046 予言
「エルっ!いつまで寝てるの。朝よ!起きて!」
扉を大きく叩く音で目が覚める。
『おはよう』
「おはよう。……起きたよ」
重い体を起こす。
「おはよう、エル。ちゃんと、リリーも連れて来てね」
「わかった」
南側の高い位置にある窓から明るい日差しが差し込む。
廊下よりも天井が高くなった部分に設置された、はめ殺しの窓だ。カーテンを付けてないから、毎朝、眩しい光が入ってくる。
今日も良い天気だ。
隣の長い黒髪を撫でる。
「リリー」
「ん……」
まだ眠いらしい。
でも、腕は離してくれた。
ベッドを出て、北側にあるカーテンと窓を開く。明るい日差しと気持ちの良い空気。
「集まれ。精霊たち」
魔力を集中する。
……気持ち良い。
久しぶりの空気だ。
家に帰ってきたって感じがする。
「さてと……」
『エル。出かけてくる』
「ん。いってらっしゃい、バニラ」
『オイラもー』
「いってらっしゃい。ジオ」
昨日の内に、外に出してやれば良かったな。
『私も出かけて良い?』
ナターシャ。
「危ないところには行くなよ。夜までには戻って来てくれ」
『わかったわ。何かあったら呼んでね。……いってきます』
「いってらっしゃい。ナターシャ」
今日は、バニラ、ジオ、ナターシャが出かけたらしい。
「エル」
振り返ると、リリーが起き上がってる。
「おはよう、リリー」
「おはよう」
リリーが微笑む。
『皆、行っちゃったけど、大丈夫なの?』
「あぁ。王都に居る間は、皆、好きに行動してるからな」
錬金術で力を借りたい時は呼ぶけど。バニラの力が必要なのは昨日の内に仕上げてるし、問題ないだろう。
※
「おはよう」
「おはよう。ルイス、キャロル」
「おはよう。エル、リリー」
「おはよう」
良い香り。
テーブルには、バスケットに入ったパンと温かいスープが並んでる。
「エル、上に居たの?」
「そうだよ。キャロルが起こしに来てただろ」
椅子に座って、バスケットのパンを取る。
あれ?リリーは?
まだ、入口に突っ立ったままだ。
「リリーシア。こっちにおいでよ」
「そうよ。座って」
「ほら」
右側の椅子を引いて呼ぶと、頷いたリリーが、ようやく席に着いた。バスケットを向けると、リリーが胡桃パンを選ぶ。
「ありがとう。いただきます」
「いただきます」
美味い。身体が目覚めるスープだ。
それに、焼き立てのパンがあるなんて。
「市場まで買いに行ってきたのか?」
「違うよ。最近は、この辺まで売りに来てくれるんだ」
「え?焼きたてのパンを売りに来てくれるの?」
「そうなの。毎日じゃないけど、この通りまでパン屋さんが来てくれるのよ」
知らない間に、そんなサービスができたのか。
「エル、昨日の夕飯も食べたのよね?」
「あぁ」
「えっ?食べたの?……すごいね。リリーシア、どうやったの?」
『別に、何もしてないよね』
「待ってただけだよ」
『ふふふ。眠くもないのに手を止めるのなんて、珍しいものねぇ』
「夕飯、美味かったよ」
『眠くなるまで危ない作業続けてるってこと?』
「じゃあ、今度は作りたてを食べてちょうだいね?」
『倒れる前に調整してるわぁ』
「ん」
倒れるつもり、ないけど。
「エル。今日までのって、作り終わった?」
「全部仕上げた。……っていうか、期限切れのもあったぞ。本当に取りに来るのか?」
「気長に待つって言ってたから、エルが帰ってるって解ったら取りに来るんじゃない?」
「なら、良いけど」
店頭に置いてないものの注文は、作成が面倒な割りに買い手が付きにくいものばかりだ。
『まだ、帰ってることになってないけどぉ』
他にも嫌がらせのような注文が山のようにある。……あいつら。
『帰ってるのに帰ってないってどういう意味?』
ルイスとキャロルの様子を見に来てくれるのは助かるけど、適当なものばっかり注文しやがって。
『魔法部隊への帰還報告は義務だからな』
「えっ」
リリーが驚いた声を上げる。
「どうしたの?リリー」
『ボクらの声は、エルとリリーにしか聞こえてないからね』
「えっと……。なんでもない」
『いい加減、慣れなよ』
聞こえる人間が当たり前に居る場所でしか生活してないんだから、これから苦労しそうだな。
「荷物は、ばらしたのか?」
「メモにあった通りに分けておいたよ。お土産、ありがとう」
「私も。髪飾り、ありがとう」
「ん」
今日、ルイスが付けてるポーラータイとキャロルが付けてる髪飾りは、グラシアルで買った奴だ。
「誰かに届ける予定のものって、ある?」
「その内、取りに来るだろ」
「わかった」
帰還早々、セリーヌ達に会ったから、今日にでも来るかもしれない。
※
「思ったより残ってるな……」
流石に、今回は長期間家を空け過ぎた。
『まさか、全部やる気なのぉ?』
「出来るだけ進めるよ」
これとこれは同時にできるから……。ついでに店売り分も……。
『無理はするな』
「ん……」
上手く行けば、明日は出かけられるかもしれない。
※
作業に没頭してると、とても頭がクリアになる。
そのせいで。
余計なことまで考えてしまう。
―あなたは、大きな力を得る代わりに大切なものを失う運命。
―あなたは周りを不幸にする人間。
―いつか、悪魔に列せられる魂。
なんだ、それ。
……って。最初は無視してた。
心当たりもあったから、そんな占いは、もう終わったんだと思ったせいもある。
でもこれは、俺に一生、付きまとう運命らしい。
いつも、全身を覆う暗い色のローブ姿で現れる占い師。
ポラリス。
口元を布で覆い、目元も深く被ったフードで隠している為、中身を見たことがある者は一人も居ない。せいぜい、声から女性の可能性が高いと推察出来る程度か。
ポラリスが語るのは、その人物の運命。
予言とまで評される占いを求め、多くの人々が連日のように国の内外から集まってくるらしい。店が開いているのは平日の午前だけなのに。ちなみに、午後はポラリスが占いたい相手が来る時にだけ開かれているとかなんとか。
自分の運命なんて知っても、何の意味もないのに。
運命には、逆らえない。
二年前のヴェルソ。冬の終わり。
エイダと契約したことで、俺は、大切な人を失うことになった。
フラーダリー。
―ラングリオンの魔法部隊が、国境戦争へ派遣されたらしい。
―魔法?あそこは、騎士の国だろ?
―つまりは、ただの魔法使いの寄せ集めってことか。
―初陣らしい。見物だな。
魔法部隊を設立して率いていたのは、彼女だ。王都を離れ砂漠に居た俺は話を聞いて、すぐに戦地に向かった。
でも、間に合わなかった。
―エルロック……。
―……すまない。
―何も、出来なかったんだ。
奪われた砦近くの村で、彼女の為の簡単な葬儀が行われていた。
赤黒い染みのついた胸。
血の気の全くない白い顔。
閉じたまま開かない瞳。
剣で胸を貫かれ、即死だったらしい。
どんな魔法でも薬でも回復をはかることは出来なかった。
棺の中に入った彼女は、敗北した魔法部隊によって、これから王都へ運ばれる。
……俺のせいだ。
涙すら出なかった。
ポラリスの言葉は、抗えない運命。
―エルロック。
―人を殺してはいけない。
―その力で人を殺せば、魂が穢れてしまうから。
魂が穢れれば、悪魔となって永遠に現世を彷徨う存在になる。
だから、何だって?
たった一人の人すら幸せにできないなんて。大切だと思うだけで失うのなら、俺は悪魔と何が違うって言うんだ。
この瞳を持ったことが。
母親を殺して生まれてきたことが。
故郷を消したことが。
すべて、悪魔になる運命を指し示しているなら。
彼女を死に追いやったすべてを壊して決められた通り悪魔になるしか……。
―エル。落ち着いて。
暗闇に包まれて紅く燃え盛る炎。
これは……。
俺の、魔法……?
―エル。
―仇は居ない。刺し違えたんだ。
何故……。
―大丈夫よ。
―あなたを悪魔になんかしないわ。
結局、エイダがコントロールしてくれたおかげで、死人は一人も出さなかった。
おかげで、まだ人間として生きていられる。
また、選べなかった。
きっと、それで良かったんだ。
フラーダリーは戦争の終結を望んでいた。その遺志を継いでやるべきことは、誰かを死に追いやることなんかじゃない。戦いを終わらせること。
そうじゃなきゃ、報われない。
―エル、会っておいた方が良いわ。
―まだ、棺はそのままにしてあるから。
純白の死装束。
仄かに紅のさす頬。
今にも開きそうな瞳。
王都に運ばれた棺の中で、フラーダリーは真っ白な花に包まれていた。
その魂は、もうここにはない。
二度と声を聴くことができない。
二度と俺を見てくれない。
二度と何も聞いてくれない。
あんなに大切にしてくれたのに。
もう、フラーダリーに対して俺ができることは何一つないんだ。
これからだったのに。
これから幸せにするはずだったのに。
俺のせいで。
俺が、愛したせいで。
大切に思ったせいで。
そのせいで……。
俺が殺したのは、一体、これで何人目なんだ。過去を消して、罪を消して、やり直せるって。失ったものを取り返せるって。ようやく、そう思えたのに……。
もう、誰かと共に居ることなんて出来ない。
望めない。
許されない。
そう、思っているのに。
―エル。
―これを。
首にかけられた鎖についているのは、赤い光を放つ紋章。かつて、フラーダリーが肌身離さず持っていたもの。
―約束しただろう。
―どこへ行っても、必ずここに帰るって。
まだ、ここに居る。
ルイスとキャロルを連れてきて、一緒に暮らすことまで望んでしまった。
本当は、捨てるべきなのに。
全部切り離して遠くに行くべきなのに。
それが、今あるすべてを守る最善策だって、わかってるのに。
……出来ない。
弱くて。
一人では生きていけなくて。
すがるものが欲しくて。
何度、この場所を離れても必ず帰ってきてしまう。
もう、何も失いたくないのに。
また、同じことを繰り返してる。
誰も幸せにすることは出来ないって、わかってるはずなのに。
どれだけやっても無駄だって。
もう、誰も大切に想ってはいけないって。
理解してるはずなのに。
それなのに、また……。
知れば知るほど、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、どんどん惹かれていく。自覚してからは、もっと抑えられなくなった。何故、たった一人の人にここまでこだわるのか、自分でもわからない。せめて、コントロール出来るものであれば良いのに。傍に居るだけで幸せで。満たされてるのに、更に欲しいって……。
止められない。
リリー。
もし、出会わなければ。
あの時、助けなければ。
一緒に行くことを拒否していれば。
その手を離していれば……。
何、考えてるんだ。
そんなこと出来なかったのに。
今更、終わったことを否定しても仕方ない。
―過去は戻らない。
―あの時、あの時点では不可避だった。
過ぎ去った事実に対して出来ることなんて一つもない。
変えられる未来があるだけ。
何も出来ないなんて思いたくない。
必ず、守る。
呪いを解いて、女王から解放して。
リリーを自由にする。
もう、これが最後だ。
俺がリリーを大切に想うことで、リリーを失うことになるのなら。
俺は……。




