ノンキャリの意地
困った時は勤続年数の長い人物に、意見を聞くのは、迷った時には有効な手段かもしれない。赤村は、A班班長角野一尉に相談してみる事にした。角野一尉は下士官として、20年以上の経験がある、いわゆる叩き上げのベテラン幹部だった。
50近いオッサンではあるが、井口二佐とも長年の付き合いがある。勤続年数いわゆるメンコの数(飯の数)では、SBU随一のモノを持っていた。自衛隊では、旧軍の流れを引き継いだ専門用語が、溢れており星の数やメンコの数という表現もその1つだった。海上自衛隊では、階級の事を星の数と言い、勤続年数の事をメンコの数(飯の数)と言う。
メンコの数が星の数を上回る事は不可能だが、同階級の人間の序列には、メンコの数が参考になる。
自衛隊は、三種類のエリートと、非エリートに分類される。防衛大学校並びに防衛医科大学校を出たA幹部。一般大学又は大学院から選抜されたB幹部。自衛隊内部の昇格試験を突破してきたC幹部。後は海曹長以下の非エリート。
角野一尉は、下士官から部内幹部候補生過程を乗り越えて、今の地位にいる。非エリートでも角野一尉は恵まれた方である。二等海士スタートの自衛官がなれるのは精々が三等海尉か准海尉と言われている。
一方、防衛大学を卒業した幹部のスタートのラインが、三等海尉である。(大学院卒は二等海尉)スタートのラインから違っているのだから、これは仕方ない。しかし、SBUの様な特殊部隊には、防大卒のエリートは要らない。確かな経験を積み重ねて地位を築いて来た角野一尉の様な非エリート出身の幹部隊員こそが、SBUの持っている性質から言っても適任であると言える。
事実、海上自衛隊特別警備隊第一小隊には、栄田3佐と井口二佐以外は全員ノンキャリの、非エリート達ばかりである。むしろ、海幕(海上幕僚監部)は、そういう生きの良いメンバーを集めたと言っても過言ではない。
実力のある下士官が充実しているのは、自衛隊が世界に誇れる数少ない世界一であった。確かに、日本は帝国陸海軍の時代から、下士官の育成には長けていた。叩き上げと言う言葉は、日本のオリジナリティだが、SBU隊員として集められたのは、まさにその下からの叩き上げ兵ばかりであった。
角野一尉は、新人三尉の防大卒エリート10人分の経験値を持つ男である。きっと、サバイバルナイフの試練の事も把握している事だろうし。井口隊長の事ならば誰よりも詳しいし。井口二佐の右腕とも言われる角野一尉は全て把握している事だろう。