第三部 魚身求神篇 その五
「ゆく川の流れは絶えずして~しかも元の水にあらず~だったか」
アーキア超大陸北東。アーサーベル王国。
「あいつら、もう死んじまったかな」
王国南西の大湖サボアンガに注ぐ大河メルトンの橙に輝く水面を見ながら、着流しの髷男はぼやく。日はとうに大きく傾いている。
フー……
髷男がいるのは軍用路バスク。サボアンガ湖のすぐ西にある交易都市ディポログからパラワン山頂に続く道路上。民間人の立ち入りは禁じられている。
(今頃本国パンノケルは喧嘩祭りで大騒ぎか)
雑草がキレイに狩り尽くされ、ローラーをかけたように整備された土砂の道。
その道の路肩の切り株に腰かけた髷男は巻煙草をゆるゆるふかしながら、超大陸南西部をあれこれ思い出す。
髷男。
星野風太郎。
勇者候補生。
(千載一遇の祭りに参加しねぇとはこりゃあ、人生の途中下車じゃなくて完全下車だな)
今年四十一歳になる戦士は自嘲気味に笑う。
(ワルプルギス。最強の勇者を紹介するための儀式)
勇者を讃えるための大会に加わらない勇者候補生は煙を口の中でじっくり味わう。鼻からゆるゆる吐く。
「下らねぇ出来レースに参加できなくて、心底嬉しいねぇ。そうは思わねぇか?」
星野が首をポリポリかきながら横に向ける。
そこには、夕陽に照らされた二体のゾンビが仁王立ち。
大きさは、身長にして15メートル。体重は一体につき10トンを超える。
象人族。
大陸における超希少種は、アーサーベル王国にとって対魔王戦争の切り札の一つ。
「毎日毎日道路整備と芝生の手入れ、おまけに不審者取締りか。ご苦労さん」
星野は吸いつくした煙草をポイと軍用路バスクに棄てる。
「パオオオオオオッ!!!!!」
ポイ捨てに激怒したガネーシャゾンビがそれまでの沈黙を破り、地響きを立てて星野に向かって走ってくる。
「なんだ、ゾンビになっちまったくせにまだ〝仕事〟するつもりかぇ?えらいねぇ」
中華鍋を背負った男は立ち上がり尻をはたく。
「見上げた根性だ。っつうかまぁ、仕事に人生のすべてを捧げるなんざ、俺には全く理解できねぇよ」
大地を激しく揺らして迫ってくる象頭の巨人を笑う男は、鼻をこすっている。
シュパオンッ!!!!!
一服して切り株からたった男が影のように消えてガネーシャゾンビの背後に立った時には、既にガネーシャゾンビ二体の首は胴から離れて宙を自由落下していた。
ドスドスーンッ!
「マナー違反だったな。吸殻は俺が責任もって燃やしとくよ」
いつの間にか片手に血まみれの中華包丁を握る星野は振り返り、吸い殻に向かって握ったばかりの包丁を横倒しにして投げる。包丁は回転しながら赤熱し、炎をまとい、吸い殻を巻き上げて焼き、それで止まらず落ちたゾウの頭部に突き刺さる。
ゴオオオオオオオオ……
首が激しく燃え上がる。
ムク。
「ん?」
首のないガネーシャゾンビ二人が身体ごと振り返る。星野の目の前で古傷だらけの脚を振り上げる。
ドスンッ!!!
星野を容赦なく踏みつぶそうとする。
「おいおい、いいのかよ。せっかく自分たちで整備した道路だろうに」
星野の声は地面から上がらず、空から降る。
「「……」」
フットスタンプを作った首なしガネーシャ一人の鎧の肩に手ぶらで立っている星野。それを捕まえようと力の限り体を動かすゾンビ。
シュパオオンッ!!!!
星野を肩に載せていたガネーシャゾンビが鎧もろともバラバラに裁断される。既に落ちていた首を焼いていた中華包丁が勝手に残骸から飛び出し、もう一体のゾンビの鳩尾に突き刺さり、〝火元〟となってこれまた全身を焼き焦がしていく。
ドドーーンッ!
サイコロステーキのような斬死体の上にステーキのような焼死体がおっかぶさる。全てが盛んに燃えていく。
フンフンフンフンフン……
中華包丁が回転しながら付着した血肉を飛ばし、星野の右手に戻る。左手に握る中華包丁の血も掃い、星野は二本の四角い包丁を革の鞘に収める。
ォォォォォォォォォ……
「まだやんのかよ、めんどくせぇなぁ」
日が地平線に没する。しかし静かな暗闇は星野の前に、訪れない。
細切れにされ、焼かれた死体二つがグツグツと音を立てて合体する。さらに大きく、燃えるガネーシャゾンビが完成する。
「無口なくせに〝明るい〟ねぇ。ったく、召喚者の子守といい同僚の捜索といい、国宝ゾウさんの世話といい、旧世代はいつもめんどうせぇ仕事ばかりだ。けどまあ」
星野はしまった中華包丁を再び革鞘から出す。彼の周囲をバレーボールくらいの大きさの青い鬼火がフワフワと舞い始める。
「乱痴気血祭で勇者の当て馬にされる新世代よりかはマシだわな」。
5. 黄金狂時代「霧」
アーサービル王国西部。鉱山都市カラミャン。
交易都市ディポログから北北東に約三十キロ離れた高地。
鉱夫の休息と鉱石の一時集積が目的で切り開かれた元山林地帯に、城壁のような確固たる境界線はない。せいぜいクマよけに設けられた、トウガラシとミントを染み込ませた木の杭とそれを結ぶ麻紐が、そこが都市カラミャンの内と外を隔てる境であることを人々になんとなく知らせている。
そんな木の杭に囲まれた鉱山都市の入口門のすぐ外、樹齢の若いクヌギの下で焚火がパチパチと爆ぜる。
午前五時二十分。一帯は先ほどまで霧に包まれていたが、夜明けに合わせるかのように徐々に晴れ始める。日が少しずつ昇り、世界は青から橙に色を変えていく。
焚火の前には召喚者五人と彼らの傷の手当てをする亜人族が四人。
「屍人まではなんとかなった。つっても数が数で、ギリギリだったけどな」
自分の肩の傷口を消毒してくれる尾鬼人族に会釈しながら、種村岳が当時の状況を思い出して伝える。
「そこへ来てまさかの鉱人族のゾンビ……あれ見た瞬間、心臓が止まるかと思った」
重光結は言いながら、自分の腕に包帯を巻いてくれる烏人族に何度も頭を下げる。
「クロスボウの矢にスリングの石。でも一番怖かったのは、爆弾……投げれば爆発するし、爆弾を体に巻きつけて、突っ込んで自分ごと、爆発したし……」
震える照沼花里奈に、蓑虫人族は白湯の入ったカップを差し出す。フラッシュバックする惨劇で頭がいっぱいで、ただカップを受け取り、白湯をすする照沼。どこに焦点を結んでいるのか分からない目のまま、カタカタと震えている。
「マジで死ぬかと思った」
うなだれて言う種村を、気の毒そうに見つめる川戸翔太朗。
「本当!でもその時だよ!トロッコに乗ってね!?」
恐怖に呑み込まれている照沼をどうにか掬い上げようと、重光が声を張る。
「…………最初は新手の敵かと思ったけど……本当に、助かりました」
照沼の焦点がようやく結ぶ。その視線の先には、赤のウルフカット。体脂肪多めの巨漢。
「なっはっはっは!吾輩たちの登場は派手であったろう!!」
亜人族の中でろくに治療に参加せず、胡坐をかいてドカリと座るその油虫人族の男が腕を組んだまま豪快に笑う。
冒険者集団ベビーイーグル。
四人の冒険者はレールの走る鉱石運搬道カリタを、運搬車両トロッコで掛け降り、死地に立たされていた種村、重光、照沼の三人を無事救出した。
「言うだけ野暮かもしれませんが、すごい能力値ですね」
カリタの東にある幹線道路クオラムを通り、勇者候補生星野によって分けられた三つの班の中で一番乗りを果たした第二班リーダー川戸がベビーイーグル四人のステータスとパラメーターに目をやりながら、ほれぼれと言う。
「すごいのはステータスだけじゃない。この冒険者さんがいなけりゃ絶対に俺たち死んでた」
グールを蹴り殺していく蓑虫人族カリオストロの技を思い出しながら種村が付け加える。
「……俺は、グールを狩るのが得意なだけ」
ステータスを見る種村の視線を感じ、謙虚に返すカリオストロ。
「大量のドワーフゾンビがさ、たぶん危険を感じたんだよ!斬られ過ぎて」
「どうだろうな」
背中から生える高硬度の尾と両手の剣の〝三刀流〟で、甲冑で武装するドワーフを甲冑ごと斬り潰していった尾鬼人族グウェイもまた、驕ることなくはぐらかす。
「ふむ。このグッサンの剣技もなかなかじゃが、吾輩の投げ技も見ごたえのあるもんであったじゃろう!」
調子のいい巨漢は二本の腕を組んだまま、もう二本の腕を曲げ、巨大な力こぶをつくる。
「「「はい」」」
ゴブリンの飼う戦車ともいうべき巨虫イワコロガシを一匹ずつ連続パワーボムで破壊した油虫人族フランチェスコがワハハと笑う。謙虚さはないけれど焚火の炎のように明るい人柄で、強張っていた三人の表情も少しずつ解れてくる。
「しかしどうしてまたカラミャンにいたのですか?」
尊敬のまなざしを向ける國本萌の質問に、ベビーイーグル三人が警戒する。
「そりゃもちろん我らがアルジグハッ!!」
グウェイの尻尾とカリオストロの翅が同時にフランチェスコの顔面をパンチし、フランチェスコがひっくり返る。
「すまん。尻尾が滑った」「……同じく翅が滑った」
「私たちは冒険者。お宝とドロップアイテム目当てでソイグル王国から山道を歩いて、黄金の集まるって噂のカラミャンに入ったのはいいけど、魔物どころか誰も居なくてねぇ」
「なるほど!それで交易都市ディポログに最速で向かうためにトロッコのあるカリタ道を降ってきたのですね!」
「そうね。そういうことよ」
國本の質問をまとめる烏人族ハーバーが昼間のカリタ道で相手したのは、グールとゾンビを指揮するリッチー。ベビーイーグル四人の中で一番魔法に長けている亜人族の鎌でなければ屍鬼は裂けない。
「本当に、俺たちは運がよかった」
呟いて、ぬるくなった白湯をゴクゴクと喉に流し込む種村。
「こちらもドロップアイテムが手に入り、来た甲斐があったというものだ」
空になった召喚者たちのコップに白湯を注ぎ入れるグウェイ。
「でも良かったんですか?またわざわざカラミャンに戻ってきて」
川戸の質問に思わず固まるベビーイーグル三人。
(((しまった。それは考えていなかった)))
「な~に!カリタ道で出会ったのも何かの縁じゃ!召喚者様と言えば特別な存在で、魔物からは親の仇のように嫌われておると昔聞いたことがある!おぬしらの傍におれば魔物が現れて退屈せんと思い、血が騒いでついつい戻ってきてしまったのじゃ!」
鼻血を垂らしながら起き上がり、大声でそう宣言するフランチェスコ。
「のう!皆の衆」
グウェイとカリオストロそれにハーバーは苦笑し、大きく頷く。
「「「「「……」」」」」
風変わりな冒険者四人を見つめる召喚者五人は、いつの間にか互いに肩を寄せ合っている。
夜明けを迎えたばかりの朝。
気温は低い。風は冷たい。
グール。ドワーフゾンビ。イワコロガシ。リッチー。
グール。コボルトゾンビ。コボルトチャンピオンゾンビ。リッチー。
種村ら第一班だけでなく川戸ら第二班も、危険な目に遭遇している。
寒くて、怖くて、思わず肩を寄せ合いたくなる状況。
「星野様ーっ!」
そうなっていない例外は二人だけ。一人は、
「一体どこにおられるのですかーっ!!星野様!!」
夜明けまでに鉱山都市カラミャンに到達できなければ不合格といった当の本人星野風太郎がいないことにパニクってカラミャン内をあちこち探し回る召喚者、山野井冬愛。
「おうおう。けっこうおるやん」
もう一人の例外は、都市の外の茂みの中で独り食糧調達をする魔女。
召喚者、黛明日香。
実はベビーイーグル四人の主人。しかしそれは秘密。
太陽が昇ったばかりで体温がまだ低いコオロギは葉にしがみついたまま、氷結の魔女の振り回す捕虫網の中にどんどん捕まっていく。巣に近づかれて怒ったスズメバチは氷結の魔女に襲いかかるけれど、彼女の周囲で体温を急速に奪われ壊れた玩具のように絶命していく。そしてスズメバチの死骸は魔女に自分たちの巣の在り処をたやすく教えてしまう。
「見っけ~」
魔女に見つかったスズメバチの巣は枝からもがれ、兵隊バチは次々に凍死し、残るのは太ったハチの幼虫と巣のみになる。
「ただいまー。星野のおいちゃん来た~?」
荷物を担いだ魔女が召喚者五人の元に戻る。ベビーイーグルは一人の巨漢を除き少し緊張する。
「いやまだだ。というか、黛」
魔女の大きすぎる背荷物が気になった川戸が口を開く。
「明日香、それは一体?」
國本が先に問う。
「これ?こっちはコオロギ。こっちはスズメバチの幼虫」
大きな麻の布袋を二つ担いだ魔女は「よっこらせっ」と言って布袋を下ろす。
「ほう!さすがは我がアルボゴハッ!!」
「ごめんなさい。肘が滑ったわ」
ハーバーのエルボーを顔面に食らい、再びひっくり返るフランチェスコ。
「だ、大丈夫ですか!?」
びっくりして声をかける重光と照沼。
「問題ない。こいつは元プロレスラーだ」「……頑丈だから平気」
目を瞑り「うんうん」と頷くグウェイとカリオストロを種村と川戸は唖然として見ている。
「それで、これをどう調理するんだ?」
黛を誰よりも信頼している國本はもう立ち上がっている。
「みんなお腹減ってるっしょ?だから焼いて食べよ」
魔女の合図で召喚者もベビーイーグルも料理の支度にとりかかった。
午前七時半。
「よう。もう着いてたか」
〝先に待つ試験官〟であるはずの星野が軍用路バスクそしてベイトを抜け、ようやく鉱山都市カラミャンに到着する。
「星野様!!ああ星野様!!!」
料理の支度を一切手伝わなかったくせに料理をモリモリ食らった山野井が星野に駆けよる。
「大変心配いたしました星野様!」
((((お前に心配されるほど勇者候補生は弱くない))))
人のできた川戸と興味のない黛以外の召喚者四人はそう思いながら立ち上がり、常に英雄気取りの〝リーダー〟の背中をつまらなさそうに見る。
「星野様に限って、もしものことなどないとは思いましたが」
(この青年、ステータスが見えるのではないのか?)(言葉を知らない馬鹿ね。言い回しがかえって失礼だと気づかないのかしら)(……喧しくて図々(ずうずう)しい奴、キライ)(なんじゃ、現れたのは男か、女だったらうれしかったんじゃがのう)
ベビーイーグルは、焚火の前でいまだスズメバチの幼虫の串焼きやコオロギの塩炒めを気ままに食べながら、現れた星野とついでに山野井をそれとなく観察している。
彼らは四人とも召喚者ではないため、星野のステータスは見えない。
しかし尋常でない闘気は経験と勘で直感的に分かる。
(すごい血のニオイ。勇者候補生さんは外れクジをちゃんと自分で回収してきた、か)
氷結の魔女はベビーイーグル同様に焚火の前に腰を下ろしたまま、けれど乳鉢と乳棒を使って薬草を黙々(もくもく)とすり潰している。
「わりぃな。歩いてたらついつい眠くなって寝すごしちまった」
それがつまらない嘘であることを魔女は最初から見抜いている。
ベビーイーグルも魔物の血煙を浴びている星野に気づき、嘘だと知る。魔法剣士としての疑いようのない強さを確信する。
「へ?……あ、あははは!そうですよね!さすが星野様!このような場所で独り寝などまさに勇者……」
「川戸!種村!よく無事に到着した!!」
「え、ああ。はい」
突然大きな声を掛けられ、無意識に背筋を伸ばす男二人。
「星野様!カラミャンに一番乗りを果たしたのはわたくし山野井の率いる第二班です!」
「そうか。そんなことはどうでもいい。俺より早く、しかも生きてたどり着けたから両班ともに合格だ」
山野井に顔だけ向けて言うと、星野は気になっていた焚火の方に近づいていく。そこには起立する召喚者四人よりはるかに強いステータスを持つ冒険者の男四人がいる。
星野にはもう顔を向けず、火をぼんやり見ながらホカホカのスズメバチ幼虫をわざと鷹揚に食うグウェイ。
汚れた蓑の一部を引き抜いて火にくべつつ、翅先で掴んでいる薪をゆっくり回し、火加減を調整するカリオストロ。こちらも星野をもう見ていない。
ナイフを革砥で研ぎながら、星野にわざとウィンクを飛ばすハーバー。
ボブンッッ!!!
何気なくひねった屁の音が大きすぎて自分でも驚くフランチェスコと、ネコのように爆音に驚いてフランチェスコを見つめる黛。お互いに目をパチクリさせている二人はやがて爆笑し始める。突然のことに〝構え〟を崩し、つられて笑い始めるグウェイとハーバー。カリオストロだけは必死にこらえるも、肩が笑っている。
「アンタらが助けてくれたのか?」
「「「「「へぇ?」」」」」
涙目になって笑っている四人の男と魔女が、星野に間の抜けた顔を向ける。
隙だらけのようで、一部の隙もない間抜け顔の五人。
(なるほど。レベルの低い召喚者がどうして辺境の地で生き延びられたのか、ようやく分かったぜ。幸運値ってのは存外、馬鹿にできねぇな)
ベビーイーグルと魔女が仲間であることを見抜く勇者候補生。けれどその真の理由までは気づけない。気づけなくてもいいと思えるほど、その雰囲気は明るく、人を愉快にさせる。油断はさせないが。
「そうです。私たちは道中、この冒険者の方々に助けられました」
自分の活躍だけアピールして他を顧みない山野井に対する怒りすら吹っ飛ぶ微笑ましい光景を見ながら、照沼が白状する。
「そうだ、そう言えばそうだ!冒険者に助けられたということはつまり、この試験を自分たちで突破していないということだ!だからお前たちは試験失格だ!種村!お前はリーダー試験に落ちたんだ!」
ブフンッ!!
いまだキレかけていた國本が懐から取り出した面具を落としそうになって驚くほどの〝第二波〟が、焚火の炎をまたも揺らす。
「いかん!〝実〟が出てしもうた!!」
フランチェスコの〝二発目〟に笑い転げる魔女黛。眉をしかめてフランチェスコをどつくグウェイと、跳ねて距離を取るカリオストロ。臭いニオイを手で掃う仕草をするハーバー。
「命の恩人です。この人たち」
もう山野井の言葉など耳に入らない種村も、さっきのカリオストロのようにクスクス肩で笑いながら四人の冒険者を紹介する。
「そうか。クソを漏らしちまって大変なところ申し訳ねぇが、礼を言う」
星野が冒険者たちに頭を下げる。騒いでいた山野井がそれで初めて黙る。
「気にするな。我々は通りすがりの冒険者」
「ベビーイーグルよ」
グウェイとハーバーがとりあえず挨拶する。
「そうか。ところでここいらはちょいと怪しげな魔物連中がウロウロしているみてぇだ。あいにくうちの事務所はケチで冒険者ギルドみてぇに駄賃は出せねぇが、ここのドロップアイテムは全部アンタらに譲る。良かったら俺たちと手を組まねぇか?」
「……〝お前〟に手を貸す必要、あるのか?」
星野の強さが計り切れず、カリオストロが質問を返す。
「手が多いに越したことはねぇ」
取り出した巻煙草を咥えながら、カリオストロの質問をひょいとかわす星野。
「それはもっともじゃ!吾輩も腕が四本あるおかげで尻を拭きながら飯が食える!」
「よし決まりだ、と言いてぇところだが、こういうのは代表者に確認しねぇとな。お前らのチームリーダーは誰だ?」
「そりゃもちろんマフンゴッ!!」
「向こうの葉で尻を拭いてこい」「ウンコ臭いのはごめんよ」「……散れ。ウンコ」
三人の仲間によって茂みの中まで吹っ飛んで消えるフランチェスコ。
「リーダーはこの人だって。それより一服いかがっスか?煙草なんかやめてさ」
グウェイを左手の親指で示した後、魔女はもう片方の手でハーブティーを星野に差し出す。
「……そうだな」
星野は煙草をしまう。
「ありがてぇ。ちょうど体も冷えてたところだ。頂戴するぜ」
立ったまま魔女の茶を受け取り、熱いまま、一気にゴクゴクと喉に流し込む。
(マテ、ジンジャー、ローズマリー、ペパーミント……幸運値だけじゃなくて知識もそれなりにある。人柄もそこの小僧みてぇに意地悪くねぇ。だからきっとこいつの周りには集まるんだろう。俺みてぇに生きる目的はろくに持ってねぇけどそこそこ腕の立つ奴らが)
「ごちそうさん。今までの人生で一番うまかった」
「だったらもうちょっと味わって飲んでくだせぇ。疲労回復にいいんスよこのお茶」
「黛!それなら俺たちにもそのお茶を飲ませるべきだろう!」
ベチャ。
「おおっとすまん!思わず手が滑ってしもうた!!」
出した分軽くなったフランチェスコからの茶色い最悪の贈り物を顔面に受け取った山野井は発狂したように叫びながら地面をのたうち回り、結局、井戸水を汲んでおいた川戸と種村に介抱される。その間に一同は片づけを済ませ、街の中を捜索する準備を整える。
鉱山都市カラミャン。
アーサーベル王国の首都マスバテが把握している最新の調査書によれば人口は約二千。ただしアーサーベルに戸籍登録のない流れ者がそのまま居つく場合も多く、実質的にはさらに五百ほど多い。そして人口構成は、そのほとんどが労働力であり貧困から抜け出せない奴隷身分のドワーフとコボルト。そして彼らを支配する富裕層の人間族が一部。
しかし今、そのドワーフもコボルトも、そして人間もいない。
家畜もおらず、全てはもぬけの殻。
「……」
その綺麗な廃墟となった街の路地を歩いていた勇者候補生の星野が、民家の一つを通り過ぎようとして、足をはたと止める。後ろを歩いていた召喚者六人も足を止める。魔女黛のさりげないハンドシグナルで、一緒に行動しているベビーイーグル四人も止まる。
(花壇に赤鉄粉がある)
魔女は土の変化に気づく。
(どの民家の花壇にもなかった成分。……儀式用か。メッセージに使われてる)
「たくよ、脅かしやがって……」
星野が首をガクリとさせて深いため息をつく。ニヤリと笑う。元の姿勢に戻り、歩き始める。けれどその足取りは軽く、早い。
「星野様!?どうかなさいましたか?」
「ん~?」
山野井の質問に星野が反応する。
「山野井」
「は、はいっ!!」
苗字を呼ばれることすらしばらくなかった山野井はそれだけでも興奮する。
「それと川戸、種村」
その苗字を聞くだけで苛立つ山野井。
「三人は今から俺についてこい。行先は八キロ先のスルポルナ鉱山だ。これが最終試験だ。最後まで耐えられた奴を真のリーダーに任命する」
「そういう話なら結構ですお断りします」とは言えない川戸と種村は仕方なく「はい」と答える。嬉しくて「はい!!」と溌溂に返事する山野井。
星野が走る。召喚者の男子三名がそれに続く。
(なるへそ。そういうことかい)
事情を理解した魔女がやはり魔法を使わず指と手でベビーイーグルにそっと指示を出す。ベビーイーグル四人が星野の後をすぐに追う。
「あれ、冒険者の人たちまで行っちゃった」
「ついていった方がいいのかな」
心細そうにする重光と照沼。
「星野さんとみんなは、何をしに向かったのだろう?」
「さあね。そんなことよりムサいおっさんも、男子も、顔面ウンコもいなくなったから久しぶりに女子トークしよ!」
リュックを下ろし腕を上げて伸びをする魔女の提案に、目が点になる女子三人。
「じょ、じょしとーく?」
「そ。家に火を付けて回りながら」
「はぁ!?」
ストレッチを続ける魔女の言葉に三人はさらに混乱する。
「家の竈の火を起こす。鉱山に避難していたみんなが帰ってきて、すぐにご飯を作れるようにさ」
ストレッチを終えた魔女はそう説明して三人に優しく微笑む。
「「「……うん!」」」
重光、照沼、國本の三人は異世界にいることも忘れ、魔女にベタベタくっつきギャイギャイ騒ぎながら家々を回った。
昼過ぎの午後二時。
「あっ、本当にみんな帰ってきた!」
「ずいぶんたくさんいて、良かった」
各家庭への水運びと火おこしそして湯沸かしでヘロヘロの重光と國本が、顔をあげてとりあえず喜ぶ。
ガス欠召喚者女子の集う場所は、ナディアード広場。
鉱山都市ディポログで一番広いスペース。通常であれば昼は交易都市ディポログから運ばれてきた品々で市が立ち、時には集会が行われる広場。
「おい!俺たちの家の煙突から煙があがってるぞ」「どういうこと?」
「誰かが火を起こしてくれたみたいだ」「あそこにいる若い娘たちじゃないの?」
人々のざわめきの前を進む星野。そしてその横を歩くのは別の勇者候補生。
「鈴久名……何て読むのかな。あ、でも勇者候補生って、見える」
山に死体が多いせいで集落の空を飛び回るたくさんのカラスを黛に言われてヘトヘトになるまで射落とし続けた照沼が、眠い目をこすりつつ黛に言う。
「んだね。心強いのが戻ってきてよかったやん」
運ばれずに広場に残っていた石材の一つに腰を下ろし、木の枝でピカピカの腸をカラスから引っ掻きだし、羽のついた皮ごと剥き続ける魔女は鉱山から戻る集団を音で観察する。
互いに抱き合いながら涙する人間族。鉱人族の男女。狼人族の親子。
母と子。老人と孫。
歩けない病人の主人に仕方なく肩を貸す奴隷。
幼子三人を大盾に載せて肩で運ぶ川戸。
若い病人一人を背負う種村。
鼻をつまんで悪臭に耐えている少女を意気揚々と抱きかかえる山野井。
解体したイワコロガシの頑丈な装甲に五人以上の人をのせ、担架代わりにしてそれぞれ運ぶベビーイーグル四人。
(ざっと見積もって三百か)
腸と皮を捨てて魔女が立つ。
カラスの黒い羽根が舞う。
さりげなく瞬時に洗浄したその手には三本のハイパーポーション。
「おっつー」
飲まざるを得ないよう蓋を既に開封し、召喚者女子三人に有無を言わさず渡した黛は星野のもとに歩いていく。
「オス。おつかれっス」
「おう。わざわざ火を起こしてくれてたみてぇだな。湯のニオイもするな」
「あの三人が超がんばってやったんだよ」
「そうか。それでお前だけはカラスの下処理か。羽根が体中にくっついてっぞ」
「カラス肉なんて固いレバーみたいであんまし美味しくないと思うけど、山籠もりで腹ペコの人たちが食べたらちょっとは腹の足しになるかなって思って」
魔女は答えながら体にくっついているカラスの羽根をパッパと掃う。イワコロガシの担架を運んでいる一人の烏人族の悲鳴と卒倒する音が聞こえる。
「まったく、何から何まで気の利く召喚者様だ」
そこまで言うと星野は隣に顔を向ける。星野の合図に気づき、軽くうなずく女。
「申し遅れた。私の名前は鈴久名杏南。アントピウス聖皇国からあなた方より先に派遣された戦士だ」
魔女はチラリと女のステータスを確認する。
鈴久名杏南Lv73(勇者候補生)攻撃力&魔法攻撃力補正。
生命力:4221/7000 魔力:5331/12000
攻撃力:9000 防御力:4000 敏捷性:1600 幸運値:100
魔法攻撃力:11000 魔法防御力:7000 耐性:風属性
特殊スキル:鎖武威
「星野さんと言い鈴久名さんと言い、メッチャ凄いステータスじゃないッスか」
「当たり前だ黛!失礼なことを勇者様たちに抜かすな!」
住民を運び終えた中から、山野井がズカズカ近寄ってきて叫ぶ。鼻をつまんで嫌そうな顔をしながらシッシと手を動かす魔女。
「ステータス?ああ、そうか。召喚者は私たちと同じでステータスやパラメーターが見えるのね」
攻撃的な赤いコーンロウの髪型の女戦士は疲れた姿でも笑顔を浮かべる。
「ステータスなんてそんなにあてにならないわよ」
「そうなんスか」
「そうそう。俺たち年寄りなんて特にな」
「ちょっと。私まだ三十四歳だから。年寄り扱いはよして」
「そうだな。〝俺たち〟の場合、年齢は関係ねぇな。要は生きてるか死んでるか、それだけだ」
「……」
鈴久名は何も言い返さない。笑顔が再び疲労に沈んでいく。
星野はそんな鈴久名を放って、川戸と種村、それにベビーイーグルに礼を言いに動く。気持ちを切り替えた鈴久名も約三百人の住人に自宅待機の指示を出す。
「救助に来てくれたこの方たちが、すでに皆さんの家の竈の火を起こしてくれています!すぐに家に戻り、冷えた体を温めてください!!」
歓声が上がり、涙が流れ、抱きしめ合い、自分たちの家にヨロヨロと戻っていく人々。
カラミャンから北東にあるスルポルナ鉱山からどうにか降りてこられたのは都市カラミャンの生き残り住民。
人間族240人。コボルト27人。ドワーフ34人。
垢まみれ煤まみれ泥まみれの彼らは召喚者と冒険者と勇者候補生に篤く礼をいい、魔女によって加工されたカラス肉を受け取り、各々の家へと戻っていく。
「広場の奥に集会場があります。皆様は落ち着くまで、あちらでお休みください。あとで、ささやかですがおもてなしのご馳走をもって皆でうかがいます」
最後まで広場に残った若い男が星野と鈴久名、ついでにその場に腰巾着のようにしてくっついて居た山野井に頭を下げて言う。
男の名前はワエダイマン。
都市カラミャンの若き市長はそう言い残し、カラス二羽を受け取った妻とともに自分の家へと元気よく去っていく。
「疲れた。積もる話もあるし今後のこともある。お言葉に甘えて屋根の下で休ませてもらおうじゃねぇか」
星野が集会場の玄関に先に上がろうとする。
「おっと、お前らは来るなよ」
「「「「?」」」」
鈴久名そして召喚者の男子三人に星野が言う。
「井戸水でクセェ体を洗うまではな」
「よく言うよ。自分だって泥饅頭みたいなニオイのくせに」
歯に衣着せぬ娘の言葉がポンとすっ飛び、思わず鈴久名が振り返る。作業中の魔女を見る。
黛明日香Lv15(召喚者)
生命力:560/600 魔力:430/450
攻撃力:200 防御力:200 敏捷性:80 幸運値:900
魔法攻撃力:200 魔法防御力:200 耐性:水
特殊スキル:止血
修道士の恰好なのに、腰には鞭。たすき掛けでまくり上げた服の袖からのぞく両腕は、体の中まで洗ったかのような澄んだ肌色。それが疲労回復した重光、照沼、國本と一緒にカラスの腸と皮を麻袋の中に片付けている。
「アスカッち。聞こえちゃうって」
「泥饅頭ではなく、せめて煙草ヤニ臭加齢臭にした方が良い気がするぞ」
「萌ちゃん。それマジでアウトだから」
「だって臭いじゃん。ウンコほどじゃないけど」
「そう言えばウンコ投げる人って私初めて見た!」
「動物園のチンパンジー以来だな、私は」
「ウンコを顔面で受け止める人も初めて見た~」
「「「そんなのこの世で一人しかいるわけないじゃん!キャッハッハッハッハッ!!!」」」
茶色の瞳。リップを塗ったような艶やかな唇はベージュとピンクの中間色。黒髪のシニヨン。
その魔女のまわりで召喚者女子が笑う。かつての女子高生たちが笑う。
「……」
「どうした星野?」
魔女たちの星野を恐れぬ悪口が可笑しくてつい笑ってしまう鈴久名。山野井は自分のことを馬鹿にされていることに気づき腹を立てるが、それより星野が機嫌を損ねてどう出るか分からない恐怖で混乱する。山野井を警戒しつつも、懐かしい学校の休み時間のような光景を目の当たりにして束の間、我を忘れる川戸と種村。
「すんすん……そんなにクセェか。仕方ねぇ。こうなったら全員で水浴びだ!」
元高校生の女子トークがきっかけで、男も女も冒険者もそれぞれ空き家で水浴びすることになった。
「ハイエナ?」
ナディアード広場集会場。午後五時。広場は既に霧に満たされている。
「そう。あれはここへ調査に入って二日目の晩のこと」
集会場にはテーブルが二つ設けられている。
テーブルの大きさも並べられている料理も同じ。ただし片方のテーブルはベビーイーグルの四名。もう片方は勇者候補生二人&召喚者七名という具合に窮屈。
「この街は年がら年中、日が暮れると朝まで霧が発生するの。特に深夜にかけては霧が濃くて、コンデンスミルクみたい」
「そりゃまた濃厚そうだ」「カリタ道を登って来た夜も霧は見ました」「クオラム道もです。霧が発生して先が見通せず、正直恐怖を覚えました」「俺はこんな奴らとは違ってそんな霧は平気でしたよ!」「疲れて見張りもせずに寝てたんやからそりゃそうやん」「なんだと黛!お前ら女子も何笑ってる!」
「そんな濃い霧の夜だったわ。ハイエナが現れたのは」
慣れない給仕係として立っているワエダイマン市長に「そうよね」という目を鈴久名が向けると、市長は深刻そうな顔をして頷く。彼も含め鉱山から戻った人々は体を洗い清め、既に食事を済ませるか、今なお続けている。食材はいざというと時のために隠していた保存食と魔女たちの用意したカラス。
「大きさとレベルは?」
自分たちのことを早めに済ませた人間族が奴隷のドワーフやコボルトとともに料理を拵え、星野たちのいる集会場のテーブルに料理と酒を持ってきた。
「霧のせいかもしれないけれど、かなりの体躯に見えたわ。国の要衝、ここらで言うと軍用路ベイトやバスクを管理する象人族は知ってる?」
「ん?ああ、聞いたことはある」
つい先日仕留めたばかりの星野はとぼけながら答え、料理の餃子をサワークリームにつけて口に運ぶ。
「大きさだけならあれくらいはあったわ。レベルは確か39」
答えて、鈴久名は麦酒を音もなく啜る。
「39なら星野様のレベル75や鈴久名様のレベル73の前では足下にも及ばないですね!」
山野井の〝算数〟とおべっかを無視して煮込汁と肉詰麺麭を交互にほおばる召喚者五名。とっくに用意された食事を食べ終わり、なにやら空いたテーブルのスペースでおっぱじめるベビーイーグルをソワソワモゾモゾと見る魔女。もちろんいつも通りの演技。
「足下にも及ばないどころか、死にかけたわ」
「え……あ……」
「小僧。太鼓持ちはいい加減やめて、少しは仲間(パーティ―)のためにも頭を使え。置かれた状況によっちゃぁ、レベルやパラメーターなんてあてにならねぇってことがまだ分からねぇのか」
「す、すみません」
小さくなる山野井。
(ざまあみろ)
と思う召喚者女子三人はかたまりで座って聞き耳を立てている。種村もそう思っていたが、「おい」と小さく話しかけてきた近くの川戸の声で何事かと川戸を見る。
「あれ、アイツは?」
種村と川戸の間に挟まれて座っていた魔女は離席する前に川戸に自分のボルシチとピロシキ、それにペリメニを譲り、麦酒と椅子を持ってこっそりベビーイーグルの方へ行ってしまう。それを知った種村は「はは」と小さく苦笑し、黛のボルシチの皿だけを川戸から受け取り、中身を自分のボルシチの皿にベチャベチャと移し、空の皿を自分のボルシチの皿の下に重ねる。「アイツらしい」とつぶやき、黛のピロシキとペリメニの皿を自分の所に置く川戸。
「いや、大司教様にお会いすればきっと私は同じことを言われるわ。何のための勇者候補生だ。任務をしくじるお前は所詮、能力と金の無駄遣いだってね」
「言わせとけ。「だったらテメェが包丁もって調査に行け」って言やぁいいんだ。この小僧と二人でな」
星野の隣に座ったことで逃げ場のない山野井はさらに委縮する。
「レベルがあてにならない、ね」
麦酒をすすりつつ、テーブル離脱した黛の姿を追う鈴久名。
「どうじゃマユズミィ……さんっ!これが先ほど鉱山から戻る最中に捕まえたオオサンショウウオの鍋じゃ!自慢の一品じゃわい!!」
「すんげぇ!ホンマに山椒の香りがするやん!うまそ!食べてええの?」
「おほん!こちらから見ていて、何やら先ほどから全然食が進んでいる様子が見られなかったから、その、気になってな!」
「こんな荒くれ冒険者のささやかな食事でよければつついてちょうだい。お口に合うかどうかは全然分からないけれど。うふふ」
「……わ、分けてやるぞ」
「あざーす親分!いただきマンモス!はむ。………むほっ!?うっほ!……うんまっ!!すっぽんとフグを掛け合わせたみたい!すんごくおいちー。あ、マムシとヤマカガシも入ってる!毒抜きが不十分で山椒みたいにピリッとする!!これまた爽快!四人とも本当にありがとう!!」
「どういたしまして。なんか子どもの成長を見守るお母さんみたいな気分よ」
「よく見たらカラスも入っとるやん」
「嘘でしょ!?誰よ入れたの!いやああっ!!」
「嘘に決まっとるやん。カラスの旦那~」
「「「はははははははははは」」」
賑やかで羨ましすぎて、いつの間にか目の離せない召喚者女子三人と男子二人。
向こうのテーブルは別世界だと自覚して、元に戻ってくるコーンロウの女。
「ハイエナはただでさえ知能の高い生き物。それが飼い馴らされて、あきらかに何者かの指示で動いていた」
「それで?でかいからってハイエナ一匹に苦戦したわけじゃねぇだろ。レベル73もある鈴久名様がよ」
星野の質問で別世界から戻る召喚者五人。
「霧の中、リッチーの集団が同時に現れて、それでたちまち住人はグールとゾンビに変身。守るか戦うかを迫られたわ」
別世界のテーブルでオオサンショウウオの鍋をつつく五人も、さりげなく耳を澄ませる。
「で、どっちも選ぼうとしてスルポルナ鉱山に逃がしたか」
「そうよ。このカラミャンは防御には向いてない」
「悪い判断じゃねぇ。守備に不向きの俺なら尻尾巻いて一人で逃げてる」
「住民を餌にして敵を皆殺しにするまで帰らない、の間違いでしょ」
鈴久名が冷たそうに言って、麦酒を一気に飲み干す。ドワーフが慌てて注ぎに現れる。
「俺のことをよく知ってんじゃねぇか。さすがは年増行き遅れの勇者崩れ様だ」
星野が返して、同じく麦酒をグイと飲み干す。コボルトも慌てて注ぎにやってくる。
「ええ知ってる。中年口悪勇者崩れ様との腐れ縁のせいで」
「あの、えっと……」
コップの中の黄金の液しか見ていない勇者候補生二人の仲介を試みようとする山野井。勇者以前の男と女の関係になんとなく気づき、ワクワクする女子三人。気づかない男子二人はピロシキを千切ってゆっくりと口に運びながら様子を伺う。
「まあいい」「そうね」
「旧世代の」「再会を祝して」
「「乾杯」」
互いに顔を見ることなく、ビールのコップだけが二つ、コツンとぶつかった。
「あ~食った食ったー!ヒック!しかも飲んだ~!!」
午後七時半。鍋のあるテーブル席の魔女がフラフラと立ち上がる。
「なんだ?もう寝るのかアスカ」
山野井が酔いつぶれたおかげで賑やかになった召喚者五名の話し相手をしていた星野が気づいて声をかける。
「おしっこ。ついでにもう寝や~す」
答えながらゲップをする黛のだらしなさに笑う鈴久名も、久しぶりの酒と旧友のおかげで酔いがまわっている。
「気を付けろよ。霧の中でぼうっと小便してっとでけぇハイエナに襲われるぞ」
「アイヤイサ~」
「仕方ないわね。アタシがついていくわよ」
ベビーイーグルのハーバーが席を立つ。
「何々バービーさ~ん。アタチのおちっこしてるとこ見たいの~?エッチッチ~」
「女子の排尿なんて興味ないわよ。若くてムキムキの召喚者坊やなら別だけど」
ウィンクされてビールを噴きだす川戸。大笑いする種村、國本、重光、照沼。
「あっそ。カリオストロさ~ん。バービーさんがキモいから一緒に来て~」
「……なんで俺?」
「なんか蓑被ってて、人に見られてる気がしないから~」
「良かったわね。アタシと同じでヒト扱いされていないわよ。ダーリン」
「……分かった」
魔女とベビーイーグルの二人が集会場の外に出る。
「うぅ、さむ。なんか一気に酔いがさめるんですけど」
「そうね。霧も濃いわねホント」
「……早く、用足せ」
「オッス」
霧が、深い。
「ねぇねぇ冒険者さん、なんか面白い話して」
「いいわよ任せて。アタシの恋話を夜が明けるまでずっと……」
「カリオストロの先輩、お願いしやす」
「……なんで」
霧で濡れた石畳を三人が歩き始める。
「……俺、もともと漁師だった」
どの家々の煙突からも煙はあがっている。煙にはカラスを焼いた臭いも混じる。
「……日が昇る前に漁に出て、網を打って魚を捕る。毎日、その繰り返し」
寒さと魔物への警戒から、どの家の扉も窓もしっかりと閉ざされ、鍵がかかっている。窓に木板が打ち付けられている家もある。
「……風のある日は帆を張って、凪の日は櫓をこいで、いつも独りで魚を捕ってた」
固く閉ざされていない家は、家主のいなくなった家。
「……ある薄曇りの日、風はあって波はそれほどでもないから、帆を張って沖に出た。けど、すぐに風が消えた。凪になって、帆をたたんで、仕方なく櫓を漕いだ。漕いでいるうちに、突然、櫓が重くなった」
家主がいないのは、家主がグールやゾンビになったから。ハイエナに食われたから。
「……不思議に思って海の中を見ると、櫓を、たくさんの手が掴んでる」
「「……」」
「……海屍人がたくさん舟に群がってた。俺、怖くて必死に鉈を振った。海でグール見たの初めて。話には聞いていたけれど初めて。シーグールのたくさんの指が、櫓だけじゃなくて舟の縁まで掴んで、ゆする。落ちたらと思うと怖くて、とにかくたくさんのシーグールの指を鉈で切った。削りとったフジツボみたいに、たくさんの指が舟の中にたまった。イトミミズみたいにずっと動いてた。でも手がまだ舟のまわりにたくさん。だからたくさん切った」
家主のいない家の竈の火を消して回る、ベビーイーグルと魔女。
「……そのとき一匹の魚、現れた」
「「魚?」」
「……肺煩いで死んだ女房によく似た顔の魚、いた」
「「……」」
「……白い魚が海面すれすれでこっち見てる。なのに俺、怖くてそれも切った」
「「……」」
「……気づいたら魚、赤い血を出しながら何か叫んでて、それで俺、女房に気づいて、鉈を海に落とした」
霧がさらに深くなる。
「……血まみれの魚に睨まれているうちに、目の前が暗くなって、後は覚えてない」
建物と道を霧が包む。周囲を霧が呑み込む。
「……目を覚ましたら、他の舟傍にいて、みんなに助けてもらってた。舟の中、グールの指ない。あったのは、錆びた鉈と、ヒトデが張り付いて食べている俺の両腕だけ」
誰も彼も、霧に包まれて見えなくなる。三人の足音だけになる。
「……風。吹いたり止んだり。シーグール。現れたり消えたり。女房そっくりの魚。いたり叫んだり。腕と鉈。なくなっても命だけ残ってたりする」
「「……」」
「海は……怖い。昼とも夜とも人とも魔物とも違う。海には……〝何か〟いる」。
既に鉱山都市カラミャンを覆う霧はものすごく濃い。
丸一日ずっと様子を伺っている魔物四匹の視界にもう魔女たちは映らない。
〈何のことかと思って我慢して聞いてれば、腕無し蓑虫野郎の与太話かよ。くだらねぇ〉
〈それよりもう限界なんだけど。早くガズナと一緒に全員殺したい!!〉
〈まだよ。兄さんの合図を待って。……傷口は痛む?ロロノア〉
〈いや……ティーチ姉のおかげで平気〉
〈安心しなさい。霧が晴れる夜明け前に何もかも終わらせて、誰がやったのか、はっきりさせる〉
〈なぁティーチ姉、頼むからあのちょんまげ勇者は俺にやらせてくれよ〉
〈はぁ!?ざけんな!あれは私の獲物だっつってんだろ!〉
〈二人ともいい加減にして。ドワーフゾンビたちを殺った油虫人族と尾鬼人族の存在が邪魔なの。兄さんの言う通りあの二人の始末があなたたちの優先任務〉
〈そしたらあとはちょんまげ野郎とザコ召喚者の処理か〉
〈アブラデブもシッポオーガも瞬殺してやんよ!んでロロノア兄!今度はしくじんなよ〉
〈うん。ごめん。みんなの足を引っ張らないように気を付けるよ〉
〈アンボニー。あなたこそ油断しないで〉
〈あーはいはい。私とドレイク兄だけはまだしくじってませんけど〉
〈んだと!こっちは様子見でちょんまげ野郎から手を引いただけだ!調子こいてっとテメェからぶち殺すぞアンボニー!〉
〈かかってこいよクヌート兄!切り刻んでガズナの餌にしてやる!!〉
〈二人とも黙りなさい……兄さんから指示が出たわ。始めましょ。頼むわ、ロロノア〉
〈任せて〉
〈アンボニー。ガズナには物足りないだろうけど、街をうろついている烏人族と蓑虫人族から始末させて〉
〈はいはい。不味そうなオカマガラスとウデナシミノムシでしょ。あとあの虫けら召喚者ね〉
〈アニー、気を付けて〉
〈あぁ?ロロノア兄何か言った?〉
〈あの召喚者。何か嫌な予感がする〉
〈怖気づいたのかよ。ふん。いいから自分の心配しろっつーの〉
〈ごめん〉
ウクククククククククククク………
「「……」」
勇者候補生二人が同じ方向に目を転ずる。
集会場の外で響く何者かの笑うような鳴き声。すぐにそれが例のハイエナのものと気づいた星野がおもむろに席を立つ。鈴久名もさっと立ち上がる。二人の顔にあった酔いの色は一瞬で消える。
ゴロゴロン。
懐から取り出した銀杏の実ほどの黒い粒を、星野がテーブルに転がす。
とろんとした目で見る召喚者五人。
「酔い覚ましの丸薬だ。飲め。お前らを皆殺しに出来るハイエナが来たぞ」
言いながら星野は椅子に寝そべる山野井の口に丸薬を無理に押し込んで山野井の鼻をつまむ。
「!!!???」
息のできない山野井が仰天して目を覚ます。
「噛んで呑み込めねぇと首をへし折るぞ」
ゴクリという山野井の呑み込む音の後、解放された山野井はうめき声をあげ、消火用のバケツの水を見つけてガブガブ飲み始める。
「水で流し込むと効果が薄まる。おめぇらはそのまま噛んで飲め」
理解した五人は急ぎ丸薬を口に入れる。噛んだ瞬間に強烈な苦汁が丸薬から染み出て、香りが鼻にまで突き抜ける。それで呑みこむのをわずかにためらっていた瞬間、
ドゴオオオオ―――ンッ!!!
集会場の建物がひっくり返ったかのように大きく揺れて、壁面と屋根と床が壊れる。
「うあああっ!」「きゃああっ!!」「うお!?」
誰も彼もが広場に投げ出される。
「「……」」
無事に着地した星野と鈴久名が互いの背中を合わせ、すぐに武器を構え、ハイエナに警戒する。目の前の霧に目を凝らす。
「いってぇ」「「「「はあ、はあ、はあ、はあ」」」」「なんなんだ、一体」
無事に何とか起き上がる召喚者五人。集会場崩壊の際の心理的衝撃で、全員丸薬をとりあえず呑み込んでいる。アルコールの解毒が体内で急速に済む。
「「「「「「………」」」」」」
無事では済まず、起き上がる気配のない給仕係のドワーフ、コボルト、そして人間。
「きゃははっ!」
闇夜と濃霧の中、少女の様な笑い声を聞いた重光の首に鋭い刃が突如として迫る。
ガキン!
「ペシュカドか。戦場でよく見た」
重光の首を刎ねようとしたS字状の湾曲剣を止めたのは日本刀。尾鬼人族グウェイの握る獲物の銘は「童子切安綱」。刃身一メートルの大太刀。
「何者だ?」
首の皮を裂かれた重光が尻もちをつき、真っ青な顔で照沼の方に逃げる。
「さぁね」
表情も含め全身をローブで覆い隠した魔物はその様子を見ながらクスクス笑っている。
「ほう魔物の嬢ちゃん。答えるつもりはねぇってか」
「!」
ペシュカドを握る魔物の背後には、渋い顔つきをした星野が立っている。その両手には斧のように重い中華包丁が握られている。
(速い!)
ドゴンッ!!!
けれど中華包丁は魔物を裂かない。裂けない。
ジャラララララ……
魔物を切ろうとした星野の包丁が受け掃ったのは、鎖の先に結ばれた分銅。
「どういうつもりだ、鈴久名」
ローブ姿の魔物を守ったのは、赤のコーンロウ。勇者候補生。
鈴久名杏南。
「……」
鈴久名は答えない。ただじっと星野を見つめたまま無表情で鎖を引き上げる。
分銅のついた鎖鎌の鎖が自ら意思を持ったように唸りをあげて回り始める。冷たく激しい風が生じ、誰も彼も包んでいた霧が少しずつ弾かれ、ナディアード広場の様子だけが互いに視認できるようになる。
ビクンッ!ブルブルブル……
倒れているコボルトの体が痙攣する。
ウェエエエエアアアア……
ドワーフの体が唸る。
ゴキゴキゴキグチュン。
人間族が関節の可動域を無視して起き上がる。その中にはワエダイマン市長もいる。
バジュンッ!!ブシュウウウ。
ワエダイマンの頭部が破裂して、首から一本の腕が生える。
元々あった腕の皮膚は変色肥厚し、石のように固くなる。コボルトもドワーフも立ち上がり、皆ワエダイマンの〝後〟を追う。
ジュブジュブジュブ……
破裂した頭部の残骸が蛭のように動いて集まり、棍棒を形作る。それを首から生えた腕ががっつりと掴む。掴むのと同時に手の甲と棍棒に眼球が一つずつ生じる。
「ひ……ひぃ……」
怪物と目が合い、恐怖で思わず失禁してしまう照沼の背後を、別のローブ姿の魔物が声無く忍び寄る。突きを狙う魔物の獲物は両手剣エルシード。
モニュ。
「きゃ!?」
霧の中、照沼の尻が油虫人族の大きな手で掴まれる。
「やっぱりオナゴの尻は柔らかくてええのう」
そう言った時には川戸の方に投げ飛ばされている照沼。
「しかも尿つきじゃ」
(馬鹿がしゃしゃり出てきやがって)
エルシードを固く握る魔物は照沼を投げ飛ばした巨漢の腹に両手剣を突き刺す、
ニュルンッ
ことは叶わない。体表に分泌された油まみれの身体を魔物の刃物は簡単に貫けない。
ガシ。
「なんじゃ、乳房がないということはオスか」
両手剣の魔物の右脇にフランチェスコの右腕が差し込まれる。巨漢が身体をひねらせる。
「ほうりゃ!ムホッ!?」
ドムンッ!!
フランチェスコの裏投げはしかし、変異した怪物ドワーフを鎖で掴んで投げてきた鈴久名の一撃で未完に終わる。
ブンブンブンブンブンブン……
激しすぎる分銅鎖の回転で広場の霧だけが薄まり、殺し合いの舞台がはっきりする。
「操られてんのか?それとも本気でアントピウスを裏切るつもりか?」
「さあ」
鈴久名のはっきりしない答えに「そうかぇ」と返して星野が構えをとる。鈴久名の分銅鎖の回転がさらに早まる。音速を超えて鎖自体が絶叫をあげる。盾を構え風圧と悲鳴に耐える川戸を含め、召喚者五人とも生きた心地がしない。
「おい召喚者のガキども!邪魔だから広場から消えろ!」
「そうそう。そして一人ずつガズナの餌になれっつうの!」
魔物が「キャハハハ!」と笑う。それにこたえるように霧の壁の向こうから獣の笑うような咆哮が響く。
「ガトリングペイン!!!」
ペシュカドを握る魔物のメスがグウェイと距離をとりながら、今度は山野井たちに毒を塗ったナイフを投げまくる。グウェイは仕方なく山野井たち召喚者を守るべく動く。
カカカカカカカカカカカンッ!!!!
投げナイフをグウェイが尻尾と太刀で防ぐ。
「な!?火じゃと!ずるいぞ小僧!!」
「うるせぇデブ。すぐに〝虫焼き〟にしてやる」
両手剣エルシードに火炎を走らせた魔物がイライラしながらフランチェスコに斬りかかる。
「アチャチャチャチャチャ!!」
肉を斬られながら燃えるフランチェスコ。
ガシ。
「なんてのう」
巨漢が白眼を剥いて口を開く。
「?」
(剣が抜けねぇ。筋肉か!)
エルシードを握る魔物の身体がさかさまに担ぎ上げられる。担いだ本人すら飛ぶ。
「火傷なんぞ、ケガのうちに入らん!」
四本の腕によるアームロック。
受け身を取らせるつもりのない、頭蓋と脊椎を砕くための〝本物〟のパワースラム。
(なめんな!)
一瞬で関節を外した魔物はパワースラムを脱出し、関節をはめ直す。
「ファイアニードル!」
炎の抜き手がフランチェスコの両鎖骨の間に飛び込む。
「むほっ!」
通常の人間なら即死する技を食らって咳き込むフランチェスコ。でも即死しないフランチェスコ。
(掴まれると厄介だ)
パワースラムを回避しても握力だけで筋肉を千切られた魔物は舌打ちをする。
「ほれ、取りにこんかい」
フランチェスコは自分の筋肉に食い込んでいたエルシードを引き抜くと、地面に深く突き刺す。
「吾輩も剣も、ここにおるぞい」
「ちっ」
舌打ちする魔物は剣を取り戻す策を練ろうとする。けれど集中できない。
「術式一型 玉堂裁!」「術式四型 源平渦潮刃」
勇者候補生二人の刃があまりにも激しくぶつかり合うものだから。
(こんなザコ、さっさとやっつけて、俺がちょんまげ野郎を殺す!)
広場で起きる剣戟の一丁目一番地。
星野風太郎Lv75(勇者候補生)攻撃力&魔法攻撃力補正。
生命力:6800/8000 魔力:6900/10000
攻撃力:10000 防御力:4000 敏捷性:1000 幸運値:200
魔法攻撃力:10000 魔法防御力:10000 耐性:火属性、水属性
特殊スキル:腸回復
鈴久名杏南Lv73(勇者候補生)攻撃力&魔法攻撃力補正。
生命力:5100/7000 魔力:9000/12000
攻撃力:9000 防御力:4000 敏捷性:1600 幸運値:100
魔法攻撃力:11000 魔法防御力:7000 耐性:風属性
特殊スキル:鎖武威
ガキキキキキキキキキキンッ!!!
縦横無尽に軌道を変えて襲い掛かる鎖とそれを跳ねのける二本の中華包丁。しかも鎖は鈴久名の意思で所々光を放ち、風の鎌を生やして星野の致命傷を狙う。
ギャイインッ!!シュルシュルシュルシュルシュパンッ!!
それを回避する星野はさらに包丁を鞘から取り出す。
星野の手から離れ宙に浮いた包丁は火炎を、あるいは氷水を生じながら高速回転し、丸鋸と化し、鎖に生えた魔法鎌を斬り飛ばす。
「ああ、ムカつく~、こんな連中の相手をどうしてこの私がしなきゃいけないわけ~?」
フランチェスコを相手する魔物オスと同じくグウェイ相手に埒が明かない魔物メスは転移魔法によって大量の投げナイフを用意してぶん投げながら余裕ぶって嘆く。
「嫌ならやめればいい」
ナイフをことごとく弾きつつ、足の指で自分の靴裏を破り、落ちていた投げナイフを足の指で拾ったグウェイが掴んで飛ばす。
ザシュッ!
「ちっ」
左腕で投げナイフを受け止めたペシュカド使いが、
「このおおおおおおっ!!!」
キレる。投げるのを止め、魔物メスはペシュカドを二本用意し、グウェイとの斬り合いを始める。
「というわけじゃ!こいつらはおぬしらで何とかせい!」
火炎を放つ魔物オスから離れ、首から腕を生やした怪物コボルトに接近しノーザンサイドスープレックスで斃したフランチェスコはコボルトの〝首腕〟を引きちぎり、その血を浴びて体を焦がす炎を消火しながら召喚者に叫ぶ。
「「「「「はい!」」」」」
返事をした山野井たちは、両手剣を取り戻した魔物に再び向かっていくフランチェスコをちらと見送りながら、武器防具を構えなおす。
「シャイニングミラー!」
光属性の山野井冬愛。
「ウォーターブレイク!」
水属性の重光結。
「バグトライアングル!」
土属性の種村岳。
「モルペウスウィンド!」
風属性の國本萌。
「ダークネスアラート!」
闇属性の川戸翔太朗。
平均レべル22。その五人の眼に映る相手のステータスには「Lv25」の表記。
生き残るため――。
残り十一体の〝首腕〟たちを相手に、チームは久しぶりに一丸となって戦い始めた。
ウクククククク……
(何かがおかしい)
「術式六型 斬首牡丹刃」
都市カラミャンの外から勇者候補生鈴久名を操作している魔物メスは霧の中の様子の異変に気付く。
(通信から察して、広場の襲撃は完全に分断されている。鳴き声も聞こえる。霧の中を飛び回る姿も見える。それなのにアンボニーのガズナは何をしているの?なぜ広場の召喚者を路地に散らして襲わせない?そもそもどうして家屋に隠している怨念鬼が広場に集結しない?スルポルナ鉱山に眠らせているグールとゾンビを呼び寄せるはずのハイリッチーはどうしたというの?)
ガズナ。
魔物アンボニーが愛玩する巨大なブチハイエナ。
それを支配するのはアンボニーをおいて他にいない。
ゆえにガズナの消息について確認するには、この魔物メスはアンボニーに連絡を入れるしかない。
連絡をする方法はある。
ただし連絡をとりあっている状況に、自分も、アンボニーももはやない。
「こんなもんかよヘビゴリラ!!」「そうかもしれんな!」
重い二刀流を捌くのに精いっぱいのアンボニー。全神経を集中させなければ尾鬼人族の太刀と尾で頭をかち割られる。
シュパンッ!キキキキキキキキンッ!!!
「術式……ジュツ……シキ……」
「な~んか変だなおめぇ!やっぱりミイラ取りがミイラになっちまったか!」
ギャキンッ!ガキガキガキガキガキガキガキガキガキンッ!!!
距離が離れている分、鈴久名の支配率が落ちやすい魔物メスもまた、全神経を集中させなければ勇者候補生の中華包丁で首をはね飛ばされる。……とはいえ、
(くそ!)
グール。ゾンビ。ハイリッチー。怨念鬼。
それら大量の〝兵士〟を操作する魔物への連絡を最優先と考えた魔物は、鈴久名の操縦の手を緩める。
〈こちらティーチ!!ロロノア!何をしてるの!!早く兵を動かしなさい!!〉
〈こちらドレイク〉
〈兄さん!?〉
〈ロロノアは連絡を取れる状況じゃない。ロロノアは現在、冒険者二名と交戦中。アンボニー、クヌート、ロロノア。三人とも目の前の敵との攻防に専念しろ。霧の中に正体不明の厄介な魔法使いが紛れている。俺が合図するまで死なずに持ちこたえろ〉
「「「「!」」」」
意外過ぎる言葉で魔物たち四匹の表情が変わる。
〈ティーチ。鈴久名を囮に使って召喚者を攻撃しろ。鈴久名はもう壊していい。俺の合図でクヌートは北、アンボニーは東。ロロノアは南に逃げろ。後で約束の場所で落ち合う〉
鈴久名を操る魔物ティーチは指示に従い、攻撃の刃を山野井らに向ける。当然止めに入る星野。
「術式。終いの型……」
目から血の涙を流す鈴久名が自分の左手の平を鎌先で突き刺す。血が大量に飛び出し、鎖を伝う。
「お前ら、今度こそここから逃げろ。できるだけ遠くに逃げろ」
山野井らに告げる星野。広場に残る怨念鬼を全て倒していた山野井たちは通りに向かって走り出す。けれど生命力も魔力も使い果たした彼らの動きは遅い。
「了解」「合点承知の助!」
ほぼ同じタイミングでグウェイとフランチェスコが突如広場から離脱する。その腕には逃げ出したばかりの召喚者六名。グウェイが種村、重光、照沼を抱え、フランチェスコが川戸、山野井、國本を抱える。
「すまねぇ頼む!!」
汗を浮かべ鈴久名を睨む星野は背中でグウェイとフランチェスコに礼を言う。
「生死去来……」
〈ティーチはあくまで召喚者を狙え。三人とも今だ、逃げろ〉
鈴久名の全身から血が抜け、肌が紙のように白くなる。瞳孔が完全に開き切る。
鈴久名杏南Lv73(勇者候補生)攻撃力&魔法攻撃力補正。
生命力:0/7000 魔力:0/12000
攻撃力:9000 防御力:4000 敏捷性:1600 幸運値:100
魔法攻撃力:11000 魔法防御力:7000 耐性:風属性
特殊スキル:鎖武威
「木花咲耶刃」
ズビュビュビュビュビュビュッ!!!!!!!!!!!
大量の血液をまとう鎖鎌が鈴久名を離れ、槍のごとく飛ぶ。その鎖の先端がグウェイとフランチェスコに到達する直前、
シュパウーンッ!!! キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
星野の中華包丁が鈴久名の首を斬り飛ばす。血の鎖はその瞬間四方八方へ赤黒い針を無数に伸ばす。グウェイとフランチェスコは召喚者を庇い、身を張って針を受け止める。召喚者は守り切るが、肉を貫く針の激痛に思わず顔をゆがめる二人。
ビュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!
血の鎖は伸縮する悲鳴の針をすぐさま鎮め、形を元に戻し、首を斬った元凶の元へ超速で引き返してくる。
鎖武威Lv73(想影)
生命力:7000/7000 魔力:0/12000
攻撃力:13000 防御力:0 敏捷性:12000 幸運値:0
魔法攻撃力:18000 魔法防御力:0 耐性:風属性
「だからダメなんだ。てめぇは昔から」
星野がため息をついて包丁を構えなおす。向かってくる血液は鎖を髄にして蛇の形になる。血の蛇を風の螺旋が巻く。首を刎ねた男へ蛇が音速でつっこむ。
「男運がなさすぎんだよ」
男女の関係にあったかつての男は「術式五型」と低く小さくつぶやく。体内を魔力素がほとばしり、中華包丁が周囲の霧を一気に吸い込む。凝集した水は青みがかった氷刃と化し、包丁の刃先は巨大化する。
「炒雪瞬!!」
向かってくる巨大な血の蛇に氷の刃が触れる。
ザギュシュンッ!!!!!!!
薙ぎ払った一瞬で、血の蛇を凍り付かせ、気化する。
ドクンドクンドクンドクン……
残るは、脈打つ鉄の鎖。
「すぐだ」
落下する直前。宙に浮くそれを見た男は、
「地獄で待ってろ。すぐ追っつく」
ガシャシャンッ!!!
別れを告げ、木端微塵に切断した。
ウクククククククク………
(?)
カァーッ!ギャーッ!カアーッ!ガァーッ!カァー……
夜にもかかわらず、霧が晴れる。
巨獣独特の笑うような鳴き声と白い影が消え、カラスたちの叫ぶ声だけが広場の空に木霊する。
「……………」
集会場を囲む家並。
雪のように舞い落ちる黒い羽根。
(どうなってる)
握りしめる包丁の氷を溶かしながら、星野は周囲の様子を冷静に確認する。
つるはし。たがね。
ピックハンマー。スコップ。
杭。鋸。斧。バール。
鉱石の掘削に必要なあらゆる工具が、壁や屋根に突き刺さる。
(魔物?いつの間にこんな手の込んだ……)
鍋に入れられたオオサンショウウオのようにぶつ切りにされたハイエナの肉片を串刺して、あまたの工具が壁や屋根に突き刺さる。
(窓も扉もよく見りゃ凍りついてやがる……誰がこんな……)
ウアアアアアアアア……
東の闇で上がる、魔物メスの咆哮のような絶叫。
「ありゃ!」「どうした?」
ひらひら舞い落ちる黒い羽根雪の中、屋根の上で困惑するフランチェスコとグウェイの声。
「一人おらん!一人おらんぞい!!」「何だと!?馬鹿な!」
〈任務完了。ティーチ。アンボニーを縛ってでも連れて帰れ〉
〈……分かったわ〉
〈よくもガズナを!うあああっ!!あのクソちょんまげブッ殺しやる!!!ドレイク兄!!!奴をアタシに殺させろドレイク兄!!!!〉
〈だめだ。それに……ガズナを殺ったのはあの勇者じゃない〉
〈〈〈!〉〉〉
〈おいドレイク兄。まさか、あの冒険者たちの隙を突くためにドレイク兄が、ガズナを手に掛けたのか?〉
〈う、嘘だよね!?そんなことしたらアニーが大変なことに〉
〈ドレイク兄!てめぇの仕業かぁ!!!〉
〈落ち着きなさいアンボニー!ねぇ兄さん、本当に……〉
〈せっかく作った怨念鬼が戸外に出られないよう、家の出口という出口を氷結させて閉じ込める。呪詛を食事と食器に盛り、グールみてぇにタキシムを共喰いさせる。六匹の貴重なハイリッチーを容易く見つけて造作なく瞬殺する。タキシムとハイリッチーを操る弟を探し出して冒険者に襲わせる。勇者人形を操る妹の心理、霧による視界の悪さ、水と火を扱う二属性勇者の攻撃。全てを計算して動きつつ、ガズナをバレないようにバラし、工具まで持ち出して見せしめのごとくオードブルにする。ガズナを飼う妹の恨みをもろに買う。目的のために手段を選ばないのなら次は自分たちの番かもしれないと弟の不信感までついでに買う〉
〈〈〈〈……〉〉〉〉
〈このすべてを同時にできるのは事件の全貌を眺めていた俺以外にいない〉
〈〈〈〈……〉〉〉〉
〈それで?そんなイカれたことを俺が〝今さら〟やって何の得になる?今の今まで〝こう〟して生きてきた〝俺みたいな魔物〟が〝そう〟やって何の意味がある?〝この俺が今回だけ特別にそんなこと〟をする必要がどこにある?〉
〈〈〈〈……〉〉〉〉
〈夜明けまで晴れるはずのない霧が、勇者の技で偶然のごとく晴れた瞬間に生じた、全員の隙。誰も彼もが呆然とするしかなかった隙。予測して動ける者が、観測している俺以外にいなかった隙。その隙は〝あえて〟作られた。霧の中に紛れたイカれた奴によって〉
魔物たちの家長はそう告げると、「必ずやりかえす」と付け加え、魔法の通信を切る。フランチェスコとグウェイを幻術で惑わせて奪った召喚者一人を背負って闇に急ぎ、消える。
「ふう」
鉱山都市ディポログ。
(弱いからか、それとも利用しやすいからか)
「ふう」
街の、とある民家の裏庭にある井戸。
(狙いは勇者じゃなくて、召喚者)
「ふう」
その暗く深い井戸の底。
(そして魔物たちは山野井を選んだ……)
苔に覆われた壁に背を預け、凍らせた水面に立つ魔女は閉じていた瞼を静かに開く。だらりと垂らした手の片方には、ハイエナの血の付いたカランビットナイフ。もう片方には、毒と幻影に使用したカラスの死骸。肩にはクマの毛皮を羽織っている。
「ふう」
白い深呼吸を続ける黛。
(ごめんなさい)
呟いた魔女はそして、思考を黒く塗り潰す。
(すべては、黒幕の正体を暴くため)
井戸の湿った壁面が凍り付く。苔が枯れ落ちる。クマの毛皮から黒い液が溢れ出し、魔女を包みこむ。皮膚も、腕も、足も、顔も、カランビットナイフも、カラスの死骸も、何もかも黒に染まる。
「ふう」
(ミゾロギマヨ。ナガツマソラ。お前らを討ち倒す)
〝餌〟を撒いた正当性を自分に言い聞かせ、自分を納得させたあと、魔女はナイフをしまい、カラスを捨て、封印されし言葉の力を隠し、井戸からひっそりと出た。
nebula