兵站の重要性
飯くらいは良いものを食わせてやりたい。それは戦後日本の大きなテーマだった。別に自衛隊だけが特別に美味い飯を食っていた訳ではない。戦後の瓦礫の中から日本人が復活していく為の理由が、その一番の欲求が、美味い飯を食いたいというただそれだけの事であった。
美味い飯を食うためには汗水垂らして働く事。その時代には働けば働く程給料も右肩上がりで上がった。それはつまり戦後日本人の最も分かりやすい特徴というか、傾向が端的に現れている。
粗末な食い物ばかり食わされていた時代から抜け出す為には、まず働いて裕福になる。それが個人としての最も分かりやすい戦後復興だった。戦前の階級的な飯の反省点から、自衛隊ではなるたけ士官も下士官も同じ物を食す様にした。その反省点が自衛隊の飯を美味くした。結局、人間という生き物は、食べ物によって左右される単純な生き物なのである。
戦う為には、力がいる。日本には有名なことわざがある。「腹が減っては、戦は出来ぬ」と。それはつまり、大日本帝国陸海軍が軽視した兵站という物がどれだけ重要なのかという事である。兵站とは、燃料の補給や食糧の補給の事であり、戦争遂行にあたっては必ず軽視出来ない重要な意味を持つものである。にも関わらず、その兵站が軽視されたのは、安易な精神主義に偏ってしまった事が大きい。
非化学的な精神主義に陥らざるを得なくなってしまった日本の政策的な部分も不味かったかもしれない。しかしながら、少なくない数の人間を餓死させたという実態は、例えどんな理由で戦うにしても、燃料と食糧つまり兵站は軽視してはいけないという事を示している。その反省から、自衛隊では最も強化されたのは、兵器もそうだが基礎基本の兵站機能であったのである。




