戯れ言 妹がレントゲンバスで死にかける 心疾患兄妹編
その日はたまたま真っ直ぐ学校から帰宅した日だった。
玄関の前で仕事に出ているはずの母が、車のドアを開け私を呼んだ。
「丁度良かった、妹が危ないって! すぐ行くから早く乗って!!」
「は?」
意表を突かれた私は即座に助手席に座ると、母は急いで車を出した。
「何がどうなってんだよ」
「レントゲン撮るときに過呼吸になったみたい」
「意味がわかんないんだけど、レントゲンで過呼吸って何かの発作? アイツそんなの持ってたなんて聞いたこと無いな」
理由が分からないまま目的地へ着くと、副医院長と婦長が青い顔で私達を出迎えた。
「本当に申し訳ない。妹さんは、今は安定しています」
副医院長が頭を下げた。
「いや、謝る前に何があったか言ってくれないと困るんだけど。なにがあったん?」
口を歪ませながら、副医院長がポツポツと事の次第を話し始めた。
本日は休日で院内の技師が不在だったため、委託された外部業者の人間が担当したと言う。
その技師は・・・・・・。
「子供を見に来たのに、何でこんなところにいい歳した娘がいるんだ。忙しいからさっさと終わらせたい。休みのはずなのに呼び出された」
などとワザと聞こえるように言葉を漏らしていたという。
それが精神的な不安に繋がったのか、泣き出した妹は呼吸が荒れ、心拍数が上がり、不整脈も誘発。
付き添った婦長が技師を押しのけ、レントゲンバスから車椅子に乗せ、緊急処置で酸素マスクや薬の投与などを使い辛うじて安定することができたそうだ。
「今から謝罪させますので、こちらへ・・・彼はかなり動揺していますので、あまり責めないでください。少し鬱の気が有ると言うことですし・・・・・・」
と、副医院長が前置きをしながら私と母を会議室へと促した。正直、文句や皮肉の一つでも言ってやろうと二人で思っていたが、彼を見た瞬間に私も母もその気持ちが吹き飛んでしまった。
それは、額と言うにはあまりにも広すぎた。
広く、大きく、薄く、そして大雑把すぎた。
それは正に中途半端な禿げ頭だった。
年齢は三十代半ばほどだろうか、独身か、結婚していたら小さな子供がいてもおかしくないように見えた。デコから頭頂部にかけての肌色とその周囲には名残惜しそうに張り付く黒い髪。
いっそのこと、丸坊主の方がカッコ良いのではと、一瞬過ぎり毒気が抜けてしまった。
顔面蒼白で唇を青くし、手足がガクガク震える技師に対し、私も母も深い溜息を吐いた。
「すみません・・・」
涙ながらに声を震わす男が哀れに見えた。そして、私の視線は頭を下げる男の輝く頭頂部に目が行ってしまう。
絶句と言って良いのだろうか、私も母もお互い顔を見合わせ「もういいです」と突き放し、男は鼻を啜り副医院長に支えられながら部屋を後にした。
その後、妹も疲れているだろうと言う事で私は妹の面会はせずに部屋に残り、母が様子を見に行った。
それでも、面会時間は短く、私も母も気が抜けて家路につくことにした。
車の中で、気が抜けた私と母は淡々と言葉を紡いだ。
「妹はどうだった」
「思ったより元気してたよ」
「本当は文句の一つくらい言いたかったけど、何か・・・冷めちゃったな」
「まあ、無事だったし良かったけど・・・なんて言うか・・・ね」
「なんだか・・・な・・・・・・」
「何かインパクトで負けた感じだったね。あのまま色々言ったらこっちが後味悪くなりそうだったし」
「あの状態で勢いで追い込みかけたらイジメになるからなぁ。すげービビってたじゃん」
「まあ、こっちが丸く収めたってことでいいんじゃない?」
「それとも、詰め寄った方が普通なのかな?」
「詰め寄っても仕方無いけど、何か拍子抜けしたね」
「若い兄ちゃんで、ふてぶてしかったり、開き直ってたら色々言ってやるつもりだったけどな」
「取りあえずこっちは大人な対応をしたってことで良いんじゃない。モヤモヤするけど」
「母親がそう言うなら俺もそれで良いよ。モヤモヤするけど」
と、言う事で私と母は少しモヤモヤを残しつつも帰宅した。
だが後に「あのハゲ!!」と、妹はストレートに激昂し、特に女性看護師達と共に荒れに荒れ、その技士は出禁になったと言う話しを風の噂で聞いたが真相は定かでは無い。しかし人一人が命の危険にさらされた以上、それくらいのペナルティは仕方が無い。
そして私は妹に「兄貴なのに何でハゲに色々言ってやらなかったの!! せめて二度と顔見せるなハゲ! くらい言ってやってもよかったじゃん」と滅茶苦茶怒られていた。
「だが妹。ハゲにハゲと言うのは人間として言ってはいけない一線じゃないのか? 人間誰しもハゲたくてハゲたわけじゃないだろ。最低限の尊厳を踏みにじるそれはイジメと言うやつじゃないのか?」
「言いたい事解るけど、こっちは死にかけたんだからね! 少しは言ってやってもよかったじゃない!」
それは確かに当事者からしたら、当然の言葉だったのかもしれない。
(それでも、すまない妹よ。お前の命が危なかったのに、ハゲにハゲと言えない兄を許してくれ・・・・・・)
私はうなだれたまま、心の中で妹にそう謝罪した。
ふと考えると、妹の事情を知らず、小さな子供を担当するつもりだった技師が、照れ隠しについ口を突いてしまったのではないか。と少し思い返すことがある。
だが、実際どう言う事情が有ったのかは本人にしか分からない。しかし、どんな理由があるにしろ、仕事中に弱い女子供へ向け私情の不満を漏らす彼は、なんて格好が悪い大人なのだろう。と私は今でも思うのだった。