第三部 魚身求神篇 その七
兄「終わったか?」
妹「ええ。抵抗するどころか、自分から嬉々(きき)として受け入れたわ」
兄「だろうな。人選に狂いはなかった」
妹「ねぇ兄さん」
兄「なんだ?」
妹「三人は今、いないわ」
兄「……」
妹「通信も完全に遮断してある」
兄「……」
妹「久しぶりに、しない?」
兄「しねぇよ」
妹「そっけないのね。私がキライになった?」
兄「……」
妹「もう昔とは違う?」
兄「ああ。魔物だから〝弟〟も〝妹〟も増えることはねぇだろうな」
妹「そういう意味で言ってるんじゃないわ」
兄「お前、三人には話してないだろうな?」
妹「一生、話さないわ。墓場まで持っていく。ロロノアとクヌートが私たちの子であることも、アンボニーが兄さんと母さんの子であることも」
兄「……」
妹「生前の記憶のある魔物と、それを失っていく魔物。違いはきっと〝業の深さ〟だと私は思っている」
兄「業……罪と罰か。実の妹や母親と子作りしちゃ兄貴は地獄に落ちるだろし、産んだ妹はトラウマになって一生忘れられねぇな」
妹「兄さんとのことは、私、トラウマだと思ったことなんてないわ」
兄「大馬鹿野郎だなお前」
妹「母さん以外全員一緒にいられるから、私にとってこの世界は地獄じゃない。ドレイク……敏雄兄さんはどう思ってる?」
兄「……」
妹「敏雄?」
兄「妹のお前も、朋子も信彦も芳雄のことも、片時も忘れたことはない」
妹「ねぇ、だったら私も名前で呼んで。二人きりなんだから、お願い」
兄「……美子」
妹「そうよ。私は美子。もっと私を見て。もっとこっちへ来て」
……。
……。
妹「どうして?」
兄「何が?」
妹「どうして私だけ残して、三人と一緒に自殺したの?」
兄「……四人だ」
妹「母さんが兄さんに殺されるのは当然。だけど、許せなかったのは、私だけを残して兄さんが三人と先に旅立ったこと」
兄「……」
妹「私の業の深さは兄さんと関係を持ったからじゃないわ。……きっと、最後に並んで眠る兄さんたち四人に、ストーブの灯油をまいて私もろとも焼いたこと」
兄「そういや、灼る前に玄関まで亜紀子、運んだって言ってたな」
妹「そうよ。ドアノブに紐で縛りつけて、玄関のドアが簡単に開かないようにしたの。どうなったかは知らないけど、ガス栓も開いたままにしたから、きっと家も何もかも燃えたわ」
兄「そりゃ何よりだ。そして兄妹、子ども、そろって地獄で一緒になれた。めでたしだ」
妹「答えて」
兄「だから何を、だ?」
妹「いつもみたいに、母さんが連れ込んだ男を殺して、いつもみたいにバラバラにして、いつもみたいに山に棄てに行った。でもあの日は違った」
兄「……」
妹「帰ってきてからの兄さんの様子は明らかに違った。そして次の日は子どもたちと一緒に兄さんは冷たくなってた」
兄「ニコチンジュースを俺も含めて全員に飲ませたからな。〝親父たち〟を殺る時と同じだ。死ぬまであんなに苦しむとは正直思わなかった」
妹「ねぇどうして?どうして私に何も言わないで死んだの?」
兄「……」
妹「兄さんは三人を裏切ったりはしないわ。だって三人は兄さんの子だから。母さんが幼い兄さんを狂わせるために産んだ朋子でさえ、兄さんは裏切らない」
兄「……」
妹「でも私だけ。私だけは、兄さんに裏切られる気がする」
兄「裏切るわけねぇだろう。俺が二回も孕ませたお前を」
妹「じゃあ話して!あの夜のことを!」
兄「……」
妹「また、置いていくの?私だけ」
兄「……」
妹「……」
兄「いつも、みたいに」
妹「?」
兄「いつもみたいに、お前と亜紀子が色仕掛けで〝新しい親父〟をたぶらかしてニコチン飲ませて殺した後、あの日も半日かけていつものようにブルーシートの上で俺は死体をバラした。いつものように梱包して、いつものように車に積みこんで、いつものように山に棄てに行った」
妹「覚えているわ。何もかも〝いつも通り〟だったから」
兄「山に入ってから雨が降り出した。しかも時刻は午前0時過ぎ。山は県道っつったって道は狭いし暗い。しかも雨。前方の車はもちろん対向車すらよく見えねぇような最悪の状況」
妹「……」
兄「そん時だ。走ってた俺は思わずブレーキを踏みそうになった」
妹「どうして?」
兄「人が独りで歩いてんだよ。日付をまたいだ真夜中にだぜ?」
妹「……」
兄「そいつはカーキ色の合羽を着ていた。でもそれだけで、照明器具も何ももってない。怖くなって、スピードを上げて通り過ぎて、見えなくなるまで車を走らせた」
妹「……」
兄「けれど何か気になって、俺は結局止まって、戻った」
妹「その人、いたの?」
兄「いた。やっぱりカーキ色の合羽を着て、平然と歩いてやがる」
妹「……」
兄「それを見たらなんか無性に腹が立ってな。たった数十万円の金目当てに、次から次に水商売の女に引っかかった男を殺してバラして山に棄ててるこの俺が、田舎の山道を歩いてるだけの合羽を着たガキに何ビビってんだって思ったら、腹が立った」
妹「歩いていたのは子ども、だったの?」
兄「ああ。とにかく車でギリギリまで近づいて窓を開けて声をかけた。「こんな時間に何してんだおめぇ!」って」
妹「それで?」
兄「〝家〟に戻ってこない〝犬〟を探してる。アイツはそう言った」
妹「……」
兄「どこまで行くつもりだとか何とか俺は言って、結局車の助手席に乗せた。殺人鬼らしくて勇敢だろう?」
妹「……」
兄「これで気づいたらガキが車からいなくなってた、何てオチなら幽霊で済むが、違った」
妹「……」
兄「そいつは話しかければ、ちゃんと答えた。だから少なくとも幽霊じゃねぇ」
妹「……」
兄「「お前、この辺の人間か?」「はい。数年前に引っ越してきました」「犬がどこにいるのか心当たりあるのか?」「たぶんもう少し先のグネグネとした道を降ったところにいると思います」……こんな感じのやりとりだ」
妹「……」
兄「相変わらずの雨。しかもラジオは電波が悪くて届かない。会話のし過ぎで〝ボロ〟を出すわけにもいかない。だから音楽をかけようと思ったその時だ。ガキが車の窓を少し開けた」
妹「……」
兄「当然俺は「雨が降ってんだから開けんなよ」って注意した。そしたらよ」
妹「……」
兄「この辺の村にはまだ古い風習が残っているんです。それは、家で死者が出ると、玄関を少し開けておいて、四十九日まで過ごすというものです……そう、話し始めた。いきなりだ」
妹「……」
兄「少し開けた玄関には亡くなった方の靴を出しておいて、魂がちゃんと出ていけるようにするという習わしです」
妹「……」
兄「でも別に四十九日まで玄関を開けておかなくてもいいんです。魂が家から出たと分かれば、玄関を閉めて構わないんです。ですからだいたいの家は、四十九日前に、玄関を閉めます」
妹「……」
兄「そこまで聞いて、俺はふと思ったことを口にした。「そりゃつまり、魂が家から出ていくのが分かるのか?」って」
妹「……」
兄「……」
妹「……兄さん?」
兄「短い沈黙のあと、そのガキは少し開けていた窓を閉めた。そして言った」
妹「……」
兄「やっと、出ていった」。
妹「!」
兄「肝が冷えるなんてもんじゃねぇ。心臓が止まるかと思った。秋の終わりで、しかもクソ寒い夜の山なのに、汗が一気に噴き出た。なのに背筋が金属でも差し込まれたみてぇに冷たくなった……もしかしてコイツ、臭いか何かで、車内に人間の死体が積んであることに気づいたんじゃねぇかって思って、死ぬほど焦った。無意識に俺は天井のルームライトをつけた」
妹「……」
兄「「タバコのニオイが苦手なんです」って、狭く眩しい照明の中で合羽のガキはこっちを見て目を細めて笑った。青のような、紫のような、スミレの花みたいな不思議な瞳の色。今も忘れられねぇ」
妹「名前は、聞かなかったの?」
兄「聞こうと思った時に「ああ、この辺で大丈夫です」って言って車を止めさせられた」
妹「……」
兄「降りるときに「ありがとうございました」って礼を言われた。やっとおさらばできる……そうやって気を抜いた時だった。あいつ、当たり前のように人の車のハザードランプを押してよ……」
妹「……」
兄「お互い大変ですよね。探したり隠したりするのは」。
妹「…………」
兄「ガキがそう言ってドアを閉めた後、俺は呼吸がうまくできなくなった。ヤツがひしゃげた古いガードレールを越えて闇に消えるまで、それが続いた。たぶん10秒ちょっとだったんだろうけれど、すごく長く感じた。動きっぱなしのワイパーやハザードランプが、止まって見えるくらいに長く……」
妹「……」
兄「ようやく呼吸が元通りになって落ち着いて、本気でそのガキを追って殺すかどうか考えた。でもやめた。〝そんな危険〟を冒すくらいなら、車に積んだ死体を埋める方がずっとマシだって、考え直した」
妹「……」
兄「でもな……いつもの場所まで行って死体を埋めている間も、あのガキがどこかすぐそばにいて、こっちを見ているんじゃねぇかって。そればかり気になって、一刻も早くその場から逃げ出したかった」
妹「……」
兄「濡れたままいつまでも乾かない助手席のシート。そこから立ち上る、土と金属と煤の臭い。背もたれには、見たこともねぇ獣の毛。ルームライトを消してやっと思い出した、やまねぇ土砂降りの雨。……家に戻った時には、もう打ちのめされてて、何もかも終わらせようと思った。俺はとうとう〝やっちまった〟。罪も罰もあまりに重すぎて〝悪いモノ〟につかまっちまった。もう逃げられねぇ。だから終わりにするしかねぇって、腹を決めた」
妹「でも、だからってどうして私だけを残して……」
兄「家に帰っていつもみたいに「おかえりなさい兄さん」って、お前が俺に言ったろ。そん時な」
妹「……」
兄「頭ん中に、あのガキが浮かんだ。…………暗く冷たい雨の夜の森の中、ついさっきまで、ずっと気配を探していたあのガキが、俺を見た」
妹「……」
兄「だからお前だけは、殺せなかった。……怖すぎて」
妹「……」
兄「芳雄。信彦。それに朋子。地獄に道連れにした三人を俺は見捨てない。この世界に来てすぐに名前の記憶さえ失い、俺の血が身体に流れちまっているあの三人を俺は裏切らない。そして美子。お前のことも見捨てないし、裏切らない」
妹「私を捨てないのは血のつながった妹だから?そして私を愛してるから?」
兄「言ったろう今。……そんなことをすれば〝悪いモノ〟に何をされるか分からねぇ」
妹「呆れた。私に対してだけは脅迫感情なのね。……兄さんの心を掴んだそのガキ、殺してやりたい」
兄「そう思うか。……二人きりだから言うが、俺はもう二度と関わりたくねぇ。魔物になろうと、人に戻ろうと」
妹「……」
兄「あれは正真正銘の〝悪いモノ〟だ。近づくだけで呑み込まれる」
妹「ふん。……それで、今回の獲物は〝悪いモノ〟なの?」
兄「霧に紛れた魔法使いか。あれはたしかに手強い。俺たちみてぇに冷徹な思考をもってる。だが人知を超えた〝悪いモノ〟じゃない。切り札を上手く使えば、俺たちで殺れる。いつもどおりだ」
妹「それを聞いて安心したわ。〝ドレイク〟兄さん」
兄「そうだ。俺はドレイク・ダクシャ。魔王傭兵隊にして始末屋濁捨の長男。……ナメクジごっこは終わりだティーチ。支度をしろ」。
7. 黄金狂時代「弟」
アーキア超大陸北東部。アーサーベル王国。
天気のいい夕暮れ。
「のう、マユズミーさん。これは本当に正しいやり方なんじゃろうか?」
「うん。間違いないで」
鉱山都市カラミャンのあるサバイシ山に端を発し、アーサーベル王国中央を西から東に流れ下るヒューロン河川の最下流域。
「召喚者の黛殿がそう言うのだから間違いない」
「そうよ。召喚者アスカが言うんだから信じなさい」
「……召喚者マユズミの言う通り」
そして王国を南北に貫くように流れる大河川オンタリオとの合流地点。流れは穏やかだが川幅は広く、水深も深い。
「そうか。吾輩は以前どこかでこれを「魔女狩りの魔女を調べる方法」と聞いたことが……」
「「「「逝け」」」」
ゲシッ!
「のあっ!」
ドボーンッ!
冒険者三名と魔女が夕食のための食糧確保に精を出す。
「よしよし、食いついとるやんか。盗み食いした体からクランベリーの旨味がよう出とるんやなぁきっと。引き揚げ開始!」
「「「了解」」」
魔女の合図で〝餌〟として河に突き落とされた冒険者一名が、残り三名の冒険者によって引き上げられる。
ビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチッ!
「オッツー。簀巻き作戦成功!はいじゃあみんなで収穫―っ!」
三人がかりで引き揚げた〝餌〟の体には魚がたわわに食いついている。
「よくやったフランチェスコ」「偉いわよフラチェ」「……ご苦労」
「確かに耐えるのがプロレスラーと吾輩は申した。皆で摘んだベリーを小腹が減って全部食べてしもうたことも反省しておる。だがこれはちと度が過ぎてぬあっ!?」
「「「もう一度逝け」」」
ドボーンッ!!
縛り上げた〝餌〟の体から魚を捕り終えた冒険者三名は優しくそう言ってフランチェスコを河へ突き落とす。
彼らは冒険者ベビーイーグル。
そのベビーイーグルがピラニア漁を行い、取れたてのヒューロンピラニアを魔女が籠に入れてルンルンと運ぶ。
魔女の名前は黛明日香。
召喚者にして、実はベビーイーグルのリーダー。
「はい!じゃあおねがい」
「ああ」「おう」
運ばれてきた籠の中のピラニアをぶつ切りにし、無心で鍋に放り込む川戸と種村。ともに召喚者。
「痛っ!」「大丈夫か?」「どうってことねぇよ、こんくらい」「ああ。そうだな」
ピラニアの鋭い歯で指の腹を切り、そのまま傷口を咥える種村。心配して声をかけ、「こんくらい」と言われ、「そうか」と再び作業に没入する川戸。
「明日香。こんな感じか」
「ん~いい香り。萌ちゃん。その調子」
魔女に指定された香辛料を、河原から拾ってきた石を使いひたすらすり潰す國本。一息ついた時、隣の仲間二人をさりげなく見る。
「「……」」
火の前でぼんやりすると重光と照沼。集めた小枝をポキリと折っては、時々思い出したように焚火の中にくべている。
國本も重光も照沼も、召喚者。
召喚者。
一年前、アントピウス聖皇国から九名で超大陸北東へ派遣された召喚者たち。
そのうち二名は戦闘で大きく負傷し、アントピウスへ戻りチームを離脱。
そしてその召喚者チームは、再び、仲間を失った。
山野井冬愛。
チームとして共に行動する全員が大嫌いだったリーダー。
その男子が先日、魔物によって拉致されて行方不明となった。
その心理的衝撃を未だに受け止めきれないでいる者たちが火の前で火を見つめ、あるいは魔女に与えられた作業に没頭する。
(まだガキだ。しかも無理やり、知らねぇ世界に巻き込まれた連中……無理もねぇか)
少し離れた岩の上に腰を据え、河に釣り糸を垂らすのは、勇者候補生。
星野風太郎。
アーサーベル王国で起きている事件の調査と真相究明を任されて、アントピウス聖皇国から派遣された戦士。
魔物によって支配された同僚を、四日前にやむなく殺した魔法剣士。
その星野は召喚者五人の様子を気に掛けつつ、次の目的地へとゆっくり進んでいる。
(あと北に四十キロってところか)
星野たちがいるのはヒューロン川とオンタリオ川の合流地点。アーサーベル王国の国土的には中央少し南。
ここから一番近い都市は東に五キロ進んだ製錬都市マリタだったが、星野は川を産卵のために遡上する鮭のように、オンタリオ川の源流に近い北へと進むつもりでいる。
(虎穴に入らずんば虎子を得ず)
星野が北に向かう理由は、そこに首都マスバテがあるため。
アーサーベル王国中央に位置する首都マスバテ。
アーサーベルは首都マスバテを中心に、その南五キロの地点に学術都市ネグロス、東三キロの地点に農業都市リンガエンを抱える。
(人間を食らいたい魔物にとってはまさに餌袋。そこにこちらから飛び込めば、奴らは絶対に何かを仕掛けてくる)
勇者候補生はあくまで魔物を返り討ちにするつもりでいる。
(そうじゃねぇと、コイツらの仲間が浮かばれねぇもんな)
同僚を、一度は好き合った女を斬った男は、火のついていない煙草を咥えたまま思う。
(にしても)
ピラニアスープの指示を召喚者五人に出す黛を見ながら星野はあくびをする。
(運の良い奴だ。いや、良すぎる)
アーサービル王国で暗躍する魔物たち。
その魔物たちの襲撃を星野が鉱山都市カラミャンで受けた、霧深い夜。
その霧が晴れるとともに魔物たちは星野の元から消え、かわりに残ったのはベビーイーグルの二人グウェイとフランチェスコの腕に抱えられた五人の召喚者。
「ぶえっくしゅん!!」
そして、びしょ濡れの召喚者一人、黛。
(酔っぱらって井戸に落ちて助かるなんて、んなことあるか普通)
魔物らとの戦闘が始まる前に尿意を催して集会場の席を立った黛は、そのままふらふらと街を歩き、井戸に誤って落ちた。そうとは知らず一緒に席を立ったベビーイーグル二人ハーバーとカリオストロが霧の中必死に捜索して何とか黛を見つけ出し、救出。無事に事なきを得た……。
そう、黛らは星野に証言した。
(あの烏人族と蓑虫人族の冒険者の強さなら〝それで〟生き残れるだろう。しかし……)
にわかに信じられない星野。
(溺死や凍死云々(うんぬん)の話じゃねぇ。敵は確かに召喚者を狙っていた。だとすれば仲間から逸れたマユズミアスカは格好の獲物。それが難を逃れるなんて、運がよすぎる。それに)
霧が晴れた後に残されたモノを思い出す星野。
巨獣一匹の惨死体と、無数の復讐鬼の亡骸。
(鋭利な刃物で切断され、見せしめのような姿になったブチハイエナのシャーベット死体。凍り付いて出入口を全て塞がれた家の中で起きた、共喰い死した復讐鬼たち)
「もういやじゃ!今度はグッサン!おぬしがやれい!」
「無理だ。あいにく俺は泳げない」
「吾輩とてそれは同じじゃ!バービー!カリコ!おぬしらもじゃ!」
「「ベリー」」
「う……すまぬ。もう盗み食いはせぬから、なにとぞピラニアの餌だけはご容赦を」
(今回の首謀者と敵対する何者かが霧の中にいたか、あるいは)
「ピラニアはもういいよ。四人ともご苦労様。それより今度はミミズ採り手伝って。2メートルくらいのでかい奴けっこういるから、千切らないようにとって。街で高く売れっから」
「分かった」「任せてちょうだい」「……得意」「ちょっと待て!先に吾輩の縄をほどいてくれいっ!」
(考えたところで分からん。クロならクロでもいいさ)
1メートルのオオミミズを団子にして鉤にかけた星野の釣り竿が思い切り撓る。
「敵じゃなけりゃなっと」
胡坐を崩して立ち上がり、それをぐいと引く星野。少しして巨影が水面を激しく破り、宙に舞い上がる。
シュパンッ!
どっしりとした巨影は竿を片手で握る星野にぶつかる直前で一瞬のうちにバラける。星野のもう片方の手で握る中華包丁によって。
「おっ!大将がナマズ釣った!!」
「ついでに捌いといたぜ!」
言いながら星野は包丁をしまい、200キロ超のナマズの頭部だけを鉤から外す。河の中に放り込む。ピラニアがそこへ群がり、貪り、頭部はたちまち消え果てる。
「あれ焼いて食べたらすごくおいしいよ」
魔女が重光と照沼の肩にそっと触れる。放心状態だった二人は促されて立ち上がり、オンタリオオオナマズの肉を拾いに行く魔女のあとを追った。
翌日。曇り空。
オンタリオ川に沿うグアビアレ街道を星野一行は北に進む。
先頭は星野が歩き、魔物の出現を警戒する。
(妙だな。あれ以来、静かすぎる。とはいえ)
「しっかしあんなにピラニアのスープが上手いとは思わなかった」
「俺もだ。あの怖い顔の魚からして、最初はとても食べたいとは思えなかったが」
「美味かったであろう!それもこれも身を挺して釣った吾輩のエキスのおかげである!」
「それ言っちゃうとなんか……」「おじさんのエキス……」
「なんじゃ?不満か。ギュッとしまった白身で上品なピラニアブイヤベースは吾輩の油がなければ完成せんぞ!なっはっは!」
「フランチェスコ殿。ところでピラニアは生で食べられるのでしょうか?」
「うむ!昔プロレスの巡業の途中で食べたことがある!ヒラメのエンガワのように美味かったぞ!しかし次の日皆腹を下してしもうた!ワシはオムツをはいたから平気だったがのう!なっはっはっは!」
「「「「「ダメじゃん」」」」」
星野の少し離れた後ろを召喚者五人が歩く。中心には冒険者フランチェスコがいて、五人の話し相手になる。召喚者は徐々に笑顔と明るさを取り戻していく。
五人の後方を歩くのが冒険者グウェイとハーバー。巨大ナマズの場合フライと炭火焼きのどちらが旨いかについて議論しつつ、後方からの敵を警戒を怠らない。
「しゃあ獲ったどー!」「……くっ、負けない!」
あっちこっち落ち着かず、走り回っているのが魔女と冒険者カリオストロ。
虫取り網を振り回し、草むらや茂みを見つけては「どちらが希少種の虫を見つけられるか」を競っている。
(治療。護衛。偵察。こっちから願い出たわけでもねぇのに完璧なフォーメーションだ。まったく、どこぞのエリート面した親衛隊や騎士団なんぞよりよっぽど役に立つ)
先を行く星野は苦笑すると、何本目かの煙草に火をつける。
「おお!ここがマスバテかぁ!一度来てみたかったのじゃ!」
昼過ぎに星野たちは首都マスバテに到着する。曇り空はますます厚く重くなる。
「俺はもちろん城に行く。お前ら召喚者も一緒に来い。……アンタらは、どうする?」
星野がベビーイーグルに尋ねる。
「女を抱くに決まっておろう!」「ここまで集めてきた素材を売ってとりあえず金を作る」「そしたら今後の旅に入用のものを買いにいくわ」「……俺たちに用があれば、酒場にいる」
既に魔女の合図を受けていたベビーイーグルは答えると、そのまま街の中に姿を消す。
「そうかい。ほんじゃ、俺たちは王様に挨拶でもするか」
「くれぐれも失礼のないようにな」と言おうとして思いとどまる星野。
(その「失礼」をしそうな奴は、もういねぇんだった)
「大将、大丈夫?」
「おう、大丈夫だマユズミ。王様の前での礼儀作法を今思い出そうとしてたんだ」
首都マスバテ。
アーサーベル王国一豪華な主城ラーユーンの城下に栄える都市。
その中心へと星野たちは案内されて進んでいく。
「勇者の血を継ぐ星野様といい、選ばれし召喚者様といい、このような辺境の地まで遠路はるばる来てくだされたこと、まずは国を代表して感謝いたします」
謁見の間。
国王フナフティ自らが玉座を立ち、居並んだ勇者候補生一名と召喚者六名の手を取り、謝意を伝えてくる。
「あ、いや。これは大変に恐れ多い……」
(フットワークの軽い王様だ)
星野をはじめ跪いていた七名は王に直々に手を差し伸べられたため、しかたなく立ち上がり、王と握手をかわし、その若き顔を間近で見る。
フナフティ・プルタサペル。
すなわちプルタサペル8世。
現アーサーベル国王。年齢は召喚者たちより少し年上の若き王。
「事情は大司教様から手紙にて承っております。鉱山都市カラミャンで一体何が起きたのか、ぜひ国王様にお聞かせください」
(妙だな)
星野がそう感じながら見た声の主は、式典用ではなく実戦用の甲冑を身に纏った軍人女性。ケルマンジャー・リショフレ将軍。
「おお。そうであった!ぜひとも聞かせて欲しい」
ケルマンジャー将軍の催促で頷く国王。
「分かりました。少々長くなりますので、玉座にお戻り願えますでしょうか」
「これはこれは、気遣いかたじけない」
星野に促されて国王フナフティは玉座にそそくさと戻る。常在戦場という言葉を形にしたような無骨な格好のケルマンジャー将軍が星野に小さく会釈する。
(王の〝懐刀〟は文官の男だと聞いていたが。ありゃ本物の〝軍刀〟だ)
しばらく様子を伺おうと決めた星野は交易都市ディポログから鉱山都市カラミャンに向かい、そしてカラミャンで起きたことをつぶさに伝え始めた。
「そうであったか……勇者のお一人鈴久名様が魔物に操られておったか」
フナフティ王は言うと瞼を閉じ、沈痛な面持ちになる。
「この国を混乱に陥れている魔物は少なくとも洗脳魔法に長けています。しかも協調性があり、連携及び作戦行動をとれる。近年まれに見るほど知能の高い戦闘集団です」
「まるで質の悪い亜人族の魔法使い集団であるな。して、そのような魔物が各地に出没して民を屍鬼に変え、しかも召喚者の山野井様を拉致した」
「仰せの通りでございます」
答えながら星野はちらりと横を気にする。
辛い現実を思い出して悲痛な面持ちになる召喚者五人。表情を消し、目を閉じたままでいる魔女。
「今までにないほど貴重な情報、感謝する。そして、かけがえのない者たちを奪った報いは必ず魔物らに受けさせようぞ!」
国王の力強い言葉に胸を詰まらせ、涙ぐむ召喚者五人。鼻頭をポリポリとかく魔女。
「意見を申し上げてもよろしいでしょうか」
星野が問い、国王が「もちろん構わぬ」と返す。
「アーサーベル王国はそもそも魔王領バルディアと国境の大部分を接する地。このような魔物を送り込み国内の治安を乱す以上、それなりの狙いがあると、失礼ながら私は考えます」
(さて、国王さん以外に誰が口を開くかな)
星野は報告と憶測を広間全体に告げ、口を閉ざす。
「実はそのことなのだが」
魔女と星野が声の主に目を向ける。
「ああすまない。申し遅れた。私はケルマンジャー・リショフレ。現在は将軍職を仰せつかっている。わけあって今は宰相ナイラガ・ヴィテレヴが留守ゆえ、私が代理で現状を説明する」
そう言ってケルマンジャー将軍は合図をする。
二人の屈強な兵士が横断幕のようなものを抱えて移動し、協力して広げる。絹糸で織られたアーサーベル王国の詳細な巨大地図が現れる。
「勇者星野様の読み通り、現在王国の南には魔物が集結しているという情報がある。防衛都市ダヴァオとセミララからの報告では、その数は少なく見積もっても5万」
「5万!?」「なっ」「嘘……」
その魔物たちに何度も殺されかけている召喚者五人からは思わず声が漏れる。
「ということは今この国で起きているのは城攻めで言う〝奇襲〟か〝内応工作〟ってところですかな?」
眼光鋭く問う星野。
「そう考えるのが普通だろう」
悔しそうに答えるケルマンジャー将軍。
それがブラフか否かを呼吸音と動作音で分析する魔女。
(こいつはたぶんシロ。そこの王様もシロ)
目を閉じ少し俯き、クロを探す魔女。
部屋にいる全ての人間の呼吸音と鼓動音を拾い、変異を探す魔女。
「それと、つい二日前のこと」
鼓動音の急な変化に気づく魔女。鼓動音はケルマンジャー将軍から上がっている。
(どうした?何かいた?)
「これはリンガエンでの目撃情報なのだが」
召喚者五人と星野が地図でリンガエンを探す。既に地図が頭に入っている魔女は目を閉じたまま情報の続きを待つ。
「農業都市リンガエンで夜遅く、火の玉が無数に上がるのが目撃された」
「火の玉?」
意外な答えに星野が聞き返す。
「そうだ。そのあまりの数に火事ではないかと騒ぎになったが、まもなくして火の玉は消えた」
「それで、実際に火事は起きたのですか?」
「すぐに兵士らに調査に向かわせたのだがその」
将軍の鼓動音が遅くなるのを知覚する魔女。
「なんでしょう?」
「いまだに戻ってこないのだ。まるで、カラミャンに向かった兵のように」
(無数の火の玉に、お得意の〝神隠し〟。あの連中がまた誘ってんのか。今度は何が狙い?ブチハイエナの仇討ち?)
消沈する将軍とは逆に、魔女は高揚してくる。
「おいまさか、その調査に宰相が出向いたわけじゃねぇよな?」
魔物のせいで殺した鈴久名や魔物に拉致された山野井が頭をよぎり、気づけばため口になっている星野。
「もちろんそのようなことはない。宰相は用があって現在ネグリスにいる」
目を閉じる必要がなくなった魔女も含め、みなで地図を見る。
北を上にし、逆三角形の頂点のように並ぶ三つの都市。東から時計回りに、農業都市リンガエン、学術都市ネグロス、そして首都マスバテ。
(なるほど、それでネグロスを通る時は物々しい警備が敷かれてたっつうわけか)
国を南北に分ける大河オンタリオに沿って走るグアビアレ街道は、学術都市ネグロスと首都マスバテを結ぶ。
その街道を北に歩いてきた星野たちは、学術都市を通過する際に宰相ナイラガ・ヴィテレヴの護衛兵百数名を見ている。
(国のブレーンがこんな非常事態に城を開けて何を考えてんだか……)
「なんか来たね」
「あ?」
魔女黛の突然の一言に、星野が思わず反応する。
「失礼します!!!どうかお目通りを!!!」
謁見の間の扉の向こうから、鬼気迫る兵士の大声が響く。
「何事か!」
ケルマンジャー将軍が控えていた兵士に扉を開けるよう合図する。重い扉が開かれ、土埃と汗にまみれた兵士三名がすぐさま飛び込んでくる。
「申し上げます!ナイラガ様が!ナイラガ様が!!」
全身で息をしたまま跪く兵士が声にならない声で叫ぶ。それだけで場の雰囲気が緊迫する。
「ナイラガが一体どうしたというのだ!?」
王フナフティが急かす。
「ナイラガ様がネグロスにて討ち取られました!!」
謁見の間にいる全ての兵士が凍り付く。
「敵は?」
事情を知らない星野がケルマンジャーの替わりに尋ねる。
「あなたは!?」
「いいから早く言えや」
星野が殺気で威圧する。
「あっ、はい!敵はファガマロ・ラロマヌ。あのファガマロ卿です!」
国王がハッとして蒼ざめ、ケルマンジャー将軍の表情が暗くなる。
混乱した兵士たちがざわつき始める。
「事前に周到な準備をしていたらしく!ネグロスにはファガマロの手勢が多数潜伏していた模様!各地に兵を移動させ!都市に攻め込み!降伏もしくは防衛指揮官である将軍たちの自決を迫るとのことです!」
謁見の間という絶体絶命の場に詰める兵士たちの手に、脂汗がにじむ。額から顎に、汗がしたたり落ちる。鳥肌が立つ。
「なんということだ……」
頭を抱える国王フナフティをケルマンジャー将軍が「お気を確かに」と励ます。しかしその声は力がない。
「で?俺たちゃ、何をすりゃあいい?」
沈む場の空気に喝を入れるかのように、大きな声で問うのは星野風太郎。
「……」
ケルマンジャー将軍も含め、兵士の視線が星野に集まる。
「どうせここも狙われるんだろ。だったら作戦会議だ。味方の主要メンバーがそろうまでちったぁ時間がかかるだろ。事情を説明してくれりゃあ手伝うぜ。それとも王も将軍も俺が殺って、連中の手間を省くか?」
勇者候補生星野が周囲に殺気をぶちまける。
部屋の中に星野のステータスを見られる者は召喚者と魔女を除いていない。しかし星野の力が圧倒的であることは雰囲気でみなに知れる。
((((これが……勇者))))
絶対に敵に回してはいけない絶望。
味方につけば絶命を回避できるかもしれない希望。
「大将、じゃあウチはあの四人のオッサンを呼んでくるわ」
「ハイハーイ」と手を上げていた魔女が星野に言う。
「おう。アイツらがいりゃあ百人力だ」
魔女が「失礼します」と国王に頭を下げ謁見の間を走って出ていく。
「大隊長以上の者をすぐこの謁見の間に招集せよ!」
「「「「「はいっ!!」」」」」
頬に血の気が戻ったケルマンジャー将軍の命令で、魔女に引き続き兵士たちも次々に広間を飛び出していく。自分の両頬を自分の両手でパンパンと叩く国王。
「ディスプル・ナガランド殿」
「ここに」
謁見の間の隅に控えていた老司祭がケルマンジャー将軍に呼ばれて返事する。
「私は状況を把握する必要があるため、星野様御一行への説明は貴殿に任せる。何もかもありのままにお伝えせよ!」
「かしこまりました」。
アーサーベル王国。
アーキア超大陸において、南部のイラクビル王国を除き、国土の大部分を魔王領バルディアに接している国。
魔王領と隣接する国境線の総距離ではイラクビル王国、ソイグル王国、ゲッシ王国についで第四位だが、国境線全体に対する隣接距離の割合では群を抜いて一位の超危険地域。
それがアーサーベル王国。
当然魔物の侵入頻度も著しい。しかし幾度も防衛を果たせてきたのは遠方のアントピウス聖皇国からの多額の軍事支援によるところがまず大きい。
さらに技術支援。
アーサーベル王国は他に類を見ないほど地下資源が豊富な国。
その地下資源が目当てでアントピウスはアーサーベル王国を守ろうとし、魔王領バルディアはアーサーベル王国にたびたび攻め込んできた。
侵略戦争――。
侵略戦争に立ち向かうのは当然アーサーベル王国の兵士の仕事だったが、度重なる侵略によって王国に仕える兵士の数は減少せざるを得ない。そうなると出番が訪れるのが自由契約で兵士になる傭兵や冒険者、軍人奴隷。
侵略戦争。
南部で魔王領と軍事衝突を繰り返すイラクビル王国のように、ほぼアントピウスの属国のような国ではあまり問題にならないことだが、戦争において各国首脳の頭痛の種になるのは戦後処理、すなわち「恩賞」の取り扱いだった。
恩賞。
それは命を賭して敵と戦った者たちへの評価。
この采配を誤れば、時の権力者はついに滅ぶ。
ゆえに恩賞の処理は相当な秀才を必要とした。
そこで台頭したのが貴族の若き秀才ナイラガ・ヴィテレヴだった。
「命を張った者たちに貴賤など関係あるか」
これがナイラガの考え方だった。
つまり王国に最初から所属する兵士という〝正社員〟だろうと、急遽戦争に参加した傭兵のような〝派遣社員〟だろうと手柄は等しく評価しようとした。この考えは、年が近く進歩的な考えを持つ国王プルタサペル8世の心に響き、ナイラガは国王の側近から宰相にまで一気に上り詰めた。
さらにナイラガは魔物襲来の後の恩賞処理と魔物の再襲来へ備え、〝派遣社員〟を独断で〝正社員〟にする政策を推し進めた。要するに傭兵も冒険者も軍人奴隷も国が抱える「栄誉ある兵士」に採りたてた。
これが気に入らないのは〝正社員〟つまり元々兵士だった者や貴族。
彼らは新規の兵士が増えるたびに元々の俸給を減らされ、所有する土地を減らされた。他国に比べて鉱物資源に恵まれていても、目の前から富が削られていくのを快く思う者はいない。
こうしてナイラガと国王ブルタサペル8世への不平不満は高まっていった。
それらをかき集めて挙兵したのが、前国王ブルタサペル7世の補佐を務めた前宰相ファガマロ・ラロマヌであった。
「なるほどねぇ。それで?〝錦の御旗〟なしに人が集まる算段はあるのか?そいつは」
現国王を討つ大義名分がなければただの逆賊。逆賊で人心は得られない。そういう意味の質問を星野は老僧にした。
「学術都市ネグロスには、タヴキ・プルタサペル様がいらっしゃいます」
言って、長い鼻息をする老司祭。
「国王の兄弟か?」
「兄君にございます。本日はタヴキ様に「どうしてもの用事」と呼ばれて致し方なくネグロスに参られたのがナイラガ殿でございます」
「……共犯か」
合点がいった星野が確認する。
「お父上の前国王は弟君に王位を譲られ、しかも御自身は学び舎に送られる……根に持たぬ方が古来稀でございましょう」
若い召喚者たちでも分かるようにやわらかく、「共犯に決まってるだろう」と返す司祭。
「ちげぇねえ」
宰相ナイラガは現国王の兄タヴキに「大事な用がある」と言って呼び出され、結局タヴキに会うことなく暗殺された。
その暗殺者らを率いているのが、不満分子を集めた貴族ファガマロ。
「現在、ネグロスで挙兵したファガマロ・ラロマヌの反乱軍は各都市の兵士を吸収して膨れ上がり、その規模は三万は下らない」
謁見の間でとうとう始まる作戦会議。
中隊長以上の者が集められ、ケルマンジャー将軍から現状報告を受ける一同。表情はみな張り詰めている。
「南部の防塞都市ダヴァオ、セミララ、ジェネラルサントス内も混乱状態で、こちらへの増援は期待できない」
部屋の壁に広げられた地図情報も含めて、幹部たちの心に重くのしかかる報告。
「すなわち!王都マスバテは我々の手で死守するほかない!」
そのケルマンジャー将軍のいう「我々」の兵力はおよそ3000名。つまり3個大隊規模。
対する敵は3万。2個師団相当。兵力差にして十倍。
しかも迎え撃つ首都にして王都であるマスバテは、北、東、南と街道で結ばれる土地。利便性が高く、裏を返せば守るのには不向きな土地。
(勝てるのか)
首都防衛軍に当てられる兵士の空気は重い。
「細かいことは知らねぇが、ようは敵将の首を討ち取ればいいんだろう」
重苦しい空気の中で、話を聞いていた星野がのんびり言う。
「力を貸してくださるのですね。勇者星野殿」
念押しのためにケルマンジャー将軍が最後に言った「勇者」の言葉で、集まった兵士は改めて異形の戦士に注目する。
「俺たちが行く先々でこうもイベントが盛りだくさんだとよぉ、どうも付け狙われている気がしてならねぇんだ。どこかの賢しい魔物によ」
「今回のクーデターも魔物の仕業だというのですか!?」
驚いたケルマンジャー将軍がまんじりと星野を見る。
「関わっていると思ったほうがいい。戦じゃ常に最悪を想定し、最善を望め」
国王がごくりと唾をのむ。
「人間だけが攻めて来るなら困りゃしねぇが、そうじゃないとすれば、〝それ専門〟の殺し屋がいた方がいいだろう。俺みてぇな」
星野が声無く笑う。強さと殺気が広間全体ににじむ。その雰囲気に呑まれる一同。
「俺は南、東、北の門をチョロチョロ動きまわって〝変なヤツ〟を叩く。こいつら強ぇ召喚者様は地獄確定の南門にぶつける」
言って星野は召喚者五名を見てニカッと笑う。重光、國本、川戸、種村、照沼が星野の目を見る。
「たいしたことねぇ。ゴブリンゾンビやコボルトゾンビ、タキシム、リッチーに比べれば人間の兵なんざ赤ん坊みてぇなもんだ。数は何十倍も多いけどな」
五人は互いを見る。地獄を共に潜り抜けてきた仲間を見る。
「にしても、手が足りねぇ」
頭をポリポリ掻きながら星野は地図を見てぼやく。
「気になるのは東のリンガエンだ。クーデターに呼応してあそこから〝何か〟がわんさか来た場合、それを防ぐ手が俺にも召喚者にも残ってねぇ」
星野の目がベビーイーグルに向けられる。
「そこでだ。ぜひアンタらにお願いしたい。一個大隊相当の力をもつAランク冒険者のみなさんにな」
プレートを一度も見せたことないがベビーイーグル四人のランクを、強さを言い当てる星野。
「大隊規模かどうかは分からないが、受けよう」
太い腕を組んだまま泰然としているグウェイ。
「任せてちょうだい。中隊クラスなら皆殺しにしたことがあるわ」
腕関節を伸ばしてストレッチするハーバー。
「そろそろ暴れたいと思っとったところじゃ!デスマッチ上等!!」
四つの拳を固めてバキバキと指の骨を鳴らすフランチェスコ。
「……何匹いようと、魔物は全部殺す」
身体を軽く揺らし、蹴る初期動作を始めるカリオストロ。
魔物より魔物っぽく見える格好と人相と雰囲気の亜人族四人を見て、やはり気圧される兵士たち。
「おいちゃんおいちゃんウチは?」
魔女が自分のことを指さしながら星野に尋ねる。「う~ん」とうなる星野。
「ラッキーガールにはこの城に残ってお殿様の傍にいて欲しいところだがなぁ……」
情けない声で答える星野。
「四人だけで危険地帯に切り込むおサムライさんに運をおすそ分けしなくちゃあ、可哀そうだよな?」
〝謎〟の召喚者ではあるが、少なくともベビーイーグルと縁が深いことは間違いない黛を、星野は賭けに出す。
「マユズミ。ベビーイーグルと一緒に、リンガエンを頼む」
「ラージャ!了解!」
魔女はこうして、ベビーイーグルとともに農業都市リンガエンに出陣することを命じられる。
(罠に間違いない場所に飛び込むのが怖くねぇのかコイツ。腕の立つ冒険者四人と一緒だからか?)
「何もなければすぐに戻ってこいよラッキーガール」
(それとも、何か隠してるのか?)
「そんなフラグ立てるのやめてくれへんかなぁ」
魔女の言葉でクスクス笑う星野。複雑な表情をする召喚者五人。
その後兵士たちは各自持ち場と仕事を決められ、会議は終了。ただちに広間から散っていく。
城下町の人々は家の門戸を固く閉ざし、年寄りと子どもは財産を守るための地下室に隠れ、若者は鋤や鎌、工具を手に最悪の事態に備える。
陽が沈む。夜が忍び寄る。月のない曇り空。奇襲にはもってこいの闇夜が迫る。
「気を付けろよ、黛」
「種村もみんなも、油断しないでね」
南面の櫓に籠る前、五人の召喚者は魔女と別れの挨拶を交わす。
「生きて帰ってくるよね?これが最後なんてことないよね?」
重光が涙声で魔女に言う。
「当たり前やん。ちょっと様子見てムチ鳴らしてすぐ帰ってくるよ」
魔女がそう言って笑いながらハイパーポーションとマジックポーションを五人にどっさりと渡す。
「こんなにたくさん!いいの?」
「うん。買い物に行ったオッサンたちから分捕ってじゃなくて分けてもらったからあげる」
「本当にいつもいつも、すまない」
照沼と川戸が受け取りながら礼を言う。
「気にしない気にしない。困った時はお互い様。そんなことより数が多いから。五人で協力して生き残ることに集中して。一人になると〝また〟一人ずつ欠けちゃって、最後は全滅するよ」
わざと突き刺さるように言った魔女の言葉で、五人とも鳥肌を立てる。魔物に拉致された山野井冬愛が脳裏に浮かぶ。悔しさと悲しさが一点に集中する。
(((((くり返さない!)))))
仲間を守り切れなかった不甲斐なさに、自分自身へ怒りに、全てが昇華する。
「この櫓は地獄の門。銃眼から敵を射貫き、昇って内部に侵入しようとする者は誰一人生かして返さない。情けも容赦もなく、殺して殺して殺し尽くす。オッケー?」
「ああ。もちろんだ」
魔女のレクチャーを受けた國本がデスマスクをつけながら返事をする。
「よし!じゃあ私はオッサンたちと一緒に敵の罠にまんまと飛び込んできまーす!」
「「「「「おいおい」」」」」
星野にも短く挨拶を済ませ、魔女はベビーイーグルとともに農業都市リンガエンへと出立する。魔女のみ馬上。残り四人は駆け足。
「さてさて」
城から見えなくなったところで魔女は馬を捨てる。馬には城まで戻る呪いをかけ、部下の四人とともに駆け出す。
周囲を森に囲まれた林道に差し掛かる。リンガエンまであと二キロ。
〈黒塗確定。見敵必殺。以上〉
四人に囲まれるようにして走っていた魔女が霧のようにかき消える。同時に、マスバテでベビーイーグル四人が購入し魔女に渡してある月火蝶が、暗すぎる夜空を火の玉のように舞う。
〈〈〈〈了解〉〉〉〉
グウェイ、ハーバー、フランチェスコ、カリオストロがそれを合図に臨戦態勢に入る。
暗闇に乗じて蠢く道。大地や藪や樹木に隠れ、潜り、化けている無数の魔物たち。
「水晶月夜」
闇に消えた魔女の特別詠唱が小さく鋭く響く。
路面が凍結し、それが月火蝶の明りを増幅して反射する。突然の照明によって魔物たちの姿が一気に露になる。四人は敵の一切を目視する。
カオウスカタツムリ。平均レベル30。
蝸牛の角に当たる部分にドワーフゾンビが寄生し、それが石弓と炸裂弾を放つ。
ドゴン!ドボオオンッ!!
「いぇああっ!」
爆発を躱しつつ、ハーバーの大鎌ナハトケルヒェがドワーフゾンビをカオウスカタツムリから斬り断つ。そこにカリオストロの踵が落ちてドワーフゾンビの頭が砕けて散る。
「ほうりゃ!!」
ドムンッ!!!
フランチェスコが厚く重い肩をカオウスカタツムリにぶちかます。体重500キロの魔物の体が重心を失う。
「てあっ!!!」
咄嗟に丈夫な殻に身を隠そうとした軟らかい本体を逃がすことなく、グウェイの童子切安綱が切断する。
(かかってこい)
そのカオウスカタツムリが四人の右から左から、後ろから、前から次々に現れる。
(かかってこい!)
さらにはマジキムトンボ。レベル23。腹部にグールの上半身がさかさまに寄生した蜻蛉型の魔物たちが空を激しく舞う。
(かかってこい!!)
そして極めつけはバイモンワニ。レベル40。巨大な鰐型魔物の舌の付け根にはコボルトゾンビが寄生して敵のカウンターを狙う。
(僕は負けない!)
魔物への重寄生によってこれらを統べるのはロロノア・ダクシャ。
魔王領バルティアからアーサーベル王国へ派遣された、暗殺集団ダクシャの四男。直接戦闘よりも寄生体の同時大量操縦を得意とする魔物。
(僕がお前の命をここで止める!)
冒険者ベビーイーグルを一心不乱に追い詰める、魔物の憐れな玩具たち。
それを少しずつ叩き潰していく四人。ある時は四人で、ある時は二人で、互いに背を守り、死角をなくし、弱点を補い、襲い掛かる魔物の猛威を跳ねのけていく。
カオウスカタツムリの殻が飛ぶ。マジキムトンボの複眼が破裂する。バイモンワニの顎から上が千切れる。ドワーフゾンビの脳みそが飛び散る。グールの背骨が折れる。コボルトの内臓がこぼれる。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
地を揺らす音がして、魔物もベビーイーグルも林道の坂の上に目をやる。
「ちょっと何よあれ!?」「聞かされていないが、いつものアレだ!」
巨大な雪玉が地響きを立てて転げ落ちる。
「なんちゅうデカさじゃ!手加減なしかい!!」「……躱さないとみんな死ぬ!」
下敷きになった魔物はあっけなく押しつぶされ、白い球面を赤く染めていく。
ズズン。
雪玉が意思を持っているかのように突如止まる。
プシュウウウウウーッ!!
周囲の視界の一切を奪う雪煙を鋭く噴射すると、ただちに雪玉は立方体に変化する。
「エホッ!エホッ!……容赦ないわよね、アスカちゃんてホント」「ふう、ふう……やると決めたら徹底的なのが主の流儀だ」
ズ。ズズズズズ……
「……何か、始まる?」「今度は雪崩じゃ!のみ込まれたら一巻の終わり!!」
立方体が壮大に崩れ出す。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………
四面体になるまで崩れる表層雪崩が、一切合切に襲いかかる。
防御も攻撃も意味はなく、全てはただ雪の中に呑み込まれていく。地面も樹木も魔物も岩もお構いなく、白い悪魔が牙を向く。
シュー……
雪崩に呑み込まれたベビーイーグル四人の周囲の雪だけが溶ける。
〈こっちは魔物を見つけた。あとの残りはたぶん街の中にいる。シクヨロ〉
魔女の交信を溜息まじりに聞く四人。
急ぎ雪崩から脱出し、リンガエンへの〝元〟林道をとにかくひた走る。
「夜空が、戦場のように赤い」「ほんと、懐かしくて吐気のする臭いね」
「間違いなく魔物がおるぞこれは!」「……木と人が、燃えるニオイ」
重くなった雲がとうとう泣く。
小雨が降り始める。
その湿った夜の暗闇が赤く染まる場所がある。その赤い闇へ向かって四人は走りに走り、とうとうリンガエンに到着する。
ゴオオオ……
「遅かったじゃねぇか」
舞い上がる火の粉。燃え上がり、崩れ落ちる家屋。
「……」
虚ろな眼でぼんやりと二列に立ち並ぶ裸の少年少女たち。
ドシュッ!
夢遊病者のようにふらふらと移動した少女一人の鳩尾にダガーが突き刺さる。心臓と肝臓が引き出され、それを魔物が食らう。少女は怯えることもなくそのまま放り捨てられる。
オアアアア……ムシャムシャムシャッゴキゴキムシャムシャムシャムシャ……
控えていたグールとゾンビに貪られ、わずかな体液の痕だけを残して消える。
「待ちくたびれて腹も一杯だ」
ザシュン!
同じくふらりふらりと歩いてきた少年の首がすっ飛び、切り口の胴体に突き刺さる一本の触手。
ズキュウンッ!!
大きな吸引音のあとに、首のない少年はフルフルと痙攣したまま干からび、そして魔物の胸から生えた触手にやはり、捨てられる。
ムシャムシャゴキゴキン、ムシャムシャムシャムシャゴキゴキゴキ……
生首も、首を失った胴体もまもなくグールとゾンビに貪られて跡形もなくなる。体液の痕すら残さず。
「「「「……」」」」
人間を文字通り食い物にする魔物たち。
通常なら戦慄して立ち尽くすしかない状況。だが、
「止めるなよハーバー」「何言ってんのよグウェイ。私が殺るわ」
「年端もゆかぬ子どもらを……許せん!!!!」「……全部殺して殺る」
ベビーイーグルは違う。
首の後ろの毛が逆立つ。一瞬のうちに恐怖は消え、強烈な憤怒に塗り潰されている。
「誰が誰を殺るだってぇ?」
触手一本で吸血していた魔物が椅子にしていた死体から立ち上がる。触手が胸に引っ込む。灰色で筋肉質の身体は傷だらけ。赤の短髪。青い角膜に白い瞳。
名はクヌート・ダクシャ。
クヌート・ダクシャLv68(魔物)
生命力:8000/8000 魔力:5000/5000
攻撃力:20000 防御力:1500 敏捷性:8000 幸運値:50
魔法攻撃力:7000 魔法防御力:3000 耐性:火
ダクシャ兄弟姉妹の三男。隣で子どもの心臓を喰らう次女のアンボニー・ダクシャと同じく近接戦闘を得意とする魔物。
「お前らはただの餌だ。こいつら人間と一緒。あの夜の霧の中に紛れていたクソ野郎をおびき寄せる餌だ。そのクソ野郎はお前らの仲間だろ?」
クヌートがそう言うと、皮膚に血管を浮かべたアンボニーが手の中の心臓を握り潰す。灰色の血まみれ顔はけれど笑い、ピンクのレイヤーカットが揺れる。
アンボニー・ダクシャLv65(魔物)
生命力:7000/7000 魔力:7000/7000
攻撃力:15000 防御力:1000 敏捷性:4000 幸運値:100
魔法攻撃力:3000 魔法防御力:2000 耐性:水
心臓を抜いた子どもをアンボニーがベビーイーグルめがけてぶん投げる。
ドムッ。
グウェイがかわさず、子どもを受け止める。そこへ襲い掛かる空腹のグールとゾンビ。
ブオンッ!!
フランチェスコが消え、次の瞬間には二体の魔物の首が、宙に浮くフランチェスコの両脚で挟まれている。
「そりゃっ!!!」
ドゴンッ!!
前方に倒れた時には魔物の首がありえない方向に曲がっている。その名もフライングヘッドシザーズ。
「ほらほらあ!イキが良くて可愛くて可哀そうな人間のガキどもだぜぇ!!」
アンボニーとクヌートが笑いながら次々に子どもたちを投げる。投げた時には既に首を刎ねられ、心臓を貫かれ、蘇生の余地がない。
それでもグウェイは受け止める。
「きぇあああっ!」「……滅!!」「この弩腐れどもが!!」
ブチ切れたハーバーの鎌が狂い踊り、カリオストロのムエタイが炸裂する。グールとゾンビが玉のように冒険者二人から弾かれる。それでもグウェイがそっと下ろした死体にたかろうとする魔物を、フランチェスコの技が粉砕する。
ウウウウウウウウ………
少年少女を食い、死体を投げつけることで時間を稼いでいた魔物二匹が、〝術〟を終える。
「鎌野郎と尻尾野郎、お前らの相手はこの俺様がしてやるよ」
全身が桃色に染まり、筋肉を脈動させたクヌートが二人に手招きをする。
「お前ひとりで相手が務まるのか?」
死体を地面に下ろして立ち上がったグウェイが怒りに満ちた目をクヌートに向ける。
「俺一人?」
ビグンッ!!
「「!?」」
グールとゾンビの死骸が激しく痙攣する。中から黄金の光が零れ出し、その体を覆っていく。光はサソリのような形をして蠢き、死体を覆い、あるいは食いちぎっていく。横たえたばかりの子どもたちの死体にもそれは入り、子どもたちを変異させていく。
「油デブと腕ナシミノムシはアタシが殺してやるよ!!」
血まみれのアンボニーの両乳房が破裂し、それぞれ腕が生える。肩甲骨の内側から剛腕が二本生える。もともとあった腕がしなやかに伸びて、指が腕を上回るほど長く伸びる。
アンボニー・ダクシャLv65(魔物)攻撃力・防御力補正付与。
生命力:7000/7000 魔力:7000/7000
攻撃力:20000 防御力:6000 敏捷性:4000 幸運値:100
魔法攻撃力:3000 魔法防御力:2000 耐性:水
キュエエッ!エエエアッ!!
グールと死んだばかりの人間の子どもの頭が破裂し、黄金のオオムカデが生える。噛みつかれそうになったフランチェスコとカリオストロが攻撃をかわす。そこへアンボニーの乳房から生えた手が握るペシュカド二本が襲いかかる。
「ふんっ!」
瞬間的にアンボニーの元から生える腕と首をとったフランチェスコが三角締めと腕ひじきの合わせ技、スネークリミットを放つ。
「効かねぇんだよ!んなもん!!」
靭帯があまりに軟らかすぎるアンボニーにはしかし、関節技が効かない。毒塗りのペシュカドで皮を切り裂かれ、背中から生えた剛腕でぶっ飛ばされるフランチェスコ。
「しぃ!」
わずかに屈んだアンボニーの太腿を踏み台にして顔面に膝蹴りを放つカリオストロ。「満月」。
「なんだそりゃあ?」
しかしそれもアンボニーの伸びた長すぎる腕で防がれる。しかもつる植物のように伸びた指がカリオストロの首と足首にからみ、へし折ろうとしてくる。
「とうりゃっ!」
隙を突いてアンボニーの背後に回ったフランチェスコが瞬時にアンボニーをリフトアップ。ブリッジを利かせて後方に叩きつけるブロックバスターでカリオストロが絞殺地獄から脱出する。
ガフンッ!!
脱出したところへ黄金ムカデを頭に生やしたグールと子どもたちのギロチン顎が襲いかかる。地面も石材も木材も関係なく一撃で砕く強さの顎。
「しぃあっ!」
それを掃うカリオストロの爪先蹴り「冬荒」。
ゴッ!
「ううっ」「ちっ」
とはいえグールが最初から手にしている武器までは防ぎきることができず、フランチェスコもカリオストロも内臓にダメージを負う。
「あっちは相性が悪いわね!」
鎌を振るうハーバーが相手するのはドワーフゾンビ。
ただし短足短腕の骨は断裂し、黄金がそこを補強する。筋肉はそのままで強度と速度を増したスマートなドワーフゾンビの猛攻を鎌と体術で防ぐ。
「こっちもいいとは言えんがな!」
左手の童子切安綱と尻尾で躱し切れなくなったグウェイが三本目の武器を転移魔法で召喚する。すなわち宝具「七支刀」。
「ケヘヘヘッ!ナマクラを何本用意したって無駄だぜぇ!」
クヌート・ダクシャLv68(魔物)攻撃力・俊敏性補正付与。
生命力:8000/8000 魔力:5000/5000
攻撃力:28000 防御力:1500 敏捷性:14000 幸運値:50
魔法攻撃力:7000 魔法防御力:3000 耐性:火
三刀流の尾鬼人族の武士の相手をする魔物クヌートの全身の筋肉が大きく拍動する。上腕と下腕、腿と脹脛、胸と腹そして頭。合計十一か所に搭載された心臓が全身の血流を高速で流し、莫大な筋力と暴力を生む。
ガキィーンッ!
極限まで集中したグウェイの七支刀が魔物クヌートの両手剣エルシードのソードブレイクに成功する。
ズビュルッ!
その次の瞬間にはエルシードの破片はクヌートの手から出血したおびただしい血糊でくっつき、何事もなかったかのように振られ、グウェイの鎧を肉ごと削ぐ。斬撃を受けたグウェイの傷口が燃え上がる。
「ぐっ!」
(血液と火の魔法剣だと!?)
「チューリップ・ヘーゼルナッツ!」
ハーバーの鎌が紫に光る。
魔剣「ナハトケルヒェ」が所有者に呼応し、薙ぎ払った鎌から光だけが高速で離れる。光は円盤のように回転しながらドワーフゾンビを豆腐のように切断し、魔物クヌートの右脚を斬って森に消える。樹木が倒れる。避難していた鳥たちが雨空に逃げる。
ブオオオンッ!!!
切断された魔物クヌートの右脚から血液が超高圧で噴きだす。脚がその場から消える。
ドゴンッ!!!
「はおっ!?」
ロケットキックがハーバーの腹部に直撃する。臓器が潰れかけてハーバーが大量吐血する。血を噴射した魔物クヌートの脚が血を辿り、持ち主の元へと戻る。
「大丈夫かハーバー!!」
グウェイはハーバーの無事を確認するために怒鳴るも、助けに回れない。背を向ければクヌートの超高速剣でぶつ切りにされてしまう。
「ぐふっ……どうってこと、ないわよ」
口元の血を拭い、蛆のように湧き何度でも立ち上がる黄金交じりのドワーフゾンビを迎え撃つハーバー。
「ゴージャスなゾンビね。さすがゴールドラッシュ」
身体の節々(ふしぶし)が黄金に輝く継ぎ接ぎドワーフゾンビ。
頭部だけが黄金のバケモノになったムカデグールとムカデ人間。
そしてその集団とともにベビーイーグルを追い詰める、ダクシャ兄弟姉妹。
魔王傭兵隊の一つ。暗殺のプロ集団。
((こいつらじゃ役不足。早くここに来やがれクソ野郎))
ベビーイーグルを人質としか思っていない魔物クヌートとアンボニーは、兄弟のもう一匹が〝クソ野郎〟を自分たちの所までおびき寄せるのを、余力を残して待つ。
(ひるむな!)
その魔物は今、雨の森の中で〝クソ野郎〟と戦っている。
ゴロロ……オオオ……
雷が鳴る。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
魔物ロロノア・ダクシャ。
ダクシャ兄弟姉妹の中でもっとも大量の寄生同時支配に長けている魔物は今、暗い森の中で必死に逃げ回る。
「ヴォアアアアアアッ!」
ロロノアを守るべく、黄金の翼を生やしたコボルトゾンビがハエのように森の中を縦横無尽に飛ぶ。人狼型の魔物が牙をむく。爪を振り回す。吠える。羽ばたく。
ズドドドドドドド。
「キャウンッ!」
氷の釘が暗闇から飛んできて、コボルトゾンビの頭部と心臓を打ち抜く。
ドロロロロンッ!ドロロロオンッ!ズドドドドドドドドドドドンッ!!
コボルトゾンビが次々に木に打ち付けられる。
カシュ。カシュ。カシュ。カシュ。
コボルトゾンビを撃ち抜いてまわる〝クソ野郎〟の歩く先には常に霜柱が立ち、魔物ロロノアに〝クソ野郎〟が「接近している」ことを伝えてくる。
「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア」
心臓と血液を自在に操る魔物クヌート。
腕指と靭帯を自在に操る魔物アンボニー。
彼らと同様、体の一部、とくに骨を自在に操れる魔物ロロノアは内骨格だけでなく外骨格まで装備して〝クソ野郎〟の襲撃に備える。
カシュ。カシュ。カシュ。
ロロノアが強く念じる。
コボルトゾンビだけでなく、切り札のガネーシャゾンビも繰り出す。元象人族の魔物はロロノアによって体内の酵素をいじられているため生前よりもはるかに機敏に、しかも捨て身の攻撃を〝クソ野郎〟に仕掛けられる。
ズドドドドドドドドドドドドンッ!!!!!!
けれど〝クソ野郎〟は慌てることもなく対処する。
ツインドラムマガジンのついた釘打ち機を両手に装備した〝クソ野郎〟の足は枝に張り付き、幹に張り付き、宙を舞い、氷の釘を四方八方に打ちまくる。
(ひるむな!ひるむな!)
釘打ち機を握る〝クソ野郎〟の頭部はまるでウニ。
棘皮動物の雲丹のように中心の球体から氷の棘が放射状に伸びている。
ズブシャンッ!!!!!
その頭部の氷の棘が一斉に消える。
樹木も岩も大地も穿つ氷柱が音速を超えて飛び、コボルトゾンビもガネーシャゾンビも外骨格で守られたロロノアの心臓をも刺し貫く。
「ハッ、アッ!」
魔物ロロノアの膝がとうとう崩れる。木の根元に尻をつく。
「み~つけた」
氷のヘルメット「黒クマ危機一髪」を解除した〝クソ野郎〟の霜柱を踏む音が止まる。震えるロロノアが恐る恐る見上げる。
「こんちは」
ズドドンッ!!
ゼロ距離で釘打ち機から釘をロロノアの目に発射した魔女が挨拶をする。
「ゲアアッ!!」
両目に15センチの氷釘をいきなり打ち込まれたロロノアが絶叫をあげながら転げまわる。
「大丈夫?」
降りしきる雨の水が魔物ロロノアを包み込む。陸の上で酸素を奪われ、窒息寸前に追い込まれる。
「今日はいい天気やね」
氷結の魔女、黛明日香。
魔女にとって雨は戦闘を有利に運べる絶好の機会。
「じゃあ尋問を始めよっか」
魔物ロロノアの穴の開いた胸に水が染み込む。移動する。腕の付け根と足の付け根の組織に水が溜まり、氷結する。ミチミチと千切れる。
「君はどこの誰で、うちらの誰に用があって、何をするつもりかな?」
ロロノアの口を覆っていた水が消える。ようやく呼吸を再開できる魔物。
(ダメだこいつ、強すぎる)
「人を待たせてるから早く答えてくれへんかな。次は内耳を潰すで」
ロロノアの耳の中に水がゾブゾブ入り、鼓膜を破る。渦巻き管内のリンパ液が氷結しはじめる。それでも骨振動で脳に直接質問を繰り返し聞かせる魔女。
(兄さん、姉さん、クヌート、アニー……ごめん)
「シネ……バケモノ……」
「はぁ?国民的美少女にむかってウヌは何抜かしとんね……」
ドゴオオオオオオオオオンッ!!!
巨岩が突如、周囲の樹をなぎ倒しながら魔女のもとに突っ込む。あまりに突然の出来事で、魔女は魔物ロロノアを解放してしまう。
(いったい何?)
空が光る。稲妻が空を裂くように落ちる。立て続けに同じ箇所に落ちる。
サー……
大雨の中、同じ箇所に何度も落雷が起きるせいで、魔女には雷が自分に向かって歩いてきているように見えた。
ムゥゥゥ……
「……」
目の中に表示されたステータスとパラメーターのせいで、この日初めて、魔女の身体から血の気が引く。
ナ号計画追跡型グレムリン:Lv144(機械生命体)
生命力:500000/500000 魔力:0/0
攻撃力:40000 防御力:80000 敏捷性:2000 幸運値:0
魔法攻撃力:0 魔法防御力:56000 耐性:闇属性、光属性
特殊スキル:機械浸食
鼠人族のような顔立ち、ただし鬼人族を一回り大きくしたような図体。それがトレンチコートを着て、魔女の方へと近づいてくる。走ってはいないが一歩一歩が大きいため距離はたちまち詰められる。
(パニョルジュ鉱山の時と同様、出現するまで一切の気配なし。……敵の順位をレベルⅣと認定)
チャキ。
既に釘打ち機を消し、モーゼルC96を召喚して照準を構えている魔女の髪は黒ではなく、金。赤く光った瞳が氷結の魔弾を次々に撃ち始める。
ガスンガスンガスンガスンガスンッ!!!!
グレムリンは高い金属音を上げながら魔女の魔弾を全身で受け止めつつ、歩みを止める。
ドスン。ビシシシシシイイイイイイッ!!!! ボオオオオッ!!!
グレムリンの拳をぶち込まれた樹木に電気が流れ、発火する。
その樹をへし折り、持ったまま歩き出すグレムリン。
「マジかいな」
ドオオオオオオンッ!!!
グレムリンが大きく振り上げた燃える樹木が地面に叩きつけられる。魔女が宙に逃げる。魔女の予想通りに大地の雨水に電気が流れ、十数本の樹木が一瞬にして炸裂する。
「ウアア……アアア……アア……」
地面に倒れていた魔物ロロノアが風前の灯火の声をあげる。
「……」
グレムリンは魔女に視線を送るのを止め、魔物ロロノアの方へ近づいていく。
(嫌な予感がする)
魔女の体に寒気が走る。銃の引き金を引く。
ガスンガスンガスンガスンガスンガスンガスンッ!!!!
氷結魔弾を打ちながら魔女はグレムリンとの距離を詰め、バイヨネットで首を刎ねる。
ガキンッ!!
とはいかない。首をあきらめ、連撃でバイヨネットと魔弾をグレムリンの目に打ち込もうとする。
バシシシシシシイイイイイイイッ!!!!
焦りが、魔女の体内に電気を流してしまう。純水絶縁が間に合わず、グレムリンの放電をもろに食らう。
「!」
ドスンッ!!!!!!!!!!!
全身が僅かな時間麻痺し、その隙にグレムリンの強烈なボディーブローが魔女の胴にめり込む。水の膜で体表面を守ったにも関わらず衝撃は逃し切れず、あばら骨を二本折られ、魔女が吹き飛ばされる。
「……」
何事もなかったかのように、魔物ロロノアの頭をつかんで持ち上げるグレムリン。
ビシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ……
「アアアアアアアアアアアアア……」
超大量の電流が魔物の魂核を汚染する。魔法の使い手が魔法になるほどの電気が魔物に流される。
バシュウウウウウウンッ!!!!
「弱すぎるぜ。もう終わりにしようやゴミども」
農業都市リンガエン。
姉ティーチと弟ロロノアの用意した兵ウツセミと自身の能力で追い込んだ冒険者グウェイとハーバーに、もはや引導を下すつもりでいる魔物クヌート。
「ふう……そうだな」「暑苦しい男とのデートは正直もうごめんよ」
ボロボロの冒険者二人は今、十一個の心臓を連携して動かせる魔物の息の根を止めるべく、武器を構え直す。
「もう殺すのかよ?じゃあこっちのデブとウデナシだけ拉致ってもっと拷問してやっかぁ」
ウツセミを排除したものの、関節技が効かず、リーチも腕の本数も魔法も長けた魔物アンボニーに翻弄される冒険者フランチェスコとカリオストロ。
「オナゴにヒイヒイ言わされる日が来るとはのお」「……魔物、超ムカつく」
(ロロノア……何してる)(どこで油売ってやがんだロロノア兄)
戦闘狂の兄クヌートと殺人狂の妹アンボニーは争いの愉悦に浸りつつ、一抹の不安を覚える。
((まさかクソ野郎に))
ドオオオンッ!!!!!
あまりに突然。
氷の塊が砲弾のように跳んできて、リンガエンの地に弾まず落ちる。
「……」
氷の塊はけれどすぐに凝結をほどき、何事もなかったかのようにクレーターの中からゆっくりと立ち上がる。湯気を上げつつガチャガチャと歯車の回転する音を響かせながら、飛ばされてきた方角に顔を向ける物体。
「「「「「「?」」」」」」
ベビーイーグルの四人とダクシャの兄妹が立ち上がった物体を見る。
「ヴァルトシュタイン……」
クレーターの中に立ち、腕を伸ばすグレムリンと、
「アパッショナータ!!」
曇天を刺し貫いて現れ、時計塔ほどもある氷柱をぶつける魔女。
ヒュドオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!
その衝撃波だけでリンガエンの雨水という雨水が吹き飛ぶ。氷柱を片手で受け止めたグレムリンの足下のクレーターが広がる。
ガシャッ!シュウウウウウウッ!!!!
魔女の背になびく五線譜の長光が氷柱にとびこむ。
巨大氷柱内に亀裂が走り、それに触れる魔女から流れ出た光る血液が亀裂を伝い、瞬時に氷柱の頂点に達する。絶対零度まで冷やされた魔女の血液がグレムリンの掌に注入される。
ゴシャンッ!!
氷柱を止めていたグレムリンの右手が粉砕する。手のひらを失ったグレムリンの腕が青白く光りながら帯電する。傷だらけの魔女が純水球をベビーイーグルの四人に急ぎぶつけて飲み込む。
ビシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!!!!!!!!!
氷柱が気化する。雨粒も雨雲もリンガエン上空から消える。
雨で湿りに湿っていたリンガエン周辺の森が一瞬で乾き、炎熱する。
大電流が地面に漏電し、感電したクヌートとアンボニーの全身のイオンの電荷がチャージされプラズマ化し、身体が焼け爆ぜる。
「ガアアッ!!」「ケハ!!?」
魔物の兄は十一の心臓のうちの七つが同時に焼裂し、魔物の妹は五本の腕が焼爆する。本能が二匹に、今すぐ全力でその場を離脱するよう告げる。
二匹の魔物はなりふり構わずリンガエンを逃げ出す。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
重力魔法で宙に浮いたまま、肩で息をする魔女が指を鳴らす。
水球が弾ける。感電を免れたベビーイーグル四人が水袋から産み落とされる。
「主!」「アスカちゃん!」「主殿!」「……無事か!?」
「はぁ、はぁ、はぁ……超余裕」
グレムリンから視線を外さない魔女。
「……」
そのグレムリンは山火事を背景に、自分の壊れた腕を見ている。
ビシィ……
地面に落ちていた残骸部品とグレムリンとの間に静電気力が発生し、残骸がグレムリンに吸い付く。
(こいつまーじで強すぎ……)
魔女が半笑いを浮かべる間に、グレムリンの隣に白い煙が生じる。それは徐々に人の形をなしていく。
ビシシイ……ビシシッ!!
「さっキハよくも殺っテクれたネ」
シンセサイザーで作ったような声。ネオンランプのように光る骨。
「そレニ僕の屍鬼魔ヲ壊した仲間モ一緒か」
ダクシャ兄弟姉妹のうち、唯一〝帰らぬ者〟となった魔物の弟。
「リッチー……ではない?」「リッチーよ。でも完全な変異種」
「吾輩は幻でも見ておるのか?」「……さっきの魔物よりアレ、強い」
雨の止んだ赤い闇夜。
(ナ号計画のバケモノだけでもやばいってのに……)
機械生命体が悠然と腕の修復を始める中、
「僕はロロノア・ダクシャ。完全な死神ダ」
自らがエレクトロリッチーとなった魔物が、五人の前に迫っていった。
tonitru