自答(下)
噂をすれば影がさすとはこのことを言うのだろう。
放課後、西古駅のトイレから出てきた修也の目の前にある改札、ちょうどそこを通る存在と目が合った。
「「あっ」」
修也と目が合ったのは凛だ。
彼女の方もここでかつこのタイミングで合ってしまった、というような雰囲気が咄嗟に出たであろう声から感じられる。
「あー、えーっと」
修也が言葉を迷わせる中で凛はまるで覚悟を決めるかのように先に口を開いた。
「少し、お茶しない?」
凛の語調は初めて出会った時と同じものだった。
修也は少し驚いたように目を見開くと同じく覚悟を決めるように頷いた。
◇◇◇
駅近くにあるカフェ、座る席、頼むもの。
それら全てが初めて顔をつき合わせて話した時と同じものだ。
まるで2人の関係をやり直すかのようだと修也は思いながらカップを傾けていた。
凛の方も似た感覚を得たようだが、緊張した面持ちの彼とは違い、笑みを浮かべている。
「ふふっ、なんだか別れかけてるカップルみたいね」
「ドラマとかだと時々見るけど現実でもこういうもんなのか?」
「さぁ? 私も誰かと付き合ったことないからわからないわ」
「……意外。桑田さんって美人だしなんでも出来るしモテそうなのに」
似たような言葉を言われることはよくあるが、オブラートもなく真正面からそのように褒められるのは初めてだった。
嬉しさと気恥ずかしさを感じた凛はそれを誤魔化すようにコーヒーに口をつけると話を切り替える。
「それで、答えは出た?」
「答え……?」
「ええ、だってずっと考えてたんでしょ?
私の言葉からずっと」
驚いた修也を目を見開き、反射的に問いを返した。
「なんでそのことを?
桑田さんにはあれから会ってなかったし、話もしてなかったのに」
「だって今日の昼、屋上に私もいたもの。
クラスの人たちと一緒にご飯食べにね」
「……え? マジ?」
「マジよ? 私いつ気付かれるか結構ヒヤヒヤしてたのよ?
それで教室にでも戻ろうとした時に話を聞いちゃってね」
そこでようやく透が唐突に凛との関係を聞いてきた理由を理解できた。
透は屋上で凛を見つけた。
それに気が付けないほどに修也が上の空なこと、凛も声をかけてこないあたりから何かあったということを悟ったのだ。
(あいつ、本当に周りをよく見てるな。いや、俺が見えてないだけ、か?)
自嘲と呆れが混ぜ込まれた息を吐いた修也は へと凛は続ける。
「まぁ、内容の全部を聞き取れなかったけど、紫原君が悩んでるってことはわかったから。
んで、今の紫原君がそこまで悩む内容って私が言ってた言葉じゃないかって……」
そこで言葉を区切った凛は修也の目を見るとコーヒーを飲んで微笑んだ。
「自意識過剰って少し思ってたけど、その反応を見るに合ってたようね」
透に加えてたまたま話を聞いたと言う凛にすらも言い当てられてしまい修也は肩をすくめた。
「ああ、まさにその通りだ。この1週間ずっとそのことを考えた。
俺はいつも通りのつもりだったんだけど、透が聞いてくるぐらいだったし、わかりやすく出てたんだな」
昼間の屋上の風景を思い出せる範囲で頭に描くが、そこには凛の姿はない。
話が聞こえる範囲ということであればそう遠くない場所にいたのにも関わらずだ。
つまりはそれほど周りが見えていなかったのだ。
今日のことでようやく自覚できた修也へと凛は問いかける。
「改めて聞くけど、うわの空になってた1週間の間になにか答えは見つけられた?」
「いいや、全然。取っ掛かりすら見えない。
でもまぁ透が言うにはもう答えは俺の中にはある、らしい」
「ああ、ぶつかるってそういう……?」
なにか察したような語調の凛。
しかし、彼女に状況を話した修也の方は未だにわかっておらず首をかしげた。
「ん? 俺はよくわからなかったんだけど?」
「透君の言ってることはほんと。
自答っていうのは答えは出てるの。だけどその答えを見る邪魔をしてるのよ。
他でもない自分自身が、ね」
「……ぶつかれっていうのはその邪魔をしてる自分を打ち壊せっていう意味、か?」
修也からは少し自信なさげに見えたがそれでも凛ははっきりと頷いた。
「たぶんね。私はそう取ったわ」
「ちなみにどうすればぶつかれると思う?」
「ふふっ、それはね……」
「それは……?」
少し乗り出し気味で問いかけるような言葉が自分の口を衝くのと同時、彼は昼間にした会話を思い出しハッとした。
それを察した凛はより一層の笑顔を浮かべると首を横に振った。
「わからないわ」
「わからないのかよ」
「当然でしょ?
私は私のことをよく知っているつもりだけど紫原君は私じゃない。
紫原君の自問の答えは紫原君自身しか見つけられないのよ」
「まぁ、そうだよな」
修也は椅子の背もたれに体重を預けると残っていたコーヒーを飲みきった。
そうして空になったカップをソーサーに置くと深いため息をついた。
自分でもそれの原因はわかる。
期待していたのだ。凛と話すことで答え、最低でも取っ掛かりが得られるものだと。
たしかに何も得られなかったわけではない。
言うなれば取っ掛かりの取っ掛かりは見えた。
だが、それは「これでいい」と納得できるものではない。
そんな今の修也の表情を焦っているものと感じた凛は少し顔を曇らせると申し訳なさそうに口を開いた。
「発端の私が言うのもおかしな話かもしれないけど、別に答えを見つけることにそんなに焦る必要はないって私は思ってるわ」
「でも、桑田さんはもう見つけてて──」
「それは紫原君が急いで見つける理由にはならないわ」
食い気味に、しかし柔らかい口調で言った凛はそのままに続ける。
「人には人のペースがある。私には私の、紫原君には紫原君のね」
「それはそうだけどさ」
「紫原君は紫原君の理由を見つければいい。
誰かのためじゃない。自分自身のために自分自身が戦うに足る理由をね」
凛の言葉をもう一度心の中で呟いた修也は躊躇いながらも彼女の目を見つめながら口を開いた。
「……もし、これだけ悩んでその先が、答えが誰かのためだったら?」
「そう、ね」
答えを考えているのか、言葉を選んでいるのか、凛は目を閉じた。
それからたっぷり1分経った後にすっと目を開いた彼女ははっきりとそれを返す。
「私は紫原君を軽蔑するわ。一生ね」
「……それは、嫌だな」
小さな笑みと共に吐かれた言葉に凛も笑みを浮かべた。
「なら、そうならないように自分とぶつかって、悩んで、紫原君自身の見つけるしかないわね」
「ははっ、ああ、そうだな。
うん。少し気が楽になったよ」
「そう? ならよかったわ」
凛は空になったカップをソーサーに置くと小さく息を吐いた。
(自分とぶつかって悩む、か。耳が痛いわね)
先ほど修也へと言ったその言葉は凛の心にも深く突き刺さっていた。
自分とぶつかる恐怖。
修也は感じていないようだが凛の中にはそれがある。
だから、複数の仮面を持つ自分に恐怖を覚え、母親の態度にも何も言えずに飛び降りようとした。
戦場に立つ自分が本来の自分。
しかし、それは痛みに強いわけではない。
むしろ痛みに弱いからこそ、自分が傷つけられないように力を振るっている。
結局のところ凛もまた逃げているのだ。
(でも、そうも言ってられないわね。人に言っちゃったもの。
焦らなくていい、急がなくてもいい。私は私のペースで自分と──)
「──ぶつかりたいわね」
「ん? なんか言った?」
店員におかわりのコーヒーとチーズケーキを頼んでいた修也は凛へと確認の言葉を投げた。
「ううん。なんでもないわ」
「……? あ、桑田さんは何か頼む?」
「ん、んー、そうね。それじゃあ──」
追加注文をする凛の顔はいつも通りではあったが、その目付きから微かな違和感を修也は覚えていた。