何でも屋ではない理由
あくまで特殊部隊は、主戦力を補完するものである。通常戦力が国防政策の主軸であるとするなら、ネイビーシールズやSBUの様な特殊部隊は、主軸を補完する第2、第3の軸であると言える。
ある一定の能力に特化した特殊部隊の存在は、あくまで主戦力や通常戦力にとって代わる様なものではない事は理解しておくべきであろうと思う。B班班長である小野沢一尉は次の様に言っている。
「SBUと言えども主戦力である自衛艦隊の肩替わりなど出来ないだろ?つまりそう言う事さ。」
A班副長の西浦二尉も小野沢一尉と同様の事を話している。
「俺達の仕事は、掃除機が吸いとれない様な小さな、あるいは巨大なゴミを処理するのと同じだ。」
要するにSBUの任務は主戦力たる自衛艦隊が処理出来ない任務をピックアップしてミッションとして、処理するという事が言いたいのだろう。非常に分かりやすい比喩だ。大切な事は、特殊部隊というのは、何でも屋ではないという事である。何でもこなす器用さはいらない。彼等とて、得意不得意はある。ましてや守備範囲外の事など、てんで苦手である。
あらゆる任務に多元的にアプローチ出来る事は大切だが、万能部隊である必要性はない。対テロ、対水中工作部隊に特化するなら特化する。中途半端が一番良くない結果を生む。
C班副長の三田川二尉も次の様に言っている。
「何でも屋になる必要性はない。特殊部隊の存在価値は、誰も及び届かない専門分野の知識を有する事にある。そして、SBUもその様にあるべきである。」
理想は何でも屋だろう。だが、作戦内容が多岐に渡る昨今の軍事情勢を考えると、特殊部隊はプロフェッショナルであるべきで、万能戦士は必要性がないと言える。




