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黒い桜~The black cherry blossom ~  作者: 佐久間五十六


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殺るか殺られるか

 戦争を細分化して行くと、後に残るのは結局殺るか殺られるかという一点に尽きるのである。

 SBUの様な特殊部隊であっても、同じ事が言える。全ては敵勢力排除の為の殺し合い。全てはその一戦に勝つ為の通過点でしかない。日々の訓練も、1つ1つの戦闘で勝利する為の布石でしかない。殺られればそこで終わり。命のやり取りは、銃弾一発で決まる。決まらなければ更なる殺戮兵器を使われ、いつかは死ぬ。

 人を殺す事に対して後ろめたさがある人間には、向いていない職業かもしれない。無論、平常時なら殺人は犯罪で罪に問われるし、非戦闘員相手の殺戮も、重大な犯罪である。しかしながら、戦闘員は敵戦闘員を排除する為に存在している。存在理由が殺戮である。分かりやすく言えば、敵戦闘員を排除する為の備えであり、訓練である。

 勿論、任務内容によっては、敵戦闘員と非接触の破壊工作活動に専念する事もあるかもしれない。しかしながら、基本的にSBUの任務の多くは、対峙すべき敵勢力がいる事が多い。その度にいちいち殺す事に躊躇してしまったり、迷ったりするようでは、任務を遂行出来ないのである。

 訓練の段階で殺るか殺られるかの意識付けをしておくのが重要なのはその為である。命のやり取りをしているという意識が、SBU隊員としての力を向上させる事に繋がる。そして何よりも隊員一人一人が、明らかに戦闘マシーンになって行く事が、実感出来る。戦闘マシーンになる事は、必ずしも悪い事ではない。悪いのは中途半端になりどっち付かずになるのが一番良くない。

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