002 苺のタルト
「わぁ。良い匂い」
朝市まで戻って来た。
離れた時とルートを変えて戻ったけど、思ったより近かったな。
っていうか、なんで、一国の姫が護衛なしで歩いてるんだ。しかも、顔を隠してる様子もなく、こんなに堂々と一人で。
「そういえば、朝から何も食べていないんだ」
「お姫様なら、さっさと城に帰った方が良いんじゃないか?」
「えっ?お姫様?」
なんで、そんなに驚くんだよ。
さっき自分で女王の娘だって名乗っただろ。
「お姫様なんだろ?」
「私が?」
リリーシアが無邪気に笑う。
「お姫様なんて言われたことがない」
こんな可愛い顔をして?
「城で暮らすお姫様じゃないのか」
「城では暮らしてたけど……。ほら、この国は他の国とは少し違うから。お姫様なんかじゃないよ」
国が違えば文化が異なるのは当たり前だ。
それでも、この国は変わってる。
あまりにも公開されている情報が少なすぎるのだ。女王が人前に出ることはないし、王室も公開されていない。
……あぁ。だから、顔を隠して歩かなくても平気なのか。女王の娘の顔を知ってる一般人なんて居ないんだから。
「それに、修行の間は城に帰れない」
「帰れない?なんで?」
「そういう決まりなの」
決まり。
グラシアルの王位継承制度は、前に本で読んだことがある。女王国を名乗ってるだけあって、王位は女系で継承されていて……。
思い出せ。
確か……。
そうだ。妙なルールがあるんだ。多くの国で採用されている王位継承順位がないのが特徴で、候補者が継承権を得る為に城を離れて修行の旅に出なければならないって。
だから、リリーシアは城の外に出た?
たった一人で?
「ね。あなたは普段、どんなものを食べてるの?この辺だと、どれがおすすめ?」
「この辺にあるのは、ファストフードだけだ」
「ファストフードって、どれ?」
ファストフードっていう名前の食べ物があるって、勘違いしてるな。
どれだけ世間知らずなんだよ。大事な王族を、こんな状態で外に出すなんて。グラシアルは何を考えてるんだ。
……あぁ、思い出してきた。
大陸各国の元首の選定方法。
大陸史でも習ったけど、それだけじゃ良く解らなくて、グラシアルについて詳しく調査した学者の本も読んだんだ。
それによると……。
『あ』
まず、グラシアルは王室の情報をほとんど公表しない。女王の婚姻をはじめ、懐妊や出産、子供の名すら公表しない。今、王室に何人の王族が居るのか、国民は誰も知らないのだ。
公表される情報は、旅立つ五人の女王の娘と新しい女王の戴冠だけ。
『エル』
女王の娘は成人を迎えると、三年間、修行の旅に出る。そして、帰還後、女王の出す試練に合格すると、王位継承権を得ることができる。時が来たら、現女王は候補者の中から新しい女王を指名し、退位する。必ず現女王が存命中に次の女王が誕生するのも特徴だ。
ただ……。
『エルー』
修行の目的は謎。
試練の内容も謎。
指名の方法も謎。
『良いのぉ?』
肝心の王位継承権を得る方法は一つも開示されていない。修行や試練なんて言葉で中身を濁してるのは、初代女王から続く絶大な魔力の継承方法を秘匿する為なんだろうけど。あまりにも情報がなさすぎて、これをまとめた著者の妄想を疑うレベルだ。
『あまり離れると見えなくなってしまうわ』
だいたい。
一般に顔すら知られていない王族が人知れず修行の旅に出るなんて、わざわざ開示する必要のない情報だろう。
しかも、魔力の継承という国の根幹に関わる修行を、城を出て行うなんて……?
ん?
ちょっと待て。
女王の娘なら魔法使いのはずだろ。
なんで、剣士の恰好なんてしてる?
カモフラージュの為?
……まさか。鎧なんて一般人が簡単に着こなせるものじゃない。リリーシアはあの重装備で走って息一つ切らしてなかった。しかも、得物は大剣。こんなの、普段から鍛えてる剣士じゃないと不可能だ。
でも、顕現していない状態の精霊が見えて、精霊の声を自由に聞けるのは確かなんだよな。
通常では考えられない特殊な力を持ってる以上、女王の血筋と考えて良いのか?
「魔法使いなら、このケイルドリンクで決まり!一杯、五十ルーク!いかがですか?」
真横から大きな声が聞こえる。
失った魔力の回復を早めてくれる魔法使いの為の飲み物だ。
『飲むのか?』
飲むわけないだろ。
さっき使った程度の魔力なんて回復の必要はない。
それよりも。
「どこ行ったんだ?」
居ない。
『ようやく気付いたのぉ?』
『あそこに居ますよ』
良かった。
精霊たちが、ちゃんとリリーシアの行方を把握してくれていたらしい。
「うちで金貨なんか出されてもねぇ。それ、本物?」
金貨?
何やってんだよ。
「それ、いくらだ」
急いでリリーシアの隣に行くと、店主がこちらを見た。
「ニ百ルークでどうだ?」
「じゃあ、二つくれ」
店主に百ルーク硬貨を四枚渡してサンドイッチを貰う。
「ほら、行くぞ」
リリーシアの腕を引く。
「あの、」
「こんな往来で金貨を見せびらかす馬鹿がどこに居るんだよ。早く仕舞え」
「……はい」
金貨は、この国で両替すれば一枚でおよそ五十万ルーク。露店で使えるような額じゃない。
ただでさえ狙われてるって言うのに、そんなものを見せびらかして掏摸や誘拐犯に目をつけられたらどうするんだ。
「ルークって、何?」
「この国の通貨だ」
「じゃあ、これって使えないお金なの?」
説明が面倒だ。
「良いから、もうそれは出すな」
自国の通貨も知らないなんて。
「ごめんなさい……」
リリーシアが俯く。
少し、言い過ぎたか。
言動や行動からして、世間知らずのお嬢様に違いはないんだろう。
女王の娘っていうのは信じるよ。
……装備はともかく。
「あのね、ファストフードって、どれ?」
「これだよ」
「え?これはハムと卵のサンドイッチだよね?」
だめだ。突っ込みが追い付かない。
追われてる自覚、あるのか?
っていうか……。
まさか、サンドイッチを買うことになるなんて。
女将から、朝市で売ってるミートボールスープが美味いって聞いたから、今朝は、わざわざ朝食を断って早めに宿を出たのに。
さっきの買い物だって終わってないし、予定が目茶苦茶だ。
「あ」
腕を引かれて、後ろに引きずられる。
なんて力だ。
どこが絶大な魔力を持つ女王の娘だよ。
絶対に剣士だろ。
「いらっしゃいませー。今が旬!苺のタルトはいかがですか?」
「見て、可愛い!」
苺が乗ったタルトか。
グラシアルの朝市は、甘いものも結構出してるんだな。
「どうぞ」
手渡されたタルトを、リリーシアが素直に受け取る。
そして、店員がこちらを見た。
「四百ルークになります」
……なんで、こんなことに。
代金を払うと、店員が笑顔を向ける。
「ありがとうございました」
サンドイッチが二百ルークで、タルトが四百ルーク。
甘い物の値が張るのはどこも一緒か。
「ありがとう」
大事そうにタルトを持ったリリーシアが微笑む。
……タルト一つで、そんな幸せそうな顔をされたら。仕方ない。
「あっちの広場で食べるか」
「うん」
城下街の中央にある広場。
あそこなら人目も多いし、堂々と絡んでくる奴も居ないだろう。
「女王の娘が出発したな」
前方を歩く二人組の会話が聞こえる。
「あぁ。次は何番目だっけ」
「四番目だ」
四番目?
「あれ?一番目って……」
「三年前に出発しただろ」
一番目は三年前に出発。
毎年一人ずつ出発して、リリーシアは四番目ってわけか。
女王の娘の出発日って、決まってるのか?それとも、何らかの方法で公表されてる?
そんな話、宿の女将はしてなかったけど。
『エル、知っています?』
エイダ。
『フェ、って私たちの言葉で、四番目って意味ですよ』
「そうなの?」
話しかけられたのは俺なのに、なんでリリーシアが返事をするんだ。
『あら、知らなかったんですか?』
エイダも普通に会話するなよ。
「私、古代語は得意じゃなくて……」
古代語。神話時代の古い言葉で、精霊の言葉だ。
「一から順に、ツァ、ヴィ、ルゥ、フェ、クォだよ」
「そうなんだ」
つまり、リリーシアの名前は、女王ブランシュの四番目の娘って意味になる。
だとすると、イリスは爵位を表すような言葉か、個人的なファミリーネームってところか?
『それと。私の声が聞こえるって、特殊なことですよ』
「やっぱり、あなたはこの人と契約中なんだよね?」
『そうよ』
「そうだよね。誰かと契約中の精霊って、きちんと紹介されないと声が聞こえないはずなのに……」
なんだそれ。
『紹介されたとしても、通常は聞けないと思うわ』
「え?そうなの?」
「そうだよ」
精霊の声を聞くには条件がある。
特に、人間と契約中の精霊は特殊な条件が必要だ。
『エル、失敗した』
「わっ」
リリーシアが顔を伏せる。
今度は、戻って来たメラニーの姿が見えたらしい。
……本当に、どうなってるんだ。
「何があったんだ?」
『途中で魔法を使われて、撒かれた』
魔法使いか。
闇の精霊を撒くなんて、相当な手練れだ。そいつも精霊が見える奴じゃないだろうな。
『驚かせてすまなかった』
「大丈夫。その……。今は触れられない状態っていうのはわかっているんだけど、精霊が人の体の中から出たり入ったりするのも、初めて見たから……」
メラニーとも普通に会話してる。
『面白い子ね』
本当に。
世間の常識に疎い上に、魔法使いとしての常識も通用しないなんて。
その上、自分の状況を全く理解してない。なんで、国の重大な秘密を握ってるような人間が、こんなところをふらふら歩いてるんだ。誘拐されたら国の一大事じゃないのか?
※
「わぁ……」
城下街の入口から城に向かって真っすぐに伸びる大通り。その中間ぐらいにある大広場は、プレザーブ城が最も美しく見える場所だ。
「ここにするか」
広場にあるベンチに腰掛けて、リリーシアにサンドイッチを渡す。
「ありがとう」
包みを開いたリリーシアが、すぐに食べ始めた。
美味しいらしい。
感情が表に出やすいタイプなんだろう。喜んだり落ち込んだり。表情が目に見えて変わるから、見ていて飽きないな。
俺も食べよう。
おぉ。思ってたより美味い。中身は、ソースになるぐらい味がしっかり付いたゆで卵のサラダだ。ハムの塩気とも合ってる。それに、スライスした薄切りパンを使うのはグラシアルらしいスタイルだ。
思ってたよりも当たりだな。
美味い。
「良かった」
サンドイッチを食べながら、リリーシアが宙に浮かぶ巨大な球体のオブジェを見ている。
広場の端。城へ続く大通りの左右には、常に浮いているオブジェがある。二つのオブジェに囲いはなく、誰でも自由に触れることが出来るらしい。
女王の力で浮遊するオブジェは、どれだけ力を込めて押しても同じ場所から動くことはなく、どれだけ力を込めて叩いても壊れることは決してないんだとか。
流石に、壊そうとしてる奴は見てないけど、動かそうとしてる奴はちらほら見かける。
ちなみに、オブジェの色に決まりはなく、日によって変化している。女王の機嫌を現してるって話だけど、詳しい意味はわからない。今日は透き通るような白色だ。
「今日の色の意味は、何なんだ?」
「あれは祝福の色だよ。旅立ちの祝福の色」
旅立ち。
オブジェの色は女王からのメッセージだったのか。
リリーシアを追いかけ回してる連中も、あれを見て誘拐を企てたのかもしれない。
いや。顔は割れてないはずだよな。
俺の知識が正しいなら。
「女王って、全く城から出ないのか?」
急に表情を曇らせたリリーシアが首を振る。
「出られないんだ」
「出られない?」
「女王は、この国の礎。女王になった瞬間から、その魔力を国中にそそぐ役割を担うんだ。あの城は、その為の装置なの」
北にある城を見上げる。
プレザーブ城。
断崖絶壁に君臨する巨大な白銀の城だ。
高い城壁は継ぎ目なく城の周囲を囲っており、外部から中に入ることは不可能。
……正直、外界と完全に隔離されているなんて考えられないから、どこかに出入口があるはずと思うんだけど。昨日、調べた感じでは、裏口はもちろん、わずかな隙間すら探せなかった。完全に壁で覆われている。
唯一、市民に開かれている部分は城の正面にある祭壇だけ。
女王への祈りや献上品を捧げる為の設備があり、誰でも自由に出入り可能になっている。と言っても、そこも門の形をした壁をいくつか見つけたぐらいで、奥へ進めるような道や扉は全くなかった。
もしかしたら、門の形の壁は、かつて城に入るための扉跡だったのかもしれないけど。今は、ただの壁だ。
もちろん、魔法の気配をあちこちから感じたから、中に入る為の魔法の仕掛けがあるんだろうけど、それ以上のことは分からなかった。
公表されている情報でも、城は完全に外部から隔絶されており、出入りできる人間は居ないことになっている。
ただし、女王の娘だけは例外。修行の為に城の外へ出て、修行を終えれば城へ帰還する。
あの城の正体が、女王の持つ魔力を国中に行き渡らせる為の装置?
それが本当なら世紀の発明だ。
「これ、食べても良い?」
急に、目の前にタルトを出された。
サンドイッチは、もう食べ終わったらしい。
「いいよ」
自然を捻じ曲げるほどの力。それは、明らかに精霊の奇跡に匹敵する力だ。
グラシアル女王は、一体どれほどの魔力を保持してるって言うんだ?
それとも、あの城には魔力を増幅させる機能がある?
っていうか。
こんな話、俺はどんな文献でも読んだことがない。明らかに城の機密に当たる情報を、見ず知らずの俺に簡単に話すなんて。
「うーん……」
隣で、リリーシアが真剣な顔をして唸る。
流石に、機密を漏らしてしまったことに気づいたのかもしれない。
「あの……」
リリーシアが俺を見上げる。
「これ……。半分こにしたいけど、苺は一個だし……。どうしたら良い?」
……は?
苺?
今、そんな顔で真剣に悩んでたことが、苺?
あぁ、もう。
「え?」
笑う俺を、リリーシアが不思議そうな顔で見る。
……可愛い。
「俺は甘いものは食べないんだ。だから、全部食って良いよ。ほら」
タルトの上に乗った苺をリリーシアの口に放り込むと、口をもごもごと動かしながらリリーシアが俯く。
悩んでた割に喜んでない。
食べたかったんじゃないのか?
「リリーシア?」
返事がない。
怒ってる?
もしかしたら、苺は最後に食べたかったのかもしれない。
「あのっ」
ようやく顔を上げた。
少し顔が赤い。
「リリーでいいから」
……怒ってたんじゃないのか。
もう一度俯いて、リリーが飾りのなくなったタルトを食べ始めた。
「美味しい」
機嫌が戻った。
甘いものが好きなんだな。
……っていうか。
―助けて。
買い物もろくにできないぐらい無知なまま外に放り出されて誘拐犯に追い回されるなんて。
―私を、守ってほしい。
頼れる奴は、どこにも居ないのかよ。
サンドイッチを食べ終えて包みを潰していると、突然、リリーが立ち上がった。
タルトも食べ終えたらしい。
「あのね。やっぱり、私、あなたに助けてもらいたい」
リリーが俺を見る。
「だから、説明したいんだ。でも……。なんて説明したら良いかわからなくて。私、どこまでが一般の話なのか分からないし、外のこと、そんなに詳しくないから……」
リリーの視線がどんどん下に落ちて行く。落ち込んでるな。ようやく自分がどれだけ世間知らずか自覚したんだろう。
さて、どうするかな。
―でっかい剣で俺にぶつかって来たからに決まってんだろ。
―そんな長い髪で派手なマント付けた女が他に居るわけないだろ。
まずは、この恰好をどうにかしよう。
「リリー」
「……はい」
「話は聞く」
「本当?」
もう一度、顔を上げたリリーが微笑む。
さっきまでの自信のない顔はどこに行ったんだ。
「でも、その前に、ちょっと付き合え」
「わかった」
……わかったって。
どこに行くかも言ってないのに。
こちらから誘ったとはいえ、少しは警戒したらどうだ。