後悔
翌日の水曜日。
連休もついに終わりという憂鬱とした気分と凛があれからどうなったかという不安、ほんの少しの「大丈夫だろう」という安心感を持っていた修也のスマホにメッセージが届いた。
「ん?」
リビングでゲームをしていた修也はコントローラーを置くと届いたメッセージを見る。
「……は?」
送り主は凛。
内容は酷くこざっぱりとしてそれでいて今まで見たどんな言葉よりもずっと頭に残るようなものだった。
『お母さんが誰かに殺された』
端的に現状を告げる文章を見た修也は半ば無意識にスマホを操作して凛へと通話を繋げる。
少し意外なことに待機音は1秒とかからなかった。
すぐに繋がったのだが、そこから凛の声が上がることはなかった。
修也も修也でとにかく話さなければという思いだけで通話を繋げたのだ。
かけること言葉などまるで考えていなかった。
「あっ……そ、の」
改めて「この時にはどんな言葉をかければいい」と全力で思案するなかで凛の言葉が重く耳に響く。
「話、しない? 西古のいつも行くカフェ」
「い、いいけど、その大丈夫なのか? 出歩いて。
聴取とかってのは……」
「大丈夫、昨日大体終わったから。電話が繋がるようにしてればとりあえず出ててもいいって」
「わかった」
小さく弱々しい声の「ありがと」に続くように通話はブツンと途切れた。
修也は先ほどまで凛の声を届けてくれたスマホを見つめる。
昨日の凛はとても楽しげだった。
不安の色はたしかにあったが、それよりもこれから先の希望を見つめているような明るい笑顔が浮かんでいた。
だから「大丈夫だ」というもはや確信にまで近い安心感が修也の中にあったのだ。
しかし、そうはならなかった。
これから先も、もう彼女たちは理解し合うどころか話し合うことすらできない。
はやる気持ちを押さえつけながらも着替えた修也はボディバッグに財布とスマホを突っ込んで家を飛び出した。
◇◇◇
西古駅近くのカフェに到着した修也は席に案内しようとした店員に断りを入れながら店内を見回す。
彼の探し人であった凛はいつも座る店の奥にいた。
深呼吸を挟み歩みを進めてそこに向かう。
彼女はこのカフェにどうやら長い間いるらしく、一口もつけられていないであろうコーヒーはすっかりとその湯気を失っていた。
「桑田さん……」
「本当にすぐに来てくれたんだ。ふふっ、ありがとね」
現実で聞く凛の声は通話越しよりもずっと弱々しいものだった。
浮かべている小さな笑みにも力は感じられない。
昨日も見た似たような笑みを見たはずなのに、それを浮かべていた者と同じであるということが信じられないほどの違いがあった。
修也は小さく拳を作ると彼女の向かい側に座る。
正直に言えば口を開きたくない。今の彼女を見ていたくない。
それでも、と彼は確認の言葉を口にした。
「……お母さんが亡くなったって」
「昨日、紫原君とプレゼント選んだじゃない?
あの後に帰って来た時には、もう……」
首を横に振りながら凛は俯いた。
目を瞑ってもあの惨状がずっと張り付いている。
瞳孔を完全に開き、言葉を発することもない母親の姿。
部屋に広がる血の匂いが未だに鼻に残っている。
熱を失い始めていた体温をこの手が覚えている。
どうやって警察を呼んだのかは覚えていない。
ただ気が付いた時にはパトカーと救急車のサイレンが鳴り響いていた。
店員が修也へとお冷やを出し、下がったところで修也は問いかける。
「なんで……」
「わからないわ。
でも、警察の人は恨みを買ってたんじゃないかって」
「恨み?」
「うん。お父さんが会社の役員っていうのは言ったっけ?」
「ああ、聞いてはいた」
なら話をいくらか飛ばしてもいい。
凛は修也の覚えの良さに感謝しながらも変わらず俯いたままに続ける。
「その会社で何人かリストラしたんだって」
「……それの復讐?」
「じゃないかって警察の人は言ってる。お父さんもそうじゃないかって」
「でも、あのマンションってそんな簡単に入れるような場所じゃ……」
凛の住むタワーマンションはエントランスには自動ドアがあり、そこに住んでいない者は近くのコンソールで部屋番号を入力する。
そこで開けられて初めてマンション内に入れる。
そのエントランスには常に警備員と管理人がいるため、他の誰か、例えば鍵で自動ドアを開いた住人と一緒に入ろうとした時には呼び止められる。
それを考えると何事もなく入るということはあまり考えられない。
もしなんらかの方法でマンションに入ったとしてもインターホンで答える真夢が警戒なく部屋に招くとは考え難い。
「うん。警備員さんも管理人さんも怪しい人は見てないどころかその時間はそもそも誰も入ってなかったって」
「なんだよ、それ……そん──」
そんなの出来るわけがない。
口からそんな言葉が続きそうだったが修也はそれを飲み込んだ。
(いや、待て……出来るんじゃ、ないか?)
言葉の途中で黙り込んだ修也を疑問に思った凛は顔を上げて疑問符を浮かべる。
「どうしたの? 紫原君」
聞いてくるということは凛はまだそのことに気が付いていない。
いつもならとっくに気が付いていてもおかしくはないが、それほどのショックなのだ。
気が付かないならその方がいい。
直感的に思った修也は咄嗟に首を横に振った。
「いや、なんでもない」
あのマンションどころかどれほど厳重な場所でも侵入する方法はある。
最新のカメラであれ、人手であれ、何にも察知されない方法。
(アルカナを使えば……)
影の国へと移れば陽の国から干渉されることはない。
しかし、逆に干渉することはできる。
アルカナであれば厚い壁も破壊でき、スカアハの兵の死体を使えばそれも直せる。
加えて高い場所へも跳ぶことも、カメラに映らず移動することも可能だ。
(アルカナを使った、殺人……)
考えたことすらなかった。
この力はスカアハ兵たちから人を守るためにあるのだと修也は信じきっていた。
今にして思えばアルカナの悪用などいくらでもある。
ダインが「どう力を使おうが構わない」と言ったのはそのことを見越してのことだったのを修也はようやく理解した。
(でも、それならどうすればいい。
警察に……言って信じてもらえるものか? もし信じられたとしても今までの生活が出来るとは思えない)
そうなれば残るのは自分だけで解決することなのだが、手掛かりの1つも見つけられる自信はない。
凛とこうして接していても何も感じられないあたり、このチョーカーは本当にスカアハの兵だけしか察知できない。
ならば自ら街を歩き回って探すということはできない。
(打つ手なし、か……)
修也が歯噛みしたそんな時、ポツリと凛がこぼす。
「私さ。やっと変われるって思ったの。
そりゃ、一度に全部は変われない。でも、ほんのちょっとでもって」
彼女はスカートをギュッと握り締めると再び俯いた。
修也から顔は見えないが肩が揺れている辺りから彼女が涙を流しているのは察した。
「なんで、こうなっちゃったのかなぁ……」
「わからない。俺も……。
でも、桑田さんのせいじゃない。だから──」
「本当に?」
修也の言葉を遮ったのは凛の震えて縋るような声と涙が浮かぶ瞳。
いつもの優しそうな雰囲気の鳴りを潜めさせた代わりに静かな怒り纏わせた彼女は続ける。
「私が、死のうとしなければ!
私が、この力を手に入れなければ!
そうすれば、そうすれば……!」
「そんなわけないだろ!!」
修也が返したその声は思った以上に店に響いた。
店員や他の客の視線が彼らへと向けられる。
修也は慌てて軽く頭を下げると大きく息を吐いた。
そうして自分を落ち着かせるようにお冷やを飲んでから再開する。
「もう一度言うけど、桑田さんのせいじゃない。悪いのは殺した犯人だ。
どんな理由であれ、どんな事情であれ人を殺すのはいけないことだ。責められるのはそいつだろ」
これは誰にも防ぐどころか予測すらできなかったことだ。
だから責められ、償うべきなのは犯行を侵した犯人だけだ。
「……そう、ね。ごめんなさい。少し、冷静になれたわ」
「うん。なら、よかったよ。
にしても、お母さんのこと本当は好きだったんだな。桑田さん」
苦手、嫌いだと言っていた存在が亡くなり、ここまで意気消沈している姿がそのことを明確に示している。
最近気が付きかけ、そして今回のことでようやく自覚できた凛は頷いた。
「ええ、そうね。亡くなってから、もう会えなくなってからそんな事に気がつくなんて、ね。
もっと早く気が付いていれば、色々な話もできたのに……」
凛は言いながら視線を窓の外へと向ける。
自分の気分とは裏腹に綺麗な青い空が広がるその空を見ていると我慢できずに小さな笑みが口から漏れた。
「不思議なものね」
「ん?」
「こんな気分なのに、死にたいってまるで思えないなんて」
本当に死にたいという感情を得たことがなく、親しい人や家族の死も経験したこともない、覚えていない修也には、その言葉に対する答えを出すことはできなかった。
(桑田さんと比べれば俺はまだ、何にも本気じゃない……)
修也が歯噛みする中で凛は椅子から立ち上がった。
「ありがとう。少し散歩でもして帰るわ」
「あ、なら、俺も」
「ううん。1人で大丈夫」
「いや、俺が一緒に行きたいんだ。ダメか?」
その問いかけに数度瞬きをした凛は今日初めて修也へと嬉しそうに表情を緩めて頷く。
「なら、エスコートお願いね」
凛はコーヒーを、修也はお冷や飲み干してその店から出た。
どこから歩こうかなどと考えている時だった。
「ッ!?」
修也はその視線に気が付いた。
嫌な視線だった。
名状し難いヘドロのような粘りつくような視線。
その視線の方向へと向いた修也は目を見開いた。
(あいつが──)
そこに居たのは1人の男性だ。
サラリーマンのようにスーツを着こなしている30過ぎ程度の中肉中背の男性。
顔は特別イケメンというほどではないがかといって不快感を覚えるものでもない。
だが、今はそこに寒気を感じさせるような笑みがある。
そして、そんな顔の下。首には黒いチョーカーが付けられていた。
(──殺したのか!)
それは直感的に出された修也の答えだった。
遅れて申し訳ないです。
次回は早ければ明日に投稿し、その後はまた2日に1話ペースに戻すようにします。




