帝国海軍以来のプライド
日本が核兵器も原子力空母も原子力潜水艦も、憲法で定められているのだから、現状においては無いものねだりをしても仕方ない。苦肉の策として生まれたSBUですら、効果は極めて限定的で、日本の制海権に対するインパクトにはならない。
少なくとも、ロシア、中国、朝鮮と言った日本の周辺国への抑止力にならなければ、意味はない。だが、日本には原子力空母や原子力潜水艦にも勝るとも劣らない、帝国海軍時代からのプライドがある。プライドで防衛とは、如何にも前時代的で、精神主義の大好きな日本人らしいが、まぁ、そこは目をつむろう。
確かに物理的にはプライドは何も関係はない。しかしながら、国防とはプライドを持った、誇り高き人間達によって、行われるべきであり、世界の国防に携わる人間は皆等しくプライドと実力を持っている。そのプライドをかけた戦いが戦争であり、政治の代行者としての任務を果たしているに過ぎない。プライドだけで国は守れない。しかしながら、今日本に一番必要な物は、敗戦によって、失われたプライドを取り戻す事である。その為にはなにがなんでも強国になる必要がある。
力無き正義が無力なように、正義無き力もまた無力なのである。プライドで国が守れるならばこんなに楽な事はない。しかしながら、果たしてプライドのない人間に国家の国運を託すほど、世界の一等国は愚かでは無いだろう。それにこれまでもそうであったはずである。兵器には敵わない事もある。それでもプライドを持った戦士の攻撃に勝る"兵器"はないのであろうと思う。




