最低レベルの成長
青野も赤村も体力には自信があった。中学・高校と運動部に所属して、体育でも5段階評価の5しか取ったことがない。それでも自衛隊で5年も10年も最前線にいて、極限まで鍛えた人間に比べれば、赤子も同然だった。学生時代にどれだけ運動能力に優れていても、それは、ポテンシャルが高いというだけで、一目置かれる存在としてしか扱われない。
ダイヤの原石とでも言うのか。それはさておき、SBUが特殊部隊なのは分かった。だが、基本的な訓練内容は、通常部隊と大差なく行われている。走る、泳ぐ、戦う等この3点セットは全部隊共通だ。そこから先の鍛え方や追い込み方が違うだけで、SBUも陸上自衛隊の歩兵も、海自の水兵も、空自のレーダー要員も基本的な部分は一緒である。何せ目指しているのは、オリンピックの金メダルをとることではなく、日本国民の安全の確保である。そして、時には敵勢力の排除する為に必要な能力を見につける事である。
青野も赤村も最初は付いていくのがヤットだった。あんなにチヤホヤされてたゴールデンルーキーでもその体たらくである。入隊から間も無く1年になろうとしていたが、1年前の自分とは明らかに違う事は、自他共に認めるモノになっていた。しかし、彼等にしてみればまだまだなのである。越えるべき猛者は沢山いる。諸先輩隊員や栄田三佐に井口二佐とライバルしかいない。
人間の体力がどこまで伸びるのか?限界はないか? 限界はあるだろうが、そういう高みを目指す位の志が二人には芽生えていた。1にも2にも体力だという海自の基本方針は変わらない。むしろ、SBUでやっていく為には、その基本が大切なのである。青野も赤村も、ようやくそういう基本が大切だという初心を忘れない大切さに気付いていた。そんな最低レベルに達したSBU 1年目の成長だった。




