


「ポータル方面に逃げやがったみてぇだな、運がよけりゃ外に出たかもしんねぇ。」


シンタローがタブレットで記録していた、この幽霊階層のデータと先程の防水ノートの日付を確認している。目の前の特務隊員の死亡時期と、幽霊階層に迷い込む冒険者が出た時期が合致したのだ。


「この階層は元々移動階層じゃなかったのかも。」


シンタローの発言にミヤシゲが振り返る。


「どういうことだ?シンタロー…いや、確かに…そうか、俺も移動階層の発生原因までは良くわかんねぇんだ、教えてくれ。」


ミヤシゲにも思い当たる事があったらしい、シンタローは頷いて、説明を続ける。


「この幽霊階層が発生したのも最近で、ニーズホッグが生まれてから結界石の魔力を活性化させたせいだとすると、しっかり時期が合うんだよね。


今回みたいにモンスターに埋め込まれたり、何らかの理由で結界石の魔力が活性化すると、隣り合った他の階層との繋がりが薄くなって、幽霊階層がダンジョン内で浮上したり沈降したり…。


僕たちがはたまたま浮上した時にダンジョンに入ったから、一発でここにたどり着けたんじゃないかな。…あくまでも仮説だけど。」


ミヤシゲが自分の顎を撫でて考え込んでいる。


「いや、俺もそう思う。ニーズホッグを倒した今なら魔力活性も落ち着いてるしこのまま階層移動すりゃ何か分かるかも知れねぇな。」


ミヤシゲの話を聞いたシンタローが慌てて止める。


「それはやめた方が良いかも!仮説があってたら、ニーズホッグを倒した今、この階層は事故の起きたエレベーターみたいになってると思うんだよ。他の階層にピッタリ合ってれば良いけど、もしずれてたら…。」


「次元の狭間におっこっちまうな…。」


幽霊階層が発現してから、実際に帰って来ていない冒険者も数名居るのだ。彼らはきっと移動するエレベーターから降り損ねたのだろう、思わぬところで行方不明者達の居場所が分かったシンタローだった。


「ミヤシゲさん、その次元の狭間ってどんなところ?」


シンタローの意図を汲んだミヤシゲが顔を曇らせる。


「次元の狭間はまず時間がぶっ壊れてやがる、落ちた連中はまず生きちゃいねぇよ…。」


可能なら救助の手筈を整えようとしていたシンタローは、短めに説明を切り上げたミヤシゲから顔をそらした。


「…そっかぁ…。」



ミヤシゲが結界石に近づき、表面の亀裂をじっと見つめる。彼の表情には怒りが宿っている。


「前に言ったよな?今のオメェラの世界みたいに、前にダンジョンにくっついちまった世界の連中と協力してダンジョン災害の進行を食い止めようとしたが、連中はダンジョンの資源に依存しすぎて結局、世界ごとダンジョンに飲まれちまったって話。


あん時に似てるぜ、なりふり構わないえげつねぇ真似がよ。


こんな下らねぇ事する奴等の巻き添えに、絶対に、葵は巻き込んじゃならねぇ。」


独り言のように過去を振り返るミヤシゲを、ユウサクとシンタローが心配そうに見つめる。


2人の視線に気付いたミヤシゲは相好を崩し、いつもの雰囲気に戻った。


「ま!だが先ずは帰らなけりゃ話にならねぇよな!オメェラ!あるだけ魔石寄越しな!俺が結界石直してやる!!」


ユウサクは以前、ミヤシゲを親方と呼ぶドラゴン達が結界石を修復した事を思い出した。


だが、ユウサクが見た結界石はニーズホッグに埋め込まれた分大きく抉られている、心配なユウサクは思ったままミヤシゲに尋ねた。


「直すったって…こんなのどうにか出来んのか?」


ユウサクの隣ではシンタローが、マジックバッグや強化水鉄砲から魔石を取り出している。


「ユウサク、 ミヤシゲさんなら大丈夫だよ~。」


いつもの柔和な笑顔を向けてくる。


「まぁ確かに…直らないと帰れないもんな。」


ユウサクも胴田貫の補修エンチャントの魔力補充用の魔石を数個、刀の鞘ホルダーについているマグポーチから取り出す。


「ハッ、俺を誰だと思ってやがる? エンシェントドラゴンで、子分共の親方の俺が、結界石一つ直せねぇわけがねぇだろう。──、これで全部か?」


ユウサクとシンタローが各々全ての装備を漁って魔石を全て出したのを確認して頷く。

ミヤシゲ自身も数個、持っていた魔石を出していた。


ミヤシゲは胡座をかいて、顎に手を当てながら全員の魔石の山を見ながら渋い顔をしている。


「まだ足りないのか?」


「あー…足りねぇ…。せめてもう1個、機能してるもんがありゃどうにかなりそうなんだが…。」


言い辛そうにミヤシゲが唸りながら言った。


「ごめんねぇ…僕がもう少し温存してれば…。」


魔石の山にある自分が使い切って光を失った魔石を見ながらおずおずとシンタローが言う。


「いや、オメェがやってくれてなけりゃ、ニーズホッグの野郎がどうにもならなかったぜ。ありがとうな。」


考え込んだままフォローを入れるミヤシゲ。

この階層にいるモンスターはミラーヴァイパーばかりで、倒しても魔石になる前の魔晶石しか取れないのだ。


ユウサクが自分の荷物を漁っていると、ふと魔石スロットの空いた胴田貫を見て呟く。


「なぁ、これ魔石じゃないのか?」


刀の頭と呼ばれる柄尻、持ち手の末端部分の空いた魔石スロットの奥にうっすら赤い光が見えるのだ。


「オイオイユウサク、そりゃあ…ダメだろ。」


「ユウサク。それは魔石ではあるんだけど、ユウサクの胴田貫の刃こぼれ補修の基部になってて…。」


ミヤシゲとシンタローが急に遠慮しだす。


要するにこの魔石をユウサクが失うと、今まで散々助けられてきた胴田貫の刃こぼれ補修エンチャントが失われてしまうのだという。


「向こうに戻ってからまた直せば良いじゃないか。」


ユウサクはそう言ったが、実はシンタローがユウサクに与えた胴田貫はダンジョンで発見された生活魔道具、『刃こぼれがすぐ直る包丁』の補修エンチャントを包丁に比べ遥かに長大な刀に移植すると言うかなり繊細な武装なのだ。


シンタローはこの胴田貫のエンチャントを商社務めの伝で知り合い、シンタローの強化水鉄砲を開発した山崎と言う技術者に依頼したのだが、「恐らく二度は出来ない。」と言わしめる程博打性の高い成功だったらしい。


シンタローが胴田貫についてユウサクに説明した。ユウサクはシンタローから貰った大切な刀を握り締める。


「俺はさ…この刀で葵ちゃんを助けられた時、すっげぇ嬉しかったよ。


でも、だから。この刀の力惜しさに仲間を助けられないなんて格好悪い真似、したくないんだよな…。


大丈夫!刃こぼれしない位こいつを上手く扱える様になりゃ良いだけだ、3人で帰ろう!」


「ユウサク…。」


「立派になったじゃねぇか。」


染々頷くミヤシゲと、


いつも後先を考えないまま、一番心地の良い選択をする親友に微笑むシンタロー。


既にユウサクが出来るだけ怪我をしない装備について思考を巡らしていた。


***


ミヤシゲは大きく割れ、抉られた結界石の前に立っている。


ユウサクとシンタローは少し離れた位置からミヤシゲを見守っていた。ミヤシゲ曰く、『かなり熱くなるから離れてろ。』との事だ。


少し離れた岩陰に退避したユウサクとシンタロー。


「ミヤシゲの奴、大丈夫だよな? 」


ユウサクの声には心配が滲むが、シンタローは柔和な笑顔でタブレットを抱え、記録の準備をしながら答える。


「大丈夫だよユウサク。ミヤシゲさんはエンシェントドラゴンで親方さんだもん、前に若手のドラゴンたちが結界石を直したのミヤシゲさんが教えてたでしょ~?」


ミヤシゲは二人の会話を聞き、鼻を鳴らして笑う。


「よぅし…行くぜ。オメェら離れてろよ、かなり熱くなるぜ。」


ミヤシゲは魔石を種類ごとに分けてシンタローやユウサクに借りたマジックバッグ等の収納に入れ、壊された結界石の前に立つ。


結界石の表面にはニーズホッグに埋め込まれた欠片が採取された際に出来たと思われる、抉られた様に深い亀裂が走り、魔力の光が不規則に点滅していた。


広間の空気は重く、ミヤシゲの鱗がカチカチとリズミカルに鳴り響く。


「ったく、結界石こんなにボロボロにしやがって、直すのに骨折れんだぞ…。葵の待ってるアパートに帰るためだ。やってやんぞ!」


ミヤシゲは笑みを浮かべ、両手で自分の頬を叩いた。口に魔力を纏い、歯をガチン!と打ち鳴らし着火。だが先程の様な攻撃用の苛烈な炎ではなく、やんわり制御された大きい魔力炎で結界石の欠損部をならす。


しばらく余熱してから炎を止め、今度はシンタローが使用し魔力が尽きた魔石を取り出し口に放り込み噛み砕くと、結界石の欠損部に吹き付ける。すると結界石の欠損部に抉られた時に構造が切断されたであろう箇所から色とりどりの光が見える。


「…細けぇやつかァ…だがこれならいける…。」


ミヤシゲが一人呟き、今度は氷結の魔石、水の魔石、胴田貫のエンチャントの魔石を右手の爪の先に持ちながら、先程と同じ様に魔力炎で結界石を余熱、そしてその炎に右手の魔石をかざしこちらも熱する。


右手の魔石が炎で赤熱化、更に白熱化すると、ドロドロに溶けた魔石を水飴の様に引き延ばす。

糸よりも細くなった魔石を爪で器用に結界石から発する色とりどりの光に繋ぎ、火をあてならしていく。


「すげぇ…。職人の手付きだ。」


「ユウサク。ミヤシゲさんは職人だよ、親方なんだから。」


見惚れるようにミヤシゲの仕事を見るユウサクとシンタロー。


凄まじい数のこの工程を手際よく進めていくミヤシゲ、結界石の欠損部は徐々に埋まっていく。それに比例する様に結界石の脈動が早くなり強い光を発する。修理が完了したようだ。


仕上げにミヤシゲは魔力の尽きた魔石を噛み砕き、結界石に吹き付け。作業は完了する。


「ふぁ。ホントに直しちゃった…。」


ミヤシゲの言っていた通りかなり熱くなった結界石周辺だったが。唐突にミヤシゲが良く通る声でユウサクを呼ぶ。


「ユウサク!オメェの胴田貫!開けて持ってこい!!」


ミヤシゲの右手の爪にはとんぼ玉程の魔石が白熱化したまま残っていた。

何事かと慌てながらも、ユウサクは胴田貫の拵をほどきつつユウサクの元へ駆け寄る。


「ぅあっちぃなここ!!どうしたんだ!?問題か!?」


「結界石やら色々混じっちまって元の様にはいかねぇだろうが…何もねぇよりはマシなはずだぜ!」


結界石の修復と言う凄まじく繊細な作業をこなしたミヤシゲの声は疲弊しているが、ユウサクから胴田貫を受け取り作業を続行する。


胴田貫のエンチャントの魔力回路を見たミヤシゲは笑顔になる。


「こりゃあ面白ぇ…。離れてろユウサク!急ぐぜ!」


慌てて距離を取るユウサクの後ろでミヤシゲが作業用の炎を着けた。人に耐えられる限界温度について考えたユウサクはシンタローの横に転がり込む。短い時間だったはずなのに汗だくの様相だ。


「お疲れ様あユウサク、ハイこれ。」


ポカリとタオルを渡してくるシンタロー、上着を脱いで涼しげだが、シンタローも少し汗をかいている。


「サンキュ…、なんか…運動部のマネージャーかお前は。」


***


ユウサクの胴田貫に細工をしたミヤシゲ、元のように戦闘中に刃こぼれが直るのは難しいが、数日で戻るようには出来たらしい。気になるのは結界石や他の魔石と混じってしまったと言う点だったが、元々諦めていた機能だ。かなり良い方だとユウサクは思った。


シンタローはタブレットを閉じ、柔和な笑顔で二人に歩み寄る。


「ミヤシゲさん、すっごいかっこよかった! 親方、ほんとすごいね!」


ミヤシゲはシンタローの言葉に鼻を鳴らし、得意げに胸を張る。


「ハッ! 楽勝…、と言いてぇところだが、流石に骨が折れたな。」


3人は修復された結界石の輝きを見つめる。ユウサクの視線が特務隊員の遺体と、ポータル方面に続く足跡に落ちる。


「…逃げた奴、無事に抜け出せたのかな。ミラーヴァイパーの幻影に怯えながら、どっかで彷徨ってるんじゃねぇの?」


「自業自得だがなァ…。どっかで生きてんなら手間かけさせられた分、しっかりひっぱたいてやりたいとこだぜ。」


シンタローはあんな目に遭いながらも、原因となった謎の人物をどこか心配出来る2人を見て柔らかく微笑む。


「ふぁ。帰ったら何か気晴らししたいねえ、みんなでどこか遊び行くとかさ~。」


「確かに、変な事たて続いたクエストだったからなぁ。葵ちゃんの退院祝いもしたいし、どこかにアンパン野郎のデカいぬいぐるみでも買いに行こうか。」


目を丸くしたミヤシゲが手を叩きユウサクを指差す。


「そりゃ良いぞユウサク!!葵の退院祝いはアンパン野郎のデカいぬいぐるみで決まりだ!!」


3人の笑い声が広間に響き、結界石の光が穏やかに脈動する。遺体の影は光に溶け、ポータル方面の足跡は霧に消える。3人はポータルへ向かい、ダンジョンを後にした。


***

木造アパートの四畳半に、ユウサク、シンタロー、ミヤシゲの三人が帰ってきた。ニーズホッグとの激闘と結界石の修復で疲れ果てた体に、畳の懐かしい匂いが染みる。外は夕暮れ、夏の暑さが残る中、窓から涼しい風がそよぐ。


「ふぁ~、市役所への報告は明日にして、今日はもう休もう~。」

シンタローがタブレットを脇に抱え、柔和な笑顔で畳にドサリと座る。ユウサク上着を脱ぎ、シャツの袖をまくってちゃぶ台に突っ伏す。


「…ニーズホッグに特務隊、頭パンクしそうだ…。」


ユウサクがぼやき、汗を拭う。ミヤシゲはコンロで緑茶を淹れ、右頬を触る。アンパン野郎のシールが消えた感触に、寂しそうな顔をする。


「ハッ、帰ってこれただけマシだろ。…お前ら、茶でも飲め。」


ミヤシゲが湯呑を三人分用意し、ちゃぶ台に置く。緑茶の香りに、ユウサクが顔をほころばせる。


その時、隣の部屋から軽やかな足音。葵の弾む声が響く。


「ドラゴンさん!ユウサクお兄ちゃん!シンタローちゃん!見て見て~!」


ドアが開き、葵が浴衣姿で飛び込んでくる。薄紫の浴衣に赤い帯、髪に小さな花の髪飾りが揺れる。

後ろには、よく煮物をくれるおばちゃん、トシエさんがニコニコと立っている。


「わあ!葵ちゃんかわいいね~!」


「おおお!葵か!?どこのお姫様かと思ったぜ!!」


シンタローが柔和な笑顔で目を輝かせ、ミヤシゲは持っていたヤカンを置くと、葵に視線の高さを合わせて笑って見せた。


「ほら、葵ちゃん、ちゃんと見せてあげて~。」


トシエさんが葵の背中を軽く押す。葵はくるっと一回転し、得意げにポーズを決める。


「どう?葵かわいい?花火大会、行くんだよ!」


「かわいいぞ~!葵も花火みてぇにキラキラしてるぜ!!楽しそうだなぁ!」


「わあ~!葵ちゃん!写真撮らせてぇ!」


ミヤシゲはしゃがんだ膝に頬杖をつき、ニコニコしている。今日の疲れが吹っ飛んだようだ。

タブレットを取り出し、ポーズを取る葵を写真に納めていくシンタロー。


その横で毎年の行事をこなすユウサク。


「花火大会…?今日だったのか?」


ぽかんとした顔で呟いた。シンタローがタブレットを手に、くすっと笑う。


「ユウサク、ブラック勤めだと世間の季節感消えるよね~。隅田川の花火大会、今日なんだよ。」


ユウサクの脳裏に、ミラーヴァイパーの幻影がチラつく。ブラック企業のオフィス、香川の嘲笑、葵の倒れる姿…。だが、葵の笑顔を見て、ユウサクは小さく息を吐く。


ブラック企業勤めの時は考えもしなかったイベントに、無性に興味が湧いたのだ。


「…そうだな。花火いいな、俺も行くよ。」


ユウサクが立ち上がり、シャツの襟を整える。シンタローが心配そうに眉を寄せる。


「ユウサク、疲れてない?ダンジョンで結構無茶したしさ…。」


「折角時間に融通利くようになったんだ。季節感を取り返したい…んだよ。


先に行って場所取っとく!」


ユウサクが気恥ずかしそうに笑い、トートバッグにタオルと水筒を放り込んで玄関へ向かった。シンタローが慌ててユウサクに声をかける。


「ユウサク!隅田川の花火大会めっちゃ人気だから!僕が良い穴場スポット調べるよ!葵ちゃんの退院祝いも兼ねて、みんなで行こう!」


タブレットを持ってユウサクを追って玄関に向かうシンタロー。葵が手を振って叫ぶ。


「ユウサクお兄ちゃん、いい場所取っててね~!」


コンロ台に寄り掛かりながら、湯呑みをすすってミヤシゲが染々頷いている。


「やっぱ、今を楽しまなくっちゃなァ…。」


***


ユウサクが先行してから、ミヤシゲ、シンタローも準備を済ませ、美咲、葵と同行する事になった。


玄関でトシエさんが笑顔で一行を見送る。


「私は人混み嫌いだから、ここでお留守番よ。みんな、楽しんできなさいね!…あ、私の分もお土産買ってきてちょうだい!」


「オウ!いつもの礼だ!美味いもん買ってくるぜ!」


浴衣を着たミヤシゲが団扇を振って答える。美咲がトシエさんに微笑む。


「トシエさん、葵の浴衣ありがとうございます。後でお土産、持ってきますね。」




隅田川の花火大会会場は、すでに大勢の人で埋め尽くされていた。


提灯の明かりが揺れ、焼きそばやたこ焼きの匂いが漂う。シンタローが教えてくれた場所は、川沿いのやや高台にある芝生エリア。


花火がよく見え、混雑も比較的少ないスポットだ。ユウサクはシートを広げ、場所を確保しながら周囲を見回す。家族連れ、カップル、友達同士の笑い声が響き、夏の夜の活気が胸に響く。


「…ブラック時代、こんなとこ来る余裕もなかったな。」


ユウサクが水筒の水を飲みながら呟く。ミラーヴァイパーの幻影で見たオフィスを思い出し、眉をひそめる。

あの頃は耐えるだけで精一杯だった。だが、今は違う。アパートの住人たち、シンタローやミヤシゲとの絆が、ユウサクに人間味を取り戻させていた。


「人間、こういうのが一番だよな…。」


ユウサクが小さく笑い、空を見上げる。夕暮れの空は紫から藍色に変わり、花火が始まる時間だ。


「ユウサクお兄ちゃん~!」


聞き慣れた声に振り返ると、葵がミヤシゲと美咲を連れてやってくる。葵は薄紫の浴衣で弾むように走ってくる。


ミヤシゲは濃紺の浴衣に下駄、右手に団扇。

美咲は落ち着いた緑の浴衣姿で、葵の手を握っている。


後ろには、シンタローが藍色の浴衣に白い帯を締め、りんご飴と綿菓子を持って歩いてくる。シンタローの表情は、西洋写実画の貴婦人のような美しさで、通りすがりの若者がチラチラと振り返る。


「ミヤシゲ、すげぇ似合ってるな、その浴衣。」


ユウサクがニヤニヤしながら言うと、ミヤシゲが団扇でパタパタと風を送る。


「ハッ!俺様の貫禄、浴衣でさらに映えるだろ?お前も着りゃよかったのに。」


「やめろって、暑苦しいんだよ!…んで、シンタロー、えっと…。」


ユウサクがシンタローを見て、言葉に詰まる。


シンタローの藍色の浴衣姿は、白い帯がアクセントになって、まるで絵画の貴婦人のように映えている。いつも柔和な笑顔が、浴衣の落ち着いた色合いと相まって、妙に目を引く。


ユウサクはゴホンと咳払いし、視線を少し逸らしながらぶっきらぼうに続ける。


「…お前、その、浴衣…まぁ、悪くねぇんじゃね?似合ってんぞ、たぶん。」


言葉が硬く、どこか照れ隠しのように聞こえる。シンタローは一瞬目を丸くし、頬がふわっと染まる。

普段の穏やかな笑顔が、嬉しさと恥ずかしさで少し揺れる。彼女は綿菓子を持った手を小さく握り、視線を軽く下に落としながら、口元に小さな笑みを浮かべる。


「ふぁ…ユウサク、ありがと~。美咲さんが貸してくれたんだけど、こう、褒められると…なんか、照れるね~。」


シンタローの声はいつもより少し高く、耳まで赤くなっているのが分かる。シンタローは綿菓子を葵に渡しながら、誤魔化すように髪に軽く触れる。


「葵ちゃん、綿菓子好きでしょ?ほ、ほら、食べて~!」


「うわぁ!シンタローちゃん、ありがと~!」


葵が綿菓子を抱きしめるように受け取り、頬を緩める。美咲がシートに座り、持ってきたおにぎりと唐揚げを並べ始める。


「ユウサクくん、いつもありがとうね。シンタローちゃん、さっき出店で若い子に囲まれちゃって大変だったのよ。ほら、みんなで食べよう?」


「ふぁ、ごめんね美咲さん~。なんか…移動するの大変だったよね。」


紙皿をシートに置きながら、シンタローが苦笑いを浮かべた。


「ハッ!他愛ねぇ奴等だったぜ。俺が話聞いてやろうとしたら逃げやがってよぅ、ショウの奴位気合い入れて来いってんだよなァ!ぅぉお…このおにぎりうめぇな!」


ミヤシゲがおにぎりを食べながら、少し前に組んだ臨時パーティメンバーの名前を出した。


「そう言えばショウってどうなったんだ?うまくやってんのかな…。」


ユウサクは以前受注した調査クエストで、ゴブリンに重傷を負わされたショウのその後が気になり呟く。


「うん…腕の傷が神経まで傷付けてたみたいで、ジムのトレーナー職も引退したってタツオさんから聞いたよ…。


でも!リハビリの方が順調どころか回復早いんだって!ひょっとしたら割とすぐに市役所で会えるかも知れないねぇ~。」


「マジか。暑苦しいアイツの様子が目に浮かぶな…。」


シンタローを巡りライバル宣言をされたユウサクだ。呆れた様に、だが安心した様に笑った。


「ユウサクお兄ちゃん、いい場所!花火バッチリ見えそう!」


そう言って葵がユウサクに飛びつき、目を輝かせる。ユウサクが葵の頭を軽く撫でる。


「だろ?シンタローの教えてくれたスポット、完璧だった。楽しもうな、葵ちゃん。」


美咲の持ってきた唐揚げにかぶりついて目を輝かせているミヤシゲが盛り上がっている。


「うおお!美咲、相変わらず料理上手だな!!」


「あ!おいミヤシゲ!花火中も食べるんだからそんなに飛ばすなよ!?」


ミヤシゲの食いっぷりに焦るユウサク。


「まだまだたくさんあるから、ユウサクくんも食べてね。」


そう言って美咲がユウサクにおにぎりと唐揚げを取り分けてくれた。


「ふぁ。なんか、帰ってきたって感じだねぇ~。」


先程までダンジョンで、気味の悪い陰謀染みたトラブルに巻き込まれていたとは思えない平和な空気に、浴衣姿のシンタローは柔和な笑顔を浮かべている。ユウサクは唐揚げにかぶりつくと目を丸くした。


「ぉあ、んまい。」


***


空が完全に暗くなると、隅田川に流れていたBGMが止み、アナウンスが流れた。


少しの間会場が静まり返ると、最初の花火がドーンと打ち上がる。


そうして次々と赤、青、緑の光が隅田川の夜空を彩り、観客から歓声が上がる。葵が美咲の膝の上で手を叩き、目を輝かせる。


「わぁ!すごい!花火、キレイ~!」


「ほんとだな、葵ちゃん。すげぇキレイだ。」


ユウサクが花火を見上げ、しみじみと言う。シンタローがタブレットを取り出し、花火を撮影し始める。


「こういうの、記録しとかないとね~。葵ちゃんの退院祝い、最高の思い出にしよう!…トシエさんにも、この動画見せてあげようっと。」


ミヤシゲが団扇をパタパタしながら、ニヤリと笑う。


「ハッ、シンタロー、相変わらずマメだな。…だがよ、葵ちゃんの退院祝いなら、やっぱアンパン野郎の何か欲しいよな。」


「アンパン野郎!うん、欲しい!」


葵がミヤシゲの言葉に飛びつき、声を上げる。美咲が苦笑しながら葵の髪を撫でる。


「もう、ミヤちゃん。葵、シンタローちゃんからシールいっぱいもらったばっかりでしょ?」


「でもでも、アンパン野郎、欲しいもん!」


葵が少し拗ねた顔で言う。ユウサクが笑いながら口を開く。


「じゃあ、花火終わったら出店回って、アンパン野郎のグッズ探してみようか?ドラゴンさん、気合入れて探せよ。トシエさんのお土産もな!」


「オウ!俺がアンパン野郎を見付け出してやる!!うまい土産もな!」


ミヤシゲが拳を握り、鼻息を荒くする。シンタローがくすくす笑いながら頷く。


「じゃあ、みんなでアンパン野郎探しの冒険だね~!トシエさんには、美味しそうな屋台のお菓子でも買ってこう!」


花火は次々と打ち上がり、夜空に大輪の花を咲かせる。


ユウサクはシートに寝転がり、花火の光を浴びながら、今日のダンジョンを思い出す。


ニーズホッグの幻影、結界石の修復、特務隊員の遺体…。だが、仲間たちの笑顔が、すべてを軽くしてくれる。


「…こういう時間、悪くねぇな。」


ユウサクが小さく呟くと、シンタローが隣で柔和な笑顔を向ける。


「うん。悪くないねぇ、ユウサク。」


***


花火が終わり、会場は出店を回る人々でさらに賑わう。ユウサクたちはシートを畳み、葵を先頭に出店エリアへ向かった。


提灯の明かりの下、焼きとうもろこしや金魚すくいの呼び込みが響く。


「わぁ!ユウサクお兄ちゃん、りんご飴!食べてみたい!」


葵がりんご飴の屋台を指差す。ユウサクが財布を取り出し、りんご飴を買う。


「ほら、葵ちゃん。お母さんと半分こしな。」


「ありがと、ユウサクお兄ちゃん!」


葵は大きいりんご飴をかじり、幸せそうな笑顔を浮かべる。美咲がユウサクに微笑む。


「ユウサクくん、いつも葵のこと見てくれてありがとうね。トシエさんのお土産、葵が好きなベビーカステラにしようかしら?」


「ベビーカステラ!トシエさん、喜ぶよ。」


ユウサクが照れ隠しに頭を掻く。


その時、ミヤシゲが遠くの屋台を指差し、新たな島を見付けた船長の様に宣言する。


「オイ野郎共!あそこ!型抜きの屋台だ!…デカいアンパン野郎のぬいぐるみがあるぞ!」


屋台の奥に、等身大のアンパン野郎のぬいぐるみが飾られている。葵がミヤシゲの手を握り、飛び跳ねる。


「アンパン野郎!ドラゴンさん、欲しい!欲しい!」


「ハッ!葵、任せとけ!ドラゴンさんが絶対ゲットしてやるぜ!」


ミヤシゲが浴衣の袖をまくり、葵を肩に乗せ屋台に突進していった。


ユウサク、シンタロー、美咲は顔を見合わせ、苦笑いして後を追う。



型抜きの屋台では、店員が鉄板に砂糖菓子を並べ、客にピンを渡している。ミヤシゲがコンドル並みの鋭い目で鉄板を睨む。


「ハッ!この程度、俺の鱗より柔らかいぜ!店員、ピンをよこせ!」


「へい、旦那!アンパン野郎のぬいぐるみ狙いなら、星型を三つ抜けばOKだよ!」


店員がピンを渡す。ミヤシゲがピンを手に、菓子の星型に集中。だが、最初のピンの刺し方でパキッと割れてしまう。


「…っくそ!この星、思ったより脆え!」


「ミヤシゲさん、力入れすぎだよ~。こう、優しく…ね?」


シンタローがピンを受け取り、型抜き菓子にそっと刺す。繊細な手つきで星型を抜き、成功。店員が拍手する。


「おお、べっぴんさん、めっちゃ上手いね!あと二つだ!」


シンタローが苦笑し、美咲に小声で囁く。


「ふぁ、べっぴんさんって…やっぱりナンパされそうで怖いよ~。美咲さん、近くにいてくれて助かる…。」


「ふふ、シンタローちゃん、安心して。みんないるから大丈夫よ。」


美咲がシンタローの肩を軽く叩く。ミヤシゲが悔しそうにシンタローを見る。


「クッ、シンタロー…やるじゃねぇか…!次は俺が…!」


だが、二回目もミヤシゲの力加減が強すぎて失敗。葵が少ししょんぼりするのを見て、ミヤシゲが焦る。


「くそっ!葵、待ってろ!今度こそ…!」


「ミヤシゲさん、僕に任せて~。」


シンタローが冷静に二つ目の星型を抜き、成功。屋台の客から小さな歓声が上がる。ユウサクがニヤニヤしながらミヤシゲを肘でつつく。


「ミヤシゲ親方。今日のダンジョンじゃめちゃくちゃすごかったのに、得手不得手ってやつなのか?」


「ぅおお…葵に良いとこ見せようと…ああ…ショウの事笑えねぇなァ…。ユウサク!オメェやってみろよ!」


「俺は遠慮しとく。シンタロー、頼んだ!」


思わずショウの気持ちを理解したミヤシゲの横で、ユウサクがシンタローの肩を叩く。


シンタローが最後の星型に挑戦。息を整え、ピンを慎重に動かす。屋台の客も固唾を飲んで見守る。


「…できたあ!」


シンタローが三つ目の星型を抜き、成功。店員が大声で叫ぶ。


「おお!べっぴん…色々完璧!じゃあ…ほらよ!アンパン野郎のぬいぐるみ、持ってきな!」


等身大のアンパン野郎のぬいぐるみがシンタローに手渡される。葵が後ろで目をキラキラさせながら飛び跳ねて待ちわびている。


受け取ったアンパン野郎のぬいぐるみを、ミヤシゲに耳打ちしながら渡すシンタロー。


「ミヤシゲさん、葵ちゃんに渡してあげて。喜ぶよ~。」


「シンタロー…オメェ…!…恩に着るぜ!!葵!葵!アンパン野郎だぜェ!」


ミヤシゲがぬいぐるみを葵に差し出す。葵がぬいぐるみに抱きつき、満面の笑顔を見せる。


「ドラゴンさん、ありがと!大好き!」


「良かったなあ!葵!…本当に良かったぜ…はぁ…。じゃあ次はトシエさんの土産だな!ベビーカステラの屋台、そこの角だ!」


ミヤシゲが照れ隠しに団扇で顔を仰ぎ、ベビーカステラの屋台を指差す。ユウサクが一笑しながら言う。


「ドラゴンさん、良かったなぁ。でもミヤシゲ、お前は葵ちゃんとアンパン野郎で両手埋まってるだろ。ベビーカステラは俺が買ってくるよ。」


「ユウサクくん、ついでに焼きとうもろこしもお願いね。トシエさん、喜ぶわよ。」


美咲が笑顔で言う。シンタローが手を挙げる。


「ユウサク、僕もいくよ。チョコバナナ買うんだ!トシエさんに甘いのあげよう~!」


***


一行は出店の明かりを背に、トシエさんへのお土産(ベビーカステラ、焼きとうもろこし、チョコバナナ)を手にアパートへ帰路につく。


葵は美咲に手を引かれ、アンパン野郎のぬいぐるみを大事に抱えている。ミヤシゲが団扇をパタパタしながら、満足げに鼻を鳴らす。


「ハッ、葵の退院祝い完璧だったなァ。トシエさんの土産もバッチリだぜ。」


「ミヤシゲさんのアンパン野郎愛、すごかったねぇ。型抜きは…うん、ふふ。」


シンタローが笑う。ミヤシゲがムッとした顔でシンタローを睨む。


「シンタロー、今夜の型抜きは忘れねぇぞ!次は俺が勝つからな!」


「ふぁ。いつでも受けて立つよ~!」


シンタローが柔和な笑顔で返す。ユウサクが二人のやり取りを見て、肩をすくめる。


「お前ら、ダンジョンでも屋台でも、いつもこんな感じだな。…でもまぁ、トシエさんに土産渡すの、楽しみだ。」


夜風が涼しく、遠くで花火の残響が聞こえる。アパートの明かりが見えてくると、ユウサクの胸に温かい満足感が広がる。ダンジョンの戦いも、ミラーヴァイパーの幻影も、この仲間たちとの時間が癒してくれる。


「…また、来よう。」


ユウサクが小さく呟くと、シンタローが振り返り、いつもの笑顔で頷く。


「うん、来年も絶対だよ、ユウサク。」


ミヤシゲが決意を胸に笑う。


「ハッ!来年こそは型抜きをやっつけてやるぜ!葵、楽しみにしてろよ!」


「うん、ドラゴンさん、がんばってぇ。」


葵が眠そうに目をこすって言った。


「あはは、葵ちゃん眠そう~…僕も今日はちょっと疲れたかも…。」


あくびをしながらシンタローが言った。


アパートの玄関に着き、美咲がドアを開ける。


「さ、葵、浴衣脱がせるよ。シンタローちゃんも着替えるよね?ミヤちゃん、ユウサクくん、トシエさんにお土産渡してきてね。」


一行はアパートに上がり、ユウサクとミヤシゲはトシエさんに土産を渡す。トシエさんがベビーカステラを見て目を輝かせる。


「まあ!みんなで…ありがとうね!こんなにたくさん!またお裾分け持っていくわね!」


着替えたシンタローも合流し、3人は四畳半に戻る。3人とも思わず雪崩れ込むように畳に寝転がる。


花火の光、葵の笑顔、出店での型抜き、アンパン野郎、トシエさんの笑顔…。


静かに目を閉じる。夏の夜は、穏やかに更けていった。

ダイ・ハード2の空港の謎エリアに勝手に住みるいてる人にロマンを感じたけど。ちょっと前に服を見に駅ビルに入ったら変な作業通路っぽいところに迷い込んでしまい、気が付いたら中学受験をする様な子達がいる塾に入り込みかけ…そこにいた子に授業前にエレベーターまで案内してもらった先週の出来事。


優しい子でした、ありがとう…。ネタにしたよ…。


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