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第三部 魚身求神篇 その二

 シャカシャカシャカシャカシャカ……

「お(かゆ)いところはございますか?」

「大丈夫。気持ちいいよ。このまま続けてコマッチモ」

「かしこまりました」

 そう答えるとコマッチモが俺の(かみ)をシャンプーでゆっくりと()でるように洗い始める。仰向(あおむ)けになった俺は少し伸びた髪を洗ってもらいながら宙に浮かせた本を見る。

 ()かせた本。

 正確には〝()るした〟(ほん)

 送られてきたカディシン教の聖典(せいてん)16冊と農耕(のうこう)器具(きぐ)のカタログ14冊、そして播種(はしゅ)指南書(しなんしょ)13冊が宙を(およ)ぎ、魚の(ひれ)のようにページがペラペラとめくられる。やっぱり「()る」のと「思い出す」のとでは違う。「観る」方が〝その場〟のイメージは強くなる。


挿絵(By みてみん) 



2. ジェラート


「なるほどね」

 午前八時。

 俺の今いる場所はアントピウス聖皇国の北の片田舎(かたいなか)

 ハルシャ州カナウジ市。

 首都(しゅと)アスクレピオスから五百キロも北北東に離れているこの場所はルバート大森林やロンシャーン大山脈の(そば)ということもあって、朝は肌寒(はだざむ)い。けれど日中は温かくて湿度もそこそこ。二か月も()ると結構住みやすく感じる。

 シャー……

 体からシャワーノズルを生やし、優しく両手で泡を洗い流してくれるコマッチモ。

 屋敷の外まで伸ばしたコマッチモの体の一部は貝の水管(すいかん)みたいに井戸(いど)から水を吸い上げ、しかも吸い上げながら激しく水を振動(しんどう)させてお()にしてくれる。だからとても心地良(ここちい)い。

 モフ、モフ、モフ、モフ、モフ……

 バスタオルで髪を()いてくれるコマッチモ。

 俺はその間、目を閉じ、本の各ページの枠の装飾を全て思い出す。モールス信号の内容をもう一度整理する。整理するには「観る」はよくない。やっぱり闇がいい。

 ふう……。

 どこかのふざけた奴が人の家に金属棒(タングステン)を落としてから、二か月半が()つ。

 アントピウス聖皇国の中枢(ちゅうすう)でその話題が出るかどうかを待っているけれど出ない。「季節通りの流星群(りゅうせいぐん)以外に観測記録がない」の報告(レポート)だけ。

 白々(しらじら)しい。

 それとも本当にシロ?

 天文観測に関しては無理もないか。

 星の運行を記録できても流星群の正体や遠心力、無重力が何かも分からない連中に軍事衛星(サテライト)周回(しゅうかい)軌道(きどう)の説明を求めても仕方ない。軍事兵器「神の杖」なんて知る(よし)もない。

 (はらわた)()えたぎる思いだけれど、仕方ない。

 まあ、いい。

 こちらはこちらで、(あや)しい奴の目星(めぼし)はついた。

 思うに犯人は、単独でやった。やりやがった。

「では、一度椅子(いす)に移動します」

「お願い」

 コマッチモに運ばれて、俺は肘掛(ひじかけ)椅子(いす)に移動する。

「苦しくないですか?」

「全然苦しくない。大丈夫だよ」

 午前八時三十分。

 俺は首にタオルを()かれ、カットクロスをそっと()せられる。

 チャキッチャキッチャキッ。

 左手の(くし)と右手のシザーを器用に使い、俺の髪はカットされていく。その俺の前には大きな鏡が置かれている。

 銀髪(ぎんぱつ)に、白い角膜(かくまく)桃色(ももいろ)(ひとみ)

 マルコジェノバ連邦(れんぽう)に向かったマソラ2号とは違い、俺に売名(ばいめい)行為(こうい)は必要ない。むしろやってはダメ。分裂体(ぶんれつたい)であることが化れる可能性があるから。

 マソラ3号である俺の仕事はつねに秘匿(ひとく)行動(こうどう)(ともな)う。

 ナガツマソラらしくあってはダメ。

 だから当然俺は変装(へんそう)整形(せいけい)してある……とはいえ。

 元が魔物ヴァルキリースライムの()(じゅう)コマッチモの場合は年がら年中変装しているようなものだから平気かもしれないけれど、俺の場合慣れていないからどうしても違和感(いわかん)(おぼ)えちゃう。まあでも、他の分裂体(ぶんれつたい)の三人が頑張(がんば)っているからそこは我慢(がまん)

 1号、2号それに4号。みんなお疲れ様。

「こんなに面白い食い物を食べたのは初めてだ!」

「冷たい!それにこれ……ポテトサラダの味じゃないか!」

 屋敷の外は連日賑(にぎ)やか。

 冒険者や商人、はては貴族に仕える魔法使いが朝早くから辺境(へんきょう)片田舎(かたいなか)に続々足を運んでくれる。この屋敷の使用人(しようにん)荘園(しょうえん)小作人(こさくにん)たちの(はず)むような声と商品(ラインナップ)(にお)いが(ただよ)ってくる。ついでに孤独(こどく)(あわ)れな糞臭(ふんしゅう)と、傲慢(ごうまん)虫歯(ミュータンス)だらけの不細工(ぶさいく)口臭(こうしゅう)も。

 やれやれ、封印されし言葉「カンダチ」はハイスペックだからどうしてもこういうことが起きちゃう。好きな匂いばかりは(ひろ)えない。

 〝匂い〟といえば香料(こうりょう)達人(たつじん)の2号。がんばってね。

 匂いを(あやつ)れば世界はきっと一回くらいめくり返せるよ。めくり返せば「神の杖」を落としたバカもきっと見つかる。そっちにいれば、の話だけれど。

「このような感じでよろしいでしょうか?」

完璧(パーフェクト)。コマッチモは何をやらせても完璧だね」

 シザー、セニング、スライドを使い分けたコマッチモのヘアカットが終わる。

有難(ありがた)いお言葉。それでは二回目のシャンプーに(うつ)らせていただきます」

 午前九時三十分。

 ヘアカットを終えた俺は椅子に座ったままでシャンプーマッサージを受ける。

 ピュー。ピュー。シャッシャッシャ……

 サロンシャンプーを俺の髪にたっぷりかけたコマッチモが両手の指と手で、ゆっくりとそれを髪にからませていく。

 (かがみ)(うつ)()(じゅう)コマッチモの姿は、(ゆる)めで毛先をのこしたクラシカルシニヨン。ブロンドの髪の下には白い角膜、青い瞳がある。Eカップの(バスト)を包み込んだエプロンドレスがたまらない、なんて邪念(じゃねん)を俺は一切(いっさい)(いだ)かず、温和(おんわ)微笑(ほほえ)みを浮かべるコマッチモの小顔をおっとりと見つめる。

 ス。

 その笑みが消える。こっちは(あわ)てて目を閉じる。

 くる!

 シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカッ!!!!!!

 ロボット掃除機(そうじき)顔負けの超高速でコマッチモの両手が上下に動く。

 爪は一切立てず、あくまで指の腹で頭皮を刺激し、髪を洗ってくれる。

 俺の髪の毛、抜けまくるかもしれないけれど、とりあえず極楽極楽。サロンシャンプーの良い香りが部屋を満たしていく。

 なんて浮かれている場合じゃない。記されたモールス信号の中身をもう一度整理してみる。見逃している点がないかどうかもう一度確認する。

 首都にして聖都アスクレピオスのさらに中心。主城レミエル。

 アントピウス聖皇国の中枢(ちゅうすう)

 すなわち元老院(げんろういん)カペルラの()る所。

 元老院のメンバーは聖皇を含めて十六名。盗聴(とうちょう)魔法(まほう)警戒(けいかい)するため、魔法を使用すると警報(けいほう)のなる特殊(とくしゅ)な部屋で聖皇も(まじ)えて週に一度、秘密会議(オクラン)を行っているとか。

 司会(しかい)は特別な事情がない限り、常にマリク・ブロイニング枢機(すうき)(きょう)

 俺が異世界(パイガ)召喚で最初に会った枢機卿。

 情報によれば元老院(げんろういん)主席(しゅせき)

 考えてみれば当たり前かもしれないけれど、聖皇の職務(しょくむ)における最側近(さいそっきん)で、聖皇による召喚(しょうかん)()の現場管理人。何かあった時の報道官(ほうどうかん)も兼ねる。おまけにアントピウス聖皇国の主要施設とシータル大森林を管轄(かんかつ)しているらしい。シータルの管轄ねぇ……。

 まあいい。

 とにかくマリク枢機卿を筆頭(ひっとう)に、十四人の枢機卿と一人の図書館長(しりあい)が、数千の年輪を刻んだ巨樹(きょじゅ)円卓(えんたく)の前で一座に情報を伝え、次に打つ手を披露(ひろう)したり、相談したり、捻出(ねんしゅつ)したりする。そして議題の最終的決断は聖皇が下す。

 会議以前の小会議、つまり舞台(ぶたい)(うら)で話を進めないってところが元の世界の日本と違って素敵(すてき)。聖皇がお(かざ)りでないところも大日本帝国(むかしばなし)っぽくなくて嫌いじゃない。

 でも根回(ねまわ)しは大事だってところはどこの世界でも一緒らしい。まぁ、それがないとこっちとしても面白くないんだけどね。うふふ。

 その元老院の会議が現在のところ、紛糾(ふんきゅう)している。

 聖皇の表情は穏やかだけど明るくないとか。それも素敵(すてき)。ざまあ味噌(みそ)()け。

 それもそのはず。

 議題(ぎだい)山積(さんせき)

 その一、追放聖皇(ついほうせいおう)オパビニアの行方(ゆくえ)

 アントピウス聖皇国に東接(とうせつ)するイラクビル王国の首都バルハチが急遽(きゅうきょ)壊滅(かいめつ)して、生存者(せいぞんしゃ)の話によれば「動く花に(おそ)われた」。そこで世界最大の蔵書数(ぞうしょすう)(ほこ)るソペリエル図書館(としょかん)(きん)書庫(しょこ)(あさ)りまくってバルハチの存在理由(レゾンデートル)を再認識し、青ざめる元老院一同。

 排斥(はいせき)された元聖皇の収納(しゅうのう)魔法(まほう)使いが亜空間(あくうかん)に隠していた花人族(ブンガ)(ひき)いてバルハチを破壊したことまでは想像できても、その後の行方(ゆくえ)一切(いっさい)不明(ふめい)。理解不能。ちなみに俺のことが大好きでいじめまくってきた竹越沙友磨(たけこしさゆま)召喚者(しょうかんしゃ)は生き()びたものの、バルハチの城下(じょうか)(みん)同様に「記憶(きおく)がない」の一点張り。

 そりゃそうだ。()(じゅう)のソフィーが()き出した(あわ)にくるんで大砲の(たま)みたいにバルハチの外に吹っ飛ばしたんだ。意識を失っていて当然。

 興味(きょうみ)があって首を突っ込んだ俺がオパビニアを食べちゃったなんて知るわけがない。

 オパビニアのもつ亜空間スペキエスノヴァを俺の亜空間ノモリガミが呑み込んだなんて知るわけがない。

 歴代の聖皇らが消滅させるのをあきらめて封印し続けた魔法使いが元召喚者に消化(しょうか)吸収(きゅうしゅう)されたなんて思うわけがない。これがとても大事。

 んで、この禍花王(オパビニア)問題に対処(たいしょ)しなければならないのがソビエスキー・グレイ枢機(すうき)(きょう)

 イラクビル行政(ぎょうせい)の責任者。

 元老院カペルラの中で一番自由度(じゆうど)独立性(どくりつせい)が高いのがかえって(わざわ)い。自由と独立の代償(だいしょう)孤独(こどく)。味方になれるキャラがいな~い。というわけでお(かか)えの隠密(おんみつ)組織(そしき)ヘレボルスをフル稼働(かどう)(アカリ)幼馴染(ハルネ)馬鹿(ばか)二人は……まぁ、関係ないか。少なくとも3号の俺には。

 シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ……

 コマッチモの右手が手首を軸にして左右に高速で()られる。おでこから前髪(まえがみ)(とう)頂部(ちょうぶ)の髪の毛が徹底的(てっていてき)(あら)われていく。

 摩り方が変わった!

 指の背も使うんだ!?

 さすがコマッチモ。テクニシャ~ン。

 議題その二、ロンシャーン山道(さんどう)

 アーキア超大陸(ちょうたいりく)中央のロンシャーン山脈が大噴火(だいふんか)を起こした(さい)、俺はミソビッチョやシータルの仲間(ヤツケラ)とともに溶岩流(ようがんりゅう)を流すための(りゅう)()を必死に作製(さくせい)

 これによりアントピウス聖皇国がシータル大森林に兵を入れる軍用(ぐんよう)()をついでに壊滅(かいめつ)させた。加えて山で彼らが開発していた鉱山へのアクセス道路もちゃんと消失(しょうしつ)させた。ゲームオーバー。ヴァウディ・アブレ。イディックチェルト。スベテハムダ。

 聖皇国はそれをやっとこさ(かい)(つう)させたものの、鉱山内では事故が多発(たはつ)。まぁ、起こしている張本人(ちょうほんにん)は俺なんだけどね。ドンマイ。

 これに対処するのは老眼鏡(ろうがんきょう)をかけたり外したりしている司会者(しかいしゃ)マリク枢機(すうき)(きょう)

 彼の旧友(きゅうゆう)であるジブリール図書館長は「ロンシャーン開発はしばしあきらめた方がいい」と会議の場で静かに助言。一千キロ先まで見通す光属性魔法(アイインザスカイ)の使い手の言葉に、一同はうなだれ、座の空気はただただ重くなっていくとか。

 シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ……

 コマッチモの左手が洗髪(せんぱつ)に参加。後頭部(こうとうぶ)の毛を強く優しく(こす)ってくれる。

 気持ちいい!毛穴の皮脂(ひし)がかき出されてすっ飛んで、毛母(もうぼ)細胞(さいぼう)が歓声あげて喜んでいる気がする。

 議題その三、ジペルテン監獄(かんごく)

 アントピウス聖皇国の属国みたいな立ち位置にあるパンノケル王国の北の地ジペルテン。ルバート大森林に近いこの辺境(へんきょう)の地の重要犯罪者収容所で起きている連続(れんぞく)行方(ゆくえ)不明(ふめい)事件(じけん)

 これに関しては俺は何も関知(かんち)していないから分からない。ここで情報収集をやって初めて知った。ウチの諜報部(オルドビス)のミソビッチョも握っていなかったから4号も知らない。

 収容所でヒト(さら)って誰が何してんだろう?

 兵隊づくり?食糧確保?秘密保持?

 聖皇を困らせたい(やから)がただ問題を起こしているだけかもしれない。

 で、これに対応しなきゃいけないキャラはダキア・メソポタミア枢機(すうき)(きょう)

 彼は一言で言えばパンノケルの用心棒(ようじんぼう)集団のトップ。

 なのに用心棒の仕事ができていない。

 パンノケル王国の治安(ちあん)維持(いじ)のために秘密(ひみつ)警察(けいさつ)トイツブラーテンを率いるダキア枢機(すうき)(きょう)は改善できない現状を会議の場でしぶしぶ報告し続けなければならない。〝お便(たよ)り〟によれば(しょく)(ほそ)ってもうじき心労(しんろう)で倒れるかもしれないとのこと。心臓お大事に。

 気になるのは〝お便り〟をくれている張本人(ちょうほんにん)(かか)えている問題。

 議題(ぎだい)その四、ルバート大森林(だいしんりん)

 ジベルテン監獄(かんごく)のすぐ北に広がる広大な森の中の異変(いへん)

 魔物(まもの)減少(げんしょう)

 さらには森の近くに住む人や獣が森に入ったまま帰らなくなる事例が多発。

 その異変の結果かどうか、マルコジェノバ大陸に女帝(じょてい)リチェルカーレとかいう変なヤツが現れた。そしてその女帝を調査するのがマソラ2号。

 ごめんね。魔力をほとんど3号の俺が持って行っちゃったせいで大変だよね、2号。

 でも頼れる魔獣女子四人がいるし、2号の器用さとひらめきがあればたぶん女帝なんてやっつけられるよ。

 コンコン。

 部屋をノックする音が聞こえる。小さく咳込(せきこ)んだ後、「ハダリ様」と呼ぶ老人の声が(とびら)の向こうで聞こえる。

 ハダリ・ベリサリオス。

 シギラリア要塞を出る際につけた俺の偽名(ぎめい)

 俺は時折眺めようと思って宙に浮かせていた本を地面にそっと()ろしていく。

「どうなさいますか?」

 シャカシャカやってる手を止めずに尋ねてくるコマッチモ。たぶん三十分以上ルンバみたいに手を動かしてる。すごい。

「!」

 ふと(まぶた)を開いて驚く。俺の髪だけじゃなくて部屋中泡まみれ!そうだ!ヘアカットの後のコマッチモ念入りシャンプーマッサージはこうなるのを忘れてた!

「メロヴィングさん。ちょっと待ってください」

 うっかりしていた俺は亜空間ノモリガミの中に泡を呑み込む。乾かした床に本を着地させる。

「すみません。マソラ様の髪を洗うのが楽しすぎてつい」

 ミシュランマンになりかけたままションボリするコマッチモの泡も俺の亜空間が呑み込む。

「気にしないで。少しの間、泡が飛び散らないように続けて」

「かしこまりました」

 俺は「どうぞ」と言って声の主を部屋に招く。時計を見る。

 午前十時十分。

「失礼します」

 入ってきたのはこの屋敷主(やしきぬし)に仕える執事(しつじ)(ちょう)メロヴィング。考えてみたら「失礼」しているのは居候(いそうろう)のこっちなのに、律儀(りちぎ)な人。いついかなる時も紳士(しんし)って感じ。

「お届け物をお渡しに(うかが)いました」

 そう言ってメロヴィングは捧げるように小包(こづつみ)を俺に見せてくる。

「いつもわざわざ部屋まで届けてもらい、すみません」

 コマッチモに洗髪(せんぱつ)されながら俺は応える。

「いえいえ、礼には及びません。それより入用の物がございましたらいつでもお声がけください」

 コマッチモのシャカシャカ音が小さくなったかわりに、開けた窓の外の音が中に響いてくる。

「おらおら客ども!もっとこのテオドリック様に感謝(かんしゃ)しろ!さもないとジェラートを値上げするぞ!」

「そうじゃない!このガイセリック様にこそ感謝しろ!聴いているのか低ランク冒険者たち!!氷の魔法以外使えない分際め!」

「何を言う!このアラリック様あってのジェラートだぞ!?わきまえておるだろうな賎民ども!()が高い!」

 痩せ衰えたメロヴィング執事長の(ひたい)(しわ)が深くなる。……相変わらず、前立腺(ぜんりつせん)(がん)のニオイがする。しかも血流に乗って(がん)細胞(さいぼう)転移(てんい)も日に日に広まってる。あまり余命(よめい)は長くないだろうね。このままだと一年半くらいかな。

「すみません」

「どうかしましたか?」

 メロヴィングの謝罪を聞き流して俺が目を閉じると、コマッチモのシャカシャカシャンプーのスピードが元に戻る。封印されし言葉「カンダチ」の力で俺はメロヴィングが机に小包をそっと置き、深々と一礼して部屋を去っていくのを嗅覚で知る。

「では、そろそろすすぎに入ります」

「お願い」

 午前十時三十分。

 二回目のシャンプーが終了したタイミングで俺は小包(こづつみ)を宙に浮かせる。ひも解く。中から出てきたのはいつも通り書物。

 シャー……

 コマッチモにシャワーでシャンプーを洗い流してもらいながら、俺は本を読む。

 タイトルは『(りゅう)(ちぎ)り』。

 パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラッ!!

 内容は戯曲(ぎきょく)。それはどうでもいい。問題は各ページの(わく)(かざ)るモールス信号。

 パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラッ!!

 本の発送者はジブリール。

 すなわちアントピウス聖皇国のソペリエル図書館(としょかん)館長(かんちょう)

 つまり元老院(げんろういん)カペルラにいる、俺の内通者はジブリール。

 パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラッ!!

 ジブリールにモールス信号を教えたのは俺。それを使って異常(いじょう)な熱意で情報を伝えてくれる図書館長。俺にはアンチも多いけど、ファンもそれなりにいるみたいだ。

 パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラ……なるへそ。

「ようやく効果が出てきたみたい」

「それはようございます」

 午前11時。

 シャンプーを流し終えたコマッチモは俺の髪の水気(みずけ)をタオルで軽く拭き取り、再び肘掛(ひじか)け椅子に俺を連れていく。

 ニュウ。ニュウ。ニュウ。ニュウ。

 ヘアリンスを使ったトリートメントが始まる。

 今度はゆっくりと頭皮(とうひ)をマッサージしてくれるコマッチモ。至れり尽くせりとはまさにこのことだ。ありがたやありがたや。

 こんな天国みたいな状況とは真逆に陥っているのが今のアントピウス聖皇国とパンノケル王国。

 演出家はナガツマソラ。

 マソラ3号である俺。

 つまりチンダラガケを使った演出が効果を出し始めた。

 ナガツマソラ分裂体4体の中で一番潤沢(じゅんたく)な魔力素を持つことができた俺。マソラ3号。

 俺は首から下の自分の体を動かせない。けれど〝(ほか)の体〟なら魔力素を使って動かせる。

 他の体。

 それは()りすぐりのチンダラガケ2種。

 (あぶら)赤子(あかご)とモクリコクリ。

 ニュウ。ニュウ。ニュウ。ニュウ。

 油赤子はネズミをベースに作ったチンダラガケ。

 こいつらは昼夜問わず活動し、菜種油(なたねあぶら)を好んで食べる。

 一週間で繁殖(はんしょく)可能(かのう)個体(こたい)にまで成長し、一度に10匹前後の子を産む。俺が操縦するのは油赤子30匹。後から増えた個体に関しては支配(コントロール)しない。野放し。聖皇国首都アスクレピオスの発達した下水道(げすいどう)を通じて、どんどん油赤子は広がっていく。

 この油赤子のおかげでアントピウス国内の菜種油の先物取引(さきものとりひき)は完全停止。時価(じか)での取引しかなくなる。

 当然菜種油そのものが食いつくされるわけだから、菜種油の価格は高騰(こうとう)に次ぐ高騰。

 こうして首都アスクレピオスの街灯用(がいとうよう)の油は底をつく。夜間の照明は消える。辺境(へんきょう)片田舎(かたいなか)と同じ。夜は満天の星空を除き漆黒(しっこく)の闇に包まれる。

 けれど田舎と違い、人は大勢いる。自然と野盗が増える。人心は闇に呑まれて、少しずつ(ただ)れていく。

 そしてモクリコクリ。

 これは俺のお気に入り。見た目はハエ。

 だけど中に高度好塩菌(こうどこうえんきん)(きょう)(せい)させている。つまり塩を好んで食べるチンダラガケ。

 塩を食べることで食欲が増進し、このチンダラガケは体重の五倍量の食事を毎日行う。その結果、四日で繁殖可能個体となり、一度に数百個の卵を産む。ただしハエのように産んですぐに死なない。死ねない。死ぬのは体内に塩を取り込みすぎて浸透圧(しんとうあつ)調節(ちょうせつ)ができなくなった時。高度好塩菌に全てを呑み込まれた時。

 その瞬間。つまり体内に塩を取り込みすぎて死ぬまでモクリコクリは食事と生殖を続ける。そして大事なのはモクリコクリ自身も高度好塩菌に対して〝反撃〟すること。

 つまりモクリコクリは塩分を排泄(はいせつ)する。

 ハエとしての生存本能が働き、塩玉(しおだま)として(ふん)とは別に塩の塊をこのチンダラガケは排泄する。これを俺はアントピウスの首都から遠い街で放った。

 目的。

 それは聖皇国(せいおうこく)の塩の専売制(せんばいせい)の破壊。

 夜の闇に(まぎ)れて飛ぶモクリコクリは塩蔵(しおぐら)岩塩(がんえん)をなめ尽くして消し、次の日には街や野のあちこちで塩玉を残す。塩分(えんぶん)がないと生きられないという人間の弱みにつけ込み、歴史上の覇者(はしゃ)たちはことごとく塩に(ぜい)をかけてきた。異世界(いせかい)だろうとアントピウスだろうとそれは変わらない。

 だからそれを終わらせる。塩はみんなの物。(ひと)()めなんてさせな~い。

 回収しても取り上げても次の日には再び散っていく塩。

 塩を高値で買わずに済む人々。これでとりあえずは生きられる。

 とはいえハエまみれ。糞便の処理には困らないけれど、ぼうっとしていると自分たちの食糧まで食らいつくされちゃう。ハエの幼虫である(うじ)を逆にタンパク源として養殖する強者は現れるかな?そして……ふっふっふ。

「あ~、やっちゃったか」

「マソラ様?何か不手際(ふてぎわ)がございましたか?」

「ごめんごめん、なんでもない」

 びっくりして手を止めていたコマッチモの動きが再開する。

 俺は記憶したモールス信号の解読を終える。油不足と塩の放出。未曾有(みぞう)の混乱に収拾(しゅうしゅう)がつかず、紛糾(ふんきゅう)する秘密会議。その打開策として、ジブリールは俺が用意した小ネタを会議の外の休憩室で別の枢機卿に、さりげなくほのめかした。

「塩に()わるものなど、神の(ゆる)しくらいしかあるまいて」。

 ヒトはパニックに(おちい)ると、とんでもないものを〝救い〟だと勘違(かんちが)いする。

 ジブリールのぼやきが、とある枢機卿の中に〝救い〟を生んだ。

 それが免罪(めんざい)()

 ようするにお(まも)り。

 これをもっていれば神の(ばつ)から逃れられますよという護符(ごふ)。どこの世界にでも存在する、インチキのかたまり。

 免罪符を発行するために組まれたロジックは、「カディシン教の善なる神ミズラオリオが「塩の税収(ぜいしゅう)を失う支配層(しはいそう)地獄(じごく)」と「油を失う()支配層(しはいそう)の地獄」を一挙に解決する策が免罪符である」というもの。これが結構笑える。

 悪神フレアデスとそれに(つか)える魔王ウェスパシア。

 彼らが民をたぶらかすために「塩をまく」という〝(たみ)にとっての(あめ)〟を用いたと元老院において説き、善神ミズラオリオが民の傲慢(ごうまん)(いまし)めるために菜種油(なたねあぶら)没収(ぼっしゅう)するという〝民にとっての(むち)〟を用いたと国民には()くつもりでいるらしい。笑うしかない。

 こんな()頓狂(とんきょう)な説を真面目(まじめ)に元老院でぶったのはシプレス・エコール枢機(すうき)(きょう)

 こいつはパンノケル王国、アントピウス王国、イラクビル王国の農林(のうりん)水産(すいさん)資源(しげん)を管轄する。つまり追い込まれて後がもうない枢機卿。

 だからジブリールに舞台裏で「免罪符」のひらめきを与えられた貴族。「当の本人は免罪符を天啓(てんけい)と心得ているところ、(かた)(はら)(いた)し」のジブリールの記述がジワる~。

「免罪符はやむを得ないのでしょうか?」

 とは、オファニエル聖皇の台詞。

 そりゃそうだ。

 こんなのを発行すれば自分の人気がガタ落ちするのは普通に考えればわかる。

「皆々様の前で口をはさむことをどうかお許しください。確かに、防衛費がかさんでいるいま、新たな税収が必要なのは事実だと考えます」

 なんて余計で(うれ)しい口出しをしたのは、会議場の入口を警備する聖皇親衛隊(しんえいたい)平井久我之(ひらいくがの)(すけ)とかいう御仁(ごじん)

 詳しい情報はジブリールから知らされていないけれど、名前的には召喚者(しょうかんしゃ)っぽい。まぁとにかくその軍人さんが国防費に言及。

 確かに確かに。イラクビルの対魔王戦線も活性化。

 そして(あぶら)赤子(あかご)の退治と首都の夜間警備のためにアントピウス国内の兵士が集められ、人件費はかさむ一方。

 首都とは別に、郊外(こうがい)跋扈(ばっこ)するモクリコクリは冒険者の討伐(とうばつ)クエスト上位を独占。手間はかかるけれど危険度が低いから低ランク冒険者でも挑めて超人気。というわけでアントピウスが冒険者ギルドに成功報酬として支払う金額も馬鹿にならない。カネ。カネ。カネ。金が思考を狂わせる。「免罪符がそもそも論外」という思考が回らなくなる。

「期間を限定し、効能を民に知らしめればより聖皇様および神への信仰も(あつ)くなるかもしれません」

 (つか)れ切ってそう助言するのがコンスタンティン・メセット枢機(すうき)(きょう)。パンノケルの(ぎょう)財政(ざいせい)管轄(かんかつ)。それを聴いて頷くしかないのがダキア・メソポタミア枢機卿。パンノケルのお(まわ)りさんのボス。

 パンノケルが抱える真の問題は、ジペルテン監獄行方不明事件じゃない。

 枢機卿二人を心から悩ませているのが俺の「現象型」チンダラガケ。

 つけた名前は鳴子(なるこ)達磨(だるま)

 これはロンシャーン南麓のスノードロップでやった姑獲鳥(うぶめ)と一緒。地縛(じばく)現象型(げんしょうがた)

 つまり俺はチンダラガケをパンノケル王国の首都カテニンとその近隣(きんりん)にセッティングしたけれど、コイツに関してはノータッチ。コイツはほぼ好きなタイミングで能力を発揮(はっき)する。そしてその能力は、油赤子やモクリコクリとは違った地味な(いや)がらせ。

 ただこの嫌がらせは個人的には意味深(いみしん)で面白いと思っている。

 姑獲鳥(うぶめ)と同じく特定の場所に地縛させたけれど、姑獲鳥のようにランダムに即死(そくし)魔法(まほう)を発動させ死を()()らすようなことはしない。あれは第一条件として常戦場(じょうせんじょう)のような魔力素の濃い土地が必要だし、そもそも即死魔法が危険(きけん)。敵味方関係なくランダムに死んじゃう。

 その点、鳴子(なるこ)達磨(だるま)は安全。ただ〝安心(あんしん)〟じゃあない。

 鳴子達磨はただ音を鳴らすだけ。

 それも(すず)拍子木(ひょうしぎ)の音。

 音が遠くまで響く夜に出現するようにしようかとも思ったけれど、逆の方がかえって怖いと思って昼に出現するようにだけ緩くセッティング。

 その二つの音が意味するのは「これから病人がここを通りますよ」という合図。

 カディシン教に染まるこの世界は差別(さべつ)だらけで、外見(がいけん)変貌(へんぼう)してしまう伝染病(でんせんびょう)罹患者(りかんしゃ)は、街や村を通過する際に音を鳴らさなければならない(おきて)がある。

 たぶんその掟の根幹(こんかん)にあるのは新たな感染者を増やさないための隔離思想だろうけれど、患者にだって人権はある。俺みたいに自分から〝ぼっち〟を受け入れているような自己(じこ)充足者(じゅうそくしゃ)ならいいけれど、そうじゃないのに〝ぼっち〟にされるのはちょっと気の毒。

 そう思って感染症罹患者の鳴らす鈴と拍子木の音を真似できるキジバトベースのチンダラガケを開発。

 ハトに交じって鳴き、しかも光学(こうがく)迷彩(めいさい)で周囲の風景に溶け込んで目視(もくし)不可能(ふかのう)

 鳴けば周囲の鳥は驚いて逃げるか、キョドる。

 鈴と拍子木の音と、羽ばたいて逃げる鳥を見て、互いに顔を見合わせる人々。

 でも病人が道を移動する気配はない。怖くなって家に帰りたいけれど、それじゃ商売にならない。農作業ができない。

 自分だけしか体験しない恐怖とは違い、真昼間にみなで体感する音の恐怖。

 音は夜より響かないけれど、夜よりも早く恐怖は伝染する。

 そして実際に音を鳴らす病人が通過した際は無視できず逃げ散るようになる人々。

 ところが鳴子達磨のせいで逆に、病人はリンチされて殺されるようになった。

 そうした事件が起きた場合は、カディシン教の法律に基づくと、リンチに加わった連中は死罪が適用される。カディシン教の聖典によれば死罪の理由は「弱者を殺めたから」。でも本当の理由はたぶん、「伝染病患者と濃厚接触したから」。

 というわけで未来の労働力たる健康な若人が怒りと焦りで病人を痛めつけては次々に首を刎ねられ、パンノケル王国の民衆は鈴と拍子木の音に過剰反応する毎日。不満のはけ口をどこに向けていいのか分からない。

 分からないけれど、徐々に向き始める方向はカディシン教そのもの。

 神父や僧侶、さらにはその家族の行方不明者が相次ぐ。怖いねぇ。魔女狩りならぬ神父狩りか。人の心の闇は本当に怖~い。

 パンノケル王国は、ジベルテン監獄の事件よりもこの鳴子達磨によって人心がかなり乱れている。

 王国兵もSランク冒険者も鳴子(なるこ)達磨(だるま)は倒せない。

 だって現象だから。

 鳴子達磨を倒したかったら地層で化石化した魔力素の地脈(ちみゃく)を消す以外にない。

 でもそれは例えば、ロンシャーン規模の山を噴火させるしかない。

 そしてそんなの、できるわけがない。

 病人に音を鳴らすのを止めさせる以外にない。

 それはつまりカディシン教の教えの一部を否定するしかないということ。

 自分たちのよりどころである聖典を否定すること。

 どうする~?

 カディシン教の総本山に、それができるかなぁ?

「免罪符を持つ者は病人であっても鈴及び拍子木を鳴らさなくともよい。そして病人に対しては国から免罪符を支給するというのはいかがでしょう」

 これがコンスタンティン枢機卿の殺し文句。

「それでも聞こえる(すず)拍子木(ひょうしぎ)の音があるとすればもはやそれは、魔物の仕業(しわざ)といえます。そして魔物は冒険者や兵士によって狩られ続け、少なくともパンノケルにおいては沿岸部を除き、数は多くありません。民衆が魔物の鳴らす音を聴く機会はきっと減りましょうし、病魔ではなくただの魔物の悪戯と分かれば民衆もいささか安堵するでしょう」

 応援するダキア枢機卿の言葉とか。ツッコミどころ満載なのがウケる。

「残るは魔物の仕業とおっしゃられますが、ではもし音を鳴らす魔物がいた場合、その魔物を倒せる目途は立っているのですか?」

 聖皇オファニエルの当然の問いに明確な返事を出せない枢機卿二人。倒せたらこんなに困ってないよってきっと思ってただろうね。

「はぁ……最悪の場合、私が動きましょう」

 そう、これ。

 ここが魔法の世界。

 最後はボスが何とかできるらしい。

 オファニエル聖皇はため息をついた後そう言って免罪符の案を許可したとか。すごい。コイツなら宇宙からタングステン製の金属棒を平気でシギラリア要塞に落としてきそう。タングステン製の金属棒をマッハ9の速度で落とせば鳴子達磨を()れるね。

 うんうん。ますます()る気が湧いてくるよ。

 オファニエル。

 必ずオマエの前に立ってやる……

「おいお前!!今俺様のことを馬鹿(ばか)にしただろう!!」

「め、滅相もございません!」

 窓の外の(やかま)しい声のおかげで、自分がトリートメント中であることを思い出す。

 時計を見る。午前十一時十八分。

「騒々(そうぞう)しいですね。三人とも殺してブタの(えさ)にでもしますか?」

 ゆっくり優しく俺の頭皮(とうひ)をマッサージしてくれるコマッチモはちょっと(オコ)モード。

「いや、俺が何とかするよ」

 屋敷の外に養鶏場(ようけいじょう)がある。俺は水蒸気を凝集(ぎょうしゅう)させ、糸のように長く伸ばし、養鶏場の(じょう)をあける。

「ブタじゃなくてトリで」

 水滴の中に俺の魔力素を混ぜ、ニワトリたちの耳に入れ、小さな脳に浸透(しんとう)させ、タンパク質を(いじ)りながらちょっとした仕事を命じる。「三人は卵泥棒だ。命がけで追い払え」。

 コケーコッコッコッ!コケーッ!!

 ドーパミンの異常分泌を起こした48羽のニワトリがけたたましく鳴きながら養鶏場を飛び出し、ジェラードショップの(そば)で客相手にふんぞり返っている三人の御曹司(おんぞうし)襲撃(しゅうげき)する。

「うわ!?なんだこいつら!」

 二十歳(はたち)にもなって教養も武芸も魔法も処世術(しょせいじゅつ)も何一つ持ち合わせない三人。

「ひいぃぃい!魔物に(おそ)われる!!」

 しかも趣味(しゅみ)飲酒(いんしゅ)と弱い者虐(いじ)めという、絵に描いたカスみたいな三人。

「くそっ!あっちいけ!!あっちいけぇ!」

 野鳥に近い筋肉質のニワトリにつつかれ引っ掻かれ、御曹司三人は急ぎ屋敷に逃げ込もうとする。けれどどこかの執事長の仕業で扉は閉まっていて開かない。その間も襲われ続ける三人はたまらなくなって屋敷の敷地の外へと()(さお)になって逃げていく。それを執拗(しつよう)に追うニワトリたち。飛べないけど羽ばたいてジャンプできるし、走るのが思っていた以上に速い。

 ジェラートを売る人、作る人、買う人は最初その光景を呆気に取られて見ていたが、次第にこらえきれなくなり、笑う。腹を抱えて笑いつつ、ジェラートを一口。また笑う。ひっくり返って笑い、笑い終わってジェラートを買い求め、一口。思い出してまた笑う。ジェラートを容器に入れて客に手渡しながら笑う従業員。

 皆が笑う。ジェラートとともに。

 ジェラート。

 アイスクリームですら、召喚者が異世界の知識を持ち込んでからまだ日が浅く、一部の富裕層しか食べられない。

 そこにきてジェラート。

 庶民のデザートとしてかき(ごおり)は昔からあるみたいだけれど、平均気温が低い超大陸(アーキア)南西部ではそこまで氷食いは流行(はや)らない。せいぜい風呂上がりに口にするくらい。

 そこにきてジェラート。

 世界を(くら)ます香料(こうりょう)調香(ちょうこう)ができるマソラ2号ほどじゃないけれど、このアイデアは結構当たった。

 みずみずしい高原野菜と糖度の高い果物、そして濃いミルクを使ったジェラードはカナウジ市の地元農家を驚かせることに成功した。

 結果、噂は市を超えハルシャ州全体に鳴り響き、こうして毎日朝早くからお客が来てくれる。

 塩の専売制を崩した俺のせいでアントピウスの各市を治める貴族たちの納税額は高まっている中で、収益を伸ばしたカナウジ市はどうにかトントンでやっていけてる。

 そして収益(しゅうえき)のほとんどを農家(のうか)還元(かんげん)する。

 どうせ俺のカネじゃない。だから稼いだ連中に返す。

 普段安い価格で農産物を買い叩かれている農家にしてみれば夢みたいな話で、この市を治めるバーソロミュー家の株は上がる。バーソロミュー家はいつもどおりの税収で暮らせばいい。商人への借金(ツケ)をこっそり返済しながら。

 誰にも損をさせないジェラート。

 そりゃそうだ。

 これは単に〝チート料理〟を持ち込んだ俺がズルいだけのこと。損なんてしない。

 そして誰かと誰かをつなぐジェラート。

 この氷菓子にはほかにも利用価値があった。

 バーソロミュー家の当主チャルキア・バーソロミューは息子たちとは異なり有能(ゆうのう)らしく首都アスクレピオスで官僚(かんりょう)として日々働いている。裏を返せば自分の荘園管理を息子たちに任せている。正確には無能な息子たちを見張る、堅実だけど敏腕さの少し足りない執事長に。

 そのチャルキアがジェラートのことを知り、それがさらにソペリエル図書館の館長ジブリールの耳に入った。

『アントピウスにお越しくださると分かればこちらから会いに(うかが)いましたものを』

 というメッセージを、古代語4つを使って暗号化(あんごうか)した手紙をジブリールはバーソロミュー家の屋敷に試みに送ってきた。表向きは『稀有な氷菓子をお創りになられている料理人様へ』。

『一度食べにおいで。会うことはできないけれど、ご馳走(ちそう)くらいはするよ。(のぞ)きの好きなおじいちゃん』

 別の古代語3つを使って暗号化した手紙を逆に図書館のジブリール(あて)に送ったところ、〝おじいちゃん〟は本当にカナウジ市のバーソロミュー家までやってきたらしく、「ジェラートを食べたあと(ひざ)をつき、(なみだ)しながら屋敷に祈りを捧げている不思議な老商人がいた」とあとで従業員(じゅうぎょういん)から聞かされた。

 超級(ちょうきゅう)魔法(まほう)アイ・インザスカイで「覗き」を向こうがしてきたら見つけてやろうと思ってたけれど、そこは奥ゆかしくなったんだね。やらずにジェラートを食べただけで帰った。おかげで「カンダチ」で探知し(そこ)ねた。やるじゃん。遺していった『〝真〟なる〝天〟味、たしかに堪能(たんのう)いたしました』のメッセージカードがこれまた心憎(こころにく)い。

 とはいえこれで(えん)が切れたわけじゃない。ジブリール館長との〝文通〟は続いている。

 俺はモールス信号と配送方法をジブリールに教え、そして首都アスクレピオスにおける状況報告を彼に頼んだ。

 俺は俺のもつ既存の諜報網(ちょうほうもう)に直接頼れない。

 アントピウスやイラクビルに最初から潜伏(せんぷく)しているミソビッチョたちとは俺は接触しない。しない方がいい。

 彼らは本部であるシギラリア要塞の4号に状況を報告する。その情報のやりとりは複雑(ふくざつ)緻密(ちみつ)で、余計なことを3号の俺なんかがすると、せっかく築き上げてきた諜報網が崩れかねない。だからマソラ3号である俺は俺で情報を独自に入手し、4号からもらった情報とすり合わせ、必要があれば4号を介して、1号や2号にも情報を発信する。

 とにかく。

 他の分裂体とは違い、俺だけは他の三人の足を引っ張れない。

 なぜなら3号の俺は魔力素が潤沢(じゅんたく)にあるから。

 俺は絶対に足を引っ張れない。

 他の分裂体はみんな課した制約が厳しい。そんな状況で必死に自分の責務を果たしている。

 魔力素の少ない2号。

 美人で強いけど、トンチンカンなところのある四人に守られながら、時には彼女たちを守らないといけない。

 再生以外の魔法が使えない1号。

 古参(こさん)のニーヤカと新参(しんざん)のジョケジョケをまとめあげなければならない。

 一切動けない4号。

 ミソビッチョともども本部に残っているせいで、再び「神の杖」の標的(ひょうてき)にされるかもしれず、そんな中でも防衛(ぼうえい)対策(たいさく)を進めないといけない。

 それに対して3号の俺は、首から上は自由に動くし、魔法も使える。魔力素も十分にある。

 それに、

「またあの執事(しつじ)殿(どの)がいらしたようですね」

 俺にはコマッチモがいる。何でもありの、元ヴァルキリースライムにして俺の魔獣。

「土のいい香りがたくさんする。働き者の汗のニオイも」

 コンコン。

「ハダリ様」

 ノックが聞こえ、ドア越しに執事長メロヴィングが挨拶する。

 時刻は午前十一時四十五分。

「はいはい。今あけます」

「大丈夫でございます。お部屋の外からで失礼します。今日もジェラートは売り切れました。連日大変な好評(こうひょう)で、私も大変うれしゅうございます。そこでなのですが、どうしてもということで、野菜の仕入れ先である村民らが一言ハダリ様にお礼を申し上げたいとのことで、お連れしました。洗髪中と存じ上げますので(とびら)()しの無礼をご容赦くださいませ」

「ハァダリ様!本当~にいづもありがとうございまぁ、あっ!?」

 俺は水の糸で扉のノブを回して開く。目線は向けられない角度に座っている俺だけど、匂いで人数と性別と年齢くらいは分かる。

「こんな姿でごめんなさい。こちらこそみなさんが毎日楽しそうに仕事をされている姿を窓から拝見させてもらって満足しています。これからもきれいな水と命溢れる土を使い、美味しくて新鮮な野菜と果物、それに乳牛を育ててください。そうすればカナウジ市の魅力はもっと国中に知れ渡りますよ」

 部屋の壁に伸ばした水の糸と自分の頭を接続し、俺は小さく頭を動かす。

 よれよれの帽子を両手でつかんで胸に抱え、口をぽかんとあけていた村の農家の人たちが大袈裟なくらい首を垂れる。「ありがてぇ」としぼるように言った誰かの言葉が、末期癌(ステージ4)の執事(しつじ)(ちょう)の目を()らす。

 コケーコッコッコッ……

 あ、忘れてた。

 ドカンッ!

 屋敷の扉が激しく開かれる音。

 執事長の潤んだ眼が再び元に戻り、農家の人々を俺のいる向かい部屋の乾燥室に隠して急ぎ鍵を閉める。執事長の握る鍵束がジャラつく。

 午前十一時五十分。

「こっちは閉めなくていいですよ。どうせ彼らは俺に用があるのでしょうから」

 俺の部屋の扉まで閉めようとしたメロヴィング執事長にそう言うと、執事長は扉を閉めるのを止め、「では失礼します」と、代わりに俺の部屋の中に入ってくる。鍵束をしまい、ポケットからさりげなく出したのは強い鉄の匂い……寸鉄(すんてつ)か。消えない古い血のニオイが混ざっている。

 なるほどね。

 あの〝糞臭〟を三人の護衛にチョイスしたのはたぶんこの執事長だろうな。

 知り合いだったかな。だとしたら気の毒なことをした。

 まぁジェラートでその件は勘弁(かんべん)してもらおう。

 ドガドガドガドガ……

 階段を駆け上る音がうるさい。

 〈コマッチモ。絶対に殺しちゃダメね。それと剃刀で目を切断するのもダメ〉

 〈……かしこまりました〉

 身体の一部を既に変形させて(ひげ)()り用の剃刀(かみそり)(つか)んでいたコマッチモは剃刀を()(たた)み、ポケットの中にしまう。

「「「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!!」」」

 美味しい野菜と果物の産地なのにそれらを嫌って一切食わず、毎日肉とジャガイモのフライと濁り酒ばかり食らって肥え太った三人の口臭が部屋中に広がる。ついでに虫歯菌の棲むプラークの臭いも。

 午前十一時五十一分。執事長が三人に濁り酒を許可する五時間九分前。

「おい人形野郎ハダリ!」「魔物をけしかけたのはお前の仕業だな!?」「今すぐ出ていけ!この役立たずの穀潰し!」

 (つば)を飛ばして叫ぶのはバーソロミュー家の御曹司(おんぞうし)

 それは三つ子のテオドリックとガイセリック、アラリック。

 一卵性らしく顔かたちはそっくりだけど、母親の胎内(たいない)胎盤(たいばん)は一つしかないから栄養の取り合いが起きて、テオドリック、ガイセリック、アラリックの順番に身長が高い。そして栄養を摂取できなかった奴ほど飢餓(きが)に備えた遺伝子(いでんし)発現(はつげん)したとみえて、アラリック、ガイセリック、テオドリックの順番に太ってる。

 でもとにかく全員今は栄養過多で肥満体であることは間違いない。

 そして想像するしかないけれど、父親の賢さは遺伝しなかったらしい。若年性アルツハイマーを(わずら)い部屋でボロボロのぬいぐるみを抱いて寝起きしている一階寝室の母親の遺伝の方が強いのかな。

逗留(とうりゅう)のための〝宿泊代〟はお支払いしているはずですが」

「宿泊代だと!?カネなんて俺様はもらってないぞ!」「そんなことよりどうやって魔物をけしかけた!?」「あれは魔物じゃなくてニワトリだ!それよりジェラートを作ってる俺の邪魔をするな!」「何を言ってる!俺の使用人がジェラートを作ってる!」「違う!俺の使用人だ!だから俺のジェラートだ!」

 ニワトリの羽まみれのバカ息子たちが俺の借りている部屋でいつもの言い争いを始める。

 執事長の寸鉄(すんてつ)を握る(こぶし)(かた)くなる。いきなり飛び込んで頭蓋(ずがい)に穴でもあけそうな気配だ。

 コマッチモの重心移動が始まる。お願いだから上段(じょうだん)(まわ)()りは止めてね。二階の壁だけじゃなくて屋根まで吹き飛んじゃうから。

 壁。屋根。

 全ては歴史あるバーソロミュー家の一部。

 アントピウス国内において、チンダラガケを自ら操作し、状況を観察ための居場所が俺は欲しかった。

 そこでたどり着いたのがたまたま、ハルシャ州カナウジ市のバーソロミュー家。


「うぬは何者(なにもの)か」

 今から二か月前。

 バーソロミュー家の領地(りょうち)に初めて足を()み入れて間もなく、バーソロミュー家の用心棒(ようじんぼう)を名乗る男がコマッチモに近づいてきた。ちなみにその時の俺はどこかの芸人みたいに、コマッチモの持つ旅行(りょこう)(かばん)の中に形を崩して梱包(こんぽう)されていた。これがまた大事(おおごと)で、「マソラ様をこのような狭い所に詰め込んで運ぶなどできません!」ってコマッチモが泣いていやがったけれど「仕事だと思って我慢して」と説得するのに二時間もかかった。

 さて用心棒。

 用心棒は自分から「俺の名はエフタルだ」と名乗り、さらにBランク冒険者でもあると明かしたうえで、しかも秘孔を突いて相手を殺せる特技があるとわざわざ教えてくれた。「存じ上げませんが、その道ではさぞ名の知れた拳法家なのでございましょうね」とコマッチモは答えて「実は逗留先を探しております」と続ける。〝ここ〟まではよかった。おそらくエフタルの人生にとって。

 ところが〝ここ〟で、用心棒エフタルは偉そうに自分がバーソロミュー家の用心棒であることを伝えたうえで「俺に奉仕(ほうし)するなら屋敷の連中に口を()いてやってもいいぜぇ」と、コマッチモのナイスバディーを()め回すように見ながら言った。やめておけばいいのにそれでコマッチモのオッパイを触ろうとした。そして触れた。

 ムニュ。

「やめてくださりませんか」

「やなこった。それにこれは通行税だぜ。へへ」

 (むね)()まれたコマッチモは俺の入ったカバンを静かに下ろすとこちらの指示通り、殺さずに反撃。とはいえこちらの想像を超えて半殺し。

 エフタルの両目の眼球を一瞬で引き抜く。動揺しているのもお構いなくエフタルの顎を片手で強く(つか)んで舌をせり出させ、相手の腰に差してあるナイフで舌を切り落とす。トドメは腰椎(ようつい)膝蹴(ひざげ)りをぶち込んで、脊髄(せきずい)背骨(せぼね)ごとへし()る。

 〝ここ〟から先は(やみ)

 ようこそ光無き暗闇(くらやみ)へ。弁明(べんめい)することももはやできず、ついでに脊髄(せきずい)損傷(そんしょう)のせいで(くそ)小便(しょうべん)制御(せいぎょ)もできない下半身(かはんしん)不随(ふずい)の人生の始まり。

 こうして一人の元冒険者が難易度高めの闇に()みこまれていった。

 これがバーソロミュー家との(えん)の始まり。

 エフタルはその時バカ息子三人の護衛(ごえい)として、一応彼らを見張(みは)っていた。その見張られていた三人がエフタルの悲鳴とコマッチモの存在に気づき、何事かと近づいてくる。

「おいお前、どこの者だ!」「女の一人旅か?」「エフタル!何してる!!」

「この殿方(とのがた)は転んだ拍子に胸を地面に強く打ちつけてしまい、そのせいで血を吐き、死にかけております」とコマッチモが嘘をかますと馬鹿三人はそれを心から信じ、村人いじめを中断して屋敷に駆けていった。

 その間に俺は(かばん)から出て、亜空間ノモリガミから出したロッキングチェアに座らせてもらう。ちなみに椅子の脚の下には亜空間サイノカワラから出した動物ベニウミグモの「エリザベス」に入ってもらう。椅子と俺の体重を支えるのは大変だと思うけど、我慢して。餌は多めにあげるから。

 それにしてもすごいのは亜空間サイノカワラ。

 時の早く流れる亜空間なんて、便利だねこれ。

 アルマン王国の埋葬(まいそう)都市(とし)バトリクスの死体置き場に「封印されし言葉」が眠っているなんて想像もしていなかったよ。

 へぇ~。「ヒガンタロウ」ねぇ。4号、ご苦労様。

 2号。悪いけど、3号の俺にも少しだけ使わせてね。埋め合わせは必ずするよ。

「さて、と」

 全自動(ぜんじどう)車椅子(くるまいす)「エリザベス」に座らせてもらった俺は、指錠(サムカフ)を亜空間ノモリガミから取り出し、コマッチモに渡す。

 屋敷の使用人六人が担架(たんか)を持ってこちらに走ってきた時には、エフタルは背中に腕を回され、両手の親指と親指を錠でロックされた状態。本人情報によれば秘孔(ひこう)()きらしいから念のために背中で握手させる形にして指をロック。腰から下が動かないから体を()るのは大変だよね。

「んんん……んごおお……」

「なんだ、こいつ」「エフタル!?」「お前は一体エフタルに何をした?」

 全身汗だくで再び戻ってきた馬鹿三人は水筒の砂糖水でのどを潤したあと、様子が明らかにおかしい護衛のエフタルと俺を見て叫ぶ。

「初めまして。ハダリ・ベリサリオスと申します」

 言って、俺は微笑み、まばたきをする。

 水の表面張力の利用できるおかげで椅子から転げ落ちないでいられるけど、独りで頭の上げ下げはできず、俺は顔の表情だけで挨拶をしないといけない。

「さっきまでお前、いなかっただろう!」「エフタル?ひっ、目がない!エフタルの目がない!「なんて姿勢でいるんだ!?おい、口中血まみれだぞ!!」

「流行り病から(のが)れたく、従者(じゅうしゃ)とともに祖国を離れ旅をしていたのですが、このたび私の従者が破廉恥な暴行を受けたので仕方なくこのような仕打ちを行いました」

 水の糸を使い、俺は地面に落ちているエフタルの眼球二つと舌を浮かせる。この時点でバカ息子三人もバーソロミュー家の使用人六人も俺が魔法使いであることを認識してくれたはずだ。

「何やら通行税なるものがあるとかで、それが婦女の乳房を獣のごとく握りしめるという行為。それを認めている領主様がいるのなら一度お会いしたいものですね」

 俺はエフタルからくりぬいた眼球と切り取った舌を三人のバカ息子の顔面にゆっくりと近づけた。震え上がった三人はそれぞれ目と舌を払いのけて一目散に屋敷へとまた走っていく。忙しいね。そして何度も何度もよく転ぶ。

「「「「「「………」」」」」」

 使用人たちは担架を手にしたまま、どうするかを話している。「カンダチ」のおかげで彼らがバカ息子にも用心棒にも好感をもっていないことは明らかだった。

「とりあえず、御屋敷にご案内します。事情によっては領地をすぐ去っていただくことになるかもしれませんが、その時はなにとぞご容赦ください」

「ええ。それは覚悟しております」

 そうして俺はバーソロミュー家の敷居(しきい)をまたぐ。後は「旨味(うまみ)」を何らかの形でこちらが提示できれば屋敷での長逗留は可能かもしれないとその時点で俺は計算し始めた。

 バーソロミュー家の屋敷において一番の実力者。

 それが執事長メロヴィング。

 屋敷で初めて執事長のメロヴィングに会った時、彼はサーベルを腰に差していた。

 ステータス的には、病魔に冒されたAランク冒険者。彼はコマッチモの隙の無さを見て悟ったようで、すぐにサーベルを置いた。うちの魔獣女子四人分に匹敵するコマッチモだからね、そりゃあ勝ち目ないよ。でも隠している相手の力量を初見で見破れただけでもすごいし偉い。

「同僚から伺ったところ、当家の嫡子の護衛人が大変な無礼を働いたとのこと。重ね重ねお詫び申し上げます。このような何もない所でよろしければ、お気の済むまで滞在してくださりませ」

「すみません。実はそのことで無心(むしん)しようと思っておりました。しばらくの逗留をお許し願えますか。私の従者は腕が立ちますのでどうか」

「部屋は余っております。お好きにお使いくださいませ」

 というわけで〝用心棒〟代わりにコマッチモが逗留できるから、ついでに俺も逗留できることになる。ちなみに最初の〝用心棒〟は屋敷内の折檻用(せっかんよう)の暗い地下房(ちかぼう)に、指錠(しじょう)をつけたまま押し込まれた。もちろんコマッチモによって。

 さてさて。働かざる者食うべからず。

 行き当たりばったりの展開で屋敷に流れ着いたけれど、俺も少しは役に立たないといけない。

 ここからは知識と運に救われる。

 キャベツと牛乳のスープを夕食に出された時にジェラートを思いついた。

「!?」

「お口に合いますか?」

「これは……魔法でございますか?」

「はい。魔法で凍らせました。味をそのまま再現するのは少々骨が折れますが」

「いえその、味も魔法で、幻でございますか?」

「え?」

「なんと……おいしい……」

「それは、魔法ではございません。ここの土と水と人の力によるものです」

 おかわりをしたスープをその場でジェラートにして執事長に試食してもらったところ、これが好評(こうひょう)。ついでに料理長や使用人たちにも食べてもらい、そこから話がトントンと進む。野菜や果物、そして牛乳の組合(くみあわ)せを彼らが考え、俺が試しに(こお)らせる。

 逗留(とうりゅう)して二週間で、とりあえず14種類のレシピができあがり、しかもジェラートの話がカナウジ市全体に広がる。

「重さ当たりで野菜を肉と同じ値段で買い取ってくれて、しかもうめぇ(こおり)菓子(がし)にしてくれるって話だぜ!」

「アナグマや野ウサギもそりゃ(あぶら)が乗ってうめえけど、おらたちの丹精(たんせい)()めて作った野菜だって絶対ぇうめぇし体にもいいんだ。買い取り話がほんとなら、これほどありがてぇ話はねぇ。俄然(がぜん)やる気は出るべさ!」

「しかもしかもだぜ。聞いた話じゃ、ポトフやミネストローネの氷菓子もあるらしいぞ」

「なんだそりゃ!?温けぇ食い物まで冷たい菓子にしちまうだか?」

「そうそう。味はポトフなのに食べたことのない触感!それでとにかく美味くて安いんだってよ」

「そんなこと聞いちゃったら、(だま)されたと思って一度は食べてみたいわね、それ!」

「そうそう、そう言えば、氷菓子を作るもんだから水を操れる魔法使いをたくさん募集していたわよ!」

「マジ!?冒険(ぼうけん)稼業(かぎょう)とか、死ぬリスクが高くて収入も安定しないから転職して、思い切って応募しちゃおっかな」

 アントピウス聖皇国やパンノケル王国の世情(せじょう)が俺のチンダラガケのせいで不穏(ふおん)になっていく中、純粋な興味関心、それと収入と仕事を求めて、バーソロミュー家に続々と人が集まる。

 屋敷の台所だけでは調理場所が全然足りなくなり、市全域から大工まで探して呼んでジェラード製作専用の小屋(ハウス)まで敷地内に立てる。

 小屋の大きさは二十坪の三階建て。堅牢さは低いけど、高さだけだとバーソロミュー家の屋敷より高い。

 ジェラートレシピの全工程は知らないけれど作業工程の一部だけは知る従業員たち二十名弱が寝泊まりできる従業員(じゅうぎょういん)部屋(べや)や彼らの度肝(どぎも)を抜いた五右衛門(ごえもん)ぶろ、ジェラート以外の食糧も貯められる食糧(しょくりょう)倉庫(そうこ)、年中溶けないロンシャーン西麓(せいろく)の氷河の氷を削り出して貯蔵できる冷蔵庫や広い厨房、そしてズルいけれど食中毒(しょくちゅうどく)対策(たいさく)として俺の教えた浄水(じょうすい)システムを完備した結構立派な小屋だ。

 従業員の個室が一人1・3畳しか用意できなかったのがミスだったかも。漫画喫茶並みに狭い気がする。まぁ、野宿(のじゅく)が当たり前の冒険者崩れの魔法使いには「個室があるだけでもうれしい!」と喜ばれたから、これでよしとしよう。彼らの研修期間は二日間。あとは実地で覚えてジェラートをつくる。体力と味覚と好奇心があればそれなりに楽しい職場だ。

 俺の逗留(とうりゅう)開始後一か月で噂はハルシャ州全体に広がり、二か月でバーソロミュー家のけっこう(かたむ)いていた財政事情は元に戻る。病魔と闘う執事長の頭痛の種は一つだけ消せた。

 というわけで、コマッチモだけじゃなくて俺も少しは役に立つことをこれで示せた。めでたしめでたし。

 こうして俺は心置きなくアントピウスとパンノケルの恐慌演出に専念できる状態になった。(あぶら)赤子(あかご)の油食い。モクリコクリの塩放出。鳴子(なるこ)達磨(だるま)が後押しした免罪(めんざい)()発行。バッチグー!

 ちなみに〝用心棒〟のコマッチモも忙しい。

 俺の世話が一番面倒くさくて大変だけど、ジェラートのレシピを盗みに来る冒険者や暗殺者は後を絶たない。レシピの全体像を知るのは俺だけだけど、一部の工程でも知っている従業員(じゅうぎょういん)も標的にされる。屋敷よりもヴェラートハウスの方が狙われる。

 でもコマッチモは有能で仕事が早い。

 そういう不埒(ふらち)な連中を一々見つけ出してはバラバラに斬殺(ざんさつ)して俺の乗り物を運ぶエリザベスの餌にしてくれる。おかげでエリザベスも大きくなったし、ヒトの味も覚えた。命令すれば躊躇(ちゅうちょ)なくヒトを食べることができる。

 エリザベスはエリザベスで、夜間は放し飼い。目的は運動不足解消と五感を研ぎ澄まさせること。

 屋敷(やしき)屋根(やね)(うら)床下(ゆかした)のハツカネズミやアライグマ、ハクビシンを駆除(くじょ)するだけでなく、よく山里から出没(しゅつぼつ)するようなクマやシカまで仕留める。自由自在に味付けできるクマ肉は俺が食べたいと伝えているのでちゃんと残しておいてくれる。そしてエリザベスが殺したばかりのクマの気配に気づいたコマッチモが外に出ていって解体し、届けられた俺はそれを亜空間ノモリガミに取り込んでおく。


 で、そんな平和な日々を暢気(のんき)に喜ばず、ニワトリに襲われて羽根まみれ泥まみれ傷だらけで俺の部屋に今飛び込んできたのが三人の御曹司(おんぞうし)様々(さまざま)。

「「「とにかく、ジェラートのレシピをよこせ!」」」

 さすが三つ子。臭い息がぴったりあってる。

「なぜですか?」

 午前十一時五十三分。

「レシピを使い、首都のアスクレピオスで店を出す」「そうすれば(おお)(もう)けできる!」「そしたら父上からの俺の評価も上がり、俺は首都で出世できる!」

 ここで「いや俺だ」「俺だ」の合戦が始まる三人。

 それにしても(くさ)い。

 歯磨(はみが)きの方法を教えているのにいっこうにやらない。()げ物ばかり食べているから体臭(たいしゅう)が無駄に濃い。水の豊富な土地なのに水浴びも嫌いだから滅多に体を洗わない。それにしても出世欲はあったのか。食欲と睡眠欲くらいしか持ち合わせていないと思っていた。

 ん?

 それとは別に糞臭(ふんしゅう)

 そう言えばエフタルはもう二か月もせまい地下房の中か。

 寂しくないよう人糞を食べるダイコクコガネムシもたくさん入れておいたから自分の排泄した(ふん)窒息(ちっそく)していないと思うけれど、生きているかな?

 さすがに反省(はんせい)したかな?

 岩塩(がんえん)と飲み水と糞虫のサバイバル生活は満喫(まんきつ)できたかな?

「分かりました。ただし交換(こうかん)条件(じょうけん)でどうでしょう」

 俺は姿見(すがたみ)を水の糸で浮かせる。自分の顔とバカ息子三人の顔が映り込む角度に調整する。

「何?」「交換条件だと?」「言ってみろこの野郎」

 俺は三人の顔を一つずつ眺めた後、切り出す。


「私をバーソロミュー家の嫡子(ちゃくし)にすること」


 鏡に映る老執事長が目を大きくし、息をのむ。

「チャクシ?」「なんだそれは?」「使用人のことか?」

嫡子(ちゃくし)というのは家督(かとく)()ぐ者を指します。つまり御三方(おさんかた)の父上であるチャルキア・バーソロミュー様の跡を継ぐ権利をもつ者のことです。もっと砕いてわかりやすく言うと、あなた方の(あに)になるということです」

 鏡の中の三人が互いに顔を見合わせる。顔がみるみる赤くなる。震える。鼻息が荒い。呼吸が乱れる。午前十一時五十八分。

「無礼者め!分をわきまえろ!」「よりによって俺様の兄だと!?」「バーソロミューの跡継(あとつ)ぎになりたいとほざくか!」

「交換条件を提示しただけです。ジェラートの収益でバーソロミュー家の財政赤字は消えました。この屋敷にある帳簿(ちょうぼ)をご(らん)になったことはないでしょう?荘園の財務管理はどなたがやっていたのかも知らないでしょう?まあそんなことは今はどうでもいいです。とにかくお金がなくて、下手すれば領地を他の貴族や教会に没収されるか、豪商に買収されるしかなかった。それを回避できたのがジェラートによる殖産(しょくさん)興業(こうぎょう)です。誇張でも何でもなくジェラートがバーソロミュー家を救ったのです。ですのでそのノウハウを知りたいとなれば、それ相応のものを提示していただかなければ等価交換とは言えず、レシピのお伝えはできません」

「ショクサンコーギョー?よく分からん言葉を使うな!とにかくありえない!」「ジェラートのレシピと交換に、俺様の兄貴になるなんてありえない!」「絶対に嫌だ。俺様の奴隷として生きろ!それいがいありえない!」

 汚い唾がバンバン飛ぶ。そのすべてを凍らせ、地面に転がす。

「そうであれば交渉は決裂(けつれつ)です。さてさて、ジェラートのレシピ欲しさのあまり、あなた方から何をされるか分かりませんから、そろそろ長逗留もしまいに致します。お世話になりました。よそで私はまたジェラートを作りたいと思います。屋敷の傍のジェラートハウスは以後、山小屋にでもお使いください。露天風呂を掘れ当てればゲストハウスにでもできるでしょう。五右衛門風呂を外に置いて星を眺めるというのもウケそうですね」

「こんの!人形風情が!」「レシピを持って出ていくだと!」「絶対に逃がすものか!」

 三人が俺に襲い掛かろうとする。

 はい。また。〝ここ〟まではよかった。そして一線を越えた〝ここ〟からはもう、闇。

 チチチンッ。

 メロヴィング執事長が動く前に、コマッチモの体の一部を伸ばした触手が三人のバカ息子の顎を鞭のように叩く。顎骨はその威力で亀裂が生じ、脳が激しく揺れる。脳震盪(のうしんとう)を起こした三人がその場で昏倒(こんとう)する。

「……」

「……」

 正午。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン……

 (はしら)時計(どけい)の鐘が鳴る。

 俺は鏡の中のメロヴィングに目を向ける。

 メロヴィングは最初、倒れた三人をぼんやり見ていたが、目に涙を浮かべて、鏡の中の俺を弱々しく見る。俺は一度目を閉じ、眼球の色を反転させる。桃色の角膜に白い瞳孔。一瞬驚くも、何かを受け入れたような表情になり、やがて落ち着く老人。

「地下室のエフタルは、まだ元気ですか?」

 時計の鐘が鳴りやみ、俺は問う。

「かろうじて、生きております」

 結んでいた口を開くメロヴィング。

「あのBランク冒険者は特殊な技をお持ちだそうですね」

「実は……子のない私の(おい)で、武術家のもとで鍛錬(たんれん)を積ませました。性格に難はありますが、武の才には恵まれていたと思います」

 その〝武術家〟の声がかすれている。魔力素の流れが乱れている。色々なものをまたも、天びんにかけているんだね。

「そうですか。もう反省したと思いますし、私の従者ももう許してもいいと言っているので、どうか日のもとに出してあげてください……手綱を付けるのを忘れずに」

 俺は鏡の中のコマッチモに視線を送る。頷いたコマッチモは一度手を拭い、エフタルの指錠の鍵をポケットから取り出してメロヴィングに手渡す。

「……かしこまりました」

 受け取ったメロヴィング執事長は深くうなずくと、一切合切を別の部屋で聞き耳立てて聞いていた農民たちの部屋の鍵をガチャリと開ける。オロオロする彼らに執事長は落ち着き払って話し、失神してぐったりと横たわるバカ息子三人の重すぎる図体を俺の部屋から運び出そうとする。けれど重すぎて時間がかかりそうだったのでガイセリックとアラリックの二人はエリザベスに運ばせた。

「フツカ」

「はい?」

 村人とエリザベスを使い三人を運び出した後、鍵束を握るメロヴィングの強い単音声に俺は聞き返す。

「二日ほど、()逗留(とうりゅう)(えん)()していただけませんでしょうか?」

「当家のご子息にケガを負わせたのに、私を追い出さないのですか?」

 俺は眼球色の反転を戻し、クスクスと笑う。

「はい。そうして、居てください。できればずっと。それが(かな)わないのでしたらせめて二日ほど、こちらにいらっしゃっていただければ至上の幸いにございます」

 メロヴィング執事長はこう言って、俺の部屋から出ていった。

「二日で何をするつもりでしょうか、あの御仁(ごじん)は」

「さあね」

 時計を見る。午後(ごご)零時(れいじ)二十一分。トリートメントを洗い流してもらった後、俺はコマッチモに(ひげ)()りとフェイスマッサージを三時間かけてしてもらった。


 二日経()った。

勇者(ゆうしゃ)だってさ」

「勇者?マソラ様のことでございますか?」

 イチゴと葉わさびとマスカルポーネチーズのジェラートをスプーンで俺の口に運んでくれるコマッチモが手を止めて聞いてくる。

「違うよ。アントピウスが景気づけに勇者っていうのをお披露目(ひろめ)するらしい」

 ジェラートが口と鼻の中で香りと味を残して消える。

 スンスン。

 封印されし言葉「カンダチ」を使う。目の前のジェラート以外のニオイを手繰(たぐ)り寄せ、周囲の状況を()る。

 屋敷のニオイが微妙に変わる。食べる奴が変わった。

 糞便と汗と息のニオイが変わる。食べる物が変わった。

 二日間、わざと二階の部屋から出ないで窓の外のジェラートショップの売れ行きを眺めて過ごしているうちにさっき、再び俺へ小包が届いた。

 ただし部屋に運んできたのは執事長ではなく別の使用人。「メロヴィングさんは?」とは聞かず、簡単な礼だけ言って包みを受け取る俺。中身はワインの番付表『バッカス』。本の中身も配送業者も毎度変えているからジブリールと俺の交信はバレづらい。とは思っているけれど、案外バレているかもしれない。

 でも別に俺は何も困らないから平気。

 バレて困るのはジブリール。バレたら死刑なんて生ぬるい罰じゃ済まない。それを承知で俺に情報を提供し、俺の用意した情報を流してくれる〝どうかしている〟魔法使い。

 それがジブリール。何が望みなんだろうね。

 で、ワインの番付表の端々にモールス信号で書かれていたのは「勇者」と呼ばれる特殊能力者の情報と動向だった。

「勇者はその秘められた力を披露しつつ、無理難題をことごとく片付ける予定らしい」

 自分の分のジェラートを食べさせてもらった俺は本を浮かせてページを繰りながらコマッチモに教える。

「秘められた力で無理難題を片付ける……やはりマソラ様のことではないですか」

 そのコマッチモはようやく自分のジェラートを食べ始める。竹の子のミルクジェラート。

「だから違うって。なんでも、パンノケル王国が誇る魔法学園(リュケイオン)で武闘大会を盛大にやって勇者をデビューさせて、そんでもって開発のストップした山道だのお化けが出る監獄だの砂漠に咲く花人だの森の異教徒だの魔王との戦いだのを一挙に何とかするんだとさ」

 コマッチモはこの時点で一個目のジェラート完食。二個目に突入。シーザーサラダジェラート。

「その武闘大会というのは魔法学園の〝身内(みうち)〟だけで行うのですか?」

「ノン。それだと盛り上がらないから全土(ぜんど)から募集するらしい。全土って言ってもパンノケル、アントピウス、イラクビルの三国からだね」

「では参加いたしましょう。そして勇者を私が(ひね)(つぶ)します。そもそもマソラ様以外の者が勇者を名乗る時点で打首(うちくび)獄門(ごくもん)でございます」

「勇者なんて言葉はどうでもいいけれど、「神の杖」を落とした可能性のある連中に堂々(どうどう)と会えるのは都合がいいね」

 コマッチモ女史(じょし)、早々に三個目に突入。サクランボとアーモンドのジェラート。

「聖皇もしくはその似非勇者(えせゆうしゃ)が「神の杖」を落とした犯人かもしれませんね」

「そうだね。だから大会の参加は魅力的(みりょくてき)。ただし参加するにあたって一つ問題がある」

 俺はゆっくりと階段を上ってくる匂いを感じながらコマッチモに言う。

「それはなんでございましょう?」

(うじ)素性(すじょう)。つまり身分証(みぶんしょう)がないと参加できない」

 革靴(かわぐつ)の音。鍵束(かぎたば)の音。病に(むしば)まれた老体に鞭打つ辛抱強(しんぼうづよ)紳士(しんし)の音。それが扉の前で止まる。

「ミソビッチョの諜報部(オルドビス)偽造(ぎぞう)身分証(みぶんしょう)を作らせれば……というわけにはいかないのでしたね」

「うん。……でもその必要はきっとなさそうだ」

「?」

 コンコン。

「どうぞ」

「失礼します」

 部屋に入ってきたのはメロヴィング執事(しつじ)(ちょう)

 塩と炭で徹底的に歯を(みが)き口を(すす)ぎ、流水で朝晩きれいに身体を隅々(すみずみ)まで洗っているから、清潔感(せいけつかん)がある。香水はほろ苦いオレンジピールから(かわ)いた草のようなベチバー、そしてウッドへと滑らかに流れる。目立たないけど堅実(けんじつ)な男にピッタリのシトラスオークモスの香りが(ただよ)う。

「突然のことで申し訳ございません」

「なんのことでしょう」

「下に降りてきてくださることは可能でしょうか」

 既に身支度(みじたく)を済ませていた俺は「可能です」と返す。

 亜空間サイノカワラからエリザベスを召喚する。

 肢を伸ばしたら二メートルくらいにまで成長したかな。そのエリザベスの背中に載せた肘掛(ひじかけ)椅子(いす)に改めて腰を下ろし、俺はコマッチモと共に階下(かいか)に向かう。まぁニオイでだいたい想像はつくんだけどね。

「「「……」」」

 豪華な肘掛け椅子に座る三人の御曹司。

 テオドリック。ガイセリック。アラリック。

 三人とも肘掛けに手首を(あさ)(ひも)で縛られ、背もたれに寄りかかり、首を少しだけ上に向けている。その首には涎掛(よだれか)けが巻かれ、涎をたらし続ける口はだらりと開いたまま。そして虫歯だらけの歯が、そうでない歯も含めてきれいさっぱり引き抜かれて、流動食(りゅうどうしょく)専用(せんよう)の入口になってる。

 ここの高原野菜は美味しいから食べるならスムージーなんかがおすすめだね。きっと生き返るよ。もう半分死んでるけど。

「「「……」」」

 (うつ)ろな目は左右とも違う方向に向き、時々痙攣(けいれん)したようにブルブルと()れ動く。眼球の連動(れんどう)制御(せいぎょ)まで壊したのか。カメレオンみたいで面白い。でも不細工だからカメレオンに失礼か。……ああ、なるほど。

「さすがですね」

 広間のテーブルに着席する三人の〝元バカ息子〟の仕上がりを俺は品評(ひんぴょう)する。ロボトミーみたいに目頭(めがしら)から極細(ごくぼそ)(ばり)を差し込んで脳を傷つけるスキルだ。ついでに眼筋(がんきん)の一部が切られてカメレオンアイになってるのね。おっそろしい~。

「アレにやらせました」

 アレ。

 広間に四つあるサイドボードの一つ。白い石膏(せっこう)胸像(きょうぞう)に混じって、下半身のない人間が一人。

 もっと正確に言うと、両脚(りょうあし)を付け根から切断され消毒のため焼灼(しょうしゃく)された男が一人。失った両方の眼球の収まっていた眼窩(がんか)には、木製の魔道具が()め込まれている。義眼かと思いきや、俺の目のステータス画面表示によれば「炎鈴(えんれい)呪槐(じゅかい)」とある。要するに呪い主に逆らったら炸裂(さくれつ)する爆弾(ばくだん)らしい。これまたおっそろしい~。

「お()(さま)の温かさはどう?カビとクソの充満する地下房(ちかぼう)から出られた気分はどう?ダイコクコガネムシのように充実した(せい)を送ってる?」

 叔父(おじ)にアレと呼ばれたエフタルに俺は声をかける。

「うぅ……」

 コマッチモによって舌を切り落とされた男はまともに(しゃべ)ることもできず、うつむき。ただ小さく(うめ)いたきり、(ふる)えている。

 あれ?親指(おやゆび)が曲がってる。

 そっか。二か月間も後ろ手に指錠(しじょう)をしていたから骨がずれちゃったのか。

「オマリ。エフタルさんの親指が曲がってる。戻してあげて」

「かしこまりました。ハダリ様」

 コマッチモの声と近づいてくる足音でエフタルの(ふる)えと呼吸(こきゅう)尋常(じんじょう)ではなくなる。せっかく清潔(せいけつ)にした衣服が()きこぼれた小便(しょうべん)でたちまち(よご)れていく。大人用のオムツをはかせてもらっているのにずいぶんこぼれるね。

 ゴキン!

「オウェ!」

「これで元通りです。また女子(おなご)(むね)()めますよ」

 骨接(ほねつ)ぎをしたコマッチモが石膏像(せっこうぞう)乳房(ちぶさ)にエフタルの手を当て、こっちに戻ってくる。叔父に命じられるがまま三つ子の中枢(ちゅうすう)神経(しんけい)を器用に破壊した盲目(もうもく)のBランク冒険者は驚いて石膏像の乳房からすぐに手を(はな)す。けれどバランスを失ってサイドボードから落ちそうになり、思わず胸像に抱き着く。その手は像の乳房にしがみついている。そしてそれが乳房だと気づき、全身に(よみがえ)る恐怖で離そうとするも、光と足がないためバランスがうまくとれない。だから結局しがみつくしかない。自身とあまり違わない姿(すがた)の胸像に。

 もう〝それ〟しかできないね。

「うう……ううう……」

 石膏の胸像に抱き着いたまま、サイドボードの上で震えているエフタル。恐怖と絶望の極みに達した男の涙腺(るいせん)が崩壊し、肛門(こうもん)から下痢便(げりべん)(こぼ)れ出る。三つ子とは逆に肉類(にくるい)を少し摂るべきだね。歯もまだあるし。揚げ物じゃなくて焼肉(やきにく)がいいよ。

 カチカチカチ……。

 どれもこれもクサいのでとりあえず魔法で氷結(ひょうけつ)させる。三つ子の(よだれ)とエフタルの(くそ)小便(しょうべん)の臭いが弱まる。

「こちらをご確認ください」

 (おい)にも主人の息子たちにも構わず、執事長は淡々(たんたん)とした様子でテーブルの上の高級羊皮紙(ようひし)を俺に示す。紙の一番下にはチャルキア・バーソロミューなる人物のサインがある。


「ハダリ・バーソロミュー様」


 羊皮紙の中身は、俺を嫡子(ちゃくし)として認める(むね)が記されていた。

「すでにカナウジ市の洗礼所(せんれいじょ)名簿(めいぼ)にも記載(きさい)を終えております。ハルシャ州の戸籍簿(こせきぼ)も同様です」

 たった二日間でそこまで動けるとは見事。

「何から何までありがとう」

 俺はメロヴィング執事長に礼を言う。そして対価(たいか)として、亜空間ノモリガミからジェラートのレシピ本を取り出し、コマッチモを通じて渡す。

「確かに、拝領(はいりょう)いたしました」

 一礼してそれを受け取る執事長。コマッチモは本を渡し終えると部屋の窓という窓を開け始める。(にお)いが風に流れ、(うす)れていく。

「ところでみんなにはどう説明するの?」

 自分の(おい)の使用できない両脚(りょうあし)を切断し、逃げられないよう頭部に爆弾(ばくだん)を埋め込み、仕える主人の御家(おいえ)存続(そんぞく)のため、その息子三人を廃人(はいじん)にした執事長に尋ねる。

「領主の三人の息子たちはひどく()って乱痴(らんち)()(さわ)ぎを起こし、ついには屋敷の二階のテラスからそろって転落(てんらく)した。一命はとりとめたけれど頭の打ちどころが悪く、清らかな(たましい)は天国へと()された。この領地の者はみな〝そう〟言っております。ついでに三人の警護(けいご)に当たっていた護衛(ごえい)はこの事件を苦にして川に身投(みな)げしたとも」

 メロヴィングは俺にそう言って穏やかに微笑んだ。

「そっか。じゃあさっそくだけど出かけてくるよ」

「はい。〝ジェラートレシピの番犬(ばんけん)〟と〝不出来(ふでき)(おとうと)三名(さんめい)〟ともども、ハダリ様のお帰りを首を長くしてお待ちしております」

 屋敷の外に出る。

「すぅ~ふぅ~」

 生きた人肉からどうしても出る不快な臭いは去り、冷涼(れいりょう)な風と湿った土のしっとりした香り、そしてジェラートの新鮮な命のような香りがする。鳥の鳴き声も素敵。

「ハダリ様!いってらっしゃいませ!」

 ジェラートを作る従業員(じゅうぎょういん)に明るい声を掛けられ、俺は笑顔を向ける。旅行(りょこう)(かばん)を手にしたコマッチモが俺の代わりに頭を下げる。ジェラートを買いに来ていた商人や冒険者が俺たちを見る。

 背負っていた(かご)(あわ)てて置いて地面にひれ伏す村の人に「今日も美味しい野菜をありがとう!一日を元気に過ごしてね!」と大きな声をかける。顔をあげた村人に、近くにいた商人が何かを(たず)ねているようだけれど、俺は聞く必要がないから先に進む。

「さぁて、そろそろいいかな」

「え?まさか」

「入るよ。なんたって俺はエスパーだから」

「マソラ様!(かばん)に入ろうとするのはどうかおやめください!(かみ)のごとき(あるじ)(かばん)()めて運ぶような残虐(ざんぎゃく)行為(こうい)、私の良心(りょうしん)()えられません!」

 木立(こだち)に囲まれ、誰も見ていない所まで移動した後、俺はようやくエリザベスも肘掛け椅子も亜空間二つに分別して収納しようとする。

「いいのいいの!こっちの方が楽だから気にしないで!」

「ああマソラ様!」

「マソラ様じゃなくてここではハダリ様!」

「こうなったらハダリ様ではなく私が鞄に入ります!」

「また何言い出してんの!それじゃ誰が鞄を運ぶのさ!?」

「ではハダリ様と私が鞄に入ります!」

「だからなんでそうなるの!?それじゃ誰も鞄を運ぶ人がいなくなっちゃうでしょ!」

「エリザベスに運ばせれば問題ありません!」

「それじゃ鞄を背負った魔物と間違われて襲われるでしょ!コマッチモしっかりして!!」

「コマッチモではなくオマリです!!襲われればその都度(つど)私が(かばん)から飛び出し(ぞく)を撃破するのでご心配には及びません!!」

「クモの背負った鞄から出たり入ったりする所なんて何度も人に見せられるわけないでしょ!!」

「では目撃者(もくげきしゃ)皆殺(みなごろ)しにいたします!!」

(だま)らっしゃい!!」

 (いち)悶着(もんちゃく)のあと、涙目のコマッチモの旅行(りょこう)(かばん)の中に収納(しゅうのう)された俺は、久しぶりに小さな(やみ)の中で一息つく。

 ふう。

 本当にもう、こまっちもう。


lUNAE LUMEN


gelato

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