死への覚悟
この人の為なら死んでも良い。上官なら部下にそう言われなくては駄目だ。実際には、上官の為と言うよりは国家の為に命をかける訳であるが、いつどんな形でそのような状況に追い込まれるかは未定である。
SBUのような特殊部隊にあっては、死の危険が一般の部隊よりも大きい。場合によっては、死者が出てくる事も充分に想定される。そんな部隊にあって、死への覚悟を決める事は重要課題の1つと言えるであろう。
口で言うのは簡単であるが、これは思いの他難しい課題である。そんなに死ぬ事を割り切れないし、何よりも自分が何の為に死ぬ必要があるのかよく分かっていない隊員も多い。
死ぬ為には理由がいる。欲しいからである。自衛隊の様に存在理由も敵もハッキリしていない様な部隊にあっては、そうした死への理由を探すのは、困難である。最低でも、自分がどのような大義を持っているか、と言う事位は把握しておく必要があるし、何よりもそれは、自分の為に行うべきものである。
死んで行くのは自分であるし、何よりも理由がなくて死んで行く事が許せなくなるのは、他人ではなく自分なのである。どんな些細な理由でも構わない。死ぬ為の理由付けを見つけておく事で、やっといつ死んでも構わないと腹をくくれる訳である。
戦争の逼迫した最前線にいる事になるであろう自衛官は、危険と隣り合わせなのである。今時の危険というのは、何も国VS国の大きな戦いだけでは無い。テロ組織や反社会勢力による破壊的逸脱行動の様な、常識はずれの小さな脅威の方が社会には、多く内在していると言える。