第三部 魚身求神篇 その九
ティーチ「一体何があったの?」
クヌート「よくは分からねぇ。分からねぇけどとにかく洒落にならねぇほど強ぇ奴が現れた」
アンボニー「間違いなく召喚者の一人と戦ってた……アイツ、髪と目の色は違うけど、確かにカラミャンで見た召喚者」
ティーチ「状況が理解できないわ。召喚者と戦う相手?それは魔物?勇者?召喚者と敵対する魔物が現れたというの?」
魔物二匹「「……」」
ティーチ「ロロノアは?そう言えばあの子はどうしたの!?」
魔物二匹「「……」」
ティーチ「二人とも、答えなさい!そもそもどうして三人でバラバラに戦闘をしたの!?」
クヌート「ロロノアの提案だった」
アンボニー「カラミャンで、アタシのガズナを殺した魔法使いがリンガエンにきっと現れる。そしてそのときに、三人一緒にいたらすぐに全滅するって」
クヌート「だから、バラバラに分散して戦い、注意を少しでも逸らし、時間を稼いでほしい。ロロノアがそう言った」
アンボニー「止めたけどロロノア兄、珍しく頑固で……」
クヌート「あいつらしくない気迫。でも、アイツじゃないと分からない勘みたいなのが働いていた気がする」
アンボニー「思いつめてた……」
ティーチ「……」
クヌート「あとは……最初は頻繁に、俺たちと交信していた。カラミャンで霧の中にいたクソ野郎は絶対に僕を狙ってくる。隠れている僕が最初の標的だってずっと繰り返してた」
アンボニー「ガズナの仇は必ずとる。安心してアニー……ロロノア兄、ずっと言ってた」
ティーチ「それで?私の命令を無視してロロノアの提案にのった結果はどうなったの?三人で力を合わせれば逃げることだってできたはずなのに!バラバラに行動した結果はどうだったというの!?」
クヌート「ロロノアの読み通り、カラミャンで遭ったクソ野郎は俺たちじゃなくてロロノアを狙ったらしい。「やっぱり魔法使いはこっちに来たよ。とても苦戦している、でもまだやれる。大丈夫」……その繰り返し」
アンボニー「何度もロロノア兄の悲鳴が聞こえて、カラミャンで召喚者と一緒に行動していた亜人族のザコ四人の相手を切り上げてそっちに向かうって言ってるのに、ウチらのザコ相手は、目のまえの魔法使いの仲間だから、人質をとったつもりでいたぶり殺して。だからこっちにはまだ来ないで。その一点張り」
クヌート「それからは呼びかけても返信が徐々(じょじょ)に少なくなってきて……ごめんなさい。失敗した。強すぎるって。それきり何も返信がなくなった」
ティーチ「!」
アンボニー「ガズナを殺ったクソ魔法使いに追い詰められちまったんだって、ザコ亜人族四人との戦いを止めてロロノア兄の所へ急いで向かおうとした」
クヌート「その時突然だ。隕石みてぇにバケモンが一匹空から降ってきた」
アンボニー「その墜落したバケモンに、召喚者の一人が追撃を食らわした。あいつもバケモンみたいに強ぇ。いやたぶん、あれが霧のクソ野郎だ。ロロノア兄が最初から疑ってた召喚者がクソ野郎で、それはやっぱり当たりだった」
ティーチ「それで!?」
クヌート「召喚者の氷を使った連撃を止めたバケモンの腕の一部が壊れた直後だった。バケモンが光の大魔法を放つ直前」
アンボニー「うちらが身体をぶっ壊される直前」
魔物二匹「「聞こえた」」
ティーチ「?」
魔物二匹「「僕は〝悪いモノ〟に捕まった」」。
ティーチ「!!」
魔物二匹「「だから〝悪いモノ〟になる」」
ティーチ「悪いモノ……そう、ロロノアは言ったの?」
クヌート「ああ。後は意味不明の単語を少し」
アンボニー「うん。ヨシオだとかトモコとか、アキコ……」
ティーチ「!!」
クヌート「トシオトーサン、ミコカーサン……そんな呪文の断片みてぇな言葉だった」
ティーチ「……………」
クヌート「ロロノアの声とは違ったけど、ロロノアの話し方によく似ていた」
アンボニー「だからたぶん、ロロノア兄の言葉だと思った」
ティーチ「そう…………そうね」
クヌート「後は分からねぇ。死に物狂いでここまで逃げてきた」
アンボニー「ロロノア兄には悪いけど、バケモノの光の魔法がヤバすぎて、恐くてその場に留まれなかった……ティーチ姉?」
ティーチ「あなたたち二人の治療に私はこれから専念する。それが終わったら……ドレイク兄さんの指示に従って動きなさい。分かった?」
クヌート「ああ」
アンボニー「分かってる」
ティーチ「……」
クヌート「ティーチ姉、大丈夫か?」
ティーチ「……ないでしょ」
魔物二匹「「?」」
ティーチ「ロロノアがいなくなって!平気なわけがないでしょ!!!」
魔物二匹「「……」」
ティーチ「……ごめんなさい」
魔物二匹「治療が終わったら、俺たち二人でロロノアを探しに行く」「うん。絶対に見つける!」
ティーチ「もういいのよ。……あの子はもうどうせ、殺されている」
クヌート「なんてこと言いやがるティーチ姉!」
アンボニー「あのロロノア兄だよ!?まだ死んだなんて決まってないっ!」
ティーチ「……うふ」
魔物二匹「「?」」
ティーチ「〝悪いモノ〟は、どうにもならないのよ。……捕まったら、もう終わり」
魔物二匹「「……」」
ティーチ「〝悪いモノ〟に捕まる前に、すべての仕事を終えて帰還する。召喚者と勇者の抹殺。〝それだけ〟をやったらすぐに帰還する。ドレイク兄さんもきっとそう言うわ」
魔物二匹「「……」」
ティーチ「さて……目覚めなさい」
宝王「……」
ティーチ「手にしたその力、さっそく自らの意思で使いこなしてごらんなさい。それが英雄王への第一幕。国盗り物語の序章」
宝王「よかろう。俺の……余の力の何たるかを賤民どもに示すとしよう」。
9.黄金狂時代「三つ子」
アーキア超大陸北東。アーサーベル王国。首都カテニン。主城ラーユーン。
「雨雲が止んだ」
「なんだ、さっきの稲光は?」
濡れる松明を握りしめ、巨大城下町カテニンを取り囲む反乱兵も、その兵を迎え撃つアーサーベル王国兵も、急な天候の回復をいぶかしみ、同時に激しい雷を起こした東の農業都市リンガエンの方に目をやる。
「冒険者のベビーイーグルさんが、何かすげぇもんでも見えてくれたんだろうよ」
主城ラーユーンの玉座の間がある天守閣のテラス。
びしょ濡れの勇者候補生、星野風太郎が両隣に立つ二人に告げる。
星野の右。
王の親衛隊とともに王フラフティ・ウルタペサル8世を死守するつもりでいるケルマンジャー将軍。同じく鎧も下着もずぶ濡れ。
星野の左。
ケルマンジャー将軍と星野らに死守してもらう予定の国王フナフティ。
国王なのに、手には大きなアルミニウムの盥を大事そうに抱えている。そして傘さす従者も傍にいないのに、全く水に濡れていない。降りしきる夜雨の中、星野やケルマンジャー将軍とともにずっとテラスに立っていたにもかかわらず、国王は水に濡れていない。
服や皮膚についた水はすべて、異世界的高級盥の中に吸い込まれていく。
「それじゃ、兄貴を頼んます」
いつもと異なり、背中に黒い中華鍋を背負っていない星野はフナフティ国王に顔を向けてぺこりと頭を下げる。
「命に代えても守らせていただく」
王は盥を力強く抱きしめる。
「いやいや。俺と同じで、ろくでもない穀潰しの兄貴ですから、こき使ってやってください」
星野はそして入念なストレッチを始める。
背中に大きくできた瘤も、それを隠していた中華鍋も今はもうない。あるのは幾多の魔物との戦いで負った古傷の痕と、生き残るために自然と身にまとった鋼の肉体のみ。
背中の瘤。
星野の背中には大きな瘤がある。
瘤の中には、勇者としてこの世にまともな生を受けることのできなかった彼の三つ子の二人が宿る。
一番下の弟である風太郎は非常事態にのみ、背中の肉を切開して取り出した、三つ子の兄たちの力に頼る。
王フラフティの抱えるアルミニウムの盥に浮かぶブヨブヨとした胎児姿の肉塊は風太郎の次兄、桃太郎。
水の申し子。
海水淡水雨水汗と問わず、水分を体力回復ポーションに変える特殊スキル「桃仙」の力を持つ大魔法使い。
大河オンタリオの水を引き込む設計の〝水の首都〟カテニンは、主城ラーユーン内部にも豊かな水が流れている。その大量の水を既にポーションに変え、城下町の民と籠城戦に備える兵士に配られている。限界必死で戦い尽くすために。
「城正面にあたる南門の城門櫓には召喚者が五人。あの五人は強い。確かに強くなった。中に入ってきた奴は誰であろうと殺すでしょう」
「うむ」
櫓。
物資と兵の貯蔵庫にして、天守閣へ通じる屋内通路。さらには物見台と攻撃陣地を兼ねる。
人体で言うところの〝血管系〟と〝リンパ系〟。壊されたら終わりの場所。〝脳〟である天守閣に匹敵する重要部位。
「おたくらの兵のうちの半分は、とにかく敵を城内に入れないことに注力させてください。千二百の兵は櫓を盾に、あるいは櫓に籠り、侵入者を皆殺す。二百人しかいない天守に到達されるまでに滅殺する。城に飛び込んでくる歩兵はおそらく、動きが速くて鼻の利くコボルトがメイン。防御力は低くとも敏捷で攻撃力が高い。それと人間族の重装歩兵。こいつらは攻撃力も移動速度も低いが、防御力は高い。そして何よりべらぼうに数が多いはず。城下町で何とかしてください。残り千二百の兵で。どんな犠牲を払ってでも」
「分かっている」
「あとの二百の衛生兵は櫓をかけまわり、救護」
「うむ」
「俺は街を出て、遠くから城と土塁を壊そうとしている連中を叩いてきます」
カツカツカツ。
星野は天守のテラスから、多聞櫓の壁を歩く中華鍋を見る。まるで虫のように金属の肢を数本生やして鍋は月光を鍋底で反射させながら歩き、コツコツ足下を叩いては、構造的に脆い箇所を王国兵に指摘している。教えられた兵士たちは慌てて修繕にかかる。
「あの菜単は戦闘向きじゃねぇが、まああれはあれで、いざとなりゃトラウマ級の戦いをします。王様の近くにいねぇことを願ってます」
月夜の中華鍋を見ながら星野風太郎が「ヘヘヘ」と笑う。
「とにかく国王様とケルマンジャー将軍は天守で親衛隊と一緒に待機。でも遊んでいる暇はない。作戦会議もへったくれもない。敵がなだれ込むまでのアンタがたの仕事はひたすら回復薬づくり。ポーションを作れるだけ作り、多聞櫓を使ってどんどん兵士に補給する」
将軍と国王が大きく頷く。
「水量が多くて川幅のめちゃ広いオンタリオ川のある西から大規模な攻撃をされることはねぇと思うし、東の都市リンガエンはたぶん、ベビーイーグルの四人と召喚者の黛が何とかしてくれた。俺たちはとにかく南からのファガマロ、タヴキ軍をやるしかないです。で、普通に考えると、奴らに味方する兵は南からどんどん増えます。場合によっちゃリンガエンより東の鉱山都市ホロからやってくるかもしれない。んで、一番可能性があってしかも最悪なのは、北部からファガマロたちに呼応した軍が攻めてきた場合です。隣国のティオティ王国までクーデターに絡んでいたら超厄介だ」
最悪を想像したケルマンジャー将軍が思わず唾を呑み込む。
「ま、そんときゃ、そん時です。疑い出したらきりがない。とにかく首は括らなくていいですから、腹はさっさと括ってください」
「わはは!分かった!」
ケルマンジャー将軍が星野に渡した銀の盃に、ギャグに応えたフナフティ王から盥の水がなみなみと注がれる。
ゴクッゴクッゴクッゴクッ!
「ぷふーっ!王様!生き残れ!そうじゃないとここに残った民と兵全員が犬死になる!」
喉を鳴らし1リットルの果糖入りハイパーポーションを飲み干した後、星野はそう言って盃を地に置く。
「そんじゃ、みなさん達者で!」
言って、星野風太郎はラーユーンの天守閣のテラスから消える。中華包丁六本を装備したちょんまげ侍は櫓の上を素早く走り、石垣を越え、暗い城下町の屋根の上を疾駆し、街を囲む高さ六メートルの土塁と幅十メートルの外堀を一息で飛び越え、月光を背に、攻め込む合図を待っている敵兵の中に音もなく飛び込む。
敵兵。
現国王の兄であるタヴキ・ウルタサペルを主将に据えるファガマロ軍。
兵力にして2万4000人。
構成はコルグエフ将軍率いる一個連隊8000人。
ロッコール将軍率いる一個連隊8000人。
アコルーニャ将軍率いる一個連隊8000人。
この計3個連隊が首都カテニンの南と東に集結し、堀のすぐ近くにまで迫っている。
(籠城をあきらめて北側より逃げだしたところを、討ち取ればいい)
その包囲戦を首都カテニンから南に五キロの地点で見守る予備軍2000人の中に、謀反の主犯格ファガマロ・ラロマヌがいて、ファガマロにかつがれたタヴキ・ウルタペサルがいて、元将軍の老人を殺してそれに化けた参謀の魔物ドレイク・ダクシャがいる。
(勇者はいつ、どこに出てくるか)
魔物ドレイクは自分たちの仕掛けた攻城戦に対し、勇者星野がオフェンスで、他の者がディフェンスに回ることを予期している。そしてディフェンスの中に、厄介な冒険者ベビーイーグル四名がいないことも最初から予測している。
魔物ドレイクの予測はことごとく、的中していた。
(じきに他の都市も呼応してこちらに参集する。ティーチのいる北のパリクパパン鉱山は……拉致したアレが使い物にならなかった場合、他の召喚者でなんとかすればいい)
三万の兵を動かせるドレイクには、まだまだ余裕がある。
ゆえに首都カテニンのどこに隠れているのか不明の召喚者たちについては生きて捕縛する算段を、この段階では組んでいた。
「ドワーフ砲兵部隊に敵騎が突入!」
カテニンへの包囲陣が完全に整わぬうちに、降伏勧告の使者も出さないうちに、宣戦布告の合図もないうちに、ファガマロのいる幕営に通信兵の怒鳴り声が響く。
「敵は一名!刃物を振り回す細身の戦士が次々に投石機と砲台を破壊していきます!」
(ホシノフウタロウとかいったか、お前が来ることは想定の範囲内だ。城の中は万全なのか?)
クスクスと笑いながらドレイクは兵を動かす提案をする。
すなわち前衛の先頭部隊として、狼人族。
中央歩兵は重装備の人間族。
左右翼を戦車部隊である騎兵。
中央歩兵に後続する火力部隊として人間族の弓兵と魔法使い、そしてドワーフの砲兵集団を送り込む。
魔物ドレイクの提案はたちまち洗脳効果を発揮し、即ファガマロの命令へと変わる。援軍が到着するまで待ち、万全を期して攻めるというファガマロとタヴキの憶病風がかき消える。
伝令が走る。
ウアアアッ! ナンダコイツ!! チクショウッ!! ジャマスンナ!!
ところがすぐに、火力部隊に回すはずの人間族の魔法使いたちの悲鳴と罵声が闇夜の幕営にまで木霊する。
気になったファガマロとタヴキが幕営の外に出る。
「なんだ、あれは」「イヌ?」
大地ではなく夜空を低く駆ける犬がいる。
ボボボッ!!ボボボッ!!ボボボッ!!ボボボッ!!
尻尾と脚の燃えるイヌの走り去った後には、赤く燃える火の板が残る。
その赤く光る板に魔法使いの放つ魔法がぶつかると、魔法を発動させた魔法使いへ、魔法が跳ね返る。
イヌは気まぐれに火の板を足元から消し、地に降り、電光石火駆け抜け、怯えている魔法使いの喉笛を咬みちぎり、肉を適当に喰らい、血で喉の渇きを癒す。そして自分に迫る殺気に気づくとまた宙に舞い上がってかわし、火の板を生み、その上をすさまじい勢いで走り去っていく。
イヌ。
犬姿の人。
星野嵐太郎。
風太郎の憐れな三つ子の長兄は火の子として戦場を四本足で駆ける。狙いは末弟の星野風太郎と同じく、火力部隊の殲滅。
(さすがはティーチの操った勇者鈴久名を屠った勇者。使い魔迄使役するか。ただでは勝たせてくれぬようだな)
空飛ぶ犬の嵐太郎のせいで焼かれた魔法使い。
合計六本の包丁を振り回す風太郎のせいで火炎弾を投げる前に破壊されて燃え上がる投石機と鉱人族。
夜に塗り潰されているはずの平野の一面が赤く燃え染まり、反乱軍の存在が顔まで煌々(こうこう)と浮かび上がる
大軍で狙いやすい上に、格好の的となる。
「放てぇええっ!!」
それを逃すほど、王国兵はバカではない。
城下を守るキルクーク大隊長率いる1200人のうち、600人もの兵士が土塁の上で弓を引きしぼる。
シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュンッ!!!!!
ショートボウ、ロングボウ、クロスボウから次々に矢が放たれる。
「げふっ!」「うはっ!」「くっ」
鉱物産出国アーサーベルは鉱物毒を知り尽くす。
鏃には致死性の鉱物毒、辰砂と雄黄が用いられる。
辰砂を打ち込まれた重装歩兵はたちまち水銀中毒に陥り、雄黄を喰らったコボルトは硫黄とヒ素でやはり神経をやられる。
とはいえやられている攻城側も鉱物を熟知し、ゆえに他国では知られていない硝石を用いた火薬と大砲を用意したが、それは勇者がことごとく誤爆誘爆させて使い物にならない。火薬替わりの魔法使いも犬姿の嵐太郎に焼かれて食われ、役に立てない。
そうなると残るのは弓兵。ただし分が悪い。
炎のせいで明るすぎる平野から夜空に紛れて立つ高所の兵を射貫くのは容易でない。悪戯に矢を消費していく反乱兵。もしくは背後の大砲や爆薬が壊された際の爆風で吹き飛ばされて倒れ、その隙を王国兵の矢で仕留められていく。近くにいる焼け爛れた魔法使いが助けを求めて抱き着いてきて、魔法使いもろとも矢の餌食に変えられていく反乱兵。
「こんなところで……」
城に攻め込む前に倒れていく反乱兵。
「むざむざ死ねるか!」
その兵士長が死の瀬戸際で、小物入れから果実を取り出す。
髑髏瓜。
魔物ドレイクから「タヴキ様の用意した魔道具」として配給されている〝回天の果実〟をムシャリ。
食べると同時に、兵士長の体が反り返り、激しい痙攣が始まる。
傷口から飛び出した触手が伸びて、近くの生者、死者を問わず触手の先が口を開いて血肉を呑み込み消化する。触手が兵士長の元に戻る。
「グルルル……」
兵士長の残された装備は千切れ飛び、骨格が変わり果てる。
体表は砂色の分厚い鱗で覆われ、背中には二枚の大きな翼が生える。目の位置が顔の両側にそれる。歯が全て牙にかわる。人の二倍もある体長。そしてその二倍もある長い尾が生える。
蝙蝠のような翼を生やした恐竜。
すなわち翼竜ワイバーン。
魔物擬きに変じた兵士長たちが翼をはためかせ空へ飛び立ち、カテニンの土塁を越えて城下町に次々に飛び込んでいく。「憑依魔人という超人になる」と聞かされている反乱兵が雄たけびを上げる。ワイバーンはあくまで人間で、あくまで味方だと信じて、叫ぶ。
「魔物が来るぞおおっ!!」
土塁の上で戦う王国兵はひたすら外の大軍を相手にしなければならない。ゆえに城下町の味方兵には、ただただ叫ぶしかない。非常を知らせる鐘を打ち鳴らすしかない。
「あれがワイバーンだ!!」
仲間の大声と鐘の音とともに、飛来する翼竜の影。
戦慄しつつも、覚悟を決めるアーサーベル王国兵士と城下民。
ズビュビュビュビュンッ!!
生身を曝すことになる危険な屋根の上にのぼり、覚悟を決めた男女らが弩を天に向かって放つ。
弩。
連射式強化クロスボウ。
地面から天に向かって逆昇る毒鏃の雨。元は人間だったワイバーンが本能的にそれらを恐れ、全力で躱す。
「ウウウッ!!」
ワイバーン。つまるところ飛ぶ爬虫類。
冷却装置のない彼らは連続した筋肉の稼働で体内に熱が蓄積し、やがて着陸せざるを得ない。
そこが、正念場。
王国兵そして城下民の死地。
「ぐああ!」
着陸したワイバーンを相手に、とにかく誰もが捨て身で挑みかかる。
彼らの後ろで控え、桶を持ち、樽まで背負う衛生兵。中には勇者桃太郎の桃仙によってポーションと化した水で満たされている。
「うおおおっ!」「死ねコラ!!」「ワイバーン上等!!!」
墜落に近い形で着陸するワイバーンにむらがる王国兵と城下民。地面に腹をこすりつけ熱が逃げるのを待ちながら、必死に抵抗するワイバーン。
ヒトもワイバーンも弱点を抱えている。
たがいに急所だけは守ろうとしながら戦う。それでもワイバーンの一撃は王国兵や城下民をなぎ倒す。即死した人間にポーションは効かない。
「くらええっ!」
逃げない熱に苦しむワイバーンに、屋根の上で待機していた城下民たちが特殊な金属桶を振りかぶって落ちてくる。
バシャッ!!
「クエエエアッ!!」
ワイバーンが悲鳴を上げる。異臭と煙が鱗から立ち上る。
鉱物と毒物のプロ集団が用意した秘密兵器は熱したタール。
木材を乾留して得られる黒色の液体は熱と毒性を秘めた粘性物質。
「今だ!」
松明の火と火矢がワイバーンに付着したタールに引火する。温度を下げる希望を失った翼竜が絶叫を上げてのたうち回る。城下民は引き下がり、衛生兵のもつ命の水を飲めるだけ飲む。そして次の落下ワイバーンのもとへ武器を手に走る。
残った王国兵が燃えるワイバーンの始末を請け負う。炎に撒かれたワイバーンの腹を槍の穂先で破り、眼を貫き、頭蓋を鎚で砕く。翼の被膜を剣で破り、虫の息となったところで、心臓にタールで燃え盛る棒を突き込む。
「「「「うおおおおおっ!!!」」」」
仕留めたことを他の王国兵や城下民に知らせるために兵士たちは喉が潰れるほどの大声を上げる。本来なら火事を知らせる城下町中心の鐘が「勝利の鐘」として打ち鳴らされる。
カンカンカンカンカンカンッ!!!
その音を聞きながら、血まみれの兵に、衛生兵が次々に水を飲ませる。
兵士たちの傷口は、全てではないが閉じる。
生存者は自分の命だけは別状がないことを思い知る。
まだやれると思い込む。隠れていろと命令されている老人と子供たちが勝利の鐘の音と鬨の声に我慢できず、丸薬と食糧を渡しに兵に駆け寄る。「アーサーベル万歳!」と叫び、それらをもぎとるように奪い、口に放り込み、咳き込みながら次のワイバーンのもとに走っていく王国兵。若者たち。
誰も彼もが去った後、老人と子供は地に突き刺さる無数の毒矢を回収し、屋根で待機する父や母、息子や娘に束ねて渡す。弓の引きすぎで指の皮膚が破れ、爪がはがれ血まみれになっている若い男女がそれらを受け取り、際限なく飛んでくるワイバーンめがけて再び矢を放つ。
「キュエエアッ!」
その矢がなかなか当たらなくなる。飛翔するワイバーンが弩の射程距離を学習し始める。
ボボボボボボボボボボボボボッ!!!!!
そのワイバーンに襲いかかるまさかの火球。
土塁の四方にあるカディシン教の城塞寺院に籠る魔法使いたちが、殉教覚悟で最大限の火力支援を行う。矢ではなく魔法で翼を焼かれたワイバーンが次々に墜落する。それにとどめをさす民草と王国兵。
一方。
激戦の土塁壁を突破し地獄の城下町を逃げ回り、ラーユーン城の石垣に運よくたどり着いたコボルト百数十名。
「うおおおおっ!!」
鋭い爪と筋力と根気で壁を駆けあがってくる狼人族。軽装備故に素早い彼らに毒矢はなかなか当たらない。櫓の中で焦る王国兵。手汗で滑り落ちそうになる剣を握りしめて〝その瞬間〟に備える。しかし、
〈お父さん!!お母さんが死にそうなの!助けて!!!〉
「!?」
城壁にしがみついていたコボルトが〝声〟に驚いて止まる。近くにはカツカツと虫のように歩く黒い半球の鍋。
宝具「菜単」による闇属性魔法「見多羅死」。
ドシュッ!
思い出にとらわれていたコボルトが、王国兵の矢を喰らって地上に落下していく。
「くうっ!」
幻影魔法を振り払おうと、コボルトたちが頭を振る。
けれど頭に響く、子どもたちのあどけない声。
鼻にまでとどく、年老いた父母の落ち着いた香り。
〈早く帰っておいで。みんなでまた、新年を祝おう〉
ザシュザシュザシュッ!!!
「アオ――ンッ!!!」
鼻と耳が人間族より優れている先頭部隊が、その特異能力のせいで苦戦する。
しかし、
ドゴオオオ――ンッ!!
とうとう反乱兵の大軍が、南門と東門を破る。城下町に大量の兵がなだれ込む。土塁にいた王国の弓兵が反乱兵のコボルトに捕まり、八つ裂きにされる。城塞寺院の魔法使いとカディシン教徒が惨殺されながら、神に最期の祈りを捧げる。
「!?」
城下町に突入した反乱兵に待ち受ける、迷路のような街路。
ラーユーン城は見えても、そこに至るまでの道は長い。あちこちに組まれたバリケード。その隙間から飛び出す毒矢。
市街戦。
それはブービートラップ地獄。
市街戦は飛び込む側より待ち構える側の方が有利。
とはいえそれは、飛び込んでくる兵数が待ち構える味方の兵と同数か、より少なければ、の話。
反乱軍の頼みは〝数〟。十倍に近い兵力差でアーサーベル王国兵をひた押しに押す。
それを食い止めるために、十分の一に満たない王国兵は責務として、現国王を信じる民草は信念として、命を差し出していく。
「「「「うおおおおおおっ!!!」」」」
老若男女問わず。人間族亜人族問わず。
「「「「来いやああっ!!!!」」」」
土塁の中の地獄と化した城下町の空を魔犬が駆ける。
勇者星野の次兄の嵐太郎がワイバーンを牽制する。
噛まれたら出火。引っ掻かれたら出火。飛びつかれたら出火。火の板にぶつかったら出火。
しかも間合いが不明。
翼竜にとって相性最悪のホットドッグ。
空からのワイバーン襲撃が再び減り、城下民と王国兵は地獄の地上戦に専念できるようになる。
「こんなもんかえ!」「痛くもかゆくもないわよ!!」「弱虫!正々堂々(せいせいどうどう)勝負しろ!!」
腸をぶちまけられる老人。背骨をへし折られる女。心臓を刺し貫かれた少年。
それでも特殊ポーション「桃仙」を飲むことで命の灯火は続き、ボロボロの肉片になるまで戦って散る民草そして王国兵。まるでグールのようなしぶとさと強さに恐怖する反乱軍は援軍の到着を待ちわびるが、城下町になかなか新しい旗印は現れない。それどころか、
「おい!なんだあれ!!」
自分たちがこじ開けた南と東の城下門はいつの間にか、仲間の死骸の山で塞がれている。
本気の星野風太郎がマスバテの街の外で斬り殺した死体を山のように積み上げ、それらが門を塞ぎ、援軍の突入を妨害する。堀の水に濡れた兵は土塁の壁が滑ってなかなか登れない。壁に張りついているうちに星野の投げた包丁で首が胴体から転げ落ちる。外堀がおびただしい血で赤く染まっていく。
(なんて奴だ)
血まみれ埃まみれの勇者星野を前に、恐怖で動けなくなる反乱兵たち。
「どうした?こねぇのかい?」
包丁に付着した血糊を掃いつつ、投げて戻ってきた包丁の柄を片手で受け取る星野風太郎。
「死ぬのは怖ぇよなあ」
その星野が構えをとる。
親指と人差し指。
中指と薬指。
薬指と小指。
いつの間にか六本の包丁が、左右の指と指の間に握られている。
「自分がいなくなった後も明日が続くなんて、考えたくもねぇよなぁ」
六本の中華包丁の峰と刃先が赤く、あるいは青く輝く。
「でもよぉ」
魔剣「石旋風」。
星野風太郎を中心に、空気が張り詰める。
武器を固く握りしめて対峙する兵士たちの恐怖が頂点に達する。
「死ぬよりもっと怖ぇもんがこの世にはあるんだぜぇ」
白眼になった星野が言葉を残して消える。兵士たちの中で絶叫が花開く。
一方のラーユーン城。
〈父さん!助けてよ父さん!!〉
〈勇者がファガマロ様を誅したぞ!!!〉
〈ママがひどい目に遭ってる!!パパ!いやあ!やめて!助けてぇぇぇ!!〉
〈弟君のフナフティ様が魔物に魂を売ったらしい!すべては魔物の企てだ!!〉
ありもしないデマ情報と無数の幻覚を城下町の上で飛び跳ねては垂れ流す宝具「菜単」。
死につつある王国兵と民草は、移動する中華鍋の〝呼びかけ〟で刮目する。
現に何もかも奪われている事実と〝呼びかけ〟の内容は、おおむね重なる。
彼らにとってそれはデマでも幻覚でもなかった。
王国兵もアーサーベル王国の民草も怒りと悲しみをさらに爆発させ、残るポーションを飲み干し、千切れた血まみれの身体で立ち上がる。
失った腕の代わりに刃物を口に咥え、槍を杖に立ち上がる。老若男女問わず、消えつつある命は毒や武器や資材を手に立ち上がる。
デマ情報と幻覚に混乱し翻弄される反乱兵。とはいえ退路はない。数千人の反乱兵の進む道はもう、ラーユーン城の本丸しかない。
ラーユーン城虎口。すなわち正面出入口。
敵の集中が必至のここに、召喚者五人は配備されている。
ドシュドシュドシュドシュドシュッ!!
素早いコボルトの動きすら、召喚者重光と照沼の矢は逃がさない。
「おおおおおっ!」
櫓の梯子をかけ登ってくる敵兵。
「どっちが先にやる?」
「斬って、潰そう。その方が確実だ」
「了解」
血管を太い腕に浮かべた川戸が歯を食いしばり鉄槌を振り上げる。顔の下半分にデスマスクをつけた國本が目を光らせ集中する。狙いを定める。
ズシュンッッ!!ドッ!!
梯子から櫓の中へ頭を出した人間族の首が槍の刃で刎ね飛び、頭部とそれを失った人体が血を噴きだす前に、梯子もろとも鉄槌で砕かれる。
ズドオ――ンッ!!
轟音と共に地上に叩き落とされる。
「容赦ねぇなぁ」
苦笑する種村は、体重百キロの巨漢が乗っても割れないイワグルミの丸い種子を櫓の下階へ笊からザーッと撒く。重い甲冑を着込んだ兵士たちの転倒する悲鳴や立ち上がれない罵声が櫓の中まで聞こえる。
ザシュザシュッ!!
デスマスク國本は二階の櫓穴から下階を覗き込み、転倒した兵士を足蹴に昇ろうとしてくる兵の首を槍で正確冷静に突き刺していく。梯子を持ち込み立てかけようとする兵士を梯子もろとも切り裂く。
「國本そこまでだ。それ以上下に体を出していると分が悪くなる。ここに上がってきた連中だけ潰そう」
「そうだな。分かった」
川戸に言われ、國本も元のポジションに戻る。その間もサポーターの種村は重光と照沼に矢の補給を行い、川戸と國本の傍にポーションを置く。
銃眼からの攻撃担当:重光結・照沼花里奈
櫓内の防衛:川戸翔太朗・國本萌
召喚者四名の後方支援:種村岳
五名の召喚者は数千の兵から生き延びるために、この布陣を選ぶ。
正面の虎口を解放するためには召喚者のいる櫓の二階に来るのが最も手っ取り早い。五人に守られている錘を切り落とさない限り、門はすぐに開かない。門そのものを破ろうとすると銃眼から重光と照沼の射撃の餌食になる。
「うおおおおおっ!!」
別の入口の梯子を上って櫓に侵入した敵兵が廊下を走り、種村の背後に迫る。
ブオンッ!!
川戸のぶん投げた鉄槌が敵兵の頭部に直撃する。けれど直撃したのは後続の敵で、種村に一番迫っている敵兵は間一髪で槌を躱し、種村にとうとう一撃を放つ。
シュン。
残像にあたる一撃。
ズシュ。
紙一重で躱していた種村が隣に立つ敵兵の頸動脈に射し込んだ苦無を引き抜く。血しぶきが飛び出る前に後続の敵兵へと蹴飛ばす。血しぶきが敵兵へ向けて噴射する。
「國本。こっちは任せた」
言った川戸が、背負っていた大楯を腕に装備して多聞櫓へ移動を始める。
「任された」
上に昇ろうと二階入口に手を駆けたコボルトの指を瞬時に槍で切断した國本が当たり前のように答える。
「種村。時々俺も、助けてくれ」
敵兵が走って向かってくる地獄の回廊を歩む、静かな川戸。
「時々だったらな!」
手裏剣をビュンビュン投げながら、自分の横を過ぎていく川戸に返事をする種村。
召喚者五名。
全員、一人多殺の必定。
「ゲアアアウッ!!」
重力と嵐太郎の火炎と王国兵の弓の雨に抗って本丸に侵入した疲労困憊のワイバーンを、王国親衛隊が命がけで迎え撃つ。骨折。打撲。捻挫。肉が切れる。血が飛ぶ。
「死ね!!」「この魔物が!」「王国をなめんな!」「裏切り者ども!!」
星野の三つ子の桃太郎の産むポーションを染み込ませた水布を体に巻く王国兵は怯まない。
水の勇者の産むポーションが、怯ませない。
本丸の外で戦う同志と宝具が、怯ませない。
櫓で踏みとどまる五名の召喚者が、怯ませない。
城下町で数百のワイバーンを相手にする火の勇者が、怯ませない。
首都の外で万の敵を相手に孤独に魔剣を振るう勇者が、怯ませない。
自分たちに守られながら、盥を抱え、邪魔くさい衣服を脱ぎ捨てほぼ全裸になって溢れるポーションを容器に注ぎ続ける人間くさい生身の国王が、それを懸命に支える女房のような将軍が、怯ませない。
親衛隊は火事場の馬鹿力と怒気と勇気で、怪物に全身全霊でぶつかっていく。
ワイバーン。
正確にはワイバーン擬き。
髑髏瓜を食べて遺伝子ドーピングによって姿を変えた、即席の魔物擬き。
魔物の出来損ない。
姿は魔物になり果てても、心までは魔物になり切れていないワイバーンから、人々に狩られていく。
誠意。欲求。怒り。恐怖。
王国兵。反乱兵。人間族。狼人族。鉱人族。魔物。召喚者。勇者。
誰も彼も一緒。
より、自らを〝濃く塗り潰した者〟によって、〝濃く塗り潰せなかった者〟は命を狩られて、逝く。
すなわち地獄。
それが現在の首都カテニン。
「……」
その状況を冷静に分析できる魔物はアーサーベルに一匹しかいない。
ドレイク・ダクシャ。
魔王領バルティア帝国より派遣されたプロの暗殺集団ダクシャの長。異世界転生される前の記憶をもつ〝悲しき出来損ない〟。つまり正真正銘の魔物。
(どうなってる?)
次々に届けられる戦況報告を聴きながら、異常事態が生じている理由を考える。
(どうして兵が集まらない?)
魔物ドレイクが想定しているのは、北部を除く都市に配備された兵の集結。そのための根回しに多くの時間と労力を今まで割いてきた。
それが、上手くいっていない。
「現状はどうなっておる!?」
ファガマロが唾を飛ばしながら特別参謀に化けるドレイクに怒鳴る。
「兵数の上でこちらは圧倒してはおりますが、敵は勇者を味方につけておりますので、攻城兵器は機能いたしません。仕方なく敵の得意とする市街戦に参加し、苦戦している模様です」
「そんなことはもう分かっておる!!ワシらの援軍はまだ来ぬのかと聞いておる!!」
「少しずつですが来てはおります」
(想定をかなり下回っているが)
ドレイクの試算では、ファガマロとタヴキの武装蜂起に呼応して首都カテニンに十三万の兵が集まるはずだった。
しかし現在、首都を囲んでいた三万の兵に加えて、援軍として現れたのはわずかに四万。要するに予定されている残り九万の兵が到着していない。そしてそれに関する連絡も、だいぶ前に送った偵察兵からの報告もない。
(偵察兵が戻ってこないということは……)
「緊急!緊急!!」
たった今送りだしたばかりの偵察部隊の隊長がドレイクのいる幕営に飛び込んでくる。一抹の不安がドレイクの脳裏をよぎる。
(兵どもが寝返ったか?)
ドレイク・ダクシャの集団洗脳の規模は大きいとはいえ、その規模は一都市を呑み込む程度。学術都市ネグロスは呑みこめても、アーサーベル一国までは呑みこめない。ゆえにファガマロとタヴキの武装蜂起に便乗する兵士に関してはあくまで賭けに過ぎない。
(今ここでファガマロの側につかないメリットなどあるか?)
そうドレイクは思い、おそらく別の報告を知らせるために、駆けつけた目の前の兵士は呼吸を治しているのだと考える。わずか一瞬の間に。
「ひ」
「?」
「光が!巨大な光がマリタを包んでおります!!」
言わんとしている意味が分からず、ファガマロとタヴキは隊長に怒鳴る。
「……」
雨風を防ぐための幕営の分厚い布壁と屋根のせいで屋外の様子が分からなかったドレイクは、自分の目で確かめようと急いで外に出る。
(なんだ、あれは)
首都カテニンから南南東に60キロ離れた製錬都市マリタが、光に満ちている。
光は唸りと共に盛んに静電気を放電しながら街を包んでいる。そして周囲に無数の火の粉がちりばめられている。
火の粉。
遠目に見れば〝それ〟は「火の粉」だったが、近くで見れば〝それ〟は中隊規模で燃えている焼死体の集団。
「!?」
マリタとは別の方角の異変にもドレイクはすぐ気づく。
首都カテニンから東南東に70キロの地点。鉱山都市ホロ。
ゴロゴロォォ……
青い稲妻が闇を駆けのぼる。見覚えのない巨大な黒い塔がそびえ立ち、そこを青い稲光が絶えず駆け上っている。
「何が、起きている?」
幕営を出てきたファガマロとタヴキが偵察兵に状況をしつこく尋ねる。
「南のケープヨーク線を守る防衛都市ダヴァオ、同じくセミララ。両都市から作戦予定時刻に兵はこちらに向かったらしいのですが……」
震えて言葉が閊える偵察兵隊長。その手には血と煤で汚れ果てた伝達文書がある。
「南東のモレスビー線を守る都市ジェネラルサントスも、か?」
光を見たまま隊長に問うドレイク。
「はい。しかし製錬都市マリタを通過する前に、光が、襲いかかってきたとのことです……」
(あの、霧の中で俺たちを弄んだ魔法使いの仕業か?)
一匹の無傷のワイバーンがその時、北部からドレイクの元に飛んでくる。砂色ではなく柿色の、本物のワイバーン。
「……」
ワイバーンが脚に巻きつけている巻物を取り外して読んだドレイクの表情が強張る。
(ロロノア……)
巻物の送り主はティーチ・ダクシャ。魔物ドレイクの妹。
① 都市カラミャンで遭遇した強力な魔法使いは、召喚者に紛れている可能性が高い。
② クヌートとアンボニーが重傷。ただしカラミャンで戦った冒険者四名を相手に負った傷ではない。
③ ロロノアが都市リンガエンで消息を絶つ。魔法使いとの一騎打ちを自ら望んで。
④ 魔法使いとも我々とも敵対する何かが、全てを破壊してまわっている。
⑤ クヌートとアンボニーの手当てを優先する。ゆえに宝王の枷を緩める。
感情をできるだけ押し殺し、簡潔に箇条書きされた巻物を手の中でへし折るドレイク。
(敵対する何かだと?……このアーサーベルに、魔王領から別の工作員が送り込まれているということか?)
燃やしながら、ドレイクが額に無数の血管を浮かべる。歯を食いしばる。
(俺たちをコケにするつもりか羅刹ども。戻ったら切り刻んでブタの餌にしてやる)
キュドオオオ―――ンッ!!!!!!
「「「「「!?」」」」」
予備兵も、到着の遅れた反乱兵も、王国兵も、何もかも一瞬固まる。足元が激しく揺れ震え、地面に誰もが倒される。
キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!!
光る製錬都市マリタから物体が高速で飛んでくる。
しかしその物体を認識することは誰にもできない。認識する前に地面はクレーターを残して変形し、不運にもそこにあった生命体は木っ端微塵に散華する。
残るのは爆風。風速120メートル毎秒の〝比較的〟優しい爆風が人馬を吹き飛ばし、翼竜を吹き飛ばし、骨と肉と血を岩にぶつけ、大地にぶつけ、バラバラにしてしまう。
変わり果てた製錬都市マリタ。
キュドオオオンッ!!!
その正体はいまや、レールガン。
莫大な電力を供給することにより、ローレンツ力で弾き出された鉱物は、ロケットの発射速度に近い秒速10キロメートルで敵味方問わず、すべてを破壊する。王国の強固な土塁が堀ごと壊れる。反乱兵の連隊が消える。城下町の一画が壊れる。ラーユーン城の一部が崩れる。山に穴が開く。河が氾濫する。
レールガンのせいで何もかもが中断する。中絶する。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
首都カテニンの土塁の外で反応できた者は、勇者星野風太郎のみ。間一髪で電磁加速砲の弾を斬って一命をとりとめる。ただし左手の薬指と小指は弾圧に耐えられず、千切れて落ちた。
(誰だ!こんなこの世の終わりみてぇな攻撃を仕掛けてくるのは!?)
レールガンから生きのこっている全ての者と同じことを、星野もまた思わざるを得ない。
ホワ……
鉱山都市ホロのそびえたつ黒塔から、巨大なオタマジャクシのような形をした白色の光の塊が製錬都市マリタに向かって既に飛んでいる。そしてレールガンと化した都市マリタに悠々(ゆうゆう)とぶつかる。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!
その瞬間から、製錬都市マリタが業火に包まれる。光の都市が瞬時に火の海と化す。
衝突した光の塊。
通称、ヤコブの梯子。
超高温放電装置ジェイコブスラダーの一撃。
イオン化した空気によって広がったアーク放電の起こす超高温攻撃。
都市マリタ全体が轟音とともに灼熱の炎に巻かれ、光るレールガンの連射がついに止まる。
が、
キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!! キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!キュドオオオンッ!!キュドオオンッ!!
再び光を上げて稼働したレールガンはすさまじい猛射を始める。
しかも今度は全方位ではなく、鉱山都市ホロだけに向かって。
(ホロにいる〝何か〟とマリタにいる〝何か〟は、味方同士ではない?)
星野と魔物ドレイクは必死に状況の整理に入る。
しかし星野の場合、腕を組んでじっくり思案している余裕はない。
レールガンの恐怖で動けないでいる兵士の腱を狙い、片っ端から魔剣「石旋風」で戦闘不能に追い詰めていく。
腕一本、足一本でも不自由になった兵士の心は脆い。
逃げようにも動くに遅く、後からやってきた反乱兵の部隊移動に巻き込まれてケガのまま前に進むか、蹴飛ばされ転がされて、踏みつぶされるしかない。運よく生きのこっても、弱ったワイバーンが〝栄養補給〟に舞い降りてくる。鎧を着たままの反乱兵は頭を千切られ、胴を咥えられ逆さまにされ、血を飲まれる。補給を終えた翼竜が再び戦闘に戻る。鎧が壊れた兵はさらに悲惨で、内臓特に肝臓と心臓をほじくり出されて食われる。その方がワイバーンの補給は早く済むから。
星野の予言通り「死ぬより怖い」目が反乱兵を襲う。
死に際で人として扱われない無惨な恐怖が刻一刻と迫る。
パカパッ!パカパッ!パカパッ!パカパッ!
燃え盛る炎を旗印に掲げた騎兵集団が突如、息絶える寸前の反乱兵の近くに駆け寄る。
(今度は何を出してくる?)
敵を最小限傷つけて移動しながら、その連中の様子を注意深く観察する星野風太郎。
ムクリ。
騎兵の撒いた赤い粉を吸引した半死人の兵は痙攣した後、すっと立ち上がる。
ボ……ドスンッ。
全身から紫色の炎を上げ始める。そして四つん這いになる。全身の細胞の分裂が強制再開され、筋肉が肥大化。骨格が変形。傷口までふさがる。
騎兵が立ち去った後、そこには紫の炎を帯びたサイが鼻息を荒くして泥を蹄で削っている。
ドムンッ!!!
巨体が地響きを上げて駆け出す。
反乱兵のなれの果ては紫に燃える巨大なサイとなり、自分を踏み潰していった反乱兵の背後からつっこみ、仲間を突き殺し、堀を飛び越え、土塁を角の一撃で破壊して城下町に突撃する。
汽犀。
勝利を急ぐドレイク・ダクシャのさらなるドーピング兵。
「こりゃまためんどくせぇなあっ!」
星野風太郎は仕方なく敵兵の腱斬りを断念し、汽犀の殲滅に移る。城下町に入る。
三つ子の嵐太郎はドーピングを撒く騎兵を急ぎ追撃する。城下町を出る。
汽犀を生む騎兵集団は粉だけでなく火も噴く。
旗印を兼ねつつ炎を放射し続ける魔道具「煥旗」はそのまま振り回すだけで火炎放射器という武器になる。城下町に侵入すれば都市はたちまち大火事に見舞われる。よってそれをも食い止めるべく、炎騎兵の集団に、同じく炎の獣である嵐太郎が飛び込む。
そして。
「おのおのがた」
反乱軍予備兵陣地。
本部幕営の外。
到着している援軍の将たちを集め、魔物ドレイクは貴族ファガマロの意識をのっとり、
「片を付けましょうぞ」
腹話術のごとく、ファガマロの口からモノを言う。
「現在、首都カテニンをコルグエフ将軍とロッコール将軍、アコルーニャ将軍の三個連隊二万四千の兵が攻めております。コルグエフ将軍とアコルーニャ将軍が城下の外で勇者ホシノフウタロウとその使い魔のイヌの相手をしている間に、ロッコール将軍の連隊は城下町への侵入に成功しました」
幕営の足下が湿り始める。レールガンのせいで流れがせき止められ氾濫したオンタリオ河川の水が軍人たちの足下を濡らす。
「アブランシュ将軍とサンテミリオン将軍、そしてトシェビーチ将軍の御三方は、勇者の相手をお願いします。上空を飛ぶ翼竜兵型の魔人同様に強力な戦車兵型魔人を御用意してございます。一個師団二万五千の兵と憑依魔人で勇者ホシノフウタロウとその〝飼い犬〟を叩き潰してくださいませ」
遠雷のように轟き続けるレールガンの音。しかし地震はさっきよりもはるかに小さい。
「ポトゴリウァ将軍とミッターイル将軍の御二方は、ロッコール将軍のこじ開けた穴を拡大しつつ城下町に突入し、ラーユーン城を陥落させてください。中には召喚者、つまり勇者になる力を秘めた者が数名おりますが、いてもせいぜい五名です。一万五千の軍勢と憑依魔人の前ではもはや風前の灯火といえましょう」
ワイバーンの鳴き声が幕営の外で響く。
「よろしいですか。一刻も早く皆で勝利をつかみ取るのです」
浮かない将軍たちの表情。
その理由をドレイクは当然気づいている。
(南部と東部で何が起きているのか分からない以上、裏をかかれる不安はぬぐえない)
「安心せい!」
ドレイクの操るファガマロの弁を遮るように、タヴキ・ウルタサペルが口を開く。
「よいか!これは聖戦である!伝統を軽んじ異端を大事とする悪しき弟の首をとるための聖なる戦である。私は弟とは違う!そなたら建国に携わった高貴な血を体に宿す者たちが軽んじられるアーサーベル王国を良しとしない!それが私だ!真なる王は私である!真なる王に従った者こそ正義!私が王になればそなたらは正義であり、再び尊ばれる!そして我が秘術と正義の力のもと、此度の聖戦に馳せ参じなかった〝裏切り者〟は、このアーサーベルの地から駆逐してくれようぞ!」
少しは弁の立つタヴキ。
(現状はなんら変わらぬというのに)
そのタヴキの言葉で、将軍たちに安堵の表情が浮かび、広がる。
(人間は謎が多い。そして金持ちのボンクラ王族もたまには役に立つ)
そう思いながらドレイクはワイバーン変身用の髑髏瓜と、もう一つの遺伝子ドーピング剤を各将軍付きの兵に配る采配に移る。ドレイクの洗脳術によってこれらのドーピング剤はタヴキの秘術によって生み出されたものだとタヴキ自身もファガマロも思い込んでいる。
「憑依魔人こそ我らが切り札!神の雷!これがあれば勇者などとるに……」
ズゥウウウン……
突如として空気が揺らぐ。違和感を覚えタヴキが黙る。
「あ」
誰かが闇に向かって指をさす。闇を明るく照らしていた巨大な灯火が一つ儚く消える。ドレイクは南の空を見る。
(止まった)
叫び続けていたレールガンが沈黙する。遠くで夜空が闇と静かさを少し取り戻す。
そのとき一陣の風が、戦場の、幕営に吹いた。
サヨウナラ。トウサンノヨウナ、ニイサン。
「…………」
魔物ドレイクの耳に〝声〟が響く。
声のような音波のせいで胸騒ぎが烈しくなる。
「おごっ!?」「むぐっ!」
ドレイクは采配を他の兵士に任せ、つかつかと歩き始めると、転移魔法で両手に用意した髑髏瓜を近くの兵士二人に無理やり食べさせてワイバーンにし、南の製錬都市マリタへと急いで飛ばす。将軍や幹部が驚くも、もうドレイクは彼らが眼中にない。
ポ。ブワンブワン……
再び製錬都市マリタが光を帯び始める。弱弱しく、明滅を始めている。
(なんだこれは)
全力で向かわせた洗脳ワイバーンの視界で、都市マリタを眺めるドレイク。
製錬都市は、魔物ドレイクがかつて人間だったころ、元の世界で見たパソコンの基盤のようになっている。
(スイッチ、リレー、抵抗器、インダクタ、水晶発振器、変圧器、トランジスタ、整流器に集積回路……間違いない。この異世界の人間に造れる代物じゃない)
「?」
マザーボードと化した製錬都市の上に浮かぶ、正二十面体。
(ロロノア……ここにいたのか)
正多面体の頂点に浮かびあがる、白い青年の顔。
目を閉ざした複数のその顔を見るなり、ドレイクの胸が潰れそうになる。
(ロロノア………すまねぇ信彦。守ってやれなくて……)
かつてニコチン毒を飲ませて心中した息子の二十個の顔はあまりに静か。
ヴンヴンヴンヴンヴンヴンヴンヴン……
けれどその頂点の顔と顔を結ぶ線は唸りながら青く光り出し、磨き上げたような二十個の正三角形は菫色の光が灯る。基盤の配線を電流が駆け抜け、曼荼羅のような模様を描く。
さながら網膜のように。
(ティーチの報告にあった例の魔法使いの仕業か?あいつがこれをやったのか?)
正二十面体全体が菫色に光る。
さながら瞳孔のように。
(いや)
都市全体が血走る巨大な眼のように、ドレイクに映る。
菫色の瞳の目。
(これは……)
息子を手に掛ける〝前の〟悪夢がよみがえり始める。
(別の……)
合羽を着た〝悪い奴〟に生前出遭ってしまった、山の夜更けの雨がよみがえる。
「おりゃあっ!」「よいしょっと!!」「……重い」「ホントよもう!!」
変わり果て尽くした魔物ロロノア。
その姿を見ているうちに悪夢に浸ってしまっていたドレイクの視界が激しく揺れる。ドレイクが洗脳憑依しているワイバーンが叫ぶ。
「翼竜よ。絞め殺されたくなければ言うことを聞け」
野太い尾鬼人族の声。
「実は吾輩は高い所が苦手なんじゃ!やっぱり下ろしてくれ!!」
泣き言をいう油虫人族の声。
「馬鹿言わないでよ!さっさとみんなで向かうのよ!」
励ます烏人族の声。
「……勇者一人じゃ、荷が重すぎる」
まとめる蓑虫人族の声。
聞き覚えのある冒険者四名の声である程度状況を把握したドレイクは、ワイバーンの視座を降りる。声を出さずに笑う。
「先ほど飛び立たせた翼竜型魔人の情報によりますと、旗印を掲げていない正体不明の四個〝大隊〟がこちらに向かっているそうです。いかがいたしましょう?」
出撃しようとしていた将軍たちにも聞こえるように、少し雑で荒っぽい声で、人間に化けているドレイクが参謀としてタヴキとファガマロに尋ねる。
「大隊じゃと?」「ふん!裏切り者が寄せ集まった所でたかだか四個大隊とは!捻り潰してくれようぞ!!」
「見せしめじゃ!」と叫ぶタヴキ・ウルタサペル。全軍の士気を考えた上でも掃滅以外に道はないと首を縦に振る将軍たち。
「ではさっそく討伐のための指揮官の御指名を」
「うむ!して、到着予想時刻は何時じゃ?」
問われ、幕営の外にいるドレイクは上空を見上げる。鼻で笑いながら手を空に向ける。
「たった今、現れましてございまする」
将軍と参謀たち全員が意表を突かれ、思わずドレイクの手の指す方を見る。
「うおおおおっ!」「いやあああっ!!!」「死にたくなああい!!!」「……速すぎる」
ズゴォォンッ!!!!
二匹のワイバーン擬きの首を締め上げながら飛行していた冒険者四名が、窒息死したワイバーンとともに墜落する。けれど呆然と見上げていた地上の兵士と泥のぬかるみと死んだワイバーンそのものがクッションになり、どうにか四名とも一命をとりとめる。
「なんだ、奴らは」
外れた肩の骨を戻したり、折れた歯を吐き出している四名について、将軍の一人が誰かに尋ねる。
「カラミャン」
武器を手に、首や手首の骨を鳴らして臨戦態勢に入る四名を見ながら、ドレイクは口を動かす。
「?」
「鉱山都市カラミャンに現れたグールとリッチーの大群を掃討した冒険者四名です」
「なんと……!?」
驚く将軍や幹部をよそに、呆然と立っている兵士の顎を即座に掴み、口を無理やり開かせ髑髏棗を無造作に押し込むドレイク。無駄な動きを一切しない。
非現実的な話を相手に即飲み込ませ行動に移させるための心理操作を、この魔物は転生前から心底心得ている。
メキメキメキメキミチミチミチチチチチ……ズチャーン!
砦亀。
遺伝子ドーピングで戦車級の大きさのワニガメと化した人間に、言葉を失う将軍たち。
「厄介な冒険者と勇者がそろってしまいました。怯えている暇などもうありません」
腰に紐で結わっておいた麻袋から取り出した髑髏棗を将軍や幹部たちの顔や頭へ親指で飛ばすドレイク。将軍たちに当たった棗の粒は地に落ち、歩き出した巨大ガメの起こす地響きで跳ねる。
「「「「……」」」」
将軍たちの中で、非現実が現実として受け入れられていく。
冒険者四名を「大隊」と表現した参謀の表現が誇張でないこと。
自分たちがこれほど兵の頭数をそろえても戦力として不安視されており、仕方なく参謀が〝戦力〟を補強しているのだというアピールに気づかされる。
暴れはじめる冒険者四名の姿が、地に落ちて泥水で汚れる髑髏棗が、さらに現実の色を濃くする。
「反乱に呼応し駆けつけた四万の兵に対するは、舞い降りた冒険者四名。Aランク相当の強敵とはいえ」
髑髏棗を飛ばす魔物の指が止まらない。棗が誰かの頭の上にコツンと落ちる。頬に当たる。額に当たる。馬鹿にされることで現実がさらに濃くなり、みなが怒りで震えだす。
「兵二個師団と〝頼り〟の憑依魔人をもってしても、片手で数えるほどの数の冒険者に劣ると知られれば、他の列強諸国の下すアーサーベル王国の評価は、推して知るべしといったところでしょうか」
「「「「「「……」」」」」」
こめかみに血管を浮かべ、歯ぎしりし、唾を吐く将軍たち。
我慢の限界に達し、落ちて泥水に浮く棗を踏みつぶす者。破顔し、あえて棗を拾い、懐に入れる者。
誰も彼も「なめるな凡人!」と参謀の魔物ドレイクに吐き捨てるように告げ、兜をかぶり、出陣していく。指揮官もへったくれもなく、ただ四名を血祭るための二個師団に変わる。
「よもや、よもや、我らが負けることなどあるまいな!?」
将軍たちの出撃を見届け、幕営に戻った後、ファガマロとタヴキは怯えた表情でドレイクに尋ねる。
「さあどうでございましょう?今のお二人では負けるかどうかは存じ上げませんが」
足下はすでに水浸し。その泥水を見ながらドレイクがぼやく。
「「?」」
「ご不安なら直接乗り込まれたらよろしいのではございませんか?」
顔を上げたドレイクが穏やかに微笑む。
「御自らが憑依魔人となって」
「「……」」
「どうせここにいても状況はよくなりはしないでしょう。南部と東部の兵がどうなるかは皆目見当がつきませぬ。およそ見当がつくのは己の命の使い道のみ」
二人の引きつっていた頬の動きが止まる。
「凄腕冒険者が街の外で兵に囲まれ、勇者が騎兵と憑依魔人に気を取られている今をおいて、〝直接〟乗り込む機会は他になさそうに思われますが」
「「……」」
ファガマロとタヴキは互いの目をのぞきこむ。
「最期に聴かせてはもらえぬか」
やがて口を開くファガマロ。
「なんでございましょう?前にも申しましたが、憑依魔人になっても己の意思が残っていれば元に戻れます」
嘘は言わないが本当のことも言わない魔物。
〝己の意思〟は遺伝子ドーピングによって消える。本能が全面的に前に出て、意思は消える。ゆえに変異を起こせば元に戻ることはできない。
「おぬしは魔物か?」
ファガマロの問いは、違った。
(正気に戻っている……さっき、ロロノアのような、風の声が聞こえた際に、術が切れたか)
「魔物だとしたらどうだというのです?」
権力欲の権化に、魔物はそのまま問いかえす。
「お前の目的はこの国の資源か?」
タヴキが代わりに問う。
「いいえ」
「「それは真か?」」
「ええ」
轟き渡る兵士たちの絶叫を聴きながら、魔物はあくまで静かに返す。
「では何をしにこの国へ参った?我らを勝たせるのが目的ではなかろう」
「もしや魔王軍を引き込むための罠か?」
追い詰めたのか追い詰められたのか、もはや分からず、ただ子どものように純粋に質問を続ける二人。
(魔王軍を引き込む。それが正解なのだろう。が)
「勇者と召喚者を殺す。あなた方も含め、全てはそのための駒です。……後は知らねぇ」
(俺たちダクシャ兄弟姉妹の正解ではなくなった)
傭兵として、魔物は言葉を返す。
「……そうか」
「憑依魔人の力は本物。あとはお前ら次第」
既に渡してある果実とは別に、魔物ドレイクは二人に髑髏瓜を一つずつ、投げてよこす。
「憑依魔人をうまく扱えば、魔王の軍とも渡り合える」
冷笑する魔物ドレイク。
「他人様の〝戦後処理〟の心配までしてくれるとは、魔物らしくない魔物よ」
受けとるファガマロとタヴキ。
「どうだろうな。俺はただの産業廃棄物処理業者で、魔物というのは仮の姿だから」
「サンギョウ……よく分からぬが、魔物と腹を割って話す日が来ようとは思わなかった」
「腹を割ったとは限らん」
「ふふ。我らは似たもの同士。〝そういうもの〟は間違えぬ」
幕営の中から、幕営に残るべき頭領二人が出ていく。既に腹は括っている。
幕営の入口に立っていた二人の兵士がファガマロとタヴキに無理やり髑髏瓜を食わされ、たちまちワイバーン二匹と化す。
その脚に掴まりラーユーン城へと向かうファガマロ・ラロマヌとタヴキ・ウルタサペル。
魔物のような人間二人。
(さて俺は、どうしたらいい?)
たった一人、幕営に残ったドレイクは身の振り方を思案する。
人間のような魔物一匹。
(迷うのは久しぶりだ)
南で眠る息子を弔うか。
北で待つ家族を見舞うか。
東で起こる〝何か〟を見定めるか。
(そもそも誰のせいで〝こう〟なった?)
ダクシャ兄弟姉妹の長男は、悩むにいたった経緯を想う。そして選択する。
(この足下の水……オンタリオ河の氾濫水が発電する都市マリタまで届いたら傑作だな)
その昔、ニコチンでも死ななかった〝父親〟の一人を浴槽で感電死させたことを思い出す元人間の魔物。
(そして羅刹どもがよこした〝王の力〟……もはや信用ならねぇ奴らの力だが、あの力は確実に、宿した本人の魂核に依存する。それなら〝王〟の近くにいるティーチと俺で絶対に制御できる。これがあれば羅刹への報復もできる)
南の〝霊廟〟と北の〝兵器〟による、勇者抹殺。
それを確信した魔物ドレイクは、北にいる妹と弟たちの元に戻ることに決める。
(そのためにもまずは)
ドレイクも幕営を出る。
闇夜の中、巨大な電柩と黒塔が周囲を照らし、青白く光る送電線が二つを結ぶ。
「俺の大事な息子を〝電池〟にしやがったクソ魔法使いとクソ同業者のツラを直に拝むとしよう」
ファガマロとタヴキのせいで腰を抜かしていた兵士を使って作った即席の強化型ワイバーン擬きに乗ったドレイクは、東の鉱山都市ホロに向かって飛び立っていった。
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