暴力装置
体の成長は大人になると止まるが、体力や筋力は違う。これらは鍛えれば鍛える程にパイも最大値も上がって行くものである。
自衛隊の体力錬成ではその最大値を上げる事を目的とする。毎日少しずつ負荷を上げていく。SBUも基本的には同じだ。その負荷のかけ方や方法が異なっているだけの事であって、基本的な最大値の上昇という目的は同じである。
ただ単に、体力を増強するだけでなく、怪我や病気をしにくい体作りも当然ながら求められるだろう。そんな事は自衛隊員なら誰もが分かっている事だろう。それでも、彼らが何のためにハードな訓練をしているのかを知る事は、知っておいて損はないだろう。
そもそも、自衛隊の存在意義は国防の為にある。様々な制約はあったとしても、武装を許され、様々な兵器を持つ事を許されたのは、自衛隊以外にはない。災害派遣やPKO等の海外派遣は本来の目的とは異なるが、国益との絡みもある為やっているのが現状である。本来の任務は国防であり、その事を国民が充分に知らない事は、いささかの問題がある。
ハードな訓練は実は災害で多くの人を助ける為ではなく、海外で困っている人の為にやる訳でもない。ただ国家の平和を脅かす直接の脅威となる勢力に対して、それを排除する為のものである。
バカな政治家が自衛隊を暴力装置と言った事があるが、その発言はあながち間違いではない。良いか悪いかの性善説ではなく、自衛隊を戦力ならざる戦力として持とうとする事の方が無理がある。自衛隊は違憲で困ったときだけ使うという矛盾がまかり通る方がよっぽど理不尽だ。
軍隊は暴力装置だ。だが自衛隊は違う、という理論はまかり通らない。人殺しも人助けも両方出来る。自衛隊は軍隊に相当する存在だ。だとしたら軍隊とは、暴力を肯定する事でしか存在出来ない存在であると言えるだろう。




