不倫
「征木、この資料をまとめて先方に送っておいてくれ。」
「かしこまりました。いつも助かる。」
「いえ、こちらこそ先方に取り次いでいただいたりと感謝しています。」
「あんまり部長の俺が出ていくと先方が警戒する可能性があるからな。役職があるというのも考えものだ。上に行けば行くほど自由になるはずなのに自由度が全く変わらん。」
「贅沢な悩みというのもですよ。この仕事はいつまでですか?」
「できれば明日までには提出してほしい。できない場合は明日の午前中に連絡してくれ。俺は別の打ち合わせに出ているから携帯のほうにな。」
「かしこまりました。」
椅子に座ってデスクトップパソコンを起動させる。出社して早々に仕事を押し付けられるというのは気分的に沈んでしまう。部長はすでに席を外している。部長も忙しい身である。今日だけで3つの会議があるのだから。会議資料の作成や会議室の準備は全て部下に任せていると言え、その資料や確認するのにはかなり時間がかかる。だから、俺のような課長に仕事を任せるようになるもの分かる。しかし、この仕事に関しては数日前に議題に上がっていたはず。その時に仕事をもらっていればそれなりの資料が作ることができるのにと思ってしまう。
デスクトップパソコンの起動音が聞こえて、画面が綺麗に映る。パソコンの入れ替えが最近あったため、かなり画面が鮮明に映る上に起動時間が早い。そのわずかな間にスマホを確認する。スマホのポップアップ画面にメールの受信があった。最近、仕事以外でメールを使用しなくなったが、相手がSNSを嫌っているためにメールを使用している。SNSと違ってメールは証拠が残るため使用したくなかったが、仕方ないと諦めている。
『徹さん、おはよう。今日は良い天気だね。お仕事は早く終われそうかな?できれば一緒にいたいな。』
少しため息をつきながらも心が少し踊っている。どんなに年を重ねても、デートというのは良いものである。名前にはかんと名前を変えている。
「おはようございます。征木さん、相変わらず早いですね。」
「まあ、管理職だからな。藤原さん、今日は急ぎの仕事はあるかい?」
「特にはありませんが…。」
「では、この資料の数字を確認してもらえるか?」
「…、前回もそうでしたが…。」
「わかっている。今度からは早くもらうようにする。」
「前回もそうでしたけどね。まあ、いいです。夜に返してもらいますから。」
そういって彼女は自分の席に戻っていった。周りに人がいないのを確認して言っているのだろう。社内での不倫は処罰の対象になる。今回の場合で言えば俺が処罰される。考える前に体が動いてしまう人だから…。しかし、それで何かあっても…。スマホを暗くする。パソコンの画面を見てみるとメールの画面が起動する。すでに30件以上のメールが届いている。社内でのメールはまだ他にある。
メールの確認をしながら他の部下が出社してくるのを見ている。部下の様子を見るのも管理職の仕事である。…、トラブルの案件が目についた。このまま放っておくと大変になりそうだ。
「橋本。」
「はい。この仕事だが…。」
橋本とともに相手先へ訪れた。あの様子であれば何とかなりそうだが、相手が怒っているのは分かるから進捗状況をよく確認する。あの橋本は少し抜けているところがあるからな。人の性格でもあるから仕方のないことである。彼を責めるよりもしっかりとフォローをして仕事を前に進めるのが大事である。あっという間に正午になっている。
体を伸ばして首を曲げる。年には勝てないのか首からバキッという音が聞こえる。長時間同じ姿勢をとっていると体が硬くなりやすい。30歳を過ぎてから特に体が硬くなっているように思う。今はジムに通っているため体もそれなりに柔らかくなっているが、それでもまだまだ硬いまま。
「課長、お昼はどうしますか?」
腕時計を見る。時刻は12時半。昼食の時間としてはまだまだ混み合っている時間だ。今から行くと一時間で帰ってくることができるかどうか。
「課長、一緒に行きませんか?」
「ん?どこにだ?」
「昼食です。」
…、藤原、ここが社内というのを忘れているのか…。他の社員がいる前で2人きりの食事というのはよくない。しかも、女性だしな。不倫のほうではなくても、相談でも変な噂が立つ可能性がある。
「私も一緒に行きましょうか?」
橋本か…、そもそも藤原は橋本を嫌っているらしい。男にはわからないが、彼特有の粘着質の視線があるらしい。無自覚である上に悪気がないのが余計に悪いそうだ。自覚があれば徐々に改善するらしいが、自覚がないとずっと性的な感じで見てくるということらしい。好きな異性であれば話は別だが、嫌いな異性に見られることほど気持ち悪いことは他にないらしい。女性にかかわらず人間の心というのは難しい。コントロールが効かないことも多いのだから。
「お誘いは嬉しいが、今日はやめておく。1人でご飯に行ってくる。」
藤原の顔色が少し悪くなる。昼食を断られたのがショックなのだろう。女性から誘うというのは思った以上に勇気がいることだと聞いたこともあるし。しかし、男性から誘わないといけないということもないのだがな。
昼食を食べた後、仕事を再開する。2時から会議だからトイレに行っておく。個室のトイレの中でスマホを確認する。メールを見ると10件の未読のメールがある。環という名のメールが入っている。面倒くさいと言ってしまっては彼女に失礼なんだけど、そう思ってしまうのは彼女がしつこいだろうということ。
『今日会える?』
そう簡単に会えないと言っているはずなのだが、彼女は常に連絡を取りたがる女性である。このような女性は面倒くさいのだが、こちらの言うことをよく聞いてくれるのである。ある意味で扱いやすい。しかし、こうも連絡が頻繁に来ると不倫がばれてしまう。
『何回も言ったと思うが、簡単には会えないよ。』
送信ボタンを押す。画面の中で無機質なメッセージが流れて相手側に送信できた旨が表示される。その表示を見ながら、他のことを考える。そういえば、嫁が何か言っていたような気がする。…、スマホのメモ帳を確認する。常備薬を買ってきてほしいということか。ドラックストアによるから、環にもあいつにも会えないな。他の彼女も仕事だと言っていたような気がするしな。
トイレを出ると他の部下は仕事している。まさか、この狭い空間で不倫しているとは誰も思わないだろう。机の上に置いてある資料を見る。先程の件か。うまくまとめられているな。しかし、先方への確認がどのようになっているかわからない。
「橋本、この資料は先方に確認取ったのか?」
「はい。取っています。」
メールを確認するが、何も連絡が入っていない。おそらくBCCやCCで返信したり、送信したりしていないのだろうな。これではどのようなやり取りをしているのか全く分からない。彼にもしっかりと言っていたはずだがな。
時計の針は20時を指している。スマホが振動する。そろそろ、ドラックストアに行かなくては。あまり帰る時間が遅くなっては嫁に負担がかかる。いかに料理を作ってくれているとはいえ、遅い時間にバタバタしているとゆっくりと休むこともできないから。スマホを見ると茜という名前が表示されている。
『今週のいつか会える?』
彼女のLINEはいつも余裕を感じる。以前も不倫していたと言っていたから慣れているのだろうか…。ただ、俺としてはすごくやりやすい。毎日会いたいと言われるのもそれなりに嬉しいが、年を取ってくると体力的に厳しいことが多くなってくる。時間に余裕をとってもらえばそれなりに体調を整えることができる。パソコンのスケジュール表を開く。先程よりも肩の張りが和らぐ。そして、気分が高揚している。やはり女性に会うというのは別の感情が動いているらしい。しかし、妻もしっかりと愛している。スケジュールを見れば、何とか土曜日には会えそうだ。
『土曜日なら何とかなりそうだ。』
LINEで返事をする。彼女は友達のように接してくれるのも楽なところだが、踏み込ませてくれないというのは不満なところでもある。あんまり踏み込むとそれはそれで問題があるのだが…。好きな人のことを知りたいというのは難しいものである。
『あんまり無理しないでね。嫁のほうも大事にしなきゃだと思うし、もう1人のほうも大事にしなきゃでしょ?』
彼女にはもう1人の不倫相手のことも話をしている。むしろ、彼女が教えてほしいと言ってきたのだ。俺に無理をさせないように。彼女にももう1人相手がいるということなので、その調整もあるとのことで。そう考えると彼女も大変である。調整と言っても人が絡むのでそううまくはいかないだろうに。彼女はそういった調整がうまい。仕事でもその手腕は発揮している。
しかし、そこまで完璧だと反対に怖いと思ってしまうのは俺が不倫をしているからだろうか。彼女としても社外につながりある男の不倫は危険がある。できるだけ危険になる行動は避けたいのだろう。
『わかっているさ。無理はしてないよ。じゃあ、土曜日に。』
スマホを閉じる。気分が良いな。しかし、あまり気分よく家に帰ると不倫がばれるからな。今まで不倫がばれたことはないが、妻も勘が鋭いから気が付くかもしれん。子供も小学生になった。男だし、やんちゃな時期である。妻も俺も苦労することだろうな。しかし、子供の成長というのは案外嬉しいものだ。
スマホを閉じた。すでに8時を回っているが、もう少しメールの返信した方が明日、楽になる。
会社を出たのは8時半だった。外へ出るとすでに真っ暗である。社内にはほとんど人がいなかった。コロナということもある。電車の便が少なくなった影響で早く帰る人が多くなった。それでもまだ社内に残っている人もいる。外に人影があった。…、シルエットを見る限りはよく見ている人である。
「征木さん、お疲れ様です。」
彼女はしきりに周りを気にしている。おそらく会社の人間がいないかどうか確認しているのだろう。そもそもここに佇んでいる時点で会社の人間には誰かを待っているというのはばれているはずだ。少し厄介だな。彼女は悪気がやっていない。これではかなり早い段階で妻にもばれる可能性がある。
「藤原、ずっとここで待っていたのか?」
「だって、最近、会ってくれないから。」
確かに最近は会っていない。それはあくまでもプライベートでということだ。会社では会っているのだ。毎日顔を合わせるし、むしろ、ちゃんと会話もしている。業務的なものばかりだけだが。それでも彼女には物足りないのだろう。俺としてはたまに会うだけで充分である。あんまり頻繁に会ってしまっては不倫がばれてしまう。
「以前も言った通り、俺は今の妻と別れることはない。だから、そう簡単に会うことはできないと言ったはず。」
「そうね。でも、妻に不満があるというのも事実でしょ?」
彼女の言うように妻に不満があるわけではないのだ。むしろよくやってくれていると思う。彼女も仕事をしているのだから。息子には苦労をかけているし、さみしい思いをさせていると思っているが、すべての家庭にお金があるというわけではない。子供を育てるだけでそれなりのお金がかかるのだから。妻はそのあとも家事をしているのだから、俺よりも忙しい。その彼女を嫌いになるわけない。
「特に不満があるわけではないよ。しかし、こう、生活に刺激がないのは事実かな。」
「じゃあ、刺激があれば私と一緒になってくれるということ?」
どうして、そういった考えに至るのだろうか。不思議でならない。そう簡単に会うことなどできないし、節度を守って会うことが大事である。それは恋人同士でも同じである。相手を尊重できない人間は嫌いである。好きな人とは一緒にいたいが、そのために行動を制限されるのはまた話が違ってくる。そのことを彼女は分かっていないように思っている。SEXをしたからと言って、その女性を好きであるということにはならないのだ。
彼女の目を見ると真剣そのもの。おそらく、彼女は本気で俺のことを好きになっている。彼女にも何回も言っているが、妻と別れることはない。彼女から離婚を切り出されたらそれは仕方ないことだと思っているが、こちらから切り出すことは今のところない。
背広の中のポケットから煙草を取り出す。ズボンのポケットからライターを取り出す。
「私の前では吸わない約束でしょ?」
彼女が少し怖い顔で俺のほうをにらんでいる。彼女は煙草が大嫌いだった。前の彼氏が本当にダメ男であったため、彼がヘビースモーカーだった影響で嫌いになったということである。俺には一切関係のない話である。迷惑な話だ。しかし、イライラした時には煙草を吸いたくなる癖は治ってくれない。だから、家ではイライラすることが少ないのでそこまで煙草を吸うことは少ない。それでもやはり妻と喧嘩したり、息子となんかあることもあるので吸うのは吸う。
彼女も悪い子ではない。むしろ、良い子なのだろう。しかし、人に入り込みすぎる。こちらも不倫というの伝えているので、あんまり踏み込んでもらってもあまりやれることも少ないし、やってあげることも少ないのだ。
「ああ、すまなかった。つい癖でね。」
「わかっているわよ。私のことが面倒なんでしょ。私も自覚があるからね。でも、私もあなたのことを見ているからちゃんとしてほしいのよ。」
同様の思いを持てということか…。正直に言えば無理なのだ。彼女と結婚する気はない。そもそも、妻と離婚する気がないのだから。
「今日はドラックストアに行ってから家に帰るよ。」
「そうなの?じゃあ、ドラックストアに一緒に行こうか?」
「いや、妻にばれるからな?」
「でも、本当に最近、会ってないでしょ?」
「わかっているよ。来週の土曜日に会えるからさ。出張の後にね。」
実は大阪に行く予定がある。コロナの影響もあり、相手先との飲み会などもないため、夜は暇である。彼女も同行するため、十分に時間をとることができるのだ。
「確かにそうだけど、それとこれは別じゃない?」
「別じゃないよ。家族とも時間をとらないといけないからね。」
別れることはないというのをこの女は分かっているのだろうか…。もう説明しても難しいかもしれない。それでも説明し続けるのも重要だろうな。しかし、俺には説明するだけの力はないな。
「フーン…。」
「まあ、分かっていないのであれば、それでいいよ。じゃあ、行くよ。」
「…、ちょっと待ってよ。」
その言葉を無視して歩き始める。彼女が後ろからついてくる足の音が聞こえる。その音を無視してそのまま電車のホームまで歩く。
「無視しないで。ちゃんとするから。」
彼女の声が聞こえていたと思っていたら、目の前に顔があった。そして、キスしてきた。彼女の生暖かい体温が感じられる。彼女の体から僅かに香る少しくたびれた匂いと女性特有の甘い匂いが鼻の中に入っていく。その匂いが男の体の体温を上げる。
「どう?興奮した?」
咄嗟の言葉に反応できない。下半身は反応していない。かろうじて。今日は反応したらまずい。ドラッグストアに寄ってすぐに帰らなければ。彼女の無邪気な姿を見ていたい感情に支配されそうになるが、心を鬼にした。
「すまんが、今日は相手できないぞ。」
環は少し拗ねた顔で俺のほうを見ている。珍しい。彼女がこのような顔をするのは。彼女は本当に今日、一緒にいたかったのかもしれない。彼女の感情は彼女にしかわからないが、そうであればすまないことをしたと思っている。同時に彼女はまだ24歳だし、顔もかなりいいと思っている。彼女なら引く手あまただろう。どうして俺のような男と一緒にいるのかわからない。
「ふん、分かったわよ。本当に今日はダメなのね。また、今度ね。…、連絡はしても良いのよね。」
「ああ。」
「じゃあね。」
彼女はそのまま駅のホームを降りていく。反対側のほうに。思わずため息がこぼれる。彼女のことを怖がっているのだろうか。それとも、体が無意識に彼女のことを身構えているのだろうか。どちらにしても、何か危険と思っているのかもしれない。だが、彼女の喜ぶ姿を見れば幸せになるのはどうしてだろうか。
電車に乗ると少し生暖かい風が吹いてくる。その風にはいろんな匂いが混じっている。どうしても仕事終わりということで酸っぱいような匂いがするのは仕方ない。その匂いとともに電車は進んでいく。ふと、夜の街を見る。多くの明かりが灯り、多くの人が生活しているのが分かる。その1つ1つに俺のような不倫しているどうしようもないような男も多くいるのだろうか。
いろんな人が口々に男はしょうがないと言っているが、男のほとんどは不倫をしているわけではないのだろう。だからこそ、不倫している男が世間から非難させるのだ。もし、世のほとんどの男が不倫していたら、不倫していない男が白い目で見られる。その時代の価値観によって左右される人間というのは変わっているなと思う。
電車がホームに到着し、電車を降りる。電車を出ると少し肌寒い風が吹く。…、中年の男性が駅のホームの脇で吐いている。コロナになって時間制限もある中での飲み会であれば彼のように限度を超えて飲むようなこともあるだろう。しかし、彼を擁護する気はない。そろそろ限度というものを分かるべきである。
ドラッグストアに行くとプロテインがあった。最近、妻はジムに行くのが日課らしい。彼女とは生活習慣が合わないのでジムの時間が異なっている。むしろ、ジムも違うところに行っている。はじめは彼女と一緒に行こうと思っていた。入会金なども安くなるから。しかし、太ったからジムに行っているのにその姿を見られるのは恥ずかしいらしい。よくわからん。しかし、女性は女性のままということだろう。男も男のままではあるのだが。
メールを確認し、妻が買っているプロテインを確認する。間違えたら自分で飲む羽目になるからな。美味しいプロテインであればよいが、嫌いな味であれば飲み続けるのは苦行にしかならない。
歩いていると風が吹き秋の訪れを感じる。少し肌寒いのだが、秋にはまだ早いだろうか。明日も30度を超えるということだし。それでも夕方にかけては涼しくなっている。持っていた上着を着た。
多くの人がいる中で自分という存在はちっぽけな感じがする。だから何をしていいというわけでないから難しい。
家に着くと妻と子供がテレビを見ていた。息子も珍しくドラマを見るので妻と一緒にソファーに座っている。同世代の子供からするとかなりおとなしいらしい。しかし、日中は外で遊んでいるから健康的ではある。サッカー選手になりたいと言っていたが、そこまで練習している姿を見ないから、思ったほどの夢ではないのかもしれない。
「「おかえり。」」
「ただいま。」
彼女たちはすでに夕食を済ませている。
「レンジで温めようか?」
「いや、大丈夫だ。やるよ。」
そのままいそいそと準備を行う。他の食器は全て綺麗に洗っている。今日のご飯はチャーハンとお肉の炒め物、野菜サラダか…。ご飯を食べながら2人の様子を見ている。その様子を見ていると幸せな気分になる。しかし、女の人と不倫することはやめることができないのはなぜだろうか。所詮は男ということだろうか。そう考えるとすごく切なくなる。下半身で生きていると思ってしまうからである。
「そういえば、会社で何かあった?」
「うん?」
「最近、遅いからね。」
彼女には不自然に映っているのだろうか。あんまり良い状況ではない。…、メールの数、電話の数は制限した方がよさそうだ。スマホを見ると5個のメールが来ていた。開くと環からばかりだった。少し注意した方がいいか。…、言って聞くようなやつではないのだよな。
スマホを脇に置いてご飯を食べる。ぼーっとテレビ画面を見ながら、口に運ぶ。ドラマの中で男性と女性がキスしているのが見えた。息子は恋愛をわかっているのだろうか…。俺のような好色にならなければ良いが。1人を愛し続けるというのが決して良いわけではないのだが。
「風呂に入ってくるよ。」
「少し時間経っているからお湯が冷めているかも。少し温めておいて。」
「確認してから入るよ。」
風呂のほうへ行ってお湯に手を浸ける。程よい熱さだが、今の気温からすれば少し寒いかもしれない。温めのボタンを押す。風呂から音が聞こえて風呂がコポコポと泡立っている。その泡を見ながら少し水面に手を当てていた。
風呂から上がるとスマホが置いてあり、振動しているのが見えた。電話ではないようだが。頭を拭きながら、スマホを開く。通知を見ると社内のメールに多くの連絡が入っていた。珍しいな。人事に関してのこと以外で入ってくるとは。メールを開くと、次回の会議資料のメールである。新見茜と書いてあるメールが多くある。こんなに遅くまで仕事しているのか…。おそらく、家でやっているのだろうな。彼女からすればそこまで大した量では…。いや、それでも少しずつやっていてもそれなりの時間はかかる。
残業はしていないと言っていたから、家でサービス残業をしているのだろうな。あまり好ましいことではないのだが、彼女は自分のペースを守りながら仕事をしていく人だから、1人のほうが捗るのだろう。しかし、会社的には良くない。隠れてというわけではないが、仕事の分量が把握できないのだ。残業せずに業務ができていると考えているのであれば、その分、仕事量を増やそうとしてしまう。…、彼女の会社は彼女の会社である。でも、このようなことを考えておかないと彼女の体を思い出してしまう。
彼女の大きな胸の下には2つのほくろがある。そのほくろを眺めるのが好きだったりする。彼女の体はかなり柔らかく抱き心地がいい。妻とは正反対なのが良いのだろう。そして、彼女自身、男性との行為が好きであることも大きい。男性のことは好きだが、行為が好きでない女性もいる。そういう女性はデートでしっかりと雰囲気を作りこまないといけないため、俺には負担になる。
ふと、不倫について考えてみる。愛する女性とは違う女性と寝る…。改めて考えると最低な行為だな。男性特有というわけではない。女性も不倫するのだから。しかし、女性は隠すのが非常にうまい。平気で嘘をつくのだ。まあ、相手を傷つけていないのであればそれでもいいと思う。
そんなことを考えていると少し温めすぎたようだ。服を脱いで風呂に入る。ふと、鏡に女性の姿が映る。…、茜と環である。その姿を想像して下半身が臨戦体勢へと変わっていく。男というのはどうしようもないものだと思う。下半身で生きていると言われてもしょうがないと思うほどに情けない。無理やり押し付けながら体を洗う。
風呂からあがる頃には収まっていた。どうしようもない下半身に腹を立てながら、リビングへ移動する。缶ビールを取り出し、開けた。ジョッキ缶なので素早く飲む。泡立つのでこぼれることがある。すでにテレビは消していた。息子は寝たのか。なかなか話すことができないな。
「あなた、あがってきたのね。」
「ああ、康は寝たのか?」
「うん、寝たよ。少し疲れていたみたいだからね。」
子供も子供で疲れることはあるよな。俺だって子供だったわけだし。ふと、妻を見ると少し笑っていた。少し目の下に皺ができ始めている。お互いに少し年を取ったなと思う。
「どうかしたのか?」
「いや、その顔が康にそっくりだと思って。考えている姿なんか思った以上に似ているよ。」
そうなのだろうか。息子だから似て当然なのだが、俺でいいのかとも思ってしまう。
「そうか…。」
「うん。最近、帰り遅いね。何かあったの?」
「うーん、そうでもないはずだけど、もしかしたら、効率が落ちているのかもしれない。」
「年を取ったからかな?」
「…ないとは言えないけど、少しはあるかもな。上の立場になって多くの仕事が任せられているけど、線でつながっていないからメールを読むのも一苦労なんだ。」
「なるほどね。担当からしたら、それぞれ仕事、持っているものね。」
帰ってまで仕事の話というのも疲れるが、1人暮らしの時には誰もしゃべることができなかった。その状態を考えれば妻が話を聞いてくれるのは非常にありがたいことだ。しかし、たまに1人になりたいときもあるのも事実。申し訳ないけど。それは彼女も同じだろうか。
「どうかしたの?」
「いや何でもない。」
彼女の顔を見ていると少し照れくさくなってきた。
「私も少し飲もうかな?」
「大丈夫なのか?」
妻は弱い。すぐに酔ってしまうのだ。それに酔ったら人に絡んでくる上に男性にだらしなくなっていくので彼女もあまり酒を飲まない。俺と知り合った時には下戸であると聞いていたくらいだ。急性アルコール中毒もあるため、俺は飲ませなかったが、今まで会ってきた男性は飲ませようとする人が多かったらしく、俺のことが少し変わったように映ったらしい。光栄なことである。
「明日は休みだからね。少し飲んで酔っ払っても大丈夫だから。」
「そうか…。あんまり飲みすぎるなよ。口付けたが大丈夫か?」
「大丈夫よ。何年夫婦やってきたと思っているの?」
彼女は食器棚からグラスを持ってくる。彼女の足を見た。彼女の足は少し太くなっている。俺もお腹が出ているから、同じようなものか。不思議なものだ。彼女と結婚することができると思っていなかったのに、不倫をするようになるとは。全く人生とはわからないものだ。彼女には悪いことをしていると思っている。しかし、やめることができないというのが本音だ。2人を愛しているというわけではない。ただ、一緒にいると楽しい。それだけである。一緒にいたいのは妻である。
彼女のグラスにビールを注ぐ。少しぬるくなったビールがグラスに入っていく。そのビールを見ている彼女が少し可愛く見えた。
「ん?どうしたの?」
「いや、可愛いなと思って。」
妻は少し照れながらビールを喉に注ぎ込む。妻はそのまま一気にビールを飲み干した。…、喉が渇いていたのだろうか。夕飯も食べているはずだし、すごく喉が渇いているわけではないように思う。
「久しぶりに飲むとおいしいね。」
妻は弱いだけで酒は好きである。味が苦手というわけでもないだ。
「そうか。もう1本飲むか?」
「うん。おつまみ持ってくるね。」
彼女の尻を見た。少し垂れているが、十分魅力的だ。…、どうして俺は不倫しているのだろうか。不倫というものは一時に楽しい物であって、その他に良いことは何もないのだ。何をやっているのだろうか…。本当に。彼女はいろいろとみている。チーズ蒲鉾とピスタチオを持ってきている。食器を棚から出してくる。
「ありがと。」
妻は皿におつまみを出す。その時にTシャツの隙間から谷間が見える。…、男というものはどうしようもない馬鹿な生き物だ。それこそ、子孫を残すことしか頭にない。女の人はどうなのだろうか。それこそ、子孫を残すように動くのだろうか…。では、子孫さえも残すことができない人間はどうなのだろうか。俺は運よく彼女に出会えたから子孫を残すことができた。ならば、できていない人は…。意味がないというのは失礼か。
彼女の谷間を見たときに下半身に血流が流れこむことを感じる。…、良いことなのだろうが、彼女は最近、忙しくて疲れているのをよく見る。あんまり無理させるのはよくないし、体を使うものことだからな。
「どうしたの?」
「いや、別に?」
「ふーん?」
妻は少し不満げに俺のほうを見ていた。誘ってほしかったのだろうか。女性の気持ちはよくわからない。でも、彼女は何かを求めていたのだと思う。ここら辺が俺のダメなところなんだろう。
「そういえばさ、今日…。」
そのまま妻の話を聞いていると彼女はうとうととしてテーブルの上で寝ている。よほど疲れていたのだろう。妻に毛布を掛けてあげる。妻の様子を見ながら安堵する。最近、体調も良くなかったのを知っているから安心した。
俺も寝るかな…。その時にスマホが振動する。スマホを見る前に缶と皿を片付ける。面倒になるとやらなくなるのは目に見えているから。彼女はすやすやと寝ている。風邪ひかないかな…。まあ、大丈夫か。そっとしておこう。スマホを手に持ち確認する。環という字が見えている。…、面倒くさいなという感じになる。夜には送ってくるなということだったのに。
『今度、いつ会える?』
そのメールが5通も来ていた。…、粘着質だな。どうやっても連絡とってくるな…。困ったものだ。本当に困ったな。このままいけば不倫が妻にばれるだろうな。
『会えるようになったら、連絡する。』
そう打ってスマホを机の上に置いた。このやり取りは意味がない。彼女は構ってほしいだけだから。スマホの充電器を持ってきてコンセントに差して、コードに引っかからないようにスマホへ差す。振動して充電されていく。妻の寝息が聞こえる。本格的に深い眠り入ったらしい。寝室へ行って布団を敷く。康が小さいいびきをかきながら、お腹を出して寝ている。お腹が冷えるのでそっとTシャツを下ろして、布団をかけてあげる。
何かうめき声が聞こえた。妻の声である。…、様子を見れば彼女は少し動いて倒れたりはしていない。以前より酒が弱いことを知っているから、彼女が急性アルコール中毒になっていたら心配だし。
気が付いたら朝になっていた。ちゃんと布団に入って寝ていたらしい。ただ、枕の位置が悪かったらしく首が痛い。痛みがひどいわけではないのでこのまま出勤しても大丈夫かとは思うが、もう少しちゃんと寝ればよかった。
「おはよう。」
妻の声が異様に低い。酒でやられたのだろうか。
「ちょっと二日酔いみたい。今日はご飯作れない。」
「ああ、大丈夫大丈夫。それよりもちゃんと寝ておきなよ。」
「うん。」
しおらしい彼女も少し可愛いな。彼女のことも心配だが、仕事にはいかないといけない。息子が起きて少しぼーっとしている。康は目をこすりながら、そのままふらふらと歩いてくる。息子を抱いた。
「元気にしていたか?」
「…、うん。」
まだ、眠いようで目を擦りながら俺に抱きついてきた。今日は土曜日。学校は休みである。妻にも無理させる必要もないだろう。寝室に案内する。康はそのままいやいやと首を振る。トイレかな…。
「何か飲みたい。」
「牛乳でも飲むか?」
「うん。」
康を椅子に座らせコップに牛乳をつぐ。少しずつ牛乳を飲んでいく。康のことも見ていたが、そろそろ会社に行かないと。
「行ってくる。」
「うん。」
妻の声を聴いて会社へと向かう。…、ん、誰かがいるような。歩いているのは茜である。
「新見さん、おはようございます。」
「あ、征木さん、おはようございます。早いですね。今日は出勤ですか?」
「ええ。会社のほうで会議資料などの準備がありますので。」
「もしかして、月曜日の資料ですか?」
「それもありますが、別の会議もありますので。」
実は彼女とは仕事の話などは一切していない。そもそも会社の話をプライベートでしたくないというのもある。彼女も同じである。彼女は俺に微笑みながら、少し歩く速度を落とす。隣に来た彼女からは良い匂いがする。彼女は香水をつけていないようだが、特有の匂いがするのだろう。彼女と抱き合った時にも匂いに関しては合っていた。
「そうですか。あまり無理しないようにしてくださいね。」
「ええ。ありがとうございます。新見さんも。」
少し無言の時間が続く。彼女とは無言でも全然大丈夫だ。彼女は周りを見ながら歩いている。以前、聞いたことがあるのだが、彼女の癖らしい。人間観察が以前より好きだということもあったらしいが、最近は顕著に気になるということだ。何か精神的にあったのだろうかと思うのだが、彼女には何もなかったらしい。
彼女の姿を見ればスーツの上から胸が協調されている。少しでも大きく見せないためにブラを考えているのらしいが、あんまり締め付けると苦しくなるため、ほどほどにしているらしい。一回見たことがあるのだが、本当にしんどそうであった。それだけ、多くの男性に胸を見られるということである。確かに失礼だなと思う。しかし、それだけ魅力であるということでもある。
「新見さんも仕事ですか?」
「いや、今日は別の残業するつもりです。どうしても事務仕事はそれなりに溜まりますからね。土曜日にやることが多いのです。」
彼女に知り合ったのは1か月前。そこから飲み会を経て、不倫の関係となった。男と女の関係になったのは早かったが、彼女も彼氏と別れて、俺も不倫相手と別れたというところが大きかった。お互いに引かれたというわけではなかったが、話をしてみて自然と話すことができたこと。SEXばかりするわけではないから、話を自然にできることが重要と思う。
「では、ここで。また、月曜日に。」
「ああ、そうでしたね。はい。月曜日に。」
そういって彼女は振り返ることもなく会社に向かっていく。彼女とは今日の夜に会う。彼女はそのような様子を見せない。女性というのはかなり上手いと思うのはこういったところだ。
会社に着くとパソコンを起動させる。出社している社員は少ない。土曜日は大体、管理職が多い。取引先からの連絡などもないから、営業職は出社する意味もない。メールを見てみると多くのメールが届いている。ほとんどが部下のものだ。あれほどまでに家で仕事をするなと言っているのにまだ、やっている部下がいる。どうしてもやりたい気持ちは分かる。しかし、仕事もどんどん、増えていくので際限がないのだ。日本人は少し働きすぎだと思っているが、海外の人たちを見たことがないので何とも言えない。
「んー。」
背伸びをすると背中や腰がバキッと音がしてコリが無くなる。少しすると藤原が出社してきた。今日は午後から出社ということあったから、時間通りだ。彼女は俺が今、まとめている資料のチェックと誤字脱字、そして、資料の不備がないかを確認してもらう。また、その後に取るアンケートも準備してもらう。
「こんにちは。お疲れ様です。征木課長」
彼女はいきなりツカツカと歩いてきた。キスをしてきた。唇に柔らかい感触が伝わってくる。あまりにも自然のため咄嗟に反応ができなかった。彼女は何事もなかったように机に座り、そのまま仕事を始める。…、怒りたいが怒れない。そもそも彼女はおかしいことをしているがあんまり騒ぎを起こすべきではないのだ。不倫がばれる原因にもなる。下半身に血流がたまっていくのを感じる。
ここが会社だというのに下半身は場所を選ばない。選んでほしいと思っていたのだが、選んでくれない。少しクールダウンのためにトイレに向かう。…困ったな。このままでは仕事に支障が出そうな上に、不倫もばれそうである。もうやめた方がいいだろうな。どのようにしてやめるか…。それが重要か。
「藤原、この資料をまとめてくれるか。そして、資料の不備があるかどうかチェックしてくれ。」
「かしこまりました。」
彼女は何もなかったように仕事を始める。こういうところは女性がすごいと思うところだ。隠すのが無茶苦茶うまい。仕事しているとメールが来た。新見からメールが来ている。彼女からのメールを見ると月曜日の会議の事である。
「…資料の変更が必要か。しかし、月曜日までだからそう簡単に直すわけにいけないか…。」
何か目線を感じる。周りを見渡しても誰かが見ているわけではない。視線を感じるだけで見ていないのだろう。自意識過剰ということだ。
…、少し遅くなっているな。彼女は仕事ができているが、それでも難しいことがある。彼女は仕事を断らない。会社のためにということを考えているのかもしれないが、そんなことを考えることができないほどに仕事を引き受けてしまうのだ。
今日もそれで遅れているのだろうか。しかし、少し遅いな。スマホの着信はない。近くにスタバがあったので入っていく。彼女にメールを入れておく。…、やはり何か見られている。誰に見られているのだろうか…。変な目線だ。
コーヒーを飲みながら、スマホで漫画を読む。最近は無料で読めるような漫画が多い。少し時間が経つと彼女がやってきた。手にはコーヒーを持っている。
「ごめんね。少し遅れてしまった。」
「大丈夫だ。少し漫画読んでいたから。」
「ああ。昨日から無料の漫画ね。言っていたね。」
彼女はコーヒーに口を付ける。少し疲れているのか、コーヒーを飲む速度が遅い。
「疲れているのか?」
「うん。でも、大丈夫。」
彼女は無理している。彼女が大丈夫というときには大丈夫ではない時だ。彼女の肌のノリも少し悪いような気がしている。肩も張っておらず、肩が落ちている。緊張していないということかもしれないが、そうではなく疲れているということだ。彼女の声にも張りがないから。
「まあ、無理するなよ。」
「大丈夫よ。私のことは私がよくわかっているから。」
…まあ、放って、おけないのか。入ってきたのは環だ。
「少し席を…。」
「おそらく彼女は分かって入ってきているわ。私のこともつけていた。もう、何かしても意味がないわ。」
「どうして事前に言ってくれなかった?」
「あなた、きっと逃げるからね。彼女は同じ職場だから避けて通れないでしょ。その上、あなた妻にもばれているわよ。浮気。でも、彼女は怒っていないようだけどね。私たちのことが遊びというのがわかっているからね。」
その話を聞いている間に彼女が入ってくる。そして、ココアを持ってこちらの席に来た。
「徹さん、先ほど茜さんとお話ししました。私との関係は遊びだったと。」
「前からそう言っていたと思うのだけどね。」
彼女には初めからそう言っていた。そして、茜にもそう言ったことを伝えている。わかっている。最低であることは。しかし、彼女はそれをわかった上で付き合ってくれている。
「私にはそう思えませんでした。ひとえに私が悪いのかもしれないですが、それでもあなたが振り向いてくれると思っていたのだけど、無理だったみたいですね。」
彼女は涙を流していた。俺に特殊な感情を持ってくれていたのは嬉しいが、愛しているのは妻一人。
「奥様にも言ってみましたけど、病気だって言っていました。」
…妻は気づいていたのか。気づかないうちに彼女を傷つけてしまっていたか。茜のほうを見ていたら、どうでもいいような顔をしている。彼女にとってはどうでもいい話なのかもしれない。それもそうか、不倫をやっているのは悪いこと。彼女には好きな人といたいだけみたいな感じらしい。
環はかなり憔悴している。本当に彼女は俺のことを好きでいてくれたらしい。俺のことを想ってくれるのはうれしい。しかし、な。妻がいる身で…。
「環さん、正直に言えば、そこまで気にしなくていいのよ。不倫なんて言っているけど、結局はお互い遊びだから。それが妻がいるかどうかの話。そのことは分かっているでしょ?深く考えないことよ。」
茜の言っていることは正しい。俺もさんざん言ってきたことだ。しかし、環には難しいことなのかもしれない。環はハンカチを出した。女の涙に意味がないというのはよく言う。しかし、今回は俺が悪いだろう。彼女は本気になってしまっただけ。俺が誘わなければよかったことだ。ふと、誰かが来るのを感じた。
「こんにちは。」
流石に茜も絶句している。そこに居たのは妻だった。これは俺も想像していない。彼女は俺の隣の椅子に腰かけた。…、気が付いていたと聞いていたが、まさかつけてきていたのだろうか。
「あなた、心配しないで。別に何かしようというわけではないわ。彼女たちの立場をわかってもらわないとね。」
妻は少し怖い顔をしながら笑っている。こんな顔もできるのだな。感心しているわけにもいかないのだが、彼女を怒らせるわけにもいかない。悪いのは俺のなのだから。
「別に彼と遊ぶのは構わないわ。でも、分かっているわね。遊び以上の関係になってはだめよ。」
「お気遣いなく。私はこれでやめますから。」
環は伝票を片手に出ていく。茜はため息をついた。
「奥様、別に私は分をわきまえています。何もするつもりはありませんよ。でも、ここでやめておきます。面倒なことになるのは嫌いなので。今までありがとうね、楽しかったよ。」
茜も振り返ることなく、スタバを後にする。不思議と不安な感じはなかった。むしろ、心が楽になったような気がする。
「あなた、あんまり本気になってはだめよ。」
「怒らないのか?」
「怒らないわよ。私だって精神的におかしい時もあったのだからね。その時に浮気をしたわけではないけれどあなたには冷たく当たってしまっていたわ。あなたから話があるものと思っていたけどね。でも、あなたがあまりしゃべらないのを忘れてたわ。少し長く一緒にいすぎたのかもね。」
そんなことはない。お互いに歩み寄りが少なかっただけである。俺も妻に対して無頓着になっていた。ちゃんと女性としてみなければならない。
「すまないな。」
「じゃあ、帰ろうか。」
俺と妻はスタバを出ていく。
「何か視線を感じないか?」
「え?感じないけどね。」
周りを見るが、誰もいない。最近、よく見られているような感覚が抜けないな。…、気のせいか。そのまま妻と一緒に帰宅した。
『10月8日、都内の路上で男性が倒れているのが発見されました。刃物のようなもので刺されており、意識不明の重体であるということです。』