表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い桜~The black cherry blossom ~  作者: 佐久間五十六


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

66/239

己の存在理由と自衛隊の立ち位置

 何の為に命をかけるのか、というのは自衛官なら誰もが越えなければならない、永遠のテーマなのかも知れない。

 大日本帝国陸海軍の時代には、国家国民の為に、大元帥である天皇陛下の為に命をかけるという法的裏付けもあった。しかし、防衛省・自衛隊になってからは、その辺りの法的裏付けがあやふやになっていた。それこそが、何の為に命をかけるのか? という重要かつ大切な命題をぼかしてしまう最大の原因になっていたのだ。

 一人一人が誰の為に命をかけるのかという目標がバラバラでも、共通したものもあれば、そこで、団結する事が出来る。

 だが、そもそも自衛隊の立ち位置自体が、曖昧な位置付けになっている為、団結以前の問題になっている。これは、自衛隊だけではなく全日本人の問題でもある。

 戦後長期間に渡り、この問題を棚上げにしてきたツケが各隊員に不必要なプレッシャーを与えているに違いない。銃を持ち、命がけの突入をするのに、何の精神的担保がないのは、余りにも酷である。せめて共有出来るテーマが有れば良いのだが、現行の法体系では、それすら難しい。

 だとすれば今出来る事は、誰かの為にという事ではなく、自衛隊の存在を認め、きちんと理解した上でその立ち位置を正確に把握する他はない。その存在理由を把握する為の手段の1つが、赤村、青野両名が行っていた、歴史から学ぶという作業なのである。

 存在理由が明確になれば、己の立ち位置も自然に出てくる筈だ。今、一個人が出来る事は、そういう小さな事しかない。だとしても、やらないよりはやった方が確実に良い。自分が何の為に生きて、死ぬのか? その理由付けがあるのとないのとでは、恐らく士気にも直接的に大きな差が出てくる。と考える事が出来るのではないだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ