最低限のハードル
B班の班長小野沢一尉も、経歴と言う点ではかなり珍しい。小野沢一尉は元々航空学生の出身で、自分の将来はヘリパイかP-3CやP-1等の対潜水艦哨戒機に乗るものばかりだと、思っていた。
ところが彼も9.11アメリカ同時多発テロ事件が起きて運命が変わった男の一人だろう。小野沢一尉は、航空学生として一通りの教育を受けたにも関わらず、辞令で新設されたばかりのSBUの初代班長に成る事を命じられた。勿論、戸惑いもあった。
そもそも、自分が特殊部隊の班長なんか出来るのか? それも分からず放り投げられた形の、小野沢一尉は毎日が苦痛だった。教練はどれも耐え難いほど、厳しかった。しかし、今の自分には最早航空畑に戻れる道など選択肢には無い事は分かっていた。だからこそ耐えれた。こうして小野沢一尉は、井口二佐や栄田三佐が最も信頼するSBU隊員として成長を遂げる事になる。
自分の本来望んだ道では、決して無かったがそれでも、小野沢一尉は与えられた場所で全力を尽くしていた。隊員の士気に関しては、井口二佐や栄田三佐は細かい事は口にしない。何故ならそれは、隊員自身がそれぞれ乗り越えなければならない問題である事を知って欲しいからである。
口でああしろ、こうしろという事は簡単である。井口二佐も、栄田三佐も、それをしないのはきっと、隊員がある程度一定の水準に達して欲しいと願っているからに他ならない。最低限のハードル位越えて見せて欲しいからであろう。自分達の設定したハードル位乗り越えてくれなければ、これから先、一体どうしてこれからの厳しい訓練や試練を乗り越える事が出来るだろうか?
手探りだからこその教育の方法であるとも言えるだろう。