006 情報屋
日が落ちてきた。
そろそろ明かりを灯さないと本が読めないな。
机の上にあるランプに火を灯す。
「エル」
「ん?」
灯りに気づいたのか、ベッドで寝ていたリリーの目が開いている。
「あの、えっと。名前……」
「エルロック・クラニス。……エルで良いよ」
リリーが起き上がる。
魔力は回復したみたいだな。
「眼鏡、かけてたっけ?」
「本を読む時だけ」
眼鏡を外して、王立図書館から借りた本に栞を挟む。
何とか今日中に読み切れそうだ。
「腹減っただろ?夕飯を食べに行くぞ」
「うん」
返事をしたリリーが、急いでブーツに足を突っ込む。
まさかと思うけど。
「その恰好で来る気じゃないだろうな」
「え?」
部屋の中ならまだしも、外に出るような恰好じゃない。
「あ、うん。大丈夫。ちゃんと着替えてから行く」
どこが大丈夫だよ。
先が思いやられることばかりだ。
『私が付いていましょうか』
「頼む」
『わかりました』
エイダに任せよう。
『はじめまして、かしら。私はエイダ。エルと契約している精霊よ』
「あなたが……?」
『そうよ』
流石に驚くか。
エイダは人と同じ姿をした精霊だ。精霊の姿は魔力を反映する。これだけの力を持った精霊はそうそう居ないはずだ。
……顕現してないから俺には見えないんだけど。
何もない空間を見ていたリリーの視線が、俺の方に動く。
「エルは、本当は金色なの?」
「金色?」
何の話だ?
「あのね。私、今まであなたの色は赤だと思ってたの」
「赤?」
「魔法使いの光。でも、赤い色って、エイダだったみたい」
魔法使いの光?
……なんだ。驚いたのはエイダの姿にじゃなかったのか。
光ってなんだ?リリーの目には魔法使いが光を放って見えている?イリスが話してた魔力が見える能力に関係ありそうだな。
ただ、赤は炎の精霊のイメージで、エイダにそのまま当てはまるけど、金色は……。
「でも私、今まで、赤も金も見たことがなくって……」
リリーがくしゃみをする。
『そんな恰好してるから』
今の声、イリスか。
『挨拶は?』
「あっ。はじめまして、エイダ。リリーシアです。よろしくお願いします」
リリーが何もない空間に向かってお辞儀する。
『ふふふ。よろしくね』
任せて大丈夫そうだな。
「鍵は置いていくから、ちゃんと着替えて来いよ」
「はい」
テーブルの上に鍵を置いて、空の紅茶カップが乗ったトレイを持つ。
「エイダ、イリス、頼んだぞ」
『はい』
『了解』
イリスは、俺と会話してくれるらしい。
※
一階のレストランは、夕食中の宿泊客で賑わっている。
「エルロック」
カウンターに紅茶のトレイを返していると、後ろから声をかけられた。
「ポール」
情報屋のポールが酒を飲みながら手招きをしてる。
なんで?
「ここ、夜は宿泊者しか使えないんじゃなかったか?」
「俺は良いんだよ」
女将の知り合いだから?
「ほら、座れよ。依頼品を持ってきたぜ」
席に着くと、ポールが本を出した。
……本。
「忘れてた」
そういえば、頼んでたっけ。
「おいおい。忘れてたってなんだよ。一昨日の話だぜ?」
「当てがあるって言ってた割りに、時間がかかり過ぎなんだよ」
「どうせ急いでないだろ?確認してくれ」
タイトルは銀の棺。
年代も頼まれていたものに間違いない。
古文書っぽくないけど。
「いくらだ?」
「ラガー三杯」
「そんなので良いのか?」
「あぁ。今日は良い日だからな」
良い日、か。
「良いよ。奢る」
「よし。女将さん、もう一杯!……いや、二杯で!お前も酒は飲めるだろ?」
仕方ないな。
「付き合うよ」
「そうこなくっちゃな」
機嫌が良さそうだ。
「何があったんだ?」
「恩赦で仲間が出てきたんだ」
「恩赦?」
「女王の娘が旅に出たからさ」
「あぁ」
これは、恩赦の対象になる祝い事なのか。
「はい、お待ち」
女将がラガーを二杯、テーブルに置く。
「あ、このラガーはこいつ持ちだから」
ポールが俺を指す。
「良いのかい?」
「あぁ。三杯奢る約束なんだ」
「なら良いけどね。……連れはどうしたんだい?」
「もうすぐ来る」
「じゃあ、食事はその子が来てからにしようかね」
「そうしてくれ」
ラガーの入った陶器のコップを合わせる。
「乾杯」
「乾杯」
冷えたラガーは、すっきりとして美味い。グラシアルは寒冷な地域なのに冷たい酒が好まれるらしい。
「変な国だよな」
「なんだよ。この国の、どこが変だって?」
「この国に女王の顔を知ってる奴は居るのか?」
「何言ってるんだ。女王陛下のお姿を拝める奴なんて城の中の連中だけだぞ」
つまり、誰も知らない。
威光だけで多くの人間に影響を与えるなんて、まさに宗教上の神だな。
「女王の娘は?城の外に出たんだろ?」
「旅立たれたのは間違いないぜ」
「王族の旅立ちなのに出発式もないのか」
ポールが肩をすくめる。
「城内の行事のことなんて一般人は知らないからな」
君主候補の旅立ちなんて、国家運営に関わる情報なのに。
「自分の国を治めてる王家の顔を誰も知らないなんて。興味ないのか?」
「女王陛下は、たぶん美人だ。女王の娘だって絶世の美女に違いない」
「良くそんなことが言えるな。何も知らない癖に」
「お前こそ、女王陛下の伝説を知らないだろ。絵本の女王はどれも麗しいお姿をしてるんだぜ。グラシアルじゃ、皆、赤子の頃から知ってる話だ」
絵本、ねぇ。
絶世の美女というより、愛らしくて可愛いタイプだ。女王も同じかは知らないけど。
「それに、知らなくたって、なんの問題もない。なんせ、この国は争いもないし、侵略に脅えることもない。女王陛下のおかげで、どこよりも平和で安全な国だからな」
「……そうだな」
絶対的な力を持つ女王が国を守っているから。
隣国のディラッシュとは不仲らしいけど、今のところ軍事的緊張は生じていない。
「内政に不満はないのか?女王と敵対してる奴は?」
「敵対?そんな恐れ多いことする奴が居るわけないだろ。だいたい、この国の政治は議会制だぜ」
「議会制だって?」
「二院制で、上院が上級市民、下院が一般市民で構成されてる」
グラシアルに議会があるなんて、初耳だ。
「上級市民って、貴族か?」
「そんなところだ」
変だな。
王室は公開されてないのに、貴族は存在してる?
「貴族って、どういう立ち位置なんだよ。王室は公開されてないのに、王室縁の一族は公開されてるのか?」
「おぉ。突っ込んで来るねぇ」
「気になるだろ。一般市民に対してこれだけ秘密を貫いてるのに」
ラガーを一気に飲んだポールが、酒臭い息を吐く。
「女将さん、おかわり頼むぜ!」
そして、女将に向かって空のコップを見せた。
「お前も早く飲めって。ラガーは冷えてる内に飲み干さなきゃな」
「上級市民って?」
ポールがため息を吐く。
「酒の席で政治の話なんてつまんねぇな」
「話してる間は好きなだけ飲んで良いから、教えて」
「おっ。そうきたか」
酔わせた方が喋るかもしれない。
「上級市民ってのは、まぁ、女王の信頼の厚い一族のことだ。女王に縁があるって言われてるけど……。詳しいことは公表されてない」
「王族の血縁じゃないのか?」
「さぁ?関係者かもしれないし、無縁かもしれない。でも、女王縁って箔がつくだけで、この国じゃ優遇されるからな」
血縁だったとしても、王権とは無縁の血筋ってところか。
「後は、古い時代にグラシアルに参入した領主の一族とか、ポルトぺスタの大商人一族なんかも上級市民に入ってるって話だ」
なんだ。
上級市民って言うから気になったけど、金を払えば買えそうな身分だな。
貴族と言っても、領主のような土地持ち貴族とは違うらしい。
「じゃあ、女王は、どういう役割なんだ?この国のトップなら、政治に参加してるんだよな?」
「議会の決定は全て女王の承認を得て、女王の名前で公布されてるぜ」
「承認だけ?」
「あぁ。だから、まぁ、この国でも、政治のシステムを知らない奴は多いかもな。選挙だって、ここでしかやらないし」
そんなの、女王がグラシアルの実権を握っているとは言わない。
つまり、女王っていうのは国に対して魔力を注ぐだけの存在じゃ……。
「エル」
「リリー」
ちゃんと着替えて来たか。
「これ、置いても良い?」
「あぁ」
リリーがラガーをポールの前に置く。
すると、ポールが口笛を鳴らししてリリーの手を掴んだ。
「なんて可憐なお嬢さんなんだ。俺はポール。情報屋だ。見晴らしの良いカフェを知ってるんだぜ。是非、今度……、いてっ」
頭を小突くと、ポールがリリーから手を放す。
「何、口説いてるんだ」
「なんだよ。デートに誘うぐらい良いだろ?」
「俺の連れに手を出すな」
「連れだって?」
「ポール。またうちの客に手を出したのかい」
女将が俺とリリーの食事を並べる。
「この子、客だったのか」
ラガーを運んで来たから、従業員と勘違いしたらしい。
「手伝ってくれてありがとうね。さ、座りな」
「はい」
隣に座ったリリーと一緒に、食事の前で手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
ポールが俺の方に椅子を寄せて、耳打ちする。
「お前、ここには一人で来たはずだろ?こんな可愛い子、どこで引っ掛けてきたんだよ」
「うるさいな。関係ないだろ」
食事ぐらい静かにさせろ。
魚の身を箸でほぐす。この地方は巨大魚が多くて、魚の身も肉のように分厚い。
甘辛い味付けは、付け合わせにも良く合う。
「俺もこの街の美人はチェックしてるけど、見ない顔だぜ」
「知るか」
情報屋に渡す情報なんて一つもない。
席を戻したポールが、リリーの方に身を乗り出す。
「お嬢さん、お名前は?」
「えっ?私?」
「そうそう」
「私の名前は、リリーシア・イリス……」
『こら』
「むぐっ」
リリーの口に魚を突っ込んで、口をふさぐ。
『何、名乗ってるんだよ』
本当に。
「こんな得体の知れない奴に名乗らなくて良い」
「得体の知れない、はないだろー?ちゃんと職業も言ったじゃないか」
十分、得体の知れない職業だろ。
「情報屋って、魔法使いの職業の一種?」
リリーの一言に、ポールが固まる。
見えたのか。
「いや、俺は魔法なんて使えないから、情報屋なんてけちな商売やってるんだよ」
『リリー。ちょっと黙ってなよ』
……いつも、こんな調子なのか。
イリスも大変だな。
「ポール。変な情報吹き込むなよ」
「どういう意味だよ」
「冒険者の仕事だ」
「ふーん。あんた、冒険者だったのか」
冒険者なのは事実だ。
どう理解してくれても構わない。情報屋に名乗ろうとするなんて、危機意識が低いにもほどがある。リリーには、これ以上、ボロを出させないようにしないと。
「女将さん!もう一杯くれ」
もう二杯目も飲み終わったのか。
「エル」
「ん?」
「私も、エルが飲んでるの飲んで良い?」
リリーがラガーを指してる。
「ここに来たならクアシスワインがおすすめだぜ。俺が奢ってやろうか?」
「ワイン?」
「駄目だ」
「なんだよ。良いだろ?」
「駄目だ」
ただでさえ口が軽いのに。
これ以上、余計なことを喋ったら手に負えない。
『ワインってお酒だろ?リリーは飲んだことないだろ』
飲んだことないのか。
「ワインぐらい知ってるよ。……ロマーノとか」
ロマーノワイン。ラングリオン産の高級ワインだ。
グラシアルには、どれだけ出回ってるんだ?
「種類は?」
「種類?」
「ロマーノにも種類があるんだ」
「ロマーノ・ガラとかさ」
ポールも知ってるのか。ロマーノ・ガラは、ロマーノの中でも手に入りやすいものだ。
でも、飲んだことはないんだよな。
「覚えてる特徴は?」
「えっと……。冬至祭で見たのは、綺麗なピンク色だったよ」
ピンクは一種類しかない。
「ロマーノ・ベリル・ロゼだ」
ポールが、俺の顔を見る。
「おいおい。一体、どこのお姫様だよ」
「聞くな」
「へいへい」
ロマーノワインの最高峰。幻のワインと評されるほど最も希少価値の高いロゼだ。俺だって見たことないのに。
っていうか。
「冬至祭って?冬至にやる祭りか?」
聞いたことのない祭りだ。
「知らないのか?冬至にやる太陽の復活を祝う祭りだ」
「へぇ。そんな祭りがあるのか」
「うん。一年で一番大切なお祭りだよ」
そういえば、西の寒冷地では太陽への信仰が厚いんだっけ。冬至を境に昼の長さが伸びていくことを、太陽の復活と結びつける思想があるらしい。
女将が三杯目のラガーを運んで来た。
「ほら。あんまり飲みすぎるんじゃないよ」
「わかってるって」
女将を見送った後、ポールがまた俺の方に寄って来た。
「大街道に抜けるルートを教えてやろうか」
グラシアル大街道。
グラシアルの中央にある東西に長く伸びる街道だ。グラシアルの大動脈と呼ばれ、グラシアルを旅するなら誰もが使う主要な道だ。
「ルートも何も。南に行く道なんて、フリオ街道しかないだろ」
王都を出るには、フォノー河を渡らなければならない。つまり、フリオ街道沿いにある要塞化した橋の街・フォノー砦を抜ける必要が。
ポールが周りを気にしながら声を潜める。
「今、フォノー砦は封鎖されてんだよ」
「封鎖?なんで?」
「さてねぇ……。なんか上の方であるんじゃないか?」
まさか、リリーを探してる?
「でも、他に道なんて……」
「それが、あるんだよ」
王都は、グラシアルの中でも孤立した立地だ。
崖の上という特異な場所にあるせいで、北や西に広がる海に出る道はない。更に、東には雄大な万年雪のオペクァエル山脈を抱え、唯一の南の出口もフォノー河で分断されている。
橋が封鎖されているとすれば、残るは……。
「東……?」
オペクァエル山脈を抜けるルートがある?
ポールが口に笑みを浮かべる。
「おっと。ここから先はタダってわけにはいかないぜ」
「いくらだよ」
「銅貨五枚で売ってやる」
「随分、安いな。安全な道なのか?」
「冒険者なら余裕だろ」
多少の危険は付きまとうと言うことか。
春とはいえ、グラシアルは女王の力をもってしても、まだ長袖が必要な寒さだ。万年雪のオペクァエル山脈となれば、更に寒く、雪道を進むことになるのは必至だろう。
「心配しなくても、城に近ければ近いほど治安は良い。野良で悪さする奴だってそんなに居ないだろ」
盗賊の類は、それほど心配してないけど。
「整備された道はあるのか?」
「道って解る程度にはな。ちゃんと看板も残ってるはずだ」
はずって。
今は放置されてるってことじゃないか。
「心配すんなって。毎年、ここを通る行商人が居るから間違いない」
情報元はそこか。
使う人間が居るなら、道の形状は残ってるだろう。
「徒歩で抜けられるか?」
「行けるが、一日じゃ無理だ。でも、安全に休める場所がちゃんとある」
つまり、人が住んでる場所がある。なら、安全なルートかもしれない。
「わかった。買う」
銅貨を五枚重ねて渡す。
「まいど。ちょっと待ってな」
地図を広げて、ポールが道を書き込んでいく。
そこが、山道入口か。
雪山の山越えなんて初めてだな。
準備をきちんとして行かないと。
「ごちそうさまでした」
リリーが手を合わせる。
「先に部屋に戻ってるか?」
「うん」
『付き合うわ』
エイダは、リリーが気に入ったみたいだな。
「女将に言えば、紅茶が貰えるはずだ」
「そうなんだ。ありがとう」
リリーが食器のトレイを持って女将の方に行った。
「可愛いな。どこで会ったんだよ?」
「詮索するな」
言えることなんてない。
地図に名前が書き込まれる。道中にオクソルという村があるらしい。
「村の規模は?」
「小さな集落だ。宿はないが、頼めば村人が泊めてくれる」
オクソルから更に進んだ場所にある洞窟から、オペクァエル山脈の東にある平原へ抜けられるのか。
「平原からは、真っ直ぐ南下しろよ。そうすれば、大街道はすぐだ」
平原の東には湿地帯が広がっている。そこには入るなってことだろう。
「山越えをする装備は持ってるか?」
「持ってない」
「なら、必ず街で揃えていけ。山に行くって言えば店主が用意してくれる」
「おすすめは?」
「この近くの……」
ポールが簡単な地図を横に書く。
ここなら、朝一で装備を整えて、すぐに出発できそうだ。
でも、それだと本を返す時間がない。
「王立図書館で借りた本を預けても良いか?」
銅貨を一枚出す。
「良いぜ」
「明日の朝まで読みたいんだ」
「女将に預けておけば返しといてやるよ」
「ん。……ついでに、調べてほしいことがある」
「なんだよ。明日までにできる仕事か?」
地図の一部を破り、メモを書いて渡す。
「……こんなの、王立図書館で調べられる内容だろ」
銅貨の上に、銀貨を一枚重ねる。
「恩赦が行われるような祝いの日なのに、国を上げた祭りが行われてる様子もない。おかしいと思わないか?」
ポールは俺が渡したメモに走り書きすると、銀貨と共に俺に押し付けてきた。
「早く出発した方が良い」
銅貨だけポケットに突っ込んだポールが、ラガーを一気に飲んで立ち上がった。
「いいな?」
メモの内容を確認し、その紙を手で潰す。
「わかったよ」
「じゃあな。元気でやれよ」
手を振って店を出たポールを見送りながら、手の中で潰した紙を炎の魔法で燃やす。
国内の争いもなく、他国からの侵略にもおびえることなく平和な国。政治は議会政治をとって、一部とはいえ、国民の意見をくみ上げる制度を確立している。
女王は国民を守り、国民は女王を崇拝する。
変な国だ。
―女王の娘について調べて。
渡したメモに対して、ポールが書いた返事は、たった一文。
―誰も女王には逆らえない。
それは、この国の人間が常識的に知っていても外部に言えないことなのか。疑問や詮索すら女王が許していないのか。