021 雨夜
キルナ村を出て、バンクスの街へ向かう。
行く手には重い雲。
雨の気配がある。
「今、向かってる方角はわかるか?」
「えっ?えっと……」
リリーが周囲を見渡す。
即答できないか。
「東……?」
「なんで、そう思った?」
「昨日は洞窟を出て西に向かったから……。村の門があったのって、東だよね?」
「それは合ってる。でも、さっき曲がっただろ」
「えっ?」
『曲がったよ』
さっきの分かれ道で。
地図を出して、リリーに見せる。
「キルナ村はここで、バンクスの街はここ。俺たちが目指してるのは……」
「南?」
「そうだ」
昨日も地図は見せたはずなんだけどな。
「後は、一本道?」
「あぁ」
「良かった」
リリーにとっては良いかもしれないけど。
「選択肢がないっていうのは、良いことじゃない」
「どうして?」
「俺たちが山越えしてグラシアル大街道に入ろうとしてるのは、城の連中にばれてるんだぞ。キルナ村とバンクスの街に寄る可能性が高いってことも」
こんな平原で襲われる可能性は低いだろうけど。
いや……。
もしかして、城の連中が俺たちを追うのは難しいんじゃないのか?
ポールから教わったオクソル村を抜けるルートは、王都からポルトぺスタへの近道だ。
山道を使う上に、立ち寄れる都市が少ないという欠点はあるものの。オペクァエル山脈を迂回することを考えれば、かなりの時間短縮になる。軽く見積もっても五日は短縮できる計算だ。
同じルートで追いかけられたとしても俺たちを追い越すことは不可能。そして、正規のルートで城からグラシアル大街道に入ったとしても、俺たちに追いつける可能性は低い。
もちろん、それだけで安心できるわけじゃない。各地に居る仲間と連絡を取る可能性もあるし、この前見たあれ……。空間転移を可能にする魔法が使えるなら、どこに現れるか予測がつかない。
結局、警戒を続けるしかないな。
地図を仕舞って、空を見上げる。
急がないと。
この辺りに休めそうな場所はない。レインコートがあるとはいえ、雨の中を歩けば普段以上に体力を消耗する。
「水の精霊がたくさん居る」
水の精霊?
この辺に水辺はないのに?
雨の予兆か?
「雷の精霊は?」
「え?」
リリーが首を傾げる。
「雷の精霊って、紫色だっけ?」
「あぁ。見たことないのか?」
「見たことないよ。雷の精霊も……。雷も」
「雷も?」
「うん」
―雪なんて初めて。
そういえば、城では雪も降らないんだっけ。
「雨も降らないのか?」
「雨は降るよ。たまに」
たまにって。
どうなってるんだ。
「こういう雲は見たことあるか?」
リリーが空を見上げる。
「こんなに暗くて怖い感じのは、あんまりないかな」
つまり、城の天気は安定した晴れが続いていたのか。女王の力で。
※
「雨……?」
立ち止まったリリーが空を見上げる。
降ってきた。
遠くに街が見えるものの、まだ距離がある。
「急げるか?」
「うん」
さらさらと降っていた雨も、バンクスの街に到着する頃には、打ち付けるように強くなっていた。
街に入って、手近な店の軒下に入る。
酷い雨だ。
「大丈夫か?」
「大丈夫……」
疲れてるな。
急いだせいで、いつもより速足になった。道も悪かったし無理をさせたか。早く休める場所を見つけないと。
自分のマントをリリーの頭にかける。
「転ぶなよ」
「……うん」
広くて綺麗な通りだし、この通り沿いにある宿なら、きっと悪くないだろう。
※
宿に入って、先にシャワーを浴びてから夕飯をとる。少し遅い時間だったから、席も空いていた。リリーは窓際の席が好きらしい。
のんびり食事をとった後、リリーが紅茶を飲みながら窓の外を眺める。
「打ち付けるような雨。冷たく激しい雨。……雷雨?」
「雷は鳴ってないだろ」
「そっか」
嫌な雨だけど、雷の気配はない。
「何の話だ?」
「え?」
「今の」
「えっと……。物語で読んだ情景って、こんな感じなのかなって思って」
こんな雨も見たことがないなんて。
「じゃあ、虹も見たことないのか?」
「あるよ。雨の後には、七色の虹が架かるから」
虹はあるのか。
「それに、オーロラも」
「へぇ。オーロラは見たことないな」
「そうなの?」
「あぁ」
オーロラが観測できる地域は限られる。
そういえば、グラシアルの王都は絶好の観測場所だったな。あの城からなら、良く見えるんだろう。
「ワインはいかがですか」
ワインか。今日は飲んでも良いな。
「飲むか?」
リリーに聞くと、首を振った。要らないらしい。
「クアシスワインをくれ。グラスは一つで」
「かしこまりました」
店員がワインを取りに行く。
ポールがリリーに勧めてたし、美味いのかもしれない。
「ロマーノワインは飲まないの?」
「あれは特別なワインだからな。ラングリオンに帰ってからゆっくり飲むよ」
「そっか」
旅先で開けるなんて勿体ない。
「私、部屋に戻ってるね」
「あぁ」
『一緒に行きましょうか』
頷く。
『わかりました』
その方が良いだろう。
「ありがとう」
紅茶のカップを下げに行ったリリーを見送って、窓の外を眺める。
客も減ったし、かなり静かになった。
店内の明るさを反射する窓の反対側にある強い雨音が徐々に屋内を侵食する。
……雨。
こんな道の悪い状態で、リリーを歩かせるわけには行かない。ここまでの道程だって、旅を始めたばかりのリリーにとってはきつかっただろう。大街道は目の前だけど、雨が止むまでここに留まった方が良いかもしれない。
「お待たせいたしました」
店員がワインの栓を抜いてグラスに注ぐ。
「一本もらうよ」
「何かお召し上がりになりますか?」
「いや。要らない」
「かしこまりました。では、ごゆっくり」
果実の香りが豊潤で、酸味がきつくない。飲みやすいワインだ。
いや。ワインっぽくないな。
葡萄以外の果実で作ったものかもしれない。
珍しいし、土産に買って帰るかな。
『今日はぁ、何本飲むつもりぃ?』
「そんなに飲まないよ」
眠くなったら部屋に戻ろう。
……雨。
二杯目を飲んでいたところで、目の前にワインのボトルとグラスを持った女が座った。
「一杯、奢ってくれる?」
「良いよ」
相手が傾けたグラスにワインを注ぐ。
「甘いお酒が好きなの?」
「別に」
「なら、こっちもお勧めよ」
違う銘柄のワインだ。
セロラワイン?
「それも、グラシアルのワインか?」
「そうよ。クアシスワインとセロラワインは、グラシアルの二大ワインなの」
残っていたワインを飲み干してグラスを傾けると、相手がセロラワインを注いだ。
こっちの方が酸味があってワインっぽい。
「どう?」
「美味いよ」
「お兄さん、グラシアルの人じゃないのね」
「ラングリオンから来たんだ」
「ラングリオン?」
「東の国だよ」
「そう。遠い国の人なのね。……知ってる?グラシアルではね、クアシスワインは女性を口説く時に使うのよ」
「口説く?……あぁ」
だから、ポールがリリーに奢ってやるって言ったのか。
「なぁに?身に覚えがあるの?」
「連れが口説かれそうになってたんだよ」
「黒髪の彼女?」
「見てたのか」
「見ようとしなくても目に入って来るわ。金髪と黒髪のカップルなんて、目立つじゃない」
目立つ?
言われてみれば、確かに目立つ組み合わせだ。
考えもしなかったな。
「やだ。まさか、気づいてなかったの?」
女が笑う。
「面白い人ね。……良いの?大事な彼女に内緒で、私と飲んで」
「そっちから来たんだろ」
「断らなかったじゃない。もう一杯くれる?」
相手と自分のグラスにワインを注ぐと、途中で空になった。
「乾杯」
「乾杯」
グラスを合わせて飲んでいると、店員が新しいワインを持ってきた。
「クアシスワインでよろしいでしょうか」
「あぁ」
空になるタイミングを見てたなんて。店員も暇なのか。
「お客様は?」
「私は遠慮しておくわ」
店員がクアシスワインの栓を抜いて、空になった瓶を持って帰る。
「お兄さん、いける口だね」
「まだ一本しか空けてない」
「私は一本で十分気持ち良くなれるな」
「なら、そろそろやめておけ」
「付き合ってくれるなら、もう少し飲むんだけど」
「酔っ払いの相手なんて御免だ」
「残念ね。相手してくれないの?」
「他を当たれ」
「他?……こんな雨じゃ、誰も居ないじゃない」
レストランには、もう誰も居ない。
窓の外は相変わらずの雨。
「雨の日って、つまらないわ」
「そうだな」
雨は勢いを衰えさせることなく降り続いている。
「王都を目指してるの?」
「ポルトぺスタだ」
「そう。最近、この辺は治安が悪いから気を付けてね」
「治安が悪い?」
「えぇ。黄昏の魔法使いって、知ってる?」
「また、その話か」
「知ってるのね」
「あちこちで噂になってるからな。まだ捕まってないのか」
「そうみたい。もしかして、あなたも魔法使い?」
「そんなわけないだろ」
「違うの?黄昏の魔法使いって、金髪で恰好良いって噂よ」
「なんだそれ」
「素敵な人なら、誘拐されても良いかもね」
「馬鹿だな。相手はプロの人さらいなんだ。気を付けた方が良い」
「心配してくれるの?」
「用心するに越したことはないだろ」
「大丈夫よ。ここから東に行けば、すぐに私の村があるもの」
東なら、キルナ村じゃなさそうだな。
「あぁ。なくなっちゃったわ」
セロラワインの瓶が空になる。
「残念」
グラスに残ったワインを一気に飲んで、女が立ち上がる。
「空になるまでに口説き落としたかったんだけど」
「連れが居るのは知ってるだろ」
「振られてたじゃない」
「いつから見てたんだ」
空のグラスを片手に女が笑う。
「やだ。図星だったの?」
リリーと俺の会話を聞いていたわけじゃないらしい。
「早く仲直りした方が良いわよ」
別に、喧嘩したわけじゃない。
「付き合ってくれてありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ」
手を振って見送った後、グラスにワインを注いで窓の外を眺める。
絡んで来る奴はもう誰も居ないけど。
これが空いたら、部屋に戻ろう。
『女の人の誘いを断るなんてぇ、珍しいのねぇ』
ユール。
「何が言いたいんだよ」
『エルらしくなぁい』
悪かったな。
「リリーが居るだろ」
『それもぉ、変だよねぇ?』
「何が」
『毎日、横で寝てる女の子に手を出さないなんてぇ』
「うるさいな」
あんなの、手の出しようがないだろ。夜中に勝手に入ってきて後ろから羽交い絞めにされてるんだから。
『どぉして、あんな約束したのぉ?』
「約束?」
『三年間も一緒に居るなんてぇ』
理由なんて……。
「別に、良いだろ」
『良くない、よねぇ?』
わかってる。
誰とも一緒に居るべきじゃないって。
―あなたは、大きな力を得る代わりに大切なものを失う運命。
―あなたは周りを不幸にする人間。
―いつか、悪魔に列せられる魂。
あんなに、してもらったのに。
何も出来なかった。
『エル。もう、あんなことしないでねぇ?』
わかってるのに……。
なんで、あんな約束を。
「エル」
「リリー?」
戻って来たのか。
「飲むか?」
迷う素振りを見せた後、リリーが頷く。
「グラス、もらってくるね」
飲むらしい。
緩く結んだものの、床に付きそうなほど長い黒髪が揺れる。
シャワーを浴びた後は髪を下ろすから雰囲気が変わる。
グラスを受け取ったリリーが戻って来た。
向かいに座ろうとしたリリーの手を引く。
「こっち」
「え?」
隣に座らせて、グラスにワインを注ぐ。
「エル、大丈夫?」
自分のグラスを掲げて、リリーが持ったグラスに合わせる。
「乾杯」
「乾杯」
リリーがワインの香りを嗅ぐ。
「甘い香りがする。なんて名前だっけ?」
「クアシスワインだよ」
確か、ラガーも知らなかったっけ。
だったら、口説く時に飲む酒だってことも知らないんだろうな。
「クアシスの実で作ったワインなんだ」
「クアシスの実?」
「うん。甘酸っぱい果実だよ」
グラシアルで採れる果実で作ったワインか。
リリーがグラスに口を寄せた後、飲まずにグラスを置いた。
「酔っちゃうかな」
「良いよ。酔っても」
「え?」
「どうせ、雨が止まないと出発できないからな」
この分だと、明日までに止むかわからない。
王都に行くまでの間、雨には何度か当たっている。舗装された大街道を一人で歩く分には気にならないけど、リリーと一緒で、襲撃のリスクを考えると……。
「雨が、ずっと止まなかったら?」
止まなかったら?
「困るな」
ここでずっと足止めか。
リリーとのんびり過ごすだけなら良いけど、誰かに絡まれるのも、ユールとあんな話を繰り返すのも面倒だ。
「エルは、どうしてグラシアルに来たの?」
グラシアルに来た理由?
当初の目的は、エイダの記憶探しだったっけ。結局、何も見つからなかったわけだけど。
「行ったことがなかったから」
「……それだけ?」
「どこかに行く理由なんて、そんなもんだろ」
行き先なんてどこでも良い。
一つの場所に留まっていてはいけないんだから、仕方ない。
「リリーは、なんで俺についてくるんだ?」
「えっ?それは……」
まだ、話す気にはならないか。
「俺が、人さらいだったらどうするんだ」
「人さらい?」
「そう。賊連中みたいに誘拐して、どこか遠くへ連れて……」
って。
グラシアルから遠く離れたラングリオンへ連れて行こうとしてるんだから、やってることは変わらないな。
隣で、リリーが困ったような顔で首を傾げてる。
肩にかかった長い黒髪を払って頬に触れる。
「可愛い」
「え?」
リリーが顔を反らして、俯く。
「エルは、変だよ」
「変?」
「……ばか」
なんだ、それ。
「香りだけで酔ったのか?」
「それは、エルだよね?」
「俺が酔っ払ってるって?」
「違うの?」
「酔ってないよ」
この程度じゃ酔わない。
リリーの方こそ、一口も飲んでないのに赤くなってる。
「エルの馬鹿」
それ、何回目だ。
リリーの顔をこちらに向ける。
「ほら。顔が赤い」
「これは……。エルのせいだよ」
「俺のせい?」
「意地悪」
何もしてないのに。
「エルは私を助けてくれて一緒に居てくれる。でもそれは、きっと、私が私じゃなくても、してくれることだよね?」
「何の話だ?」
意味が分からない。
ワインを飲んでグラスを置くと、空になった俺のグラスにリリーがワインを注いだ。
リリーがリリーじゃなくても?
そんなこと、あり得ない。
リリーの手を引いて、こちらを向かせる。
「リリーはリリーだろ」
「え?」
「リリーがリリーじゃなかったら、一緒に居ない」
エイダの精霊玉を渡したのは、リリーだからだ。
「リリーじゃなきゃ、三年間、一緒に居たいなんて思わなかった」
「あの……」
方向音痴で、すぐにふらふらいなくなって。
世間知らずで。
すぐに泣いて。
放っておけなくて。
目が離せない。
……そうだ。目が離せない。
出会った時からずっと。
真っ直ぐ世界と向き合って、自由を幸せそうに語って、いつも楽しそうに微笑んで笑ってくれるから。
いつもまっすぐ、輝く黒い瞳で俺を見るから。
色は深い闇の色のはずなのに。まっすぐ、揺るぎなく輝く瞳。
なんて綺麗な……。
「あ」
額がぶつかって、現実に戻る。
まばたきで睫が当たる距離。
……こんなに、近づいてたなんて。
リリーから離れて、ワインを飲む。
何、やってるんだ。あれ以上近づいたら……。
一気に飲み干したワインのグラスをリリーに傾ける。
「もう、からっぽだよ」
リリーが瓶を傾けても、ワインの雫が垂れるだけだ。なら。
「飲まないんだろ?」
「あ」
リリーのグラスを取って、飲み干す。
酔ってる。
そんなに飲んでないはずなのに。
そういえば、今朝も変だった。
調子が狂ってる。
「そろそろ寝よう」
早めに休まないと。
「大丈夫?歩ける?」
「歩けるよ」
まともに顔が見れない。
なんで、避けようとしないんだよ。
あれ以上近づいたら、キスしてた。
※
部屋に戻って、そのままベッドに入る。
雨の音が響く。
降り続く雨の音が。
耳の奥まで響いて……。
もう少し、飲めば良かった。
「もう、寝たの?」
リリーの手が俺の髪に触れる。
いつも、こうなのか?
……いつまでも、手を出さないでいると思ってるのか。
リリーの手を引いて、リリーを引きずり込む。
「エル?」
艶のある長い漆黒の髪。
腕に収まる華奢な肩。
いつも背中に感じていた温もりが腕の中にある。
しなやかな髪を撫でて頭に顔をつける。
細い腕に抱かれて、背中を撫でられると力が抜ける。
あたたかくて心地好い。
雨の音が遠ざかっていく……。




