039 幻の虜
朝。
『おはよう、エル』
「おはよう」
隣にリリーが居ない。
間に合ったんだな。
ポリシアが部屋を出たことに気付いたメラニーがエイダに伝え、エイダがリリーを起こしたはずだ。
『今日は飛び起きないのね』
「どういう意味だよ」
『この前は、慌てて外に出て行こうとしたじゃない』
ポルトペスタの話か。
『心配じゃないの?』
「リリーが、あれを置いて出て行くわけないだろ」
部屋にはリリーの愛剣が置きっぱなしだ。
『そうですね』
『確かに』
『そうねぇ』
『そうだな』
『そうだねー』
『間違いないわ』
精霊たちにもそう思われてるのか。
「ポリシアが宿を出たら教えて」
『了解』
朝食は、後でゆっくり食べよう。
※
ポリシアの出発を聞いてから部屋を出ると、階下からリリーが上がってきた。
「おはよう。リリー」
「おはよう、エル。ポリーと会えるようにしてくれて、ありがとう」
「……ん」
別れの挨拶はした方が良い。
いつ最後になるかわからないから。
「朝ごはん、一緒に食べよう?」
「まだ食べてなかったのか?」
「うん。エルと食べたかったの」
俺も。リリーと食べられたら良いなって思っていた。
朝一の船に乗る連中が出払ったせいか、レストランは空いている。カウンターで朝食とコーヒーを貰って席へ。卵料理は好きなものを一品、パンとサラダはおかわり自由らしい。
トレイの横に地図を広げる。
「今、居る港町がここで、古城があるのはここだ」
北にあるニヨルド港から南下して古城を目指す。古城は別の地方と繋がる街道沿いにあるし、移動は楽そうだ。
「古いお城って、あちこちにあるんだね」
「使われなくなった防衛拠点の跡地だからな」
城や砦は国の戦略的拠点だ。近隣都市の防衛機能の向上や避難所としての役割、軍や補給物資の集積等、戦時における防衛の要としての役割を持っている。
「キルナ村の近くにあったのも?」
「あそこは……。たぶん、山道の管理をしてた場所だ」
グラシアルにとって重要な鉄鉱山であり、フォノー砦橋が出来るまでの主要な交通ルートだったとすれば、国が軍を置いて厳重に管理していたはずだ。
今となっては、放置されているようだけど。
「これから行くところは?」
「この地図からじゃなんとも言えないな」
城の情報も周辺の地理情報も欠けているし、港の防衛を担うには中途半端な位置過ぎて軍事的な要所に見えない。
「周辺の監視や有事の際の駐屯地。あるいは、この辺の景観を好んだ貴族の居城跡か……」
かつての役割がなんであったにしろ、今は古城と呼ばれる有り様だ。
そして、今は謎の人物が住んでいる。騎士団が調査に乗り出さないことからも、そいつは伯爵から許可を得て滞在している可能性が高い。港町での怪しい噂に対して何の対処もせず、来訪者に怪しい傷をつけて返すなんて、本当に謎だ。
「門を開けてもらえなかったら、そのまま帰ろう」
「えっ?吸血鬼退治に行くんじゃないの?」
「違う」
なんで、すぐに戦うことと結び付けるんだ。
「吸血鬼なんて居ないって言ってなかったか?」
「居ないけど、また偽物が出てるのかなって。昨日の人たちは、お姫様って言ってたし」
「一緒にレストランに居た奴らか」
「うん」
「なんで、一緒に飲んでたんだ?」
「お酒なんて飲んでないよ?」
違う。
『混んでて席が空いてなかったんだよ』
いくら混雑してたからって、もう少し気を付けた方が良い。
「あ。アップルパイを買ってくれたよ」
「は?」
『ポリーが、たかってたんだよ』
「丁度、焼き立てをメイドさんが配ってたの」
上手いこと言って奢らせたのか。本当に、姉妹として育ったとは思えないぐらい性格が違うな。リリーは、こんなに男が苦手だっていうのに。
「何もされなかったか?」
「大丈夫。短剣は持ち歩いてるから」
違う。
その判断は正しいけど、本当にわかってない。
『ふふふ。ちゃあんと一緒に留守番してたから大丈夫よぉ』
留守番させるなら、魔法の使用許可を出しておくんだった。
「あのね。ユールとエイダは見られてないと思うんだけど、ナターシャは、ポリーに見られちゃったみたい」
『突然来たんだもの。避けようがないわ』
「見える人間なんて、そうそう居ないんだから、気にしなくて良い」
現在、外に居るのはリリーを含めて四人だけ。行方不明のディーリシアとポリシア、そして、二番目のアリシアだ。
リリーが地図の東側を差す。
「こっちに行けば、ティルフィグンなんだよね?」
「そうだよ。行きたいのか?」
「ポリーが、ティルフィグンにあるトリウィアの冒険者ギルドを拠点にしてるって言ってたから」
「トリウィアか」
あいつ、冒険者だったのか。
「どんなところなの?」
「北はジャヌス港、東はアスカロン湾、南はティルフィグンの王都に繋がる大きな都市だよ」
交通の要所で商人の出入りも多い。自由な気風で、冒険者が拠点とするのに良い場所だ。
「西は?」
「ディラッシュ王国との国境まで続く街道がある」
「そっか」
ポリシアは冒険者で、ディーリシアは傭兵。完全に一般人だ。次期女王候補の一人旅なのに護衛もなければ金銭的な援助もないなんて。
自立出来れば監視の目を外れて自由な行動が出来るのか?女王の娘が帰還しない可能性だって、想定外の危険に巻き込まれる可能性だって、いくらでもあるのに?
何故、修行と称して、こんな意味の分からないことをさせるんだ。
女王の娘がどんな行動に出ようと、必ず帰還させる方法があるとでも?
……ディーリシアは帰還していないのに?
※
昨日の雷雨が嘘のように晴れ渡った空の下。
のんびりピクニック気分のまま歩いて目的地に到着した。
「大きな門だね」
想像と全然違った。
これの、どこが古城だって?人間が長く生活していると言われても頷けるぐらい手入れされた城だ。
小高い丘という立地に高い塔を備えていることから、周辺の監視には向いているものの。城の防衛機能は高く堅牢な城壁のみで、周囲に防衛能力を上げるような設備は見当たらない。軍事的な意義は低いと見て良いだろう。
城の出入口は、南向きの大門一か所だけ。裏門は無さそうだ。城壁は風の魔法では登れない高さだから、城には正門から入るしかないわけだけど。
「行かないの?」
なんで、門が開いてるんだ。
来訪者を監視する番人が一人も居ない。城は明らかに手入れされている気配があるのに、誘うように開かれた門にも城壁の上にも監視が全くないなんて怪し過ぎる。
「メラニー。この城には、どれぐらいの人間が居るんだ?」
『読み取れないな』
「え?」
「闇の魔法がかかってるのか?」
『闇の魔法に限らず、複数の魔法の気配があるようだ。人の気配もあるが、亜精霊の気配も感じる』
「亜精霊か」
厄介なことになった。
闇の精霊は闇の魔法で気配を探る。同じ闇の魔法で妨害されると、メラニーでも人間の気配は探せない。
でも、亜精霊がいるなら放置できない。
「リリー。様子を見てくるから……」
「だめ。絶対に付いて行く」
約束したからな。仕方ない。
「俺から離れるなよ」
「はい」
とりあえず、入ってみるか。
リリーと一緒に城門に向かうと、変わった香りが鼻についた。
なんだ?これ。かすかに甘い……。
『エル。風の魔法だよー』
「風?」
『緩い風が、門からこっちに向かって吹いてるねー』
『エル、気を付けろ』
まずい。この香りは……。
リリーを背後にかばって、口元を覆う。
『変な薬を撒いてるみたいねぇ。リリーも吸っちゃ駄目よぉ?』
魔法はともかく、薬はリリーにも影響がある。
『こっちから押し戻したらー?』
『それが良い』
風の魔法を放って薬を霧散させる。
『あれ?』
「門が閉まってる……?」
目の前の景色が一変した。
さっきまでは開いて見えていた門が、何かが動いた音も振動も一切ないのに閉ざされている。その代わりに、門の右手に勝手口のような扉が現れた。
それも、開けっぱなしで。
つまり、今まで見せられていたのは幻。幻惑の魔法だ。
『かなり複雑な魔法だな。幻影に誘惑、それに眠りの魔法もかけていたようだ』
「誘惑?」
『人間の男だけが引っかかるっていう魔法ねぇ』
女の誘惑に弱い奴がかかる魔法だっけ。男性だけじゃなく、女性だって誘惑に負ければかかる魔法だ。じゃあ、さっきの甘い香りは媚薬の一種?
魔術師ギルドのギルドマスターが言ってた門前払いっていうのは、これか。城を訪れた連中は、皆、ここで意識を失うんだ。
『でもさー。風の魔法は、メラニーみたいにかけっぱなしにできない魔法だよー?』
つまり、風の魔法を使った奴がどこかに居る。
「リリー。見える範囲に魔法使いは居るか?」
これだけ明るい場所なら、闇の魔法で隠れることは不可能なはずだ。もしくは、精霊にやらせているか。
「近くに風の精霊は居るか?」
「門の上」
「出て来い!」
炎の矢を門の上に向かって放つ。
だめだ。何の反応もない。
「いなくなっちゃった」
薬を撒いてるってことは、薬の設置に関わってる人間がいるはずなのに。
『エル、何か来る』
『白狼だ』
キルナ村で見た亜精霊が、なんでこんなところに。
急いで放った炎の矢が、すべてかわされる。なんて素早いんだ。
走って距離を詰めていたリリーが大剣を振った。かわされた?そう思った瞬間、回転した勢いで飛び上がったリリーが、見事に白狼に攻撃を当てる。
『わぉ』
避ける方向もすべて的確に計算された攻撃。ダメージも重く入ったはずだ。
白狼は離れた場所に着地すると、城の中へ駆けていった。
なんで、亜精霊が逃げるんだ。
それをリリーが追いかける。まずい。
「待て!」
風の魔法で加速して後を追う。
けど、間に合わない。
「エイダ、リリーを頼む」
『はい』
リリーが城の中に消えた。
『困ったお姫様ねぇ』
俺から離れるなって言ったのに。
門に、あれだけの仕掛けを施せる魔法使いが居るんだ。無警戒で入って良い場所じゃない。
急いで、リリーが入った扉に入る。
……え?
一面、真っ白な世界に覆われた。
『幻術だ』
やられた。
闇の魔法を集めて周囲に放つけど、解ける気配がない。
『精霊の魔法だな』
なんで、精霊が。
「リリー!」
叫んでも返事が聞こえない。
前後左右、見渡す限りすべて白い。霧の中にでも居るようだ。
足元を靴でこする。舗装された道の感覚だ。俺は入ってから一歩も動いていないから、俺の背には入って来た扉が、目の前に進めば城の中に続いているはずだ。
進もう。
『大丈夫?』
「幻術が破れないなら、この空間を抜けるしかない」
戻れば幻術の空間から抜けられるけど、リリーを探すには進むしかない。
幻術は、一定の空間を光の魔法で染め上げてるだけだ。幻に囚われることなく通り過ぎれば良い。足元から感じる感覚はずっと、舗装された道の感覚。手を伸ばしても何かにぶつかる様子はない。
つま先に何か当たる。……段差?つまずかないように気をつけて進んでいく。建物の中に入ったような気がする。けど、ここまで来ても幻術から抜けられないなんて。一体、どれだけの空間が幻に染まってるんだ。
目の前で、ゆらゆらと何かがうごめく。
落ち着け。目に見えるものはすべて幻だ。
どんな魔法も抗えば勝てる。
「エル」
え?
呼ばれた方向に視線を向ける。
「エル。おいで」
金髪に、切れ長の碧眼。
『エル?』
会いたかった。
『どうしたの?何か見えてるの?』
手を伸ばせば触れられる距離。
「さぁ。一緒に行こう」
本当に……。
『落ち着け。すべて、幻だ』
わかってる。
『ちゃんと現実を見てー』
これは俺の記憶。
『惑わされるな』
その胸が、赤く染まる。
『エル』
何度も見た光景。
『目を覚ませ!』
俺のせいで……。
『リリーを探しに行くんでしょぉ?』
そうだ。見つけないと。
「リリー!」
目の前の景色が一瞬にして消える。
ここは……。
城のエントランスホールか?
『エル!前!』
狼の亜精霊が三体走って来る。
炎の刃を作ってなぎ払うと、三体がばらばらの方向に退いた。
『危なかったぁ』
炎の矢を五本、体の周囲に浮かべて飛びかかってきた一体に向かって放つ。続けて正面の狼に向かって走り、炎の刃で斬りつける。
『後ろ!』
わかってる。
短剣を抜いて、飛びかかって来た狼の口に当てる。そして、動きの止まった狼に炎の矢を浴びせると狼が逃げて行った。
まただ。なんで?
振り返ると、さっきの二体も逃げていくのが見えた。リリーが攻撃した白狼といい。獰猛で人間を攻撃することしか考えないはずの亜精霊が逃げるなんて、どうなってるんだ。
一人分の拍手が鳴り響く。二階のバルコニーだ。
「精霊の幻術を破るとは、なかなかの手腕じゃないか」
「お前……」
―炎の魔法を扱うブラッドアイの冒険者。
―やはり、間違いなさそうだな。
雪山で会った銀髪の女。
―私は中立。見物に来ただけだ。
そう言って、変な魔法陣で逃げた奴。
「なんで、ここに」
「それは私の台詞なのだが」
リリーは?
この広場には居ない。銀髪の女の近くにも。エイダからの連絡もなければ、メラニーも何も言わない。
どこに居るんだ。
「せっかくだから、少し付き合ってもらうとしよう」
『エル!』
『避けろ!』
体に巻き付いたロープで宙に引き上げられる。風の魔法のロープなら、真空の魔法で……。消えない?
『これ、風の魔法だけじゃないよー?』
合成魔法?だとしても、主となる属性が風なら、真空の魔法で消せるはずなのに?
……駄目だ。解けない。
宙に浮かびながら銀髪の女に向かって炎の矢を浴びせる。けど、相手は避けることなく攻撃をすべて受け止めた。まるで、魔法なんて一つも効いていないかのように。
『エル、』
ロープを引かれて、女の足元に落ちる。
……いってぇ。
「無駄だよ。私に魔法は効かない」
女が俺を見下ろす。
こいつも女王の娘?
床が光る。この魔法陣は、雪山で見た……。
眩暈と吐き気。
ぐるぐると脳みそが回るような感覚。
なんだ、これ……。




