没入前
俺は同意書にサインをした。
内容を隅々まで読んだわけでは無いが、ザックリいうと脳への負荷が高いので一度しかこの「バイト」は出来ないという事。最新の技術による電脳世界への没入体験を、人類の誰よりも早く体験が出来る事。そして、その世界で「最強」を目指して出来るだけ過ごしてほしい事。
そんなきな臭いアルバイトに、俺は応募し同意書にサインをした。
この現実に戻ってくるのは麻酔が切れる数時間後。
日帰りバイトで、非課税で二十万貰えるというのも魅力的な内容だった。
電脳世界で延々と最強を目指し続けられるアルバイトなんて、夢のような話ではないか。
はやる気持ちを押さえ、俺は個室へと歩みを進めた。
個室の中は飾り気もない白塗りの壁に囲まれ、リクライニングチェアが一台、その隣に心電図らしきモニターだけしかない、殺風景な部屋だった。
想像していた最先端のイメージとの乖離が激しい。
思わず、案内してくれた白衣の女性に声を掛けてしまったほどだ。
しかし、どうやらここが電脳世界への入り口で間違いないらしい。
話を聞くと、どうやら麻酔を打った後に口の中に一本のデバイスを入れるそうだ。
そこで、お姉さんはため息交じりに俺を睨みつけてくる。
「あなた、説明書とかちゃんと読まないタイプでしょ? 悪びれも無く質問する心構えは良いけど、しっかり自身がやるべき事は先にしっかりしておきなさい? 私の手間が無駄に増えるのは、やるせないわ」
思わず正論にウッとなってしまう俺である。
「良い? 麻酔は非常に強い劇薬なんだから、知らなかったじゃ済ませないわよ? それに、今回の没入するデバイスだって、口の中に居れる最新デバイスで、脳への負荷が強いから一度しか使えない品物なのよ? 人間が体験する1秒の感覚を、数年分にも引き延ばすって言われているんだから。PMの話だと、3か月間向こうの世界を体験して、戻って来たのは3秒だって話よ? 本来は麻酔が効いてから使うのに、PMったら機器初めにデバイス使って、戻ってきてからはずっと後ろ向きな発言しかしないんだから、きっとアレは何か後遺症がでたに……今から使うアナタの前で不謹慎だったわ」
このデバイスを使うと、人格が変わってしまうのだろうか? いや、3ヵ月物時間を電脳世界で過ごしたんだ、きっと何かが変わってもおかしくないのではないだろうか。そう判断した俺は、特に文句をいうこともなくスンマセン、とだけ謝りながら椅子に腰を掛けた。
「それじゃ、準備は良いかしら?」
「はい」
はやる気持ちを押さえながら、僕は腕に鈍い痛みを感じると共に意識を失った。