日常
閑静な住宅街に紛れるように修也の家はある。
それはこの辺りではあまり珍しくない二階建てのしかしこじんまりとした家だ。
夕焼け空の下、たどり着いた玄関扉。
そこでカバンから取り出した鍵を使って中へと入る。
「ただいま〜」
幾度となく繰り返されて慣れた動作と見慣れた光景。
しかし、その日は違った。
いつもならばこの時間にはまだないはずの少し汚れたスニーカーがあったのだ。
疑問符を浮かべながらも修也は先に帰ってきていた人物へと声をかける。
「あれ? 父さーん?」
「おーう」
どこか気怠げでやる気のなさそうな返事を耳にした修也は靴を脱ぎ、家に上がると廊下を進む。
そしてその突き当たりにある扉を開いた。
その部屋の作りとしては入って真正面がダイニング、その左側にキッチン、右側にリビングがある形だ。
「お帰り。修也」
ソファに座りながら出迎えの言葉を向けたのは修也の父親である紫原彰人。
修也を産んで1年で亡くなった母親の分まで男手一つで育て上げたのが彼だ。
彼はもう40代も目前という年齢なのだが、髭を生やしていないのに加えて修也と似て少し童顔なためかなり若々しい印象を受ける。
そんな父へと修也は時計を一瞥して言葉を向けた。
「珍しいね。父さんがこの時間に帰って来るなんて」
「いつもが遅いんだよ。定時通りならこれぐらいに帰ってこれる」
「ふーん、そっか。
ん? ならなんでいつもちょっと遅いのさ」
「これでも管理職だからな。大変なんだよ色々と」
「そうなんだ。大変なんだ。管理職って」
「ま、その分給料はいいがな!」
彰人の笑い声に釣られるように修也も笑いながら台所で手を洗い、冷蔵庫へと手を伸ばして取っ手を掴む。
ちょうどその時に彰人から声が上がった。
「なぁ、今日は外に食いに行かないか?」
「なんでまた急に……。今日ってなんかあったっけ?」
「いや、特に理由はないんだが、な」
キッチンからひょっこりと顔を出した修也へと彰人は唸り声を挟むと振り向いて続ける。
「ただ、特にお前が高校に上がってからはまともに話すことがなかったなとふと思ってな」
「朝晩は話してるじゃん。気にしてないよ? 俺」
「気にするものなんだよ。親っていうのはな」
あまり見ない父親の照れた顔にどこか安心感を覚えた修也は口元を緩めると頷いて答えを口にした。
「わかった。着替えるからちょっと待ってて」
「ああ、どこかいい感じのところ探してるから急がなくていいぞ〜」
彰人の声を背に部屋へと向かうためにリビングから出て扉を閉める。
扉を背にした修也は首にあるチョーカーに指先で撫でた。
彰人が何も言わなかったところからダインの言うとおり普通の人間にはこれの存在を察知することはできないらしい。
それを理解すると同時に心の中で後悔が芽生えた。
今にして思えば何も不満がない中で「ふと興味が湧いた」という理由だけで死ぬ目前まで進めた己が恐ろしく感じる。
あの時はダインが現れなくとも戻るつもりだったが、もし足が滑るなり何かしらの不可抗力があればこの身はたちまち地面に落ちてそのまま死んでいただろう。
残された父がなにを思うかはわからない。
わからないが、少なくとも喜ぶことは絶対にない。
それを避けられたことは良いことだが、かわりに「戦い」などという普通に生きるよりもずっと何が起こるかわからない未来がすぐ近くに現れてしまった。
スカアハという存在については現状よくわからないが、それに巻き込むかもしれないという不安もある。
自分だけならば自業自得と納得できる。
例えどれほど辛くとも元々は自分が変な気を起こしたことが原因なのだ。無理矢理にでも納得するしかない。
しかし、それに誰かを、ましてや大切に育ててくれた父親を巻き込むようなことだけはしたくない。
(心配もかけたくないし、このことは秘密にしておこう)
影の国の方が時間の流れが早い。そして、戦場はその影の国だ。
あの世界で壊れたものは修也が過ごすこの陽の国でも壊れる。
それは人間も例外ではない。
あの黒点を消すとその黒点とリンクしている者は死ぬ。
何度か踏んだような気がするがそれで死者が出ていないということは消すにはダインが言ったように明確な意思が必要なのだろう。
だが、わかってしているならば気をつけるだけだ。
最低限人だけは死なせないようにスカアハの兵士たちと戦う。
それが今の修也の目標となった。
この力があれば恨んでいるものを殺すこともできるのだろうが、今の彼にそこまで恨みの募った相手はない。
少し癪だがダインの望み通りスカアハを倒す、ただそれだけのために力を振るう。
おそらくはそれが今の自分とは無関係な父親や友人を巻き込まないためにもつながってくるはずだ。
小さく息を吐いた修也は自室がある二階へと向かった。
◇◇◇
翌日、修也はいつものように学校にいた。
慣れたように靴箱に靴を入れ、代わりに上履きを履いて教室へと向かう。
ざわざわとした2年B組の扉を開き、席へと向かう修也へと声がかけられる。
「おーっす! 修也」
修也へと雑な挨拶をしたのは吾妻 透。
彼とは中学校からの付き合いであり、席も修也の目の前ということもあって学校で一番接することが多い少年だ。
特徴的なのは全体的に髪の毛が跳ねていることだが、男らしい顔つきのせいか不思議と不格好という印象は受けない。
「うーっす。透」
返事をしながらバッグを机の上に置き、教材を取り出し机の中にしまっていく修也へと透は話を切り出した。
「なぁ、知ってるか? 屋上がしばらく封鎖されるらしいぜ」
「うぇ!?」
修也が出した素っ頓狂な声に少し身を引いた透は怪訝な顔を向ける。
「な、なんだよ。急に変な声上げやがって」
「あ、い、いや、悪い。なんでもない」
なんでもないわけがない。
屋上が封鎖される理由に修也は心当たりがある。
影の国で壊れたものは陽の国、つまりはこの世界でも壊れる。
昨日、影の国か陽の国だったかはわからないがどちらにせよ唯一壊したもの。それが屋上のフェンスだ。
しかし、何か別の事かもしれないと恐る恐るといった様子で修也は問いかける。
「そ、それってなにが原因なんだ?」
「あー、うーん? なんかよくわからんけど、フェンスに大穴が開いたんだってよ」
修也にとっては「そうなのか」と少し棒読み気味に答えるのが精一杯のことだった。
それを透は残念という気持ちと受け取ったらしく同意するように数度頷き言う。
「だよなぁ。この辺じゃ珍しく屋上が解放されてるんだし、変なことすんのやめて欲しいよなぁ」
「そ、そうだな……はは」
その変なこと、それも屋上が以後封鎖されかねないようなこともしようとした修也は苦笑いを浮かべるしかなかった。
そんな彼を救うようにチャイムが鳴り響く。
チャイムの終わりかけのタイミングで教室のドアが開かれて担任の男性が入ってきた。
「はい、おはよ〜。さっさと朝会終わらせるから席座れ〜」
雑談をしていた生徒たちはその言葉に素直に従い、それぞれの席に座る。
そんな生徒たちを一瞥すると出席を取り始めた。
こうしていつもの日常を過ごしていると昨日の放課後の出来事が全て嘘のようだ。
(ほんと嘘、みたいなのにな……)
そう思いながら首に触れる。
触れた手からは明らかに肌の感覚とは違うものを受け取れた。
登校中にも何度か確認してその度に痛感していたことではあったが、それは改めて昨日の出来事が嘘ではないと告げているようだった。
(いや、それでもせめて学校にいる間だけはチョーカーのことはあまり意識しないようにしよう)
そう決めた修也は担任に呼ばれて「はい」と声を上げた。